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Novis 新入生のための人文学案内

人文学部では、毎年新入生のみなさんに Novis という小冊子を配布しています。この冊子は、人文学部の先生方が新入生のみなさんに大学で学びを始めるにあたって有用な本や心構えを書いて下さった文章を集めたものです。本サイトでは、2005年以降の Novis の全文を公開しています。

Novis 2016 目次

Novis 2016 本文

人文学部新入生のみなさんへ
星乃治彦(人文学部長)
 最近コンシエルジュという言葉をよく耳にするようになりました。初めて聞く人もいるかも知れませんね。コンシエルジュ(concierge)はフランス語で、本来は「アパートの管理人」程度の意味だったのですが、今の日本では、ホテルに入ってどこに何があるのだろうといった質問に丁寧に教えてくれる総合世話係のような人のことを指すようになっています。この小冊子に収められているのは、福岡大学人文学部の教員たちが、諸君らを心から歓迎する意味で、いわばコンシエルジュとなって授ける最初の知的アドヴァイスです。
 諸君らはワクワクする知的好奇心を満たすために大学に入っているのでしょうし、人文学部を選んだということは、何かやりたいことを決めた人も多いかも知れませんね。そんな諸君らに、大学の入り口で読むべき本がここでは丁寧に紹介されています。
 ここに紹介されている本をちょっと読んでみようかなあと思ったら、日本有数の蔵書数を誇る福大図書館に足を運んで下さい。使い方が分からないのであれば、入口の職員さんに尋ねてみましょう。図書館ツアーに参加するのも良いでしょうねえ。そうやって自分の問題関心をすくすく育ててみましょう。それを積み重ねていけば、諸君らは卒業までには人生の確固たる羅針盤を手にすることになるのでしょう。

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映画の字幕
間ふさ子(中国近現代文学)
 外国映画を見るときになくてはならないものが字幕です。映画では目からの情報だけでなく、言葉や音楽など耳からの情報も大きな役割を果たしていますが、言葉が外国語だと何を言っているのかわかりませんよね。それを解決する主な方法は吹き替えか字幕ですが、日本ではまだまだ字幕が主流のようです。字幕翻訳監修業という職業の草分けである清水俊二さんの『映画字幕(スーパー)五十年』や『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』を読むと、日本における字幕スーパーの歩みを知ることができます。

 字幕と聞いてすぐに思い浮かぶのが、この清水俊二さんや戸田奈津子さんなど字幕翻訳者の存在です。語学を志す人で字幕翻訳者にあこがれたことのない人は少ないのではないでしょうか。自分の作った字幕がなければ観客たちは作品を十分に鑑賞できないのです。しかも一行わずか一〇文字で台詞のエッセンスを表現しなければなりません。責任は重大ですが、やりがいもあるというものでしょう。

 戸田奈津子『字幕の中に人生』、太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』『字幕屋に「、」はない』など、字幕翻訳のエピソードを綴った本は何冊かあり、いずれも興味深いものです。また、前述の清水俊二さんの著書や高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』を読めば、字幕翻訳者の生涯を通して二〇世紀の日本と日本人の姿が、外国映画の受容という側面から浮かび上がってくるでしょう。

 しかし、翻訳者だけでは字幕は出来ません。字幕を作るには昔も今も技術者の熟練の技が不可欠です。かつて字幕がどのように作られていたのかを知るには、神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』がうってつけです。また、太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』を読めば、現在の字幕制作のプロセスがよくわかります。これらの本は、映画が工業技術に支えられた芸術であることを改めて教えてくれます。

 現在では、デジタル映像であれば、素人でも専用のソフトを使って字幕制作にトライすることができます。東アジア地域言語学科では、字幕制作ソフトを利用した語学の授業を行うほか、有志で一九五〇年代、六〇年代の中国映画・韓国映画の秀作に日本語字幕をつけ、市民のみなさんに鑑賞していただくという活動を行っています。これまでにみなさんの先輩たちが、中国映画『白毛女』('50)、『』('56)、『花好月圓(はなはよしつきはまるし)』('58)、『五朶金花』('59)、『我們村裡的年軽人(村の若者たち)』('59)、『今天我休息(本日非番)』('59)、『李双双』('62)、『我們村裡的年軽人・続集(続村の若者たち)』('63)、『錦上添花』('62)、韓国映画『青春双曲線』('50)、『運命の手』('54)、『三等課長』('61)、『ソナギ(通り雨)』('78)などに字幕をつけました。今年も九月の発表会に向けて準備を進めています。

 二〇一三年からは、この字幕制作で力をつけた卒業生二人が、アジアフォーカス・福岡国際映画祭に依頼され、最新の中国映画『目撃者』(二〇一二年)、『殯棺』(二〇一四年)、『黒処有甚麼(闇に潜む)』(二〇一五年)の字幕制作を行って好評を得ています。

 字幕について書かれた本を読むだけではなく、みなさんも実際に字幕制作にチャレンジして、プロの翻訳者たちが縷々語る字幕翻訳の神髄 ― 限られた言葉で限りないイメージの世界へ観客を誘う醍醐味 ― の片鱗に触れてみませんか。

  清水俊二『映画字幕(スーパー)五十年』早川文庫、一九八七年
  清水俊二『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』文春文庫、一九八八年
  神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』パンドラ、一九九五年
  戸田奈津子『字幕の中に人生』白水Uブックス、一九九七年
  太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』光文社新書、二〇〇七年
  高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』白水社、二〇一一年
  太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』岩波書店、二〇一三年
  太田直子『字幕屋に「、」はない』イカロス出版、二〇一三年

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小林隆宏君のこと
青木文夫 (スペイン語)
 毎年色んなことに興味を持つ筆者が昨年とくに嵌ったのが「糖質制限」という食習慣。何せ、今までダイエットはしたことがないし、アルコールも思いのままなので、現在の体重は八十ウンキロ。誰が見ても優良肥満児であるが、趣味がエアロビクスやダンス系レッスンなので、かろうじて血糖値はHbA1cで5.5とぎりぎりセーフ、でもγGTPはやや高く、やはり近いうちに禁酒の憂き目には会うかもしれないなあと思う毎日です。

 そんなある日、近親者でかなり重い(HbA1cが10を超える)2型糖尿病が判明し、治療を受けることになった方がいたのですが、その方が糖質制限に取り組み、血糖値を下げる薬を飲まずに、HbA1cを7.0以下に約半年で下げたのでした。

 詳しい糖質制限のやり方は末尾に挙げた先生方のサイトや著書を読んでもらうことにして、僕の場合を簡単に説明しておきます。

 基本は、糖質やそのもとになるデンプン質や炭水化物を極力とらないことです。

 これだけですが、それに加え次のことを守ると効果的です。「オメガ3系(亜麻仁油など)とオメガ9系(オリーブオイルなど)の油脂を中心にとる」「トランス脂肪酸はとらない」「発酵食品(発酵バターも良い)を多めにとる」あとはMECを中心の食生活にする。MはMEAT、EはEGG、CはCHEESEです。それにアルコールは糖質が少ないものであれば自由(もちろん肝臓を壊さない範囲で)。肉などの動物性脂肪は気にしなくてもよいのです。

 さきほどの糖尿病の方は、主食のお米などの炭水化物をそれまでの三分の一以下にし、当然清涼飲料水や糖質を含む食品は殆どカット、肉や魚中心のおかず多めの食事にして、その成果です。僕の場合、炭水化物で困るのは好物の「お蕎麦」だけで、これを今までよりも少なめにして、あとは先ほどの方とほとんど同じ、アルコールの量も変わりません。そして、糖質制限のポイントはカロリーを気にしなくてよいということで、これについてはケトン体の話しを理解しないといけませんが、ここで書くと数頁使ってしまうので、参考に挙げた本を読み、関係サイトを参照していただきたいと思います。

 糖質制限については、従来のバランス良い食習慣でカロリー制限を中心にした糖尿病コントロールの立場の医師と、糖質制限を支持する医師との間で未だ論争がありますが、僕が正直に感じたのは、糖質制限に一理あるのかなということで、成否は歴史が証明してくれると思います。そして、僕が糖質制限を始めたのは、ある思いからです。

 小林隆宏君、享年四十歳余。上智大学文学部仏文学科中退。死因、糖尿病合併症。

 昨年は僕の人生に大きな影響を与えた方の思い出を学生諸君にもその生き方を参考にしてもらおうという一文をしたためましたが、今回は反面教師の代表というべきではあるが、大親友だった彼とのことを書いて、人生と言うのは何とも不思議なものだなあという思いを残しておきます。

 高校から大学を通じての親友は、学生運動を一緒にやった連中か、音楽仲間か、飲む・打つ(買うはなかった?ので念のため)に興じた連中が殆どで、小林君はその中でもT君、F君、I君あたり(他はまだ存命)以上に、僕との十数年を駆け抜けて先にあの世に逝ってしまい、僕の拙い馬券に苦言を呈しようと、麻雀牌も準備して待つことになってしまったけど、僕がなかなか逝かないので、寂しい思いをしていると勝手に思っています。

 上智大学での一年先輩。宇都宮出身。出会いは、学内にある学生寮への僕の入居当日。名古屋から別に送っていた荷物を整理し、一服つけていると、とりあえず同室になる奴も到着。邪魔になってはいけないと、挨拶も早々に学内(寮は大学内)や寮内をぶらぶらしていると、寮に娯楽室があるのを発見。覗いてみると、すでに2卓ほどたっている。後ろから観戦していると、「打てるの」という問いかけに「なんとか」と腕に覚えのあるところを抑えて答えたのが最初の出会いであった。名前も告げて、夕方寮の新入生のガイダンスが終わり、部屋で何人かの新入生と歓談していると、「青木、面子足りないけどできる」といきなりお声がかかる。娯楽室へ行き、他の面子のT君(2年)、Y君(3年)と言葉を交わすと「五十円のゴットーでいい」との問いに、「麻雀の面子には苦労しないし、レートもまあまあで遊べるし」とほっとした気持ちになって、十時近くまで打って、お開きになると、小林君が「飲みに行こう、奢ってやる」とのことで、四谷の新道(しんみち)の外れにある居酒屋「駒忠」へ。当時一杯八〇円だった燗のコップ酒をぐいぐいやりながら、「一年次にはほとんど単位をとれてないこと」「仏文学科には三十二単位制の関門があること」(これはイスパニア語学科にもあった)「俺は勉強に向いてないけど、お前はそっちも手を抜かないように」などといったことを話し、寮に帰ったのは深夜二時過ぎ。充実した大学生活一日目を過ごすことができたのであった(同室には若干迷惑をかけたにちがいないが)。
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 二年間で三十二単位を取得しないと自動的に退学になるという厳しい制度。これにイスパニア語学科では、必修のスペイン語を二年続けて落とすと自動的に退学と言う、もっと厳しい制度があった。

 当時は七〇年安保の影響がまだ続いていて、多くの大学でストライキがあり、ロックアウトという大学の閉鎖も行われていた。上智も例外ではなく、僕が入学する前年度にロックアウトがあり、大学の周りには高い塀が建てられ、出入りは二か所の通用門で、学生証を提示しないと学内に入れないという状況。おまけに夜十二時で全学生(除く寮生)を学外に退出させるという措置をとっていたため(理系の学生は実験などで苦労していた)、寮生といえども、深夜二時に学内に入るには、守衛さんに学生証と寮生証を見せて、頭を深々と下げてとなるのだが、小林君はすでに常連らしく、守衛さんも「またですか」という感じで通用門の鍵を開けてくれたのでした。

 その後、小林君は見事関門に引っかかり退学。たしか代田あたりに下宿して、上智大学近くの居酒屋で正社員に近いバイト生活。その後、短大卒の資格だけは取らないといけないということで、通信教育で短大卒(上智の単位も多少あったので簡単だったらしい)になり、渋谷にあった図書館短期大学(現在は筑波にある図書館情報大学)の非常勤事務員から和洋学園(女子大)の事務員(正規)になり、なんとか一人で生活していました。

 そして、僕との付き合いも「酒」「麻雀」「競馬」でずっと続き、僕が東京を離れたあとも、東京に行けば、市川の雀荘(和洋学園時代)に学会後集合、座るとすぐに「五千円握りね」となり、レートもその頃には「二百円のワン・ツー」になっていました。終わると、当然一献。市川の「にしがい」という今はない小料理屋で明け方始発が出るまで飲み明かしたのでした。

 勝手ながら、いくつか思い出を。

 僕の贔屓の馬にグリーングラスというのがいました。その日は府中でAJCCという重賞競争に出走するも、小林君は所用があり、僕とT君だけでの競馬場詣でとなりました。事前に僕に一万円渡し「僕にも単勝買っておいて、飲むなよ」と一言。ところが、単勝オッズは圧倒的人気の一.一倍。好きな馬とはいえ、これは飲むしかないという好条件。仮に来ても千円払えばよいだけの話し。そして、グリーングラスは見事に二着。夕方新宿で合流、西口の居酒屋で飲み始めると「馬券見せろ」とちくり。「捨てた」と言い張るも、こちらの目が泳いでいたらしく、この日の支払いは当然僕持ちでした。

 同じ頃、小林君はテンポイントという馬を贔屓にしており、常に単勝には一万ほどいれていましたが、最後の引退レースの有馬記念では十万二百円買っていました。馬券は見事的中。その二百円の馬券は記念にとっておこうというものでした。ところが、その後小林君のアパートが隣人の過失で出火。全財産も失うも、火災保険には入ってなくて、隣人からのわずかの見舞い金だけ。しかし、落胆する小林君の口から出たのは「テンポイントの馬券返せ」だったのです。

 彼の故郷の宇都宮競馬(今はない)に、彼の同級生で中華料理店を営む友人と行ったのですが、後半のあるレースで情報が入ったとのこと。「~~はやるらしい」といういわゆる八百長情報。すると、その友人と小林君は早速五万ほど入れると、みるみるオッズが下がっていくではないですか。僕も半信半疑二万ほど目を瞑って入れると、見事その馬が一着。配当は百七十円まで下がるも、二人は三万五千円、僕も一万四千円の儲け。どこまで本当の情報であったかは今も不明です。

 先の火事のときに、少しばかりお金を貸しましたが、まあ見舞金だと思い、返済を求める気持ちはありませんでした。そうこうしているうちに、僕にも就職が決まり、長崎県立大学に赴任することになりました。僕も身辺整理に慌ただしい日々で、当時は携帯もない頃なので、あとで詳しく連絡するねと東京を去りました。また、しばらく経って、福岡大学に移動して、ようやく連絡先を確かめ、東京での再会を経て旧交を温めることができるようになりましたが、ある日「あのときのお金を返す」というので、じゃあ馬券買ってよと、ちょうど引退レースとなった第三十五回有馬記念のオグリキャップの単勝に全額入れてもらい、福岡の自宅で勝ちレースを興奮して見ていると、すぐに銀行振り込みするから口座教えろとの電話がかかってきて、当時望外の五百%以上の利子が付いた返済をうけたのでした。

 山登りが趣味で、和洋学園では職員の野球部で活躍し、生活に余裕ができてきたころにはゴルフも嗜むような小柄で普通の体格のスポーツマンでしたが、密かに彼の体を病魔が蝕んでいたのです。それは糖尿病という病気でした。勤務先の健康診断で判明したのですが、彼の生き方なのでしょうか、一切の治療を拒み、好きなお酒を飲み続けました。ある日、東京に行った際に聞いたのは、空腹時血糖値が三百五十、γGTPが六百、中性脂肪も六百というものでした。一度強制的に入院させられましたが、入院中は医師の指示に従っていたものの、退院してからは元の木阿弥で、また飲み続けました。しかし、昼間は飲まなくても正常な状態だったので、いわゆるアルコール中毒ではなかったようです。ただし、飲み方はほとんどおつまみを食べず、せいぜい漬物を少しか、梅たたきを舐める程度で安い日本酒の冷をぐいぐいとやり、最後はいつも潰れて帰っていました。

 最後に会ったのは、平成八年の夏だったと思います。小倉競馬に行きたいということで福岡に来たときでした。僕と小林君はほぼ全国の中央競馬場をまわっていたのですが、僕が札幌競馬、小林君が小倉競馬には行ったことがなく、いつか全競馬場制覇を誓っていました。そんなわけで福岡にやってきましたが、我が家に泊まればというのに、酔い潰れて迷惑がかかると博多駅近くにホテルをとって、土曜に天神の居酒屋で前夜祭となりました。酔うほどに様子がおかしいのが分かりました。したたか飲んで帰るころには、目が見難いというのです。明らかに糖尿病による網膜症が進行しているとしか思えませんでした。ホテルの部屋まで送りましたが、そのまますぐに寝てしまいました。我が家に泊まらなかったのは、すでにそのことが分かっていたからだと納得しました。翌朝は普通の感じに戻っていました。僕のクルマで小倉競馬へ。僕はクルマなので飲めませんが、彼は一日中酎ハイなどを飲みながら、競馬を楽しみ、夕方福岡空港から帰路につきました。言っても仕方ないと分かっていましたが「酒を止めて、長生きしたら」と別れ際に声をかけると、「やかましい」と一言だけ残して、手を振って搭乗口に消えました。それが最後でした。

 その後数年で亡くなったと聞きました。最後は職を辞して、故郷の宇都宮で息を引き取ったとのことです。実は症状が悪化して職場を去ったと言う話しが届かなかったのです。でも、きっと言ったと思います。「死に際なんかに来なくていいよ」って。

今思えば、死期を悟って、全場制覇達成のため小倉競馬に来たとしか思えません。

冒頭に書いた糖質制限療法があったとしても、彼の寿命は殆ど変わらなかったと思うけど、今こんなことを書くのは、彼と同じように飲んでいた僕が糖尿病にもならずに生き長らえていることに感謝すると同時に、糖尿病という病気があっという間に一人の人間を蝕んでいくのを見たので、今更ながら糖質制限に取り組んでいる自分のことを、将来父親や母親になる学生諸君にも覚えておいて欲しいとの気持ちからです。

実ははっきりした命日は分からないのですが、そろそろお墓参り(友人が知っているらしいので)に行って、永年の無礼を詫び、あと懸案の札幌競馬にも行き、約束を果たしておかないといけないなという気持ちですが、僕も全場制覇をしてしまうと、お迎えが近い可能性もあるので、ちょっと躊躇う気持ちがあるのも正直なところです。

糖質制限参考サイト及び著書
 藤川徳美先生(心療内科)のサイト
 江部康二先生(高雄病院)のサイト
 宗田哲男先生(産婦人科医)著
 「ケトン体が人類を救う 糖質制限でなぜ健康になるのか」光文社新書
他超多数。近在では野多目の堺スポーツクリニックで糖質制限を推奨している。

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美術・イタリア・歴史
浦上雅司 (西洋美術史)
E・H・ゴンブリッチ 『美術の物語』(ファイドン社)
辻 惟雄 『日本美術の歴史』(東京大学出版会)
J・ホール 『西洋美術解読事典』(河出書房新社)

ファビオ・ランベッリ 『イタリア的 ― 南の魅力』(講談社新書メチエ)
F・グラッセッリ 『イタリア人と日本人、どっちがバカか』 (文春新書)
池上俊一 『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)

E・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』(上下)(中公文庫)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

 私の専門は、西洋美術史ですから、学生の皆さんに、できるだけ直接、美術作品に触れてもらいたいと、いつも思っています。美術作品を扱ったテレビ番組(『新日曜美術館』や『美の巨人たち』など)を見たり、スライドで作品を見ながら講義を受けたりするのもよいことですが、美術館や博物館で作品そのものに触れるのがとても大事だと確信しているのです。

 スライドやテレビ画面による美術鑑賞には、居心地の良い室内にいて、寛いだ気分で、細部をジックリ眺めることができるというメリットはありますが、やはり本物の持つ「迫力」(これを哲学者のヴァルター・ベンヤミンは「アウラ」〔日本語では「オーラ」と言われる〕と呼んでいます)は伝わってきません。皆さんにも分かりやすい例をあげれば、車やバイクの本物と、カタログ写真の違いと言えばよいでしょうか。カタログやテレビの自動車番組を見ても面白いでしょうが、本物に触れて、できれば運転してみなくては本当の特徴はわからないでしょう。美術の授業やテレビ番組も興味深いでしょうが、やはり作品の実物と対峙していろいろ考えるのとでは、受け取るインパクトが違います。

 そんなわけで、皆さんにはできるだけ、美術館などで実物、しかも可能であれば多くの人たちが優れた作品と認めている美術作品に触れてもらいたいと思うのですが、共通教育科目の「芸術」を受講する学生諸君に尋ねても、美術館に行ったことがない、と答える人が多いのは、とても残念なことです。

 幸い、福岡には多くの美術館があります。福岡市美術館、福岡市博物館、福岡県立美術館、そして福岡アジア美術館など身近にあって、常設展なら数百円で入場できますし、ちょっと足を伸ばせば、久留米の石橋美術館や、太宰府の九州国立博物館があります(ちなみに、福岡大学は九州国立博物館のキャンパス・メンバーズとなっており、皆さんは、学生証を提示すれば、この博物館の常設展はタダで観覧できます。特別展も割引になりますから、ぜひ、利用して下さい)。

 美術史の教師としては、新入生の皆さんには、大学時代できるだけ多くの美術館・博物館を訪れ、美術について知見を深めてもらいたいと思うわけですが、先ほどの例に戻って、車の性能を知るには、あらかじめカタログを読んでいろいろ比較してから試乗に出かけるに越したことはありません。同様に、美術館や展覧会に行くにしても事前にある程度の知識を持っていれば、よりよく楽しめます。

 ピカソ展とかゴッホ展のように、個別の作家を扱った展覧会であれば、大学図書館にある「小学館世界美術全集」の該当巻などで予習するのが良いでしょう。しかしながら、美術の全体的な流れを大きく把握しておくのも、美術館訪問をより有意義にする役に立ちます。ゴンブリッチ著『美術の物語』は西洋美術の全史として定評のある著作で、読み物としても優れており、「美術とは何か」考えるきっかけを与えてくれます(最近出たバイブルサイズの普及版は二千円ほどで買えますし、ベッドとか電車とかどこでも読めます)。日本美術史であれば辻惟雄さんの『日本美術の歴史』が、最近の定番です。

 日本の美術館に行くと仏像や絵巻物、浮世絵などがたくさんあります。これらは仏教や日本の神話、歴史に取材した作品です。仏像をよりよく味わおうとすれば、釈迦如来と薬師如来はどう違うか、などある程度の知識はどうしても必要です。こうした知識は、もちろん、作品を一生懸命見ても自然に獲得されるものではなく、自分で調べて見なくてはなりません。西洋美術についても同様で、キリスト教やギリシア・ローマ神話、各国の歴史をテーマにした作品をよりよく味わうには、その内容について多少は知っておく必要がありますが、その手助けをしてくれるのがホールの『西洋美術解読事典』です。「天使」とか「聖母マリア」「クレオパトラ」など、誰もが聞いたことのある事項について、基本的な知識を与えてくれるだけでなく、主要な作品も紹介しており、拾い読みしても面白い本です。

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 ところで、わたしはイタリア美術を専門に勉強しているので、イタリアという国の社会や文化一般についてもできるだけ幅広い知識を持ちたいものだと思っています。しばらく前まで日本でイタリアと言えば「美術」や「食事」「音楽(オペラ)」あるいは「犯罪組織(マフィア)」などが想起されるだけの国でした(日本=「フジヤマ、芸者、キモノ、ヤクザ」式の発想では、イタリア=「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」などと言われたりしました)。

 しかし、情報化社会が進み、ヨーロッパも身近になった(今ではローマの観光地に行くと、日本の高校生の修学旅行生を見かけるようになりました。大学の卒業旅行でフランスやイタリア、イギリスに行くのはごく普通の出来事です)こともあり、イタリアについても、より実態に即した社会の状況や文化の様々な様子が知られるようになってきました(NHKにはイタリア語講座もあります)。

 そんなわけで、この冊子でも時々、イタリア関係の書籍や映画も紹介しています。今回ご紹介するランベッリの『イタリア的 ― 南の魅力』は宗教から政治、現代文化の諸相におよぶイタリアの多様性を概説した著作です。これを理論編とすれば、グラッセッリの『イタリア人と日本人、どちらがバカか』はイタリアで具体的にありそうな実例を紹介しながら現代イタリア社会の複雑さを教えてくれるイタリア文化論の実践編と言えるでしょう。どちらも日本のことをよく知るイタリア人の著作です。三冊目、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』は中世史、ルネサンス史の専門家がイタリア各地のパスタ(スパゲッティだけではありません!)を紹介しながら、それに関連づけてイタリアの歴史を教えてくれます。この本を読んだ皆さんには、スパゲッティだけでなく、ペンネやトルテッリーニ、さらにはニョッキやポレンタも味わってもらいたいですね。

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 最後にあげたゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)は、ウィーンでユダヤ系の家庭に生まれたこの美術史学者が二五歳の時(一九三五年)に書いた本が五〇年後に改訂され、新しい後書きを付け加えて出版されたものです。

 この間、ゴンブリッチの故国オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ゴンブリッチ自身は英国に移住、戦時中はドイツ語放送モニターとして対独戦に協力し、戦後はロンドン大学のウォーバーグ研究所で長く美術史の研究に携わりました(二〇〇一年没)。

 この「概説書」は訳文もこなれ通読しても面白いのですが、本当の価値は、訳者の中山典夫さんも言うように、「五〇年後の後書き」にあります。第二次大戦から戦後の冷戦、そしてソヴィエト連邦の崩壊と、半世紀の間に世界の歴史は大きく変わりました。その歴史を肌身に体験し、生きてきた歴史家の証言は貴重です。最初に出た邦訳は非常に高価で残念でしたが、文庫本で簡単に手に入るようになりました。これは大変にありがたいことです。

 皆さんは大学に入ったばかりで五〇年後の自分など想像も出来ないかも知れません。でもあなた方にもやがて訪れる未来ですし、「温故知新」は人文学の基本です。皆さんも大学にいる間に、ゼヒ、過去の人々の証言から多くを学んでください。

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新・東京街めぐりガイド(道に迷うための道案内)
遠藤文彦 (フランス文学)
『新・都市論TOKYO』(隈健吾・清野由美著、集英社新書、二〇〇八年)
『新・ムラ論TOKYO』(隈健吾・清野由美著、集英社新書、二〇一一年)

 東京観光ガイドのたぐいは山ほどあるが、体裁は違っても、中身は似たり寄ったりだ。類書と異なり、本書の目的は、東京に不案内な読者に、ためになる知識を伝授したり、役に立つ情報を提供したりすることではない。二人の著者=対話者は、東京通を自認するコメンテーターよろしく、まるで自分の縄張りであるかのように東京のここかしこの街についてウンチクを傾けるようなまねはしない。彼らが目論むのは、反対に、誰もが見て知っているはずの町東京を見知らぬ町とすること、テレビや雑誌でおなじみの東京の街を疑問に付し、「?」とすることだ。汐留、丸の内、六本木、代官山、町田とは何か? 下北沢、高円寺、秋葉原とは何か? 本書は、そうした問いに巡り会い、その答えを探し求めてさ迷い歩くこと、いわば、思索としての散策への誘いである。それゆえ、東京という問いへの答えをさんざん探し回った挙句、行き着いた先が東京ならざる小布施であり、北京であるというのも、単なる気取りや逆説ではない。彷徨の果てに、未知の都市トーキョーを発見し、知られざるムラTOKYOを出現させることこそ、二人の散策者=思索者の究極の目的なのだから。思うに、こんな、道に迷うためにするような街歩きには、知性と教養もさることながら、文明の極みであるはずの都市を、何が出てくるかわからない不気味な原始林のごとくに受け止める、感性というか、ワイルドな心性が求められる。地元住民には見慣れた街でも、そこに初めてお使いに出された子供や、言葉も習慣も知らずに迷い込んだ外国人なら抱くだろう、不安と好奇心の入り混じる初心な感覚、怯えと勇気の間で揺れ動く野生のメンタリティーが必要なのだ。

 東京が面白そうな町だというのは分かっても(そんなこと言われなくたって分かるだろうが)、わざわざ東京に行くにはお金も時間もかかる。ならば、地方大都市であるわれらが福岡に目を向けてみよう。ご存知の通り、建築物に限っても、「日本一元気な町」福岡には内外の有名建築家の作品が数多くある。とりあえずどのビルが誰の設計なのか知っておくだけでも、なんにも知らないで漫然と街を歩くのとは大違いだ。極々近いところでは、あの槇文彦が設計した福大六〇周年記念館(ヘリオスプラザ)がある。毎日目にしているはずだが、ぜひ一度、矯めつ眇めつ眺めてもらいたい。それにしても、この秀逸な気品ある建物が場末感漂う一角に佇んでいるのはちょっともったいない。視界が開けてぐっと広くなった今のキャンパスのどこに持っていったら映える、というか生きるだろうか、想像してみたら面白い。動かせないなら、せめて視線を誘い、足を向けさせる、どのような導線を引くべきか、考えてみるのもいい。

 さて、「街並みに対する感受性は、教養の中でも一番上位にくるものです」と述べるのは、著者の一人隈健吾である。彼の名は、ティファニー銀座本店、浅草文化観光センターなど話題の建造物で日本はおろか世界に知れ渡り、銀座の五代目歌舞伎座(とその背後の高層オフィスビル)に至って今や一個のブランドと化しているが、その隈の建築物も意外とわれわれの身近にある。福大から目と鼻の先、七隈線次郎丸駅で降りて徒歩十数分、室見川沿いの土手に立ち、ひときわ目立つモダンな建物、もつ鍋の「万十屋」がそれだ。太宰府天満宮参道の中ほどに、目立たないように建てられたのだろうが、どうしても振り返って見てしまう、ご存知「スターバックスコーヒー」太宰府天満宮表参道店もそうだ。先頃、冷泉町にオープンした料理屋「竹彩」は、内装デザインを隈が手がけている(ここに来て彼のブランド化も極まった感がある…)。少し足を伸ばせば、戸畑区役所、長崎県美術館、九州新幹線筑後船小屋駅近くの「九州芸文館」などもある。

 というわけで新入生の皆さんには、ここに挙げた二冊の小著を手引きに、四年間、福岡の町をさすらって、天神や博多ばかりじゃなく、雑餉隈から野方まで、香椎浜から姪浜まで、ついでに能古島から志賀島まで、縦横に、東西南北、いろんな街、いろんな地区を歩いて歩き尽くしてもらいたい。そうやって、福岡についての通り一遍の知識や情報を手に入れるだけでなく、その上さらに、未知の都市フクオカにめぐり逢い、知られざるムラFUKUOKAを探り当ててもらいたい。

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英語教師を志す皆さんへ
大津敦史 (英語教育学)
  大津由紀雄 編著『危機に立つ日本の英語教育』(慶應義塾大学出版会 二〇〇九年)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!これから四年後、社会人としての人生をほぼ決定すると思われる大切なこの四年間、どうか無駄にせず、完全燃焼させてください。もちろん燃え尽きてしまってはいけませんので、自律と自己管理にもしっかり心がけて下さい。

 さて、皆さんの中には、卒業後、英語教師になりたいと思っていらっしゃる方も少なくないでしょう。毎年、英語学科のみならずドイツ語学科やフランス語学科からも教職希望者がたくさんいますので、今回はそのような方たちのために、右記の本を選んでみました。

 まず、編著者である大津由紀雄氏ですが、慶應義塾大学言語文化研究所の教授で、専門は言語の認知科学です。「認知科学って何?」と思われる方は、ぜひインターネットを利用して調べてみてください。最近では、大津氏は日本の英語教育、特に小学校での英語教育の是非について様々な提言をされています。私と同じ姓ですが、残念ながら親類関係ではございません。

 この本の著者には、大津氏以外に、日本を代表する12名の研究者が名前を連ねています。元々この本は、二〇〇八年九月一五日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された公開シンポジウム「「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を超えて」および同年十二月二一日に同大学日吉キャンパスで開催された言語・英語教育講演会「言語リテラシー教育のポリティクス」がもとになっています。二〇〇八年は、二〇〇二年と二〇〇三年にそれぞれ文部科学省によって策定された「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」の目標達成年度に当たります。この「構想」や「行動計画」がこれまで学校英語教育に与えてきた影響は測り知れません。しかしながら、「英語が使える人材」を希求する経済界(財界)主導のこのような語学行政は、教育現場に無理難題を押し付けた結果、その教育現場は疲労困憊(ひろうこんぱい)し、英語教育の質の低下を引き起こしています。

 このような時期に、今一度日本の英語教育、学校英語教育の現状と課題とその解決策を整理・模索してみることは非常に有効だと思います。そのような反省を通して、これから英語教師を目指す皆さんの時代(次代)には、もっと豊かで心地よい教育環境が整備されることを祈って止みません。

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先人を知ろう
甲斐勝二 (中国学)
勝海舟《海舟語録》 江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫

 勝海舟、世界でも希有な江戸という大都市を無血に明け渡した立役者。西郷隆盛を友とし、坂本龍馬を門下に置く。篤姫とも仲が良く、姉と偽って江戸を歩き回った事もある。江戸開城の折には混乱を防ぐため、渡世人の世界にまで自ら赴き頼み回る気配りを語る。良く世界を見ている。明治31年まで生きて、伊藤博文の政策への批判も多くある。

 岩波文庫に《海舟座談》があるが、講談社学術文庫の方が注もちゃんとしていて、勝の発言録としては信用できそうだ。

 この本をおもしろいと思うのは、勝の人情の機微に渡る観察や、人物批評の痛快さ鋭さ、また社会や人への気配りから、曾(かつて)あった日本の政治家の姿やその手法を知ることができると共に(善し悪し置くとしてこれはつい最近の政治家まで続いている)、「機」を見るといった個人ではどうにもならない社会の動きへの視点もまた示されているところだ。

 内容は読んでいただくとして、中国学を専攻する紹介者にとって、「ふむふむ」と思う文を二つ紹介する。まずは日清戦争後の李鴻章の態度についての発言。
李鴻章の今度の処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか少しもその結果がわからないのには、大いに驚いていますよ。大馬鹿でなければ、大変、上手なのでせう。これまでの長い経験では、大抵、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです(十五頁)
次に「支那(ママ)人」についての発言。
ナニ、支那が外国人に取られるというのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも御覧なナ、実権は、みな支那人が持っているジャアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも、南京米でも、みな支那人から貰っているジャアないか。それで支那人は野蛮だと言うやつがあるカエ。ナニが、文明ダエ(一五八頁)
 勝は西洋列強の植民地化に対してアジアの諸国が連合し、日本は海軍で海を守る役割も考えたこともあるようだ。征韓論も馬鹿な話だと片付ける。勝の考えた方向で日本が動けば、あるいは今とは違っていたかも知れない。どうしてあんな方向に進んでしまったのだろう。

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江戸時代を見なおそう
梶原良則 (日本史)
 新入生の皆さんは、江戸時代についてどのようなイメージを持っておられるでしょうか。近年の歴史学研究は、江戸時代の通説的イメージに修正を迫りつつあります。ここでは、新入生にも読みやすい代表的な本を紹介しましょう。
① 磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書、二〇〇三年)は、江戸時代の中下級武士の生活を家計簿から復元し、従来の武士のイメージを一新させました。

② 高木侃『三くだり半 ― 江戸の離婚と女性たち』(平凡社ライブラリー、一九九九年)・『三くだり半と縁切寺 ― 江戸の離婚を読みなおす』(講談社現代新書、一九九二年)は、夫が妻を一方的に離縁できるという夫優位の夫婦関係の通念をくつがえしました。

③ 宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書、二〇〇六年)は、一五四三年種子島に漂着したポルトガル人によって鉄砲が伝えられたという通説に疑問を呈しています。
 このほかにも、知的好奇心を刺激してくれる多くの本が皆さんを待っています。図書館を有効に活用しましょう。

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「よい子」ってどんな子?
勝山吉章 (教育史)
灰谷健次郎著 『兎の目』 (理論社)

 「よい子」ってどんな子?親や教師の言うことを素直に何でも聞く子どもは、確かによい子に違いない。では、親や教師の言うことを聞かない、親や教師の権威を認めない子どもは「悪い子」なのだろうか。いつも親や教師のご機嫌を伺い、「よい子」であり続けることに疲れた子どもは、もうよい子ではなくなるのだろうか。

 『兎の目』の主人公「鉄三」は、そのような問いを投げかける。

 偏差値教育、管理主義的教育に慣らされてきた者にとって、「鉄三」は落ちこぼれに映るだろう。しかし、人間本性に照らし合わせて考えた時、管理化された現代社会に馴染んでいる私たちこそが、大切な人間性を失っているとは言えないだろうか。

 本書を既に読んだ学生も多いと思うが、大学時代に再度読んでもらいたい書物である。

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中国の歴史(全十二巻)
紙屋正和 (東洋史)
講談社版『中国の歴史』(全十二巻)(講談社)

 一九七〇年代に、『中国の歴史』(全十巻)、『図説中国の歴史』(全十二巻)、『新書東洋史』(全十一巻、うち中国史は五巻)と、中国史の概説書のシリーズをあいついで刊行した講談社が、『新書東洋史』以外は入手困難になった二〇〇四年から二〇〇五年にかけて、ほぼ三十年ぶりに刊行した中国史の概説書がこのシリーズである。この間に中国史・中国自体、あるいはそれらをとりまく環境は大きくかわった。

 古い時代については、考古学の大きな発見があいついでいる。稲作の起源は、遺跡が発掘されるたびに千年単位で古くさかのぼり、今や一万二千年前の栽培稲が発見されたというニュースが流れているほどである。また以前は、中国の古代文明といえば黄河文明と相場がきまっていたが、現在は長江流域において黄河文明に勝るとも劣らない高度な長江文明があったことが明らかになっている。戦国・秦・漢・魏晋南北朝時代については、当時の法令・行政文書や思想・文学などの著作を書きしるした簡牘(かんとく)(竹のふだと木のふだ)類や人の目をうばう遺跡が多く発見され、これまで文献史料で知ることのできなかった事実が明らかにされつつある。新しい時代については、放っておいても新事実が積みかさなってくるのであるが、以前に未発表であった公文書が公表され、さらに中国・中国経済自体が大きくかわりつつある。政治は社会主義のままであるが、経済はもう完全な資本主義に、少し大げさにいえば日本よりも極端な資本主義になり、すでに世界第二の経済大国として世界経済を引っぱっている。経済成長がすすみつつあるさなかに、この『中国の歴史』(全十二巻)が企画されたのである。ただし、このように大きくかわりつつある「古い時代」と「新しい時代」とに挟まれた中間の時代の場合、大発見があったわけでもなく、新しい文献が見つかったわけでもないため、執筆者はこまったらしいが、旧来通りの中央からの視線でえがくのではなく、地方の現場から世界を見なおすといった機軸によって新鮮味をだそうとしたという。

 全体的にかなり高度な内容になっているが、全部を紹介するわけにいかないので、私の専門に近い古代史関係についてのみ内容を簡単に紹介し、のこりは執筆者と書名だけを列記するにとどめる。

 宮本一夫著『神話から歴史へ ― 神話時代・夏王朝』(01)は、中国の地に人類が居住しはじめてから、殷周社会が成立する前まで、いわば中国の先史時代をとりあつかう。現在の中国の経済発展は巨大な開発をともない、発掘もさかんに行なわれている。その結果、先史時代の文明は黄河流域だけではなく、現在は中国の各地で発見されている。宮本氏はこうした発掘成果をもとに、物質文化における地域間比較だけでなく、社会構造上の地域間比較をも試みることによって、先史時代における段階的な社会構造の変化に注目し、殷周社会にいたる道のりを多元的に説明する。これまで「中国の歴史」というとき、先史時代についても文献史学の研究者が執筆することが多かったが、これは考古学の専門家の手になる概説書である。

 平勢(ひらせ)隆郎著『都市国家から中華へ ― 殷周・春秋戦国』(02)は、新石器時代から戦国時代までを対象とする。本巻は、著者自身がみとめるように「一般に提供されている中国史とは、若干異なった視点」で書かれている。すなわち中国史を、蘇秉琦著・張名声訳『新探 中国文明の起源』(言叢社)が提唱した「新石器時代以来の文化地域」を基礎において分析し、まぼろしの夏王朝、殷王朝・周王朝、そして戦国時代の領域国家のいずれもが新石器時代以来の文化地域を母体として成立したという。こうした歴史を背負う戦国時代の諸国家は、自国の立場から、先行する夏・殷・周の王朝を論じ、そのうちの一部が史書として現在にのこされている。しかしそれらの史書は、それができあがった時代に規制され、ときには無かった内容を付けくわえている。そこで、本巻は、何が後世に付加された虚構の産物なのか、またどの記述が事実を伝えているのかを検討する形で書かれている。安易な気持ちで、急いで読もうとすると、絶対に理解できない。

 鶴間和幸著『ファーストエンペラーの遺産 ― 秦漢帝国』(03)は、秦・始皇帝による天下統一から前漢・新をへて後漢が滅亡するまでの四百四十年間をとりあつかう。この時代は、簡牘類や多くの目を見はる遺跡・遺物の発見があいつぎ、歴史像が大きくかわりつつある時代である。鶴間氏は秦の歴史、始皇帝像の再評価を試み、また秦・漢時代を地域の視点から見なおそうと試みてきた研究者である。そうした自分自身の研究を反映させ、あわせて新発見の出土資料を既存の文献史料とつきあわせて本巻を書いている。とくに新出土資料についてはよく調べて多くの情報を提供しており、専門家としても参考にすべきところが多かった。

 金文京著『三国志の世界 ― 後漢・三国時代』(04)は、後漢後半期に外戚・宦官が政治を乱しはじめた時期から西晋の統一によって三国時代がおわる時までの約百三十年をとりあつかう。この書名にある「三国志」とは、『魏志』倭人伝などをふくむ歴史書の『三国志』ではなく、小説の『三国志演義』であり、執筆者は歴史家ではなく、中国文学者である。本巻は、ゲーム・アニメ・漫画によってつくられた『三国志』ブームを意識したもので、よくいえばこのシリーズに新鮮味をだすための、悪くいえば読者に迎合するための企画といえよう。内容は、この時代の歴史の動きを淡々とおいかけ、ところどころで『三国志演義』がどのように脚色されているかを明らかにしている。本巻は歴史の概説書として読みごたえがあるが、『三国志演義』ファンにも歓迎されるであろう。

 川本芳昭著『中華の崩壊と拡大 ― 魏晋南北朝』(05)は、西晋が中国を再統一したものの、また分裂してから隋が久々に中国を統一するまでの約三百年をとりあつかっている。基本的には分裂の時代といえるこの時期の歴史を、胡漢、すなわち遊牧民族と漢民族の対立と融合をキーワードにして、隋・唐時代に新しい漢民族・中国文化が登場すること、また中原(黄河中流域)の混乱などによって、未開発地がまだ多くのこされていた長江流域に厖大な人口が移動・移住し、その地の開発が急速に進展することを明らかにし、あわせて中国の周辺において朝鮮半島の三国や倭のような国家がうまれてくることにも目をくばっている。

  氣賀澤保規著『絢爛たる世界帝国 ― 隋唐時代』(06)
  小島 毅著『中国思想と宗教の本流 ― 宋朝』(07)
  杉山正明著『疾駆する草原の征服者 ― 遼・西夏・金・元』(08)
  上田 信著『海と帝国 ― 明清時代』(09)
  菊池秀明著『ラストエンペラーと近代中国 ― 清末・中華民国』(10)
  天児 慧著『巨龍の胎動 ― 毛沢東vs鄧小平』(11)

 尾形勇など著『日本にとって中国とは何か』(12)は、太古から現代までの中国の歴史をふりかえったあとで、日中関係がギクシャクしている現在、日本にとって中国とは何か、逆に、中国にとって日本とは何かについて、このシリーズの編集委員四人と中国人二人が総論的に論じたものである。日本と中国は同じ漢字文化圏、儒教文化圏であるから何もいわなくても分かりあえると認識することが、大きな誤解であることを知らなければならない今この時、一読すべき本であろう。以下、執筆者と論題だけを紹介する。

  尾形 勇「大自然に立ち向かって ― 環境・開発・人口の中国史」
  鶴間和幸「中国文明論 ― その多様性と多元性」
  上田 信「中国人の歴史意識」
  葛 剣雄「世界史の中の中国 ― 中国と世界」
  王  勇「中国史の中の日本」
  礪波 護「日本にとって中国とは何か」

 概説書は新しければ新しい顔をして我々の前にあらわれてくる。新しければよいというものではないが、少なくとも情報は新しいものがふくまれている。読書には、自分の知らないことをまなぶという「学ぶ姿勢」と同時に、何かおかしい、納得できないことを書いていないかをさぐるという「批判の姿勢」も必要である。

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学問の領域に捉われない読書の勧め
鴨川武文 (地理学)
木内信蔵(一九六八)『地域概論 ― その理論と応用』(東京大学出版会)
日高敏隆(一九九八)『チョウはなぜ飛ぶか』高校生に贈る生物学3(岩波書店)
武野要子(二〇〇〇)『博多 ― 町人が育てた国際都市 ―』(岩波新書)

 木内信蔵の『地域概論』は39年前に刊行されました。39年前の本というと、「なんて古い本なんだろう」と思うかもしれませんが、地理学や地理学が研究対象とする地域について体系的に論じられています。私は共通教育科目の地理学を担当していますが、この本は、地理学の講義を学生の皆さんに行うにあたっての、私にとっての参考書ともいうべき座右の書です。

 日高敏隆の『チョウはなぜ飛ぶか』は生物学の本ですが、この本は次の2点において興味深い本です。

 第1点は、「チョウはなぜ飛ぶか」というタイトルですが、内容は、一言でいうと、チョウは自分自身が飛ぶ道筋をしっかりと認識して飛んでいるということです。つまり勝手気ままに飛んでいるのではないのです。全く土地鑑のない場所に出かけた時に頼りになるのは地図です。地図を見てわれわれ人間は行きたいところに行くことができます。チョウは地図を持ってはいませんが、自分が行きたいと思うところへ行くことができ、またそのような本能を持っているのです。

 第2点は、研究というものはどのように行われているのか? 研究者は試行錯誤・紆余曲折を繰り返しながら研究成果を出している、研究者とはどのようなタイプの人たちなのか、科学的なものの考え方とは何か、などについていきいきと書かれているという点です。学生の皆さんが志している学問の枠に捉われることなく、多くの本を手にして教養を高め、知識を習得してほしいと思います。

 武野要子福岡大学名誉教授の『博多』には、博多の町の成り立ちや、政治的に、また経済的に博多に関わりのあった武士や豪商のエピソード、今に伝わる博多の伝統や住民の生活史など興味深い話題が数多くあります。また、聖福寺や承天寺、櫛田神社、鴻臚館、防塁など博多にゆかりのあるものの記述もあり、この本を携えて福博の町を散策してみたらいかがでしょう。

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視野を広げて考えてみよう
高妻紳二郎 (教育行政学)
 最初から引いてしまう質問です。皆さんはなぜ大学に入学するのでしょうか?大学の目的とはいったいどのようなものでしょうか?少し難解ですが、教育基本法、学校教育法という法律にはこう書かれています。

 「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(教育基本法第七条)

 「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第八三条)

 つまり、大学に入った皆さんは、高い教養と深い専門的能力を身につけて、知的にも道徳的にも成長が期待されている、ということです。皆さんにはこれからどんな経験もできるという特権があります。そしてそれぞれの経験が皆さんを成長させてくれるでしょうが、グーッと引いて自己を客観視できる人、言い換えれば視野を広く持てる人になって欲しいと思います。ここに紹介するのは著者の二〇代の体験記ですが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)は今なお色褪せない内容で一気に読むことができる本(エッセイ)です。この本が出版される前、私は藤原氏の講演を聞く機会がありました。私が通っていた中学校での講演会です。内容は覚えていませんが「べらべらよくしゃべる人」という印象を覚えています。後でこの本を読み、「ああ、そういう話だったのか。」と合点がいきました。海外に行った時の興奮や不安感は誰でも感じるものですが、表面上の体験ではない自己変容のプロセスに臨場感があり、自身に置き換えて今読み返しても共感できる記述に多くぶつかるので、海外へ行ってみようと思っている皆さんには手にとって欲しい本のひとつです。エッセイですので読み飛ばすにはもってこいです。

 また、岩波新書のなかでも多く読まれている本のひとつ、池田潔『自由と規律』(岩波新書)をここで改めて推薦しようと思います。一九四九年が初版ですから還暦を迎えた本となりますね。イギリスのパブリック・スクールに学んだ著者の体験をもとに書かれた、これも今なお色褪せない内容です。今の日本の教育は「ゆとり教育」とか「確かな学力」、「生きる力」といったスローガンが先行して内実が伴わないことが目立ち、理念と現実が寄り添っていない状況にあります。「もっとも規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はイギリスの伝統です。いま、大学に入って多くの「自由」を手に入れた皆さんであるからこそ、じっくりと、いや、ちらっとでも「自由」の本質を考えてもらいたいと思います。

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ふたりの老女
小林信行 (哲学)
 ヴェルマ・ウォーリス『ふたりの老女』亀井よし子訳、草思社文庫

 百年ほど前、極寒の中、食糧を求めて移動中のアラスカ先住民部族から老女二人が遺棄された。幼いこどもたちも抱える部族にとって、冬の食糧難を乗りきるための苛酷な選択は過去にも繰り返されてきており、今度も避けられないものだった。この本は、捨てられた二人の老女の起死回生の物語が若年者向きに仕立てられ、一時間ほどで読み終えることができる。大人向きではないために、記述描写が簡潔すぎるきらいもあるが、物語のもつ多義性は損なわれておらず、それなりに楽しめる。

 棄老伝説の世界的な分布については専門家に譲りたいが、多分いつの時代にもどこの世界にもある話だろうし、現代日本でも、ホームに預けられたまま家族の面会すらない老人たちの数はけっして少なくない。しかし、多くの場合はその悲惨な面が注目されがちだが、新しいもののために古いものが道を譲ることは、人間が未来を切り開いてゆくときには否応のない面もある。それほど未来は人間にとっての重大な関心事であり、現状肯定に傾きがちな年長者ばかりが社会の中枢を占めていると、そこに生きる若者たちはどうしようもない閉塞感にとらわれるだろう。

 年老いた人間が第一線を離れることは仕方がないとしても、問題はその離れ方・譲り方にある。長い間ひとつところで仕事に専心してきたものであればそれなりの知恵や技術があり、それらを単に「上から目線」として切り捨てて新たなものを構築しようとすることは、全体にとって賢い選択とは言えない。もちろん積み重ねがすべてであるわけではないにしても、年長者の知恵が生きていない社会は、たとえやる気満々の若い力が寄り集まっても、その達成度合いには限界が生まれ、明るいはずの未来も幻想にすぎないことが多いだろう。

 なにごとにも先人はあらまほしきものなのだ。古くなってしまったものを軽々に切り捨てずに生かす道を探ることはいかなる社会や組織にとっても大切なことだ、というお説教はあちこちで聞かされるものだが、持続的に成長発展するとか平和で安全な社会を作るといった政治家たちの口癖よりもはるかに内実があるかも知れない。人間社会にとっては、そして実は人間ひとりひとりにとっても、やはり階層的で有機的な構造が必要なのではないかと二人の老女は教えてくれる。  

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騎士と修道士とその名前―中世のヨーロッパ、ことばの多様性を訪ねて
堺雅志 (ドイツ・オーストリア文学)
 中世の円卓の騎士たちを束ねたという伝説のアーサー王(英語、以下英)は、アルチュール(フランス語、以下仏)であり、アルトゥール(ドイツ語、以下独)でもあり、アルツロ(スペイン語、以下西、イタリア語、以下伊)でもある。中世ヨーロッパを統一したカール大帝(独)は、チャールズ(英)であり、シャルル(仏)でもあり、カルロス(西)でもある。龍退治で名高い聖ゲオルギオス(ラテン語)は、ジョージ(英)であり、ジョルジュ(仏)でもあり、ゲオルク(独)でもあり、ホルヘ(西)でもある。同じ人物でも、ヨーロッパでは、それぞれの言語で綴りと発音とが異なる。

 カール大帝がほぼ統一したとされる中世ヨーロッパでは、言語は今日のヨーロッパ諸語の元となる言語に分かれていたので、古代ローマ帝国の遺産であるラテン語で意思の疎通を図っていた。現在でも学名がラテン語標記なのは、中世においてリンガ・フランカ(フランク王国の言語)としてのラテン語がヨーロッパ共通語であったことに由来する。

 ブリテン島に由来するアーサー王伝説は、中世にヨーロッパ大陸の各地方に広まり、キリスト教と結びついて聖杯伝説を紡ぎ出し、物語の奥行きを深めてゆく。まずは、ブルフィンチの『中世騎士物語』(野上弥生子訳、岩波文庫)を繙いてみるとよい。中世の騎士文化と信仰と生活とに興味があるならば、ホイジンガの『中世の秋』(堀越孝一訳、中公文庫)をお薦めしたい。

 ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(河島英昭訳、東京創元社)は、中世のキリスト教世界を舞台にした推理小説である。主人公バスカヴィルのウィリアムはブリテン島出身の修道士、ドナウ川沿いメルク(オーストリア)出身の年若の修道士アドソとともに、北イタリアの修道院で起きた謎の連続殺人事件の真相を追う(彼らはホームズとワトソンに擬せられている)。事件の鍵を握る図書館守で盲目の修道士ホルヘはスペイン語圏出身、教会の権威を守ろうと事件を早急に解決しようとする異端審問官ベルナール・ギーはフランス語圏の出身。彼らを軸に、息もつかせぬ推理劇が展開される。ギリシアの哲人アリストテレス『詩学』(岩波文庫他)の散逸した「喜劇論」が事件の鍵である。小説は、ラテン語の血を引くイタリア語で書かれているし、登場人物たちはじっさいにはラテン語を話していたことだろう(そして初代007のショーン・コネリー主演、英語で映画化されている)。

 息子の頭上のリンゴを射て故郷を救ったスイス独立の英雄として名高いウィリアム・テル(英)は、フリードリヒ・シラーの戯曲(絶版、ただし福大図書館にあり)やロッシーニのオペラにも描かれているが、スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語、レトロマン語の四言語が公用語であるから、国内ではヴィルヘルム(独)とも、ギョーム(仏)とも、グリエルモ(伊)とも呼ばれ讃えられている。

 ちなみにシラーの戯曲『オルレアンの乙女』(絶版、ただし福大図書館にあり)の主人公、聖女ジャンヌ・ダルクは、天啓に従い、イングランドとの百年戦争に闘い、シャルル七世の戴冠に寄与した。にもかかわらず、異端審問にかけられ、火刑に処せられた彼女はまた、聖ジェーンであり、聖ヨハンナであり、聖ファナでもあった。それぞれどこのことばだろう……

 ところで、ヨーロッパにはギリシア文字やキリル文字のほかに、ドイツ語のウムラウト記号やフランス語のアクサン記号などを伴った文字があって、アルファベットの二十六文字で表しえない文字がある。これをコンピュータ上でも自在に操れるようになる授業が、福岡大学には用意されている(ヨーロッパ学ICT: Information and Communication Technologies)。さて入学生のみなさん、そもそも福岡大学では、ヨーロッパの言語ならば、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、ラテン語、ギリシア語が学べる。さまざまなことばの森へ、さあ冒険に出てみよう。  

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お祭り見学の勧め
白川琢磨 (文化人類学)
 主に福大に入学する皆さんは、九州か中国・四国出身の人が多いだろうから、「もう一度」お祭り見学の勧めと言うべきだろう。幼い頃から少なくとも何回かは近所の神社や寺のお祭り、あるいは民俗行事に参加した経験があるかもしれない。だが年を経て自然と足が遠ざかり、大学受験を控えてお祭りなどに行っている場合じゃないと思っていたかもしれない。しかし今、改めて行って欲しいのである。そこに集う人々が何を語り、何を楽しみにしているのか、またどのような神仏に何を祈り、何故に来るのか、じっくり耳を傾け、しっかりと経験して欲しい。そのようにして君らにはまず立派な「ネイティヴ」に成って欲しい。

 大学に入って「文化」を研究するのであれば、そうした君らの経験を再度「他者」の視線から捉え直すことになる。しかしそれはそれ程難しいことではない。近代人類学は、「異文化」に「他者」として参入することを業としてきた。だが人類学者という「他者の語り」におとなしく耳を傾ける「未開社会」などもう世界の何処にもありはしない。世界各地でネイティヴたちは、しっかりと自らの文化を語り始めたのだ。その力強い語りを前に、近代人類学という巨人はしばしその歩みを留めているのである。西欧の人類学者の殿(しんがり)に連なってきた日本の人類学にとって、その影響は深刻である。我々は一体何者なのか? 日本は西欧と同じく研究する側なのか、それとも異文化として研究される側なのか? 答えはその両方であろう。研究し、そして研究されるのである。ただし、前提がある。「ネイティブとして」である。日本のアフリカ研究の草分け、和崎洋一氏は、亡くなる前に「先生がもう一度生まれ変わって研究するとしたら何処でしょうか?」との問いに躊躇なく「日本」と答えたそうである。ポストモダンの時代に生きる我々は、大和崎が二つの人生に分けた課題を一時に果たさねばならない。そのためにはまず我々はネイティブに成り、ネイティヴを磨かなくてはならない。

 昨年は一年かけて「鬼」というネイティブの産物を追いかけてきた。写真家の清水健さんと共同で文藝春秋の平成一九年一月号にグラビア特集が掲載されているので関心のある人は見て欲しい。天念寺の修正鬼会を撮り終えた後、国東半島の宿で夜遅くまで語り合ったが、「いやーそれにしても九州は奥深い凄い所ですね」と感に堪えたように呟いた。ナショナルジオグラフィックの撮影で世界中を飛び廻り、今回の特集では全国を撮影して歩いた清水さんの言葉である。それに励まされて私は思わず書いてしまった。「九州は鬼の宝庫である。」実は鬼だけではない。ネイティブを育成し醸成する豊かな土壌に恵まれているのである。祭や民俗芸能はそうした豊かな土着の集合表象に触れる絶好の機会である。

 今年の暦も既に動き始めている。正月七日夜、久留米大善寺の大松明の灯と煙に咽びながら闇夜に紛れる鬼を追うことから始まり、十四日には志賀海神社で大宮司四良、別当五良ら若者八人が渾身の力を込めた歩射の力強い矢鳴りを聞いた。やがて節分、さらに「松会」、桜の開花の頃から駈仙(ミサキ)が活躍する勇壮な神楽が始まる。そして汗ばむ季節になると各地で「山笠」の声が聞こえ始める。出身地は元より、福岡に来たら近郊の祭に足を運んで欲しい(福岡民俗芸能ライブラリー http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/index.asp)。必ず、何か得るものがあるはずである。文字に書いてあるものだけが価値があるという偏見を捨て、祭や芸能という生きた教材を是非経験して欲しいものである。

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博物館へのいざない
武末純一 (考古学)
 博物館へ行ったことがあるだろうか。人文学部の新入生ならば、すでに一つか二つはあるだろう。しかし大学生には大学生なりの見方がある。行ったことのない人はまず特別展を見に行くのが良い。

 私の専門は考古学、モノから歴史を考えていく学問である。以下は、博物館などでひらかれている考古学関係の特別展へのささやかな招待状である。

 特別展は、秋の文化シーズンにあちこちの博物館や資料館で開かれる。このごろは夏休みや春休みに開くところも増えてきた。内幕をいえば、特別展を開く→お金がかかる→その分だけ多くの入館者が欲しい(でないと来年の予算にもひびく)→学生が休みで大人も活発に動く夏や春に開こう、という発想がほとんどだが。でも特別展は楽しい。

 楽しさの一つは、それまで写真や図でしかみたことのなかった実物に会えること。せっかくの機会だから、上から、下から、横から、斜めから、じっくりと眺めて、どのように作られ、どんなふうに使われたかを想像しよう。もちろん、図録や横にそえられた解説文に答えがのっている場合もあるし、それを理解するのも大事だが、それよりも大切なのは、答をうのみにしないで自分で考えること、自分の疑問をもつこと。

 二つ目は、あちこちの発掘品が一か所に集められていることである。それぞれの保管場所に行って見せてもらうととんでもない金額になるから、一見高そうに見える特別展の料金も実は安いものである。

 それと、いつもは全く別のところにあるモノ同士がすぐ横に並ぶから、比較ができる。これはけっこう大事である。何回もいったりきたりして見比べ、「似た形だけどここが違うな。これは出たところが違うからかな、それとも作った時代が違うからかな」「へー、こんなに遠く離れて出ているのにそっくりじゃないの」など、自分だけの発見ができればしめたものだ。

 三つ目は、発掘の記録は報告書という形で本になるが、手に入りにくいし、入ったとしても一般の人が読み通して理解するのはけっこうシンドイ。でも博物館では、そうした成果をできるだけ噛みくだいて、どんな発見があったのか、何がわかったのか、どういう問題が出てきたのかを、実際にモノを示しながら説明してくれる。

 ちょっと変わった楽しみ方もある。学芸員になった気分で。この照明は展示品のどこを強調しているのか。自分だったらこういう角度でここをみせたい。このパネルはなぜこの大きさでここにかけられているのだろう。展示品をきわだたせるためにどんな形や色の台を使っているのか。なぜこの展示品とあの展示品の間がこの位空いているのか、などなどなど。

 そう、ここまでくれば、もう特別展だけじゃなくて常設展でも十分に楽しめることがわかってくる。まずは福岡県内あるいは故郷の博物館だ。

 昔の博物館は、展示品がケースの中に重々しく鎮座し、いかにも「見せてやる」といった感じが強かったが、いまでは〈さわる〉〈作る〉〈使う〉などの体験コーナーも整いつつある。充実したミュージアムショップや市民ライブラリー、しゃれたレストランもけっこう多い。講堂や入り口のホールで演奏会を開くところも出てきた。〈博物館は古くさい〉というイメージは消え始めている。

 自分の知の世界を広げるために博物館をのぞき、どれでもいいから、自分の心にとまった展示品をスケッチする。そんなすてきな時間を作ってみたらどうだろう。

 なお老婆心から蛇足を一つ。ゆめゆめ月曜日のデートの場所に博物館や美術館は指定しないように。日本では月曜日は休館日なのだから。

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中国社会に関するものをすこし
田村和彦 (文化人類学)
魯迅の作品と『リン家の人々―台湾農村の家庭生活』(マージャレイ・ウルフ著、中生勝美訳、一九九八年、風響社)など

 最近、中国について様々な情報が流れ、週刊誌の記事や書籍となって書店に積まれています。日本と中国の長い関係を考えれば古典や歴史の本が多いのは不思議ではありませんが、同時代のものに限れば、政治や経済に関するものが多いように思われます。他方で、日常生活を送る場としての社会を真面目に紹介した本は多くはないのではないでしょうか。

 そこで、ここでは、こうした領域について手がかりを与えてくれそうな、いくつかの作品を推薦します。

 一つ目は魯迅のもの。皆さんももしかしたら『故郷』を教科書などで触れたことがあるかもしれないし、なにをいまさらという声が聞こえないでもないのですが、読んだことのある人も、そうでない人もしばらくお付き合いを。

 突然ですが、皆さんは一年に数冊の日本語の本しか読めないという状況に出会ったことがありますか。私事で恐縮ですが、中国の農村に住み込んだときのわたしがそんな状況でした。かなり悩んだ末に持ち込んだものが、今昔物語と魯迅の文庫、淡水魚類図鑑でした。今でもなかなか良い選択だったと思います。特に魯迅には随分助けられたのを憶えています。

 私は文学の研究者ではありません。にもかかわらず、魯迅の作品を挙げる理由は、激しい論調や手厳しい諷刺のなかに垣間見える鋭い社会観察は、今日の中国社会を考える上でも有用ではないかと思うからです。もちろん魯迅を読めば今の社会がわかるといっているわけではありません。社会背景もずいぶんと異なるはずですし、作品はあくまで作品でしょう。けれども、様々なヒントが含まれているという点で、今日でも繰り返し読む価値のある作品が多いと思います。

 いろいろな人が訳しているので、誰のものを選ぶかは好みで結構。まず手始めに『吶喊』を手にとって見てください。

 二冊目は『リン家の人々』という本。これは、一九五〇年代末に台湾北部の村で生活した人類学者の妻(後に著者本人も人類学者になってしまいました。「異文化体験」というのはなかなか強烈で侮れません)が記したある大家族の記録です。推薦理由は、訳者の解説にあるように漢民族の家庭生活の肌触りを知るうえでは良書であるから、です。人や情報の往来は急増し、中国について語る機会が増え、私たちはなにか中国社会について理解を深めたような自覚を持ちやすい今日の状況がありますが、果たしてどの程度理解している、理解しようとしたことがあるでしょうか。たとえば、本書の扱う家庭や人間関係などは如何でしょう。この本は、反省と驚き、知ることへの欲求をかきたててくれる事でしょう。また、最近、中国大陸中心の議論が極端に増加していますが、台湾、香港といった地域から考える、あるいはこれらを含めて考えることが不可欠なのではないかと私は思っています。なので、台湾を舞台とした、面白いけれどもあまり話題にならない本を選びました。

 さきに断っておきますが、ここに挙げた本は、ある事象についての知識を簡潔に記したものではありません。もしそうした知識だけが必要であれば、百科事典でも暗記したほうがましでしょう。大学に来た以上、自分で問いを立てて、常識を疑い、明確な論証を挙げて検討することが必要です。こうした営みが楽しいかどうかは人によると思いますが、大学とはそういうところだと私は思っていますので、上の本を推薦してみました。後は自分で面白そうなものを探してください。

 最後に、本ばかりでは味気ないという意見もあるかもしれないので、映画をいくつか推薦しておきます。ここでは、わたし好みの監督から『青い凧』(田壮壮監督、一九九三年)、『女人、四十。』(アン・ホイ監督、一九九五年)、『麻花売りの女』(周暁文監督、一九九四年)、『延安の娘』(池谷薫監督、二〇〇二年)の四本を選びました。図書館や教室だけが学ぶ場というわけではありません。前の三作品は本学の言語教育研究センターにもありますので、在学中に是非足を運んでみてください。

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就職活動を考える前に、お金について考えよう
辻部大介 (フランス文学)
安部芳裕『おかねの幸福論 ベーシック・インカム編』(キラジェンヌ)

 入学したばかりのみなさんに「就職活動」なんて、あまりに気が早いと思われることでしょうが、ほんらい閑暇の中で、読書に、思索に、談論に捧げられるべき大学四年間の少なからぬ時間を、在学中の生活の維持と卒業後の生活手段の確保のために奪われることを強いられている人が年々増える一方であるという現実を、なんとかしなくては、との思いから、この一文を書いています。これからの学生生活を、そしてその後の人生を、真にゆたかなものにするために、世の中のしくみ、経済のしくみを知ることからはじめてほしい。今のお金のしくみのどこがどうおかしいのか、そのためにどんな理不尽なことが生じているか、そして、その解決のためには、どんな手だてがありうるのか。ここに紹介する本は、そうした問題について知り、考えるための最初の手引きとして、最良の一冊と思います。高校生にもすみずみまでわかるであろうやさしい言葉で書かれた、一時間もあれば読み終えられる小冊子の中に、私たちのお金に対する考え方を百八十度転換させるに足る、重要な指摘とアイデアがつまっています。

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学ぶことを支える仕事
徳永豊 (支援教育学)
 教師は学校で子どもたちと授業をして、国語や数学の内容を教えることが仕事である。別の言い方をすれば、学校で子どもたちがよりよく学ぶことを支える役割が教師にある。

 子どもたちは、学校で同じように学ぶのであろうか。学びについて、みんなが同じであることはけしてない。それぞれの理解の程度、これまでの経験、学び方など実に多様である。

 よくわかる子ども、理解が早い子どもがいる。また、よくわからない子ども、理解がゆっくりの子どもがいる。教師として「学びを支えること」を考えた場合に、どちらがおもしろいのであろうか。

 「よくわからない子どもに教えることがおもしろい」という障害のある子どものための学校の教師がいる。わかる子どもとの授業では、教師の苦労は少ない。よくわからない子どもとの授業は、教師が工夫し苦労しながら授業に取り組む。数多くの失敗を繰り返し、授業に工夫を加えることで、徐々に子どもの「学びを支えられる」ようになる。そしてはじめて、子どもと「わかった喜び」を共有できるように教師が成長する。

 「よくわからない」世界で、「わかる」を拾い上げた瞬間である。この瞬間があるからこそ、やめられない仕事が学校にはある。

村田 茂 著
 『障害児と教育その心 ― 肢体不自由教育を考える』慶應義塾大学出版会(一九九四)
 肢体不自由教育の道を三〇年、歩んできた著者が、子ども一人一人を大切にする温かい視点で特別支援教育全体と肢体不自由教育のあり方を見渡し、わかりやすくまとめたものである。

徳永 豊 著
 『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意 ― コミュニケーション行動の基盤について』慶應義塾大学出版会(二〇〇九)
 意図・感情の共有や人間関係の形成に必要な「共同注意」、乳幼児が獲得する「共同注意」の形成までを「三項関係形成モデル」として示し、障害のある子どもの事例研究によって、「自分の理解」や「他者への働きかけ」「対象物の操作」の発達の筋道を示す。

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イロイロな映画を見よう
冨重純子 (ドイツ文学)
 私が何か少しでもシンガポールのことを知っているとしたら、それは映画『イロイロ』(二〇一三年)(アンソニー・チェン監督)のおかげだ。シンガポールは人口約五四〇万人、そのうち外国人が二〇〇万人を占めるという。両親が共働きで忙しく、ひとりっ子のジャールーは、わがままな振る舞いが多く、小学校でも問題ばかり起こしている。手を焼いた母親(マレーシア出身の女優が演じている)はフィリピン人のメイド、テレサを雇う。テレサには故郷に子どもがいて、仕送りをしている。テレサを受け入れる気のまったくないジャールーだが、テレサの出稼ぎの必死をじっと見ているのは、おとなたちよりジャールーである。それぞれに孤独なふたりは、しだいに心を通わせるようになる。ところがある日突然、ジャールーの父親が会社を首になって、テレサは解雇されることになる。少年の成長、公共住宅の生活、金銭的トラブル、夫婦や親子、移民や階層の問題は、シンガポールの今を映しながら、同時に普遍的でもある。父親の失業とフィリピン人メイドとの別れは、監督自身の体験がもとになっており、英題の「ILO ILO」は、その女性の故郷の地名だという。

 私が何か少しでもアルゼンチンの現在を知っているとしたら(私はサッカーにまったく興味がない)、それは『幸せパズル』(二〇〇九年、ナタリア・スミルノフ監督)のおかげだ。息子たちがそろそろ独立する時期を迎えた専業主婦のマリアは、誕生日プレゼントにジグソーパズルをもらったことをきっかけに、自分にジグソーパズルの思わぬ才能があることを発見する。パズルの大会にも出場し、優勝もする。家庭にのみ生きてきた主婦が自分の世界をもつようになる話と言えばそれまでなのだが、ブエノスアイレスでもわれわれが知っているのと同じような人生の局面が生きられており、同じでありながら、またひとつひとつ異なる生活が行われている不思議。そして、ジグソーパズルに没頭する人々の世界があることがおもしろい。

 あるいは『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』(二〇一三年、シャウル・シュワルツ監督)で、私はアメリカ合衆国との国境に面したメキシコの町のことを知った。これはドキュメンタリーで、年間三〇〇〇件以上の殺人事件が起こる街の様子と、「ナルコ・コリード」と呼ばれるサブカルチャーをめぐる取材で構成されている。「ナルコ・コリード」は物語歌を意味する「コリード」という古い語に麻薬の語を組み合わせた名称で、明るいリズムにのって麻薬組織やその幹部、暴力を称揚する歌のジャンルなのだという。全体として政府や警察組織が機能しない中で、命がけで日々の任務を果たす警官のひとりと、インターネットでしかメキシコの麻薬組織のことを知らないでナルコ・コリードの歌を作り、歌っている、ロサンゼルス生まれのメキシコ系アメリカ人歌手が、映画のふたつの極を成す。今や莫大な富を生み出し、大きな影響力をもつ「ナルコ・コリード」だが、メキシコでも支持されているその背景には、貧困と社会の荒廃がある。一部の人々にとって、麻薬組織は唯一の成功のモデルとなっているのだ。

 『僕たちの家に帰ろう』(二〇一四年、リー・ルイジュン監督)は、中国の甘粛省に住む少数民族ユグル族のバーテルとアディカー兄弟が主人公の映画。ふだんは小学校に通うために、遊牧をしている両親と離れて暮らしているふたりが、夏休みに両親のいる遊牧地を目指す。ユグル族の人口は現在一万数千人だそうだが、経済発展や草原の砂漠化で、年々遊牧も難しくなってきており、これが最初で(?)最後のユグル族の映画となるかもしれない、そんな状況が伝わってくる。しかし、とにかく、砂漠をラクダで進んでいく少年たちの道中が命がけの冒険でもあり、美しくもあり、すばらしい。

 似たようだけれど、古臭い題で公開されてしまったドイツの映画、『ぼくらの家路』(二〇一四年、エドワード・ベルガー監督)は、原題はシンプルに「ジャック」である。育児放棄に近い母親と幼い兄弟の話だが、年長で十歳のジャックがひとつの決断へと向かう物語なのだ。最近よく耳にするような状況で、しかし住まいが違い、空間が違えば、異なる状況なのだろうか。

 王朝が倒れ、新しくイスラムの共和国が樹立された一九七〇年代末から一九九〇年代のイランで、少女から大人に成長していくマルジの物語、『ペルセポリス』(二〇〇七年マルジャン・サトラピ/ヴァンサン・パロノー監督)は、サトラピ監督自身の自伝的「バンドデシネ」(フランスの漫画)が原作のアニメーションだ。反政府活動やその弾圧の毎日にあって、サトラピ家の女性たちが炸裂させるユーモアのすばらしさ。とくにマルジの祖母! イランについて私が持っていたささやかな知識と漠然としたイメージに、みごと風穴を開けてくれた。

 これらの映画を私が見ることができたのは、「KBCシネマ」という映画館があるからである。福岡には目下、大手の映画館で上映されないような映画を見ることのできる映画館は、KBCシネマくらいしかない。しかし、ここに行けば、かなりの映画が見られる。

 何といろいろな映画があることか。いろいろな映画を見ていると、気が狂いそうなほどだ。しかしそれはこの世界が、気が狂いそうなくらい異なる無数の世界でできているからだ。(それは日本の中でもそうだ。)映画はそのいろいろな世界を示そうとするもの。イロイロな映画を見よう。

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少し変わった本
永井太郎 (日本文学)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』(晶文社)
 アルゼンチンの幻想文学作家ボルヘスが書いた、神話や小説に登場する、実在しない怪物のアンソロジーです。バジリスクやケルベロス、体の前半分が獅子で後ろ半分が蟻というミルメコレオ、ドイツの小説家カフカの描いた、なんだかわからないオドラデクなど、奇妙な幻獣たちが登場します。また、澁澤龍彦の『幻想博物誌』も、同じように空想の生物を紹介した本です。実ではなく、羊や人間の娘がなる木の話など、面白いエピソードが多く集められています。『幻獣辞典』と重なるものもありますが、こちらもおすすめです。ただ、絶版なので、図書館で借りて読んでください。

ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』(平凡社)
 第二次世界大戦中、日本軍の収容所から脱走した捕虜が漂着した島で発見した、鼻で歩行する「鼻行類」。その生態を記した本と言えばもっともらしいですが、全て虚構です。全くの虚構の生物を、本格的な生物学研究書の体裁で描いた本です。時に「鼻行類」の体の構造の説明が専門的すぎて「?」なところもありますが、鼻で歩く「鼻行類」の様子を読むだけでも楽しい本です。日本では、劇作家の別役実に、様々な生物やその他のものについて、もっともらしい文章でナンセンスな解説をした本があります。僕が初めて読んだのは「虫づくし」(ハヤカワ文庫。絶版)でしたが、他にいくつもあります。ハヤカワ文庫では、「道具づくし」「もののけづくし」があり、福大図書館にも「けものづくし」「魚づくし」「鳥づくし」が入っています。ちなみに、「腹の虫」などと比喩的に言いますが、昔は本当にお腹の中に虫がいて病気を起こすと思われていました。そうした虫の絵をおさめた、長野仁・東昇『戦国時代のハラノムシ』(国書刊行会)という本もおすすめです。

ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著『ヴォイニッチ写本の謎』(青土社)
 二十世紀はじめイギリスの古書商ヴォイニッチが見つけた、中世のものらしい古写本。そこには、「全く解読できない文字群と、地球上には存在しない植物が描かれていた」(帯の言葉)。一体、これは何なのか、そしてこの本は何のために書かれたのか。謎のヴォイニッチ写本について、その内容とこれまでの解読のドラマを、わかりやすく紹介した一冊です。筆者たちの結論は、あまりにも簡単なものですが、ヴォイニッチ写本の奇妙な文字や絵を見るだけでも十分楽しい本です。

ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)
 ヴォイニッチ写本解読の歴史の中で、アタナシウス・キルヒャーという名が出てきます。実際には解読に手を付けなかったようなのですが、彼はルネサンス期の有名な知識人です。地球の構造から中国やエジプトの博物誌、そして普遍音楽の構想まで、幅広い分野にわたって本をしるし、その意味ではレオナルド・ダ・ヴィンチのようなルネサンスの万能人といっていいでしょう。しかし、ダ・ヴィンチと違うのは、彼の拠って立っていた知識が、現在の科学では完全に否定されているため、その業績がほとんど顧みられないという点です。例えば、彼は当時解読できていなかったエジプトの象形文字を解いたとして大著を著しました。そこで、彼はエジプトの象形文字を表意文字として解釈しました。しかし、その後、エジプトの象形文字は表音文字であることがフランスのシャンポリオンによって明らかにされました。したがって、彼の本の意味はほとんどなくなったのです。にもかかわらず、彼の本が魅力的な理由の一つは、奔放な想像力が生み出した絵です。火と水に満ちた空洞の地球の内部、不思議な中国の風俗、奇妙な音響装置など、キルヒャーの著作の図版を中心に紹介したのがこの本です。中でも、断片的な知識をもとに、勝手な想像で作り上げた「ブッダ」の絵はなかなか衝撃的でした。

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ニューデリー大気汚染報道に思うこと
則松彰文 (東洋史)
 今年一月初旬の読売新聞に、目を疑いたくなるような記事が掲載されていた。見出しには、「大気汚染 死者年一万人 ニューデリー」とある。読売新聞特派員、田尾茂樹氏の署名入りの記事によると、WHО(世界保健機構)が二〇一五年に発表した報告書に、インドの首都ニューデリーでは、PM2.5の年間平均濃度が世界の一六〇〇都市のうち最悪で、一立方メートル当たり一五三マイクログラム、断トツのワースト一位であるという。大気汚染で悪名高き、あの北京の二・七倍もの濃度。しかも、驚くべきことに、北京はワースト七十三位に過ぎず、世界には北京以上に大気汚染のひどい都市がさらに七〇以上もあるというのだから、驚愕の事実としか言いようがない。ワースト一位のニューデリーでは、大気汚染が原因と見られる肺疾患などにより、年間一万~三万人もの死者が推定されるという。

 ここ数年、日本ではすっかりお馴染になったPM2.5であるが、正式には、二・五マイクロメートル以下の微小粒子状物質(Particulate Matter)を呼ぶそうである。当地福岡では、NHKのローカルニュースで、連日その濃度が放送されるようになって数年になる。我々日本人にとっては、PM2.5はすべて隣国中国から飛来するものであり、中国人と聞けば「爆買い」、北京と言えばPM2.5という図式が完全に出来上がっている。しかし、その北京でさえ、ワースト七十三位にとどまるというのだから、世界の大気汚染の深刻さが容易に想像できるというものである。

 私は、読売新聞のこの記事を読んで、とても大きな衝撃を受けた。勿論、大気汚染の深刻さもあるが、私の衝撃は、自らが如何にインドの情報を持ち合わせていないか、そして、如何に世界の実情に疎いかという点においてであった。日本におけるアジア情報は、アメリカや西ヨーロッパのそれに比して、明らかに少ない。中国・韓国情報は、それでもまだ割と多く流れる方だが、インドとなると極端に少なくなる。昨年、ついに一三億人を突破し、間もなく中国を抜いて世界一の人口大国になるインド。経済成長に明確なかげりの見える中国に対し、まだまだ成長を継続しそうなインドであるにも関わらず、日本で目にする事の出来るインド情報は、実に限られている。まして、アフリカをや、ラテンアメリカをやである。

 グローバル社会、情報化社会といわれる昨今ではあるが、それが如何に言葉だけに過ぎないものか、単なる表層にとどまる評価であるのか、このニューデリーの大気汚染に関する一件は、象徴的に示していると言えよう。「大学生なら毎日、新聞を読みなさい」と大学教員の多くが言う。私も同様に、学生諸君に対しては、常に「新聞を読め、ニュース番組を見ろ」と言い続けている。しかし、更に「それらだけでは到底足らないのだ!!」と改めて付け加えねばならないと痛感した。

 今年の夏休みにでも、直接インドを訪問して、自らの五感で彼の地を体感してくることにしよう。

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Tips for Learning English
Stephen Howe (英語学)
Compared to someone who knows no English, you already know a lot. You can read this page, for example. Remember, you have a good head start: Japanese has more English words than any other language (apart from English, of course). That means you already know hundreds and hundreds of English words in katakana. Build on what you know and try to improve a little each day.

 Practice makes perfect
 Learning a language is like learning to play a musical instrument - to improve, you must practise. And music is for playing and enjoying - so, have fun speaking and communicating in English! Imagine you are studying music: to play well and graduate, you need to practice for an hour or more each day, at least. If you do the same for English, you will be able to speak beautifully by the time you graduate.
  ・Think of learning English like learning to play the piano: practise every day and you will get better
  ・If you never practise the piano, it’s impossible to play. The same for language

 Use it or lose it
 To speak a language well, you must use it - as often as possible:
  ・Speak to yourself in English
     ・Try to think to yourself in English, for example on the bus or train
     ・Describe the people you see, or what you're going to do today
  ・Speak English with your friends
     ・Meet your friends for tea or coffee and practise speaking English for fun

 Train your brain  Set yourself a target to improve your English each year you are at university. Improve a little each day, and you will improve a lot by the time you graduate:
  ・Set aside some time to study English each day
  ・If you commute to university by bus, train or subway, use your time to learn English

 Don't worry about making mistakes
 As in life, making mistakes is an important part of learning a language - so don't worry, just keep talking!

 Be cool at school
 Impress your friends with your fluency in English, whatever your major:
  ・Learn in class
     ・Use your time with your teacher to improve your English
  ・Learn outside class
     ・Don't think of your class as the only time you learn - try to improve your English outside class, too

 Make friends with the international students on campus
 Practise your English on the international students at Fukuoka University - they want to talk to you!
  ・Ask them about their country and tell them all about Japan

 Watch TV and movies in English
 Movies are a great way to listen to spoken English - and they are available everywhere - watch as many as you can:
  ・Switch to English sound when you watch English programmes or movies on TV. You will understand more and more
  ・Watch a movie several times - you will understand better each time
  ・Try to repeat what the actors say
  ・As well as movies, watch the news in English at cnn.com
  ・NHK shows English news early each morning. Watch the news each day, and you will make great progress in your understanding for TOEIC

 Read a book, magazine or newspaper in English
 Whether Harry Potter or William Shakespeare, read a book in English - there are thousands to choose from!
  ・Read an English magazine
     ・If you love fashion, read an English fashion magazine; if you love sport, read a sports magazine in English. You will learn a lot of vocabulary about your interest
  ・Read a newspaper
     ・The Japan Times is available everywhere and is easy to read
     ・Fukuoka University Library has many English newspapers
  ・Read the news in English online
     ・Try bbc.co.uk for English news

 Write a diary in English
 Like Samuel Pepys and Bridget Jones, write a diary in English - about what you do each day, your thoughts and feelings. This will help you improve your writing greatly.

 Listen to English music and radio
 Listen to your favourite British or American bands - they can help you learn English!
  ・You can listen to English music on the web at www.bbc.co.uk/radio1/
  ・Download a podcast for mobile English

 Study abroad or take a trip
 English is the international language that makes it possible for you to communicate with people in other countries. Get your English ready for a trip or study abroad:
  ・Practise for your trip
  ・It will be easy to meet people if you can speak a little English
  ・Fukuoka University has several study abroad programmes. If you can, study in another country - you will learn many things and have the time of your life

 Finally, what about after university? What can English give you?
 English is a key to the world and knowing English can help you get the job you want. English gives you:
  ・Communication skills
  ・An international dimension
  ・Awareness of other cultures
  ・Opportunities to work and travel abroad
  ・And the ability to communicate with the world

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犬がどのように考えているか、をどのように考えるか
平田暢 (社会学)
 スタンレー・コレン著 (2007年) 『犬も平気でうそをつく?』文春文庫

 この本をお薦めするのは、私自身が犬好きで、犬好きの人にとって面白く役に立つ、ということもあるのですが、それ以上に、大学で勉強するときに重要な「考え方」について自然に馴染むことができる、という理由からです。

 日本語のタイトルはややひねりすぎです。原タイトルは“How Dogs Think”なので、こちらのタイトルで内容をイメージして下さい。

 著者のスタンレー・コレンの専門は心理学で、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で教授を務めています。犬好きが嵩じて訓練士の資格をとり、犬の訓練クラブのインストラクターもしているそうです。

 私たち人間は、他の人たちを観察したり、対人関係の中でさまざまなことを学びます。これを「社会的学習」といい、私たちは言葉や規範、あるいは歯の磨き方などもそうやって身につけていきます。

 では、そのような学習能力を犬も持っているのでしょうか。

 おそらく持っていると想像はできますが、本当に知りたいのであれば確かめねばなりません。そのための手続きは、「犬には社会的学習能力がある」という考え ― この考えのことを仮説といいます ― が正しいとすると、特定の状況でどのようなことが発生するか推測をし、実際にそのような状況で観察を行って推測が正しいか否か確かめる ― 確かめることを検証といいます ― ということになります。「犬には自意識がある」や「犬には超能力がある」という仮説を立てた場合も同様です。

 コレンの専門である心理学や私の専門である社会学では、仮説を検証するというアプローチをよくとります。実験はその典型ですが、社会調査なども同じような手続きに沿って行われます。大学の勉強では、知識だけではなく、このような手続き、あるいは考え方を身につけることが強く求められます。『犬も平気でうそをつく?』という本は、犬の能力や感情、意識についてさまざまなことを教えてくれますが、数多くの事例や実験、調査がうまくはさまれていて、仮説を検証するプロセスの面白さ、その有効性がごく自然にわかってきます。

 犬には社会的学習能力があるか否か、それをどうやって確かめたかは、本書を読んでのお楽しみ。

 以下に、スタンレー・コレンの犬に関する他の著作も挙げておきます。いずれも文春文庫です。飼い主の性格に合う犬種は何か、どうすれば犬に意思をうまく伝えられるか、どのようにして犬は狼からつくられてきたのか、などなど、盛りだくさんで楽しめます(最後は結局犬が好きな人のための紹介になってしまった…)。

  『デキのいい犬、わるい犬』(The Intelligence of Dogs)
  『相性のいい犬、わるい犬』(Why We Love the Dogs We Do)
  『犬語の話し方』(How To Speak Dog)
  『理想の犬(スーパードッグ)の育て方』(Why Does My Dog Act That Way?)
  『犬があなたをこう変える』(The Modern Dog)

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ドイツ語映画観賞会へのお誘い―書を捨てよ、町へ出よう―
平松智久 (ドイツ文学)

 新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。いま皆さんは大学生活を満喫しようと、心を躍らせているのではないでしょうか。大学では大いに勉学に励んでください。多くの本を読み、あるいは大事な書籍を精読し、知的な喜びを享受してください。ただし、ときどきは「息抜き」をすることも忘れずに。それは、『書を捨てよ、町へ出よう』と寺山修司が訴えかけたとおりでしょう。とはいえ彼は、若者たちに単に繁華街へ出かけようと呼びかけたわけではありません。そのメッセージは、読書によって得た知見を机上に留めず、外の社会と人に触れてじっさいの体験と結びつけなさいと勧めたものだったからです。

 そこで本稿では、「町へ出る」ための一つの扉を開いてもらうために、ドイツ語映画鑑賞会に皆さんをお誘いしましょう。

 ドイツ語映画鑑賞会は、人文学部ドイツ語学科の主催で二〇一三年度前期より始められ、基本的には授業期間中の毎月第一木曜日に中央図書館多目的ホールで開催されています。同年度後期からは福岡大学エクステンションセンターとの共催で市民開放型文化講座「映像に見るヨーロッパ文化 ― ドイツ語圏 ― 」として開講されるようになりましたので、地域の皆様も無料で参加可能です。毎回の企画・運営は、主にドイツ語学科の学生たちで構成されるドイツ語クラブ「シュタムティッシュ」(福岡大学公認愛好会)。上映作品は基本的に図書館所蔵品ですので、鑑賞会当日に都合が悪くて来場できない方も、後日、図書館二階AVコーナー(Audio-Visual Room)で視聴することができます。しかし可能な限り皆さんには鑑賞会の会場へ足を運んでもらいたいものです。あえて「決められた時間」に、「決められた場所」で、他の方々と共にドイツ語の映画を鑑賞してみませんか。続けて参加することで、映像と音楽が醸し出すヨーロッパ文化を体感できるようになるはずです。さらに、映画鑑賞後に参加者同士で感想や考えを共有することによって、一人では決して得られない知的な喜びを感じられるはずです。そのような他者との積極的な交流こそ「町へ出る」ことの意義にほかならないのですから。

 ドイツ語映画鑑賞会では、できるだけ良質の映画を皆さんがしっかりと体験できるように、教員・有志学生一同がそのお手伝いを行っています。必要に応じて担当教員が映像作品の時代背景、言葉遣い、作品の意義等について簡単に解説しますので、ドイツ語映画に慣れていない方にも安心してご覧いただけます。ドイツ語学習者はドイツ文化を目と耳で捉える良いチャンスですし、ドイツ語が分からなくても日本語字幕付きなので大丈夫です。さぁ、皆で感動を分かち合いましょう。是非、友人知人や御家族、御近所の方をお誘い合わせのうえ会場にお越しください。

 以下には過去上映作品を列記しますので、見逃した作品は是非、図書館二階AVコーナーでご鑑賞を。また、今後の開催情報を調べたい方や、個々の映画の詳細をお知りになりたい方は、ドイツ語学科のホームページ内にある「ドイツ語映画鑑賞会」の項目(http://www.hum.fukuoka-u.ac.jp/index.php?ger/film.html)をご覧ください。

第一回 『グッバイ、レーニン』(解説担当:平松智久)
第二回 『みえない雲』(解説担当:冨重順子)
第三回 『ビヨンド・サイレンス』(解説担当:山中博心)
第四回 『善き人のためのソナタ』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第五回特別編 モーツァルト『魔笛』(解説担当:永田善久)
第六回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード1』(解説担当:金山正道)
第七回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード2』(解説担当:金山正道)
第八回 ディズニー映画『アラジン』(ドイツ語吹替え、日本語・ドイツ語字幕)(ドイツ語クラブ)
第九回 『飛ぶ教室』(ドイツ語クラブ)
第一〇回 『コッホ先生と僕らの革命』(解説担当:有馬良之)
第一一回 『愛より強く』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第一二回 『カスケーダー』(解説担当:平松智久)
第一三回 『マルタのやさしい刺繍』(解説担当:平松智久、大学院生一名)
第一四回特別篇 ベートーヴェン『第九 第四楽章』(解説担当:永田善久)
第一五回 『テディ・ベア誕生物語~全ての困難を乗り越えて』(解説担当:堺雅志、堺ゼミ生)
第一六回 『ベルンの奇跡』(解説担当:交換留学生ビョルン・カスパー)
第一七回 『マーサの幸せレシピ』(解説担当:森澤万里子)
第一八回 『幸せのレシピ』(解説担当:秋好礼子)
第一九回 『ミケランジェロの暗号』(解説担当:冨重純子)
第二〇回 『9000マイルの約束』(解説担当:平松智久)
第二一回 『おじいちゃんの里帰り』(解説担当:伊藤亜希子)
第二二回 『ウェイヴ』(解説担当:スサナ・デル・カスティヨ)
第二三回特別篇 メンデルスゾーン『夏の夜の夢』(解説担当:永田善久)
第二四回 スタジオ・ジブリ映画『千と千尋の神隠し』(ドイツ語吹替え、ドイツ語字幕)(解説担当:冨重純子、大学院生三名)

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手のなかの美術館
広瀬貞三 (朝鮮史)
(1)坂田泥華『日本の陶器・12・萩』(保育社カラーブックス、一九七九年)
 焼き物では、「一楽、二萩、三唐津」といわれる。初期萩焼は朝鮮の井戸茶碗を思わせる大ぶりの姿に、びわ色の釉薬がよく映える。これに白い釉むらが生じ、一種の景色となる。萩焼の祖である李勺光は文禄の役(壬辰倭乱)の時、日本に連行され、毛利輝元に預けられた。彼の弟が李敬である。二人の子孫は藩命として、長きに渡って萩焼を継承してきた。現代の作家として、三輪休雪、坂田泥華朝鮮史、坂高麗三衛門、坂倉新兵衛、田原陶兵衛がいる。

(2)洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮文庫、一九九六年)
 これは『芸術新潮』に連載された文章を、一冊にまとめたもの。洲之内(一九一三~八七)の文章はあっちへ行ったり、こっちへ曲がったりと忙しい。しかし、そこに彼の文章の巧みさがある。現代画廊を自ら経営していただけに、絵画を見る目は確かだ。多くの画家を発掘し、世に送り出した。三六歳で夭折した松本竣介論は四回にも及び、最も力が入っている。洲之内の死後、彼が残した絵画(洲之内コレクション)は、宮城県立美術館に寄贈された。

(3)小松正衛『北大路魯山人』(保育社カラーブックス、一九七四年)
 魯山人(一八八三~一九五九)は書、篆刻、絵画、漆芸、扁額、陶磁器、料理に通じた美の天才である。そのほとんどを独学で取得し、現在でもその評価は高い。彼の人間性には欠点も多かったが、死後時間が経つにつれ残された作品群、特に陶磁器への関心は強まっている。陶磁器の多くは日常用の食器であり、本来は自分の料理を盛るために創られた。染付、織部、伊賀、備前、瀬戸を写しながらも、強烈な個性によって魯山人独自の作品となる。

(4)東山魁夷『風景との巡り合い ― 東山魁夷小画集』(新潮文庫、一九八四年)
 『風景との巡り合い』全六巻のうち、最後の一巻。どれかをカバンに入れておき、電車やバスの中で取り出してながめる。好きな絵にすっと心が入り込み、世俗の雑踏を忘れる。東山魁夷(一九〇八~九九)は戦後を代表する日本画家の一人であり、風景画を得意とした。晩年は、唐招堤寺全障壁画の大作に挑んだ。この本には初期の「残照」、「道」から晩年の「山峡飛雪」まで五五枚が盛られている。私は青の濃淡で描いた、清冽な「山嶺白雲」を好む。

(5)久保貞次郎監修『日本の美術館』(徳間文庫、一九八六年)
 旅先では、美術館をできるだけ訪れる。知らなかった画家の作品に出合い、図録でしか見ていない絵の実物を目にする。心の中に、たくさんの栄養分が吸い込まれる。この本には全国五四ヶ所の美術館が、代表的な作品とともに紹介されている。何回も通っている根津美術館、出光美術館、МОA美術館のページをめくり、往時を思い出す。次の訪問先は足立美術館(島根県安来市)、その次は笠間日動美術館(茨城県笠間市)と狙いを定めている。

(6)小松正衛『李朝のやきもの』(保育社カラーブックス、一九八二年)
 韓国・ソウル市にある国立中央博物館は三階建で、通路の両側に六つの大展示室がある。この中でしばしば訪れるのが、陶磁器の部屋である。白磁は朝鮮王朝(一三九二~一九一〇)を代表する民族文化の精髄である。朝鮮王朝は李成桂によって建国されたため、李朝ともいう。この本は朝鮮時代の多様な陶磁器を、簡便にまとめたもの。三島(粉青沙器)、刷毛目、染付、白磁、辰砂、鉄砂は人間味に溢れ、穏やかで、心暖かく、見る者を飽きさせない。

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〈人間学〉のススメ
馬本誠也 (英文学)
1.内村鑑三『後世への最大遺物』(『世界教養全集9』平凡社刊行、一九六二)

 物質主義や自己中心主義が横行している今の時代に、このような書物を紹介すること自体、アナクロニズムの誹りを免れないかもしれない。

 だが、この本を読み、私は久しぶりに本当の日本人に触れた思いがした。「生きる」ことの意味やこの世に生きる使命感を彼ほど純粋な力強いことばで語れる人は、そう多くないはずだ。ここに示されているいくつかの生き方は、おそらく真摯に自分の行き方を模索している青年の魂に深く訴えてくるのではないだろうか。

 わたしは、すべての学生にこの書物を推薦しようとは思わない。こころの奥底から聞こえてくる〈内なる声〉に耳を澄ますことのできる人であれば誰でもいい。「わたし」とは、いったい何者であるのか。自然界における人間の位置づけをどう考えるのか。「社会」と「個人」はどのように関わり合っていけばいいのか。およそ人文学部に身を置く学生であれば、内村鑑三のような高い志しをもった日本人の声に謙虚に耳を傾けて欲しい。〈文化〉の意味や、外国語を学ぶ楽しさとすばらしさが、すべてこのなかで語られている。

 この書物は、すでに過去数年にわたって紹介してきているが、今日の日本の時勢、日本を取り巻く世界情勢を考えると、どうしても今の若い人たちに贈りたい書物の一冊である。内村は、その中で、こう言っている。「われわれは、何をこの世に遺して逝こうか。金か。事業か。思想か。これいずれも遺すに価値のあるものである。しかし、これは何人にも遺すことのできるものではない。……何人にも遺すことのできる本当の最大遺物は何であるか。それは勇ましい高尚なる生涯である」

※ ここに紹介した内村鑑三『後世への最大の遺物』は、図書館で検索すれば必ずあると思いますが、書店での入手は難しいでしょう。自分で所有したい場合には、インターネットの「日本の古本屋」を検索すれば、必ずどこかの古本屋が出しています。

2.吉田健一『英国の文学』(岩波文庫)

 ずいぶん昔のことであるが、大学の文学部に入学して、さてこれから何を勉強していこうかと、漫然と思案していたとき、たまたま書店の本棚で見つけたのがこの書物であった。英国、および英国人の風土や文学をこれほど見事に語った書物は、そう多くないと思う。わたしがイギリス文学を専攻したのも、この書物に触れ、その感動を少しでも追体験したいという気持ちに駆られたからであった。爾来、この書物はわたしの本棚から消えたことが無い。折に触れ、その一部の詩や名文を味読している。たとえば、シェイクスピアの十四行詩をつぎのような名文に訳出している。

  君を夏の一日に譬えようか。
  君は更に美しくて、更に優しい。
  心ない風は五月の蕾を散らし、
  又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。
  太陽の熱気は時には堪え難くて、
  その黄金の面を遮る雲もある。
  そしてどんなに美しいものでもいつも美しくはなくて、
  偶然の出来事や自然の変化に傷つけられる。
  併し君の夏が過ぎることはなくて、
  君の美しさが褪せることもない。
  この数行によって君は永遠に生きて、
  死はその暗い世界を君がさ迷っていると得意げに言うことは出来ない。
   人間が地上にあって盲にならない間、
   この数行は読まれて、君に命を与える。

 このソネットの解説を始めとするシェイクスピアや幾多の文人を語る重厚な文体については、多言を弄する必要はないと思う。まず、手にとって読んでみることだ。

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進化するミュージカル
光冨省吾(アメリカ文化・文学)
  小山内伸著『進化するミュージカル』(論創社)

 ミュージカルの起源はイタリアのオペラにありますが、二〇世紀初頭のニューヨークの劇場街で誕生したブロードウエイ・ミュージカルは元のオペラから大きく変貌し、今やニューヨークだけでなく世界中で受け入れられるようになりました。ミュージカルの発展には(英語がわからない)移民の多いニューヨークの社会的事情もあり、セリフだけでなく音楽やダンスなども取り入れたショーが発展してきました。ミュージカルは基本的に翻訳家井上一馬が述べているように「人間賛歌」であり、アメリカ人の楽天的な国民性も反映されてハッピーエンドで終わる作品がほとんどですが、人種差別などの社会問題も次第にテーマとして取り上げられるようになり、一九五七年の『ウエストサイド物語』では悲劇のミュージカルも制作されるようになりました。

 ここで紹介している本は主として一九七〇年代から二一世紀にいたるまでの最新のミュージカルの代表作を中心に紹介しています。著者は執筆当時朝日新聞の記者で、新聞に劇評を書いていました。この本ではタイトルにあるように「進化する」ミュージカル作品を紹介しています。たとえばオペラのようにほとんど歌と音楽で構成されているアンドルー・ロイド・ウエバーの作品(『キャッツ』と『オペラ座の怪人』)は『レ・ミゼラブル』や『レント』に引き継がれています。また同じメロディーを異なる歌手が異なる歌詞を歌うことでそのコントラストが生じるロイド・ウエバーの手法はスティーブン・ソンドハイムのようなアメリカの代表的なミュージカル作家にも大きな影響を与えています。その他にもミュージカルの伝統を踏まえた上で、新しい工夫がなされた作品が続々と制作され、多くのファンを魅了しています。この本を読んで劇場に足を運ばれるようになれば幸いです。

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歴史と文学との垣根をとり払おう
森茂暁 (日本史)
福田秀一・岩佐美代子・川添昭二他校注 新日本古典文学大系『中世日記紀行集』(岩波書店)

 創造的な人生を送るには、柔軟な頭脳と大胆な発想とがまず必要でしょう。身近なことでは、たとえば卒業論文のテーマ探しや執筆のさい、このことは決定的に重要です。常日頃から固定的な物の考え方をしないで、自分の頭で物事をのびのびと考えてみましょう。ここでは、文学の史料は歴史の史料として充分に活用できるということを述べます。

 例えば、鎌倉初期成立の『平家物語』、鎌倉末期成立の『徒然草(つれづれぐさ)』、南北朝末期成立の『太平記』などは、高等学校の段階まではいずれも文学作品として扱われ、古典の時間に読まれます。しかし、このような作品は同時代の歴史を知るための史料として極めて有用で、価値の高いものです。今度は歴史の史料として再読しましょう。むろん原文で。この場合肝心なのは、一部分ではなく全部を読み通おすことです。きっと感動が湧きおこります。古典のもつ不思議な力です。

 さて、冒頭にあげた書物はそれに類するものです。日本中世の紀行文(旅行記)が多く収められています。中世日本人の旅行意欲をかきたてたのは(すべてが単なる旅行ではありませんが)、十四世紀の南北朝の動乱を通した人々の地理的視野の広がりだと筆者は考えていますが、この動乱を契機に国内を旅する人が増えてきます。そのようななかで、紀行文が書かれるわけです。それらは主として国文学のジャンルで研究の素材となってきましたが、歴史の方ではほとんど無関心です。

 このような紀行文が、どのような意味で歴史研究に有用かというと、たとえば、阿仏尼(あぶつに)の「十六夜日記(いざよいにっき)」は、十三世紀後半(鎌倉時代)の所領訴訟関係史料としてはもとより、東海道(京都と鎌倉をつなぐ基幹道路)の交通史の史料としても使えますし、また、連歌師宗祗(そうぎ)の「筑紫道記(つくしみちのき)」は、十五世紀後半(室町時代)の筑前・豊前国(福岡県)、特に博多の人々の生活や周辺の景観をくっきりと描き出しています。一例をあげますと、筥崎宮(はこざきぐう)を訪れた宗祗(そうぎ)は博多湾をへだてて、夕日のなかの可也(かや)山(福岡県糸島郡志摩町)をながめ、「富士に似たる山」と感慨深げに書き留めています。同記は、大内氏研究のための史料としても貴重です。

 同書では丁寧な脚注や解説が施されていますので、容易に読み進むことができます。さあ、実際この本を手にとって、読んでみましょう。

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汽車旅の勧め・その三 ― 三江線に乗ってみよう ―
山縣浩 (日本語史)
 東京圏・関西圏などの大手私鉄は、今に始まったことではないが、本業の鉄道部門以外にも事業を幅広く展開して収益を上げている。JR各社も上場後は同様の傾向を強めている。ただ、大都市圏の大手私鉄と異なり、その広域性から過疎地域を抱え、鉄道部門は多くの路線で赤字ということがない訳ではない。このため、株主を意識してかどうか分からないが、公共交通機関として担うべき使命を忘れ、ローカル路線を切り捨てよう、或いは地方自治体に押し付けようとする。特に新幹線が開業すると、そのような話になっているのであろうが、並行する路線はほぼすべて第三セクター化される。この場合、列車本数が増えることもあるが、運賃は高騰する。JR各社の仕儀も経済性の論理で、一方的に非難できない。しかし、路線の廃止・バス路線への転換は、沿線地域の衰退を加速させ、地方自治体や地域の人たちの負担を増加させる。

 これらのことは、福岡市やその周辺地域の如く交通の便がよいところに住む人間にとって無関係で、他人事であろう。しかし、「線路は続くよ、どこまでも…」ではないが、鉄路で全国は繋がっている。博多駅が大阪駅・東京駅に繋がるように、例えば、隣県の山口県山陽小野田市にある長門本山駅、朝二本・夕方一本の発着しかない盲腸線の行き止まり駅にも繋がる。このような一日に数本しか列車の来ない駅からでも、鉄路によって福岡・大阪・東京に必ず辿り着ける。地域として孤立していない、どこかと結ばれているという実感は、整備された道路より、鉄路の方でより強く感じられる。

 移動手段として路線バスも地域の足として無視できない。しかし、「公共圏」の点から鉄道の優位性を述べられた、原氏の指摘は適切である。

  原 武史『講談社現代新書 思索の源泉としての鉄道』(講談社・二〇一四年刊行)
 東日本大震災と鉄道を論じられた「第1章 東日本大震災と鉄道」「第7章 鉄道復興の軌跡」、高千穂鉄道廃線後の沿線地域の様子などを報告された「第4章 断たれた鉄路をゆく」は、必読である。
 これらでは、バスに代替された地域や乗客の様子が描かれている。一般にバスに代わると、運賃が上がり、所要時間がかかる。このため、通学で利用する子供たちとその家族の負担は大きくなる。例えば、高千穂鉄道の廃線後、延岡市内の高校に通う生徒が市内に下宿したり、一家揃って引っ越しをしたりしたという。
 当然、このような事態は地域の衰退に繋がる。
 様々な目的で人は旅に出る。日常生活の中で見失いかけたものを取り戻そうとするときや自分自身を見詰め直そうとするとき、スマートフォンは自宅において一人静かにローカル線の揺れに身を任せるのがよい。それが結果的にその路線の乗車率を僅かでも高めることになれば、どこまでいっても傍観者に過ぎないことが分かっていても、些少ながら心が軽くなる。そして、後続列車の時刻を確認して、途中下車をする。

 本稿「その三」では、『NOVIS 2011・2012』「その二」で「マイナーローカル線」と称した路線の一つ・三江線の魅力を紹介する。

 「その二」で「マイナーローカル線」とは、「全国的に知られた観光地、絶景の山岳や渓谷、貴重な鉄道施設など、沿線に取り立てられるものを有さないローカル線」と規定した。基本的に現在も同様なものと考える。ただ、最近、路線によっては「廃屋や廃校、荒れ果てた田畑、倒木の夥しい山林などを見掛けることは殆どない」とは必ずしも言えないことに気付いた。

   * * *

 三江線は、広島県三次市と島根県江津市を結ぶ一〇八・一キロに及ぶ、陰陽連絡線の一つである。注(1)

 三次の読みは、「みよし」で間違えることはなかろう。一方、江津は、二〇一五年九月の乗車の際、兵庫県三田市からやってきたという大学生らしき乗客は「えつ」と言っていた。よく乗車券が購入できたものである。江津は「ごうつ」である。そして、三江線は「さんこうせん」である。

 九州からであると、江津駅にしても、三次駅にしても、そこに至るまで多大な時間を要する。しかし、完乗に値するマイナーローカル線である。

 三江線は、陰陽連絡線の中でも木次線・美祢線とともに優等列車の走らない路線である。

 ただ、木次線は、「奥出雲おろち号」なる観光列車が運行される如く随所に見所・絶景が存する。このため、二〇一二年の一二月中旬という閑散期にも関わらず、重そうな一眼レフカメラを抱えた、その筋の乗客が起点の宍道駅から同乗していた。更に一番の見所となる、出雲坂根・三井野原間ではツアーバスに乗せられた、中高年の団体客が大挙して乗り込み、一両の気動車は、福岡市営地下鉄のラッシュ時の混みようとなり、女性客が多いことも加わり、異様な喧噪に包まれた。出雲坂根駅は、名水として知られる「延命水」が沸き、数少ない三段スイッチバックの駅である。更に登ると、奥出雲の山並みが臨め、トンネルの合間から国道三一四号線の螺旋を描く白いおろちループ橋が間近に飛び込む。「その二」注(7)ではこのような路線を「有名ローカル線」と称した。

 ちなみに、彼女らの降り立った三井野原駅(JR西日本の最高地点駅・標高七二六メートル)で待っていたのは、JRバスであった。

 一方、美祢線は、マイナーローカル線の名にふさわしい路線の一つで、いずれ紹介したい。ただ、昔は急行「あきよし」など、最近は焼きとり列車やサロンカー「なにわ」などの観光列車が不定期ながら運行され、沿線には山口県内で指折りの温泉地・湯本温泉を有する。

 これら二線に対して、三江線は、一九七五年に全線が開通して以来、特急は当然のこと、急行も走ったことがない。定期的な観光列車もなく、九州で知られた観光地・温泉地も沿線にない。石見銀山・三瓶山の南域を走るものの、これらは沿線の駅から簡単に行ける距離でない。

 あるのは、ほぼ全線にわたって沿う江の川だけである。即ち、三江線は典型的な「川線」である。その様は、例えば、久大線の夜明駅付近の如く、川に刻まれた谷の左岸・右岸に鉄路・道路がそれぞれ敷設され、それが延々と続くとイメージされたい。

 江津駅を発車すると、江の川を渡ることなく、左岸を列車は進む。対岸に集落が見えても、渡ろうとしない。江津駅を発って約一時間で沿線の中心地と言える川本町の石見川本駅に到着。その後、また三〇分少々で美郷町の粕淵駅に江の川を初めて渡って到着する。

 三江線は地形に逆らわず、多く川岸の崖にへばりついて走る。トンネル・鉄橋など、建設費用の掛かる建造物は、然るべき人口密集地に至る場合を除き、建造しない。鉄橋は、支流を渡るときだけである。

 当地域の高等学校は、川本町の川本高校、美郷町の邑智(おおち)高校の二校であった。しかし、両校は二〇〇七年に統合され、川本町の島根中央高校だけとなった。高校生の減少は鉄道にとって乗客数の激減となる。

 粕淵駅の次・浜原駅から鉄路は一転する。一九七五年八月に三江北線と三江南線を繋げて全通させた新線に入るためである。右岸に渡ったまま、長いトンネルを抜け、コンクリート製の高架をそれまでにない高速で駆ける。中でも宇都井(うづい)駅は、谷間の集落の上空二〇メートルに設けられ、一一六段の階段で上り下りをするという。僅かな停車時間に左右を見下ろすと、石州瓦が二・三〇軒見える。

 本駅は、二〇一四年九月二日『朝日新聞・夕刊』「ひとえきがたり」で紹介された。そこでは「天空の駅」と称せられ、駅のファンクラブノートが設置されているという。

 新線区間は、左岸・右岸を行ったり来たりするが、左岸の口羽駅で終わる。それからそのまま左岸を走るが、一度香淀(こうよど)駅のため右岸に渡るだけで、後は左岸を走り続ける。秘境駅として知られる長谷(ながたに)駅を通過すると、三駅目が三次駅である。注(2)

 かなり上流に至ったにもかかわらず、川幅は広く、満々として河原は見えない。市街地に入ると、高架で幾つか道路を跨いでカーブを下ると、右側から広島からの芸備線が寄り添い、三次駅に到着する。直通運転の、待ち時間の少ない列車でも江津・三次間は三時間二〇分程度かかる。

 即ち、江津から乗車した場合はほぼ左側の窓から、三次から乗車した場合はほぼ右側の窓から、江の川を眺めながら、新旧三パターンの鉄路を走る。列車の運行もこの三区間に対応し、上り下りとも、江津・浜原間は五本、浜原・口羽間は四本、口羽・三次間は五本となる。本線を一日で完乗しようとすると、江津駅発は六:〇〇、一五:一七、一六:三八、三次駅発は五:四六、九:五七、一六:五六の如く、三本ずつである。福岡から出向き、全線で車窓から江の川を眺めようとすると、夏場でも列車は限られる。

 分水嶺は、三次市の南西・安芸高田市の南端にあるため、路線の高低差は大きくない。特に旧線は、高度を変えず、江の川に落ち込む山腹を削った隘路を川の流れに沿って進む。このため、眼下に江の川の緑の水面を眺めることができる。三江北線が開通したのは、一九三七年である。江の川直上の山肌をどのように削って鉄路を敷設したのか、その頃の技術力を考えると、難工事であったことが容易に想像できる。

 鉄路からしか見られない江の川の姿は貴重である。また左記の三区間の中でも江の川は表情を変え、また季節によって異なる。更にその流れを眺めるだけでなく、鉄路のあり様から厳しい自然環境と戦いながら鉄路を敷いた先人たちの辛苦を偲び、小さな駅周辺の集落ではどのような営みがなされているのかを考え、また小学校や保育園の建物を見ると、子供たちはいるのだろうかなどと窓に顔を近付けるなどすると、ウトウトする暇はない。

 従って、本線に乗車する際には、地形の分かる詳細な地図を持参して欲しい。本線に限らず、汽車旅において地図を持参すると、その楽しみは、数十倍豊かなものとなる。

 また「川線」ならではの施設として見落としてならないものがある。江津行きに乗車して、石見川本駅の次・因原(いんばら)駅を出ると、支流の濁川を渡る。

 鉄路施設後、堤防がかさ上げされたのであろう。結果的に鉄路が堤防の一部を切り取って鉄橋に至るような作りである。勿論、このままでは豪雨の際、増水した川水が住居地に浸入して、何の為の堤防か分からない。そこで、堤防を切り取った部分に鉄の扉が設置してある。通常は開かれたままで、列車の通過に支障はない。後日それを「陸閘門(りくこうもん)」ということを知った。三江線が「川線」としてどのように江の川と共存して今日に至ったかが知られる施設である。線内には他に数カ所に設けられているという。乗車の際には、注意されたい。

   * * *

 「その二」では、途中下車が汽車旅を充実したものにする手立てであると述べた。

 アウトドア派の人であれば、江の川はカヌー関係の施設が点在することでよく知られていよう。しかし、人文科学関係で途中下車をして訪ねるべきところは、残念ながら私自身まだ訪れたことはないが、美郷町の粕淵駅の北西にある、斎藤茂吉鴨山記念館であろう。

 県や町のホームページによると、斎藤茂吉の研究成果や写真などが展示されているという。

 当館は、万葉歌人の柿本人麻呂の歌(『万葉集』巻第二・二二三番)や妻の歌(同・二二四番・二二五番)に基づいて、彼の没地を考察した「鴨山考」にちなんだものである。茂吉が最終的に人麻呂の没地とした「鴨山」は、粕淵駅の北西約四キロに位置する標高三六〇メールの小山である。

   柿本朝臣人麻呂在石見国臨死時、自傷作歌一首

  鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有 巻第二・二二三番注(3)

 一連の論考は、茂吉の全集に納められている。論証や結論の妥当性はともかく、茂吉の人麻呂に対する情熱が感じられる。

  「総論篇」「鴨山考補註篇」『斎藤茂吉全集・柿本人麿一 第一五巻』(岩波書店・一九七三年刊)
  「雑纂篇」『斎藤茂吉全集・柿本人麿四 第一八巻』(岩波書店・一九七五年刊)

 没地を決定するに当たって、茂吉は当地を踏査した際の直感を重視した。踏査の詳細を記した文章も全集に収録されている。茂吉が訪れた一九三〇年代、三江北線はほぼ開通しており、彼は乗車したようである。そして、「江ノ川を主として、風光がなかなか佳く、若しこの三江線の鉄道が備後の三次まで完成したなら、この線は日本での一名所となるであらう、それほど風光の感じが佳い」(第一五巻「備後石見紀行」715頁)などと、三江線沿線の絶景を讃える。

 一方の起点である三次市は、江の川(広島県では可愛(えの)川)に馬洗(ばせん)川・西城(さいじょう)川・神野瀬(かんのせ)川が合流する盆地にある。このため、夏は鵜飼が行われ、秋から冬にかけては街を霧が覆い、「川霧の町」と言われる。従って、当市のゆるキャラは「きりこちゃん」である。また近年は物怪伝説の地として売り出し中である。これは、江戸時代中期になった「稲生物怪録(いのうもののけろく)」に基づく。

 内容は、一七四九年、当地の浅野藩藩士の稲生平太郎(のち武大夫・一七三五~一八〇三)が十六歳のとき、三〇日間屋敷に現れる物怪(逆さになった女の生首が髪の毛を足にして飛んで歩くなど)や怪奇な現象(塩俵が飛んできて、頭上から塩をまき散らすなど)にたじろぐことなく耐えて、物怪の大将から讃えられ、木槌を与えられたという体験に依る。平太郎の存命中から話題になり、更に平田篤胤が研究対象としたため、沢山の写本・版本が残された。

  谷川健一編『稲生物怪録絵巻 ―江戸妖怪図録―』(小学館・一九九四年刊)
  荒俣 宏編著『平田篤胤が解く稲生物怪録』(角川書店・二〇〇三年刊)

 いずれも「稲生物怪録絵巻」「稲生平太郎物語」などの絵本がカラー版で紹介され、様々な物怪の姿や怪異現象の一コマが見られる。パラパラ眺めるだけでも楽しい。

 三次駅のホームには、地元の高校生が作成した三次の観光案内のパネルが掲げてある。そこには霧の海・鵜飼・花火・土人形・ワインの他に平太郎とろくろ首・一つ目小僧が描かれている。駅から遠くない所に「稲生武大夫碑」や物怪録のコーナーの設けられた歴史民俗資料館がある。

 また時間があれば、駅から路線バスを利用して、奥田元宋・小由女美術館を訪ねて欲しい。日本画家・元宋の「月」をモチーフにした新しい世界が広がる。

   * * *

 私は、三江線に三度乗車した。二〇〇六年三月は江津から三次へ、二〇〇九年九月・二〇一五年九月は三次から江津へ抜けた。

 経年比較の可能な三次から江津への旅を紹介する。

 二〇〇九年は、三次に一泊し、九:五七発の石見川本行きに乗車する予定であった。しかし、倒木のため、折り返し列車が一時間程度遅れて入線した。三次駅からの乗客は四・五名で、その筋と思われる若者一名がロングシートの右側前方に横座りをした。石見川本駅では、遅れのため、人影のない商店街から役場前まで一回りするに留まった。駅に戻り、同じ席につくと、前の方に同じ若者が座った。昼食後でもあるためか、発車すると間もなく彼はウツラウツラした。石見川本駅を過ぎると、江の川も見飽きてくるのも分からないでもない。残念ながら、岩を噛む急流、川岸から聳える岩峰など、「川線」に期待される絶景は、多くないためでもある。

 二〇一五年も二度目と同じ列車で、幸い定時に発車した。乗客は、明らかに地元の方に見えない、一〇名近い男性が中心で、女性は地元のおばあさんと私の妻くらいであった。また、過去二回はワンマン運転で、運転手だけの乗車であったが、今回は女性車掌が同乗していた。そして、発車すると、乗客一人ひとりに声を掛け、どこからどこまで行くのかを尋ねてきた。

 その他、六年前になかった様々な取り組みに気づいた。例えば、三次駅では三江線活性化協議会の補助制度のチラシ(三江線回数券補助制度・マイカー回送プランなど)を手にし、三次駅は「土蜘蛛ステーション」など、石見神楽の演目プレート「神楽愛称駅名板」が各駅に設けられていた。注(4) またあちこちの駅に「これからも地域とともに 祝JR三江線 全線開通40周年」の横断幕が掲げられていた。

 客筋から察せられた通り、下車は殆どなく、三次駅を出発したときより多い乗客数で石見川本駅に到着した。乗車した列車は、列車番号を変えるだけでそのまま江津行きとなる。ホームに停車したままである。ただ、発車時刻まで約一時間半あるため、乗客は下車させられる。

 改札では、後で正体を知ったが、川本町観光協会の方が待ち受けられ、下車してきた乗客一人ひとりに声を掛けて、一二:〇九着ということもあり、駅近くの食事処や名所・旧跡を紹介するリーフレットを配り、更にどこからやってきたのかなど、声を掛けていられた。こちらが応じると、関西・関東など、遠地からやってくる方も多い、このデータを取りまとめ、三江線を管轄するJR西日本米子支社に持参し、感謝された由も話された。またそのようにして声を掛けた下車客の一人がJR西日本の社長であったとのことも語られた。そして、二〇一三年八月の水害のため、因原駅先の「陸閘門」のある陸橋の支柱が流出して、約一年間運休したものの、ほぼ一年前の二〇一四年七月に全線で運転が再開したことを喜んでいられた。

 このような地元の方との出会いも途中下車の楽しみである。

 しかし、それから一ヶ月少々後の一〇月一六日、JR西日本が二〇一七年九月に三江線を廃止するとの計画を関係自治体に伝えたとの報道に接した。

 三江線活性化協議会などの努力にもかかわらず、乗客数が一向に増加しないため、JRが見切りを付けたのであろう。過疎地ゆえにモータリゼーションの進行が著しく、鉄道から離れてしまった地域の人たちを引き戻せなかったのであろう。しかし、列車本数が日常利用の便に叶うものでなければ、たとえ様々な助成があっても引き戻しようのないのは明白である。

 この報は、地元紙だけでなく、一一月一九日付け『朝日新聞・朝刊』の社説で「赤字の鉄路・地域の知恵で足守れ」と題して取り上げられた。趣旨は、表題から知られる如く一方的な廃止反対でなく、バスや乗り合いタクシーなどの導入も含め、地方自治体が住民と知恵を出し合って望ましい公共交通を考えるべきというものであった。福知山線の事故や背後の思惑に触れないなど、JR西日本の経営体質や方針に切り込むことのない、表面的な綺麗事を並べているだけに思われた。

 このとき、思い出したのは、石見川本駅で出会った観光協会の方であった。この報に接し、どのように思っていられるのだろうか、また今後どのような取り組みをされるのであろうか。

  * * *

 一九九〇年代から、意識して西日本のマイナーローカル線やローカル線に乗車してきた。近年は、ツアーバスで運ばれ、一・二区間だけ乗車してくる輩と遭遇することが多い。江の川の絶景を求めて、いずれ三江線に出没するかもしれない。それはそれで、運悪く乗り合わさなければ、三江線にとって悪いことでない。その一方で、中高年男性の一人旅を見かけることも多くなった。

 例えば、三江線でも、このような乗客が多いことは先に述べた。木次線でも三度の乗車のうち、二度目(二〇〇九年一〇月)から見掛け、三度目(二〇一二年一二月)はそこそこの人数であった。また二〇一五年の三江線では、江津駅まで乗り通した乗客の多くが温泉津(ゆのつ)温泉や出雲市・松江市に向かうことを知った。彼らの出発地をすべて聞き知った訳でないが、広島市・岡山市、更に関西方面からであれば、大回りをして目的地に向かっている訳である。注(5)

 即ち、行き先が有名な観光地・温泉地であっても、特急列車や高速バスで一直線に向かうことなく、マイナーローカル線やローカル線で、勿論、走っていない場合もあるが、観光列車を利用することなく、時間を掛けて目的地に向かうのである。

 「鉄道はただの移動手段ではなくなり、その空間で過ごす時間そのものが、かけがえのない価値」(前掲・原(二〇一四)202頁)を有すると言われる。鉄道を単なる移動手段と考えない、このような価値の分かる人たちが増えていると言える。

 これら中高年の乗客は、重そうなカメラを持ち、車内を歩き回ってシャッターを切ることはない。ロングシートに横座りになったまま、振り返ったり、背を伸ばしたりして、車窓を眺め、時折コンパクトカメラで写すくらいである。また運転席横のフロントガラスの前に立って、視界を遮ることもない。眼鏡を外して時刻表を開くことはあっても、スマートフォンの画面を長時間見入ることはない。或いは、私が一番落ち着きがないかもしれない。

 また中高年とは言え、夫婦連れは少ない。このとき江津駅まで乗り通した乗客で夫婦連れは我々だけであったかもしれない。観光地・温泉地を夫婦で目指す場合でも、奥さんは特急列車や高速バスで向かい、現地集合にでもなっているのであろう。

 ちなみに、予想した通りであるが、我妻はしばしば昼寝をして、三江線の記憶は断片的なはずである。お陰で一人旅が楽しめた。

  * * *

 JR九州でも観光列車が話題を集め、件の豪華寝台列車の予約は二〇倍を超えるという。このようなお仕着せの旅でも、ありがたがる人が多いのも事実である(多くは、富裕層や外国人のようであるが)。これはこれで鉄道部門の収支改善のためには必要である。しかし、誰もがそのような高価で、豪華な汽車旅を望んでいる訳ではない。また誰もが簡単に楽しめる訳でもない。そして、本当の汽車旅の楽しみが分かろうはずもない。

 谷川一巳氏は、観光列車は「ローカル線のテーマパーク化」「手っ取り早くその地域を楽しめる … 「本当の楽しみ方」を知らない利用者用 … テレビや雑誌で見た通りにしか旅をしていない。旅下手というか、旅のオリジナリティを感じない」のであって、提供されるのは「作られた旅情」と断じる(谷川一巳『光文社知恵の森文庫 ローカル線ひとり旅』光文社・二〇一四年刊、9頁)。勿論、本当の汽車旅を知るきっかけになれば、観光列車も悪くはないのであるが…

 汽車旅の楽しみは、自身の非日常と他者の日常が交差するところに生まれる。非日常に満ちた観光列車で得られない、ありふれた非日常=他者の日常に出会うため、私は時刻表と首っ引きで旅程を考え、マイナーローカル線やローカル線に乗る。車窓や車内を眺め、時折聞こえてくる会話に耳を傾ける。そして、出会いを求めて途中下車をする。

 沿線地域の人たち、沿線地域の発展を第一に考えなければならないが、価値の分かる、汽車旅を愛する人々のためにも、広島県と島根県石見地方を結ぶ唯一の陰陽連絡線である三江線を存続させる方途を考え、存続のための運動を大きくしてゆかなければならない。中国地方の公共交通体系に関わる問題でもある。盲腸線で、二〇〇三年に切り捨てられた可部線の可部・三段峡間とは事情が異なる。

【付記】三江線に関するホームページで、代表的なものは次の二種である。
 石見川本鉄道研究会=http://sankosen.jimdo.com/[新]・ http://www.yuyumura.net/rail/index.html[旧]
  新しい方のページに掲載されている四コマ漫画「三江線クルーズ」は、私の文章より分かりやすく、詳細に三江線沿線の魅力を伝えてくれる。
 ぶらり三江線Web= http://sankousen.com/
これらのページを見ると、三江線という鉄路が一つの文化を生み出していると言える。

     

(1) 「陰陽連絡線」とは、山陰と山陽をどのように捉えるかで異なる。山陰は島根県・鳥取県、山陽は広島県・岡山県で、これら陰陽の諸県を結ぶ路線と規定すると、三江線以外に木次線(宍道 ― 備後落合)・伯備線(伯耆大山 ― 倉敷)・因美線(鳥取 ― 東津山)が該当する。
  陰陽を山陰本線・山陽本線と捉えると、山口線(益田 ― 旧小郡・現新山口)・美祢線(長門市 ― 厚狭)が加わる。
  また岡山県内・広島県内の路線ながら、三江線・木次線・因美線と山陽本線を結ぶ路線まで拡大すると、芸備線(広島 ― 備中神代)・福塩線(福山 ― 塩町)・津山線(津山 ― 岡山)が含まれる。私とすれば、これらは準陰陽連絡線である。
  その他、第三セクターの智頭急行(智頭 ― 上郡)、兵庫県内の播但線(和田山 ― 姫路)を含めることもある。
  前二群の路線のうち、伯備線は、岡山と出雲地方を結ぶ重要路線として電化され、特急がひっきりなしに走る、因美線は、智頭・鳥取間が智頭急行と接続して、関西・岡山方面からの特急が乗り入れる(従って、智頭・東津山間は完全なローカル区間で、いずれ紹介したい)、山口線は、九州方面から山陰諸地域への路線として、特急が走り、「SLやまぐち号」が旧小郡・津和野間で運行される。

(2) 「その二」で紹介した牛山隆信『小学館文庫 もっと秘境駅に行こう!』(小学館・二〇〇三年刊)で長谷駅が取り上げられ、「駅の周囲に人家はまったく見えない。… 本流に流れ込む支流が見えて、その方角に三、四軒ほど民家らしきものが確認できる。この駅の一日の乗客数は、資料によると四人(!)となっている」(57頁)と記される。
  朝二本の三次行き、午後三本の口羽・浜原行きが停車するだけである。
  秘境駅を扱ったテレビ番組で取り上げられたことのある駅で、途中下車の難しさも相俟って、秘境駅探訪家には垂涎の駅である。
  ただ、乗車していて分かるが、三江線は中国地方有数の過疎地域である石見地方を抜ける鉄路とは言え、地形的に人の住めない場所を除くと、意外と人家が途絶えることがない。車中から確認する限り、駅周辺で人家が全く見られないところは、記憶がない。また、廃墟と化した住宅や荒れ果てた田畑は、思った程、多くない。

(3) 佐竹・山田・工藤他『新日本古典文学大系1 万葉集一』(岩波書店・一九九九年刊)では、この詞書き・短歌を次の如く解釈する(163~164頁)
    柿本朝臣人麻呂が石見国にあって死ぬ時に、自ら悲しんで作った歌一首
   鴨山の岩を枕に伏している私なのに、それとは知らずに、妻は今も待ち続けていることであろうか。
  「鴨山」につき、同書「地名一覧」では「未詳、島根県邑智郡湯抱温泉の西北にある鴨山とする説(斎藤茂吉『柿本人麿』)が有力だが、同県内の他の山とする説、大和に求める説もある」(27頁)とする。

(4) すべて確認した訳でないが、三江線の全三五駅(含、三次駅・江津駅)に異なる演目プレートが設置されているようである。また、目にすることはなかったが、神楽ラッピング車両「三江線神楽号」が運行されているという。
  同様の工夫は、他の路線にもあり、二〇〇六年、境線(米子 ― 境港)では、米子駅を「ねずみ男駅」など、すべての駅に妖怪の愛称が付けられているのに接した。これは、境港市出身の故水木しげる氏にちなんだものである。本線はそれ以前から「鬼太郎列車」が走っていた。これらの愛称は、妖怪路線を徹底させたものである。
  その後、二〇〇九年、木次線でも三井野原駅は「高天原」などという出雲神話にちなんだ愛称が一部の駅に付けられているのを知った。
  三線のほぼ全線ともJR西日本米子支社の管轄なので、さもありなんである。

(5) このとき、石見川本駅で行き違う浜原行きの列車が遅れたため、発車が三〇分程度遅れた。
  この遅れに関して、我々の乗る江津駅から浜田・益田方面の接続には問題がなかった。しかし、松江方面は接続しなくなった。このため、まだ乗車していた件の女性車掌が温泉津温泉に行かれる方は…、出雲市方面に行かれる方は…と、かなりの乗客に対して特例による特急列車への特急券なしでの乗車などを丁寧に説明していた(これがバスであれば、どうであろうか。よく利用する高速バスでは、諸事情によって遅れることは覚悟せよ ― それは遅れても文句を言うな、何も対応しないと解釈できる ― という放送が流れる)。
  これと三次駅発車直後のやり取りで耳に入った会話を併せると、乗客の発着地の傾向が知れた。

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生きることの意味
山田英二 (英語学)
 『サンドリーヌ裁判』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)(トマス・H・クック著、村松潔訳、二〇一五年、早川書房)
 『スティーブ・ジョブズ〈Ⅰ〉』『同〈Ⅱ〉』(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳、二〇一一年、講談社)

 この小冊子は新入生の諸君への読書案内という体裁をとってはいるが、実は在学生や卒業生、教職員の隠れファンも多いと聞いた。

 これまでずっと私は二十歳前後の読者を漠然と想定し選書してきたのだが、そんな話を耳にしたせいか、今年は少し趣向を変えてみようかと思う。未来への希望に満ち溢れた諸君に、このように風変わりな本をお勧めするのも一興ではなかろうか。

 孤独な初老の大学教授。学内政治に興味はなく、付き合いがいいわけでもない。彼には長年連れ添った社交的な妻がいる。

 或る夜その魅力的な妻が裸で変死したというところからストーリーが始まる。ところが、当の教授には明白なアリバイがなかったばかりか、この衝撃的な出来事に対し、取り乱したり嘆き悲しんだりすることが出来なかった。駆けつけた警察関係者の証言などから世間の疑惑の目は次第に同居人であり、第一発見者である男に向けられ、ついに彼はサンドリーヌという名の配偶者殺人事件の容疑者となり、裁判が始まる。職を追われ、小さな田舎で町中の人間から白い目で見られ、実の娘からまで疑われる男。しかし裁判が進むにつれ、事件は意外な展開を見せ始める…。

 彼女には付き合っていた同僚の男友達もいたらしい。教授は本当に手を下したのか、それとも他に真犯人がいるのか。このように紹介すると、なんだ男女関係絡みの裁判小説の類いか、と切り捨てられてしまいそうだから急いで付言すると、事はそれ程単純ではない。だからといって、ミステリーとしても一級品である、その後の話の流れをここでつまびらかにするような野暮な真似をする気もない。ただ、私にできるのは、この小説の最後の一頁まで、読み飛ばさずにじっくり味わって読んで欲しいということだけだ。

 話は飛ぶが、Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズはプレゼンの名手で、本学の図書館にも関連書籍が置いてある。YouTubeの動画で見ることの出来る、彼が二〇〇五年にスタンフォード大学の卒業式に招かれて行ったスピーチは圧巻だ。人生の幕が閉じようとする前に、人は己が一生を振り返るのではなかろうか。ジョブズは大学で学ぶことの意義を訴え、人生に起こる様々な出来事の「点と点を繋げ」と説く。立ち止まるな、何かを探し続けろ。ハングリーであれ、愚かであれ。けだし至言である。妻殺しの容疑をかけられた夫が裁きの場に立たされ、懊悩し、その後の人生を通してやったことはまさにこれにあたるように思われる。

 福大での四年間は刺激に満ち、おそらく諸君が考えるよりずっと早く卒業の日は来る。生きること、学ぶことの意味を、問い続ける大学生活であれかしと願う。

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岡村敬二 『江戸の蔵書家たち』 (講談社選書メチエ71)
山田洋嗣 (日本文学)
 昨年、江戸後期の和学者、小山田与清のことを調べていて大変面白かった。本当はここで与清の「擁書楼日記」をすすめたいのだが、いささか特殊にすぎるかと思いなおしてこの本にする。

 江戸時代になると書物の流通が広くさかんになり、出版も多くなって、自然大勢の読書家や蔵書家、また著作や出版に志す者、分類や目録を作る者、あるいは索引を編もうとする者が出てくる。岡村敬二のこの本はその人々の群像とそのなさんとしたところをいきいきと描き出してみごとである。また、それがこの時代の文化のうねりを描くことにもなっている。

 ことに面白いのは、冒頭の小山田与清とその蔵書に群がる人々の様子である。与清は蔵書のために蔵三つを建て、五万巻を収めたというが、彼らを動かすのは、すべての書物を集めたい、すべての書物を読みたい、すべてを分類したい、という静かな狂気である。そのために彼らは集いまた離れつつ、本を求め、購い、貸借を、輪読を、抜書を倦まずにくり返すのである。

 私は、実は小山田与清という人間をあまり好きになれないし、その著作が面白いとも思わない。「行為」が面白くて、「結果」が面白くないのは彼の特徴である。しかし、この様子を書くのに岡村が主な資料として使った「擁書楼日記」は、その様子が日々記録されていて、実に面白いのである。

 なお、こちらを読みたいと思う人がいるかもしれないから書いておくと、「擁書楼日記」は明治四十五年に出された『近世文芸叢書』の第十二巻に入っている。ただし、活字化するにあたっての間違いが所々にあるから注意しなければならない。気になる人は、早稲田大学図書館のウェブ・ページに与清自身の自筆本の写真版が公開されているから、それを見るといいと思う。

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読書は最高の自己との対話
山中博心 (ドイツ文学)
 どれだけ手札を持っているかが、その人の考えていることの信憑性を保証しているように思います。一見全く異なった領域の事柄が見事な模様を織りなしている時、有無を言わず納得してしまうことが多々あります。そこにはその人なりの揺るがない独自の視点が窺われます。

 例えば『三田文学』の編集長若松英輔氏の『悲しみの秘義』(ナナロク社)の中に収められた25のエッセイはそうした上質な味がします。「自然」と交感する宮沢賢治、「必然」に重きを置くリルケ、己の精神と葛藤し主観から客観へ突き抜ようとする小林秀雄、原爆投下の広島の惨状を描いた原民喜、カトリックの司祭で神学者、思想家でもあった師井上洋治神父、著者同様慶応大学出身の哲学者故池田晶子女史、『沈黙』の著者遠藤周作、「お前の前に道はない…」の詩人・彫刻家高村光太郎、水俣病問題に心血を注ぐ石牟礼道子、文字の彼方を見据えて「コトバ」を極める井筒俊彦、『麗子微笑』の画家岸田劉生、ドイツの文豪ゲーテ、作家堀辰雄、染織家志村ふくみ等々、その分野を極めた人々が「悲しみ」を鍵コトバとして繋がっています。そこには著者自身が背負った身近な人の壮絶な死の経験が結晶化されているからです。

 もう一冊は少し手応えがあるかもしれませんが挑戦して下さい。精神科医木村敏氏の『からだ・こころ・生命』(講談社学術文庫)です。余りにも「人間化」され過ぎた昨今、この世に在ることの意味を考え直すきっかけになると思います。時間とどう関わるかが統合失調的「祭りの前」、躁病的「祭りの直中」、鬱的「祭りの後」と三つに分類され、個人の生命「ビオ」と、連綿と続く種としての生命「ゾーエ」の違い、「リアリティ」(「実在」)ではなく生きている「アクチュアリティ」の重視、それに沿った「もの」と「こと」という複線的な思考等々、主体を中心に据えながら「心身二元論」を越えるため大きな枠の中で「生死」を含めた人間のあり方を考えるになると思います。

 それ以外では朝日新聞の一面の『天声人語』と鷲田清一氏の『折々のことば』を毎日読むことをお勧めします。人間の基本的な立つ位置が腑に落ちると思います。

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人から本をすすめられること―パール・バック―『大地』―
山根直生 (中国史)
 パール・バック『大地』(初出一九三一~一九三五年。新居格氏訳の新潮文庫版は、一九五三年)

 「無人島に一冊だけ本を持ち込めるとしたら、何にする?」という問いかけがあります。孤独な生活を紛らせてくれそうな、くりかえし読んでも飽きない書物をあげていく話題であり、多くの作家や学者といった人々が自分のお気に入りを紹介しています。

 さて私ならどうするかと問われたら、たぶん何を持っていってもけっきょく読まないのではないか、と思います。本を読む理由というのはただその本自体が面白いとか為になるからとかばかりではなくて、読んだ感想を誰かと語りあいたい、ある人が読んだと言っていたから自分も読んで話をしたい、などの理由もあるはずです。私にとっては特にそうで、どんな難しげな本であれ尊敬する人から教えられれば、その人と討論したいがために努力して熟読するでしょう。誰とも話す機会のない離れ小島に流されたら、どれほど面白そうな本であっても目を通しはしないと思います。

 つまり私が一番熱心に読書するのは、自分の敬愛する誰かから本を教えてもらった時であり、今回紹介する『大地』も大学時代の恩師からすすめられた本の一冊です。読み進めて、自分が研究上学んできた中国に対するイメージにあまりにもぴったり合致していることに驚き、一九三〇年代に発表されたこの本のイメージに、むしろその後の中国史研究全体が規定されたのではないか、とさえ思いました。

 『大地』の舞台は、中国安徽省、十九世紀末から二十世紀の時期と思われます。思われる、というのは、ジャンルとしては歴史物に当たるこの物語ですが、歴史上の著名人や地名・事件名が登場せず、厳密にはいつ・どこの話かあえて分からぬよう書かれているからです。それどころか、主要人物の王一家以外には、ほとんど固有の名前さえ出てきません。物語は第一部の主人公、貧しいけれども勤勉な農民の王龍が、富豪の奴隷であった阿蘭を買い取り、妻にするところから始まります。

 平凡な農民の物語を興味深いものにしているのは、厳しく過酷な中国の環境と、それを乗りこえていく彼ら、特に阿蘭のバイタリティーです。旱魃の到来を予想して稲穂の軸を食料として保存したり、飢饉につけこんで彼らの土地を買いたたこうとする高利貸しとわたりあったり、いよいよ暮らしていけなくなって流民として都会に逃げ込んでからも、物乞いの仕方を子供達にたたきこんだりと、とにかく凄まじい女性です。旱魃が過ぎ去り、故郷にもどった王龍は前にもまして畑仕事に励み、一家はしだいに裕福になっていくのですが、阿蘭の働き有ってこその幸運であったのは間違いありません。

 私は今までにもこの本を知人や学生の何人かにすすめました。女性読者がそろって面白いと感じるのは、王龍をはじめとする男性主人公と、いずれも気丈な女性たちの間の、ベタベタしていない愛情をさらにドライに描ききった、筆者パール・バックの洞察力だそうです。死の床についた阿蘭と、王龍のやりとりの場面を以下に引用してみます。

 …彼は、毎日、幾時間も阿蘭の病床に座っていた。阿蘭は弱っていたし、達者なときでも、あまり話をしない仲だったから、今はなお黙々としていた。その静寂の中で、阿蘭は自分がどこにいるのか忘れることがあったらしい。時々、子供のときのことなどをつぶやいた。王龍は、初めて、阿蘭の心の底を見たような気がした。それも、こんな短い言葉を通してのことだったが。

 「はい、料理を持って行くのは、戸口までにします。わたしは、みにくいから、大旦那様の前へは出てはいけないのは、ぞんじています」

  (中略)

 「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています ― 」

  王龍は聞くにしのびなかった。彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。彼女が言っていることは事実なのだ。自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、蓮華(注 王龍の美しい妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。それが不思議で悲しかった。この死にかかっている骨ばった手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。

  それだけに、王龍は、いっそう阿蘭に親切を尽くし、特別な食べ物や、白魚とキャベツの芯を煮た汁を買ってきたりした。おまけに、手のつくしようのない難病人を看護する心の苦しみをまぎらすために、蓮華のところに行っても、少しも愉快ではなかった ― 阿蘭のことが頭を離れないからだ。蓮華を抱いている手も、阿蘭を思うと、自然に離れるのだった。…

 筆者バックはアメリカ人宣教師の娘で、中国現地で前半生を過ごしたという女性です。それだけに、というべきか、作中の男女の恋愛感情に関してバックは一切の幻想を許しません。もちろん、登場する男女の間に愛情が見られない訳ではなく、先の王龍も、王龍の三男で第二部主人公である王虎や、王虎の長男で第三部主人公の王淵も、それぞれ女性に対して時に優しい気遣いを見せるのですが、そこに働く男性のエゴもバックはバッサリと描ききっているのです ― これは、けっきょくのところ男である私には感知できなかった部分であり、人にすすめて初めて気づかされた本書の特徴だと言えるかも知れません。

 田畑を愛した王龍に反して、彼の子供たちはあっさりと土地を切り売りし始めます。それを資金に軍人としての立身出世をねらう王虎が第二部の主人公、そして王虎から軍人教育を施されながらも、むしろ祖父に似て農業の近代化を志す王淵が第三部の主人公です。

 私にこの本をすすめた恩師はいつも第一部を引いて中国農村の姿を話してくれたのですが、中国の軍事史や軍閥を専門としている私には、軍記物のような第二部も非常に興味深く読めました。ある県の警備隊長となった王虎はそこの政治や裁判までのっとり、名産であるという酒に税金を課して、となりの県へと勢力をのばします。ちなみに彼は母に似てすらっとしたりりしい男性だと描いてあるのですが、このことからすれば阿蘭もそんなに不美人だったとは思えません。

 『大地』を読み切った私はさっそく恩師に感想を話しました。そうして敬愛する人とより多くの会話を交わすこと自体が、私にとっての読書の楽しみだとも言えるでしょう。中国の軍閥の様子として第二部には非常にリアリティがありました、と私が話すと、恩師はちょっと意外そうな様子で、後日送ってくれた手紙には「そういえば第二部は軍閥のことなのだと初めて気づきました」とありました。

 私がバックの男女関係の描写に気づかなかったのと同じように、恩師にとってもそのような見方は今までなかったのかも知れません。こうした発見があることもまた、独りだけでする読書にはない、他者との交流のための読書が持っている意味だと思います。

 大学に入ってからの皆さんが書物に興味を持てなかったとしたら、一度このような、他者と話すことを前提にした読書の仕方を試みてみることをすすめます。別に、『大地』を読まなくても構いません。話を聞いてみたいと思う先生や先輩のすすめる本(または、彼らの書いた本)を読み、その感想を彼らとの話題にしてみてください。あるいは、逆にこう言い換えることもできるでしょう ― そうした本でも読まなければ大学で実りある交流はできないし、尊敬できる何者かの存在に気づくこともないのだ、と。皆さんそれぞれにとって、大学時代の思い出深い書物が増えることを願います。

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Novis 2016
― 新入生のための人文学案内 ―

印 刷 平成28年3月28日
発 行 平成28年4月1日
発行者 福岡大学人文学部
印刷所 城島印刷株式会社

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