福岡大学人文学部
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Novis 2017

Novis 2017 目次

Novis 2017 本文

人文学部新入生のみなさんへ
星乃治彦(人文学部長)
 最近コンシエルジュという言葉をよく耳にするようになりました。初めて聞く人もいるかも知れませんね。コンシエルジュ(concierge)はフランス語で、本来は「アパートの管理人」程度の意味だったのですが、今の日本では、ホテルに入ってどこに何があるのだろうといった質問に丁寧に教えてくれる総合世話係のような人のことを指すようになっています。この小冊子に収められているのは、福岡大学人文学部の教員たちが、諸君らを心から歓迎する意味で、いわばコンシエルジュとなって授ける最初の知的アドヴァイスです。
 諸君らはワクワクする知的好奇心を満たすために大学に入っているのでしょうし、人文学部を選んだということは、何かやりたいことを決めた人も多いかも知れませんね。そんな諸君らに、大学の入り口で読むべき本がここでは丁寧に紹介されています。
 ここに紹介されている本をちょっと読んでみようかなあと思ったら、日本有数の蔵書数を誇る福大図書館に足を運んで下さい。使い方が分からないのであれば、入口の職員さんに尋ねてみましょう。図書館ツアーに参加するのも良いでしょうねえ。そうやって自分の問題関心をすくすく育ててみましょう。それを積み重ねていけば、諸君らは卒業までには人生の確固たる羅針盤を手にすることになるのでしょう。

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映画の字幕
間ふさ子(中国近現代文学)
 外国映画を見るときになくてはならないものが字幕です。映画では目からの情報だけでなく、言葉や音楽など耳からの情報も大きな役割を果たしていますが、言葉が外国語だと何を言っているのかわかりませんよね。それを解決する主な方法は吹き替えか字幕ですが、日本ではまだまだ字幕が主流のようです。字幕翻訳監修業という職業の草分けである清水俊二さんの『映画字幕(スーパー)五十年』や『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』を読むと、日本における字幕スーパーの歩みを知ることができます。

 字幕と聞いてすぐに思い浮かぶのが、この清水俊二さんや戸田奈津子さんなど字幕翻訳者の存在です。語学を志す人で字幕翻訳者にあこがれたことのない人は少ないのではないでしょうか。自分の作った字幕がなければ観客たちは作品を十分に鑑賞できないのです。しかも一行わずか十数字で台詞のエッセンスを表現しなければなりません。責任は重大ですが、やりがいもあるというものでしょう。

 戸田奈津子『字幕の中に人生』、太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』『字幕屋に「、」はない』など、字幕翻訳のエピソードを綴った本は何冊かあり、いずれも興味深いものです。また、前述の清水俊二さんの著書や高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』を読めば、字幕翻訳者の生涯を通して二〇世紀の日本と日本人の姿が、外国映画の受容という側面から浮かび上がってくるでしょう。

 しかし、翻訳者だけでは字幕は出来ません。字幕を作るには昔も今も技術者の熟練の技が不可欠です。かつて字幕がどのように作られていたのかを知るには、神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』がうってつけです。また、太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』を読めば、現在の字幕制作のプロセスがよくわかります。これらの本は、映画が工業技術に支えられた芸術であることを改めて教えてくれます。

 現在では、デジタル映像であれば、素人でも専用のソフトを使って字幕制作にトライすることができます。東アジア地域言語学科では、字幕制作ソフトを利用した語学の授業を行うほか、有志で一九五〇年代、六〇年代の中国映画・韓国映画の秀作に日本語字幕をつけ、市民のみなさんに鑑賞していただくという活動を行っています。これまでにみなさんの先輩たちが、中国映画『白毛女』('50)、『』('56)、『花好月圓(はなはよしつきはまるし)』('58)、『五朶金花』、『我們村裡的年軽人(村の若者たち)』('59)、『今天我休息(本日非番)』('59)、『李双双』、『錦上添花』、『女理髪師(奥様は理髪師)』('62)、『我們村裡的年軽人・続集(続村の若者たち)』('63)、韓国映画『青春双曲線』('50)、『運命の手』('54)、『三等課長』('61)、『ソナギ(通り雨)』('78)など多くの作品に字幕をつけました。今年も九月の発表会に向けて準備を進めています。

 また、この字幕制作で力をつけた卒業生二人が、アジアフォーカス・福岡国際映画祭に依頼され、最新の中国映画『目撃者』(二〇一二年)、『殯棺』(二〇一四年)、『黒処有甚麼(闇に潜む)』(二〇一五年)の字幕制作を行って好評を得ています。

 字幕について書かれた本を読むだけではなく、みなさんも実際に字幕制作にチャレンジして、プロの翻訳者たちが縷々語る字幕翻訳の神髄-限られた言葉で限りないイメージの世界へ観客を誘う醍醐味-の片鱗に触れてみませんか。

  清水俊二『映画字幕(スーパー)五十年』早川文庫、一九八七年
  清水俊二『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』文春文庫、一九八八年
  神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』パンドラ、一九九五年
  戸田奈津子『字幕の中に人生』白水Uブックス、一九九七年
  太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』光文社新書、二〇〇七年
  高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』白水社、二〇一一年
  太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』岩波書店、二〇一三年
  太田直子『字幕屋に「、」はない』イカロス出版、二〇一三年

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小林隆宏君のこと
青木文夫 (スペイン語)
 毎年恒例でNOVISに読書案内もせずに戯言を載せているが、そろそろ定年も近づいてきたので、人生における恩人について書き残しておくことにしたい。

 人生の道標となった人物は数多いところ、絶対に忘れない方が四名いる。一人(鶴田諸兄氏)についてはすでに書いた。あと二人はバカな僕に英語を教えてくれた中学のときの境先生(中京大学名誉教授)と高校のときの故松永先生であるが、その二人については別の機会とし、今回書いてみたいのは僕の命を救った脳神経内科・精神科医の竹原先生である。

 過日…

 ある日のこと、「そんな薬を子供に飲ませたら死ぬぞ」という電話越しでの主治医の大声が僕の耳にも入ってくる。しかし、その夜からはとんでもない量の薬が食後のデザートとして待っていた。
――――――
 二〇一五年のNOVISの拙文を読んでいただければ幸いである。
 

 小学校二年(昭和三十六年)のある初夏の土曜日。学校から帰ってパン屋に。早く食べたいと走る僕。しかし、名古屋の八事(やごと)という当時は信号のない交差点を渡ろうとしたときから僕の記憶は途切れる。目が覚めたのは翌日の何時だったろうか、病院のベッドで包帯がぐるぐる巻きで、左腕は動かない状態。

 小型トラックに轢かれ、飛ばされて、トラックが僕の上を通過。誰もが死んだと思ったそうだ(おまけに交番の前)。しかし車輪の間に倒れるという奇跡が起きて、現在の青木教授が存在することになった。そして、事故の後すぐに八事の交差点に信号が設置された。

 頭部裂傷21針、左の鎖骨他の左半身の骨折、背中に無数の傷。それでも良く助かったものだった。入院二カ月余、自宅療養一か月余。夏休みもなく、九月を迎えることに。

 いくつか思い出を。

 小学校の担任がすぐ見舞いに来たが、左側にギプスをし、左手が不自由な僕を見るとお見舞いの言葉もなく「この際左利きを治しなさい」。僕の心は怒りで一杯。その時から勉強はしないぞと誓い、宿題はその後卒業まで担任が替わっても一切やらなかった。

 毎日点滴や注射があったが、ある日脳内出血がないかを脊髄液を調べる検査。ところが朝から看護婦さんもかなりの数で物々しい様子。僕をうつ伏せで抑えると、麻酔の麻酔らしいところから始まり(効かない)、畳針のような針を背中に!その後も色々痛い目に遭ったが、これが一番。何せ、CTもMRIもない頃。その次が、骨折の部分に金属が通してあって、その外側が二本外に出ているのであるが、それを抜く処置。手術台に縛り付けられ、麻酔も簡単なものなのであったが、ただ泣き叫ぶだけだった。

 退院後数年間は車が通る道を一人で渡ることができなかった。両親や友達に手を引いてもらって、目を瞑って渡っていた。これがいわゆるPTSDというのだろう。

 奇跡の生還を経て、勉強はしないが、やんちゃな日常生活に戻ったと思ってから数カ月後。両親や担任がおかしなことに気付き始める。詳しく書くとこれだけで頁が相当必要なので簡単に。

 夜中に目を覚ましてさまよう。みんなが行こうとしている方向から外れる。椅子から転げるなどなど。そして、僕はそれを全て覚えていない。

 両親が、普段お世話になっている内科の主治医のところを訪ねる。すると、すぐにある神経科のところに行って脳波を取るようにとのこと。当時脳波を検査する機械は大学病院にもなく、ごく限られた大きな精神病院にだけあり、紹介を受けた一宮(名古屋の自宅からはバスと名鉄電車とさらにバスを乗り継いで二時間以上かかった)のある病院に。すると脳波を見た医師は診断書を書くと同時に入院かもしれませんねと言うではないか。後に詳しい説明を知ったが、その時は両親だけが病状を知らされ、非常に固い表情で自宅に戻ると主治医のもとに。数日後、主治医から紹介された名古屋大学の脳神経内科の先生のところへ。その方が僕を救ってくれたフランス留学から帰ったばかりの竹原先生であった。

 さまざま検査の結果下された診断は「脳の損傷によるてんかんと神経障害(意識障害)」であった。数ミリの範囲だけを大きく撮るレントゲンで調べた結果、頭部裂傷の際にほんの〇・数ミリの頭蓋骨折があり、そこから空気が入ってその部分の脳が損傷していたことがわかった。その後病院の診察室ではなく大学の研究室に呼ばれ「大人なら治らない可能性が高く症状を抑えるだけになるけど、子供なら治るかもしれない」と目の前で言われ、さすがの僕も、脳波をとった神経科の病院の患者さん(精神障害で正常ではないと思われる人がたくさんいた)のように入院するのかと恐怖心がわいたものだったが、さらに「君の体で実験するけど、治らずに今のままでいるよりは、仮に失敗してどうなってもいいよね」というようなことを僕に言うではないか。ずっと後になって分かるのだが、治療に使った薬は未承認薬だったり、子供に対する用量を遥かに超えていたりで、その処方箋を持って主治医のところに薬をもらいに行ったときの冒頭の電話の怒鳴り声になったわけである。

 以後、月に一度(学校を休んで)の脳波検査、その結果を持って竹原先生の研究室でのいろいろな運動検査と処方箋、主治医からの調剤という治療が中学三年になるまで六年以上続くのであった。

 その間、運動は一切禁止。高いところ禁止(窓拭きなど)。おかげで今も泳げない。しかしながら小学校六年くらいからは症状は一切出なくなり、内緒で自転車に乗ったのを見られて、こっぴどく叱られたこともあった。いよいよ最後の診察の際には、先生から「君の脳波は正常過ぎて、かえって異常かもしれない」などと冗談も出るほどだった。

 これだけでも命を救ってくれた恩人であることには間違いがないが、もっとすごいのは竹原先生の学問的姿勢に時間が経つにつれて深い感銘を覚えるようになったからである。それは今流で言うとエビデンスに頼らないということであった。僕に処方された薬は「脳代謝改善剤」「ビタミン剤」「アミノ酸(とくにグルタミン酸)」などであったが、その種類は多く、配合は毎回微妙に変化していた。調剤してくれた主治医によると、ときには大人の量の三倍以上あったり、効き目の不明な未承認薬を出したりで、それもいわゆるエビデンス(学術的な証明)は一切ないとのことだった。

 最近、医学の世界ではエビデンスだけに頼る勢力に対し、巨大転換(パラダイムシフト)というエビデンスに頼らない勢力の台頭が目覚ましい。昨年論じた糖質制限肯定派もそうであり、がん治療に抗がん剤の無効を訴えケトン体質下でのビタミンC点滴の有効性を主張する医師たち、糖尿病治療でインスリンの値を高くしないよう治療をする方向、創傷治療でアルコールによる消毒を否定する方向など、従来のガイドラインを打ち破る多くの医師が出現している。

 こういった情報はネットにも溢れていて、その信頼性を判断するのはユーザー本人であるが、一つはっきりしているのは、パラダイムシフト派の医師はガイドラインを否定するような事実に直面した時に、必死に考えて治療法を探っていることである。僕もいろんな情報に接する中で、最近思うのは、いつか癌に罹ることがあっても、抗がん剤は使わないかなということである。

 さて、竹原先生との研究室での時間は一時間を超えることもあった。当初は早く帰りたいなあと思っていたのだが、僕から細かい症状の変化を聞きだし、運動検査の結果を眺め、今までのカルテと睨めっこし、薬の効用を僕に説明し、処方を組み立てていく姿から、普通の治療法では治らない病気を治してやるぞという意気込みを感じるようになったのである。そして、その頃には、僕も自分の病気と症状、それに処方されている薬の役割をしっかり理解していた。
――――――
例えば、関節を叩いて脚気の検査をするけど、その時の反応の微妙な時間の違いなどなど、様々であった。

 命を救ってくれたという点において恩人であるのは言うまでもないが、学問の世界に入った僕に、もう一つの姿勢を教えてくれたのだなあと後に痛いほど感じるようになったのである。それは「エビデンスに頼るな」「パラダイムシフトを目指せ」である。

 竹原先生の消息は不明である。今インターネットで調べても五十年近く前のことは出てこない。でも、それでいいのである。もう五十年以上僕の心の中で生きているからだ。

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美術・イタリア・歴史
浦上雅司 (西洋美術史)
E・H・ゴンブリッチ 『美術の物語』(ファイドン社)
辻 惟雄 『日本美術の歴史』(東京大学出版会)
J・ホール 『西洋美術解読事典』(河出書房新社)

ファビオ・ランベッリ 『イタリア的 ― 南の魅力』(講談社新書メチエ)
F・グラッセッリ 『イタリア人と日本人、どっちがバカか』 (文春新書)
池上俊一 『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)

E・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』(上下)(中公文庫)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

 私の専門は、西洋美術史ですから、学生の皆さんに、できるだけ直接、美術作品に触れてもらいたいと、いつも思っています。美術作品を扱ったテレビ番組(『新日曜美術館』や『美の巨人たち』など)を見たり、スライドで作品を見ながら講義を受けたりするのもよいことですが、美術館や博物館で作品そのものに触れるのがとても大事だと確信しているのです。

 スライドやテレビ画面による美術鑑賞には、居心地の良い室内にいて、寛いだ気分で、細部をジックリ眺めることができるというメリットはありますが、やはり本物の持つ「迫力」(これを哲学者のヴァルター・ベンヤミンは「アウラ」〔日本語では「オーラ」と言われる〕と呼んでいます)は伝わってきません。皆さんにも分かりやすい例をあげれば、車やバイクの本物と、カタログ写真の違いと言えばよいでしょうか。カタログやテレビの自動車番組を見ても面白いでしょうが、本物に触れて、できれば運転してみなくては本当の特徴はわからないでしょう。美術の授業やテレビ番組も興味深いでしょうが、やはり作品の実物と対峙していろいろ考えるのとでは、受け取るインパクトが違います。

 そんなわけで、皆さんにはできるだけ、美術館などで実物、しかも可能であれば多くの人たちが優れた作品と認めている美術作品に触れてもらいたいと思うのですが、共通教育科目の「芸術」を受講する学生諸君に尋ねても、美術館に行ったことがない、と答える人が多いのは、とても残念なことです。

 幸い、福岡には多くの美術館があります。福岡市美術館、福岡市博物館、福岡県立美術館、そして福岡アジア美術館など身近にあって、常設展なら数百円で入場できますし、ちょっと足を伸ばせば、久留米の石橋美術館や、太宰府の九州国立博物館があります(ちなみに、福岡大学は九州国立博物館のキャンパス・メンバーズとなっており、皆さんは、学生証を提示すれば、この博物館の常設展はタダで観覧できます。特別展も割引になりますから、ぜひ、利用して下さい)。

 美術史の教師としては、新入生の皆さんには、大学時代できるだけ多くの美術館・博物館を訪れ、美術について知見を深めてもらいたいと思うわけですが、先ほどの例に戻って、車の性能を知るには、あらかじめカタログを読んでいろいろ比較してから試乗に出かけるに越したことはありません。同様に、美術館や展覧会に行くにしても事前にある程度の知識を持っていれば、よりよく楽しめます。

 ピカソ展とかゴッホ展のように、個別の作家を扱った展覧会であれば、大学図書館にある「小学館世界美術全集」の該当巻などで予習するのが良いでしょう。しかしながら、美術の全体的な流れを大きく把握しておくのも、美術館訪問をより有意義にする役に立ちます。ゴンブリッチ著『美術の物語』は西洋美術の全史として定評のある著作で、読み物としても優れており、「美術とは何か」考えるきっかけを与えてくれます(最近出たバイブルサイズの普及版は二千円ほどで買えますし、ベッドとか電車とかどこでも読めます)。日本美術史であれば辻惟雄さんの『日本美術の歴史』が、最近の定番です。

 日本の美術館に行くと仏像や絵巻物、浮世絵などがたくさんあります。これらは仏教や日本の神話、歴史に取材した作品です。仏像をよりよく味わおうとすれば、釈迦如来と薬師如来はどう違うか、などある程度の知識はどうしても必要です。こうした知識は、もちろん、作品を一生懸命見ても自然に獲得されるものではなく、自分で調べて見なくてはなりません。西洋美術についても同様で、キリスト教やギリシア・ローマ神話、各国の歴史をテーマにした作品をよりよく味わうには、その内容について多少は知っておく必要がありますが、その手助けをしてくれるのがホールの『西洋美術解読事典』です。「天使」とか「聖母マリア」「クレオパトラ」など、誰もが聞いたことのある事項について、基本的な知識を与えてくれるだけでなく、主要な作品も紹介しており、拾い読みしても面白い本です。

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 ところで、わたしはイタリア美術を専門に勉強しているので、イタリアという国の社会や文化一般についてもできるだけ幅広い知識を持ちたいものだと思っています。しばらく前まで日本でイタリアと言えば「美術」や「食事」「音楽(オペラ)」あるいは「犯罪組織(マフィア)」などが想起されるだけの国でした(日本=「フジヤマ、芸者、キモノ、ヤクザ」式の発想では、イタリア=「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」などと言われたりしました)。

 しかし、情報化社会が進み、ヨーロッパも身近になった(今ではローマの観光地に行くと、日本の高校生の修学旅行生を見かけるようになりました。大学の卒業旅行でフランスやイタリア、イギリスに行くのはごく普通の出来事です)こともあり、イタリアについても、より実態に即した社会の状況や文化の様々な様子が知られるようになってきました(NHKにはイタリア語講座もあります)。

 そんなわけで、この冊子でも時々、イタリア関係の書籍や映画も紹介しています。今回ご紹介するランベッリの『イタリア的 ― 南の魅力』は宗教から政治、現代文化の諸相におよぶイタリアの多様性を概説した著作です。これを理論編とすれば、グラッセッリの『イタリア人と日本人、どちらがバカか』はイタリアで具体的にありそうな実例を紹介しながら現代イタリア社会の複雑さを教えてくれるイタリア文化論の実践編と言えるでしょう。どちらも日本のことをよく知るイタリア人の著作です。三冊目、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』は中世史、ルネサンス史の専門家がイタリア各地のパスタ(スパゲッティだけではありません!)を紹介しながら、それに関連づけてイタリアの歴史を教えてくれます。この本を読んだ皆さんには、スパゲッティだけでなく、ペンネやトルテッリーニ、さらにはニョッキやポレンタも味わってもらいたいですね。

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 最後にあげたゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)は、ウィーンでユダヤ系の家庭に生まれたこの美術史学者が二五歳の時(一九三五年)に書いた本が五〇年後に改訂され、新しい後書きを付け加えて出版されたものです。

 この間、ゴンブリッチの故国オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ゴンブリッチ自身は英国に移住、戦時中はドイツ語放送モニターとして対独戦に協力し、戦後はロンドン大学のウォーバーグ研究所で長く美術史の研究に携わりました(二〇〇一年没)。

 この「概説書」は訳文もこなれ通読しても面白いのですが、本当の価値は、訳者の中山典夫さんも言うように、「五〇年後の後書き」にあります。第二次大戦から戦後の冷戦、そしてソヴィエト連邦の崩壊と、半世紀の間に世界の歴史は大きく変わりました。その歴史を肌身に体験し、生きてきた歴史家の証言は貴重です。最初に出た邦訳は非常に高価で残念でしたが、文庫本で簡単に手に入るようになりました。これは大変にありがたいことです。

 皆さんは大学に入ったばかりで五〇年後の自分など想像も出来ないかも知れません。でもあなた方にもやがて訪れる未来ですし、「温故知新」は人文学の基本です。皆さんも大学にいる間に、ゼヒ、過去の人々の証言から多くを学んでください。

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今の大学生に薦めたい昔の大学生が書いた小説
遠藤文彦 (フランス文学)
 『悲しみよ こんにちは』フランソワーズ・サガン著(新潮文庫)

 今回は昔の高校生や大学生がよく読んでいたフランスの小説『悲しみよ こんにちは』をお薦めしたいと思います。

 フランソワーズ・サガンは、十八歳(一九五三年)の夏休みに書いた『悲しみよ』で鮮烈なデピューを飾り、ベストセラー作家となって、二〇〇四年に亡くなるまで生涯に二十編の小説(短編除く)を著しました。日本でも一九五〇年代後半から七〇年代にかけて多くの読者を獲得し、とくに『悲しみよ』は新潮文庫の発行部数歴代ベストテンに入っています(九位まではすべて中高の国語の教科書でよく推薦図書になっているものばかりなので、これは驚異的なことです。ちなみに『悲しみよ』は普通に学校が推薦するような小説ではありません)。私が教養部生(死語)・学部生だった一九八〇年前後でも、書店の棚には、新潮文庫の、よく目立つあの白抜きの紅い背表紙が何冊も並んでいたものでした。現在ではあまり読まれることがなくなりましたが、彼女が二十世紀後半を代表する小説家であることに変わりはありません。

 サガンは当時から流行作家としてのみ捉えられがちで、多くの読者を得たにもかかわらず、本格的な小説家としては過小評価される傾向にありました(新潮文庫新訳版所収の小池真理子によるエッセーがその頃のことを伝えています)。残念ながらいまだにその傾向は続いていると言わざるをえません。しかしその作品をじっくり読めば、サガンは、十七世紀の作家ラファイエット夫人以来の精緻な心理分析に基づくフランス恋愛小説の伝統を正しく引き継いでおり、現代生活の風俗を生き生きと描き伝えているという意味では十九世紀のバルザックの力強い継承者でもあり、ときに読みほどくのに苦労する緻密な文章の書き手であるという点では二十世紀を代表する作家プルーストにさえ通じているということが分かってきます。

 なお、サガンの日本語訳は現在では『悲しみよ』と『ブラームスはお好き』の二点以外は絶版になっていますが、中古本ならネットを通してすべての作品が入手可能です。大学図書館の性質上本学の図書館にはあまり所蔵されていませんが、市の図書館にはたいていの作品があります。大手中古本販売チェーンに行けばたいがい二、三冊は置いてあるようです。最後に、福岡にもいまだ店舗を構えている古書店・古本屋さんが残っていますので、多分何冊かは見つかるだろうと思います。残っているとはいえ大分数少なくなってきていますので、そういう店も、大学生活四年間のうちにぜひ一度訪れてみてください。

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英語教師を志す皆さんへ
大津敦史 (英語教育学)
 大津由紀雄 編著『危機に立つ日本の英語教育』(慶應義塾大学出版会 二〇〇九年)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!これから四年後、社会人としての人生をほぼ決定すると思われる大切なこの四年間、どうか無駄にせず、完全燃焼させてください。もちろん燃え尽きてしまってはいけませんので、自律と自己管理にもしっかり心がけて下さい。

 さて、皆さんの中には、卒業後、英語教師になりたいと思っていらっしゃる方も少なくないでしょう。毎年、英語学科のみならずドイツ語学科やフランス語学科からも教職希望者がたくさんいますので、今回はそのような方たちのために、右記の本を選んでみました。

 まず、編著者である大津由紀雄氏ですが、慶應義塾大学言語文化研究所の教授で、専門は言語の認知科学です。「認知科学って何?」と思われる方は、ぜひインターネットを利用して調べてみてください。最近では、大津氏は日本の英語教育、特に小学校での英語教育の是非について様々な提言をされています。私と同じ姓ですが、残念ながら親類関係ではございません。

 この本の著者には、大津氏以外に、日本を代表する12名の研究者が名前を連ねています。元々この本は、二〇〇八年九月一五日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された公開シンポジウム「「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を超えて」および同年十二月二一日に同大学日吉キャンパスで開催された言語・英語教育講演会「言語リテラシー教育のポリティクス」がもとになっています。二〇〇八年は、二〇〇二年と二〇〇三年にそれぞれ文部科学省によって策定された「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」の目標達成年度に当たります。この「構想」や「行動計画」がこれまで学校英語教育に与えてきた影響は測り知れません。しかしながら、「英語が使える人材」を希求する経済界(財界)主導のこのような語学行政は、教育現場に無理難題を押し付けた結果、その教育現場は疲労困憊(ひろうこんぱい)し、英語教育の質の低下を引き起こしています。

 このような時期に、今一度日本の英語教育、学校英語教育の現状と課題とその解決策を整理・模索してみることは非常に有効だと思います。そのような反省を通して、これから英語教師を目指す皆さんの時代(次代)には、もっと豊かで心地よい教育環境が整備されることを祈って止みません。

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先人を知ろう
甲斐勝二 (中国学)
 勝海舟《海舟語録》江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫

 勝海舟、世界でも希有な江戸という大都市を無血に明け渡した立役者。西郷隆盛を友とし、坂本龍馬を門下に置く。篤姫とも仲が良く、姉と偽って江戸を歩き回った事もある。江戸開城の折には混乱を防ぐため、渡世人の世界にまで自ら赴き頼み回る気配りを語る。良く世界を見ている。明治31年まで生きて、伊藤博文の政策への批判も多くある。

 岩波文庫に《海舟座談》があるが、講談社学術文庫の方が注もちゃんとしていて、勝の発言録としては信用できそうだ。

 この本をおもしろいと思うのは、勝の人情の機微に渡る観察や、人物批評の痛快さ鋭さ、また社会や人への気配りから、(かつて)あった日本の政治家の姿やその手法を知ることができると共に(善し悪し置くとしてこれはつい最近の政治家まで続いている)、「機」を見るといった個人ではどうにもならない社会の動きへの視点もまた示されているところだ。

 内容は読んでいただくとして、中国学を専攻する紹介者にとって、「ふむふむ」と思う文を二つ紹介する。まずは日清戦争後の李鴻章の態度についての発言。
李鴻章の今度の処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか少しもその結果がわからないのには、大いに驚いていますよ。大馬鹿でなければ、大変、上手なのでせう。これまでの長い経験では、大抵、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです(十五頁)
 次に「支那((ママ))人」についての発言。
ナニ、支那が外国人に取られるというのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも御覧なナ、実権は、みな支那人が持っているジャアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも、南京米でも、みな支那人から貰っているジャアないか。それで支那人は野蛮だと言うやつがあるカエ。ナニが、文明ダエ(一五八頁)
 勝は西洋列強の植民地化に対してアジアの諸国が連合し、日本は海軍で海を守る役割も考えたこともあるようだ。征韓論も馬鹿な話だと片付ける。勝の考えた方向で日本が動けば、あるいは今とは違っていたかも知れない。どうしてあんな方向に進んでしまったのだろう。

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江戸時代を見なおそう
梶原良則 (日本史)
 新入生の皆さんは、江戸時代についてどのようなイメージを持っておられるでしょうか。近年の歴史学研究は、江戸時代の通説的イメージに修正を迫りつつあります。ここでは、新入生にも読みやすい代表的な本を紹介しましょう。

 ① 磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書、二〇〇三年)は、江戸時代の中下級武士の生活を家計簿から復元し、従来の武士のイメージを一新させました。

 ② 高木侃『三くだり半-江戸の離婚と女性たち』(平凡社ライブラリー、一九九九年)・『三くだり半と縁切寺-江戸の離婚を読みなおす』(講談社現代新書、一九九二年)は、夫が妻を一方的に離縁できるという夫優位の夫婦関係の通念をくつがえしました。

 ③ 宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書、二〇〇六年)は、一五四三年種子島に漂着したポルトガル人によって鉄砲が伝えられたという通説に疑問を呈しています。

 このほかにも、知的好奇心を刺激してくれる多くの本が皆さんを待っています。図書館を有効に活用しましょう。

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「よい子」ってどんな子?
勝山吉章 (教育史)
灰谷健次郎著『兎の目』(理論社)

 「よい子」ってどんな子?親や教師の言うことを素直に何でも聞く子どもは、確かによい子に違いない。では、親や教師の言うことを聞かない、親や教師の権威を認めない子どもは「悪い子」なのだろうか。いつも親や教師のご機嫌を伺い、「よい子」であり続けることに疲れた子どもは、もうよい子ではなくなるのだろうか。

 『兎の目』の主人公「鉄三」は、そのような問いを投げかける。

 偏差値教育、管理主義的教育に慣らされてきた者にとって、「鉄三」は落ちこぼれに映るだろう。しかし、人間本性に照らし合わせて考えた時、管理化された現代社会に馴染んでいる私たちこそが、大切な人間性を失っているとは言えないだろうか。

 本書を既に読んだ学生も多いと思うが、大学時代に再度読んでもらいたい書物である。

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中国の歴史(全十二巻)
紙屋正和 (東洋史)
講談社版『中国の歴史』(全十二巻)(講談社)

 一九七〇年代に、『中国の歴史』(全十巻)、『図説中国の歴史』(全十二巻)、『新書東洋史』(全十一巻、うち中国史は五巻)と、中国史の概説書のシリーズをあいついで刊行した講談社が、『新書東洋史』以外は入手困難になった二〇〇四年から二〇〇五年にかけて、ほぼ三十年ぶりに刊行した中国史の概説書がこのシリーズである。この間に中国史・中国自体、あるいはそれらをとりまく環境は大きくかわった。

 古い時代については、考古学の大きな発見があいついでいる。稲作の起源は、遺跡が発掘されるたびに千年単位で古くさかのぼり、今や一万二千年前の栽培稲が発見されたというニュースが流れているほどである。また以前は、中国の古代文明といえば黄河文明と相場がきまっていたが、現在は長江流域において黄河文明に勝るとも劣らない高度な長江文明があったことが明らかになっている。戦国・秦・漢・魏晋南北朝時代については、当時の法令・行政文書や思想・文学などの著作を書きしるした簡牘(かんとく)(竹のふだと木のふだ)類や人の目をうばう遺跡が多く発見され、これまで文献史料で知ることのできなかった事実が明らかにされつつある。新しい時代については、放っておいても新事実が積みかさなってくるのであるが、以前に未発表であった公文書が公表され、さらに中国・中国経済自体が大きくかわりつつある。政治は社会主義のままであるが、経済はもう完全な資本主義に、少し大げさにいえば日本よりも極端な資本主義になり、すでに世界第二の経済大国として世界経済を引っぱっている。経済成長がすすみつつあるさなかに、この『中国の歴史』(全十二巻)が企画されたのである。ただし、このように大きくかわりつつある「古い時代」と「新しい時代」とに挟まれた中間の時代の場合、大発見があったわけでもなく、新しい文献が見つかったわけでもないため、執筆者はこまったらしいが、旧来通りの中央からの視線でえがくのではなく、地方の現場から世界を見なおすといった機軸によって新鮮味をだそうとしたという。

 全体的にかなり高度な内容になっているが、全部を紹介するわけにいかないので、私の専門に近い古代史関係についてのみ内容を簡単に紹介し、のこりは執筆者と書名だけを列記するにとどめる。

 宮本一夫著『神話から歴史へ-神話時代・夏王朝』(01)は、中国の地に人類が居住しはじめてから、殷周社会が成立する前まで、いわば中国の先史時代をとりあつかう。現在の中国の経済発展は巨大な開発をともない、発掘もさかんに行なわれている。その結果、先史時代の文明は黄河流域だけではなく、現在は中国の各地で発見されている。宮本氏はこうした発掘成果をもとに、物質文化における地域間比較だけでなく、社会構造上の地域間比較をも試みることによって、先史時代における段階的な社会構造の変化に注目し、殷周社会にいたる道のりを多元的に説明する。これまで「中国の歴史」というとき、先史時代についても文献史学の研究者が執筆することが多かったが、これは考古学の専門家の手になる概説書である。

 平勢(ひらせ)隆郎著『都市国家から中華へ-殷周・春秋戦国』(02)は、新石器時代から戦国時代までを対象とする。本巻は、著者自身がみとめるように「一般に提供されている中国史とは、若干異なった視点」で書かれている。すなわち中国史を、蘇秉琦著・張名声訳『新探 中国文明の起源』(言叢社)が提唱した「新石器時代以来の文化地域」を基礎において分析し、まぼろしの夏王朝、殷王朝・周王朝、そして戦国時代の領域国家のいずれもが新石器時代以来の文化地域を母体として成立したという。こうした歴史を背負う戦国時代の諸国家は、自国の立場から、先行する夏・殷・周の王朝を論じ、そのうちの一部が史書として現在にのこされている。しかしそれらの史書は、それができあがった時代に規制され、ときには無かった内容を付けくわえている。そこで、本巻は、何が後世に付加された虚構の産物なのか、またどの記述が事実を伝えているのかを検討する形で書かれている。安易な気持ちで、急いで読もうとすると、絶対に理解できない。

 鶴間和幸著『ファーストエンペラーの遺産-秦漢帝国』(03)は、秦・始皇帝による天下統一から前漢・新をへて後漢が滅亡するまでの四百四十年間をとりあつかう。この時代は、簡牘類や多くの目を見はる遺跡・遺物の発見があいつぎ、歴史像が大きくかわりつつある時代である。鶴間氏は秦の歴史、始皇帝像の再評価を試み、また秦・漢時代を地域の視点から見なおそうと試みてきた研究者である。そうした自分自身の研究を反映させ、あわせて新発見の出土資料を既存の文献史料とつきあわせて本巻を書いている。とくに新出土資料についてはよく調べて多くの情報を提供しており、専門家としても参考にすべきところが多かった。

 金文京著『三国志の世界-後漢・三国時代』(04)は、後漢後半期に外戚・宦官が政治を乱しはじめた時期から西晋の統一によって三国時代がおわる時までの約百三十年をとりあつかう。この書名にある「三国志」とは、『魏志』倭人伝などをふくむ歴史書の『三国志』ではなく、小説の『三国志演義』であり、執筆者は歴史家ではなく、中国文学者である。本巻は、ゲーム・アニメ・漫画によってつくられた『三国志』ブームを意識したもので、よくいえばこのシリーズに新鮮味をだすための、悪くいえば読者に迎合するための企画といえよう。内容は、この時代の歴史の動きを淡々とおいかけ、ところどころで『三国志演義』がどのように脚色されているかを明らかにしている。本巻は歴史の概説書として読みごたえがあるが、『三国志演義』ファンにも歓迎されるであろう。

 川本芳昭著『中華の崩壊と拡大-魏晋南北朝』(05)は、西晋が中国を再統一したものの、また分裂してから隋が久々に中国を統一するまでの約三百年をとりあつかっている。基本的には分裂の時代といえるこの時期の歴史を、胡漢、すなわち遊牧民族と漢民族の対立と融合をキーワードにして、隋・唐時代に新しい漢民族・中国文化が登場すること、また中原(黄河中流域)の混乱などによって、未開発地がまだ多くのこされていた長江流域に厖大な人口が移動・移住し、その地の開発が急速に進展することを明らかにし、あわせて中国の周辺において朝鮮半島の三国や倭のような国家がうまれてくることにも目をくばっている。

  氣賀澤保規著『絢爛たる世界帝国-隋唐時代』(06)
  小島 毅著『中国思想と宗教の本流-宋朝』(07)
  杉山正明著『疾駆する草原の征服者-遼・西夏・金・元』(08)
  上田 信著『海と帝国-明清時代』(09)
  菊池秀明著『ラストエンペラーと近代中国-清末・中華民国』(10)
  天児 慧著『巨龍の胎動-毛沢東vs鄧小平』(11)

 尾形勇など著『日本にとって中国とは何か』(12)は、太古から現代までの中国の歴史をふりかえったあとで、日中関係がギクシャクしている現在、日本にとって中国とは何か、逆に、中国にとって日本とは何かについて、このシリーズの編集委員四人と中国人二人が総論的に論じたものである。日本と中国は同じ漢字文化圏、儒教文化圏であるから何もいわなくても分かりあえると認識することが、大きな誤解であることを知らなければならない今この時、一読すべき本であろう。以下、執筆者と論題だけを紹介する。

  尾形 勇「大自然に立ち向かって-環境・開発・人口の中国史」
  鶴間和幸「中国文明論-その多様性と多元性」
  上田 信「中国人の歴史意識」
  葛 剣雄「世界史の中の中国-中国と世界」
  王  勇「中国史の中の日本」
  礪波 護「日本にとって中国とは何か」

 概説書は新しければ新しい顔をして我々の前にあらわれてくる。新しければよいというものではないが、少なくとも情報は新しいものがふくまれている。読書には、自分の知らないことをまなぶという「学ぶ姿勢」と同時に、何かおかしい、納得できないことを書いていないかをさぐるという「批判の姿勢」も必要である。

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学問の領域に捉われない読書の勧め
鴨川武文 (地理学)
  木内信蔵(一九六八)『地域概論-その理論と応用』(東京大学出版会)
  日高敏隆(一九九八)『チョウはなぜ飛ぶか』高校生に贈る生物学3(岩波書店)
  武野要子(二〇〇〇)『博多-町人が育てた国際都市-』(岩波新書)

 木内信蔵の『地域概論』は39年前に刊行されました。39年前の本というと、「なんて古い本なんだろう」と思うかもしれませんが、地理学や地理学が研究対象とする地域について体系的に論じられています。私は共通教育科目の地理学を担当していますが、この本は、地理学の講義を学生の皆さんに行うにあたっての、私にとっての参考書ともいうべき座右の書です。

 日高敏隆の『チョウはなぜ飛ぶか』は生物学の本ですが、この本は次の2点において興味深い本です。

 第1点は、「チョウはなぜ飛ぶか」というタイトルですが、内容は、一言でいうと、チョウは自分自身が飛ぶ道筋をしっかりと認識して飛んでいるということです。つまり勝手気ままに飛んでいるのではないのです。全く土地鑑のない場所に出かけた時に頼りになるのは地図です。地図を見てわれわれ人間は行きたいところに行くことができます。チョウは地図を持ってはいませんが、自分が行きたいと思うところへ行くことができ、またそのような本能を持っているのです。

 第2点は、研究というものはどのように行われているのか? 研究者は試行錯誤・紆余曲折を繰り返しながら研究成果を出している、研究者とはどのようなタイプの人たちなのか、科学的なものの考え方とは何か、などについていきいきと書かれているという点です。学生の皆さんが志している学問の枠に捉われることなく、多くの本を手にして教養を高め、知識を習得してほしいと思います。

 武野要子福岡大学名誉教授の『博多』には、博多の町の成り立ちや、政治的に、また経済的に博多に関わりのあった武士や豪商のエピソード、今に伝わる博多の伝統や住民の生活史など興味深い話題が数多くあります。また、聖福寺や承天寺、櫛田神社、鴻臚館、防塁など博多にゆかりのあるものの記述もあり、この本を携えて福博の町を散策してみたらいかがでしょう。

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視野を広げて考えてみよう
高妻紳二郎 (教育行政学)
 最初から引いてしまう質問です。皆さんはなぜ大学に入学するのでしょうか?大学の目的とはいったいどのようなものでしょうか?少し難解ですが、教育基本法、学校教育法という法律にはこう書かれています。

 「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(教育基本法第七条)

 「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第八三条)

 つまり、大学に入った皆さんは、高い教養と深い専門的能力を身につけて、知的にも道徳的にも成長が期待されている、ということです。皆さんにはこれからどんな経験もできるという特権があります。そしてそれぞれの経験が皆さんを成長させてくれるでしょうが、グーッと引いて自己を客観視できる人、言い換えれば視野を広く持てる人になって欲しいと思います。ここに紹介するのは著者の二〇代の体験記ですが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)は今なお色褪せない内容で一気に読むことができる本(エッセイ)です。この本が出版される前、私は藤原氏の講演を聞く機会がありました。私が通っていた中学校での講演会です。内容は覚えていませんが「べらべらよくしゃべる人」という印象を覚えています。後でこの本を読み、「ああ、そういう話だったのか。」と合点がいきました。海外に行った時の興奮や不安感は誰でも感じるものですが、表面上の体験ではない自己変容のプロセスに臨場感があり、自身に置き換えて今読み返しても共感できる記述に多くぶつかるので、海外へ行ってみようと思っている皆さんには手にとって欲しい本のひとつです。エッセイですので読み飛ばすにはもってこいです。

 また、岩波新書のなかでも多く読まれている本のひとつ、池田潔『自由と規律』(岩波新書)をここで改めて推薦しようと思います。一九四九年が初版ですから還暦を迎えた本となりますね。イギリスのパブリック・スクールに学んだ著者の体験をもとに書かれた、これも今なお色褪せない内容です。今の日本の教育は「ゆとり教育」とか「確かな学力」、「生きる力」といったスローガンが先行して内実が伴わないことが目立ち、理念と現実が寄り添っていない状況にあります。「もっとも規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はイギリスの伝統です。いま、大学に入って多くの「自由」を手に入れた皆さんであるからこそ、じっくりと、いや、ちらっとでも「自由」の本質を考えてもらいたいと思います。

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世界のたね(上・下)
小林信行 (哲学)
         
 アイリック・ニュート著、角川文庫

 現代テクノロジー社会への道は、二千数百年前に数学的世界観を生み出した古代ギリシアに始まる。それは合理主義的思考がひとつの明確な形を取り始めた時代である。以来、人間は紆余曲折を経て今日の絢爛たる科学技術世界を築き上げてきたが、そのとき私たちは合理主義的思考の一側面だけ見ていることを忘れるべきではない。名前が示すように、科学技術は科学(学問)と技術(経験)からなる合成語であって、プラトンやアリストテレスならばそれらの違いを力説することだろう。技術は実用性と結びついており、その果実が人間社会への貢献として華々しく評価される。しかし実用性の尊重は、私たちの合理精神を偏ったものする。たしかに技術の魅力には抗しがたいものがあるが、哲学者たちが技術を経験に依存したものと見なしたように、経験にもとづく技術の射程は意外と短く、狭いものである。その実例としては、私たちを取り巻くさまざまな発明品の盛衰を挙げるだけで十分であろう。

 他方、科学が対象としてきたものは自然である。自然ということばは「環境」の一部と見なされるほどに後退してしまった(これも現代人間中心主義の一弊害である)。だが、たとえば人間が地球の自転を理解するまでにどれほどの時間がかかったかを思うだけでも、科学の射程の奥ゆきや広さは十分に想像できるのではなかろうか。もちろんそのことに伴う科学の非実用性や抽象性は人々を遠ざけてしまうところがある。「万物は水だ」とか「地球は動いている」と宣言しても世界が変わるわけではないし、人生に転機が訪れるわけでもない(なかにはそれを聞いて心を入れかえるような奇特な人も稀にはいるが)。それにもかかわらず、自然についての基礎研究なしに、応用技術がありえないことは周知の事実であり、合理性の基盤がそこにこそあることは否定できない。

 では人文学部が担当している人文科学とはいかなる学問なのだろうか。科学である以上は人間についての自然を探求する学問であると言ってよさそうだが、実際には目の前に用意された哲学や歴史や語学などを学ぶことで四年間が終わってしまう。本当に人文科学は自然科学に比肩しうる、あるいはそれ以上に、学問と言えるのだろうか。

 難しい話はさておいて、ここに紹介する本は高校生向けの平易な自然科学物語であるが、そのさまざまな分野や流れをたどっていくとき、人文科学もまた自らの合理思考を省みてしまうことは確かだ。  

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ヴェネチアの古りし小路のごととこそ聞け―『ヴェニスに死す』を読む、観る―
堺雅志 (ドイツ・オーストリア文学)
         
 歌人で医者の斎藤茂吉は、ウィーン、ミュンヘン留学中にヴェニスを訪れている。題目に掲げたのは、「長崎は石だたみ道ヴェネチアの()りし小路(こうぢ)のごととこそ聞け」(『茂吉秀歌』、塚本邦雄編、講談社学術文庫)からの抜粋である。長崎医学専門学校教授だった茂吉が留学のため向かったのは一九二一(大正十)年、第一次世界大戦後の復興さなかのヨーロッパだった。この歌は東京から長崎に赴任し土地にも慣れ、歌詠みの友もできた一九一九(大正八)年に詠まれた。住み慣れつつある異国情緒漂う街から、二年後に向かうヨーロパの玄関口のひとつであるヴェニスに思いを馳せた歌でもあろう。長崎にしばらく暮らした我が身としては、車の通れない長崎の網の目の路地裏を歩くたび、この歌を噛みしめたものだった。

 アドリア海の真珠と謳われる海上の都ヴェニスは、海底に打ち込まれた丸太の杭の上に建設された街である。一八四六年にオーストリア帝国によって鉄道が敷かれるまで、街へのアプローチはもっぱら船であったし、車道のない街のなかは今でも水路を走る手漕ぎボートのゴンドラと水上バスのヴァポレットとが主な交通の手段である。水路には、シロッコと呼ばれるアフリカとオリエントの風が地中海から運ばれてくる。

 今から三十年余り前私は、ミュンヘンに留学中、友人と連れ立ってヴェネツィア行きの寝台列車に乗り込んだ。明け方、干潟の中を伸びてゆく一筋の鉄路の上を列車が走ってゆくのを体感し、サンタ・ルチア駅に降り立った。トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』(高橋義孝訳、新潮文庫、『トニオ・クレーゲル』併載)の主人公グスタフ・フォン・アシェンバハの(ひそ)みに倣う旅であった。小説は、初老の作家が勤勉な日常の創作生活から、ふと旅への衝動に駆られヴェニスを目指す。保養地のリド島で、ポーランド貴族の美少年タッジオに激しい恋情を抱えてしまい、コレラの蔓延した街を去ることができず客死するという筋である。小説では、片恋に苛まれる主人公の常軌を逸した行動が克明に描かれている。

 イタリア映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティは、同作の主人公を作家から作曲家に変えて映画化した(一九七一年)。ビヨルン・アンドレセン演じるタッジオはなるほど美しい。ダーク・ボガードが扮する主人公はマスカレードさながら、激情を謹厳の仮面で覆い隠しているかのようである。少年に気づかれぬようあとをつける主人公を追うカメラは、造形美そのものの街並みを映し出している。通奏低音として流れるグスタフ・マーラーの『交響曲第五番』の第四楽章アダージェットが、これから訪れる哀しみの予感を奏でつづける。トーマス・マンは執筆に際し、じっさいに小説成立前年の一九一一年に鬼籍に入ったマーラーをモデルの一部に主人公を造形したという。ヴィスコンティによる主人公の設定はしたがって大作家と大作曲家へのオマージュでもある。

 小説では、ヴェニスに旅立つまでの主人公の内面描写、そして舞台はミュンヘンで始まるが、映画はヴェニスへの旅の船中から描かれる。小説では主人公の言語芸術観への内省が語られるが、映画では、主人公と(アルノルト・シェーンンベルクと目される)友人との音楽論がたたかわされる。小説では、タッジオの美に従った散文が書かれたとされるが、映画では、失敗に終わる演奏会の場面が映し出される。小説ではタッジオへコレラの蔓延を伝えるかどうかの主人公のこころの焦燥が語られるが、映画では事実をポーランドの家族に告げる主人公の空想の映像が挿入される……。

 フランスのダゲールによる写真技術の開発を経て、リュミエール兄弟によって一八九五年に発明された映画の歴史はまだ百二十年をわずかに越えたに過ぎない。けれども映像とともに生まれ、音声を取り込んできた芸術である映画は、ことばとともに生まれた芸術である文学を次々に果敢に映像化してきた。果たして映画は文学の世界を忠実に映像化できるのであろうか、あるいは文学の世界を超えうるであろうか。翻って文学は、映画の追随を許さない世界を構築し続けてゆけるのだろうかと、最近しばしば考える。

 文学作品の最新の映画化といえば二〇一六年、長崎を舞台とした遠藤周作の『沈黙』(新潮文庫)がある。ヨーロッパを日本において先駆けて受容した江戸初期長崎のキリシタン弾圧を背景に、人間の信仰と行動と心情とを洞察した秀作である。(長崎の角力(すもう)灘に臨む隠れキリシタンの里、外海(そとめ)にある遠藤周作文学館も一度は訪れられたい。)マーティン・スコセッシ監督によるこの映画の公開にあたって原作を読み直すのも一興である。読むか、観るか、どちらを先にするかは君たちに委ねよう。  

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お祭り見学の勧め
白川琢磨 (文化人類学)
 主に福大に入学する皆さんは、九州か中国・四国出身の人が多いだろうから、「もう一度」お祭り見学の勧めと言うべきだろう。幼い頃から少なくとも何回かは近所の神社や寺のお祭り、あるいは民俗行事に参加した経験があるかもしれない。だが年を経て自然と足が遠ざかり、大学受験を控えてお祭りなどに行っている場合じゃないと思っていたかもしれない。しかし今、改めて行って欲しいのである。そこに集う人々が何を語り、何を楽しみにしているのか、またどのような神仏に何を祈り、何故に来るのか、じっくり耳を傾け、しっかりと経験して欲しい。そのようにして君らにはまず立派な「ネイティヴ」に成って欲しい。

 大学に入って「文化」を研究するのであれば、そうした君らの経験を再度「他者」の視線から捉え直すことになる。しかしそれはそれ程難しいことではない。近代人類学は、「異文化」に「他者」として参入することを業としてきた。だが人類学者という「他者の語り」におとなしく耳を傾ける「未開社会」などもう世界の何処にもありはしない。世界各地でネイティヴたちは、しっかりと自らの文化を語り始めたのだ。その力強い語りを前に、近代人類学という巨人はしばしその歩みを留めているのである。西欧の人類学者の殿(しんがり)に連なってきた日本の人類学にとって、その影響は深刻である。我々は一体何者なのか? 日本は西欧と同じく研究する側なのか、それとも異文化として研究される側なのか? 答えはその両方であろう。研究し、そして研究されるのである。ただし、前提がある。「ネイティブとして」である。日本のアフリカ研究の草分け、和崎洋一氏は、亡くなる前に「先生がもう一度生まれ変わって研究するとしたら何処でしょうか?」との問いに躊躇なく「日本」と答えたそうである。ポストモダンの時代に生きる我々は、大和崎が二つの人生に分けた課題を一時に果たさねばならない。そのためにはまず我々はネイティブに成り、ネイティヴを磨かなくてはならない。

 昨年は一年かけて「鬼」というネイティブの産物を追いかけてきた。写真家の清水健さんと共同で文藝春秋の平成一九年一月号にグラビア特集が掲載されているので関心のある人は見て欲しい。天念寺の修正鬼会を撮り終えた後、国東半島の宿で夜遅くまで語り合ったが、「いやーそれにしても九州は奥深い凄い所ですね」と感に堪えたように呟いた。ナショナルジオグラフィックの撮影で世界中を飛び廻り、今回の特集では全国を撮影して歩いた清水さんの言葉である。それに励まされて私は思わず書いてしまった。「九州は鬼の宝庫である。」実は鬼だけではない。ネイティブを育成し醸成する豊かな土壌に恵まれているのである。祭や民俗芸能はそうした豊かな土着の集合表象に触れる絶好の機会である。

 今年の暦も既に動き始めている。正月七日夜、久留米大善寺の大松明の灯と煙に咽びながら闇夜に紛れる鬼を追うことから始まり、十四日には志賀海神社で大宮司四良、別当五良ら若者八人が渾身の力を込めた歩射の力強い矢鳴りを聞いた。やがて節分、さらに「松会」、桜の開花の頃から駈仙(ミサキ)が活躍する勇壮な神楽が始まる。そして汗ばむ季節になると各地で「山笠」の声が聞こえ始める。出身地は元より、福岡に来たら近郊の祭に足を運んで欲しい(福岡民俗芸能ライブラリー http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/index.asp)。必ず、何か得るものがあるはずである。文字に書いてあるものだけが価値があるという偏見を捨て、祭や芸能という生きた教材を是非経験して欲しいものである。

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博物館へのいざない
武末純一 (考古学)
 博物館へ行ったことがあるだろうか。人文学部の新入生ならば、すでに一つか二つはあるだろう。しかし大学生には大学生なりの見方がある。行ったことのない人はまず特別展を見に行くのが良い。

 私の専門は考古学、モノから歴史を考えていく学問である。以下は、博物館などでひらかれている考古学関係の特別展へのささやかな招待状である。

 特別展は、秋の文化シーズンにあちこちの博物館や資料館で開かれる。このごろは夏休みや春休みに開くところも増えてきた。内幕をいえば、特別展を開く→お金がかかる→その分だけ多くの入館者が欲しい(でないと来年の予算にもひびく)→学生が休みで大人も活発に動く夏や春に開こう、という発想がほとんどだが。でも特別展は楽しい。

 楽しさの一つは、それまで写真や図でしかみたことのなかった実物に会えること。せっかくの機会だから、上から、下から、横から、斜めから、じっくりと眺めて、どのように作られ、どんなふうに使われたかを想像しよう。もちろん、図録や横にそえられた解説文に答えがのっている場合もあるし、それを理解するのも大事だが、それよりも大切なのは、答をうのみにしないで自分で考えること、自分の疑問をもつこと。

 二つ目は、あちこちの発掘品が一か所に集められていることである。それぞれの保管場所に行って見せてもらうととんでもない金額になるから、一見高そうに見える特別展の料金も実は安いものである。

 それと、いつもは全く別のところにあるモノ同士がすぐ横に並ぶから、比較ができる。これはけっこう大事である。何回もいったりきたりして見比べ、「似た形だけどここが違うな。これは出たところが違うからかな、それとも作った時代が違うからかな」「へー、こんなに遠く離れて出ているのにそっくりじゃないの」など、自分だけの発見ができればしめたものだ。

 三つ目は、発掘の記録は報告書という形で本になるが、手に入りにくいし、入ったとしても一般の人が読み通して理解するのはけっこうシンドイ。でも博物館では、そうした成果をできるだけ噛みくだいて、どんな発見があったのか、何がわかったのか、どういう問題が出てきたのかを、実際にモノを示しながら説明してくれる。

 ちょっと変わった楽しみ方もある。学芸員になった気分で。この照明は展示品のどこを強調しているのか。自分だったらこういう角度でここをみせたい。このパネルはなぜこの大きさでここにかけられているのだろう。展示品をきわだたせるためにどんな形や色の台を使っているのか。なぜこの展示品とあの展示品の間がこの位空いているのか、などなどなど。

 そう、ここまでくれば、もう特別展だけじゃなくて常設展でも十分に楽しめることがわかってくる。まずは福岡県内あるいは故郷の博物館だ。

 昔の博物館は、展示品がケースの中に重々しく鎮座し、いかにも「見せてやる」といった感じが強かったが、いまでは〈さわる〉〈作る〉〈使う〉などの体験コーナーも整いつつある。充実したミュージアムショップや市民ライブラリー、しゃれたレストランもけっこう多い。講堂や入り口のホールで演奏会を開くところも出てきた。〈博物館は古くさい〉というイメージは消え始めている。

 自分の知の世界を広げるために博物館をのぞき、どれでもいいから、自分の心にとまった展示品をスケッチする。そんなすてきな時間を作ってみたらどうだろう。

 なお老婆心から蛇足を一つ。ゆめゆめ月曜日のデートの場所に博物館や美術館は指定しないように。日本では月曜日は休館日なのだから。

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希望のために
辻部大介 (フランス文学)
 「大学」および「文学」を棲息域とする者として、両者にまたがるがゆえに愛着をおぼえている文芸作品に、柘植文『野田ともうします。』(①~⑦、講談社ワイドKC)、および、奥泉光『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』『黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』(文藝春秋/文春文庫)があります。前者は埼玉県に位置する架空の大学「平成東京大学」のロシア文学科に在籍する文学好きの女子学生を主人公とし、後者は千葉県に位置する架空の大学「たらちね国際大学」の文芸部を主要な舞台としています。両作品に共通するのは、学生同士のやくたいもない会話や彼らの日常を彩る些末な出来事を、冷めた目で見つつも深い愛情をこめて描いている点で、そこに文芸用語で言う「ユーモア」の最上の例を見る思いがします。と同時に、大学を含めた社会全体をうっすらと覆っている絶望をも容赦なく描き出していて、この絶望の中に小さな希望の灯をともす、といったつつましやかな抵抗の姿勢に、若いみなさんも共感してもらえるのではないかと思います。

 ところで、ベーシック・インカムという言葉を聞かれたことはあるでしょうか。すべての人に、一定額のお金、たとえば毎月八万円を、一生のあいだ無償で支給する、という制度のことです。稼ぎのある人はそのぶん自由に使えるお金が増えて生活が潤いますし、職につけずにいる人も、当面の生計をなんとか維持しつつ就業機会を探ることができます。みなさんも、お金に困っているいないにかかわらず、そんなうまい話があるのだったら、今すぐ乗りたいと思われるのではないでしょうか。高等教育の無償化や給付型奨学金の充実が議論されており、それに反対する理由は何一つありませんが、国や地方自治体の財政難が実現を阻む壁となっているのは事実です。そしてこの財政難は、為政者の無能や無定見以上に、現在のお金の発行と流通のしくみが内蔵する構造的な欠陥に起因するので、その欠陥を正すことが早道と思われます。

 ベーシック・インカム(以下、BIと略記)について書かれた本はいろいろありますが、私が読んだ中で、たいへんわかりやすくBIの本質を説き明かしてくれていると感じた、古山明男『ベーシック・インカムのある暮らし 〝生活本位制マネー〟がもたらす新しい社会』(ライフサポート社)を紹介します。三章からなっており、第一章では、BIによってわれわれの暮らしがどう変わるかという展望、第二章では、BIを導入すべき根拠となる、日本の経済状況の解説、第三章では、BIをどのように導入し運用していくかという具体的な青写真が、それぞれ述べられています。今の社会は、働けば働くほど皆が貧しくなるようになっていますが、著者によれば、それは現行の通貨が〝生産本位制マネー〟であるためなのです。日本円と並行して「E円」と名づけた電子マネーを発行し、BIとして国民にゆきわたらせることで、企業の業績は上がり、政府の財政は改善され、こうして国の経済全体がうまくまわるようになります。BI論でかならず問題になる財源をどうするかという点についても、試算の数字をあげながら周到に論じられていて、これならさっそく実現可能と思わせられます。

 BIによって社会全体も、われわれ一人一人の生活も、今よりずっとよい方向に向かうだろうと確信できるだけに、この構想を画に描いた餅で終わらせてはならないと強く思います。そのために、まずはBIについて一人でも多くの人に知ってもらいたく、私にできることとして、この場で紹介しております(それゆえ、この一文が、新入生のみなさんのみならず、みなさんの家族、友人、知人、等々の目にも留まることを願っています)。なお、著者の古山氏は、経済の専門家ではなく、私塾の経営者として教育問題に関わる中で、BIという制度が個々人の人間性を開花させるための支えとなりうることに注目し、研究を始めたのだということです。教育の分野での著書に、こちらも好著の『変えよう!日本の学校システム 教育に競争はいらない』(平凡社新書)があります。

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学ぶことを支える仕事
徳永豊 (支援教育学)
 教師は学校で子どもたちと授業をして、国語や数学の内容を教えることが仕事である。別の言い方をすれば、学校で子どもたちがよりよく学ぶことを支える役割が教師にある。

 子どもたちは、学校で同じように学ぶのであろうか。学びについて、みんなが同じであることはけしてない。それぞれの理解の程度、これまでの経験、学び方など実に多様である。

 よくわかる子ども、理解が早い子どもがいる。また、よくわからない子ども、理解がゆっくりの子どもがいる。教師として「学びを支えること」を考えた場合に、どちらがおもしろいのであろうか。

 「よくわからない子どもに教えることがおもしろい」という障害のある子どものための学校の教師がいる。わかる子どもとの授業では、教師の苦労は少ない。よくわからない子どもとの授業は、教師が工夫し苦労しながら授業に取り組む。数多くの失敗を繰り返し、授業に工夫を加えることで、徐々に子どもの「学びを支えられる」ようになる。そしてはじめて、子どもと「わかった喜び」を共有できるように教師が成長する。

 「よくわからない」世界で、「わかる」を拾い上げた瞬間である。この瞬間があるからこそ、やめられない仕事が学校にはある。

村田 茂 著
 『障害児と教育その心-肢体不自由教育を考える』慶應義塾大学出版会(一九九四)
 肢体不自由教育の道を三〇年、歩んできた著者が、子ども一人一人を大切にする温かい視点で特別支援教育全体と肢体不自由教育のあり方を見渡し、わかりやすくまとめたものである。

徳永 豊 著
 『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意-コミュニケーション行動の基盤について』慶應義塾大学出版会(二〇〇九)
 意図・感情の共有や人間関係の形成に必要な「共同注意」、乳幼児が獲得する「共同注意」の形成までを「三項関係形成モデル」として示し、障害のある子どもの事例研究によって、「自分の理解」や「他者への働きかけ」「対象物の操作」の発達の筋道を示す。

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イロイロな映画を見よう
冨重純子 (ドイツ文学)
 「人生いろいろ」である。そのことを私たちは知っている。けれど、私たちはどんな気持ちで「人生いろいろ」と言うだろう。感嘆? 驚き? あきらめ? 主張?「人生色々」ならどうだろう。「世界はいろいろ」なら? このことばを口にすることが、事柄への賛同のつもりなのか、怒りのつもりなのか、了解のつもりなのか、考えてみる―その前に、「世界はいろいろ」であることをは知らなければならない。世界は色々。

 『イロイロ』(二〇一三年)(アンソニー・チェン監督)というシンガポールの映画がある。シンガポールは人口約五四〇万人、そのうち外国人が二〇〇万人を占めるという。両親が共働きで忙しく、ひとりっ子のジャールーは、わがままな振る舞いが多く、小学校でも問題ばかり起こしている。手を焼いた母親(マレーシア出身の女優が演じている)はフィリピン人のメイド、テレサを雇う。テレサには故郷に子どもがいて、仕送りをしている。テレサを受け入れる気のまったくないジャールーだが、テレサの出稼ぎの必死をじっと見ているのは、おとなたちよりジャールーである。それぞれに孤独なふたりは、しだいに心を通わせるようになる。ところがある日突然、ジャールーの父親が会社を首になって、テレサは解雇されることになる。少年の成長、公共住宅の生活、金銭的トラブル、夫婦や親子、移民や階層の問題は、シンガポールの今を映しながら、同時に普遍的でもある。父親の失業とフィリピン人メイドとの別れは、監督自身の体験がもとになっており、英題の「ILO ILO」は、その女性の故郷の地名だという。

 私が何か少しでもアルゼンチンの現在を知っているとしたら(私はサッカーにまったく興味がない)、それは『幸せパズル』(二〇〇九年、ナタリア・スミルノフ監督)のおかげだ。息子たちがそろそろ独立する時期を迎えた専業主婦のマリアは、誕生日プレゼントにジグソーパズルをもらったことをきっかけに、自分にジグソーパズルの思わぬ才能があることを発見する。パズルの大会にも出場し、優勝もする。家庭にのみ生きてきた主婦が自分の世界をもつようになる話と言えばそれまでなのだが、ブエノスアイレスでもわれわれが知っているのと同じような人生の局面が生きられており、同じでありながら、またひとつひとつ異なる生活が行われている不思議。そして、ジグソーパズルに没頭する人々の世界があることがおもしろい。

 あるいは『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』(二〇一三年、シャウル・シュワルツ監督)で、私はアメリカ合衆国との国境に面したメキシコの町のことを知った。これはドキュメンタリーで、年間三〇〇〇件以上の殺人事件が起こる街の様子と、「ナルコ・コリード」と呼ばれるサブカルチャーをめぐる取材で構成されている。「ナルコ・コリード」は物語歌を意味する「コリード」という古い語に麻薬の語を組み合わせた名称で、明るいリズムにのって麻薬組織やその幹部、暴力を称揚する歌のジャンルなのだという。全体として政府や警察組織が機能しない中で、命がけで日々の任務を果たす警官のひとりと、インターネットでしかメキシコの麻薬組織のことを知らないでナルコ・コリードの歌を作り、歌っている、ロサンゼルス生まれのメキシコ系アメリカ人歌手が、映画のふたつの極を成す。今や莫大な富を生み出し、大きな影響力をもつ「ナルコ・コリード」だが、メキシコでも支持されているその背景には、貧困と社会の荒廃がある。一部の人々にとって、麻薬組織は唯一の成功のモデルとなっているのだ。

 『僕たちの家に帰ろう』(二〇一四年、リー・ルイジュン監督)は、中国の甘粛省に住む少数民族ユグル族のバーテルとアディカー兄弟が主人公の映画。ふだんは小学校に通うために、遊牧をしている両親と離れて暮らしているふたりが、夏休みに両親のいる遊牧地を目指す。ユグル族の人口は現在一万数千人だそうだが、経済発展や草原の砂漠化で、年々遊牧も難しくなってきており、これが最初で(?)最後のユグル族の映画となるかもしれない、そんな状況が伝わってくる。しかし、とにかく、砂漠をラクダで進んでいく少年たちの道中が命がけの冒険でもあり、美しくもあり、すばらしい。

 似たようだけれど、古臭い題で公開されてしまったドイツの映画、『ぼくらの家路』(二〇一四年、エドワード・ベルガー監督)は、原題はシンプルに「ジャック」である。育児放棄に近い母親と幼い兄弟の話だが、年長で十歳のジャックがひとつの決断へと向かう物語なのだ。最近よく耳にするような状況で、しかし住まいが違い、空間が違えば、異なる状況なのだろうか。

 王朝が倒れ、新しくイスラムの共和国が樹立された一九七〇年代末から一九九〇年代のイランで、少女から大人に成長していくマルジの物語、『ペルセポリス』(二〇〇七年マルジャン・サトラピ/ヴァンサン・パロノー監督)は、サトラピ監督自身の自伝的「バンドデシネ」(フランスの漫画)が原作のアニメーションだ。反政府活動やその弾圧の毎日にあって、サトラピ家の女性たちが炸裂させるユーモアのすばらしさ。とくにマルジの祖母! イランについて私が持っていたささやかな知識と漠然としたイメージに、みごと風穴を開けてくれた。

 これらの映画を私が見ることができたのは、「KBCシネマ」という映画館があるからである。福岡には目下、大手の映画館で上映されないような映画を見ることのできる映画館は、KBCシネマくらいしかない。しかし、ここに行けば、かなりの映画が見られる。

 何といろいろな映画があることか。いろいろな映画を見ていると、気が狂いそうなほどだ。しかしそれはこの世界が、気が狂いそうなくらい異なる無数の世界でできているからだ。(それは日本の中でもそうだ。)映画はそのいろいろな世界を示そうとするもの。イロイロな映画を見よう。

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少し変わった本
永井太郎 (日本文学)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』(晶文社)
 アルゼンチンの幻想文学作家ボルヘスが書いた、神話や小説に登場する、実在しない怪物のアンソロジーです。バジリスクやケルベロス、体の前半分が獅子で後ろ半分が蟻というミルメコレオ、ドイツの小説家カフカの描いた、なんだかわからないオドラデクなど、奇妙な幻獣たちが登場します。また、澁澤龍彦の『幻想博物誌』も、同じように空想の生物を紹介した本です。()ではなく、羊や人間の娘がなる木の話など、面白いエピソードが多く集められています。『幻獣辞典』と重なるものもありますが、こちらもおすすめです。ただ、絶版なので、図書館で借りて読んでください。

ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』(平凡社)
 第二次世界大戦中、日本軍の収容所から脱走した捕虜が漂着した島で発見した、鼻で歩行する「鼻行類」。その生態を記した本と言えばもっともらしいですが、全て虚構です。全くの虚構の生物を、本格的な生物学研究書の体裁で描いた本です。時に「鼻行類」の体の構造の説明が専門的すぎて「?」なところもありますが、鼻で歩く「鼻行類」の様子を読むだけでも楽しい本です。日本では、劇作家の別役実に、様々な生物やその他のものについて、もっともらしい文章でナンセンスな解説をした本があります。僕が初めて読んだのは「虫づくし」(ハヤカワ文庫。絶版)でしたが、他にいくつもあります。ハヤカワ文庫では、「道具づくし」「もののけづくし」があり、福大図書館にも「けものづくし」「魚づくし」「鳥づくし」が入っています。ちなみに、「腹の虫」などと比喩的に言いますが、昔は本当にお腹の中に虫がいて病気を起こすと思われていました。そうした虫の絵をおさめた、長野仁・東昇『戦国時代のハラノムシ』(国書刊行会)という本もおすすめです。

ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著『ヴォイニッチ写本の謎』(青土社)
 二十世紀はじめイギリスの古書商ヴォイニッチが見つけた、中世のものらしい古写本。そこには、「全く解読できない文字群と、地球上には存在しない植物が描かれていた」(帯の言葉)。一体、これは何なのか、そしてこの本は何のために書かれたのか。謎のヴォイニッチ写本について、その内容とこれまでの解読のドラマを、わかりやすく紹介した一冊です。筆者たちの結論は、あまりにも簡単なものですが、ヴォイニッチ写本の奇妙な文字や絵を見るだけでも十分楽しい本です。

ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)
 ヴォイニッチ写本解読の歴史の中で、アタナシウス・キルヒャーという名が出てきます。実際には解読に手を付けなかったようなのですが、彼はルネサンス期の有名な知識人です。地球の構造から中国やエジプトの博物誌、そして普遍音楽の構想まで、幅広い分野にわたって本をしるし、その意味ではレオナルド・ダ・ヴィンチのようなルネサンスの万能人といっていいでしょう。しかし、ダ・ヴィンチと違うのは、彼の拠って立っていた知識が、現在の科学では完全に否定されているため、その業績がほとんど顧みられないという点です。例えば、彼は当時解読できていなかったエジプトの象形文字を解いたとして大著を著しました。そこで、彼はエジプトの象形文字を表意文字として解釈しました。しかし、その後、エジプトの象形文字は表音文字であることがフランスのシャンポリオンによって明らかにされました。したがって、彼の本の意味はほとんどなくなったのです。にもかかわらず、彼の本が魅力的な理由の一つは、奔放な想像力が生み出した絵です。火と水に満ちた空洞の地球の内部、不思議な中国の風俗、奇妙な音響装置など、キルヒャーの著作の図版を中心に紹介したのがこの本です。中でも、断片的な知識をもとに、勝手な想像で作り上げた「ブッダ」の絵はなかなか衝撃的でした。

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ニューデリー大気汚染報道に思うこと
則松彰文 (東洋史)
 昨年一月初旬の読売新聞に、目を疑いたくなるような記事が掲載されていた。見出しには、「大気汚染 死者年一万人 ニューデリー」とある。読売新聞特派員、田尾茂樹氏の署名入りの記事によると、WHО(世界保健機構)が二〇一五年に発表した報告書に、インドの首都ニューデリーでは、PM2.5の年間平均濃度が世界の一六〇〇都市のうち最悪で、一立方メートル当たり一五三マイクログラム、断トツのワースト一位であるという。大気汚染で悪名高き、あの北京の二・七倍もの濃度。しかも、驚くべきことに、北京はワースト七十三位に過ぎず、世界には北京以上に大気汚染のひどい都市がさらに七〇以上もあるというのだから、驚愕の事実としか言いようがない。ワースト一位のニューデリーでは、大気汚染が原因と見られる肺疾患などにより、年間一万~三万人もの死者が推定されるという。

 ここ数年、日本ではすっかりお馴染になったPM2.5であるが、正式には、二・五マイクロメートル以下の微小粒子状物質(Particulate Matter)を呼ぶそうである。当地福岡では、NHKのローカルニュースで、連日その濃度が放送されるようになって数年になる。我々日本人にとっては、PM2.5はすべて隣国中国から飛来するものであり、中国人と聞けば「爆買い」、北京と言えばPM2.5という図式が完全に出来上がっている。しかし、その北京でさえ、ワースト七十三位にとどまるというのだから、世界の大気汚染の深刻さが容易に想像できるというものである。

 私は、読売新聞のこの記事を読んで、とても大きな衝撃を受けた。勿論、大気汚染の深刻さもあるが、私の衝撃は、自らが如何にインドの情報を持ち合わせていないか、そして、如何に世界の実情に疎いかという点においてであった。日本におけるアジア情報は、アメリカや西ヨーロッパのそれに比して、明らかに少ない。中国・韓国情報は、それでもまだ割と多く流れる方だが、インドとなると極端に少なくなる。昨年、ついに一三億人を突破し、間もなく中国を抜いて世界一の人口大国になるインド。経済成長に明確なかげりの見える中国に対し、まだまだ成長を継続しそうなインドであるにも関わらず、日本で目にする事の出来るインド情報は、実に限られている。まして、アフリカをや、ラテンアメリカをやである。

 グローバル社会、情報化社会といわれる昨今ではあるが、それが如何に言葉だけに過ぎないものか、単なる表層にとどまる評価であるのか、このニューデリーの大気汚染に関する一件は、象徴的に示していると言えよう。「大学生なら毎日、新聞を読みなさい」と大学教員の多くが言う。私も同様に、学生諸君に対しては、常に「新聞を読め、ニュース番組を見ろ」と言い続けている。しかし、更に「それらだけでは到底足らないのだ!!」と改めて付け加えねばならないと痛感した。

 今年の夏休みにでも、直接インドを訪問して、自らの五感で彼の地を体感してくることにしよう。

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Tips for Learning English
Stephen Howe (英語学)
Compared to someone who knows no English, you already know a lot. You can read this page, for example. Remember, you have a good head start: Japanese has more English words than any other language (apart from English, of course). That means you already know hundreds and hundreds of English words in katakana. Build on what you know and try to improve a little each day.
 
 Practice makes perfect
 Learning a language is like learning to play a musical instrument - to improve, you must practise. And music is for playing and enjoying - so, have fun speaking and communicating in English! Imagine you are studying music: to play well and graduate, you need to practice for an hour or more each day, at least. If you do the same for English, you will be able to speak beautifully by the time you graduate.
  ・Think of learning English like learning to play the piano: practise every day and you will get better
  ・If you never practise the piano, it’s impossible to play. The same for language
 
 Use it or lose it
 To speak a language well, you must use it - as often as possible:
  ・Speak to yourself in English
    ◦Try to think to yourself in English, for example on the bus or train
    ◦Describe the people you see, or what you’re going to do today
  ・Speak English with your friends
    ◦Meet your friends for tea or coffee and practise speaking English for fun
 
 Train your brain
 Set yourself a target to improve your English each year you are at university. Improve a little each day, and you will improve a lot by the time you graduate:
  ・Set aside some time to study English each day
  ・If you commute to university by bus, train or subway, use your time to learn English

 Don't worry about making mistakes
 As in life, making mistakes is an important part of learning a language - so don't worry, just keep talking!
 
 Be cool at school
 Impress your friends with your fluency in English, whatever your major:
  ・Learn in class
    ◦Use your time with your teacher to improve your English
  ・Learn outside class
    ◦Don't think of your class as the only time you learn - try to improve your English outside class, too

 Make friends with the international students on campus
 Practise your English on the international students at Fukuoka University - they want to talk to you!
  ・Ask them about their country and tell them all about Japan

 Watch TV and movies in English
 Movies are a great way to listen to spoken English - and they are available everywhere - watch as many as you can:
  ・Switch to English sound when you watch English programmes or movies on TV. You will understand more and more
  ・Watch a movie several times - you will understand better each time
  ・Try to repeat what the actors say
  ・As well as movies, watch the news in English at cnn.com
  ・NHK shows English news early each morning. Watch the news each day, and you will make great progress in your understanding for TOEIC

 Read a book, magazine or newspaper in English
 Whether Harry Potter or William Shakespeare, read a book in English - there are thousands to choose from!
  ・Read an English magazine
    ◦If you love fashion, read an English fashion magazine; if you love sport, read a sports magazine in English. You will learn a lot of vocabulary about your interest
  ・Read a newspaper
    ◦The Japan Times is available everywhere and is easy to read
    ◦Fukuoka University Library has many English newspapers
  ・Read the news in English online
    ◦Try bbc.co.uk for English news

 Write a diary in English
 Like Samuel Pepys and Bridget Jones, write a diary in English - about what you do each day, your thoughts and feelings. This will help you improve your writing greatly.

 Listen to English music and radio
 Listen to your favourite British or American bands - they can help you learn English!
  ・You can listen to English music on the web at www.bbc.co.uk/radio1/
  ・Download a podcast for mobile English

 Study abroad or take a trip
 English is the international language that makes it possible for you to communicate with people in other countries. Get your English ready for a trip or study abroad:
  ・Practise for your trip
  ・It will be easy to meet people if you can speak a little English
  ・Fukuoka University has several study abroad programmes. If you can, study in another country - you will learn many things and have the time of your life

 Finally, what about after university? What can English give you?
 English is a key to the world and knowing English can help you get the job you want. English gives you:
  ・Communication skills
  ・An international dimension
  ・Awareness of other cultures
  ・Opportunities to work and travel abroad
  ・And the ability to communicate with the world

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犬がどのように考えているか、をどのように考えるか
平田暢 (社会学)
 スタンレー・コレン著(二〇〇七年)『犬も平気でうそをつく?』文春文庫

 この本をお薦めするのは、私自身が犬好きで、犬好きの人にとって面白く役に立つ、ということもあるのですが、それ以上に、大学で勉強するときに重要な「考え方」について自然に馴染むことができる、という理由からです。

 日本語のタイトルはややひねりすぎです。原タイトルは“How Dogs Think”なので、こちらのタイトルで内容をイメージして下さい。

 著者のスタンレー・コレンの専門は心理学で、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で教授を務めています。犬好きが嵩じて訓練士の資格をとり、犬の訓練クラブのインストラクターもしているそうです。

 私たち人間は、他の人たちを観察したり、対人関係の中でさまざまなことを学びます。これを「社会的学習」といい、私たちは言葉や規範、あるいは歯の磨き方などもそうやって身につけていきます。

 では、そのような学習能力を犬も持っているのでしょうか。

 おそらく持っていると想像はできますが、本当に知りたいのであれば確かめねばなりません。そのための手続きは、「犬には社会的学習能力がある」という考え-この考えのことを仮説といいます-が正しいとすると、特定の状況でどのようなことが発生するか推測をし、実際にそのような状況で観察を行って推測が正しいか否か確かめる-確かめることを検証といいます-ということになります。「犬には自意識がある」や「犬には超能力がある」という仮説を立てた場合も同様です。

 コレンの専門である心理学や私の専門である社会学では、仮説を検証するというアプローチをよくとります。実験はその典型ですが、社会調査なども同じような手続きに沿って行われます。大学の勉強では、知識だけではなく、このような手続き、あるいは考え方を身につけることが強く求められます。『犬も平気でうそをつく?』という本は、犬の能力や感情、意識についてさまざまなことを教えてくれますが、数多くの事例や実験、調査がうまくはさまれていて、仮説を検証するプロセスの面白さ、その有効性がごく自然にわかってきます。

 犬には社会的学習能力があるか否か、それをどうやって確かめたかは、本書を読んでのお楽しみ。

 以下に、スタンレー・コレンの犬に関する他の著作も挙げておきます。いずれも文春文庫です。飼い主の性格に合う犬種は何か、どうすれば犬に意思をうまく伝えられるか、どのようにして犬は狼からつくられてきたのか、などなど、盛りだくさんで楽しめます(最後は結局犬が好きな人のための紹介になってしまった…)。

 『デキのいい犬、わるい犬』(The Intelligence of Dogs)
 『相性のいい犬、わるい犬』(Why We Love the Dogs We Do)
 『犬語の話し方』(How To Speak Dog)
 『理想の犬(スーパードッグ)の育て方』(Why Does My Dog Act That Way?)
 『犬があなたをこう変える』(The Modern Dog)

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ドイツ語映画観賞会へのお誘い
平松智久 (ドイツ文学)
 新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。いま皆さんは大学生活をいかに満喫しようかと、期待と不安に心を躍らせているのではないでしょうか。

 大学では大いに勉学に励んでください。多くの本を読み、あるいは大事な書物を精読し、知的な喜びを享受してください。そのために福岡大学の図書館は大いに助けとなることでしょう。中央図書館には書籍だけでなく、音楽CDや映画DVD等のデジタル資料も所蔵されています。本稿では、それらの資料を利用して開催されているドイツ語映画鑑賞会について、皆さんに紹介させていただきましょう。

 ドイツ語映画鑑賞会は、人文学部ドイツ語学科の主催で二〇一三年度前期より始められ、基本的には授業期間中の毎月第一木曜日に中央図書館多目的ホールで開催されています。同年度後期からは福岡大学エクステンションセンターとの共催で市民開放型文化講座「映像に見るヨーロッパ文化―ドイツ語圏―」として開講されるようになりましたので、地域の皆様も無料で参加できます。毎回の企画・運営は、ドイツ語クラブ「シュタムティッシュ」(福岡大学公認愛好会)。上映作品は基本的に図書館所蔵品ですので、鑑賞会当日に都合が悪くて来場できない方も、後日、図書館二階AVコーナー(Audio-Visual Room)で視聴することができます。しかし可能な限り皆さんには鑑賞会の会場へ足を運んでもらいたいものです。テレビ画面をとおして独りで観るのではなく多目的ホールのスクリーン上で、あえて「決められた時間」に、「決められた場所」で、「他の参加者と共に」、ドイツ語圏の映画を鑑賞してみませんか。続けて参加すると、映像と音楽が醸し出すヨーロッパ文化を体感できるようになるはずです。さらに、映画鑑賞後に参加者同士で感想や考えを共有することによって、一人では決して得られない知的な喜びを感じられるに違いありません。

 ドイツ語映画鑑賞会では、良質の映画をしっかりと体験するために、教員・有志学生がお手伝いしています。担当教員が、映像作品の時代背景、言葉遣い、作品の意義等について簡単に解説しますので、ドイツ語映画に慣れていない方にも安心してご覧いただけます。ドイツ語学習者はドイツ文化を目と耳で捉える良いチャンスですし、ドイツ語が分からなくても日本語字幕付きなので大丈夫です。さぁ、皆で感動を分かち合いましょう。是非、友人知人や御家族、御近所の方々をお誘い合わせのうえ会場にお越しください。

 以下には過去上映作品を列記します。見逃した作品は是非、図書館二階AVコーナーを利用してご鑑賞ください。個々の映画の詳細をお知りになりたい方や、今後の開催情報を調べたい方は、ドイツ語学科のホームページ内にある「ドイツ語映画鑑賞会」の項目(http://www.hum.fukuoka-u.ac.jp/index.php?ger/film.html)をご覧ください。これから一緒にドイツ語映画を楽しみましょう。

 第一回 『グッバイ、レーニン』(解説担当:平松智久)
 第二回 『みえない雲』(解説担当:冨重順子)
 第三回 『ビヨンド・サイレンス』(解説担当:山中博心)
 第四回 『善き人のためのソナタ』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第五回 特別編 モーツァルト『魔笛』(解説担当:永田善久)
 第六回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード1』(解説担当:金山正道)
 第七回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード2』(解説担当:金山正道)
 第八回 ディズニー映画『アラジン』(ドイツ語吹替え、日本語・ドイツ語字幕)(ドイツ語クラブ)
 第九回 『飛ぶ教室』(ドイツ語クラブ主催)
 第一〇回 『コッホ先生と僕らの革命』(解説担当:有馬良之)
 第一一回 『愛より強く』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第一二回 『カスケーダー』(解説担当:平松智久)
 第十三回 『マルタのやさしい刺繍』(解説担当:平松智久、大学院生高松美菜子)
 第十四回 特別篇 ベートーヴェン『第九 第四楽章』(解説担当:永田善久)
 第十五回 『テディ・ベア誕生物語~全ての困難を乗り越えて』(解説担当:堺雅志、堺ゼミ生)
 第十六回 『ベルンの奇跡』(解説担当:交換留学生ビョルン・カスパー)
 第十七回 『マーサの幸せレシピ』(解説担当:森澤万里子)
 第十八回 『幸せのレシピ』(解説担当:秋好礼子)
 第十九回 『ミケランジェロの暗号』(解説担当:冨重純子)
 第二十回 『9000マイルの約束』(解説担当:平松智久)
 第二一回 『おじいちゃんの里帰り』(解説担当:伊藤亜希子)
 第二二回 『ウェイヴ』(解説担当:スサナ・デル・カスティヨ)
 第二三回 特別篇 メンデルスゾーン『夏の夜の夢』(解説担当:永田善久)
 第二四回 スタジオ・ジブリ映画『千と千尋の神隠し』(ドイツ語吹替え、ドイツ語字幕)(解説担当:冨重純子、大学院生三名)
 第二五回 『』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第二六回 『ハンナ・アーレント』(解説担当:星乃治彦)
 第二七回 『白バラの祈り ゾフィー・ショル最後の5日間』(解説担当:伊藤亜希子)
 第二八回 『会議は踊る』(解説担当:堺雅志)
 第二九回 『ラン・ローラ・ラン』(解説担当:アンドレ・ライヒャルト)
 第三〇回 特別篇 J. S. バッハ『マタイ受難曲』(解説担当:永田善久)
 第三一回 『門前』(解説担当:平松智久)

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経済小説で日本経済を知る
広瀬貞三 (朝鮮史)
 (1) 楡周平『再生巨流』(新潮文庫、二〇〇七年)
 スバル運輸はセールスドライバー制を確立し、一代で巨大な運輸会社となった。左遷された新規事業開発部長の吉野公啓は、年商四億円を要求される。吉野は文具通販のバディ、町の家電店を結びつける画期的な物流システムを考案する。独創的であるだけに、社内の反対は大きい。社主に面談し、実用化を懇願する。新規投資九〇億円を求めるが、次第に窮地に追い込まれる。次々と難問に直面する、吉野と部下の立川、蓬莱、藍子たち。

 (2) 清水一行『小説財界』(集英社文庫、一九八八年)
 大阪商工会議所会頭は、関西財界のトップの一つである。次期会頭予定者の大竹の急逝により、関西財界は大きな衝撃を受ける。会頭で阪電鉄道会長の迫田は五選を目論み、これに抗して住倉化学工業会長の小早川が名乗りを上げる。迫田は副会頭に関西ガス社長の安原を当て、これを反撃。関西の財界が二つに分かれ、各々の陣営の参謀が権謀術策を用いる。関西新空港建設をめぐる利権争いと安原の急死が、人事抗争をさらに複雑にする。

 (3) 高杉良『暗愚なる覇者―小説・巨大生保』全二巻(新潮文庫、二〇〇九年)
 業界最大手の大日生命は広岡家によって創業されるが、三代で絶える。その後の社長は瀬川、藤原、鈴木と続く。派閥政治と社長の公私混同により、大日生命の社内は「恐怖政治」がはびこる。「一選抜」の吉原周平は、ニューヨーク事務所、国際法人部課長、上野支社江戸川支部長(左遷)、総合企画部副部長を務める。支部ではセールスレディーの営業の実態、ノルマの加重を経験する。次期社長の情実人事を聞き、吉岡の怒りは爆発する。

 (4) 橘玲『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫、二〇〇三年)
 香港に滞在中の工藤秋生は個人投資家でありながら、日本人訪問者への金融コンサルタントを行っている。麗子は五億円の海外送金で、秋生に助言を求める。しかし、実際には五〇億円の送金だった。秋生が麗子の足取りを追うと、その周辺でヤクザの黒木、倉田老人、五井建設の間部がうごめく。香港と日本を舞台に、オフシェア投資の表と裏、タックスへイヴン(租税回遊地)、マネーロンダリング(資金洗浄)の詳細な手口が語られて行く。

 (5) 城山三郎『毎日が日曜日』(新潮文庫、一九七九年)
 関西系商社の扶桑商事は、海外に百二十余の支店網がある。商社マンの沖直之は辞令一枚で内外を移動し、海外駐在はスマトラ、ロンドン、アメリカを経験した。帰国後沖は京都支店長として単身赴任するが、家庭は混乱の極致だった。帰国子女の二人の子どもは日本語より英語がうまく、日本社会についていけない。さらに、長男は不幸な事件に遭遇する。本店の食糧統括部勤務となった沖は家庭を顧みず、大量の綿実の処理に邁進する。

 (6) 真山仁『ハゲタカII』全二巻(講談社文庫、二〇〇七年)
 ハゲタカの鷲津政彦が日本に帰ってきた。外資系投資ファウンド会長として、鷲津は繊維業界老舗の鈴紡を狙う。鈴紡は芝野健夫を擁して、買収防衛を図るが、最後は日本政府が介入する。次に鷲津は巨大電機メーカーの曙産業を狙う。再び攻める鷲津、守る芝野の対立。米国の巨大投資ファウンド、光学会社シャインの滝本も参戦する。鷲津は仇敵の芝野と手を組み、曙産業を守る。米国と日本の政界をも巻き込み、混迷度は一層深まる。

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進化するミュージカル
光冨省吾(アメリカ文化・文学)
 小山内伸著『進化するミュージカル』(論創社)

 ミュージカルの起源はイタリアのオペラにありますが、二〇世紀初頭のニューヨークの劇場街で誕生したブロードウエイ・ミュージカルは元のオペラから大きく変貌し、今やニューヨークだけでなく世界中で受け入れられるようになりました。ミュージカルの発展には(英語がわからない)移民の多いニューヨークの社会的事情もあり、セリフだけでなく音楽やダンスなども取り入れたショーが発展してきました。ミュージカルは基本的に翻訳家井上一馬が述べているように「人間賛歌」であり、アメリカ人の楽天的な国民性も反映されてハッピーエンドで終わる作品がほとんどですが、人種差別などの社会問題も次第にテーマとして取り上げられるようになり、一九五七年の『ウエストサイド物語』では悲劇のミュージカルも制作されるようになりました。

 ここで紹介している本は主として一九七〇年代から二一世紀にいたるまでの最新のミュージカルの代表作を中心に紹介しています。著者は執筆当時朝日新聞の記者で、新聞に劇評を書いていました。この本ではタイトルにあるように「進化する」ミュージカル作品を紹介しています。たとえばオペラのようにほとんど歌と音楽で構成されているアンドルー・ロイド・ウエバーの作品(『キャッツ』と『オペラ座の怪人』)は『レ・ミゼラブル』や『レント』に引き継がれています。また同じメロディーを異なる歌手が異なる歌詞を歌うことでそのコントラストが生じるロイド・ウエバーの手法はスティーブン・ソンドハイムのようなアメリカの代表的なミュージカル作家にも大きな影響を与えています。その他にもミュージカルの伝統を踏まえた上で、新しい工夫がなされた作品が続々と制作され、多くのファンを魅了しています。この本を読んで劇場に足を運ばれるようになれば幸いです。

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歴史と文学との垣根をとり払おう
森茂暁 (日本史)
 福田秀一・岩佐美代子・川添昭二他校注

 新 日本古典文学大系『中世日記紀行集』(岩波書店)

 創造的な人生を送るには、柔軟な頭脳と大胆な発想とがまず必要でしょう。身近なことでは、たとえば卒業論文のテーマ探しや執筆のさい、このことは決定的に重要です。常日頃から固定的な物の考え方をしないで、自分の頭で物事をのびのびと考えてみましょう。ここでは、文学の史料は歴史の史料として充分に活用できるということを述べます。

 例えば、鎌倉初期成立の『平家物語』、鎌倉末期成立の『徒然草(つれづれぐさ)』、南北朝末期成立の『太平記』などは、高等学校の段階まではいずれも文学作品として扱われ、古典の時間に読まれます。しかし、このような作品は同時代の歴史を知るための史料として極めて有用で、価値の高いものです。今度は歴史の史料として再読しましょう。むろん原文で。この場合肝心なのは、一部分ではなく全部を読み通おすことです。きっと感動が湧きおこります。古典のもつ不思議な力です。

 さて、冒頭にあげた書物はそれに類するものです。日本中世の紀行文(旅行記)が多く収められています。中世日本人の旅行意欲をかきたてたのは(すべてが単なる旅行ではありませんが)、十四世紀の南北朝の動乱を通した人々の地理的視野の広がりだと筆者は考えていますが、この動乱を契機に国内を旅する人が増えてきます。そのようななかで、紀行文が書かれるわけです。それらは主として国文学のジャンルで研究の素材となってきましたが、歴史の方ではほとんど無関心です。

 このような紀行文が、どのような意味で歴史研究に有用かというと、たとえば、阿仏尼(あぶつに)の「十六夜日記(いざよいにっき)」は、十三世紀後半(鎌倉時代)の所領訴訟関係史料としてはもとより、東海道(京都と鎌倉をつなぐ基幹道路)の交通史の史料としても使えますし、また、連歌師宗祗(そうぎ)の「筑紫道記(つくしみちのき)」は、十五世紀後半(室町時代)の筑前・豊前国(福岡県)、特に博多の人々の生活や周辺の景観をくっきりと描き出しています。一例をあげますと、筥崎宮(はこざきぐう)を訪れた宗祗(そうぎ)は博多湾をへだてて、夕日のなかの可也(かや)山(福岡県糸島郡志摩町)をながめ、「富士に似たる山」と感慨深げに書き留めています。同記は、大内氏研究のための史料としても貴重です。

 同書では丁寧な脚注や解説が施されていますので、容易に読み進むことができます。さあ、実際この本を手にとって、読んでみましょう。

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汽車旅の勧め・番外編 ― 惜別、三江線 ―
山縣浩 (日本語史)
 『NOVIS 2016』に「汽車旅の勧め・その三」として「三江(さんこう)線に乗ってみよう」という副題の小文を掲載した。あと一年はその文章のまま掲載できると考えた。しかし、二〇一六年九月JR西日本が三江線を二〇一八年三月末をもって廃止すると正式に決定した。この発表は、一地方路線の問題ではあるものの、一〇〇キロを越す長大路線の全線廃止は本州で初めてのことになるため、朝日新聞は社説で「JR地方路線 地元も国も危機感を」と題して取り上げた(二〇一六年九月二四日朝刊)。

 昨年二〇一六年は、北海道へ新幹線が乗り入れる一方、JR北海道は約半数の路線が自社で維持できないと発表し、一二月には留萌本線(深川駅―増毛駅)末端の留萌駅・増毛駅間が廃止された。またJR九州は上場のため、多くの駅の無人化や窓口の開設時間の短縮を進め、利用者へのサービスレベルを低下させている。このような日常使用の地元利用者をないがしろにする一方、北陸新幹線の敦賀市から大阪市への進延ルートが政治的に決定され、また「ななつ星in九州」の成功に続けとばかりにJR東日本は「TRAIN SUITE四季島」、JR西日本は「トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ)」なる豪華寝台列車を今春運行するという。

 鉄道を巡って「汽車旅の勧め」などと称し、のんびりしたことを言っている余裕はなくなってきた。しかし、この状況を苦々しく思いながらも、自分自身問題が整理できず、見通せず、鬱屈としているときに出会ったのが、次の一冊である。

 上岡直見『鉄道は誰のものか』(緑風出版・二〇一六年刊行)

 本書は、汽車旅の魅力を記したものではない。現代の鉄道・交通政策の問題点を踏まえ、「どうすれば鉄道を活用してより良い社会を作れるか」(6頁)という考え方を提起するものである。上岡氏は、鉄道を愛し、好んで鉄道を利用するがゆえに見えてくる、昨今の鉄道会社の経営方針や運行に関する不満に基づいて本書を上梓された。様々なデータを示して問題点を指摘する論の展開に感じ入った。

 この小文では、本書の第5章「ローカル線が日本を守る」を中心に紹介する。日本の公共交通のあり方に関心を持ち、地域社会の持つ問題について鉄道の観点から目を向け、問題の本質を捉える第一歩としていただきたい。

    * * *

 本章は、「日本の「シンガポール化」」と題された一節から始まる。

 シンガポールとは「明るい北朝鮮」で、「統治システムも教育もメディアも、すべてが経済成長に資するか否かで統治者がその可否を判定し、経済成長に寄与しない思想や言論、個人の権利は強力に制限されている国家」で、我が国のシンガポール化の「方策がTPPや国土強靱化」であり、更に「人々の自由な交流や文化の多様性も「シンガポール化」にとって邪魔である」ため、「交通分野における規制緩和を通じて、全国に網の目のように張り巡らされた鉄道ネットワークを壊す動きが特に一九八〇年以降から強まってきた」(以上、150頁)とされる。

 鉄道への持って行き方には若干無理を感じるが、大学教育も国の経済優先の論理に振り回されている。例えば、撤回されたものの、二〇一五年六月、文部科学省が国立大学に対して出した、教員養成系・人文社会科学系学部について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を迫る「通知」も教育行政における「シンガポール化」の一つである。

 この論理によれば、更に上場されて、利用者でなく株主(多くの場合、それは海外の投資会社であるという、16~17頁)を意識するJR各社からすれば、鉄道部門が全体として黒字であっても、三江線のような赤字ローカル線は価値のない、マイナス材料に過ぎない。ここには、九州や西日本など、基盤とする地域の公共交通を担うという矜持はかけらもない。ただ、鉄道会社がこのような経営方針を取らざるを得ない背景として、目を引く事業、例えば、リニア中央新幹線や整備新幹線の建設などには多額の国費を惜しげもなくつぎ込む交通政策がある。

 例えば、「整備新幹線を議論する与党の検討委員会」のある議員は「「地方は経済効果を期待し、選挙に向けたアピールに(整備新幹線は)うってつけ」と話す」我田引鉄が今も存する一方、「新幹線の予算が守られてきたこの10年、新幹線以外の鉄道にかける予算は459億円(05年度)から225億円(15年度)に半減した。地方の路線整備や都市部のラッシュ対策が、結果的にあおりを受けている」(以上、朝日新聞・二〇一六年三月二七日朝刊「整備新幹線見えぬ採算 進む建設、在来線にしわ寄せ」)というのが、現状である。

 このような、目に見える、選挙でアピールできる一民間企業への公金投入の一方、「三江線の廃止問題を巡っては、沿線6市町の首長たちが今年(=二〇一六年)1月、石井啓一国土交通相などに鉄路の存続に加え、赤字ローカル線維持のための交付金制度の創設などの支援を求めた。しかし、政府は県を通じ「バスで代替できる。民間鉄道への欠損補助は行っていない」と回答したにとどまる」とすげない。これに対して、「ローカル線の存廃は、全国の鉄道網をどう維持していくかに関わる問題ではないか。政府は一方で、経済対策で財政投融資を活用し、リニア中央新幹線の前倒しに3年間で計3兆円、整備新幹線の建設に8千億円を国が貸し出す方針だ。これらに比べれば、切迫した地方路線の維持費はわずかである。地方創生を本気で考えるなら、支援の方法はいくらでもある」(以上、インターネット版中国新聞アルファ:二一〇六年九月二日「コラム・連載・特集 三江線廃止表明 地域の不安を忘れるな」 但し、現在、中国新聞 http://www.chugoku-np.co.jp/で検索をしても閲覧できないが、二月五日現在、「THE社説一覧」http://editorial.x-winz.net/ed-24338で本文が確認できる)と締める。三江線について様々な新聞記事に注意してきたが、全国紙に比べると、地元紙の方が本質を突き、鋭い。

 また上岡氏は鉄道と道路に対する設備投資額の違いを示される。例えば、過去五〇年間の総投資額は、鉄道は八%に過ぎないのに対し、道路は九二%になるという(20頁)。これらの政策のため、地方では、多額の国費を投入して道路を建設し、足を自動車に誘導して、結果的に民間企業の支えるローカル線を国が窮地に追い込む事態が生じる。この一方で、先の中国新聞の如く、国土交通大臣は、路線維持を願う地元の要請があっても、民間企業の問題であるため、赤字ローカル線は支援しないと回答する。

 しかし、高齢化が進む地域において、鉄道などの公共交通をないがしろにして、道路を整備し、誰が自動車を運転するのであろうか。場所が場所だけに通行量は多くない。しかし、それだけにスピードが出やすく、自損事故でも死亡率は高くなる。上岡氏も「全国都市パーソントリップ調査」のデータを示して、高齢者が関与した交通事故の増加を指摘される(62~64頁)。

 日常生活に最低限資するだけの運行本数(朝夕を除く時間帯でも毎時一本)が確保されていれば、通院や買い物で出かけようとする高齢者が自動車を利用する機会が減ぜられる。自動車から鉄道への乗り換えに伴う、様々な効果が、上岡氏の言われる、鉄道の持つ社会的価値・便益である。

 この例として、福井県の京福電鉄を引き継いだ第三セクター「えちぜん鉄道」の存続で取り入られた「費用・便益分析」が示される。特に便益として「利用者便益(バス転換に比べて所要時間や運賃が軽減される効果、交通事故が防止される効果)と環境便益(CO2の削減、道路渋滞の緩和)」(163頁)は重要である。この点に関して「これから人口の減少が不可避な地方都市・町村部では、道路へのインフラ投資は以前にも増して制約を受けるであろう。既存の鉄道を存続・活用して道路交通の負荷を軽減させ、巨額のインフラ投資を伴うことなしに鉄道・道路使用者双方の効用を増大させることが可能である」(163~164頁)とまとめられる。

 また面白いデータが示される。島根県で二〇〇〇年と二〇一〇年の国勢調査を比較したところ、駅が存在する一キロメートルのメッシュと駅が存在しない一キロメートルのメッシュでは、人口はともに減少するものの、前者の地域では減少が抑制されているという。そして、「駅前がシャッター街と化している地域が多いとはいえ、現状でも鉄道駅の周辺はある程度生活機能が集約されてコンパクトシティ的な特性を有している」として「鉄道が地域社会の維持に果たす役割」(以上、181~182頁)=社会的価値を示す例とされる。

 勿論、営利を目的とする鉄道会社に社会的価値を強調して、一方的に財政的な負担を負わせることはできない。むしろ、国の交通政策の根幹に関わる問題である。しかしながら、本書の随所で報告される、JR各社のサービスレベルの劣化には、目を覆いたくなる。どこを見て、だれのために列車を運行しているのか、疑いたくなる。即ち、鉄道会社自体に利用者を離れさせる原因がないとは言えない。

 例えば、JR九州は、上場に際して、多くの駅を無人化した。このため、視覚に障害のある男性が最寄り駅での駅員による介助がなくなり、前日までに連絡をしなければ対応できないと言われたとの記事がある(朝日新聞・二〇一六年一〇月二六日朝刊「上場の足下で・JR九州完全民営化上「進む無人駅化 よぎる廃線」)。

 新幹線の駅でもホームの無人化が話題になっている。これにつき、上岡氏は新玉名駅の例を示し、「ホーム要員廃止によって現在一六人の駅員を六人減らせるというが、一方で監視カメラの増設など設備の改修に三億八〇〇〇万円を投入する。… 経常費用は切り詰めても設備投資は別枠という理由からと推定されるが、利用者には何らメリットのない数字上の操作である。そもそも無人化しても問題ないと判断するほど乗降客が少ないという理由を挙げるならば、なぜそのような地域に新幹線を建設したのかも問われる」(86頁・傍線山縣)と手厳しい。

 また二〇一六年一一月一一日と二二日に鹿児島本線で起こった架線事故は、まだ記憶に新しかろう。手元には、学生が提出した「遅延・運休証明書」がある。一一月二二日の日付で「お客さまが乗車された列車が265(=手書き)分遅れて当駅/教育大前(=ゴム印)駅に到着しました。」など記されている。彼はどのような思いで、約四時間半も待っていたのであろうか。

 架線という鉄道会社において基盤となるインフラでの事故である。工事を請け負ったのは、関連会社であろうが、それがチェックできない、JR九州に緩み、鉄道部門の劣化が生じていると言わざるを得ない。注(1)

 私が利用する筑肥線は、鹿児島本線ほど、人為的なミスは多くない。しかし、冬場になると、風速基準が厳しくなったため、徐行運転や運転見合わせが頻繁に起こる。冬場の恒例であることが分かっているのに、防風対策を行おうとせず、「強風のため、○分遅れて…」などと、人ごとのように繰り返すアナウンスは、利用者を愚弄した態度としか映らない。

 経営安定基金の利用や固定資産税などの減免といった公的な優遇を受けているのは、鉄道会社としての公共性のためである。従って、駅ビルに巨大な商業施設を造ったり、土地を取得して、マンションを建てたりすることに血道を上げるのでなく、鉄道会社としての本務に立ち返り、日常使用の地元利用者を第一に考えて投資すべきである。勿論、経営を安定させ、地方路線を維持するためにも、企業全体として収益を上げることは必要である。しかし、社名にJRを冠した企業であって「九州商業開発」でないはずである。

 鉄道部門では豪華列車を運行して、一部の富裕層や外国人が乗車し、注目を集めている。それなりの努力をしているように見える。その先見性は評価できる。しかし、遅延・運休に嫌気がさし、地元の利用者が自動車や高速バスに流れてしまっては鉄道部門の収支は改善しない。上岡氏も「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」「ななつ星in九州」や「四季島」を示し、「これらの「豪華列車」が通過してゆく沿線の普通列車は、ダイヤも車両も「どうせ高校生しか乗らない」と言わんばかりの投げやりなサービスレベルで豪華列車との乖離が甚だしい。… 日常の利用に際して不快な思いを抱いている大多数の鉄道利用者がこのような豪華列車を目にするときには、むしろ不信感が醸成されるのではないだろうか」(168頁)と問題点を指摘される。

 サービスレベルが低下して、我慢を強いられるのは、他に公共交通を持たない地域の利用者、運転免許を持たない高校生・大学生や高齢者である。特にJR以外に交通手段のない地域は、独占状態であるため、サービスの劣悪さは全国どこでも変わらない。駅の無人化・運行本数削減・車両数削減などのサービスレベルを低下させ、不満に対しては廃線をちらつかせて、尚一層の我慢を強いる。

 JR西日本の状況については、上岡氏も種々指摘され、同様の状況である。

 例えば、三江線と同じ中国地方のローカル線である福塩線・芸備線もよく利用する。その際、速度を急に落とすことがある。外を見ると「20」という表示が目に入る。見通しの悪い区間で落石などに対応するためと考えていた。しかし、氏は「これ(=自転車にも劣る…速度制限)は災害等によるものではなく線路の消耗を抑えて保守費用を節減するため」とされ、これによって旧国鉄時代に対して所要時間が増加するとともに、同路線では、列車の本数削減も著しく、「利便性においても大きく後退し」、これは「鉄道事業者の経営方針」=「短期的な収益を重視する一方で、持続的な鉄道の維持・発展に対する関心が低下しているため」(以上、172頁)と断ずる。注(2)

 以上、鉄道会社は、日常使用の地元利用者を大切にし、結果的に公共交通として地域社会を維持して、更に発展させる社会的責務を負う(注(2)で紹介した原氏も「本来、公共性の高い交通手段を提供している鉄道会社は、国土交通省に鉄道事業のための免許を申請して交付されている存在です。多少の営業赤字や災害による被害があっても、鉄道をきちんと運行する責任や義務があるはずです」(原(二〇一一)85頁・傍線山縣)と述べられる)。しかし、目先の利益を追わず、公共性の高い鉄道会社として利用者第一の本務を果たすことができるようにするためには、国が然るべき支援をしなければならない。しかし、それが全く期待できない現状では、残念ながら、第二・第三の三江線が現れ、日本全土を覆う鉄道網が寸断され、ひいては過疎化が尚一層進行する恐れがある。

 なお、JRにすべて任せるのではなく、利用者がある程度見込める路線であれば、第三セクター化もあり得るかもしれない。

 この場合、鉄路は維持できる。しかし、九州新幹線の開業に伴い、並行する在来線でありながら、川内駅・鹿児島中央駅間はJR九州が手放さなかったように、JRは採算の厳しい区間を平然と切り捨て、地方自治体に押し付ける。このため、第三セクターの運営はどこも厳しく、運賃は高騰する。例えば、薩摩おれんじ鉄道の八代駅・川内駅間は、JR時の二〇七〇円から二五五〇円に上がったという(朝日新聞・二〇一六年一二月二十三日朝刊「教えて! 整備新幹線5 並行する在来線はどうなるの?」)。注(3)

 更に財政的に厳しい自治体を走る路線は、同時にそれは利用者が見込めない路線になるが、バスへの転換がなされる。三江線も同様である。

 しかし、先の昨年一〇月二六日付けの朝日新聞の記事(上場の足元で・JR九州完全民営化上)でも、西鉄宮地岳線が廃線となった津屋崎地区のお年寄りが「買い物が不便になった」と嘆かれると記すが、バスになって「所要時間は17分から40分に増え、運賃も260円から470円に上がった」のでは当然である。

 『NOVIS 2016』「その三」でも紹介したが、原武史氏は、『講談社現代新書 思索の源泉としての鉄道』(講談社・二〇一四年刊行)の第4章で高千穂鉄道廃線後の沿線地域の様子として、延岡市内の高校に通う生徒が市内に下宿したり、一家揃って引っ越しをしたりした例を示される。また原(二〇一一)でも「バスは鉄道の完全な代替にはならない」という一節(91~93頁)を設けられる。上岡氏もバスに転換後利用者がむしろ減少する例が多いことを示し、「バス転換は地域消滅への道」という一節を設けられる(182~183頁)。

 リニア中央新幹線や整備新幹線に国費を投入するのではなく、赤字ローカル線を支援してこそ真の地方創生である。しかし、現実的には、国の財政が厳しい状況であるにも関わらず、地方創生の旗の下、リニア中央新幹線や整備新幹線の建設が桁違いな国費を投入して進められる。地方創生に名を借りたシンガポール化である。

     * * *

 二〇一八年三月で廃止の決定した三江線は、広島県三次市の三次駅と島根県江津(ごうつ)市の江津駅を結ぶ。一〇八・一キロに及ぶ「陰陽連絡線」の一つとして中国地方の外周を巡る山陽本線と山陰本線を結ぶ路線の一部をなす。注(4)

 宮脇俊三氏は、全線開通三年後の一二月に本線に乗車され、名著『新潮文庫 最長片道切符の旅』(新潮社・一九八三年刊行)に次のように記される。これは早朝に江津駅を発ち、一九三〇年代に開通した石見川本駅までの区間の描写である。
 朝靄(あさもや)の流れる水面が見えてきた。山に(はさ)まれた川幅いっぱいに青緑色の水がゆっくり動いている。さすがは中国地方第一の川で、水量が多い。三江線は、寄らば大河の(かげ)と江川の流れのままに沿いつづける。川は蛇行(だこう)しているから、流れの主力が向う岸に迫っているときはこちら岸は低い段丘となり、桑畑がある。流れがこちらに押し寄せるところは山裾が削られ、列車は(がけ)の縁をすれすれに走る。岩脈が川に突き出て線路が敷けなくなるとトンネルに入る。263頁
 三江線は、一九六三年に式敷(しきじき)駅・口羽駅間が開業してから一〇余年、三江北線(江津駅―浜原駅)と三江南線(三次駅―口羽駅)に別れたままで、バスへの転換勧告さえ出されることもあった。しかし、一九七五年八月、浜原駅・口羽駅間が開業して全通し、三江線となった。

 列車の運行は、新旧三区間に対応し、上り下りとも、江津駅・浜原駅間は五本、浜原駅・口羽駅間は四本、口羽駅・三次駅間は五本となる。日常利用という点で最低水準を大きく下回る。特急・急行などの優等列車は、開業以来定期的に走ったことがない。

 宮脇氏が書いていられるように、本線の醍醐味は、江の川の流れに沿った絶景に尽きる。昨今、鉄路に沿って道路が必ず設けられている。しかし、三江線は鉄路しか施設できない地形的に厳しい箇所を通る。このため、グーグルのストリートビューでは見られない江の川が臨める。たとえ江の川で売りとなっているカヌーを駆って上り下りしたとしても、鉄路程の高度は得られない。

 鉄路からしか見られない江の川の姿は貴重である。また開業時期の異なる三区間でも江の川は表情を変え、また季節によってそれは異なる。更に江の川だけでなく、切り立った崖を削り、川の直上に施設された鉄路のあり様を観察して、一九三〇年代の先人たちの辛苦を偲んでいただきたい。

 また「川線」ならではの施設として見落としてはならないものがある。江津行きに乗車して、石見川本駅の次の因原駅を出ると、支流の濁川を渡る。

 鉄路施設後、堤防がかさ上げされた結果、鉄路が堤防の一部を切り取って鉄橋に至る作りになっている。このままでは豪雨時に増水した濁流が鉄路から住居地に浸入する。そこで、堤防を切り取った部分に鉄の扉が設置してある。通常は開かれたままで、列車の運行に支障はない。後日それを「陸閘門(りくこうもん)」ということを知った。三江線が「川線」としてどのように江の川と戦って今日に至ったかが知られる施設である。線内には都合八カ所に設けられているという。

 また口羽駅・浜原駅の新線区間は、ほぼ全線高架を走る。この区間にあり、「天空の駅」と称せられる宇都井(うづい)駅について、宮脇氏は「江川に流れこむ細い支谷の上につくられた駅で高さ二〇メートル、一一六段の螺旋(らせん)階段が地上とをつないでいる」(266頁)と描かれる。最近は、冬場に駅やその周辺をイルミネーションで飾る「INAKAイルミ」というイベントが行われている。

    * * *

 私は、三江線に三度乗車した。二〇〇六年三月は江津から三次へ、二〇〇九年九月・二〇一五年九月は三次から江津へ抜けた。二〇一五年秋の乗車は、『NOVIS 2016』「その三」で述べたものの、新たな事態に接して、考えの変わったことがある。重複するところもあるが、その際のことを簡略に記す。

 二度目の乗車となる三次駅九:五七発一両の気動車である。過去にない乗客数などに驚いた。ただ、明らかに地元の方に見えない一〇名近い男性が中心で、女性は、地元のおばあさんと私の妻くらいであった。またワンマン運転が基本であるのに女性車掌が同乗していた。発車すると、乗客一人ひとりに声を掛け、どこからどこまで行くのかを尋ねてきた。耳に入ったところでは、三江線沿線の駅でなく、乗り通した先の温泉津(ゆのつ)温泉や出雲市・松江市が多かった。

 今考えると、この調査は、地元の利用者の乗車状況を確認し、いかに沿線地域で三江線が必要とされていないかを証明するもののようであった。

 列車は石見川本駅行きで、途中駅での下車は殆どなかった。乗車はあったため、三次駅を出発したときより多い乗客数で石見川本駅に到着した。列車は、列車番号を変えるだけでそのまま江津行きとなるため、ホームに停車したままである。ただ、発車時刻まで約一時間半もあるため、乗客はみな下車させられる。

 下車すると、駅舎に川本町観光協会の方が待ち構えていられた。そして、下車してきた乗客一人ひとりに声を掛け、駅近くの食事処や名所・旧跡を紹介するリーフレットを配り、どこからやってきたのか尋ねていた。更に立ち入って訊くと、このような形で利用者のデータを取りまとめ、三江線を管轄するJR西日本米子支社に持参し、感謝された旨を話された。

 ただ、これも後で考えると、どうして「感謝」されたのか。車中での車掌による調査と合わせると、支社には別の思いがあってのことではないかと推測する。

 そして、その方は、二〇一三年八月の集中豪雨によって、因原駅先の「陸閘門」のある鉄橋の橋脚が流出したり、路線内に土砂が流入したりして、運休したものの、ほぼ一年前の二〇一四年七月に全線で運転が再開したことを喜んでいられた。しかし、それから一ヶ月少々後の一〇月一六日、JR西日本が二〇一七年九月に三江線を廃止するとの計画を関係自治体に伝えたとの報道に接した。

 二〇一三年に被害を受けた施設の復旧工事には一〇億円を越す費用を要したという。このとき、JR西日本の負担を軽減するため、島根県はその約半額の公的資金をつぎ込んだようである。それから間もないJR西日本の発表は、地元の思いを踏みにじり、著しく裏切るものであり、人倫にもとる。

 その後、残念ながら、三江線に乗車する機会は得ていない。石見川本駅で対応していられれば、あの観光協会の方にまたお逢いしたい。

 ただ、二〇一六年一〇月末、車で当地域を訪れた。目的地の三瓶山へは迂回する形で口羽駅から粕淵駅までの区間に沿う国道375号を走った。地方の新しい道路はどこでもそうであるが、車両と信号の少なさ、十分な道幅のお陰で、快走できた。片側一車線ながら、高齢者などの運転する軽トラックが走っていなかったことも幸いであった。

 このルートを取った目的の一つは、口羽駅にある「三江線全通記念碑」に立ち寄ることであった。駅舎の正面から延びる道の突き当たり、駅に入る道の角に黒い御影石が立ち、碑銘の左右に運輸大臣名と「昭和五十年八月三十一日全通」という日付が刻んである。そして、その横には蒸気機関車の動輪が据えてある。

 375号を北上し粕淵方面に向かうと、三江線と平行したり、高架をくぐったりする。廃線後、高架はどうなるでのあろうかと思う。撤去するには、相当な費用がかかろう。列車の通ることのない「万里の長城」として、場所によっては集落を分断して、今後何十年もたたずみ続けるのであろう。それを地域の人たちはどのような気持ちで見上げるのであろうか。

 もう一つの目的は、国道沿いの道の駅で、三江線のポストカードを購入することであった。一六枚セットのうち、一番気に入っているのは、近景の山陰が全体の四分の三を占め、その上部に夕陽に照らされた、雪の三瓶山の頂上から左肩が光り、最下端中央あたりの山陰の中を一センチに満たない白い気動車が走る、雄大な自然に三江線の列車が溶け込んだ、粕淵駅・浜原駅間の一枚である。本線は江の川に沿う「川線」であると述べた。しかし、江津駅から乗車して、初めて江の川を渡り、粕淵駅に着く前に三瓶山が見えるという。

 過疎化、特に鉄道の主たる利用者である通学客の減少、即ち、当地域の少子高齢化の急激な進行がここ数十年の本線の利用者減となったことは否めない。一方で、道路整備が進み、働き盛りの世代が自動車を利用するようになり、彼らが高齢化しても本線に戻らなかったことも大きかろう。勿論、日常生活を送るに不便のない本数が確保されていれば、別である。しかし、国鉄時代と変わらない「お役所」体質と上岡氏に指摘されるJRに一赤字ローカル線に対して細かな配慮をする余地などない。[本数削減→利用者減→本数削減→利用者減…]という悪循環だけである。

 一時期、赤字ローカル線の双璧として「東の岩泉線、西の三江線」と言われていた。その後、岩泉線(これまたローカル線である山田線茂市駅と行き止まりの岩泉駅を結び、二〇一六年八月、台風のため川が氾濫し、高齢者グループホームで沢山の入所者が亡くなった岩泉町を走っていた)は長期の運休の果て二〇一四年に廃止された。岩泉線に乗車する機会は得られなかったが、本線は、岩手県北東部の過疎地を走る、秘境駅の連続する盲腸線である。三江線とは事情が異なる。三江線沿線は、人家が著しく途切れることはなく、潜在的な利用者が少なくないはずである。早くから利用者を取り戻す手立てを尽くしていれば、廃線は免れたはずである。またリニア中央新幹線や整備新幹線に投入される国費に比べると、三江線の赤字額は微々たるものである。

     * * *

 私は、幼稚園に入るか入らないかの頃から、汽車に乗り、窓際に座って車窓に見入ってきた。それが今も続いている。

 何が楽しいのか、よく考えたことはない。年齢に応じて思い付きの理屈づけをしたかも知れない。今は、知らない土地の、見慣れぬ景色、同じ景色でも季節によって異なる姿を見ること、そして、馬齢を重ねると、一〇年前、二〇年前からの移ろいを感じること、それが好きなのである。ただ、付け加えれば、これまでそれを鉄道で多く果たしてきただけである。窓の外が見られれば、地下鉄以外、バスでも飛行機でも、また自動車の運転席からでも構わなかったように思う。

 揶揄気味に「テッチャン」と呼ばれることがある。しかし、右の如く、それは正しくない。この呼称は、表面的・感覚的に人を捉えて「あいつはサヨクだ」「あの先生はキビシイ」などと同じレッテル貼りである。不愉快に思うが、面倒なので反論しない。

 このような性向は、日本が地理的に多様な地域からなり、季節の変化が大きく、同じ路線の車窓から見ても見飽きない外的な要因に育まれたのであろう。また、内的には、自身の外に広がる、山河や地域での営みに対する、尽きない興味が根底にあるためであろう。そして、途中下車の味を覚えると、その地域の歴史・名物料理、そして地元の人々との会話が楽しみとして加わる。

 即ち、それまで自分が知らなかったことを新たに知ること、それも直に接して知られることの喜びは何事にも代えがたい。

 知らなかったことを知る喜びは、人文科学に限らず、大学での学びを支える心の力ではなかろうか。しかし、一方で、昨今は、ネットの世界で完結し、外界の事柄すべてがスマートフォンやパソコンで分かった気になり、その場に立ち会い、自身の五官を通じて知ろうとする力が衰えているのではないかと危惧するところがある。

 この心の力を蘇らせるため、また育むため、手っ取り早く遠方に行く手段として鉄道に一人で乗り、どこか見知らぬ土地に出かけて欲しい。その際、まずは三江線を選択肢の一つとしていただきたい。起点の三次駅や江津駅に至るだけでもよい旅となる。ただ、廃線が決定してから利用者が増えているという。ボックスシートの前席に足を投げ出して、のんびりと静かに車窓から江の川を楽しむことは難しいかもしれない。しかし、残された時間は少ない。

 第二・第三の三江線を出さないため、日常使用の地元利用者でなくても、私たちにできるのは、その目的は何であれ、鉄道に乗ること、そして一八歳に選挙権が引き下げられたので、シンガポール化の是非も含め、よく考えて投票場に向かうことである。残念ながら、過疎化という地域社会の問題は、鉄道の存続だけで解決できる問題ではない。

 【付記】三江線に関するホームページで、代表的なものは、次の二種である。
  石見川本鉄道研究会=http://sankosen.jimdo.com/[新]・http://www.yuyumura.net/rail/index.html[旧]
  ぶらり三江線Web=http://sankousen.com/
 これらのページからは具体的に分かりやすく三江線の魅力と地元の方達の本線への思いが伝わってくる。

     

 (1) 最近のこととして、二〇一七年一月二七日は朝と午後に二回も約一時間の運転見合わせが鹿児島本線で発生した。朝は信号工事に伴う配線の接続を誤った人為的なミスが原因という。お粗末極まりない。経費削減のため、安価なだけの、未熟な業者に仕事を丸投げしているのではなかろうか。更にこの日の前日と翌日には人身事故のため、同線で運手見合わせが起こっている。

 (2) 紙面の関係で、他のJR各社に触れる余裕はない。
  例えば、原武史氏は、『朝日新書 震災と鉄道』(朝日新聞出版・二〇一一年刊行)でJR東日本について東日本大震災と絡めて、巨大組織の問題を指摘される。
  原氏の執筆時には甚大な被害を受けた三陸沿岸の諸路線をJR東日本がどのようにするのか明確でなかったため、氏は、早急な鉄路の復旧を訴え、BRT(バス高速輸送システム)の問題点を指摘するに留まる。その代わり、山田線の盛岡駅・宮古駅間や仙山線(仙台駅―羽前千歳駅)における、運行本数減と利用者減、そして沿線の過疎化の悪循環を示して、「いくら経済的な効率や採算性を重視しなければならない民間企業だからといって、鉄道という自分たちの事業の公共性を軽視してもいい、経営努力をしなくていいという話にはならないでしょう。ところが、JR東日本には、往々にしてそうした企業体質が垣間見えます」(91頁・傍線山縣)と、地方路線の冷遇を問題視される。
  その後の三陸沿岸路線は、朝日新聞の連載(二〇一七年一月三日~一九日「てんでんこ・線路は続く1~13」)が詳しい。結局、大船渡線の気仙沼駅・盛駅間と気仙沼線の気仙沼駅・柳津駅間は、BRTに転換され、山田線の宮古駅・釜石駅間は三陸鉄道に移管譲渡されることになった。三陸鉄道に移管協力金を支払うにしても、JR東日本は震災で被害を受けた路線で、儲かりそうにない区間から鉄道事業者として撤退する訳である。
  JR東海に関して上岡氏は第7章で「リニアより詰め込み解消を」として紙面を割く。次にその小見出しを示す。詳しくは、本書を読んで、確認されたい。
   技術的合理性のないリニア、手探りで人体実験、早くも経営破綻のおそれ
   リニアによる環境影響、リニア建設より新幹線値下げと在来線改善を
   便益は地方に回らず
  東京オリンピックと同じく、建設を始めてから想定外の事態が生じて、費用が膨らみ、JR東海で賄いきれなくなったとき、どうなるのか。国費が投入されるのか、そのようなことがあってはならないが、JR各社に負担させるのか。いずれにしても迷惑な話である。

 (3) 谷川一巳氏は『平凡社新書 ニッポン 鉄道の旅68選』(平凡社・二〇一六年刊行)で鹿児島本線を門司港駅から鹿児島中央駅まで辿ると、凡そ博多駅・大牟田駅・八代駅・川内駅で路線の性格が競争相手の有無などによって変化するとされる。JR区間で「もっともサービスレベルが落ちるのは大牟田~八代間」である。しかし、「サービス云々ではなく、地方の交通体系として取り残されてしまったのが八代~川内間」で、「新幹線が停まらなかった町は、博多へ出るにも乗り換えを強いられ、不便になった上に運賃は高くなり、さらには第三セクター鉄道の運営まで押しつけられた格好だ」(以上、218~219頁)とまとめられる。
  また北陸新幹線の開通によって東京と北陸は近くなったかもしれない。しかし、北陸本線の金沢駅・直江津駅間がJRから切り捨てられ、更に三県にまたがるため、IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道・えちごトキめき鉄道に分断された。谷川氏は様々な問題を指摘された後、最後に「富山から関西方面は不便になり、乗り換えの手間を考えると所要時間の短縮になっておらず、しかも料金値上げになっている。近年は「新幹線ができるのなら他の鉄道は義性になってもいい」という風潮があり、新幹線以外の鉄道離れが加速するのではと危惧してしまう」(128頁・傍線山縣)など、在来線と共存し得ない地域への新幹線建設は、日常使用の地元利用者の切り捨て、公共交通のおけるシンガポール化でしかない。
  なお、本書では、三江線が「県境を進むローカル線のなかのローカル線」として紹介され、「収支と車窓の美しさは反比例するものかもしれないが、多くの人に三江線に乗って江の川に沿う景観を体験してもらいたいと思う。ローカル鉄道のファンであれば、三江線は乗って損はない路線だと思うし、スケジュール的にはかなり乗りにくい路線であるが、苦労して乗るだけの価値はあるだろう」(182頁)と締められる。後述の如く同感である。

 (4) 「陰陽連絡線」とは、「山陰」と「山陽」をどのように捉えるかで異なる。

  山陰は島根県・鳥取県、山陽は広島県・岡山県とすると、これら二県を結ぶ路線は、三江線以外に因美線(東津山駅―鳥取駅)・伯備線(倉吉駅―伯耆大山駅)・木次線(備後落合駅―宍道駅)である。
  陰陽を山陰本線と山陽本線と捉えると、伯備線と山口県を走る山口線(旧小郡駅―益田駅)・美祢線(厚狭駅―長門市駅)に限られる。
  個人的には、以上の路線に加えて、岡山県内・広島県内の路線ながら、三江線・木次線・因美線の三線と山陽本線を結ぶ芸備線(備中神代駅―広島駅)・福塩線(福山駅―塩町駅)・津山線(岡山駅―津山駅)を含めるのが妥当であると考える(但し、山陰本線・山陽本線は近畿地方も走るが、これらの地域の路線まで含めると、話がややこしくなるため、今回は省略する)。
  山陽本線は、瀬戸内を走る路線ながら、海に沿うことは少ない。一部では、赤穂線(相生駅―東岡山駅)・呉線(三原駅―海田市駅)など、より海沿いを走る路線も存する。その中でも例外的に広島駅から防府駅までの広島県西部から山口県中央までは海に沿って走ることが多い(特に柳井駅から広島方面に向かうと、大畠駅から藤生駅までは海岸沿いを走り、穏やかな瀬戸内と島嶼の絶景を右手に臨むことができる)。これらの区間は、岩徳線(岩国駅―櫛ヶ浜駅)が一部で並行するものの、もし万が一これらの地域を津波が襲った場合、またこれらの地域で地震が起こった場合、近畿・瀬戸内地域と山口西部・九州地域とは物資の輸送が行えなくなる。このとき、三江線と芸備線・福塩線を利用して、山陰本線に迂回すれば、両地域が最短距離で結ばれる。
  災害時に代替ルートとしてローカル線が機能することは、阪神淡路大震災や東日本大震災でも示された。上岡氏は、後者の際、ガソリンや軽油などの輸送のため、JR貨物がタンク貨物を磐越西線を経由させ、福島県内陸部に至った例を示される。そして、「その量をトラック(タンクローリー)で輸送すれば三〇~四〇両のトラックと各々のドライバーが必要となる。それを一本の列車で輸送できることはローカル線といえども災害時の代替ルートとして機能することが示された」(166頁)とまとめられる。
  このことは、注(2)の原(二〇一一)でも「日本海側を回ったJR貨物」として触れられる(102~105頁)。
  災害時に備え、複数の路線を確保して全国を鉄道網で覆い、それを維持することは、分割され、営業地域のことしか考えないJR各社には、不可能である。また貨物列車は、狭軌の在来線しか走れないため、いくら新幹線を全国に走らせても、物資は輸送できない。
 【初校時に】その後、『三江線写真集』(今井出版、二〇一六年刊)を入手した。改めて三江線が江の川を中心とする美しい自然と沿線地域の人々の暮らしの中にあることを教えてくれた。

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逃げ出すわけにはいきまっせん
山田英二 (英語学)
 『天に星 地に花』(帚木蓬生、二〇一四年、集英社)
 (『ギャンブル依存とたたかう』(帚木蓬生、二〇〇四年、新潮選書))

 念願叶い青雲の志を抱いて大学の門をくぐった諸嬢諸君、御入学おめでとう。

 電子書籍を入学祝いとして貰った人もいるでしょう。私は学生時代から山が好きで、時には何日も山中で過ごしていました。今の若い人が同じ状況で数冊読める手軽さを正直、羨ましいと思わないこともありません。山に持って行くのをどれにしようかとかつて悩んだからです。乱読、熟読、味読、そして「とりあえず積んどく(読)」も、良書に巡りあうまでに必要で、大事な体験ですし、特別な場所で読む本は、意外に永く記憶に留まるものです。

 ところがこのような便利な道具が増えた一方で、紙の書籍の売り上げは近年芳しくなく、町の本屋さんは苦戦しています。出版業会の年商はおよそ三兆円ほど、パチンコ産業はその十倍、約三〇兆円も稼いでいます。パチンコ産業と国民医療費がほぼ同規模というのも、あなたにとっては衝撃ではありませんか?

 このことを私に教えてくれたのは、福岡は小郡の出身、作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏です。精神科の医師でもある彼のライフワークの一つは、『ギャンブル依存とたたかう』ことで、有名な本の題名になっていますが、願わくばこちらの本、そしてギャンブル依存そのものとは無縁の学生生活であって欲しいです。私もパチンコはやりました。しかし、ある日虚しさを感じて止めたのです。パチンコ屋へ足が向かう時はたいてい気持ちが「逃げ」、つまり現実逃避の方向へ向いている時に他ならないと気づいたことがきっかけでした。やっている時は愉しいのに、金が底をついてふと気がつくと必ず「時間を無駄にした」、そんな苦い思いが胸に込み上げてくるからでした。

 山に登ることは、逆に、登る時は苦しくてキツクてならないのに、その後の感動と爽快感はなかなか消えることはありません。同じ山でも登るたびに異なる経験が待っています。これは、学問にも稽古事にも言えることではないでしょうか。大切なものは、簡単には手に入らないものなのです。深山には人工の灯りが届かないので星空は冴えて美しく、吾亦紅(われもこう、『我も恋ふ』という字を勝手に思い浮かべていましたが)の野草は見飽きぬ可憐さを秘めて風に揺れていました。

 『天に星 地に花』は題名に惹かれてふと手を伸ばした本です。江戸時代に題材をとっていますが、現代という同時代の物語でもあります。この言葉は、或るオランダの名医からとある若者へと継がれていく命のかがり火です。そのいきさつについては、久留米藩井上村の霊鷲寺にまつわるこの物語を、じっくりとひもといて下さい。若い皆さんにはまだそれほどのことはないと思いますが、これからの人生においては、精一杯果たした己の義務や仕事について、心ない人からいわれのない非難を受けることも出てくるでしょう、はらわたが煮えくり返るほどの思いに直面することもあるでしょう。あなた個人に無理を強いるどうしようもない組織の中で、生き方を探らなくてはならないこともあるでしょう。この本は、そうした時に、きっと煌々とした道しるべとなってくれることと思います。

 久住の山々へ登った帰り道、大分からの高速道路を車で鳥栖方面に戻る途中に、山田SA(サービスエリア)というのがあります。そこを通過すると次はやがて井上SAという標識に変わります。この小説の舞台になった井上村はそのあたり一帯でした。「井上」は大学時代以来の悪友の名です。なので、やぁまだぁ~、いぃのうえぇ~、と心で呟きながら、バカをやった青春の日々、山に明け山に暮れ、山に救われた若い頃を思い出したりして、ここを走る時はいつもちょっといい気分になります。

 人生、多少、いやうんと嫌なことがあろうとも、「逃げ出すわけには、いきまっせん。前ば向いて生きていかんこつには。」(本書『天に星 地に花』より)

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岡村敬二『江戸の蔵書家たち』(講談社選書メチエ71)
山田洋嗣 (日本文学)
 昨年、江戸後期の和学者、小山田与清のことを調べていて大変面白かった。本当はここで与清の「擁書楼日記」をすすめたいのだが、いささか特殊にすぎるかと思いなおしてこの本にする。

 江戸時代になると書物の流通が広くさかんになり、出版も多くなって、自然大勢の読書家や蔵書家、また著作や出版に志す者、分類や目録を作る者、あるいは索引を編もうとする者が出てくる。岡村敬二のこの本はその人々の群像とそのなさんとしたところをいきいきと描き出してみごとである。また、それがこの時代の文化のうねりを描くことにもなっている。

 ことに面白いのは、冒頭の小山田与清とその蔵書に群がる人々の様子である。与清は蔵書のために蔵三つを建て、五万巻を収めたというが、彼らを動かすのは、すべての書物を集めたい、すべての書物を読みたい、すべてを分類したい、という静かな狂気である。そのために彼らは集いまた離れつつ、本を求め、購い、貸借を、輪読を、抜書を倦まずにくり返すのである。

 私は、実は小山田与清という人間をあまり好きになれないし、その著作が面白いとも思わない。「行為」が面白くて、「結果」が面白くないのは彼の特徴である。しかし、この様子を書くのに岡村が主な資料として使った「擁書楼日記」は、その様子が日々記録されていて、実に面白いのである。

 なお、こちらを読みたいと思う人がいるかもしれないから書いておくと、「擁書楼日記」は明治四十五年に出された『近世文芸叢書』の第十二巻に入っている。ただし、活字化するにあたっての間違いが所々にあるから注意しなければならない。気になる人は、早稲田大学図書館のウェブ・ページに与清自身の自筆本の写真版が公開されているから、それを見るといいと思う。

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大きく学ぼう
山中博心 (ドイツ文学)
 『ゲーテ読本』(潮出版)にはゲーテに関する魅力的なエッセイが盛り込まれています。共通して言えることはゲーテの作品、『ファウスト』『ヴィルヘルム・マイスター』『西東詩集』等とがっぷり四つに組み合っていることです。

 一九三二年の三木清『ゲーテに於ける自然と歴史』では、固定的な歴史観を支える「科学的」であることに不信感をつのらせるゲーテが、イタリア旅行後に歴史や政治から離反したことに触れ、ゲーテが目指すものは人間生活の「自然状態」であり、「普遍」「向上」「自然」であると論じています。対象を観察し、熟思し、統合するゲーテの手法は直観を旨とするものです。換言すれば「現象」のなかに「理念」を観ることです。特殊と普遍を区別することなく「瞬間」に「自己」を没入することで、瞬間を永遠と化するのです。そこに浮かび上がってくるのがゲーテを特徴づける「原現象」です。「収縮と伸張」「呼気と吸気」といった運動を繰返しながら世界と関係しつつ自己を失うことなく、「成る」という人間存在のあり方を提示してくれています。最後に三木はゲーテを「自然観照者」と見なし、客観と主観の出会い、偶然(「したい」)と必然(「ねばならない」)の一致をゲーテの目標として挙げています。そのためには「自己の中」から湧き出る欲求を善しとし、そこに生死を賭けることが必要である,と言っています。

 亀井勝一郎『偉大なる快癒』(一九五一年)では信仰の可能性を中心に据え、ゲーテの人柄が描かれています。「神の肩に手をかけ」つつ、「神に対する深い信頼を抱いている」ゲーテは、全人的に生の「快癒と苦悩」を受け入れている、と亀井は説きます。「過剰と病性」を否めるゲーテは「自然の権化」であり、人間への全的な愛を抱いています。それは人間が何かに「努め」、「迷い」、「救われる」という考えであり、「運命に敗北」することで「世俗を超える」というゲーテの世界観に拠っているのです。「彼岸」ではなく「此岸」の無限を信じ、「死して成れ」と鼓舞するゲーテの世界は「矛盾」「反転」を不可欠とし、徹底して「個」に徹することで「人類」「人間」「社会」を観ることを目指しているのです。

 上記の亀井と通ずるところがある片山敏彦『ゲーテとリルケーオルフォイス的』(一九七二年)は「総合的な比例均衡」「直感力の大きさ」を二人の詩人の特徴的なことと考え、読者を「陶酔」させると同時に「覚醒」させる詩的世界を浮き彫りにしています。人間であることを通して「人間以上」のものを予感させます。それは愛をもって「ものの内部を潜る」ことで「美の客観性」を獲得することであり、同時に「主観的なものを純化する」ことです。

 自然科学的視点からは宇佐見圭司『ゲーテの自然』(一九八〇年)があります。宇佐見は自然と人間の「調和」した交感は「抽象作用の際限なき進行」を止めるというゲーテの自然観に基づき、人間の行動は能動的であると同時に受動的と意味付け、『色彩論』等への道を開いてくれます。それは部分と全体という思考の基本的構図に関わるものでもあるのです。

 小林秀雄『モーツアルト』(一九四七年)は、「ゲーテの苦い思いがモーツアルトの本質的な謎」と共鳴していることを出発点とし、そこに小林自身のモーツアルトとの衝撃的出会いが重なり合い、読む者を釘付けにします。小林は「沢山の悩み」がモーツアルトの「単純極まる形式」を産み出した、と結論づけます。そこには小林の「精神の強度」が生々しく感じられ、「あらゆる解釈を排しても動かぬもの」という信念が息づいているように思えます。

 人文学が「人」と「文」を究める学問領域であることを鑑みれば、幅広い分野を逍遥することが求められます。外国語を修めるにしても言葉は表面的な道具ではなく、その内側に潜むものを感じ取ることがない限り不毛に終わるでしょう。古いものもありますが、上記のものを読めば何かを感じると思います。そこから自分の関心を大きく育てて下さい。学問は難しいのです。だからこそ分かれば楽しく、達成感も大きいのです。

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人から本をすすめられること―パール・バック―『大地』―
山根直生 (中国史)
 パール・バック『大地』 (初出一九三一~一九三五年。新居格氏訳の新潮文庫版は、一九五三年)

 「無人島に一冊だけ本を持ち込めるとしたら、何にする?」という問いかけがあります。孤独な生活を紛らせてくれそうな、くりかえし読んでも飽きない書物をあげていく話題であり、多くの作家や学者といった人々が自分のお気に入りを紹介しています。

 さて私ならどうするかと問われたら、たぶん何を持っていってもけっきょく読まないのではないか、と思います。本を読む理由というのはただその本自体が面白いとか為になるからとかばかりではなくて、読んだ感想を誰かと語りあいたい、ある人が読んだと言っていたから自分も読んで話をしたい、などの理由もあるはずです。私にとっては特にそうで、どんな難しげな本であれ尊敬する人から教えられれば、その人と討論したいがために努力して熟読するでしょう。誰とも話す機会のない離れ小島に流されたら、どれほど面白そうな本であっても目を通しはしないと思います。

 つまり私が一番熱心に読書するのは、自分の敬愛する誰かから本を教えてもらった時であり、今回紹介する『大地』も大学時代の恩師からすすめられた本の一冊です。読み進めて、自分が研究上学んできた中国に対するイメージにあまりにもぴったり合致していることに驚き、一九三〇年代に発表されたこの本のイメージに、むしろその後の中国史研究全体が規定されたのではないか、とさえ思いました。

 『大地』の舞台は、中国安徽省、十九世紀末から二十世紀の時期と思われます。思われる、というのは、ジャンルとしては歴史物に当たるこの物語ですが、歴史上の著名人や地名・事件名が登場せず、厳密にはいつ・どこの話かあえて分からぬよう書かれているからです。それどころか、主要人物の王一家以外には、ほとんど固有の名前さえ出てきません。物語は第一部の主人公、貧しいけれども勤勉な農民の王龍が、富豪の奴隷であった阿蘭を買い取り、妻にするところから始まります。

 平凡な農民の物語を興味深いものにしているのは、厳しく過酷な中国の環境と、それを乗りこえていく彼ら、特に阿蘭のバイタリティーです。旱魃の到来を予想して稲穂の軸を食料として保存したり、飢饉につけこんで彼らの土地を買いたたこうとする高利貸しとわたりあったり、いよいよ暮らしていけなくなって流民として都会に逃げ込んでからも、物乞いの仕方を子供達にたたきこんだりと、とにかく凄まじい女性です。旱魃が過ぎ去り、故郷にもどった王龍は前にもまして畑仕事に励み、一家はしだいに裕福になっていくのですが、阿蘭の働き有ってこその幸運であったのは間違いありません。

 私は今までにもこの本を知人や学生の何人かにすすめました。女性読者がそろって面白いと感じるのは、王龍をはじめとする男性主人公と、いずれも気丈な女性たちの間の、ベタベタしていない愛情をさらにドライに描ききった、筆者パール・バックの洞察力だそうです。死の床についた阿蘭と、王龍のやりとりの場面を以下に引用してみます。
 …彼は、毎日、幾時間も阿蘭の病床に座っていた。阿蘭は弱っていたし、達者なときでも、あまり話をしない仲だったから、今はなお黙々としていた。その静寂の中で、阿蘭は自分がどこにいるのか忘れることがあったらしい。時々、子供のときのことなどをつぶやいた。王龍は、初めて、阿蘭の心の底を見たような気がした。それも、こんな短い言葉を通してのことだったが。

 「はい、料理を持って行くのは、戸口までにします。わたしは、みにくいから、大旦那様の前へは出てはいけないのは、ぞんじています」

 (中略)

 「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています-」

 王龍は聞くにしのびなかった。彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。彼女が言っていることは事実なのだ。自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、蓮華(注 王龍の美しい妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。それが不思議で悲しかった。この死にかかっている骨ばった手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。

 それだけに、王龍は、いっそう阿蘭に親切を尽くし、特別な食べ物や、白魚とキャベツの芯を煮た汁を買ってきたりした。おまけに、手のつくしようのない難病人を看護する心の苦しみをまぎらすために、蓮華のところに行っても、少しも愉快ではなかった-阿蘭のことが頭を離れないからだ。蓮華を抱いている手も、阿蘭を思うと、自然に離れるのだった。…

 筆者バックはアメリカ人宣教師の娘で、中国現地で前半生を過ごしたという女性です。それだけに、というべきか、作中の男女の恋愛感情に関してバックは一切の幻想を許しません。もちろん、登場する男女の間に愛情が見られない訳ではなく、先の王龍も、王龍の三男で第二部主人公である王虎や、王虎の長男で第三部主人公の王淵も、それぞれ女性に対して時に優しい気遣いを見せるのですが、そこに働く男性のエゴもバックはバッサリと描ききっているのです   -これは、けっきょくのところ男である私には感知できなかった部分であり、人にすすめて初めて気づかされた本書の特徴だと言えるかも知れません。
 田畑を愛した王龍に反して、彼の子供たちはあっさりと土地を切り売りし始めます。それを資金に軍人としての立身出世をねらう王虎が第二部の主人公、そして王虎から軍人教育を施されながらも、むしろ祖父に似て農業の近代化を志す王淵が第三部の主人公です。

 私にこの本をすすめた恩師はいつも第一部を引いて中国農村の姿を話してくれたのですが、中国の軍事史や軍閥を専門としている私には、軍記物のような第二部も非常に興味深く読めました。ある県の警備隊長となった王虎はそこの政治や裁判までのっとり、名産であるという酒に税金を課して、となりの県へと勢力をのばします。ちなみに彼は母に似てすらっとしたりりしい男性だと描いてあるのですが、このことからすれば阿蘭もそんなに不美人だったとは思えません。

 『大地』を読み切った私はさっそく恩師に感想を話しました。そうして敬愛する人とより多くの会話を交わすこと自体が、私にとっての読書の楽しみだとも言えるでしょう。中国の軍閥の様子として第二部には非常にリアリティがありました、と私が話すと、恩師はちょっと意外そうな様子で、後日送ってくれた手紙には「そういえば第二部は軍閥のことなのだと初めて気づきました」とありました。

 私がバックの男女関係の描写に気づかなかったのと同じように、恩師にとってもそのような見方は今までなかったのかも知れません。こうした発見があることもまた、独りだけでする読書にはない、他者との交流のための読書が持っている意味だと思います。

 大学に入ってからの皆さんが書物に興味を持てなかったとしたら、一度このような、他者と話すことを前提にした読書の仕方を試みてみることをすすめます。別に、『大地』を読まなくても構いません。話を聞いてみたいと思う先生や先輩のすすめる本(または、彼らの書いた本)を読み、その感想を彼らとの話題にしてみてください。あるいは、逆にこう言い換えることもできるでしょう-そうした本でも読まなければ大学で実りある交流はできないし、尊敬できる何者かの存在に気づくこともないのだ、と。皆さんそれぞれにとって、大学時代の思い出深い書物が増えることを願います。

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Novis 2017
― 新入生のための人文学案内 ―

印 刷 平成29年3月28日
発 行 平成29年4月1日
発行者 福岡大学人文学部
印刷所 城島印刷株式会社