Novis 2015
Novis 2015 目次
- 人文学部新入生のみなさんへ ・・・・・ 星乃治彦(人文学部長)
- 映画の字幕 ・・・・・ 間ふさ子(中国近現代文学)
- 鶴田諸兄主幹の思い出 ・・・・・ 青木文夫(スペイン語)
- 美術・イタリア・歴史 ・・・・・ 浦上雅司(西洋美術史)
- 新・東京街めぐりガイド(道に迷うための道案内) ・・・・・ 遠藤文彦(フランス文学)
- おすすめの本 ・・・・・ 大嶋仁(比較文学)
- 英語教師を志す皆さんへ ・・・・・ 大津敦史(英語教育学)
- 先人を知ろう ・・・・・ 甲斐勝二(中国学)
- 江戸時代を見なおそう ・・・・・ 梶原良則(日本史)
- 「よい子」ってどんな子? ・・・・・ 勝山吉章(教育史)
- 中国の歴史(全十二巻) ・・・・・ 紙屋正和(東洋史)
- 学問の領域に捉われない読書の勧め ・・・・・ 鴨川武文(地理学)
- オペラ座 ・・・・・ 桑原隆行(フランス文学)
- 視野を広げて考えてみよう ・・・・・ 高妻紳二郎(教育行政学)
- 温故知新の人文学 ・・・・・ 小林信行(哲学)
- コンプレックスはお持ち?―悩みと折合いをつける文学的想像力― ・・・・・ 堺雅志(ドイツ・オーストリア文学)
- お祭り見学の勧め ・・・・・ 白川琢磨(文化人類学)
- 博物館へのいざない ・・・・・ 武末純一(考古学)
- 中国社会に関するものをすこし ・・・・・ 田村和彦(文化人類学)
- 就職活動を考える前に、お金について考えよう ・・・・・ 辻部大介(フランス文学)
- 学ぶことを支える仕事 ・・・・・ 徳永豊(支援教育学)
- わからないけれどわかる、気持ち ・・・・・ 冨重純子(ドイツ文学)
- 少し変わった本 ・・・・・ 永井太郎(日本文学)
- 新書の魅力、中公新書の面白さ ・・・・・ 則松彰文(東洋史)
- Tips for Learning English ・・・・・ Stephen Howe(英語学)
- 犬がどのように考えているか、をどのように考えるか ・・・・・ 平田暢(社会学)
- 資本主義は崩壊するか ・・・・・ 平兮元章(社会学)
- 『進撃の巨人』で広がる知的世界―ドイツ語を学ぶときに見えてくるもの― ・・・・・ 平松智久(ドイツ文学)
- 処世のことば ・・・・・ 広瀬貞三(朝鮮史)
- 〈人間学〉のススメ ・・・・・ 馬本誠也(英文学)
- 歴史と文学との垣根をとり払おう ・・・・・ 森茂暁(日本史)
- 情報リテラシーを身につけよう ・・・・・ 山内正一(イギリス文学)
- 山田美妙の勧め ・・・・・ 山縣浩(日本語史)
- じてん ・・・・・ 山田英二(英語学)
- 岡村敬二 『江戸の蔵書家たち』(講談社選書メチエ71) ・・・・・ 山田洋嗣(日本文学)
- 狭き門より入れ ・・・・・ 山中博心(ドイツ文学)
- 人から本をすすめられること―パール・バック『大地』― ・・・・・ 山根直生(中国史)
Novis 2015 本文
- 人文学部新入生のみなさんへ
星乃治彦(人文学部長) - 最近コンシエルジュという言葉をよく耳にするようになりました。初めて聞く人もいるかも知れませんね。コンシエルジュ(concierge)はフランス語で、本来は「アパートの管理人」程度の意味だったのですが、今の日本では、ホテルに入ってどこに何があるのだろうといった質問に丁寧に教えてくれる総合世話係のような人のことを指すようになっています。この小冊子に収められているのは、福岡大学人文学部の教員たちが、諸君らを心から歓迎する意味で、いわばコンシエルジュとなって授ける最初の知的アドヴァイスです。
諸君らはワクワクする知的好奇心を満たすために大学に入っているのでしょうし、人文学部を選んだということは、何かやりたいことを決めた人も多いかも知れませんね。そんな諸君らに、大学の入り口で読むべき本がここでは丁寧に紹介されています。
ここに紹介されている本をちょっと読んでみようかなあと思ったら、日本有数の蔵書数を誇る福大図書館に足を運んで下さい。使い方が分からないのであれば、入口の職員さんに尋ねてみましょう。図書館ツアーに参加するのも良いでしょうねえ。そうやって自分の問題関心をすくすく育ててみましょう。それを積み重ねていけば、諸君らは卒業までには人生の確固たる羅針盤を手にすることになるのでしょう。
- 映画の字幕
間ふさ子 (中国近現代文学) - 外国映画を見るときになくてはならないものが字幕です。映画では目からの情報だけでなく、言葉や音楽など耳からの情報も大きな役割を果たしていますが、言葉が外国語だと何を言っているのかわかりませんよね。それを解決する主な方法は吹き替えか字幕ですが、日本ではまだまだ字幕が主流のようです。字幕翻訳監修業という職業の草分けである清水俊二さんの『映画字幕(スーパー)五十年』や『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』を読むと、日本における字幕スーパーの歩みを知ることができます。
字幕と聞いてすぐに思い浮かぶのが、この清水俊二さんや戸田奈津子さんなど字幕翻訳者の存在です。語学を志す人で字幕翻訳者にあこがれたことのない人は少ないのではないでしょうか。自分の作った字幕がなければ観客たちは作品を十分に鑑賞できないのです。しかも一行わずか一〇文字で台詞のエッセンスを表現しなければなりません。責任は重大ですが、やりがいもあるというものでしょう。
戸田奈津子『字幕の中に人生』、太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』『字幕屋に「、」はない』など、字幕翻訳のエピソードを綴った本は何冊かあり、いずれも興味深いものです。また、前述の清水俊二さんの著書や高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』を読めば、字幕翻訳者の生涯を通して二〇世紀の日本と日本人の姿が、外国映画の受容という側面から浮かび上がってくるでしょう。
しかし、翻訳者だけでは字幕は出来ません。字幕を作るには昔も今も技術者の熟練の技が不可欠です。かつて字幕がどのように作られていたのかを知るには、神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』がうってつけです。また、太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』を読めば、現在の字幕制作のプロセスがよくわかります。これらの本は、映画が工業技術に支えられた芸術であることを改めて教えてくれるでしょう。
現在では、デジタル映像であれば、素人でも専用のソフトを使って字幕制作にトライすることができます。東アジア地域言語学科では、字幕制作ソフトを利用した語学の授業を行うほか、有志で一九五〇年代、六〇年代の中国映画・韓国映画の秀作に日本語字幕をつけ、市民のみなさんに鑑賞していただくという活動を行っています。これまでにみなさんの先輩たちが、中国映画『白毛女』('50)、『家』('56)、『五朶金花』('59)、『我們村裡的年軽人(村の若者たち)』('59)、『今天我休息(本日非番)』('59)、『李双双』('62)、『我們村裡的年軽人・続集(続村の若者たち)』('63)、『錦上添花』('62)、韓国映画『青春双曲線』('50)、『運命の手』('54)、『三等課長』('61)、『ソナギ(通り雨)』('78)などに字幕をつけました。今年も九月の発表会に向けて準備を進めています。
二〇一三年からは、この字幕制作で力をつけた卒業生二人が、アジアフォーカス・福岡国際映画祭に依頼され、最新の中国映画『目撃者』(二〇一二年)、『殯棺』(二〇一四年)の字幕制作を行って好評を得ています。
字幕について書かれた本を読むだけではなく、みなさんも実際に字幕制作にチャレンジして、プロの翻訳者たちが縷々語る字幕翻訳の神髄―限られた言葉で限りないイメージの世界へ観客を誘う醍醐味―の片鱗に触れてみませんか。
清水俊二『映画字幕(スーパー)五十年』早川文庫、一九八七年
清水俊二『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』文春文庫、一九八八年
神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』パンドラ、一九九五年
戸田奈津子『字幕の中に人生』白水Uブックス、一九九七年
太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』光文社新書、二〇〇七年
高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』白水社、二〇一一年
太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』岩波書店、二〇一三年
太田直子『字幕屋に「、」はない』イカロス出版、二〇一三年
- 鶴田諸兄主幹の思い出
青木文夫 (スペイン語) -
自称多芸多趣味を標榜しているが、幼少の頃から現在に至るまでに嵌った趣味を若いときから順番に挙げると、将棋、詰将棋、囲碁、花札、麻雀、カードゲーム(とくにコントラクトブリッジ)、チンチロリン、ギター、キーボード(とくにジャズピアノ)、サイコロゲーム(賭博とは書けない)、パチンコ、バックギャモン、チェス、競馬、競艇、カラオケ、スロットマシーン、カジノゲーム(とくにクラップスとバカラ)、などなど、年をとると段々生臭くなってきて、最後にエアロビクス(およびダンス系エクササイズ)という非常に健全な趣味が出現するも、口さがないやつは「若いインストラクターが目当てだろう」と言うが、まあそれも完全に否定できないし、スポーツジムの会員のおばちゃんたちと飲み会に行くのも楽しいのは本音である。
さて、そんな趣味の中で今でも続いているものもいくつかあって、老後の楽しみに予定しているものがいくつかある。キーボードもその一つで、定年までには Clavia の Nord Stage2というシンセサイザーとマスターキーボードがいっしょになったやつを絶対買うつもりで、付属品も入れると五〇万くらいの支払いのためにせっせと競馬に励んでいるのであるが、なかなか思うようにならないのは世の常。
そして、子供の時から今まで切れ目なく続いているのが詰将棋である。(詰め将棋の送り仮名をつけないのが専門誌の書き方)
趣味の最初のほうは数学者であった父親がすべて手解きしてくれたもので、要するに父親の相手をさせられていたわけだが(家族麻雀でも賭けて真剣勝負だった)、なかなか勝てない色んなゲームの中でも、将棋の終盤になるとなぜか誤魔化されて、こちらの玉が詰んでしまう。それも思いもよらぬ鮮やかな手順で。そこで一念発起、村山隆治著の「詰将棋教室」という本を買って猛勉強。あっという間に詰将棋の虜になったのである。しかしながら、一般に詰将棋は将棋の終盤の技術を磨くためだけのものと見られ、それを生業にするものはもちろんいなかったし、「将棋世界」や「近代将棋(今は廃刊)」といった月間の将棋雑誌が詰将棋に割く頁数や掲載局数はごくわずかであった。しかし、当時のプロ棋士の中にも二上達也氏、内藤国雄氏、伊藤果氏など、将棋の終盤から離れた創作の世界に優れた方がおり、アマチュアの方でも北原義治氏、柏川悦夫氏、若島正氏など、数多くの詰将棋作家がいる世界にわずかに触れることができたのである。
そんなある日、父が「詰パラ」はまだあるのかなと一言。詳しく聞くと、以前(この話は一九六七年の夏だったと思う)「詰将棋パラダイス」という雑誌が売られていて、よく買ったことがあるとのことだが、その頃書店でそのような雑誌は売られてなく、恐らく廃刊になったのであろうと話していた。そんなある日「近代将棋」のコラムか何かに「詰将棋パラダイス」から引用された参考図が掲載されていて、それも発行年月を見るとつい最近の号であった。今ならネットで検索すればすぐにわかるのだが、当時は情報が紙媒体しかない時代、どこでどのように売られているのかも分からず、もどかしい日々がしばらく続いたのである。ところが、同じ「近代将棋」の終わりのほうを見ると、懸賞詰将棋が出題されていて、それも提供が「詰将棋パラダイス」になっているではないか。そこには送り先の編集部の住所も書かれていて、それにますます驚いた。なぜなら、住所が「名古屋市瑞穂区」になっていて、僕の住んでいた名古屋市昭和区から自転車で行ける程度の距離であったからだ。ならば、現金書留を送るなどというまどろっこしいことなどせずに、直接編集部を訪ねて購読を申し込めばよいと、目指す住所へ一目散(といっても筆者は自転車に乗れないので、バスを乗り継いで)。
さて、目指す住所にたどり着くも、それらしい建物はどこにもなり、ごくありふれた当時の木造の家やアパートの街並みであった。若干途方に暮れて、再度そのあたりにあるはずの通りを歩いていると、やや古い木造アパート(あとで借家の一軒家と分かるが)らしき二階に上がる入口に小さく「詰将棋パラダイス」の文字を発見!下から「すいません。詰将棋パラダイスはここですか」と声をかけると、上のほうから、一〇月で肌寒い中、ステテコに肌着姿のおじさんが「おい、上がっておいで」と下を覗き込む。もう五〇年近く前のことだが、上がってその四畳半程度の部屋にぎっしりと座机、資料や何やかんやと押し込められた部屋が詰将棋パラダイス編集部、そしてそのおじさんが編集主幹(といっても一人だけ)の鶴田諸兄氏(以下、鶴田主幹)であったのだ。
学生諸君は「諸兄」が読めるだろうか。日本史をやったことがあれば、橘諸兄(たちばなのもろえ)という人物名を見たことがあるかもしれないが、詳しいことは参考書に任せることにしよう。
人生において大きな道標になってくれた方は誰にでもいると思うが、僕の六一年を過ぎたこの人生において、そういう方は数知れないところ、小学二年生の時に受けた交通事故の後遺症から僕を救ってくれた脳神経内科で精神科の医師の竹原先生、中学一年の時の英語の境先生(後に中京大教授)、高校の英語の松永先生、そして、鶴田主幹は僕の四大恩人と言っても過言ではない。他の三人についても、とくに竹原先生については学生諸君に伝えたいことが山ほどあるが、今回は鶴田主幹について語ってみたい。
編集部というか作業部屋に上がると、鶴田主幹は先ず僕の来訪の理由を尋ね、僕が父親から聞いた話しや、「近代将棋」でここの存在を知ったいきさつ、それにさっそく一冊読みたくて、直接訪ねてきたことなどを話すと、「君のお父さん知っているぞ。昔懸賞(詰将棋の解答)に応募してきたことがあるぞ」と話し始め、「お~い」と奥に声をかけると、奥様が僕にはお茶を、主幹にはビールを出して、美味そうにビールを飲みながら、警察官時代に詰将棋の同人誌を発行したのがきっかけで、警察官を辞めて「詰将棋パラダイス」を創刊したが、書店販売が上手く行かず、その後直接購読に切り替えてその時に至っていることなどをあれこれ延々と、それにビールも一本では済まず(無類のお酒好きであった)、明るいうちに訪ねたはずが、帰る頃にはすっかり暗くなっていた。
そして、僕の手には「詰将棋パラダイス」(昭和四二年(一九六七年)一〇月号、通巻一四一号、当時一〇〇円)がしっかりと握り締められていた。
その後主幹の気さくな性格のおかげで、幾度となく編集部を訪ねては、いろんな話しを聞いたりし、編集や発送のお手伝いをしていたのだが、何故僕にとって恩人の一人なのか。それは中学生の僕を大人として扱ってくれたと実感したからであり、他の人と接するときの基本的な姿勢を教えてくれたからである。
中学二年生の僕にとって、接する大人は、両親、親戚の人たち、近所の人たち、学校の先生くらいであった。まだ社会に出ている訳ではないので、こちらから誰か大人に接することはなかなかないので、比較的対等に接してくれた父親以外からはまだまだ子供扱いを感じさせられ、今で言う「中二病」のような気分になっていたのである。具体的にどうだったのか、その一例だけを。
当時は、今と違い紙媒体しかなく、まだコピーという技術も殆ど普及していない頃であったので、今で言うデータの収集は至難を極めた。とくに古図式(江戸時代将軍に献上された詰将棋集)の分野では、収集本の初版が売り切れると、再販されることは殆どなく、江戸時代もさながら手書きで収集することも珍しくなかった。僕もいわゆる古図式の双璧である伊藤宗看の「将棋無双」と伊藤看寿の「将棋図巧」は是非とも手に入れたいが、すでに出版された本は絶版で、古本屋に出回ることも稀であったので、入手はほぼ不可能。そんな悩みを話していたとき、鶴田主幹は国会図書館にあるので、行ってコピー(当時はゼロックスと呼んで、国会図書館にはあった)してもらえば良いじゃないかと簡単に言うのである。中学二年の冬の話し。そして、僕はその春休みに東京に一人旅に行くことになるのである。夜行バスを使っての三泊四日(車中二泊)。前もって国会図書館に入館の許可を往復葉書で貰って、その二冊以外にもいくつかコピーを依頼して(後日送ってもらう)、支払いを済ませ、都内で行きたかった楽器店やレコード店などをまわり、お茶の水にある小さなホテル(ここだけは父親の紹介であったが)に着いたときには、すでに一人旅の不安もなく、ゆっくりとお風呂に入って、近くの洋食店で夕ご飯を済ませ、翌日の予定を考えながら東京で一人暮らすのなんて簡単かもしれないと思えるようになったのである。
子供だからダメだとか、子供にはできないというような態度は一切なく、いとも簡単に国会図書館に行ってみたらと言われたことは今でも忘れない。颯爽としていたが、明治四五年生まれとのことだったので、そのときすでに五三歳か五四歳であったわけで、一四歳の若僧は孫のようなものであったはずなのに。
それに、もう一つどうしても忘れられない場面があって、こちらも学生諸君にも伝えたかったので、この稿をしたためている。
ある日、鶴田主幹が新聞のチラシを見ながらぶつぶつ言っている。何やら「使えないなあ」というようなことらしい。どうしたのですかと尋ねると、「裏も印刷してあるのは困る」と。そうかと納得。鶴田主幹の机の上や脇に積まれたメモや原稿はほとんどチラシを綺麗に切ったものに書かれたのばかり。原稿用紙もあったが、もちろん裏にもぎっしりと書き込みが、どうやって印刷所に原稿を出すのか不思議なくらいで、もちろん盤面図も手書き、将棋の駒だけはゴム印があって、それを図面に押していた。お酒が好きで、快活であったが、無駄は許さない。直接講読で会員数もそんなに多くない専門誌を絶対に続けるという、詰将棋を愛する気持ちがひしひしと伝わってきて、また一つの事業を成就させるためには、絶対に物を粗末にしないという、当時経済成長著しい中で育ちつつあった僕の気持ちを引き締めてくれたのは間違いなく。東京で一人暮らしを始めたときも、後にバブルで皆が踊らされ、僕も四谷三丁目で夜中までカラオケでの大騒ぎや、原宿のクラブから朝帰りをしていたときも、例えば、鉛筆は最後まで使う、コピーの裏をメモに使うといった、まあ当たり前のことだけど、決して物を粗末にしない姿勢は崩さなかった。これは今でも同じである。
さて、とりとめもなく昔話をしてしまったが、熱しやすく冷めやすい性格のためか、他にいろいろな趣味が出来てしまい、詰将棋は高校一年の頃には遠い親友のような存在になってしまった。それでも毎月「詰将棋パラダイス」が届くのは楽しみであり、ちょっとした時間(電車の中とか、病院の待ち時間とか)には表紙の問題から始め、毎月数頁は解図しているのである。中学二年の終わりから高校一年までに詰将棋パラダイスに載せた自作の詰将棋は四二局。この稿を書いている目の前には、今年の一月号(通巻七〇六号)があり、今でも最新号をカバンの中に入れている。
鶴田主幹は昭和六二年(一九八七年)にお亡くなりになったが、幸いにも後継者を得て、この同人誌は綿々と続いており、今でも僕のひとときの息抜きになっているのは本当に幸せなことである。そして、若い才能のある詰将棋作家も多く輩出し、驚くべき作品を残し続けているのをずっと見守ることができたのも、幸せなことである。その礎となった鶴田主幹の思い出を残したく、ここに記すことにした。
最後に通巻三〇〇号を記念して発刊された「古今詰将棋。三百人一局集」(昭和五六年二月発行)に掲載された拙作を載せて、思い出にプラスαを添えておきたい。発行された時はすでに大学院生であり、作図からはかなり遠ざかっていたが、往時の多作が多少なりとも評価されて、一局掲載してもよいとのお許しをいただき、昭和四四年七月号に発表した作品を収載していただいた。今、書庫から探し出してその本を見ると、有名な詰将棋作家の中で浮いている自分を発見して、思わず恥ずかしくなるが、厚かましくもここに再掲して、この稿を終わることにする。(易しい作品なので解答は省略する)
- 美術・イタリア・歴史
浦上雅司 (西洋美術史) -
E・H・ゴンブリッチ『美術の物語』(ファイドン社)
辻 惟雄『日本美術の歴史』(東京大学出版会)
J・ホール『西洋美術解読事典』(河出書房新社)
ファビオ・ランベッリ『イタリア的-南の魅力』(講談社新書メチエ)
F・グラッセッリ『イタリア人と日本人、どっちがバカか』(文春新書)
池上俊一『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)
E・H・ゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)(中公文庫)
皆さん、ご入学おめでとうございます。 私の専門は、西洋美術史ですから、学生の皆さんに、できるだけ直接、美術作品に触れてもらいたいと、いつも思っています。美術作品を扱ったテレビ番組(『新日曜美術館』や『美の巨人たち』など)を見たり、スライドで作品を見ながら講義を受けたりするのもよいことですが、美術館や博物館で作品そのものに触れるのがとても大事だと確信しているのです。
スライドやテレビ画面による美術鑑賞には、居心地の良い室内にいて、寛いだ気分で、細部をジックリ眺めることができるというメリットはありますが、やはり本物の持つ「迫力」(これを哲学者のヴァルター・ベンヤミンは「アウラ」〔日本語では「オーラ」と言われる〕 と呼んでいます)は伝わってきません。皆さんにも分かりやすい例をあげれば、車やバイクの本物と、カタログ写真の違いと言えばよいでしょうか。カタログやテレビの自動車番組を見ても面白いでしょうが、本物に触れて、できれば運転してみなくては本当の特徴はわからないでしょう。美術の授業やテレビ番組も興味深いでしょうが、やはり作品の実物と対峙していろいろ考えるのとでは、受け取るインパクトが違います。
そんなわけで、皆さんにはできるだけ、美術館などで実物、しかも可能であれば多くの人たちが優れた作品と認めている美術作品に触れてもらいたいと思うのですが、共通教育科目の「芸術」を受講する学生諸君に尋ねても、美術館に行ったことがない、と答える人が多いのは、とても残念なことです。
幸い、福岡には多くの美術館があります。福岡市美術館、福岡市博物館、福岡県立美術館、そして福岡アジア美術館など身近にあって、常設展なら数百円で入場できますし、ちょっと足を伸ばせば、久留米の石橋美術館や、太宰府の九州国立博物館があります(ちなみに、福岡大学は九州国立博物館のキャンパス・メンバーズとなっており、皆さんは、学生証を提示すれば、この博物館の常設展はタダで観覧できます。特別展も割引になりますから、ぜひ、利用して下さい)。
大学時代にできるだけ多くの美術館・博物館を訪れ、美術について知見を深めてもらいたいと思うわけですが、先ほどの例に戻って、車の性能を知るには、あらかじめカタログを読んでいろいろ比較してから試乗に出かけるに越したことはありません。同様に、美術館や展覧会に行くにしても事前にある程度の知識を持っていれば、よりよく楽しめます。
ピカソ展とかゴッホ展のように、個別の作家を扱った展覧会であれば、大学図書館にある『小学館世界美術全集』の該当巻などで予習するのが良いでしょう。しかしながら、美術の全体的な流れを大きく把握しておくのも、美術館訪問をより有意義にする役に立つと思います。ゴンブリッチ著『美術の物語』は西洋美術の全史として定評のある著作で、読み物としても優れており、「美術とは何か」考えるきっかけを与えてくれます(最近出たバイブルサイズの普及版は二千円ちょっとで買えます)。日本美術史であれば辻惟雄さんの『日本美術の歴史』が、最近の定番です。
日本の美術館に行くと仏像や絵巻物、浮世絵などがたくさんあります。これらは仏教や日本の神話、歴史に取材した作品です。仏像をよりよく味わおうとすれば、釈迦如来と薬師如来はどう違うか、などある程度の知識はどうしても必要です。こうした知識は、もちろん、作品を一生懸命見ても自然に獲得されるものではなく、自分で調べて見なくてはなりません。西洋美術についても同様で、キリスト教やギリシア・ローマ神話、各国の歴史をテーマにした作品をよりよく味わうには、その内容について多少は知っておく必要がありますが、その手助けをしてくれるのがホールの事典です。「天使」とか「聖母マリア」「クレオパトラ」など、誰もが聞いたことのある事項について、基本的な知識だけでなく、主要な作品も紹介してあって拾い読みしても面白い本です。
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ところで、わたしはイタリア美術を専門に勉強しているので、イタリアという国の社会や文化一般についてもできるだけ幅広い知識を持ちたいものだと思っています。しばらく前まで日本でイタリアと言えば「美術」や「食事」「音楽(オペラ)」あるいは「犯罪組織(マフィア)」などが想起されるだけの国でした(日本=「フジヤマ、芸者、キモノ、ヤクザ」式の発想では、イタリア=「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」などと言われたりしました)。
しかし、情報化社会が進み、ヨーロッパも身近になった(今ではローマの観光地に行くと、日本の高校生の修学旅行生を見かけるようになりました。大学の卒業旅行でフランスやイタリア、イギリスに行くのはごく普通の事です)こともあり、イタリアについても、より実態に即した社会の状況や文化の様々な様子が知られるようになってきました(NHKにはイタリア語講座もあります)。そんなわけで、この冊子でも時々、イタリア関係の書籍や映画も紹介しています。今回ご紹介するランベッリの『イタリア的』は宗教から政治、現代文化の諸相におよぶイタリアの多様性を概説した著作です。これを理論編とすれば、グラッセッリの『イタリア人と日本人、どちらがバカか』はイタリアで具体的にありそうな実例を紹介しながら現代イタリア社会の複雑さを教えてくれるイタリア文化論の実践編と言えるでしょう。どちらも日本のことをよく知るイタリア人の著作です。三冊目、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』は中世史、ルネサンス史の専門家がイタリア各地のパスタ(スパゲッティだけではありません!)を紹介しながら、それに関連づけてイタリアの歴史を教えてくれます。この本を読んだ皆さんには、スパゲッティだけでなく、ペンネやトルテッリーニ、さらにはニョッキやポレンタも味わってもらいたいですね。
***** 最後にあげたゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)は、ウィーンでユダヤ系の家庭に生まれたこの美術史学者が二五歳の時(一九三五年)に書いた本が五〇年後に改訂され、新しい後書きを付け加えて出版されたものです。
この間、ゴンブリッチの故国オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ゴンブリッチ自身は英国に移住、戦時中はドイツ語放送モニターとして対独戦に協力し、戦後はロンドン大学のウォーバーグ研究所で長く美術史の研究に携わりました(二〇〇一年没)。
この「概説書」は訳文もこなれ通読しても面白いのですが、本当の価値は、訳者の中山典夫さんも言うように、「五〇年後の後書き」にあります。第二次大戦から戦後の冷戦、そしてソヴィエト連邦の崩壊と、半世紀の間に世界の歴史は大きく変わりました。その歴史を肌身に体験し、生きてきた歴史家の証言は貴重です。最初に出た邦訳は非常に高価で残念でしたが、文庫本で簡単に手に入るようになりました。これは大変にありがたいことです。
皆さんは大学に入ったばかりで五〇年後の自分など想像も出来ないかも知れません。でもあなた方にもやがて訪れる未来ですし、「温故知新」は人文学の基本です。皆さんも大学にいる間に、ゼヒ、過去の人々の証言から多くを学んでください。
- 新・東京街めぐりガイド(道に迷うための道案内)
遠藤文彦 (フランス文学) -
『新・都市論TOKYO』(隈健吾・清野由美著、集英社新書、二〇〇八年)
『新・ムラ論TOKYO』(隈健吾・清野由美著、集英社新書、二〇一一年)
東京観光ガイドのたぐいは山ほどあるが、体裁は違っても、中身は似たり寄ったりだ。類書と異なり、本書の目的は、東京に不案内な読者に、ためになる知識を伝授したり、役に立つ情報を提供したりすることではない。二人の著者=対話者は、東京通を自認するコメンテーターよろしく、まるで自分の縄張りであるかのように東京のここかしこの街についてウンチクを傾けるようなまねはしない。彼らが目論むのは、反対に、誰もが見て知っているはずの町東京を見知らぬ町とすること、テレビや雑誌でおなじみの東京の街を疑問に付し、「?」とすることだ。汐留、丸の内、六本木、代官山、町田とは何か? 下北沢、高円寺、秋葉原とは何か? 本書は、そうした問いに巡り会い、その答えを探し求めてさ迷い歩くこと、いわば、思索としての散策への誘いである。それゆえ、東京という問いへの答えをさんざん探し回った挙句、行き着いた先が東京ならざる小布施であり、北京であるというのも、単なる気取りや逆説ではない。彷徨の果てに、未知の都市トーキョーを発見し、知られざるムラTOKYOを出現させることこそ、二人の散策者=思索者の究極の目的なのだから。思うに、こんな、道に迷うためにするような街歩きには、知性と教養もさることながら、文明の極みであるはずの都市を、何が出てくるかわからない不気味な原始林のごとくに受け止める、感性というか、ワイルドな心性が求められる。地元住民には見慣れた街でも、そこに初めてお使いに出された子供や、言葉も習慣も知らずに迷い込んだ外国人なら抱くだろう、不安と好奇心の入り混じる初心な感覚、怯えと勇気の間で揺れ動く野生のメンタリティーが必要なのだ。
東京が面白そうな町だというのは分かっても(そんなこと言われなくたって分かるだろうが)、わざわざ東京に行くにはお金も時間もかかる。ならば、地方大都市であるわれらが福岡に目を向けてみよう。ご存知の通り、建築物に限っても、「日本一元気な町」福岡には内外の有名建築家の作品が数多くある。とりあえずどのビルが誰の設計なのか知っておくだけでも、なんにも知らないで漫然と街を歩くのとは大違いだ。極々近いところでは、あの槇文彦が設計した福大六〇周年記念館(ヘリオスプラザ)がある。毎日目にしているはずだが、ぜひ一度、矯めつ眇めつ眺めてもらいたい。それにしても、この秀逸な気品ある建物が場末感漂う一角に佇んでいるのはちょっともったいない。視界が開けてぐっと広くなった今のキャンパスのどこに持っていったら映える、というか生きるだろうか、想像してみたら面白い。動かせないなら、せめて視線を誘い、足を向けさせる、どのような導線を引くべきか、考えてみるのもいい。
さて、「街並みに対する感受性は、教養の中でも一番上位にくるものです」と述べるのは、著者の一人隈健吾である。彼の名は、ティファニー銀座本店、浅草文化観光センターなど話題の建造物で日本はおろか世界に知れ渡り、銀座の五代目歌舞伎座(とその背後の高層オフィスビル)に至って今や一個のブランドと化しているが、その隈の建築物も意外とわれわれの身近にある。福大から目と鼻の先、七隈線次郎丸駅で降りて徒歩十数分、室見川沿いの土手に立ち、ひときわ目立つモダンな建物、もつ鍋の「万十屋」がそれだ。太宰府天満宮参道の中ほどに、目立たないように建てられたのだろうが、どうしても振り返って見てしまう、ご存知「スターバックスコーヒー」太宰府天満宮表参道店もそうだ。先頃、冷泉町にオープンした料理屋「竹彩」は、内装デザインを隈が手がけている(ここに来て彼のブランド化も極まった感がある…)。少し足を伸ばせば、戸畑区役所、長崎県美術館、九州新幹線筑後船小屋駅近くの「九州芸文館」などもある。
というわけで新入生の皆さんには、ここに挙げた二冊の小著を手引きに、四年間、福岡の町をさすらって、天神や博多ばかりじゃなく、雑餉隈から野方まで、香椎浜から姪浜まで、ついでに能古島から志賀島まで、縦横に、東西南北、いろんな街、いろんな地区を歩いて歩き尽くしてもらいたい。そうやって、福岡についての通り一遍の知識や情報を手に入れるだけでなく、その上さらに、未知の都市フクオカにめぐり逢い、知られざるムラFUKUOKAを探り当ててもらいたい。
- おすすめの本
大嶋仁 (比較文学) - 新入生の皆さん、人文学部にようこそ。新入生の皆さんに、おすすめしたい本と言えば、まず皆さんが一冊の本に何を求めるかによります。読み終えて生きる元気が湧いてきた、と感じられるものとしては、何より福沢諭吉の『福翁自伝』でしょう。落ち込んでいる人、孤独を悩んでいる人には、フランツ・カフカの『短編集』か『変身』をおすすめします。暗い内容のようでいて、なぜか根源から力が湧くでしょう。また、人に対して優しい気持になりたい、細かい文章の味をかみしめたいと思ったら、井伏鱒二の短編ですね。『山椒魚』などのタイトルの付いた一冊を選べばよいのです。
こんなところでしょうか。ここに挙げたどの本も文庫本で手に入ります。
- 英語教師を志す皆さんへ
大津敦史 (英語教育学) -
大津由紀雄 編著『危機に立つ日本の英語教育』(慶應義塾大学出版会 二〇〇九年)
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!これから四年後、社会人としての人生をほぼ決定すると思われる大切なこの四年間、どうか無駄にせず、完全燃焼させてください。もちろん燃え尽きてしまってはいけませんので、自律と自己管理にもしっかり心がけて下さい。
さて、皆さんの中には、卒業後、英語教師になりたいと思っていらっしゃる方も少なくないでしょう。毎年、英語学科のみならずドイツ語学科やフランス語学科からも教職希望者がたくさんいますので、今回はそのような方たちのために、右記の本を選んでみました。
まず、編著者である大津由紀雄氏ですが、慶應義塾大学言語文化研究所の教授で、専門は言語の認知科学です。「認知科学って何?」と思われる方は、ぜひインターネットを利用して調べてみてください。最近では、大津氏は日本の英語教育、特に小学校での英語教育の是非について様々な提言をされています。私と同じ姓ですが、残念ながら親類関係ではございません。
この本の著者には、大津氏以外に、日本を代表する12名の研究者が名前を連ねています。元々この本は、二〇〇八年九月一五日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された公開シンポジウム「「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を超えて」および同年十二月二一日に同大学日吉キャンパスで開催された言語・英語教育講演会「言語リテラシー教育のポリティクス」がもとになっています。二〇〇八年は、二〇〇二年と二〇〇三年にそれぞれ文部科学省によって策定された「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」の目標達成年度に当たります。この「構想」や「行動計画」がこれまで学校英語教育に与えてきた影響は測り知れません。しかしながら、「英語が使える人材」を希求する経済界(財界)主導のこのような語学行政は、教育現場に無理難題を押し付けた結果、その教育現場は疲労困憊(ひろうこんぱい)し、英語教育の質の低下を引き起こしています。
このような時期に、今一度日本の英語教育、学校英語教育の現状と課題とその解決策を整理・模索してみることは非常に有効だと思います。そのような反省を通して、これから英語教師を目指す皆さんの時代(次代)には、もっと豊かで心地よい教育環境が整備されることを祈って止みません。
- 先人を知ろう
甲斐勝二 (中国学) - 勝海舟《海舟語録》 江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫
勝海舟、世界でも希有な江戸という大都市を無血に明け渡した立役者。西郷隆盛を友とし、坂本龍馬を門下に置く。篤姫とも仲が良く、姉と偽って江戸を歩き回った事もある。江戸開城の折には混乱を防ぐため、渡世人の世界にまで自ら赴き頼み回る気配りを語る。良く世界を見ている。明治31年まで生きて、伊藤博文の政策への批判も多くある。
岩波文庫に《海舟座談》があるが、講談社学術文庫の方が注もちゃんとしていて、勝の発言録としては信用できそうだ。
この本をおもしろいと思うのは、勝の人情の機微に渡る観察や、人物批評の痛快さ鋭さ、また社会や人への気配りから、曾(かつて)あった日本の政治家の姿やその手法を知ることができると共に(善し悪し置くとしてこれはつい最近の政治家まで続いている)、「機」を見るといった個人ではどうにもならない社会の動きへの視点もまた示されているところだ。
内容は読んでいただくとして、中国学を専攻する紹介者にとって、「ふむふむ」と思う文を二つ紹介する。まずは日清戦争後の李鴻章の態度についての発言。
李鴻章の今度の処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか少しもその結果がわからないのには、大いに驚いていますよ。大馬鹿でなければ、大変、上手なのでせう。これまでの長い経験では、大抵、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです(十五頁)次に「支那(ママ)人」についての発言。
ナニ、支那が外国人に取られるというのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも御覧なナ、実権は、みな支那人が持っているジャアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも、南京米でも、みな支那人から貰っているジャアないか。それで支那人は野蛮だと言うやつがあるカエ。ナニが、文明ダエ(一五八頁)勝は西洋列強の植民地化に対してアジアの諸国が連合し、日本は海軍で海を守る役割も考えたこともあるようだ。征韓論も馬鹿な話だと片付ける。勝の考えた方向で日本が動けば、あるいは今とは違っていたかも知れない。どうしてあんな方向に進んでしまったのだろう。
- 江戸時代を見なおそう
梶原良則 (日本史) -
新入生の皆さんは、江戸時代についてどのようなイメージを持っておられるでしょうか。近年の歴史学研究は、江戸時代の通説的イメージに修正を迫りつつあります。ここでは、新入生にも読みやすい代表的な本を紹介しましょう。
① 磯田道史『武士の家計簿』 (新潮新書、二〇〇三年)は、江戸時代の中下級武士の生活を家計簿から復元し、従来の武士のイメージを一新させました。
② 高木侃『三くだり半―江戸の離婚と女性たち』(平凡社ライブラリー、一九九九年)・『三くだり半と縁切寺―江戸の離婚を読みなおす』(講談社現代新書、一九九二年) は、夫が妻を一方的に離縁できるという夫優位の夫婦関係の通念をくつがえしました。
③ 宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書、二〇〇六年) は、一五四三年種子島に漂着したポルトガル人によって鉄砲が伝えられたという通説に疑問を呈しています。
このほかにも、知的好奇心を刺激してくれる多くの本が皆さんを待っています。図書館を有効に活用しましょう。
- 「よい子」ってどんな子?
勝山吉章 (教育史) - 灰谷健次郎著 『兎の目』 (理論社)
「よい子」ってどんな子? 親や教師の言うことを素直に何でも聞く子どもは、確かによい子に違いない。では、親や教師の言うことを聞かない、親や教師の権威を認めない子どもは「悪い子」なのだろうか。いつも親や教師のご機嫌を伺い、「よい子」であり続けることに疲れた子どもは、もうよい子ではなくなるのだろうか。
『兎の目』の主人公「鉄三」は、そのような問いを投げかける。
偏差値教育、管理主義的教育に慣らされてきた者にとって、「鉄三」は落ちこぼれに映るだろう。しかし、人間本性に照らし合わせて考えた時、管理化された現代社会に馴染んでいる私たちこそが、大切な人間性を失っているとは言えないだろうか。
本書を既に読んだ学生も多いと思うが、大学時代に再度読んでもらいたい書物である。
- 中国の歴史(全十二巻)
紙屋正和 (東洋史) - 講談社版『中国の歴史』(全十二巻)(講談社)
一九七〇年代に、『中国の歴史』(全十巻)、『図説中国の歴史』(全十二巻)、『新書東洋史』(全十一巻、うち中国史は五巻)と、中国史の概説書のシリーズをあいついで刊行した講談社が、『新書東洋史』以外は入手困難になった二〇〇四年から二〇〇五年にかけて、ほぼ三十年ぶりに刊行した中国史の概説書がこのシリーズである。この間に中国史・中国自体、あるいはそれらをとりまく環境は大きくかわった。
古い時代については、考古学の大きな発見があいついでいる。稲作の起源は、遺跡が発掘されるたびに千年単位で古くさかのぼり、今や一万二千年前の栽培稲が発見されたというニュースが流れているほどである。また以前は、中国の古代文明といえば黄河文明と相場がきまっていたが、現在は長江流域において黄河文明に勝るとも劣らない高度な長江文明があったことが明らかになっている。戦国・秦・漢・魏晋南北朝時代については、当時の法令・行政文書や思想・文学などの著作を書きしるした簡牘(かんとく)(竹のふだと木のふだ)類や人の目をうばう遺跡が多く発見され、これまで文献史料で知ることのできなかった事実が明らかにされつつある。新しい時代については、放っておいても新事実が積みかさなってくるのであるが、以前に未発表であった公文書が公表され、さらに中国・中国経済自体が大きくかわりつつある。政治は社会主義のままであるが、経済はもう完全な資本主義に、少し大げさにいえば日本よりも極端な資本主義になり、すでに世界第二の経済大国として世界経済を引っぱっている。経済成長がすすみつつあるさなかに、この『中国の歴史』(全十二巻)が企画されたのである。ただし、このように大きくかわりつつある「古い時代」と「新しい時代」とに挟まれた中間の時代の場合、大発見があったわけでもなく、新しい文献が見つかったわけでもないため、執筆者はこまったらしいが、旧来通りの中央からの視線でえがくのではなく、地方の現場から世界を見なおすといった機軸によって新鮮味をだそうとしたという。
全体的にかなり高度な内容になっているが、全部を紹介するわけにいかないので、私の専門に近い古代史関係についてのみ内容を簡単に紹介し、のこりは執筆者と書名だけを列記するにとどめる。
宮本一夫著『神話から歴史へ―神話時代・夏王朝』(01)は、中国の地に人類が居住しはじめてから、殷周社会が成立する前まで、いわば中国の先史時代をとりあつかう。現在の中国の経済発展は巨大な開発をともない、発掘もさかんに行なわれている。その結果、先史時代の文明は黄河流域だけではなく、現在は中国の各地で発見されている。宮本氏はこうした発掘成果をもとに、物質文化における地域間比較だけでなく、社会構造上の地域間比較をも試みることによって、先史時代における段階的な社会構造の変化に注目し、殷周社会にいたる道のりを多元的に説明する。これまで「中国の歴史」というとき、先史時代についても文献史学の研究者が執筆することが多かったが、これは考古学の専門家の手になる概説書である。
平勢(ひらせ)隆郎著『都市国家から中華へ―殷周・春秋戦国』(02)は、新石器時代から戦国時代までを対象とする。本巻は、著者自身がみとめるように「一般に提供されている中国史とは、若干異なった視点」で書かれている。すなわち中国史を、蘇秉琦著・張名声訳『新探 中国文明の起源』(言叢社)が提唱した「新石器時代以来の文化地域」を基礎において分析し、まぼろしの夏王朝、殷王朝・周王朝、そして戦国時代の領域国家のいずれもが新石器時代以来の文化地域を母体として成立したという。こうした歴史を背負う戦国時代の諸国家は、自国の立場から、先行する夏・殷・周の王朝を論じ、そのうちの一部が史書として現在にのこされている。しかしそれらの史書は、それができあがった時代に規制され、ときには無かった内容を付けくわえている。そこで、本巻は、何が後世に付加された虚構の産物なのか、またどの記述が事実を伝えているのかを検討する形で書かれている。安易な気持ちで、急いで読もうとすると、絶対に理解できない。
鶴間和幸著『ファーストエンペラーの遺産―秦漢帝国』(03)は、秦・始皇帝による天下統一から前漢・新をへて後漢が滅亡するまでの四百四十年間をとりあつかう。この時代は、簡牘類や多くの目を見はる遺跡・遺物の発見があいつぎ、歴史像が大きくかわりつつある時代である。鶴間氏は秦の歴史、始皇帝像の再評価を試み、また秦・漢時代を地域の視点から見なおそうと試みてきた研究者である。そうした自分自身の研究を反映させ、あわせて新発見の出土資料を既存の文献史料とつきあわせて本巻を書いている。とくに新出土資料についてはよく調べて多くの情報を提供しており、専門家としても参考にすべきところが多かった。
金文京著『三国志の世界―後漢・三国時代』(04)は、後漢後半期に外戚・宦官が政治を乱しはじめた時期から西晋の統一によって三国時代がおわる時までの約百三十年をとりあつかう。この書名にある「三国志」とは、『魏志』倭人伝などをふくむ歴史書の『三国志』ではなく、小説の『三国志演義』であり、執筆者は歴史家ではなく、中国文学者である。本巻は、ゲーム・アニメ・漫画によってつくられた『三国志』ブームを意識したもので、よくいえばこのシリーズに新鮮味をだすための、悪くいえば読者に迎合するための企画といえよう。内容は、この時代の歴史の動きを淡々とおいかけ、ところどころで『三国志演義』がどのように脚色されているかを明らかにしている。本巻は歴史の概説書として読みごたえがあるが、『三国志演義』ファンにも歓迎されるであろう。
川本芳昭著『中華の崩壊と拡大―魏晋南北朝』(05)は、西晋が中国を再統一したものの、また分裂してから隋が久々に中国を統一するまでの約三百年をとりあつかっている。基本的には分裂の時代といえるこの時期の歴史を、胡漢、すなわち遊牧民族と漢民族の対立と融合をキーワードにして、隋・唐時代に新しい漢民族・中国文化が登場すること、また中原(黄河中流域)の混乱などによって、未開発地がまだ多くのこされていた長江流域に厖大な人口が移動・移住し、その地の開発が急速に進展することを明らかにし、あわせて中国の周辺において朝鮮半島の三国や倭のような国家がうまれてくることにも目をくばっている。
氣賀澤保規著『絢爛たる世界帝国―隋唐時代』(06)
小島 毅著『中国思想と宗教の本流―宋朝』(07)
杉山正明著『疾駆する草原の征服者―遼・西夏・金・元』(08)
上田 信著『海と帝国―明清時代』(09)
菊池秀明著『ラストエンペラーと近代中国―清末・中華民国』(10)
天児 慧著『巨龍の胎動―毛沢東vs 鄧小平』(11)
尾形勇など著『日本にとって中国とは何か』(12)は、太古から現代までの中国の歴史をふりかえったあとで、日中関係がギクシャクしている現在、日本にとって中国とは何か、逆に、中国にとって日本とは何かについて、このシリーズの編集委員四人と中国人二人が総論的に論じたものである。日本と中国は同じ漢字文化圏、儒教文化圏であるから何もいわなくても分かりあえると認識することが、大きな誤解であることを知らなければならない今この時、一読すべき本であろう。以下、執筆者と論題だけを紹介する。
尾形 勇「大自然に立ち向かって―環境・開発・人口の中国史」
鶴間和幸「中国文明論―その多様性と多元性」
上田 信「中国人の歴史意識」
葛 剣雄「世界史の中の中国―中国と世界」
王 勇「中国史の中の日本」
礪波 護「日本にとって中国とは何か」
概説書は新しければ新しい顔をして我々の前にあらわれてくる。新しければよいというものではないが、少なくとも情報は新しいものがふくまれている。読書には、自分の知らないことをまなぶという「学ぶ姿勢」と同時に、何かおかしい、納得できないことを書いていないかをさぐるという「批判の姿勢」も必要である。
- 学問の領域に捉われない読書の勧め
鴨川武文 (地理学) - 木内信蔵(一九六八)『地域概論―その理論と応用』(東京大学出版会)
日高敏隆(一九九八)『チョウはなぜ飛ぶか』高校生に贈る生物学3(岩波書店)
武野要子(二〇〇〇)『博多―町人が育てた国際都市』(岩波新書)
木内信蔵の『地域概論』は39年前に刊行されました。39年前の本というと、「なんて古い本なんだろう」と思うかもしれませんが、地理学や地理学が研究対象とする地域について体系的に論じられています。私は共通教育科目の地理学を担当していますが、この本は、地理学の講義を学生の皆さんに行うにあたっての、私にとっての参考書ともいうべき座右の書です。
日高敏隆の『チョウはなぜ飛ぶか』は生物学の本ですが、この本は次の2点において興味深い本です。
第1点は、「チョウはなぜ飛ぶか」というタイトルですが、内容は、一言でいうと、チョウは自分自身が飛ぶ道筋をしっかりと認識して飛んでいるということです。つまり勝手気ままに飛んでいるのではないのです。全く土地鑑のない場所に出かけた時に頼りになるのは地図です。地図を見てわれわれ人間は行きたいところに行くことができます。チョウは地図を持ってはいませんが、自分が行きたいと思うところへ行くことができ、またそのような本能を持っているのです。
第2点は、研究というものはどのように行われているのか? 研究者は試行錯誤・紆余曲折を繰り返しながら研究成果を出している、研究者とはどのようなタイプの人たちなのか、科学的なものの考え方とは何か、などについていきいきと書かれているという点です。学生の皆さんが志している学問の枠に捉われることなく、多くの本を手にして教養を高め、知識を習得してほしいと思います。
武野要子福岡大学名誉教授の『博多』には、博多の町の成り立ちや、政治的に、また経済的に博多に関わりのあった武士や豪商のエピソード、今に伝わる博多の伝統や住民の生活史など興味深い話題が数多くあります。また、聖福寺や承天寺、櫛田神社、鴻臚館、防塁など博多にゆかりのあるものの記述もあり、この本を携えて福博の町を散策してみたらいかがでしょう。
- オペラ座
桑原隆行 (フランス文学) -
最近よくクラシック音楽を聴いている。たぶん、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読んだせいだ。小説家村上春樹と指揮者小澤征爾がレコードを聴きながら交わした対話を収めたこの本は、内容が面白いのはもちろんだけれど、それだけでなく、その場のリラックスした雰囲気、ゆったりした時間が感じられるのがとてもいい。時に小説、音楽についてのそれぞれの立場からの技術論がなにげなく披露されたり、プロ意識や仕事ぶりについて話が展開していくのも興味深い。
『暮れ逢い』を観たせいもある(シニア割引を利用した、かなりお得でした)。パトリス・ルコントのこの映画の中では、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第八番「悲愴」が流れる。それが、とても美しい。美しい曲は、美女に見とれるように何度も近くで聴きたくなる。この文章はルドルフ・ゼルキンとエミール・ギレリス、それぞれの演奏を聴きながら書いた。主演女優レベッカ・ホールは、ウディ・アレン『それでも恋するバルセロナ』にも出ている。同じ曲を聴き比べるように、同じ女優をいくつかの映画で見比べるのも愉しい。
クラシック音楽と言ったが、好きなのはピアノ・ソナタやピアノ協奏曲などピアノ曲が多い。作曲家で言うとベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームス、シューマン、シベリウス、ドビュッシー、フォーレ、サン=サーンス、ショパン、モーツアルト等々。交響曲にも挑戦中。ブルックナー、マーラー。マーラーの交響曲を聴くのはまさに挑戦という言葉がぴったりだ。すぐに理解できなくても構わない。何度も聴けばいい。その度に新たな発見がある。そして新たに魅了される。長く付き合える。(亡くなった宮尾登美子の『天涯の花』を読んだ。四〇〇頁以上の小説だ。彼女の小説は他に『序の舞』『櫂』『春燈』『仁淀川』『朱夏』などを買って持っていたが読まずにいた。これからだ、長く付き合うのは。)
ピアノと言えば岩井俊二の映画『四月物語』のバックには素敵な旋律が流れていて、観る者に落ち着いた、やさしい印象、品の良さのようなものを伝えてくる。大学入学で上京してきた女子大生を松たか子が演じている。その日常が淡々と描かれている。カメラが彼女に静かに寄り添い、付かず離れず見守っている感じが好ましい。本屋の場面、自転車を走らせる場面、雨と傘のシーン等々が好きだ。
以下は茨木のり子の詩「行方不明の時間」の一部だ。「人間には/行方不明の時間が必要です/なぜかはわからないけれど/そんなふうに囁くものがあるのです」「三十分であれ一時間であれ/ポワンと一人/なにものからも離れて/うたたねにしろ/瞑想にしろ/不埒なことをいたすにしろ」「遠野物語の寒戸の婆のような/長い不明は困るけれど/ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です」「所在 所業 時間帯/日々アリバイを作るいわれもないのに/着信音が鳴れば/ただちに携帯を取る/道を歩いているときも/バスや電車の中でさえ/〈すぐに戻れ〉や〈今 どこ?〉に/答えるために」 今や世の中は、行方不明になる気概もなく、それどころか携帯という暴君の見えない鎖に自らをつないで進んで奴隷になりたがる人ばかり。そんなのは御免被る。せめて時々(常時と断言できないのが情けないです、とほほ)、そして精神だけは爽やかに不埒で、清々しく無頼に自由でありたい。
さて、最後は次のような想像で締めくくろう(シニア割引を使える年齢の私にはいくばくかの過去の記憶と少ない未来がある、そして過熱する一方の妄想だけはふんだんにある)。パリ、オペラ座で女性と並んで、バレエ『くるみ割り人形』を観ている。チャイコフスキーの音楽、中でも「花のワルツ」に二人酔いしれる。そのあとはカフェの二階。向かいの席のカップルの熱い抱擁に刺激された私たちはそれと同じこと、さらにはそれ以上のことをしたい欲望に駆られて急いでタクシーを拾い、彼女のアパルトマンに向かった。我慢できない二人は早くも車中で、運転手に悟られないように序幕を開始する。
- 視野を広げて考えてみよう
高妻紳二郎 (教育行政学) -
最初から引いてしまう質問です。皆さんはなぜ大学に入学するのでしょうか?大学の目的とはいったいどのようなものでしょうか?少し難解ですが、教育基本法、学校教育法という法律にはこう書かれています。
「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(教育基本法第七条)
「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第八三条)
つまり、大学に入った皆さんは、高い教養と深い専門的能力を身につけて、知的にも道徳的にも成長が期待されている、ということです。皆さんにはこれからどんな経験もできるという特権があります。そしてそれぞれの経験が皆さんを成長させてくれるでしょうが、グーッと引いて自己を客観視できる人、言い換えれば視野を広く持てる人になって欲しいと思います。ここに紹介するのは著者の二〇代の体験記ですが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)は今なお色褪せない内容で一気に読むことができる本(エッセイ)です。この本が出版される前、私は藤原氏の講演を聞く機会がありました。私が通っていた中学校での講演会です。内容は覚えていませんが「べらべらよくしゃべる人」という印象を覚えています。後でこの本を読み、「ああ、そういう話だったのか。」と合点がいきました。海外に行った時の興奮や不安感は誰でも感じるものですが、表面上の体験ではない自己変容のプロセスに臨場感があり、自身に置き換えて今読み返しても共感できる記述に多くぶつかるので、海外へ行ってみようと思っている皆さんには手にとって欲しい本のひとつです。エッセイですので読み飛ばすにはもってこいです。
また、岩波新書のなかでも多く読まれている本のひとつ、池田潔『自由と規律』(岩波新書)をここで改めて推薦しようと思います。一九四九年が初版ですから還暦を迎えた本となりますね。イギリスのパブリック・スクールに学んだ著者の体験をもとに書かれた、これも今なお色褪せない内容です。今の日本の教育は「ゆとり教育」とか「確かな学力」、「生きる力」といったスローガンが先行して内実が伴わないことが目立ち、理念と現実が寄り添っていない状況にあります。「もっとも規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はイギリスの伝統です。いま、大学に入って多くの「自由」を手に入れた皆さんであるからこそ、じっくりと、いや、ちらっとでも「自由」の本質を考えてもらいたいと思います。
- ふたりの老女
小林信行 (哲学) -
ヴェルマ・ウォーリス『ふたりの老女』亀井よし子訳、草思社文庫
百年ほど前、極寒の中、食糧を求めて移動中のアラスカ先住民部族から老女二人が遺棄された。幼いこどもたちも抱える部族にとって、冬の食糧難を乗りきるための苛酷な選択は過去にも繰り返されてきており、今度も避けられないものだった。この本は、捨てられた二人の老女の起死回生の物語が若年者向きに仕立てられ、一時間ほどで読み終えることができる。大人向きではないために、記述描写が簡潔すぎるきらいもあるが、物語のもつ多義性は損なわれておらず、それなりに楽しめる。
棄老伝説の世界的な分布については専門家に譲りたいが、多分いつの時代にもどこの世界にもある話だろうし、現代日本でも、ホームに預けられたまま家族の面会すらない老人たちの数はけっして少なくない。しかし、多くの場合はその悲惨な面が注目されがちだが、新しいもののために古いものが道を譲ることは、人間が未来を切り開いてゆくときには否応のない面もある。それほど未来は人間にとっての重大な関心事であり、現状肯定に傾きがちな年長者ばかりが社会の中枢を占めていると、そこに生きる若者たちはどうしようもない閉塞感にとらわれるだろう。
年老いた人間が第一線を離れることは仕方がないとしても、問題はその離れ方・譲り方にある。長い間ひとつところで仕事に専心してきたものであればそれなりの知恵や技術があり、それらを単に「上から目線」として切り捨てて新たなものを構築しようとすることは、全体にとって賢い選択とは言えない。もちろん積み重ねがすべてであるわけではないにしても、年長者の知恵が生きていない社会は、たとえやる気満々の若い力が寄り集まっても、その達成度合いには限界が生まれ、明るいはずの未来も幻想にすぎないことが多いだろう。
なにごとにも先人はあらまほしきものなのだ。古くなってしまったものを軽々に切り捨てずに生かす道を探ることはいかなる社会や組織にとっても大切なことだ、というお説教はあちこちで聞かされるものだが、持続的に成長発展するとか平和で安全な社会を作るといった政治家たちの口癖よりもはるかに内実があるかも知れない。人間社会にとっては、そして実は人間ひとりひとりにとっても、やはり階層的で有機的な構造が必要なのではないかと二人の老女は教えてくれる。
- コンプレックスはお持ち?―悩みと折合いをつける文学的想像力―
堺雅志 (ドイツ・オーストリア文学) -
The rain in Spain stays mainly in the plain―お転婆でロンドンなまりのひどい花売り娘イライザは、これをクイーンズイングリッシュでなかなか発音できない。言語学の大家ヒギンズ教授は彼女の訛をみごと矯正し、イライザを淑女に仕立てあげる。この間衝突がしばしばあるが、いつしか二人は引かれあってゆく。そして結末は二通り……。バーナード・ショー作の『ピグマリオン』(小田島恒志訳、光文社古典新訳文庫)では、イライザは教授のもとから離れ、青年貴族フレディと結ばれる。同作の舞台と映画の『マイフェアレディ』では、教授のもとに戻ってくる。映画のイライザ役オードリー・ヘップバーンの変身ぶりは一見に値する。冒頭のフレーズは、『マイフェアレディ』のみの台詞であり、これが挿入歌へと変奏され、変身の場で重要な役割を演ずる。
ところでピグマリオン・コンプレックスなることばは、ギリシャ神話のピュグマリオーン王に由来する。王は理想の女性を彫塑し、それを溺愛しすぎて、実らぬ恋に命を落とさんばかりに衰弱したとき、王を不憫に思ったアフロディーテーが人形に命を吹き込み、めでたしめでたしとなる。自らの意のままになるお人形さんは、長らく女性の理想型として社会一般に受け入れられていたが、そんなお人形さんはいやだと、時代と制度に声を上げたのがヘンリック・イプセン作『人形の家』(竹山道雄訳、岩波文庫)の主人公ノラであった。これと同系統のコンプレックス、「ロリコン」の語源は、ウラジーミル・ナボコフの小説の主人公、十二歳の少女ドロレスの愛称であり、小説の題名ともなった『ロリータ』(若島正訳、新潮文庫)である。中年の文学者ハンバートが、意のままになると思った義娘ロリータと逃避行に及ぶも、ロリータに翻弄され、逮捕、獄中死を遂げる物語である。ナボコフ自身の脚本、スタンリー・キューブリック監督の映画も併せて観ていただきたい。近代から現在にいたる(まだ終わっていない)女性解放の歴史を背景にすれば、ノラの叫びとイライザを巡る物語の二つの結末、そしてドロレスの運命は、一考に値する。いま、はたして女性が意志を通して生きられる世の中になったのかと。
コンプレックスとは、人間の行動を制約、束縛、左右する「強い感情をともなう思想や関心の領域」(ジークムント・フロイト『精神分析入門』高橋義孝、下坂幸三訳、新潮文庫)を指し、「観念複合」とも訳される。コンプレックスのはたらきは、その瞬間には本人には分からない、無意識的なものなので、健康な人にでも悩みとして現れてくる。そしてそれが病的に進んでしまうこともまたありうる。たとえばマザコンの淵源にはそもそも、父親を殺し、母親と結婚したオイディプス王の神話と悲劇があり、ソフォクレスの戯曲『オイディプス王』(福田恆存訳、新潮文庫)をヒントにフロイトは「エディプス・コンプレックス」(エディプスはオイディプスのドイツ語読み)の概念を導入し、男性の無意識の仕組みを解剖してみせた。これが人口に膾炙し、「マザコン」に転ずる。叔父に父親を殺された『ハムレット』は空想ばかりして行動できないインテリとされるが、叔父が自身の願望を充足してくれた点で行動に及べなくなった「マザコン」のヴァリエーションとフロイトは指摘する。一方「ファザコン」の源流にはエーレクトラーがいて、彼女は、父アガメムノーンを愛人と共謀して殺した母親に復讐を遂げる。オーストリアの詩人フーゴー・フォン・ホフマンスタールは、作曲家リヒャルト・シュトラウスと組んで、オペラ『エレクトラ』を世に問うた。ちなみに彼らはフロイトと同時代のウィーンの詩人であり音楽家である。
フロイトに続きユング派の心理学者たちは、さまざまなコンプレックスを命名してきた。そのコンプレックスのかたちは、神話や詩や戯曲や小説に留めおかれている。文学は人間のコンプレックス一切を引き受けて、私たちの目に見えるように形象化してくれている。すなわち文学は悩みを一緒に悩んでくれる雄弁な友である。天命を知る歳近くになった(世間ではアラフィフと呼ばれる)おじさんは、この友に何度も助けられたことをここに付記しておく。
- お祭り見学の勧め
白川琢磨 (文化人類学) -
主に福大に入学する皆さんは、九州か中国・四国出身の人が多いだろうから、「もう一度」お祭り見学の勧めと言うべきだろう。幼い頃から少なくとも何回かは近所の神社や寺のお祭り、あるいは民俗行事に参加した経験があるかもしれない。だが年を経て自然と足が遠ざかり、大学受験を控えてお祭りなどに行っている場合じゃないと思っていたかもしれない。しかし今、改めて行って欲しいのである。そこに集う人々が何を語り、何を楽しみにしているのか、またどのような神仏に何を祈り、何故に来るのか、じっくり耳を傾け、しっかりと経験して欲しい。そのようにして君らにはまず立派な「ネイティヴ」に成って欲しい。
大学に入って「文化」を研究するのであれば、そうした君らの経験を再度「他者」の視線から捉え直すことになる。しかしそれはそれ程難しいことではない。近代人類学は、「異文化」に「他者」として参入することを業としてきた。だが人類学者という「他者の語り」におとなしく耳を傾ける「未開社会」などもう世界の何処にもありはしない。世界各地でネイティヴたちは、しっかりと自らの文化を語り始めたのだ。その力強い語りを前に、近代人類学という巨人はしばしその歩みを留めているのである。西欧の人類学者の殿(しんがり)に連なってきた日本の人類学にとって、その影響は深刻である。我々は一体何者なのか? 日本は西欧と同じく研究する側なのか、それとも異文化として研究される側なのか? 答えはその両方であろう。研究し、そして研究されるのである。ただし、前提がある。「ネイティブとして」である。日本のアフリカ研究の草分け、和崎洋一氏は、亡くなる前に「先生がもう一度生まれ変わって研究するとしたら何処でしょうか?」との問いに躊躇なく「日本」と答えたそうである。ポストモダンの時代に生きる我々は、大和崎が二つの人生に分けた課題を一時に果たさねばならない。そのためにはまず我々はネイティブに成り、ネイティヴを磨かなくてはならない。
昨年は一年かけて「鬼」というネイティブの産物を追いかけてきた。写真家の清水健さんと共同で文藝春秋の平成一九年一月号にグラビア特集が掲載されているので関心のある人は見て欲しい。天念寺の修正鬼会を撮り終えた後、国東半島の宿で夜遅くまで語り合ったが、「いやーそれにしても九州は奥深い凄い所ですね」と感に堪えたように呟いた。ナショナルジオグラフィックの撮影で世界中を飛び廻り、今回の特集では全国を撮影して歩いた清水さんの言葉である。それに励まされて私は思わず書いてしまった。「九州は鬼の宝庫である。」実は鬼だけではない。ネイティブを育成し醸成する豊かな土壌に恵まれているのである。祭や民俗芸能はそうした豊かな土着の集合表象に触れる絶好の機会である。
今年の暦も既に動き始めている。正月七日夜、久留米大善寺の大松明の灯と煙に咽びながら闇夜に紛れる鬼を追うことから始まり、十四日には志賀海神社で大宮司四良、別当五良ら若者八人が渾身の力を込めた歩射の力強い矢鳴りを聞いた。やがて節分、さらに「松会」、桜の開花の頃から駈仙(ミサキ)が活躍する勇壮な神楽が始まる。そして汗ばむ季節になると各地で「山笠」の声が聞こえ始める。出身地は元より、福岡に来たら近郊の祭に足を運んで欲しい(福岡民俗芸能ライブラリー http : //www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/index.asp)。必ず、何か得るものがあるはずである。文字に書いてあるものだけが価値があるという偏見を捨て、祭や芸能という生きた教材を是非経験して欲しいものである。
- 博物館へのいざない
武末純一 (考古学) -
博物館へ行ったことがあるだろうか。人文学部の新入生ならば、すでに一つか二つはあるだろう。しかし大学生には大学生なりの見方がある。行ったことのない人はまず特別展を見に行くのが良い。
私の専門は考古学、モノから歴史を考えていく学問である。以下は、博物館などでひらかれている考古学関係の特別展へのささやかな招待状である。
特別展は、秋の文化シーズンにあちこちの博物館や資料館で開かれる。このごろは夏休みや春休みに開くところも増えてきた。内幕をいえば、特別展を開く → お金がかかる → その分だけ多くの入館者が欲しい(でないと来年の予算にもひびく)→ 学生が休みで大人も活発に動く夏や春に開こう、という発想がほとんどだが。でも特別展は楽しい。
楽しさの一つは、それまで写真や図でしかみたことのなかった実物に会えること。せっかくの機会だから、上から、下から、横から、斜めから、じっくりと眺めて、どのように作られ、どんなふうに使われたかを想像しよう。もちろん、図録や横にそえられた解説文に答えがのっている場合もあるし、それを理解するのも大事だが、それよりも大切なのは、答をうのみにしないで自分で考えること、自分の疑問をもつこと。
二つ目は、あちこちの発掘品が一か所に集められていることである。それぞれの保管場所に行って見せてもらうととんでもない金額になるから、一見高そうに見える特別展の料金も実は安いものである。
それと、いつもは全く別のところにあるモノ同士がすぐ横に並ぶから、比較ができる。これはけっこう大事である。何回もいったりきたりして見比べ、「似た形だけどここが違うな。これは出たところが違うからかな、それとも作った時代が違うからかな」「へー、こんなに遠く離れて出ているのにそっくりじゃないの」など、自分だけの発見ができればしめたものだ。
三つ目は、発掘の記録は報告書という形で本になるが、手に入りにくいし、入ったとしても一般の人が読み通して理解するのはけっこうシンドイ。でも博物館では、そうした成果をできるだけ噛みくだいて、どんな発見があったのか、何がわかったのか、どういう問題が出てきたのかを、実際にモノを示しながら説明してくれる。
ちょっと変わった楽しみ方もある。学芸員になった気分で。この照明は展示品のどこを強調 しているのか。自分だったらこういう角度でここをみせたい。このパネルはなぜこの大きさでここにかけられているのだろう。展示品をきわだたせるためにどんな形や色の台を使っているのか。なぜこの展示品とあの展示品の間がこの位空いているのか、などなどなど。
そう、ここまでくれば、もう特別展だけじゃなくて常設展でも十分に楽しめることがわかってくる。まずは福岡県内あるいは故郷の博物館だ。
昔の博物館は、展示品がケースの中に重々しく鎮座し、いかにも「見せてやる」といった感じが強かったが、いまでは〈さわる〉〈作る〉〈使う〉などの体験コーナーも整いつつある。充実したミュージアムショップや市民ライブラリー、しゃれたレストランもけっこう多い。講堂や入り口のホールで演奏会を開くところも出てきた。〈博物館は古くさい〉というイメージは消え始めている。
自分の知の世界を広げるために博物館をのぞき、どれでもいいから、自分の心にとまった展示品をスケッチする。そんなすてきな時間を作ってみたらどうだろう。
なお老婆心から蛇足を一つ。ゆめゆめ月曜日のデートの場所に博物館や美術館は指定しないように。日本では月曜日は休館日なのだから。
- 中国社会に関するものをすこし
田村和彦 (文化人類学) - 魯迅の作品と『リン家の人々―台湾農村の家庭生活』(マージャレイ・ウルフ著、中生勝美訳、一九九八年、風響社)など
最近、中国について様々な情報が流れ、週刊誌の記事や書籍となって書店に積まれています。日本と中国の長い関係を考えれば古典や歴史の本が多いのは不思議ではありませんが、同時代のものに限れば、政治や経済に関するものが多いように思われます。他方で、日常生活を送る場としての社会を真面目に紹介した本は多くはないのではないでしょうか。
そこで、ここでは、こうした領域について手がかりを与えてくれそうな、いくつかの作品を推薦します。
一つ目は魯迅のもの。皆さんももしかしたら『故郷』を教科書などで触れたことがあるかもしれないし、なにをいまさらという声が聞こえないでもないのですが、読んだことのある人も、そうでない人もしばらくお付き合いを。
突然ですが、皆さんは一年に数冊の日本語の本しか読めないという状況に出会ったことがありますか。私事で恐縮ですが、中国の農村に住み込んだときのわたしがそんな状況でした。かなり悩んだ末に持ち込んだものが、今昔物語と魯迅の文庫、淡水魚類図鑑でした。今でもなかなか良い選択だったと思います。特に魯迅には随分助けられたのを憶えています。
私は文学の研究者ではありません。にもかかわらず、魯迅の作品を挙げる理由は、激しい論調や手厳しい諷刺のなかに垣間見える鋭い社会観察は、今日の中国社会を考える上でも有用ではないかと思うからです。もちろん魯迅を読めば今の社会がわかるといっているわけではありません。社会背景もずいぶんと異なるはずですし、作品はあくまで作品でしょう。けれども、様々なヒントが含まれているという点で、今日でも繰り返し読む価値のある作品が多いと思います。
いろいろな人が訳しているので、誰のものを選ぶかは好みで結構。まず手始めに『吶喊』を手にとって見てください。
二冊目は『リン家の人々』という本。これは、一九五〇年代末に台湾北部の村で生活した人類学者の妻(後に著者本人も人類学者になってしまいました。「異文化体験」というのはなかなか強烈で侮れません)が記したある大家族の記録です。推薦理由は、訳者の解説にあるように漢民族の家庭生活の肌触りを知るうえでは良書であるから、です。人や情報の往来は急増し、中国について語る機会が増え、私たちはなにか中国社会について理解を深めたような自覚を持ちやすい今日の状況がありますが、果たしてどの程度理解している、理解しようとしたことがあるでしょうか。たとえば、本書の扱う家庭や人間関係などは如何でしょう。この本は、反省と驚き、知ることへの欲求をかきたててくれる事でしょう。また、最近、中国大陸中心の議論が極端に増加していますが、台湾、香港といった地域から考える、あるいはこれらを含めて考えることが不可欠なのではないかと私は思っています。なので、台湾を舞台とした、面白いけれどもあまり話題にならない本を選びました。
さきに断っておきますが、ここに挙げた本は、ある事象についての知識を簡潔に記したものではありません。もしそうした知識だけが必要であれば、百科事典でも暗記したほうがましでしょう。大学に来た以上、自分で問いを立てて、常識を疑い、明確な論証を挙げて検討することが必要です。こうした営みが楽しいかどうかは人によると思いますが、大学とはそういうところだと私は思っていますので、上の本を推薦してみました。後は自分で面白そうなものを探してください。
最後に、本ばかりでは味気ないという意見もあるかもしれないので、映画をいくつか推薦しておきます。ここでは、わたし好みの監督から『青い凧』(田壮壮監督、一九九三年)、『女人、四十。』(アン・ホイ監督、一九九五年)、『麻花売りの女』(周暁文監督、一九九四年)、『延安の娘』(池谷薫監督、二〇〇二年)の四本を選びました。図書館や教室だけが学ぶ場というわけではありません。前の三作品は本学の言語教育研究センターにもありますので、在学中に是非足を運んでみてください。
- 就職活動を考える前に、お金について考えよう
辻部大介 (フランス文学) - 安部芳裕『おかねの幸福論 ベーシック・インカム編』(キラジェンヌ)
入学したばかりのみなさんに「就職活動」なんて、あまりに気が早いと思われることでしょうが、ほんらい閑暇の中で、読書に、思索に、談論に捧げられるべき大学四年間の少なからぬ時間を、在学中の生活の維持と卒業後の生活手段の確保のために奪われることを強いられている人が年々増える一方であるという現実を、なんとかしなくては、との思いから、この一文を書いています。これからの学生生活を、そしてその後の人生を、真にゆたかなものにするために、世の中のしくみ、経済のしくみを知ることからはじめてほしい。今のお金のしくみのどこがどうおかしいのか、そのためにどんな理不尽なことが生じているか、そして、その解決のためには、どんな手だてがありうるのか。ここに紹介する本は、そうした問題について知り、考えるための最初の手引きとして、最良の一冊と思います。高校生にもすみずみまでわかるであろうやさしい言葉で書かれた、一時間もあれば読み終えられる小冊子の中に、私たちのお金に対する考え方を百八十度転換させるに足る、重要な指摘とアイデアがつまっています。
- 学ぶことを支える仕事
徳永豊 (支援教育学) -
教師は学校で子どもたちと授業をして、国語や数学の内容を教えることが仕事である。別の言い方をすれば、学校で子どもたちがよりよく学ぶことを支える役割が教師にある。
子どもたちは、学校で同じように学ぶのであろうか。学びについて、みんなが同じであることはけしてない。それぞれの理解の程度、これまでの経験、学び方など実に多様である。
よくわかる子ども、理解が早い子どもがいる。また、よくわからない子ども、理解がゆっくりの子どもがいる。教師として「学びを支えること」を考えた場合に、どちらがおもしろいのであろうか。
「よくわからない子どもに教えることがおもしろい」という障害のある子どものための学校の教師がいる。わかる子どもとの授業では、教師の苦労は少ない。よくわからない子どもとの授業は、教師が工夫し苦労しながら授業に取り組む。数多くの失敗を繰り返し、授業に工夫を加えることで、徐々に子どもの「学びを支えられる」ようになる。そしてはじめて、子どもと「わかった喜び」を共有できるように教師が成長する。
「よくわからない」世界で、「わかる」を拾い上げた瞬間である。この瞬間があるからこそ、やめられない仕事が学校にはある。
村田 茂 著
『障害児と教育その心―肢体不自由教育を考える』慶應義塾大学出版会(一九九四)
肢体不自由教育の道を三〇年、歩んできた著者が、子ども一人一人を大切にする温かい視点で特別支援教育全体と肢体不自由教育のあり方を見渡し、わかりやすくまとめたものである。
徳永 豊 著
『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意―コミュニケーション行動の基盤について』慶應義塾大学出版会(二〇〇九)
意図・感情の共有や人間関係の形成に必要な「共同注意」、乳幼児が獲得する「共同注意」の形成までを「三項関係形成モデル」として示し、障害のある子どもの事例研究によって、「自分の理解」や「他者への働きかけ」「対象物の操作」の発達の筋道を示す。
- わからないけれどわかる、気持ち
冨重純子 (ドイツ文学) -
現在の本は、一つのテーマで書かれたものがほとんどであるという指摘。たしかにそうだ。怖い絵、ゲーテの言葉、働きがいの嘘、仏像の顔、日本人はなぜ英語ができないか。テーマや書いていることを明示した本が並ぶ。
評論や教養書だけではない。小説も、映画も。書き手や作り手の意識はともかく、「売り場」では「純愛」、「ホームドラマ」、「怪奇」、「泣ける」か「笑える」か、「はらはらドキドキ」か「ほのぼの」か、レッテルがよく付けられている。どんな内容で、どんな人に読んだり見たりして欲しいか(どんな人が読んだり見たりすればよいか)、指示してあるわけである。かつては、本の効能 、、がはっきりしている(少なくとも、明示されている)のは、「これを読めば、あなたもやせられる!」というような本と相場が決まっていたと思うのだが、今は何でも、その効能がはっきり見えないと、人が手に取らない時代らしい。
しかし、「心洗われる話」を読んで心洗われ、「悲しい話」を読んで悲しんで、あるいは「恋の話」を読んで恋の話だったと思い、「老いの話」を読んで老いの話だったと思うのでは、つまらないというより、窮屈だ。「わかるわかる」(読む前からわかっていた?)と言って読むのではなく、わからないけれどわかる、くらいの気持ちで、読んでみたい。世界は一つのテーマで括られるようなものではなく、「何とも言えない」もの。だからおもしろいのだけれど、いろいろな表現があるのだ。
山之口獏(一九〇三-六三)という詩人の「友引の日」という詩の冒頭。(『山之口貘詩文集』講談社文芸文庫)
なにしろぼくの結婚なので
さうか結婚したのかさうか
結婚したのかさうか
さうかさうかとうなづきながら
向日葵みたいに咲いた眼がある
この詩は何を言いたいのか。何が言いたいのかとたずねられれば、答えはわからないが、何もわからないかと言えば、わからなくもない。
ある日
悶々としてゐる鼻の姿を見た
鼻はその両翼をおしひろげてはおしたゝんだりして 往復してゐる呼吸を苦しんでゐた
呼吸は熱をおび
はなかべを傷めて往復した
鼻はつひにいきり立ち
このように始まる「鼻のある結論」は、思想を抽出しうるかもしれない展開をもつが、それがわかったかもしれないところで、この詩にはいつも驚かされる。驚く、びっくりするということは、なじみのもの、わかったものとして流れ去って行かないということだ。
真壁仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)は、主に戦後の、さまざまな日本人の書いた詩を集めたアンソロジーである。一九六六年刊。戦後詩の歴史を切り開いた詩人たちの詩を集めたものではない。石垣りんや森崎和江、吉野弘、黒田喜夫など、当時すでに著名だった詩人も含まれているが、書き手の大半はそうではない、一般の人々だ。小学生もいる。中学生もいる。戦死した学生がいる。農民、炭鉱労働者、主婦、母親、父親、国鉄職員、教師がいる。最初の詩は、七十五歳で詩作を始めたという、八十六歳の人の現代詩だ。各詩に、作者や作品についての編者による解説が付く。
ここには現在の私たちがほとんど知らない現実や人生の表現があって、私たちを驚かせる。同時に、これほどにさまざまな人々の書いた詩のアンソロジーがあることが、私たちを驚かせる。この詩集はまさにひとつの時代を映し出していると言えるが、このような詩集を編もうと考えた人がいて、それが実現されたということ、そこにもひとつの時代が感じられる。今は絶版だ。(図書館に入っているし、古本で安く手に入る。)詩人でもあった編者の真壁仁(一九〇七-一九八四)は「序にかえて」のなかで、「人民大衆」、「民衆」が詩を書くことについて熱をこめて語っていて、そこに呼び出される「民衆」というイメージもまた、私たちを驚かせる。これらの詩は、読む人を社会批判へと向かわせるというようなこともあるだろうし、歴史研究の素材となるということもあるだろう。しかし、まず驚き、見ることだ。登場人物や書き手に共感するというだけが、読むことではない。
「いまにもうるおっていく陣地」、「食うものは食われる夜」、「隠す葉」は、一九七四年生まれの蜂飼耳の詩集の題だ。(『蜂飼耳 詩集』現代詩文庫、思潮社)わからないけれど、わかるような気もしなくもない。わからないけれど、ひかれる。
詩でも、小説でも、評論でも変わりはない。わかるわけではないけれど、目をとめる。その気持ちで読んでみたい。
- 少し変わった本
永井太郎 (日本文学) -
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』(晶文社)
アルゼンチンの幻想文学作家ボルヘスが書いた、神話や小説に登場する、実在しない怪物のアンソロジーです。バジリスクやケルベロス、体の前半分が獅子で後ろ半分が蟻というミルメコレオ、ドイツの小説家カフカの描いた、なんだかわからないオドラデクなど、奇妙な幻獣たちが登場します。また、澁澤龍彦の『幻想博物誌』も、同じように空想の生物を紹介した本です。実(み)ではなく、羊や人間の娘がなる木の話など、面白いエピソードが多く集められています。『幻獣辞典』と重なるものもありますが、こちらもおすすめです。ただ、絶版なので、図書館で借りて読んでください。
ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』(平凡社)
第二次世界大戦中、日本軍の収容所から脱走した捕虜が漂着した島で発見した、鼻で歩行する「鼻行類」。その生態を記した本と言えばもっともらしいですが、全て虚構です。全くの虚構の生物を、本格的な生物学研究書の体裁で描いた本です。時に「鼻行類」の体の構造の説明が専門的すぎて「?」なところもありますが、鼻で歩く「鼻行類」の様子を読むだけでも楽しい本です。日本では、劇作家の別役実に、様々な生物やその他のものについて、もっともらしい文章でナンセンスな解説をした本があります。僕が初めて読んだのは「虫づくし」(ハヤカワ文庫。絶版)でしたが、他にいくつもあります。ハヤカワ文庫では、「道具づくし」「もののけづくし」があり、福大図書館にも「けものづくし」「魚づくし」「鳥づくし」が入っています。ちなみに、「腹の虫」などと比喩的に言いますが、昔は本当にお腹の中に虫がいて病気を起こすと思われていました。そうした虫の絵をおさめた、長野仁・東昇『戦国時代のハラノムシ』(国書刊行会)という本もおすすめです。
ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著『ヴォイニッチ写本の謎』(青土社)
二十世紀はじめイギリスの古書商ヴォイニッチが見つけた、中世のものらしい古写本。そこには、「全く解読できない文字群と、地球上には存在しない植物が描かれていた」(帯の言葉)。一体、これは何なのか、そしてこの本は何のために書かれたのか。謎のヴォイニッチ写本について、その内容とこれまでの解読のドラマを、わかりやすく紹介した一冊です。筆者たちの結論は、あまりにも簡単なものですが、ヴォイニッチ写本の奇妙な文字や絵を見るだけでも十分楽しい本です。
ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)
ヴォイニッチ写本解読の歴史の中で、アタナシウス・キルヒャーという名が出てきます。実際には解読に手を付けなかったようなのですが、彼はルネサンス期の有名な知識人です。地球の構造から中国やエジプトの博物誌、そして普遍音楽の構想まで、幅広い分野にわたって本をしるし、その意味ではレオナルド・ダ・ヴィンチのようなルネサンスの万能人といっていいでしょう。しかし、ダ・ヴィンチと違うのは、彼の拠って立っていた知識が、現在の科学では完全に否定されているため、その業績がほとんど顧みられないという点です。例えば、彼は当時解読できていなかったエジプトの象形文字を解いたとして大著を著しました。そこで、彼はエジプトの象形文字を表意文字として解釈しました。しかし、その後、エジプトの象形文字は表音文字であることがフランスのシャンポリオンによって明らかにされました。したがって、彼の本の意味はほとんどなくなったのです。にもかかわらず、彼の本が魅力的な理由の一つは、奔放な想像力が生み出した絵です。火と水に満ちた空洞の地球の内部、不思議な中国の風俗、奇妙な音響装置など、キルヒャーの著作の図版を中心に紹介したのがこの本です。中でも、断片的な知識をもとに、勝手な想像で作り上げた「ブッダ」の絵はなかなか衝撃的でした。
- 新書の魅力、中公新書の面白さ
則松彰文 (東洋史) -
「活字離れ」が叫ばれて久しいが、それでも本屋を覗くと、まるで溢れんばかりの本が並んでいる。新たに出版される本は相変わらず多いが、それらの多くが店頭から姿を消すスピードは、以前に比して各段に早くなった。
本屋には大抵「新書」のコーナーが設けられている。福岡大学の中央図書館にも、二階の開架閲覧室の書架に充実したコーナーがある。岩波新書、講談社現代新書、ちくま新書、文春新書等々、多くの出版社のものがあるが、やはり何と言っても、一押しは、中央公論社の中公新書であろう。少なくとも、私の専門に関わる歴史分野で言えば、この新書の知的レベルと充実度は、他の追随を許さない。
中公新書には、ロングセラーやベストセラーが多いが、加えて、新書ながら学術的評価のきわめて高い名著もまた多い。中国史関係に限っても、三田村泰助『宦官』、外山軍治『則天武后』、宮崎市定『科挙』などは、今なお色褪せることのない不朽の名著である。
しかし、私がここで最もお薦めするのは、一九八〇年に初版が刊行された、角山栄(つのやま さかえ)氏の『茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会―』である。既に三〇版を超えた中公新書屈指のベストセラーであるが、同時にまた、その学術的評価は頗る高い。一六世紀以降、中国原産の茶がイギリス人をとりこにして歴史が大きく動き出す。東インド会社、貿易赤字、インド産アヘンの中国への流入、アヘン戦争等々、まさに「たかがお茶、されどお茶」、茶という一つの物産から、これほど見事に世界史の醍醐味を味わせてくれる書物も稀有であろう。私の愛読書の一つであると同時に、共通教育科目の「東洋史A・B」や森丈夫先生の「西洋史A・B」でもしばしば紹介される本である。福大の図書館や本屋さんで、先ずは一読されることをお勧めしたい。
- Tips for Learning English
Stephen Howe (英語学) -
Compared to someone who knows no English, you already know a lot. You can read this page, for example. Remember, you have a good head start: Japanese has more English words than any other language (apart from English, of course). That means you already know hundreds and hundreds of English words in katakana. Build on what you know and try to improve a little each day.
Practice makes perfect
Learning a language is like learning to play a musical instrument-to improve, you need to practise every day. And music is for playing and enjoying-so, have fun speaking and communicating in English! Imagine you are studying music: to play well and graduate, you need to practice for an hour or more each day, at least. If you do the same for English, you will be able to speak very well by the time you graduate.
・Think of learning English like learning to play the piano: practise every day to improve
・If you never practise the piano, it's impossible to play
Use it or lose it
To speak a language well, you must use it-as often as possible:
・Practise speaking English to yourself
・Try to think to yourself in English, for example on the bus or train
・Describe the people you see, or what you're going to do today
・Practise speaking English with your friends
・Meet your friends for tea or coffee and practise speaking English for fun
Train your brain Set yourself a target to improve your English each year you are at university. Improve a little each day, and you will improve a lot by the time you graduate:
・Set aside some time to study English each day
・If you commute to university by bus, train or subway, use your time to learn English
Don't worry about making mistakes
As in life, making mistakes is an important part of learning a language - so don't worry, just keep talking!
Be cool at school
Impress your friends with your fluency in English, whatever your major:
・Learn in class
・Use your time with your teacher to improve your English
・Learn outside class
・Don't think of your class as the only time you learn - try to improve your English outside class, too
Make friends with the international students on campus
Practise your English on the international students at Fukuoka University-they want to talk to you!
・Ask them about their country and tell them about Japan
Watch TV and movies in English
Movies are a great way to listen to spoken English-and they are available everywhere-watch as many as you can:
・Switch to English sound when you watch English programmes or movies on TV. This might be difficult at first, but gradually you will understand more
・Watch a movie several times-you will understand more each time
・Try to repeat what the actors say
・As well as movies, watch the news in English at cnn.com
・NHK shows English news early each morning. Watch the news each day, and you will make great progress in your understanding for TOEIC
Read a book, magazine or newspaper in English
Whether Harry Potter or William Shakespeare, read a book in English-there are thousands to choose from!
・Read an English magazine
・If you love fashion, read an English fashion magazine; if you love sport, read a sports magazine in English. You will learn a lot of vocabulary about your interest
・Read a newspaper
・The Japan Times is available everywhere and is easy to read
・Fukuoka University Library has many English newspapers
・Read the news in English online
・Try bbc.co.uk for English news
Write a diary in English
Like Samuel Pepys and Bridget Jones, write a diary in English - about what you do each day, your thoughts and feelings. This will help you improve your writing greatly.
Listen to English music and radio
Listen to your favourite British or American bands - they can help you learn English!
・You can listen to English music on the web at www.bbc.co.uk/radio1/
・Download a podcast for mobile English
Study abroad or take a trip
English is the international language that makes it possible for you to communicate with people in other countries. Get your English ready for a trip or study abroad:
・Practise for your trip
・It will be easy to meet people if you can speak a little English
・Fukuoka University has several study abroad programmes. If you can, study in another country-you will learn many things and have the time of your life
Finally, what about after university? What can English give you?
English is a key to the world and knowing English can help you get the job you want. English gives you:
・Communication skills
・An international dimension
・Awareness of other cultures
・Opportunities to work and travel abroad
・And the ability to communicate with the world
- 犬がどのように考えているか、 をどのように考えるか
平田暢 (社会学) -
スタンレー・コレン著 (2007年) 『犬も平気でうそをつく?』文春文庫
この本をお薦めするのは、私自身が犬好きで、犬好きの人にとって面白く役に立つ、ということもあるのですが、それ以上に、大学で勉強するときに重要な「考え方」について自然に馴染むことができる、という理由からです。
日本語のタイトルはややひねりすぎです。原タイトルは“How Dogs Think”なので、こちらのタイトルで内容をイメージして下さい。
著者のスタンレー・コレンの専門は心理学で、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で教授を務めています。犬好きが嵩じて訓練士の資格をとり、犬の訓練クラブのインストラクターもしているそうです。
私たち人間は、他の人たちを観察したり、対人関係の中でさまざまなことを学びます。これを「社会的学習」といい、私たちは言葉や規範、あるいは歯の磨き方などもそうやって身につけていきます。
では、そのような学習能力を犬も持っているのでしょうか。
おそらく持っていると想像はできますが、本当に知りたいのであれば確かめねばなりません。そのための手続きは、「犬には社会的学習能力がある」という考え―この考えのことを仮説といいます―が正しいとすると、特定の状況でどのようなことが発生するか推測をし、実際にそのような状況で観察を行って推測が正しいか否か確かめる―確かめることを検証といいます―ということになります。「犬には自意識がある」や「犬には超能力がある」という仮説を立てた場合も同様です。
コレンの専門である心理学や私の専門である社会学では、仮説を検証するというアプローチをよくとります。実験はその典型ですが、社会調査なども同じような手続きに沿って行われます。大学の勉強では、知識だけではなく、このような手続き、あるいは考え方を身につけることが強く求められます。『犬も平気でうそをつく?』という本は、犬の能力や感情、意識についてさまざまなことを教えてくれますが、数多くの事例や実験、調査がうまくはさまれていて、仮説を検証するプロセスの面白さ、その有効性がごく自然にわかってきます。
犬には社会的学習能力があるか否か、それをどうやって確かめたかは、本書を読んでのお楽しみ。
以下に、スタンレー・コレンの犬に関する他の著作も挙げておきます。いずれも文春文庫です。飼い主の性格に合う犬種は何か、どうすれば犬に意思をうまく伝えられるか、どのようにして犬は狼からつくられてきたのか、などなど、盛りだくさんで楽しめます(最後は結局犬が好きな人のための紹介になってしまった…)。
『デキのいい犬、わるい犬』(The Intelligence of Dogs)
『相性のいい犬、わるい犬』(Why We Love the Dogs We Do)
『犬語の話し方』(How To Speak Dog)
『理想の犬(スーパードッグ)の育て方』(Why Does My Dog Act That Way? )
『犬があなたをこう変える』(The Modern Dog)
- 資本主義は崩壊するか
平兮元章 (社会学) -
フランスの経済学者トマ・ピケティの著書『二一世紀の資本』(みすず書房、二〇一四年)を紹介します。
資本主義の特徴は、格差社会が起きることであり、資本市場が完全になればなるほど、資本収益率が所得と産出の経済成長率を上回る。そうなればなるほど、富が資本家へ蓄積される。民主主義や社会正義の価値観が崩壊し、国民国家は解体の危機に瀕する。
一九七〇年代から富裕層や大企業に対する減税等の政策によって、格差が拡大した。今日、中産階級は消滅の方向へ向かっている。このまま何も対策を打たなければ、富の不均衡は維持されていく。科学技術の発達ではこの問題は解消されない。この富の不均衡は、干渉主義を取り入れることで解決できる。不均衡を和らげるには、累進的な財産税を導入し、最高八〇%の累進所得税と組み合わせればよい。富裕層のタックス・ヘイヴンを利用した財産隠しを防ぐため、国際協定を結ぶ必要もある。相続による富の世襲である「世襲資本主義」を否定することである。しかし、このようなグローバルな課税は、実現は難しいだろう。
ピケティは、この危機に真剣な関心をもって格差是正の方法を見いだす取り組みをしなければ、最貧困層の上向きの転換はありえないという。
わが国においても、年収二〇〇万円以下の人びとが約一一二〇万人に達している状況を鑑みれば、他人事では済まされることではないだろう。
次の書も併せて読むとよいでしょう。
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書、二〇一四年)
長期にわたるゼロ金利が示すものは、資本を投資しても、利潤の出ない資本主義の「死」である。他の先進資本主義国でも日本と同様な状況が進行しており、資本主義社会システムは崩壊しつつある。
- 『進撃の巨人』で広がる知的世界―ドイツ語を学ぶときに見えてくるもの―
平松智久 (ドイツ文学) -
新入生の皆さん、福岡大学人文学部へのご入学おめでとうございます。いま皆さんは、四年間の大学生活(キャンパスライフ)を満喫しようと、明るい希望に満ち溢れていることでしょう。私生活でも学究生活でもどうぞ充実した時間をお過ごしください。
皆さんはこれから人文学部の各学科で、既習知識と基礎学力を活かしながらさらに専門知識を学び、知的世界を広げていくことになります。ただし、本格的に専門分野について研究することは容易ではありません。本腰を入れて、必要な学術的作法を学ばねばならないからです。とはいえ初めから専門研究の壁の前で堅く身構える必要もありませんのでご安心を。自らの知的世界を専門的に広げることとは即ち、各自の興味と関心に従って自由に遊ぶことでもあるのですから。
では、学問の世界で自由に遊ぶということは一体どういうことなのでしょうか。皆さんもご存知であろう漫画『進撃の巨人』を例に挙げて考えると分かりやすいかもしれません。(ちなみに『進撃の巨人』は、『別冊少年マガジン』(講談社)で創刊二〇〇九年十月号から連載中の、諫山創による漫画作品。現十五巻までの単行本発行部数は累計四千万部以上を数え、二〇一三年四月にはテレビアニメ化もされた人気作なので、皆さんのなかにも『進撃の巨人』を夢中になって読んでいる方が多いのではないかと察します。)謎に満ちたその物語世界に身をゆだねながら読者は、これはどういうことなのだろうか、次はどのように展開するのだろうか、作者の真意は、などと様々な疑問を懐き、時には友人たちとその疑問についての会話を楽しんでいるのではないでしょうか。まさにそのような自問と予想、他者との会話を通じて対象についてより深く知ろうとする知的衝動こそ、知的活動への端緒にほかなりません。大学では多角的な視点からそのような知的活動を、よりいっそう先鋭化させましょう。そのような知性こそが皆さんにとっての『自由の翼』となるはずです。
ところで、突如出現して街壁を崩した巨人が、百年続いた街の平安を一気に恐怖へと変える場面から始まる『進撃の巨人』の物語ですが、その物語のなかには、ヨーロッパ的、とりわけ中世ドイツ的なものが極めて多く取り入れられています。その一つが街を幾重にも取り囲む高い壁。それは中世ヨーロッパの城壁・市壁に酷似するため、特にドイツの、一五〇〇万年前に落下した隕石のクレーター跡の上に建てられた街ネルトリンゲンの市壁がモデルになったのではないかとしばしば言われます。なお、直接的にはそこから取材したわけではないと原作者自身が公言していますが、あくまでも物語との関連においての否定でしょう。エーディト・エネンの『ヨーロッパの中世都市』(佐々木克己訳、岩波書店、一九八七年、福岡大学中央図書館所蔵)にあるとおり、中世都市の城壁は「死にもの狂いになって平和を求めながらもそれが得られないでいる時代の、切実な必要物」であり、その意義はウォール・マリア、ウォール・ローゼ、ウォール・シーナも同じものだと言えるからです。(さらに詳しく中世ヨーロッパの生活や都市について知りたい方は、瀬原義生著『ヨーロッパ中世都市の起源』(未来社、一九九三年)、河原温著『中世ヨーロッパの都市世界』(山川出版社、一九九六年)、増田四朗著『ヨーロッパの都市と生活』(筑摩書房、一九七五年)などを参考にされてください。すべて福岡大学中央図書館所蔵書籍です。)
このように原作にもドイツ的なものとの類似性が見られるからでしょうか。テレビアニメ版『進撃の巨人』第一期のオープニング・テーマソングでも冒頭から、作品の本質を表す歌詞がドイツ語で謳われています。
“Seid ihr das Essen? Nein, wir sind die Jager!”
(お前らは食糧(エサ)か? いや、我らは狩人(ハンター)だ!)
続けてアニメ放送第二期のテーマソングもドイツ語による勝利宣言で始められました。
“Oh, mein Freund, dies hier ist ein Sieg. Dies ist das erste Gloria.
Oh, mein Freund, feiern wir diesen Sieg fur den nachsten Kampf!”
(おぉ、我が友よ、これが勝利だ。これは初めての栄光だ。
おぉ、我が友よ、さぁ この勝利を祝おう、次なる闘いのために!)
これらのドイツ語の歌詞については昨年度、二〇一四年八月九日に行われた福岡大学オープンキャンパスにおける模擬講義で詳しくお話しさせていただきました。その際、模擬講義にご出席いただいた方にはこれらのフレーズをドイツ語で正しく歌えるようになっていただきましたね。(初めてドイツ語に触れた方にとっては適切な例文なのか疑わしかったかもしれません。この場をお借りしてお詫びします。)本稿では原文内容について改めて詳細を述べることは避けさせていただきますが、御関心のある方は是非、一年次生対象共通教育科目のうち外国語科目「ドイツ語ⅠAB」を履修されてください。すぐに正しく発音できるようになりますし、また、内容も詳細に分かるようになるはずです。また、ドイツ語を学ぶためにも『独和辞典』をお手に取りください。初学者用には『アポロン独和辞典』(同学社)や『クラウン独和辞典』(三省堂)、慣れてきたら『アクセス独和辞典』(三修社)や『マイスター独和辞典』(大修館書店)を、大学院進学を決めるときには『独和大辞典』(小学館)をお勧めします。(なお、これらもすべて福岡大学中央図書館に所蔵されています。)
ドイツ語の辞書を手に取られたなら、今度は『進撃の巨人』の登場人物の名前を調べてみませんか。じつは多くの人物名がドイツ語から取られており、その意味も物語内容と密接な関連を持っているようなのです。例えばライナー・ブラウン(Reiner Braun)。「ライナー」は古ノルド語由来のドイツ語で「決め手の勇士」。ベルトルト・フーバー(Bertolt Hoover)の「ベルトルト」は「輝く強さ」。アニ・レオンハートの「レオンハート」は「ライオンの心(ハート)」。『進撃の巨人』をお読みになっている方には何か思い当たる節があるはずです。
また、中心人物であるエレン・イェーガー(Elen Jager)、ミカサ・アッカーマン(Mikasa Ackerman)、アルミン・アルレルト(Armin Arlert)はどうでしょうか。彼らには特別に共通する命名法があるように思われます。「エレン」とは “Elentier”、すなわち「ヘラ鹿」(Hiersch)。イェーガーは先のアニメの歌詞にもあったとおり「狩人、ハンター、戦闘機」。「ミカサ」は、じつは作者が明らかにしているように、日露戦争で連合艦隊旗艦をつとめて日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」。「アッカーマン」は「畑の人」。「アルミン」の名は、ドイツ人が聞くとあるいは「アルミン・マイヴェス(Armin Meiwes)」(一九六一年生)を想起させるかもしれません。マイヴェスは、人を殺し、そして、その人を食したドイツ人男性として知られています。そして「アルレルト」は、「アラート」(alert)、すなわち「警戒警報、警告」。彼らの姓と名の意味は相反するものであるようなのです。その意義は、今後、物語内容と関連してくるのでしょうか。原作にはまだ何も明らかにされていないので確たることは断言できませんが、ドイツ語を学び、大学で専門的に勉強を続けると、『進撃の巨人』という漫画を読むときでも、その謎に迫る何らかの糸口が見えてきそうになるのです。いま、ドイツ語の辞書を手にした瞬間、登場人物名に隠されていた物語の真意の一端を覗けるようになったように。
ドイツ語を学ぶときに見えてくるもの、それは、ドイツ語を学ばなければ単なる記号でしかなかった言葉のうちに潜み隠されていた新世界だと言えるかもしれません。ドイツ語を学ぶとき、壁の向こうの知的世界も見えてくるはずです。これから大学での学問を通じて、壁の外へと飛び立ち、視野を広げるための翼を獲得しましょう。翼を広げて、壁の向こうの世界を探索しましょう。そのためにも道案内となる本を読みましょう。福岡大学中央図書館を大いにご利用ください。そして大学生として知的に楽しんでください。私生活でも学究生活でも充実した時間を過ごせるはずです。
* 本稿は、「福岡大学オープンキャンパス二〇一四」(二〇一四年八月九日実施)の模擬講義「アニメ『進撃の巨人』テーマソングのドイツ語」(平松智久)の内容の一部を『NOVIS』用に書き改めたものです。
- 処世のことば
広瀬貞三 (朝鮮史) -
(1)佐藤一斎著川上正光全訳注『言志四録』全四冊(講談社学術文庫、一九七八年)
日本の江戸末期の儒学者佐藤一斎(一七七二~一八五九)の語録である。佐藤は四〇代から語録を書き始め、晩年までに四冊の著書を完成する。『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋録』である。佐藤の弟子としては、佐久間象山、安積昆斎、横井小楠などがいる。西郷隆盛はこの本を愛し、抜書きをして「南洲手抄」を作った。「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」、「老いて学べば、則ち死して朽ちず」。
(2)アラン著石川湧訳『幸福論』(角川文庫、一九七二年)
フランスのアラン(一八六八~一九五一)は哲学者。教育者として四一年間、六五歳まで、高校教師を勤める。長年にわたってプロポ(語録)を書き続け、多くの読者から好評を得る。彼の専門は哲学だが、プロポの内容は実に広範囲である。『幸福論』の初版は、一九二五年に刊行された。「幸福とはいつでもわれわれを避けるという。それは、人からもらった幸福については本当である。(中略)しかし、自分で作る幸福は、決して人を欺かない」。
(3)洪自誠著今井宇三郎訳注『菜根譚』(岩波文庫、一九七五年)
中国の明末(一五七三~一六一九)に書かれたと推測される著書で、洪自誠の生没年は不詳。大きく二部に別れ、前集は俗世の人々との交わり、後集は引退後の生活を描く。この本は儒教を中心に、仏教、道教も加味され、どの頁からも読み進められる。年齢、境遇の変化とともに、胸に響く言葉は異なってくる。「水流れてしかも境に音なし、喧に処して寂を見るの趣を得ん。山高くしてしかも雲ささえず、有を出でて無に入るの機を悟らん」。
(4)中村元訳『ブッダのことばースッタニパータ』(岩波文庫、一九五八年)
インドのゴータマ・ブッダ(釈尊)は、仏教の創始者である。生没年には諸説あるが、定説はない。ブッダの死後、弟子たちがその教えを簡潔な形や韻文の詩でまとめた。いずれも当初は暗誦するためだった。最初は古マガダ語だったが、後にパーリ語に翻訳された。仏教の諸経典の中で最も古く、実在のブッダの言葉に近いといわれる。「貪欲と嫌悪と迷妄を捨て、結び目を破り、命を失っても恐れることなく、サイの角のようにただ独り進め」。
(5)金谷治訳注『論語』(岩波文庫、一九六三年)
中国の孔子(前五五二~前四七九)は、儒学の祖の一人である。孔子の生前の発言を、弟子たちが後に一冊にまとめた。孔子と弟子(顔回、子路、子夏、子貢など)との問答が中心である。中国では四書の一つとして、古代から儒学の根本的な書となった。二千年以上前の著書だが現在でも新鮮であり、古典としての価値はとても高い。「子の曰く、知者は惑はず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」、「子の曰く、憤せずば啓せず、非せずんば発せず」。
(6)懐奘編吉田紹欽訳注『正法眼蔵隋聞記』(角川文庫ソフィア、一九六〇年)
日本の曹洞宗の開祖道元(一二〇〇~一二五三)の言葉を、弟子の懐奘が記録したもの。道元は宋から帰国後、永平寺を開創した。彼には主著『正法眼蔵』があるが、きわめて難解である。この著書は彼の思想と人柄が短文で、簡明に示されている。「玉は練磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いづれの玉が初より光ある。誰人が初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ」。
- 〈人間学〉のススメ
馬本誠也 (英文学) -
1.内村鑑三『後世への最大遺物』(『世界教養全集9』平凡社刊行、一九六二)
物質主義や自己中心主義が横行している今の時代に、このような書物を紹介すること自体、アナクロニズムの誹りを免れないかもしれない。
だが、この本を読み、私は久しぶりに本当の日本人に触れた思いがした。「生きる」ことの意味やこの世に生きる使命感を彼ほど純粋な力強いことばで語れる人は、そう多くないはずだ。ここに示されているいくつかの生き方は、おそらく真摯に自分の行き方を模索している青年の魂に深く訴えてくるのではないだろうか。
わたしは、すべての学生にこの書物を推薦しようとは思わない。こころの奥底から聞こえてくる〈内なる声〉に耳を澄ますことのできる人であれば誰でもいい。「わたし」とは、いったい何者であるのか。自然界における人間の位置づけをどう考えるのか。「社会」と「個人」はどのように関わり合っていけばいいのか。およそ人文学部に身を置く学生であれば、内村鑑三のような高い志しをもった日本人の声に謙虚に耳を傾けて欲しい。〈文化〉の意味や、外国語を学ぶ楽しさとすばらしさが、すべてこのなかで語られている。
この書物は、すでに過去数年にわたって紹介してきているが、今日の日本の時勢、日本を取り巻く世界情勢を考えると、どうしても今の若い人たちに贈りたい書物の一冊である。内村は、その中で、こう言っている。「われわれは、何をこの世に遺して逝こうか。金か。事業か。思想か。これいずれも遺すに価値のあるものである。しかし、これは何人にも遺すことのできるものではない。……何人にも遺すことのできる本当の最大遺物は何であるか。それは勇ましい高尚なる生涯である」
※ここに紹介した内村鑑三『後世への最大の遺物』は、図書館で検索すれば必ずあると思いますが、書店での入手は難しいでしょう。自分で所有したい場合には、インターネットの「日本の古本屋」を検索すれば、必ずどこかの古本屋が出しています。
2.吉田健一『英国の文学』(岩波文庫) ずいぶん昔のことであるが、大学の文学部に入学して、さてこれから何を勉強していこうかと、漫然と思案していたとき、たまたま書店の本棚で見つけたのがこの書物であった。英国、および英国人の風土や文学をこれほど見事に語った書物は、そう多くないと思う。わたしがイギリス文学を専攻したのも、この書物に触れ、その感動を少しでも追体験したいという気持ちに駆られたからであった。爾来、この書物はわたしの本棚から消えたことが無い。折に触れ、その一部の詩や名文を味読している。たとえば、シェイクスピアの十四行詩をつぎのような名文に訳出している。
君を夏の一日に譬えようか。
君は更に美しくて、更に優しい。
心ない風は五月の蕾を散らし、
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。
太陽の熱気は時には堪え難くて、
その黄金の面を遮る雲もある。
そしてどんなに美しいものでもいつも美しくはなくて、
偶然の出来事や自然の変化に傷つけられる。
併し君の夏が過ぎることはなくて、
君の美しさが褪せることもない。
この数行によって君は永遠に生きて、
死はその暗い世界を君がさ迷っていると得意げに言うことは出来ない。
人間が地上にあって盲にならない間、
この数行は読まれて、君に命を与える。
このソネットの解説を始めとするシェイクスピアや幾多の文人を語る重厚な文体については、多言を弄する必要はないと思う。まず、手にとって読んでみることだ。
- 歴史と文学との垣根をとり払おう
森茂暁 (日本史) -
福田秀一・岩佐美代子・川添昭二他校注 新日本古典文学大系『中世日記紀行集』(岩波書店)
創造的な人生を送るには、柔軟な頭脳と大胆な発想とがまず必要でしょう。身近なことでは、たとえば卒業論文のテーマ探しや執筆のさい、このことは決定的に重要です。常日頃から固定的な物の考え方をしないで、自分の頭で物事をのびのびと考えてみましょう。ここでは、文学の史料は歴史の史料として充分に活用できるということを述べます。
例えば、鎌倉初期成立の『平家物語』、鎌倉末期成立の『徒然草(つれづれぐさ)』、南北朝末期成立の『太平記』などは、高等学校の段階まではいずれも文学作品として扱われ、古典の時間に読まれます。しかし、このような作品は同時代の歴史を知るための史料として極めて有用で、価値の高いものです。今度は歴史の史料として再読しましょう。むろん原文で。この場合肝心なのは、一部分ではなく全部を読み通おすことです。きっと感動が湧きおこります。古典のもつ不思議な力です。
さて、冒頭にあげた書物はそれに類するものです。日本中世の紀行文(旅行記)が多く収められています。中世日本人の旅行意欲をかきたてたのは(すべてが単なる旅行ではありませんが)、十四世紀の南北朝の動乱を通した人々の地理的視野の広がりだと筆者は考えていますが、この動乱を契機に国内を旅する人が増えてきます。そのようななかで、紀行文が書かれるわけです。それらは主として国文学のジャンルで研究の素材となってきましたが、歴史の方ではほとんど無関心です。
このような紀行文が、どのような意味で歴史研究に有用かというと、たとえば、阿仏尼(あぶつに)の「十六夜日記(いざよいにっき)」は、十三世紀後半(鎌倉時代)の所領訴訟関係史料としてはもとより、東海道(京都と鎌倉をつなぐ基幹道路)の交通史の史料としても使えますし、また、連歌師宗祗(そうぎ)の「筑紫道記(つくしみちのき)」は、十五世紀後半(室町時代)の筑前・豊前国(福岡県)、特に博多の人々の生活や周辺の景観をくっきりと描き出しています。一例をあげますと、筥崎宮(はこざきぐう)を訪れた宗祗(そうぎ)は博多湾をへだてて、夕日のなかの可也(かや)山(福岡県糸島郡志摩町)をながめ、「富士に似たる山」と感慨深げに書き留めています。同記は、大内氏研究のための史料としても貴重です。
同書では丁寧な脚注や解説が施されていますので、容易に読み進むことができます。さあ、実際この本を手にとって、読んでみましょう。
- 情報リテラシーを身につけよう
山内正一 (イギリス文学) -
ジョージ・オーウェル(高橋和久訳)『一九八四年 [新訳版]』(ハヤカワ epi 文庫) 二〇〇九年
馬渕睦夫『国難の正体』(総和社) 二〇一二年
村上春樹の小説『1Q84』の名付け親となった格好の、イギリス小説をまず紹介します。村上は自作執筆の動機として「特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなもの」に対抗するものを書きたかった(毎日新聞インタビュー、二〇〇八年五月一二日)、という趣旨の発言をしています。一九四九年に公刊されたオーウェルの近未来小説は、全体主義的独裁体制を非難する書として一般には読まれてきました。そのことに異を唱えるつもりはありませんが、この全体主義をスターリン体制下のソヴィエトと結びつけすぎれば、作品の真の主張が見誤られる恐れがあります。〈人間を人間たらしめるものは何か〉、この根本問題との格闘こそがオーウェルの小説の本当の主題なのです。
神格化されたリーダー「ビッグ・ブラザー」に率いられた「党」の独裁に反旗を翻した男女ふたりの主人公(ウィンストンとジュリア)は、束の間の愛の密会の後に、「思考警察」に捕縛され、過酷な拷問に耐えきれずにたがいに相手を裏切る(自己保身のために相手への愛を放棄する)ことになります。「党」の思想統制から逃れて、愛を貫くことで人間の自由な生き方を取り戻そうとした男女の悲劇的な敗北の物語、これが『一九八四年』の粗筋です。「イングソック」(English Socialism の略称)を信奉する革命勢力(支配体制側)は「二重思考」という精神的詭弁・詐術を用いて、「プロール」と呼ばれる人民・大衆の意識操作を行います。人間は言語で思考する生き物ですから、「プロール」の意識や思考のコントロールを狙う「党」は、全力をあげて言語の改変や統制に乗り出すことになります。そうして考案された、民衆支配のための人工言語が「ニュースピーク」です。この新公用語は徹底的な情報操作の道具として利用されます。
オーウェルが小説の「附録」として「ニュースピークの諸原理」を小説末尾にわざわざ書き加えたのは、洗脳の手段としての言語操作・情報操作の重要性を彼が熟知していた証拠です。「附録」の一部を引用します―「ニュースピークの目的は(中略)イングソック以外の思考様式を不可能にすることでもあった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピーク(標準英語)が忘れ去られてしまえば、そのときこそ、異端の思考(中略)を、少なくとも思考がことばに依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである。」(四八〇-四八一頁)大衆を思考停止状態に陥らせて、支配階級に対して抵抗や反抗を企てることなど思いもよらない精神状態に置くこと、そのために用いられる強力な武器が「ニュースピーク」と呼ばれる言語(情報体系)です。このあたりで、もう皆さんは気づかなければなりません。小説『一九八四年』が過去の話ではないことに。
『一九八四年』が扱うテーマの現代性を知る手がかりとして、次の本『国難の正体』を推薦します。著者の馬渕氏は、一九六八年外務省入省の、キューバ大使やウクライナ兼モルドバ大使を歴任した元外交官です。文字通り「目から鱗」の斬新で洞察に富むこの書は、「金」と「情報」によって世界が巧妙に支配されている構造を解き明かしてくれます。世界(特にアメリカ)には味噌も糞も一緒にしたような(汚い表現をお許しください)安手の陰謀論が氾濫しています。十分な根拠や証拠もなく、空想をたくましくして捏造されたに等しいような陰謀論は、百害あって一利なしです。しかしだからといって「風呂の水と一緒に赤ん坊を流す」ような姿勢は慎むべきではないでしょうか。凡百の陰謀説の「石」の中に、たとえ数は少なくとも、貴重な「玉」が混じっている可能性は否定できません。きわめて良質の陰謀史観(conspiracy theory)の実物を、私たちは馬渕氏の本に見いだすことができます。私がかりに陰謀団の頭領(ビッグ・ブラザー)であったならば、自分の陰謀の存在を極力隠すことでしょう。もしも陰謀を暴かれそうな本(真の情報)が世に出た場合には、荒唐無稽な虚偽情報を混入した類似の本を大量に出回らせることでしょう。世間の読者は愚劣な偽情報を盛り込んだこの種の類似本(風呂の汚れ水)と一緒に、真相を暴露する貴重な情報源(赤ん坊)を捨てて顧みないのではないでしょうか。かくして、多量の「石」の中に「玉」を埋没させること(情報隠蔽工作)に、私は首尾良く成功したことになります。
『国難の正体』を陰謀論と呼ぶのは間違いです。作者自身が「本書は、誰でも入手可能な公開情報をもとにして、それを繋ぎ合わせ、行間を読むことによって現代の世界史を解釈し直したものです」(二頁)と釘を刺しておられます。証明可能な客観的証拠に基づいて「世界の実態」に光を当てようとする馬渕氏の言葉「マスメディアなどが情報操作によって国民を洗脳している」(二二六頁)には謙虚に耳を傾ける価値があるように思われます。馬渕氏によれば「本書は、一パーセントを信じる本です。人間をあきらめない本です。すべての人間に感謝する本です。そして何よりも、人間賛歌の本なのです。」(二八九頁)『一九八四年』の作者オーウェルの思いも、まったく同じだったのではないでしょうか。大きくひねりが効かせてはありますが、『一九八四年』は紛れもない「人間賛歌」の本なのです。間断なく心身に加えられる拷問によって人間性を破壊されていく主人公の姿を冷徹に描きだすことで、オーウェルは人間性の本来あるべき姿(人間の尊厳)への信仰を告白しているのです。
携帯電話でインターネットに簡単に接続できる、情報過多の時代に皆さんは生きています。玉石混淆の情報の海で溺れないだけの、情報への耐性や免疫力を身につける必要があります。意図的に攪乱情報が流布されることも珍しくない現代社会にあって、時流に流されずに、自己の主体性を失わずに人間性を高めていく(深めていく)ことは至難の業に思われます。ウィンストンとジュリアの悲劇がそのことを暗示しています。彼らの悲劇を悲劇のままに終わらせないためにも、大学生になった皆さんのこれからに期待したいと思います。
- 山田美妙の勧め
山縣浩 (日本語史) -
高等学校の学習は、生徒の理解や負担などに配慮して、事柄を単純化する向きが少なくない。盛り沢山の学習内容を覚えるためには必要な方法であろう。しかし、それで事足れりでは本当の姿は見えてこない。大学の学修は、高校で覚えさせられた「レッテル」を剥ぎ取ることから始まる。
例えば、娘たちが高等学校で使っている文学史のテキストを開く。明治時代の最初の方に言文一致に関する記述が見られる。そして、文体の問題として「二葉亭四迷は「~だ」調、山田美妙は「~です」調、尾崎紅葉は「~である」調を用いた」などと記してある。
大学入試において、言文一致につき、それが何であるかは当然として、《二葉亭=だ調、美妙=です調、紅葉=である調》を覚え、それぞれの文体で書かれた作品名「浮雲」「蝴蝶」「多情多恨」が漢字で正確に書ければ、完璧である。注(1)
しかし、《二葉亭=だ調、美妙=です調、紅葉=である調》という「レッテル」は、どのくらい各作家の文体の実態を正確に示しているか考えたことがあるだろうか。
例えば、二葉亭は生涯にわたって「だ」で終わる作品を書き続けたのであろうか。或いは、代表作「浮雲」の文章の末尾はすべて「だ」、そこまで徹底せずとも、圧倒的に「だ」が多いのであろうか。注(2)
勿論、そのような文体の実態は高校で習わないであろうし、知らなくても入試では困らない。しかし、大学の学修は、高校で学習した《二葉亭=だ調》の実態はどのようなものであるのか、それは妥当な物言いであるのかなどの問い掛けから始まる。
これは、所属する日本語日本文学科に関係する事例に過ぎない。
高等学校では、国語以外の教科・科目でも、教育上の配慮から「レッテル」を覚えただけでよしとすることが多いのではなかろうか。勿論、「レッテル」であっても、知らないより知っている方がよい。人文学部の各学科で学ぶ内容は、高校で学習する教科・科目と関連性が高く、それを基礎とすることが多い。即ち、人文学部での学修とは、定期試験のための知識、受験のための知識として、高等学校で差し当たり覚えた様々な「レッテル」を剥ぎ取り、そこを入り口にして、その背後にある、人間それ自体、また人間による営み、人間を人間たらしめる言葉それ自体、または言葉で紡がれた世界に分け入っていくことである。
ここでは、先の言文一致家三名のうち、高校のテキストで最も簡略な扱いがなされる、即ち、日本近代文学史において忘れ去られた存在であるとも言える、山田美妙(一八六八~一九一〇)を勧める。
二〇一〇年は、美妙の没後一〇〇年に当たった。このため、雑誌の特集、研究機関での企画展など、美妙に関する催しが種々執り行われた。全集も刊行されるようになった(青木・須田・谷川・十川・中川・宗像・山田編 『山田美妙集 全12巻』 臨川書店・二〇一二年~)。更に文庫本で作品に接することができるようになった。
山田美妙・十川信介校訂『岩波文庫 いちご姫・蝴蝶 他二篇』 岩波書店・二〇一一年刊
入手しにくかった嵐山氏の評伝 『美妙、消えた。』(朝日新聞社・二〇〇一年刊)も大幅に書き直されて復刊された。
嵐山光三郎『美妙 書斎は戦場なり』中央公論新社・二〇一二年刊
ただ、美妙の作品は、読むのに骨が折れる。すでに古典であり、内容が単純に楽しめないためでもある。
文庫本に収められている「武蔵野」「蝴蝶」「いちご姫」は、初期の歴史小説の代表作である。美妙固有の文章上の悪癖は少なく、内容的に工夫され、「いつもの甘酒」(「蝴蝶」序)ではない。注(3) しかし、主要な登場人物が殆どすべて死んでしまう悲惨な結末であり、後味が悪い。発表された当時、どのような評価を受けたか、「裸蝴蝶」論争(「蝴蝶」の挿絵=主人公の裸体画を巡る議論)を含め、どのように話題になったかなど、時代的な位置付けを知り、それを踏まえて読む必要がある。そのためには、嵐山氏や後掲の諸氏の著作によって、明治時代前半の文壇や青年知識層のあり様も知っておかなければならない。
これら三作品は、島内氏が、各々の梗概も含め、歴史的位置をうまくまとめられている。
島内景二『歴史小説 真剣勝負』新人物往来社・二〇〇二年刊
本書は、「源氏物語」「御伽草子」から書き起こし、現代までの歴史小説を作家ごとに論じている。美妙は、「第八番 「ちッ、ぺッ、ぷッ」の山田美妙」で扱われ、三作品を通して「マイナーな文学性」が語られる。
島内氏も触れられているが、作品の内容もさることながら、明治時代前半の文章家として、美妙に限らず、二葉亭・紅葉でも、彼らが腐心した新しい文体、特に言文一致体としての「話し言葉らしさ」にも注目してもらいたい。
即ち、彼らが実践した言文一致とは、小説の場合、地文を当時の話し言葉に近い形で書くことである。話し言葉そのまま、話し言葉の通りに書くことではない。ただ、この近さの程合いが難しく、簡単に定められなかった。このため、美妙・二葉亭は苦労し、紅葉はなかなか踏み出さなかった。
このように言文一致は地文を書くときの問題である(会話文は前代・江戸時代でも話し言葉のまま書かれた)。このため、過去の時代を舞台とする歴史小説では、殊に美妙は初期の作品で会話文に工夫を凝らしたため、江戸時代とは逆の形で、妙なことが起こっている。
この例として、「いちご姫」を紹介する。本作は、文庫本で約三〇〇頁の長編で、舞台は足利義政の時代、「多婬という悪癖」と「尊王の心」の篤さという「美徳」、この二面の間で揺れる絶世の美女・いちご姫の短い生涯を描いたものである。恋情を寄せる窟子(うろこ)太郎を初めとして、姫に関わる男たちがお互いに殺し、殺され、最後はいちご姫自身も発狂して死ぬ。めまぐるしい場面展開の続く、波瀾万丈の物語で、「武蔵野」「蝴蝶」に比べると、読み応えがある。そして、十五世紀を舞台とすることを考慮して、美妙は、会話文に「おじゃる」「おりゃる」「お~やる」「うず」など、室町時代に特徴的な言葉を散りばめる。
「お渡りやるは誰(たれ)どの。国方(くにかた)か、東山か…」
「東山でおじゃる」。
「いわれありてでおりゃるか、このわたりに?」
「いわれありてでおじゃる。禁裡の仰せでこゝら繕(つくろ)いのためまいッておじゃる」。
応答の間、姫はおりおり目を外(そ)らせて若武者を見(みる)と、扨(さて)もたぐい稀まれな美丈夫(びじょうぶ)!
「いちご姫」第一・『岩波文庫』 七〇頁
一方、地文のうち、登場人物の動作・状態の描写、情景の描写などは、言文一致の敬体、いちご姫などの心理は、言文一致の常体で記される。
もうもう今度という今度は思い切ッた。それにしても憎(につ)くい窟子、思わせぶりな昨日に引きかえた今日の始末、あれ程(ほど)義政を贔屓(ひいき) する(と思い込みました)からには打ち明かした今までの事を知らせるに違いない。
あゝ思い凝(こ)ッてもたしかな分別もなくなりました。
むらむらと萌(きざ)した出来ごころ、根が活気の婦人、おのれ、やれ、その寝(ね) … 寝首(ねくび)を…
殺してやれ!
心が心すべて雷同(らいどう)しました。 「いちご姫」第二十五・『岩波文庫』 二六三頁
南北朝時代を舞台とする「武蔵野」及び平安時代末期を舞台とする「蝴蝶」でも、会話文にはその時代に特徴的な言葉が使われ、時代性を高める。一方、これら二作品の地文も言文一致体で、更に「いちご姫」では先の如く言文一致の敬体と常体が混在する。このため、作品全体として、多彩な文体、別の言い方をすると、読んでいて落ち着かない文体である。注(4)
このような文体の詳細は、大学の学修で接することがあるため、これ以上立ち入らない。ただ、《美妙=です調》の「レッテル」に関して一言。
言文一致で問題となる地文は、「蝴蝶」も敬体で、その使用状況からいわゆる「です」調であると言える。しかし、その前に発表された「武蔵野」は、常体で、文末には「だ」が散見される。「いちご姫」で敬体と常体の混在が見られるように、美妙は地文の文末を終始一貫「です」で通した訳ではない。注(5)
美妙への入り方は、その個性的な文体からでもよい。しかし、嵐山氏の評伝が存するように、数奇な生涯からの方がよいのではなかろうか。美妙という人間が結果的に持つ魅力である。ただ、人間に魅力を覚えてしまうのは、文学研究を生業(なりわい)としない者の気楽さのためであるのかもしれない。
美妙は、その斬新な文体と時代を見通した話題性などから、若くして文壇の寵児となり、注目を集める。しかし、生い立ちや性格などに原因する「脇の甘さ」のため、紅葉ら、硯友社から離れ、孤立する。それに加え、頂点を極めたことへの妬みなどが原因となり、二度も「スキャンダル」をでっち上げられ、社会から抹殺される。更にそれを恥じた父親から廃嫡される。
二〇歳代の後半、このような公私にわたる苦難の中にあっても、硯友社の古い仲間であった川上眉山のように自殺することなく、その後は、辞書編纂で糊口を凌ぎ、少ない友人や支援者に支えられて、作品を発表し続ける。容易に読むことはできないが、晩年の「史外史伝」と称する一連の歴史小説は、乗り越えてきたものが大きいだけに今日的な評価は高い。
嵐山氏の評伝は、氏の想像も交えて美妙の生涯の一面を生き生きと描き出す。一方、後半生の「美妙の強さ」を解き明かそうとしたのが、美妙の曾孫に当たる山田氏の著作である。作品は、確かな文学研究の立場で捉えられ、生涯は、淡々とした語り口で描かれる。作品案内・年譜も付され、入門的な研究書である。
山田篤朗『日本の作家一〇〇人 山田美妙 ― 人と文学』勉誠出版・二〇〇五年刊
そして、嵐山氏も、山田氏も、美妙の日本語学者としての側面、『日本大辞書』(一八九二年七月~九三年十二月刊)・『大辞典』(一九一二年五月刊)などの辞書編纂について紙面を割く。
最後に紹介する坪内氏の著作は、美妙を描くことを目的としたものでない。硯友社で仲間であった紅葉との関係で触れられるに止まる。紅葉の目に映る美妙は必ずしもよいものでないが、氏は美妙を公平に扱う。
坪内祐三『新潮文庫 慶応三年生まれ 七人の旋毛曲(つむじまが)り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』新潮社・二〇一一年刊
なお、本書は、副題が示すように、明治時代前半の青年知識層の姿が様々な資料に基づいて描かれている。美妙から離れて読んでも面白い。
以上、嵐山氏・山田氏・坪内氏を重ね合わせて読むことによって、山田美妙という人間が多角的に捉えられる。また美妙の生きた明治という時代が日本史で学ぶのと違った形で身近に感じられる。
高等学校の学習では、教科書に載せられた作品・文章で終わることが殆どであろう。しかし、大学の学修では、その作家や生きた時代にも立ち入る。研究的態度では、それを踏まえて、作品を読み解くことが必要になる。しかし、ある人間がどのような時代にどのように生きたかを知るだけでも、元気付けられ、自身を豊かにすることができる。
注
(1) 下の娘の持つ国語の総合ガイドは、《美妙=です調》の作品として 『夏木立』「蝴蝶」を示す。また別の一冊は同様の作品として「武蔵野」「蝴蝶」を示す。注(5)で述べる如く、『夏木立』 は、「武蔵野」など、常体で書かれた短編六編をまとめた作品集(単行本)の名である。小説の題名ではない。
従って、いわゆる「です」調の作品として 『夏木立』 やその収録作品である「武蔵野」を示すことは誤りである。更に、何の説明もなく、短編集の名であって、作品名でない 『夏木立』 を作品名である「浮雲」「あひびき」「蝴蝶」「多情多恨」と同列に示すことも、結果的に誤った情報を提供している。
ちなみに、「武蔵野」は、国木田独歩にもあり、こちらの方が有名なようである。しかし、美妙は、独歩に約十年先んじて発表した。「武蔵野」は、美妙が本家である。
更に記すと、高校の文学史では《二葉亭=だ調、美妙=です調、紅葉=である調》で十分である。しかし、大学の共通教育レベルでは、更に《嵯峨の屋御室=であります調》も覚えて欲しい。
(2) 《二葉亭=だ調》の意味・内容について、「地の文の「だ」は第一篇、第二篇の四例にすぎない」ことから「一般に「だ」調といわれるが、これは非敬体の終止を含めた総称を指す」(「浮雲」『国語史辞典』 東京堂出版)・「文末についてみると、『浮雲』 は「だ」調といわれるが、これは敬語を使用しないという意味で、地の文にみえる「だ」は第一篇・第二篇の四例にすぎない。第三篇には「である」が三例みえる。そして、全編を通じて「で」止めが四八例もある。」(「新編浮雲」『日本語学研究事典』 明治書院)の傍線部の如く、「だ」の少なさに基づく、ある「解釈」が施される。
しかし、このような「解釈」の示されていない高校のテキストにおいて、《二葉亭=だ調、美妙=です調、紅葉=である調》という「レッテル」の中で見たとき、生徒たちが《二葉亭=だ調》を普通どのように考えるかという観点で話を進める。
なお、この「解釈」は、二葉亭の場合にだけ見られ、美妙・紅葉の場合は寡聞にして知らない。これらの点について考えるところがあるが、煩瑣になるため、これ以上述べない。
(3) 「甘酒」は、一夜酒(ひとよざけ)とも言う。一夜の間に熟成するためである。一八八八年八月、「武蔵野」などを収録した 『夏木立』 を刊行した後、美妙は文壇で注目を集めるようになり、小説の執筆以外に、雑誌 『以良都女(いらつめ)』 に加え、雑誌 『都の花』 の編集も中心となって手掛けた。多忙を極めたため、この頃は一晩で書いたような水準の低い小説が少なくない。それを自嘲して「いつもの甘酒」と言っている。このようなことを公にするところがまた美妙らしい。
(4) 「武蔵野」の会話文は、「いちご姫」と時代が近いため、先に示した室町時代語が概ね認められる。「蝴蝶」の会話文は、時代を遡るため、「な…そ(禁止)」「こそ…已然形」や「昨日の朝の程(ほど)なりき、崩(かく)れさせたまいてき」(その三・『岩波文庫』 五九頁)など、文語文法に見られる古風な表現(平安時代語)が満載である。注(5)に示した、その地文と読み比べ、文体印象の違いを捉えてほしい。
しかし、このように舞台となる時代に特徴的な言葉を会話文に用いるのは、初期の歴史小説に限られ、明治二〇年代後半以降は、どの時代を舞台にする作品でも「ござる」「遊ばす」程度で、室町時代語や文語文法に固有な言い方は見られないようである(森田剛史(二〇一二)『山田美妙・時代小説の文法』 福岡大学人文学部卒業論文による)。
(5) 美妙の文体について記した一般向けの図書はない。しかし、《美妙=です調》という「レッテル」について、少し述べる。
美妙は、最初、非言文一致体(雅俗折衷体)の「竪琴草紙」(一八八五年五・六月)を発表する。しかし、すぐに言文一致体に転じ、常体の「嘲戒小説天狗」(一八八六年十一月~八七年七月)を発表する。この作品は、高校のテキストで「言文一致運動の先駆者」=二葉亭四迷による、「近代文学の名に値する」「真の近代文学の起点」と絶賛される「浮雲」(一八八七年六月~八九年八月)に先んじる。即ち、我が国初の言文一致体の小説である。
その後、常体で、文末に「だ」の散見される「武蔵野」(一八八七年十一・十二月)を発表する。これは、一八八七(明治二〇)年に美妙も二葉亭も、その意味・内容は異なるが、いわゆる「だ」調の言文一致体の小説を発表したことを意味する。
体(てい)のいゝ小説(せうせつ)にハ大抵是(たひていこれ)が敵(かたき)を切脱(きりぬ)けるといふのが趣向(しゆかう)だ。けれど二人(ふたり)ハそれほど強(つよ)くハなかった。否(いや)さ。強(つよ)かッたらうけれども。それよりハ猶敵(なほてき)の方(はう)が強(つよ)かッたのだ。(畢) 「武蔵野」末尾・『読売新聞』 一八八七年十二月六日・付録
しかし、小説では翌年の「空行く月」(一八八八年三月~八九年一月)から敬体、いわゆる「です」調に転じる。その後も同じ敬体で、「蝴蝶」(一八八九年一月)・「いちご姫」(一八八九年七月~九〇年五月)などを発表する。
時は夜更(よふけ)です。それで何か容易ならぬ事があると見えてこの家の夫婦は臥(ふ)してもいません。男は胡座(あぐら)、女は片膝立(かたひざだて)、二人とも思入(おもいい)った体(てい)です。
男も女も別人ではありません。二郎春風と蝴蝶です。
「蝴蝶」その三・『岩波文庫』 五一頁
しかし、一八九二年になると常体に戻り、一九一〇年に没するまで続く。この時期、小説において多用された文末は《「た」・用言の現在形→「た」・用言の現在形・「である」→用言の現在形・「た」・「である」》の如く三転する(木谷喜美枝(一九六九)「山田美妙に於ける言文一致」『国文目白』 ―8による)。
即ち、敬体の時期は、美妙の約二十五年の作家人生のうち、一八八八年から一八九一年までの四年間に過ぎない。またその四年間も、「いちご姫」の発表された一八八九年に入ると、「です」は控えられ、先の引用のように敬体の表現は「ました」が多く、体言止め・助詞止めも少なくない。つまり、「です」が地文の文末で多数を占めるのは、木谷(一九六九)でも述べられる如く、一八八八年三月から一八八九年初めにかけての約一年間に過ぎない。
更に、「武蔵野」など、常体の短編六編をまとめた作品集 『夏木立』 は、その年の三月から敬体で小説を発表し始めた一八八八年八月に刊行されたが、常体のままで、敬体には改められていない。刊行時に付された「まへおき」だけが次の如く敬体で書かれている。
文章ははじめ下流に対する語法(=山縣注・「だ」「である」など、敬意を持たない用語を使うこと)の方が以上のものより簡単ゆゑ、言文一致体の基礎となるだらうと思つたまゝ、此中の文のとほり残らずそれが地を占めて居ましたが、また此頃になつて考へて見れば、些((すこ))し違つた注意も出て来ましたゆゑ、今は大抵同等に対する語法(=山縣注・「です」「ます」など、軽い敬意を持つ用語を使うこと)をして地を占めさせて居ます。 『夏木立』「まへおき」
そして、敬体末期に書かれた「妖女身嗜みの内の一くさり」(一八九一年四月)・「雪折竹」(一八九一年七月)・「これが社会かみみずばれ」(一八九一年八月)などが 『短編小説明治文庫第五編』(一八九三年十二月)にまとめられる際には、文末の「~ました」「でした」は殆どすべて「~た」「~であった」に改められる(大島瑞穂(一九八三)「山田美妙研究 『いちご姫』 から常体文体へ 」『東京学芸大学附属高等学校研究紀要』 21及び 『山田美妙集 第三巻 小説(三)』 解題による)。
即ち、異なる文体の時期を跨いで短編がまとめられ、作品集として刊行される際、一八八八年は敬体の時期であったにも関わらず、常体の作品を常体のままで刊行し、一八九三年は常体の時期であったため、敬体の作品を常体に改めて刊行するという違いが見られる。
時期が異なるため、単純な比較はできないが、敬体、いわゆる「です」調に対する美妙の態度が窺えるのではなかろうか。
それでは、一八八七年から一八八八年にかけての時期になぜ美妙が常体から敬体に移行したのか、「だ」「です」は当時どのような性格の言葉であると考えられていたのかなどの問題が生じる。しかし、煩雑になるため、紅葉の文章を引用するに止める。
紅葉の死後に発表された言文一致に関する発言の中に「言文(げんぶん)一致体(ちたい)の文章(ぶんしやう)も随分(ずゐぶん)変遷(へんせん)して、初(はじ)め山田美妙斎(やまだびめうさい)やなんぞが書かいた時分 じ ぶんには、実じつは僕大嫌(ぼくだいきらひ)で、全(まる)で女郎(ぢよらう)の文見(ふみみ)たやうだと罵倒(ばたう)した事(こと)があつた。」(「故紅葉大人断片」『紅葉全集 第十巻』 岩波書店・三三八頁)とある。美妙の言文一致体を「女郎(ぢよらう)の文ふみ」と称するのは、「です」の多用に基づく。今日、誰も「です」に対して特別なニュアンスを抱くことはなかろう。しかし、「です」は江戸時代に「でござります」から変化して生まれた訛語形で、当時は遊里関係者や芸人が使う、使用階層に偏りの存する言葉であった。このため、明治時代になっても品のよい言葉でないと捉えられていた。
美妙も、二葉亭が「浮雲」を中断せざるを得なかったことが示す如く、地文の文末に「だ」を用いる常体に様々な不都合を覚え、敬体に改めようとした際、その語感の悪さは承知した上で、「であります」「でございます」に比べるとより「「簡略」の徳のある物」であると判断して「です」を使い始めたようである。しかし、使っている内に予想を超える問題があることに気付いたため、敬体に改めた一年後には早々と「です」を減らし、体言止め・助詞止めを増やした。実際、先の「蝴蝶」の引用で「です」を取り去っても、その文は日本語として成立する上、文章は敬体として不自然でない。
♯ 時は夜更(よふけ)。それで何か容易ならぬ事があると見えてこの家の夫婦は臥(ふ)してもいません。
男は胡座(あぐら)、女は片膝立(かたひざだて)、二人とも思入(おもいい)った体(てい)。
男も女も別人ではありません。二郎春風と蝴蝶。
《美妙=です調》という「レッテル」は、美妙が文壇で最も輝いた時期に文末表現として多用したのが「です」であるという意味においては正しい。しかし、美妙の作家人生の中で考えると、たとえ「です」調が「(「~ます。」などの)敬体の終止を含めた総称」をさし、「敬語を使用するという意味」であるにしても、妥当であろうか。更に自身の文体を「下流に対する語法」「同等に対する語法」と称したことを考え合わせると、文末で使われる、特定の語だけでその文体を語ることは、一面的な捉え方であり、ある時期の美妙にとっては極めて不本意な物言いであると言わざるを得ない。
- じてん
山田英二 (英語学) -
「トマソン」ということばを知っていますか?
上階部分の外壁に貼付けられたような開かないドアとか、昇りきっても壁にぶち当たるだけの階段とか―つまり、存在意味が分からない無用の長物のことをいいます。
昨年鬼籍に入った赤瀬川原平はそれらを「トマソン」と命名し、『超芸術トマソン』でその面白さを我々に示し、自ら写真に収めて廻りました(『路上観察学入門』)。
実はトマソンとは、一九八一年、かの読売ジャイアンツが例によって高額で雇い入れた大リーガー上がりの助っ人です。ところがこれが、バットをブンブン振り回すだけでまったく使いものになりませんでした。存在理由が分からない無用の長物-トマソン。日本の野球界では役に立たなかった彼ですが、可哀想なことにそのお陰(?)で名を残し、ついには Hyperart Thomasson という英語の語彙にまでなってしまったのです。
かように赤瀬川原平は、面白いものを見出し、命名する才能を持っていました。
芥川賞作家でもあった彼は、当然ながら国語辞典はいつも手にしていたに違いありません。あるとき、彼は『新明解国語辞典』(第四版、一九八九年)の奇妙な「例文」にふと目を止めました。
じてん【時点】「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」
ん、一月九日とはなんだ?
赤瀬川は次のように述べています。
一月九日である。それははっきりしている。でもそれが何なのかはぜんぜんわからない。
一月十日にはわかったのか。辞典なのに新聞みたいだ。(『新解さんの謎』一一〇頁より)
これをきっかけに彼は、『新明解国語辞典』をつぶさに調べ、月刊誌『文藝春秋』に「フシギなフシギな辞書の世界」(一九九二年)を連載しました。そしてついに、この辞典の一般辞典にあるまじき内容を明らかにした『新解さんの謎』を上梓し、ベストセラーとなったのです。
じつに面白い。
彼が採り上げたのは、例えば、「こそこそ」という項目。以下、本評の性格上、ごく控えめな引用(第四版)を示します。あとは自分で見つけて下さい。
こそこそ(副)「運動会や遠足を欠席してこそこそ勉強をし、試験のとき一点でも多くとりたいという浅ましさ」〈山田(英)註:やけに具体的でリアルな例文〉
あるいは、「いっき」という項目。
いっき【一気】「従来の辞典ではどうしてもピッタリの訳語をみつけられなかった難解な語も、この辞典で一気解決」〈何と、「例文」で己が辞典の宣伝をしている〉
などという具合です。
とはいえ、「一月九日」の謎は残りました。これもまた、一種のトマソンです。
* * *
この「謎」に触発されたわけではないと思いますが、二〇〇一年に『明解物語』という本が出ました。そしてそこに、「一月九日」という日付が、ほぼ三〇年前にあったある出版記念の打ち上げ日として、ひっそりと記されていたのです。
いったいこの「日」に何が起きたのでしょうか。それを突き詰め、ふたりの男の人生の交錯、綾を解き明かしたのが、『辞書になった男―ケンボー先生と山田先生』です。
カードに一四五万例を収集した辞書作りの天才、見坊豪紀。独自の世界観を辞書作りに示した鬼才、山田忠雄。この二人は、かつては一冊の辞典『明解国語辞典』(改訂版)を共に編んでいた友人同士でした。この「一つ」の辞典がある事件をきっかけに、のちに『三省堂国語辞典』(第二、三、四版)「見坊豪紀(主幹)」と『新明解国語辞典』(初版、第二、三、四、五版)「山田忠雄(主幹)」の「二つ」に分かれ、同じ出版社から異なる内容の国語辞典として刊行されるようになるのです。その謎解きが面白くもあり、ふたりの人間模様が哀しくもあります。これは本当の話でしょうか。まさに事実は小説よりも奇なり。
一人で一四五万例をカードに集めるということの凄さは、かの世界最大の辞書『オックスフォード英語大辞典』(OED)と比較するとよくわかります。OED のために集められた例文カードは一八〇万例といわれますが、OED は大判の辞書(初版は全十三巻+補遺三巻)で、数多くのボランティアによって用例が集められました。対して、見坊は全て一人で行ったのです。『三省堂国語辞典』はその一四五万例を基に作成されました。世相を映す「鏡(かがみ)」としての辞典、同時に「鑑(かがみ)」としての役割をも担う辞典。見坊のそれは客観的・現代的な辞典。
一方、『新明解国語辞典』は、『新解さんの謎』で採り上げられたように、「辞書は文明批評である」という山田(忠)の考えが色濃く反映され、特異な光を放っています。ある種、主観的で規範性が高い辞典。
このように、いまこの二つの辞典は全く異なる性格を有していますが、源を辿れば一つなのです。
そういえば、昔から実家に一冊だけあった国語辞典は『明解国語辞典』だったような…。
早速、行って調べてみると、やはりそうでした。一九五二年出版の『明解国語辞典』。徹底的な表音式の-つまり、私たちが普段、発音しているとおりの「音」で表記する―辞典で、現代仮名遣いとは必ずしも一致していません。ある種奇妙な感じのする辞典でしたが、私はなぜか気に入り、大学入試までずっと愛用していました。そうか、この辞典までは共同作業で、その後二人は一九七二年一月九日を境に別々の道を歩むようになるのか。
* * *
ついでですが、国語辞典、作家といえば、井上ひさしに『国語事件殺人辞典』という素晴しい戯曲があります。これもまたぜひ一読を勧めます。更に機会があれば、芝居を見に行ってほしい。これは、ことばに憑かれた国語辞典編纂者の物語です。自由にものがいえる時代の有難みが、抱腹絶倒のことば遊びを通して切々と訴えられ、胸をうたれます。
ことばの力が弱められ、言論が疎んじられ、新たな戦前かと危惧される今こそ、読んで(観て)ほしいと思います。
ことば、ことば、ことば―ことばは、ほんとに面白くて、哀しい。
参考文献(本エッセイ登場順に略式で記載しています)
『超芸術トマソン』(ちくま文庫)(赤瀬川原平著、一九八七年、筑摩書房)
『路上観察学入門』(ちくま文庫)(赤瀬川原平、他編、一九九三年、筑摩書房)
『新明解国語辞典』(初版、第二、三、四、五版)(山田忠雄(主幹)、他編、一九七二-一九九七年、三省堂)
『新解さんの謎』(文春文庫)(赤瀬川原平著、一九九九年:単行本一九九六年、文藝春秋)
『明解物語』(柴田武監修・武藤康史編、二〇〇一年、三省堂)
『辞書になった男―ケンボー先生と山田先生』(佐々木健一著、二〇一四年、文藝春秋)
『明解国語辞典』(改訂版)(金田一京助監修・見坊豪紀、山田忠雄、金田一春彦編、一九五二年、三省堂)
『三省堂国語辞典』(第二、三、四版)(見坊豪紀(主幹)、他編、一九七四―一九九二年、三省堂)
『国語事件殺人辞典』(井上ひさし著、一九八二年、新潮社)
- 岡村敬二 『江戸の蔵書家たち』 (講談社選書メチエ71)
山田洋嗣 (日本文学) - 昨年、江戸後期の和学者、小山田与清のことを調べていて大変面白かった。本当はここで与清の「擁書楼日記」をすすめたいのだが、いささか特殊にすぎるかと思いなおしてこの本にする。
江戸時代になると書物の流通が広くさかんになり、出版も多くなって、自然大勢の読書家や蔵書家、また著作や出版に志す者、分類や目録を作る者、あるいは索引を編もうとする者が出てくる。岡村敬二のこの本はその人々の群像とそのなさんとしたところをいきいきと描き出してみごとである。また、それがこの時代の文化のうねりを描くことにもなっている。
ことに面白いのは、冒頭の小山田与清とその蔵書に群がる人々の様子である。与清は蔵書のために蔵三つを建て、五万巻を収めたというが、彼らを動かすのは、すべての書物を集めたい、すべての書物を読みたい、すべてを分類したい、という静かな狂気である。そのために彼らは集いまた離れつつ、本を求め、購い、貸借を、輪読を、抜書を倦まずにくり返すのである。
私は、実は小山田与清という人間をあまり好きになれないし、その著作が面白いとも思わない。「行為」が面白くて、「結果」が面白くないのは彼の特徴である。しかし、この様子を書くのに岡村が主な資料として使った「擁書楼日記」は、その様子が日々記録されていて、実に面白いのである。
なお、こちらを読みたいと思う人がいるかもしれないから書いておくと、「擁書楼日記」は明治四十五年に出された『近世文芸叢書』の第十二巻に入っている。ただし、活字化するにあたっての間違いが所々にあるから注意しなければならない。気になる人は、早稲田大学図書館のウェブ・ページに与清自身の自筆本の写真版が公開されているから、それを見るといいと思う。
- 狭き門より入れ
山中博心 (ドイツ文学) -
最近放映されたNHKの番組の中でのジャーナリストの立花隆氏の言葉、「インターネットの情報は表面的なもので、読書から得る知識は総合情報である」は説得力がありました。蔵書を納めるためのマンションを持っておられる氏ならではです。二つの情報の違いはある事柄だけでなく、それを取り巻く全体像があるかないかの問題です。言い換えれば読書による凝縮された「知」の重要性です。それによって一見無関係に見える事象が関係づけられ、まったく違った問題が見えてくるのです。その意味では私のような団塊の世代は物事を複眼的に観ることと状況の中に身を置くことの必要性を評論家小林秀雄から教えられました。最新刊『やり直し高校国語―教科書で論理力・読解力を鍛える』(筑摩新書)にも彼の『無常ということ』が取り上げられています。また新潮文庫からもここ一年の間に小林に関する本が二冊出版されています。
一冊は『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』であり、各界で名を馳せた一二人の専門家との対談を集めたものです。たとえば「実験的精神」は「教養」とは異なる「原始的なもの」であり、「ものにぶつかって究める」精神であるという哲学者三木清の言葉を受けて小林は、「実証的精神」は「実証的方法を使う」ことではなく、「自分が現に生きている立場、自分の特殊の立場が学問をやる時に先ず見えて」いることであると語り、彼の学問に対する考えを鮮明にしています。
また理論物理学者湯川秀樹との対話の中での「必然」との関連で「自由」を、小林は「説明しようと思うと出来ないが、しかし非常にぼくらが直接によく知っている絶対感情だ」と述べています。それは「常識」が矛盾を含むものであるとか、人間を理解することと自然を理解することの「両方の行き方がなければ物事」ができないことや、「見るという行為と見る対象が離せなくなるところまで対象」に迫るという小林のリアリティ感に裏打ちされた「直覚」の世界とつながっています。
このような視点から詩人三好達治と「文学と人生」、民俗学者折口信夫と「古典をめぐりて」、梅原龍三郎と「美術を語る」、五味康祐と「音楽談義」等々と対話は進められ、「結局は自己の喪失だ。自己を喪失するから、空虚なお喋りしかできないエゴイストが増えているのだ。自分が充実していれば、なにも特に自分のことを考えることはない。自分が充実していれば、無私になるでしょう」という「人間」小林秀雄を浮き彫りにする今日出海との「交友対談」へと続きます。いかにも小林らしい博覧強記です。
もう一冊は『小林秀雄全集月報集成 この人を見よ』です。小林と関係の深かった七五人が彼の思想、人物像に違った角度から迫っています。宗教学者西谷啓治は小林の『私の人生観』の「観」とは、「身心に相応した認識」であり、決して real に対する ideal ではない、つまりは「物と一つに行為することである」と言っています。
また亀井勝一郎が「(小林秀雄)氏については『鋭い』という言葉がしばしば使われるものだが、その背後にある沈黙の重さをはかる方が大切ではないか。全て健全な言葉は、沈黙の性格によって決定される。私は氏の青筋を立てているような沈黙を好む」と指摘する時、小林の独特の文体と顔が思いだされます。
理知的な小林の「物忘れ」について語る秦秀雄、難解な小林の本を速く読むのは、「鰹節をすっと嘗めるようなものでしょう。深い味わいがあり、ゆっくりとかみしめなくてはなりますまい」と言う瀬津伊之助、「小林秀雄氏は一般にロシア文学研究者として決して見ないような角度からドストエフスキイを考察した、それも徹底的に考察したのです」と鋭く指摘する池田健太郎、小林の心情について「裸身のアイ口を、いつも懐にしのばせている人情なんですよ。だから、彼の人情は、いついかなる場合でも、己が痛手を負うか、相手に痛手を負わせるか、そこまで、とことん行っちまうんです」と小林の為人に触れる真船豊等々、小林秀雄を彷彿させるものが多く掲載されています。また日本ロマン主義の論客保田與重郎の含蓄ある言葉は最高の小林評価です。「しかし、小林氏の高邁さと、その志の高さには、新時代を画する風であった…やがて私は、この人の態度の真にして、誠あるところを悟り、非常に教わるところがあり、またその点に関して深く敬服した。」さらに小林の矛盾に富む逆説的な世界を言い当てている磯田光一の小林評は目からウロコです。「本物主義には、つねに客観的公準という神話がつきまとう。そしてこの客観主義でさえも『偽物』の一形態と見えてしまった人間にとって、客観的な『本物』と主観的な『本物』(つまり贋物)との間に本質的なひらきがあろうはずがないのである。」
『直観を磨くもの』と『この人を見よ』の中身が重なるところが多いですが、一つ言えることは「物を書く」小林、「人との付き合う」小林、「モーツアルトの曲に身を震わす」小林、「酒に酔って水道橋のホームから落ちた」小林はまぎれもなく同じ「小林秀雄」です。ここに挙げた本を読むも良し、直接小林秀雄の著書に当たるも良しです。言葉を通して感じ、考え、行動するのに時間はかかりますが、先ずは第一歩として一読をお勧めします。良質な物に触れたときのあの大きな衝撃を受けるはずです。私にとっても「美しい花はあるが、花の美しさはない」という彼の命題は永遠のテーマです。
- 人から本をすすめられること―パール・バック―『大地』―
山根直生 (中国史) -
パール・バック『大地』(初出一九三一~一九三五年。新居格氏訳の新潮文庫版は、一九五三年)
「無人島に一冊だけ本を持ち込めるとしたら、何にする?」という問いかけがあります。孤独な生活を紛らせてくれそうな、くりかえし読んでも飽きない書物をあげていく話題であり、多くの作家や学者といった人々が自分のお気に入りを紹介しています。
さて私ならどうするかと問われたら、たぶん何を持っていってもけっきょく読まないのではないか、と思います。本を読む理由というのはただその本自体が面白いとか為になるからとかばかりではなくて、読んだ感想を誰かと語りあいたい、ある人が読んだと言っていたから自分も読んで話をしたい、などの理由もあるはずです。私にとっては特にそうで、どんな難しげな本であれ尊敬する人から教えられれば、その人と討論したいがために努力して熟読するでしょう。誰とも話す機会のない離れ小島に流されたら、どれほど面白そうな本であっても目を通しはしないと思います。
つまり私が一番熱心に読書するのは、自分の敬愛する誰かから本を教えてもらった時であり、今回紹介する『大地』も大学時代の恩師からすすめられた本の一冊です。読み進めて、自分が研究上学んできた中国に対するイメージにあまりにもぴったり合致していることに驚き、一九三〇年代に発表されたこの本のイメージに、むしろその後の中国史研究全体が規定されたのではないか、とさえ思いました。
『大地』の舞台は、中国安徽省、十九世紀末から二十世紀の時期と思われます。思われる、というのは、ジャンルとしては歴史物に当たるこの物語ですが、歴史上の著名人や地名・事件名が登場せず、厳密にはいつ・どこの話かあえて分からぬよう書かれているからです。それどころか、主要人物の王一家以外には、ほとんど固有の名前さえ出てきません。物語は第一部の主人公、貧しいけれども勤勉な農民の王龍が、富豪の奴隷であった阿蘭を買い取り、妻にするところから始まります。
平凡な農民の物語を興味深いものにしているのは、厳しく過酷な中国の環境と、それを乗りこえていく彼ら、特に阿蘭のバイタリティーです。旱魃の到来を予想して稲穂の軸を食料として保存したり、飢饉につけこんで彼らの土地を買いたたこうとする高利貸しとわたりあったり、いよいよ暮らしていけなくなって流民として都会に逃げ込んでからも、物乞いの仕方を子供達にたたきこんだりと、とにかく凄まじい女性です。旱魃が過ぎ去り、故郷にもどった王龍は前にもまして畑仕事に励み、一家はしだいに裕福になっていくのですが、阿蘭の働き有ってこその幸運であったのは間違いありません。
私は今までにもこの本を知人や学生の何人かにすすめました。女性読者がそろって面白いと感じるのは、王龍をはじめとする男性主人公と、いずれも気丈な女性たちの間の、ベタベタしていない愛情をさらにドライに描ききった、筆者パール・バックの洞察力だそうです。死の床についた阿蘭と、王龍のやりとりの場面を以下に引用してみます。
…彼は、毎日、幾時間も阿蘭の病床に座っていた。阿蘭は弱っていたし、達者なときでも、あまり話をしない仲だったから、今はなお黙々としていた。その静寂の中で、阿蘭は自分がどこにいるのか忘れることがあったらしい。時々、子供のときのことなどをつぶやいた。王龍は、初めて、阿蘭の心の底を見たような気がした。それも、こんな短い言葉を通してのことだったが。
「はい、料理を持って行くのは、戸口までにします。わたしは、みにくいから、大旦那様の前へは出てはいけないのは、ぞんじています」
(中略)
「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています―」
王龍は聞くにしのびなかった。彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。彼女が言っていることは事実なのだ。自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、蓮華(注 王龍の美しい妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。それが不思議で悲しかった。この死にかかっている骨ばった手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。
それだけに、王龍は、いっそう阿蘭に親切を尽くし、特別な食べ物や、白魚とキャベツの芯を煮た汁を買ってきたりした。おまけに、手のつくしようのない難病人を看護する心の苦しみをまぎらすために、蓮華のところに行っても、少しも愉快ではなかった―阿蘭のことが頭を離れないからだ。蓮華を抱いている手も、阿蘭を思うと、自然に離れるのだった。…
筆者バックはアメリカ人宣教師の娘で、中国現地で前半生を過ごしたという女性です。それだけに、というべきか、作中の男女の恋愛感情に関してバックは一切の幻想を許しません。もちろん、登場する男女の間に愛情が見られない訳ではなく、先の王龍も、王龍の三男で第二部主人公である王虎や、王虎の長男で第三部主人公の王淵も、それぞれ女性に対して時に優しい気遣いを見せるのですが、そこに働く男性のエゴもバックはバッサリと描ききっているのです―これは、けっきょくのところ男である私には感知できなかった部分であり、人にすすめて初めて気づかされた本書の特徴だと言えるかも知れません。
田畑を愛した王龍に反して、彼の子供たちはあっさりと土地を切り売りし始めます。それを資金に軍人としての立身出世をねらう王虎が第二部の主人公、そして王虎から軍人教育を施されながらも、むしろ祖父に似て農業の近代化を志す王淵が第三部の主人公です。
私にこの本をすすめた恩師はいつも第一部を引いて中国農村の姿を話してくれたのですが、中国の軍事史や軍閥を専門としている私には、軍記物のような第二部も非常に興味深く読めました。ある県の警備隊長となった王虎はそこの政治や裁判までのっとり、名産であるという酒に税金を課して、となりの県へと勢力をのばします。ちなみに彼は母に似てすらっとしたりりしい男性だと描いてあるのですが、このことからすれば阿蘭もそんなに不美人だったとは思えません。
『大地』を読み切った私はさっそく恩師に感想を話しました。そうして敬愛する人とより多くの会話を交わすこと自体が、私にとっての読書の楽しみだとも言えるでしょう。中国の軍閥の様子として第二部には非常にリアリティがありました、と私が話すと、恩師はちょっと意外そうな様子で、後日送ってくれた手紙には「そういえば第二部は軍閥のことなのだと初めて気づきました」とありました。
私がバックの男女関係の描写に気づかなかったのと同じように、恩師にとってもそのような見方は今までなかったのかも知れません。こうした発見があることもまた、独りだけでする読書にはない、他者との交流のための読書が持っている意味だと思います。
大学に入ってからの皆さんが書物に興味を持てなかったとしたら、一度このような、他者と話すことを前提にした読書の仕方を試みてみることをすすめます。別に、『大地』を読まなくても構いません。話を聞いてみたいと思う先生や先輩のすすめる本(または、彼らの書いた本)を読み、その感想を彼らとの話題にしてみてください。あるいは、逆にこう言い換えることもできるでしょう―そうした本でも読まなければ大学で実りある交流はできないし、尊敬できる何者かの存在に気づくこともないのだ、と。皆さんそれぞれにとって、大学時代の思い出深い書物が増えることを願います。
Novis 2015
― 新入生のための人文学案内 ―
印 刷 | 平成27年3月27日 |
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発 行 | 平成27年4月1日 |
発行者 | 福岡大学人文学部 |
印刷所 | 城島印刷株式会社 |