福岡大学人文学部
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Novis 2018

Novis 2018 目次

Novis 2018 本文

人文学部新入生のみなさんへ
山縣 浩(人文学部長)
 この小冊子NOVISは、人文学部の「知の宝石箱」です。
 人文学部は八学科で構成され、ここには約一三〇名もの先生方が日々教育・研究に当たっていられます。人文学部で覆う学問領域は、福岡大学九学部の中でも一二を争う幅広さです。このような人文学部に所属し、様々な学問分野に携わる先生方が皆さんに伝えたい、取り組んでほしいと考えていられることが本冊子に集約されています。
 それは、専門分野の入門的な図書であったり、専門分野に入るための営みであったり、先生方の経験されたことであったりで、それぞれに個性的な輝きを放っています。その一方、そこには共通して先生方の人生や人柄がにじみ出ています。言わば、ここに納められた先生方の文章は、形こそ違え、皆さんより先に生まれた者が皆さんに贈る「人生の道しるべ」なのです。
 人文学部での学びは、すべて人間に関わります。人への興味が基本です。本冊子に掲載された様々な文章に接し、新たな知の世界に足を踏み出してください。同時にその文章を書かれた先生がどのような人であるか想像してください。多くの場合、文章から受ける印象と異なり、気さくで人なつこい先生ばかりです。つまり、本冊子は、いろいろな先生との出会いの場でもあるのです。
 もしその先生が皆さんの学科の先生であれば、学科での学びを深めるため、また他の学科の先生であれば、視野を広げるため、その先生の講義を聴いてください。ただ、学科の関連教育科目にもなっていない講義は、残念ながら卒業単位になりません。しかし、魅力を感じた先生であれば、その講義も必ずや皆さんの心を惹きます。遠慮することなく、教室を訪ねてください。或いは「学修ガイド」に記されたオフィスアワーに研究室を訪ねるのもよいでしょう。どの先生も意欲ある学生の聴講・訪問は大歓迎です。きっと喜んで受け入れてくださいます。
 この小冊子が皆さんにとって大学における意外な出会いの場となり、これによって新たな道が開けてくることを願っています。

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映画の字幕
間ふさ子(中国近現代文学)
 外国映画を見るときになくてはならないものが字幕です。映画では目からの情報だけでなく、言葉や音楽など耳からの情報も大きな役割を果たしていますが、言葉が外国語だと何を言っているのかわかりませんよね。それを解決する主な方法は吹き替えか字幕ですが、日本ではまだまだ字幕が主流のようです。字幕翻訳監修業という職業の草分けである清水俊二さんの『映画字幕(スーパー)五十年』や『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』を読むと、日本における字幕スーパーの歩みを知ることができます。
 字幕と聞いてすぐに思い浮かぶのが、この清水俊二さんや戸田奈津子さんなど字幕翻訳者の存在です。語学を志す人で字幕翻訳者にあこがれたことのない人は少ないのではないでしょうか。自分の作った字幕がなければ観客たちは作品を十分に鑑賞できないのです。しかも一行わずか一〇文字で台詞のエッセンスを表現しなければなりません。責任は重大ですが、やりがいもあるというものでしょう。
 戸田奈津子『字幕の中に人生』、太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』『字幕屋に「、」はない』など、字幕翻訳のエピソードを綴った本は何冊かあり、いずれも興味深いものです。また、前述の清水俊二さんの著書や高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』を読めば、字幕翻訳者の生涯を通して二○世紀の日本と日本人の姿が、外国映画の受容という側面から浮かび上がってくるでしょう。
 しかし、翻訳者だけでは字幕は出来ません。字幕を作るには昔も今も技術者の熟練の技が不可欠です。かつて字幕がどのように作られていたのかを知るには、神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』がうってつけです。また、太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』を読めば、現在の字幕制作のプロセスがよくわかります。これらの本は、映画が工業技術に支えられた芸術であることを改めて教えてくれます。
 現在では、デジタル映像であれば、素人でも専用のソフトを使って字幕制作にトライすることができます。東アジア地域言語学科では、字幕制作ソフトを利用した語学の授業を行うほか、有志で一九五〇年代、六〇年代の中国映画・韓国映画の秀作に日本語字幕をつけ、市民のみなさんに鑑賞していただくという活動を行っています。これまでにみなさんの先輩たちが、中国映画『白毛女』('50、『』('56)、『花好月圓(はなはよしつきはまるし)』('58)、『五朶金花』、『我們村裡的年軽人(村の若者たち)』('59)、『今天我休息(本日非番)』('59)、『李双双』、『錦上添花』、『女理髪師(奥様は理髪師)』('62)、『大李、小李和老李(李さんスポーツ奮闘記)』('62)、『我們村裡的年軽人・続集(続村の若者たち)』('63)、韓国映画『青春双曲線』('50)、『運命の手』('54)、『三等課長』('61)、『ソナギ(通り雨)』('78)など多くの作品に字幕をつけました。今年も九月の発表会に向けて準備を進めています。
 また、この字幕制作で力をつけた卒業生たちが、アジアフォーカス・福岡国際映画祭からの依頼を受けて、最新の中国映画『目撃者』(二〇一二年)、『殯棺』(二〇一四年)、『黒処有甚麼(闇に潜む)』(二〇一五年)に字幕を付けました。昨年は香港映画『毒。誡(どくのいましめ)』で広東語の台詞に挑戦し、評価を受けています。
 字幕について書かれた本を読むだけではなく、みなさんも実際に字幕制作にチャレンジして、プロの翻訳者たちが縷々語る字幕翻訳の神髄-限られた言葉で限りないイメージの世界へ観客を誘う醍醐味-の片鱗に触れてみませんか。
 
 清水俊二『映画字幕(スーパー)五十年』早川文庫、一九八七年
 清水俊二『映画字幕(スーパー)の作り方教えます』文春文庫、一九八八年
 神島きみ『字幕仕掛人一代記 神島きみ自伝』パンドラ、一九九五年
 戸田奈津子『字幕の中に人生』白水Uブックス、一九九七年
 太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』光文社新書、二〇〇七年
 高三啓輔『字幕の名工 秘田余四郎とフランス映画』白水社、二〇一一年
 太田直子『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』岩波書店、二〇一三年
 太田直子『字幕屋に「、」はない』イカロス出版、二〇一三年

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竹原先生の思い出
青木文夫 (スペイン語)
 毎年恒例でNOVISに読書案内もせずに戯言を載せているが、そろそろ定年も近づいてきたので、人生における恩人について書き残しておくことにしたい。
 人生の道標となった人物は数多いところ、絶対に忘れない方が四名いる。一人(鶴田諸兄氏)についてはすでに書いた。あと二人はバカな僕に英語を教えてくれた中学のときの境先生(中京大学名誉教授)と高校のときの故松永先生であるが、その二人については別の機会とし、今回書いてみたいのは僕の命を救った脳神経内科・精神科医の竹原先生である。
――――――
 二〇一五年のNOVISの拙文を読んでいただければ幸いである。

 過日…
 ある日のこと、「そんな薬を子供に飲ませたら死ぬぞ」という電話越しでの主治医の大声が僕の耳にも入ってくる。しかし、その夜からはとんでもない量の薬が食後のデザートとして待っていた。
 小学校二年(昭和三十六年)のある初夏の土曜日。学校から帰ってパン屋に。早く食べたいと走る僕。しかし、名古屋の八事(やごと)という当時は信号のない交差点を渡ろうとしたときから僕の記憶は途切れる。目が覚めたのは翌日の何時だったろうか、病院のベッドで包帯がぐるぐる巻きで、左腕は動かない状態。
 小型トラックに轢かれ、飛ばされて、トラックが僕の上を通過。誰もが死んだと思ったそうだ(おまけに交番の前)。しかし車輪の間に倒れるという奇跡が起きて、現在の青木教授が存在することになった。そして、事故の後すぐに八事の交差点に信号が設置された。
 頭部裂傷21針、左の鎖骨他の左半身の骨折、背中に無数の傷。それでも良く助かったものだった。入院二カ月余、自宅療養一か月余。夏休みもなく、九月を迎えることに。
 いくつか思い出を。
 小学校の担任がすぐ見舞いに来たが、左側にギプスをし、左手が不自由な僕を見るとお見舞いの言葉もなく「この際左利きを治しなさい」。僕の心は怒りで一杯。その時から勉強はしないぞと誓い、宿題はその後卒業まで担任が替わっても一切やらなかった。
 毎日点滴や注射があったが、ある日脳内出血がないかを脊髄液を調べる検査。ところが朝から看護婦さんもかなりの数で物々しい様子。僕をうつ伏せで抑えると、麻酔の麻酔らしいところから始まり(効かない)、畳針のような針を背中に!その後も色々痛い目に遭ったが、これが一番。何せ、CTもMRIもない頃。その次が、骨折の部分に金属が通してあって、その外側が二本外に出ているのであるが、それを抜く処置。手術台に縛り付けられ、麻酔も簡単なものなのであったが、ただ泣き叫ぶだけだった。
 退院後数年間は車が通る道を一人で渡ることができなかった。両親や友達に手を引いてもらって、目を瞑って渡っていた。これがいわゆるPTSDというのだろう。
 奇跡の生還を経て、勉強はしないが、やんちゃな日常生活に戻ったと思ってから数カ月後。両親や担任がおかしなことに気付き始める。詳しく書くとこれだけで頁が相当必要なので簡単に。
 夜中に目を覚ましてさまよう。みんなが行こうとしている方向から外れる。椅子から転げるなどなど。そして、僕はそれを全て覚えていない。
 両親が、普段お世話になっている内科の主治医のところを訪ねる。すると、すぐにある神経科のところに行って脳波を取るようにとのこと。当時脳波を検査する機械は大学病院にもなく、ごく限られた大きな精神病院にだけあり、紹介を受けた一宮(名古屋の自宅からはバスと名鉄電車とさらにバスを乗り継いで二時間以上かかった)のある病院に。すると脳波を見た医師は診断書を書くと同時に入院かもしれませんねと言うではないか。後に詳しい説明を知ったが、その時は両親だけが病状を知らされ、非常に固い表情で自宅に戻ると主治医のもとに。数日後、主治医から紹介された名古屋大学の脳神経内科の先生のところへ。その方が僕を救ってくれたフランス留学から帰ったばかりの竹原先生であった。
 さまざま検査の結果下された診断は「脳の損傷によるてんかんと神経障害(意識障害)」であった。数ミリの範囲だけを大きく撮るレントゲンで調べた結果、頭部裂傷の際にほんの〇・数ミリの頭蓋骨折があり、そこから空気が入ってその部分の脳が損傷していたことがわかった。その後病院の診察室ではなく大学の研究室に呼ばれ「大人なら治らない可能性が高く症状を抑えるだけになるけど、子供なら治るかもしれない」と目の前で言われ、さすがの僕も、脳波をとった神経科の病院の患者さん(精神障害で正常ではないと思われる人がたくさんいた)のように入院するのかと恐怖心がわいたものだったが、さらに「君の体で実験するけど、治らずに今のままでいるよりは、仮に失敗してどうなってもいいよね」というようなことを僕に言うではないか。ずっと後になって分かるのだが、治療に使った薬は未承認薬だったり、子供に対する用量を遥かに超えていたりで、その処方箋を持って主治医のところに薬をもらいに行ったときの冒頭の電話の怒鳴り声になったわけである。
 以後、月に一度(学校を休んで)の脳波検査、その結果を持って竹原先生の研究室でのいろいろな運動検査と処方箋、主治医からの調剤という治療が中学三年になるまで六年以上続くのであった。
 その間、運動は一切禁止。高いところ禁止(窓拭きなど)。おかげで今も泳げない。しかしながら小学校六年くらいからは症状は一切出なくなり、内緒で自転車に乗ったのを見られて、こっぴどく叱られたこともあった。いよいよ最後の診察の際には、先生から「君の脳波は正常過ぎて、かえって異常かもしれない」などと冗談も出るほどだった。
 これだけでも命を救ってくれた恩人であることには間違いがないが、もっとすごいのは竹原先生の学問的姿勢に時間が経つにつれて深い感銘を覚えるようになったからである。それは今流で言うとエビデンスに頼らないということであった。僕に処方された薬は「脳代謝改善剤」「ビタミン剤」「アミノ酸(とくにグルタミン酸)」などであったが、その種類は多く、配合は毎回微妙に変化していた。調剤してくれた主治医によると、ときには大人の量の三倍以上あったり、効き目の不明な未承認薬を出したりで、それもいわゆるエビデンス(学術的な証明)は一切ないとのことだった。
 最近、医学の世界ではエビデンスだけに頼る勢力に対し、巨大転換(パラダイムシフト)というエビデンスに頼らない勢力の台頭が目覚ましい。昨年論じた糖質制限肯定派もそうであり、がん治療に抗がん剤の無効を訴えケトン体質下でのビタミンC点滴の有効性を主張する医師たち、糖尿病治療でインスリンの値を高くしないよう治療をする方向、創傷治療でアルコールによる消毒を否定する方向など、従来のガイドラインを打ち破る多くの医師が出現している。
 こういった情報はネットにも溢れていて、その信頼性を判断するのはユーザー本人であるが、一つはっきりしているのは、パラダイムシフト派の医師はガイドラインを否定するような事実に直面した時に、必死に考えて治療法を探っていることである。僕もいろんな情報に接する中で、最近思うのは、いつか癌に罹ることがあっても、抗がん剤は使わないかなということである。
 さて、竹原先生との研究室での時間は一時間を超えることもあった。当初は早く帰りたいなあと思っていたのだが、僕から細かい症状の変化を聞きだし、運動検査の結果を眺め、今までのカルテと睨めっこし、薬の効用を僕に説明し、処方を組み立てていく姿から、普通の治療法では治らない病気を治してやるぞという意気込みを感じるようになったのである。そして、その頃には、僕も自分の病気と症状、それに処方されている薬の役割をしっかり理解していた。
――――――
 例えば、関節を叩いて脚気の検査をするけど、その時の反応の微妙な時間の違いなどなど、様々であった。

 命を救ってくれたという点において恩人であるのは言うまでもないが、学問の世界に入った僕に、もう一つの姿勢を教えてくれたのだなあと後に痛いほど感じるようになったのである。それは「エビデンスに頼るな」「パラダイムシフトを目指せ」である。
 竹原先生の消息は不明である。今インターネットで調べても五十年近く前のことは出てこない。でも、それでいいのである。もう五十年以上僕の心の中で生きているからだ。
 

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「身近なもの」から考えよう
磯田則彦 (人口研究)
佐光紀子著(二〇一七年)『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』光文社新書
 
 「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす?いったい何のことだろう?本のタイトルを見て、そのように考えた方が多いのではないでしょうか。でも、この「家事」が日本社会の特徴や文化的背景をいろいろと物語ってくれます。
 著者は、翻訳家であり家事や掃除術の専門家でもある方で、多数の事例を集め国際比較を行うことで家事や日本社会について広く考察しています。私は人口研究が専門なので、同著の第一部により多くの視線を注ぐことになりましたが、著者と同年代の者としてさまざまなことを考えさせられました。若い皆さんは、この本を読んで、どこに注目し、何を考えますか?
 人文学部で学ぶ領域は多岐にわたります。いろいろな領域の人文・社会科学に触れる過程で、これから皆さんには「身近なもの」から多くのことを学ぶ機会があると思われます。たとえば、家事もその一つなのかもしれません。ぜひ、「身近なもの」にも関心を寄せて、さまざまな視点から考えてください。
 

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美術・イタリア・歴史
浦上雅司 (西洋美術史)
E・H・ゴンブリッチ 『美術の物語』(ファイドン社)
辻 惟雄 『日本美術の歴史』(東京大学出版会)
J・ホール 『西洋美術解読事典』(河出書房新社)

ファビオ・ランベッリ 『イタリア的 ― 南の魅力』(講談社新書メチエ)
F・グラッセッリ 『イタリア人と日本人、どっちがバカか』 (文春新書)
池上俊一 『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)

E・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』(上下)(中公文庫)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
 私の専門は、西洋美術史ですから、学生の皆さんに、できるだけ直接、美術作品に触れてもらいたいと、いつも思っています。美術作品を扱ったテレビ番組(『新日曜美術館』や『美の巨人たち』など)を見たり、スライドで作品を見ながら講義を受けたりするのもよいことですが、美術館や博物館で作品そのものに触れるのがとても大事だと確信しているのです。
 スライドやテレビ画面による美術鑑賞には、居心地の良い室内にいて、寛いだ気分で、細部をジックリ眺めることができるというメリットはありますが、やはり本物の持つ「迫力」(これを哲学者のヴァルター・ベンヤミンは「アウラ」〔日本語では「オーラ」と言われる〕と呼んでいます)は伝わってきません。皆さんにも分かりやすい例をあげれば、車やバイクの本物と、カタログ写真の違いと言えばよいでしょうか。カタログやテレビの自動車番組を見ても面白いでしょうが、本物に触れて、できれば運転してみなくては本当の特徴はわからないでしょう。美術の授業やテレビ番組も興味深いでしょうが、やはり作品の実物と対峙していろいろ考えるのとでは、受け取るインパクトが違います。
 そんなわけで、皆さんにはできるだけ、美術館などで実物、しかも可能であれば多くの人たちが優れた作品と認めている美術作品に触れてもらいたいと思うのですが、共通教育科目の「芸術」を受講する学生諸君に尋ねても、美術館に行ったことがない、と答える人が多いのは、とても残念なことです。
 幸い、福岡には多くの美術館があります。福岡市美術館、福岡市博物館、福岡県立美術館、そして福岡アジア美術館など身近にあって、常設展なら数百円で入場できますし、ちょっと足を伸ばせば、久留米の石橋美術館や、太宰府の九州国立博物館があります(ちなみに、福岡大学は九州国立博物館のキャンパス・メンバーズとなっており、皆さんは、学生証を提示すれば、この博物館の常設展はタダで観覧できます。特別展も割引になりますから、ぜひ、利用して下さい)。
 美術史の教師としては、新入生の皆さんには、大学時代できるだけ多くの美術館・博物館を訪れ、美術について知見を深めてもらいたいと思うわけですが、先ほどの例に戻って、車の性能を知るには、あらかじめカタログを読んでいろいろ比較してから試乗に出かけるに越したことはありません。同様に、美術館や展覧会に行くにしても事前にある程度の知識を持っていれば、よりよく楽しめます。
 ピカソ展とかゴッホ展のように、個別の作家を扱った展覧会であれば、大学図書館にある「小学館世界美術全集」の該当巻などで予習するのが良いでしょう。しかしながら、美術の全体的な流れを大きく把握しておくのも、美術館訪問をより有意義にする役に立ちます。ゴンブリッチ著『美術の物語』は西洋美術の全史として定評のある著作で、読み物としても優れており、「美術とは何か」考えるきっかけを与えてくれます(最近出たバイブルサイズの普及版は二千円ほどで買えますし、ベッドとか電車とかどこでも読めます)。日本美術史であれば辻惟雄さんの『日本美術の歴史』が、最近の定番です。
 日本の美術館に行くと仏像や絵巻物、浮世絵などがたくさんあります。これらは仏教や日本の神話、歴史に取材した作品です。仏像をよりよく味わおうとすれば、釈迦如来と薬師如来はどう違うか、などある程度の知識はどうしても必要です。こうした知識は、もちろん、作品を一生懸命見ても自然に獲得されるものではなく、自分で調べて見なくてはなりません。西洋美術についても同様で、キリスト教やギリシア・ローマ神話、各国の歴史をテーマにした作品をよりよく味わうには、その内容について多少は知っておく必要がありますが、その手助けをしてくれるのがホールの『西洋美術解読事典』です。「天使」とか「聖母マリア」「クレオパトラ」など、誰もが聞いたことのある事項について、基本的な知識を与えてくれるだけでなく、主要な作品も紹介しており、拾い読みしても面白い本です。
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 ところで、わたしはイタリア美術を専門に勉強しているので、イタリアという国の社会や文化一般についてもできるだけ幅広い知識を持ちたいものだと思っています。しばらく前まで日本でイタリアと言えば「美術」や「食事」「音楽(オペラ)」あるいは「犯罪組織(マフィア)」などが想起されるだけの国でした(日本=「フジヤマ、芸者、キモノ、ヤクザ」式の発想では、イタリア=「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」などと言われたりしました)。
 しかし、情報化社会が進み、ヨーロッパも身近になった(今ではローマの観光地に行くと、日本の高校生の修学旅行生を見かけるようになりました。大学の卒業旅行でフランスやイタリア、イギリスに行くのはごく普通の出来事です)こともあり、イタリアについても、より実態に即した社会の状況や文化の様々な様子が知られるようになってきました(NHKにはイタリア語講座もあります)。
 そんなわけで、この冊子でも時々、イタリア関係の書籍や映画も紹介しています。今回ご紹介するランベッリの『イタリア的-南の魅力』は宗教から政治、現代文化の諸相におよぶイタリアの多様性を概説した著作です。これを理論編とすれば、グラッセッリの『イタリア人と日本人、どちらがバカか』はイタリアで具体的にありそうな実例を紹介しながら現代イタリア社会の複雑さを教えてくれるイタリア文化論の実践編と言えるでしょう。どちらも日本のことをよく知るイタリア人の著作です。三冊目、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』は中世史、ルネサンス史の専門家がイタリア各地のパスタ(スパゲッティだけではありません!)を紹介しながら、それに関連づけてイタリアの歴史を教えてくれます。この本を読んだ皆さんには、スパゲッティだけでなく、ペンネやトルテッリーニ、さらにはニョッキやポレンタも味わってもらいたいですね。
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 最後にあげたゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)は、ウィーンでユダヤ系の家庭に生まれたこの美術史学者が二五歳の時(一九三五年)に書いた本が五〇年後に改訂され、新しい後書きを付け加えて出版されたものです。
 この間、ゴンブリッチの故国オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ゴンブリッチ自身は英国に移住、戦時中はドイツ語放送モニターとして対独戦に協力し、戦後はロンドン大学のウォーバーグ研究所で長く美術史の研究に携わりました(二〇〇一年没)。
 この「概説書」は訳文もこなれ通読しても面白いのですが、本当の価値は、訳者の中山典夫さんも言うように、「五〇年後の後書き」にあります。第二次大戦から戦後の冷戦、そしてソヴィエト連邦の崩壊と、半世紀の間に世界の歴史は大きく変わりました。その歴史を肌身に体験し、生きてきた歴史家の証言は貴重です。最初に出た邦訳は非常に高価で残念でしたが、文庫本で簡単に手に入るようになりました。これは大変にありがたいことです。
 皆さんは大学に入ったばかりで五〇年後の自分など想像も出来ないかも知れません。でもあなた方にもやがて訪れる未来ですし、「温故知新」は人文学の基本です。皆さんも大学にいる間に、ゼヒ、過去の人々の証言から多くを学んでください。
 

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今の大学生に薦めたい昔の大学生が書いた小説
遠藤文彦 (フランス文学)
 『悲しみよ こんにちは』フランソワーズ・サガン著(新潮文庫)

 今回は昔の高校生や大学生がよく読んでいたフランスの小説『悲しみよ こんにちは』をお薦めしたいと思います。
 フランソワーズ・サガンは、十八歳(一九五三年)の夏休みに書いた『悲しみよ』で鮮烈なデピューを飾り、ベストセラー作家となって、二〇〇四年に亡くなるまで生涯に二十編の小説(短編除く)を著しました。日本でも一九五〇年代後半から七〇年代にかけて多くの読者を獲得し、とくに『悲しみよ』は新潮文庫の発行部数歴代ベストテンに入っています(九位まではすべて中高の国語の教科書でよく推薦図書になっているものばかりなので、これは驚異的なことです。ちなみに『悲しみよ』は普通に学校が推薦するような小説ではありません)。私が教養部生(死語)・学部生だった一九八〇年前後でも、書店の棚には、新潮文庫の、よく目立つあの白抜きの紅い背表紙が何冊も並んでいたものでした。現在ではあまり読まれることがなくなりましたが、彼女が二十世紀後半を代表する小説家であることに変わりはありません。
 サガンは当時から流行作家としてのみ捉えられがちで、多くの読者を得たにもかかわらず、本格的な小説家としては過小評価される傾向にありました(新潮文庫新訳版所収の小池真理子によるエッセーがその頃のことを伝えています)。残念ながらいまだにその傾向は続いていると言わざるをえません。しかしその作品をじっくり読めば、サガンは、十七世紀の作家ラファイエット夫人以来の精緻な心理分析に基づくフランス恋愛小説の伝統を正しく引き継いでおり、現代生活の風俗を生き生きと描き伝えているという意味では十九世紀のバルザックの力強い継承者でもあり、ときに読みほどくのに苦労する緻密な文章の書き手であるという点では二十世紀を代表する作家プルーストにさえ通じているということが分かってきます。
 なお、サガンの日本語訳は現在では『悲しみよ』と『ブラームスはお好き』の二点以外は絶版になっていますが、中古本ならネットを通してすべての作品が入手可能です。大学図書館の性質上本学の図書館にはあまり所蔵されていませんが、市の図書館にはたいていの作品があります。大手中古本販売チェーンに行けばたいがい二、三冊は置いてあるようです。最後に、福岡にもいまだ店舗を構えている古書店・古本屋さんが残っていますので、多分何冊かは見つかるだろうと思います。残っているとはいえ大分数少なくなってきていますので、そういう店も、大学生活四年間のうちにぜひ一度訪れてみてください。
 

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英語教師を志す皆さんへ
大津敦史 (英語教育学)
 大津由紀雄 編著『危機に立つ日本の英語教育』(慶應義塾大学出版会 二〇〇九年)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!これから四年後、社会人としての人生をほぼ決定すると思われる大切なこの四年間、どうか無駄にせず、完全燃焼させてください。もちろん燃え尽きてしまってはいけませんので、自律と自己管理にもしっかり心がけて下さい。
 さて、皆さんの中には、卒業後、英語教師になりたいと思っていらっしゃる方も少なくないでしょう。毎年、英語学科のみならずドイツ語学科やフランス語学科からも教職希望者がたくさんいますので、今回はそのような方たちのために、右記の本を選んでみました。
 まず、編著者である大津由紀雄氏ですが、慶應義塾大学言語文化研究所の教授で、専門は言語の認知科学です。「認知科学って何?」と思われる方は、ぜひインターネットを利用して調べてみてください。最近では、大津氏は日本の英語教育、特に小学校での英語教育の是非について様々な提言をされています。私と同じ姓ですが、残念ながら親類関係ではございません。
 この本の著者には、大津氏以外に、日本を代表する12名の研究者が名前を連ねています。元々この本は、二〇〇八年九月一五日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された公開シンポジウム「「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を超えて」および同年十二月二一日に同大学日吉キャンパスで開催された言語・英語教育講演会「言語リテラシー教育のポリティクス」がもとになっています。二〇〇八年は、二〇〇二年と二〇〇三年にそれぞれ文部科学省によって策定された「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」の目標達成年度に当たります。この「構想」や「行動計画」がこれまで学校英語教育に与えてきた影響は測り知れません。しかしながら、「英語が使える人材」を希求する経済界(財界)主導のこのような語学行政は、教育現場に無理難題を押し付けた結果、その教育現場は疲労困憊(ひろうこんぱい)し、英語教育の質の低下を引き起こしています。
 このような時期に、今一度日本の英語教育、学校英語教育の現状と課題とその解決策を整理・模索してみることは非常に有効だと思います。そのような反省を通して、これから英語教師を目指す皆さんの時代(次代)には、もっと豊かで心地よい教育環境が整備されることを祈って止みません。
 

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先人を知ろう
甲斐勝二 (中国学)
 勝海舟《海舟語録》江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫

 勝海舟、世界でも希有な江戸という大都市を無血に明け渡した立役者。西郷隆盛を友とし、坂本龍馬を門下に置く。篤姫とも仲が良く、姉と偽って江戸を歩き回った事もある。江戸開城の折には混乱を防ぐため、渡世人の世界にまで自ら赴き頼み回る気配りを語る。良く世界を見ている。明治31年まで生きて、伊藤博文の政策への批判も多くある。
 岩波文庫に《海舟座談》があるが、講談社学術文庫の方が注もちゃんとしていて、勝の発言録としては信用できそうだ。
 この本をおもしろいと思うのは、勝の人情の機微に渡る観察や、人物批評の痛快さ鋭さ、また社会や人への気配りから、(かつて)あった日本の政治家の姿やその手法を知ることができると共に(善し悪し置くとしてこれはつい最近の政治家まで続いている)、「機」を見るといった個人ではどうにもならない社会の動きへの視点もまた示されているところだ。
 内容は読んでいただくとして、中国学を専攻する紹介者にとって、「ふむふむ」と思う文を二つ紹介する。まずは日清戦争後の李鴻章の態度についての発言。  
李鴻章の今度の処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか少しもその結果がわからないのには、大いに驚いていますよ。大馬鹿でなければ、大変、上手なのでせう。これまでの長い経験では、大抵、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです(十五頁)
 次に「支那((ママ))人」についての発言。  
ナニ、支那が外国人に取られるというのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも御覧なナ、実権は、みな支那人が持っているジャアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも、南京米でも、みな支那人から貰っているジャアないか。それで支那人は野蛮だと言うやつがあるカエ。ナニが、文明ダエ(一五八頁)
 勝は西洋列強の植民地化に対してアジアの諸国が連合し、日本は海軍で海を守る役割も考えたこともあるようだ。征韓論も馬鹿な話だと片付ける。勝の考えた方向で日本が動けば、あるいは今とは違っていたかも知れない。どうしてあんな方向に進んでしまったのだろう。
 

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江戸時代を見なおそう
梶原良則 (日本史)
 新入生の皆さんは、江戸時代についてどのようなイメージを持っておられるでしょうか。近年の歴史学研究は、江戸時代の通説的イメージに修正を迫りつつあります。ここでは、新入生にも読みやすい代表的な本を紹介しましょう。
 ① 磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書、二〇〇三年)は、江戸時代の中下級武士の生活を家計簿から復元し、従来の武士のイメージを一新させました。
 ② 高木侃『三くだり半-江戸の離婚と女性たち』(平凡社ライブラリー、一九九九年)・
  『三くだり半と縁切寺-江戸の離婚を読みなおす』(講談社現代新書、一九九二年)は、夫が妻を一方的に離縁できるという夫優位の夫婦関係の通念をくつがえしました。
 ③ 宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書、二〇〇六年)は、一五四三年種子島に漂着したポルトガル人によって鉄砲が伝えられたという通説に疑問を呈しています。
 このほかにも、知的好奇心を刺激してくれる多くの本が皆さんを待っています。図書館を有効に活用しましょう。

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「よい子」ってどんな子?
勝山吉章 (教育史)
灰谷健次郎著『兎の目』(理論社)

 「よい子」ってどんな子?親や教師の言うことを素直に何でも聞く子どもは、確かによい子に違いない。では、親や教師の言うことを聞かない、親や教師の権威を認めない子どもは「悪い子」なのだろうか。いつも親や教師のご機嫌を伺い、「よい子」であり続けることに疲れた子どもは、もうよい子ではなくなるのだろうか。
 『兎の目』の主人公「鉄三」は、そのような問いを投げかける。
 偏差値教育、管理主義的教育に慣らされてきた者にとって、「鉄三」は落ちこぼれに映るだろう。しかし、人間本性に照らし合わせて考えた時、管理化された現代社会に馴染んでいる私たちこそが、大切な人間性を失っているとは言えないだろうか。
 本書を既に読んだ学生も多いと思うが、大学時代に再度読んでもらいたい書物である。
 

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学問の領域に捉われない読書の勧め
鴨川武文(地理学)
  木内信蔵(一九六八)『地域概論-その理論と応用』(東京大学出版会)
  日高敏隆(一九九八)『チョウはなぜ飛ぶか』高校生に贈る生物学3(岩波書店)
  武野要子(二〇〇〇)『博多-町人が育てた国際都市-』(岩波新書)
 
 木内信蔵の『地域概論』は39年前に刊行されました。39年前の本というと、「なんて古い本なんだろう」と思うかもしれませんが、地理学や地理学が研究対象とする地域について体系的に論じられています。私は共通教育科目の地理学を担当していますが、この本は、地理学の講義を学生の皆さんに行うにあたっての、私にとっての参考書ともいうべき座右の書です。
 
 日高敏隆の『チョウはなぜ飛ぶか』は生物学の本ですが、この本は次の2点において興味深い本です。
 第1点は、「チョウはなぜ飛ぶか」というタイトルですが、内容は、一言でいうと、チョウは自分自身が飛ぶ道筋をしっかりと認識して飛んでいるということです。つまり勝手気ままに飛んでいるのではないのです。全く土地鑑のない場所に出かけた時に頼りになるのは地図です。地図を見てわれわれ人間は行きたいところに行くことができます。チョウは地図を持ってはいませんが、自分が行きたいと思うところへ行くことができ、またそのような本能を持っているのです。
 第2点は、研究というものはどのように行われているのか? 研究者は試行錯誤・紆余曲折を繰り返しながら研究成果を出している、研究者とはどのようなタイプの人たちなのか、科学的なものの考え方とは何か、などについていきいきと書かれているという点です。学生の皆さんが志している学問の枠に捉われることなく、多くの本を手にして教養を高め、知識を習得してほしいと思います。
 
 武野要子福岡大学名誉教授の『博多』には、博多の町の成り立ちや、政治的に、また経済的に博多に関わりのあった武士や豪商のエピソード、今に伝わる博多の伝統や住民の生活史など興味深い話題が数多くあります。また、聖福寺や承天寺、櫛田神社、鴻臚館、防塁など博多にゆかりのあるものの記述もあり、この本を携えて福博の町を散策してみたらいかがでしょう。


 

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視野を広げて考えてみよう
高妻紳二郎 (教育行政学)
 最初から引いてしまう質問です。皆さんはなぜ大学に入学するのでしょうか?大学の目的とはいったいどのようなものでしょうか?少し難解ですが、教育基本法、学校教育法という法律にはこう書かれています。
 「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(教育基本法第七条)
 「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第八三条)
 つまり、大学に入った皆さんは、高い教養と深い専門的能力を身につけて、知的にも道徳的にも成長が期待されている、ということです。皆さんにはこれからどんな経験もできるという特権があります。そしてそれぞれの経験が皆さんを成長させてくれるでしょうが、グーッと引いて自己を客観視できる人、言い換えれば視野を広く持てる人になって欲しいと思います。ここに紹介するのは著者の二〇代の体験記ですが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)は今なお色褪せない内容で一気に読むことができる本(エッセイ)です。この本が出版される前、私は藤原氏の講演を聞く機会がありました。私が通っていた中学校での講演会です。内容は覚えていませんが「べらべらよくしゃべる人」という印象を覚えています。後でこの本を読み、「ああ、そういう話だったのか。」と合点がいきました。海外に行った時の興奮や不安感は誰でも感じるものですが、表面上の体験ではない自己変容のプロセスに臨場感があり、自身に置き換えて今読み返しても共感できる記述に多くぶつかるので、海外へ行ってみようと思っている皆さんには手にとって欲しい本のひとつです。エッセイですので読み飛ばすにはもってこいです。
 また、岩波新書のなかでも多く読まれている本のひとつ、池田潔『自由と規律』(岩波新書)をここで改めて推薦しようと思います。一九四九年が初版ですから還暦を迎えた本となりますね。イギリスのパブリック・スクールに学んだ著者の体験をもとに書かれた、これも今なお色褪せない内容です。今の日本の教育は「ゆとり教育」とか「確かな学力」、「生きる力」といったスローガンが先行して内実が伴わないことが目立ち、理念と現実が寄り添っていない状況にあります。「もっとも規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はイギリスの伝統です。いま、大学に入って多くの「自由」を手に入れた皆さんであるからこそ、じっくりと、いや、ちらっとでも「自由」の本質を考えてもらいたいと思います。

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世界のたね(上・下)
小林信行 (哲学)
         
 アイリック・ニュート著、角川文庫
 現代テクノロジー社会への道は、二千数百年前に数学的世界観を生み出した古代ギリシアに始まる。それは合理主義的思考がひとつの明確な形を取り始めた時代である。以来、人間は紆余曲折を経て今日の絢爛たる科学技術世界を築き上げてきたが、そのとき私たちは合理主義的思考の一側面だけ見ていることを忘れるべきではない。名前が示すように、科学技術は科学(学問)と技術(経験)からなる合成語であって、プラトンやアリストテレスならばそれらの違いを力説することだろう。技術は実用性と結びついており、その果実が人間社会への貢献として華々しく評価される。しかし実用性の尊重は、私たちの合理精神を偏ったものする。たしかに技術の魅力には抗しがたいものがあるが、哲学者たちが技術を経験に依存したものと見なしたように、経験にもとづく技術の射程は意外と短く、狭いものである。その実例としては、私たちを取り巻くさまざまな発明品の盛衰を挙げるだけで十分であろう。
 他方、科学が対象としてきたものは自然である。自然ということばは「環境」の一部と見なされるほどに後退してしまった(これも現代人間中心主義の一弊害である)。だが、たとえば人間が地球の自転を理解するまでにどれほどの時間がかかったかを思うだけでも、科学の射程の奥ゆきや広さは十分に想像できるのではなかろうか。もちろんそのことに伴う科学の非実用性や抽象性は人々を遠ざけてしまうところがある。「万物は水だ」とか「地球は動いている」と宣言しても世界が変わるわけではないし、人生に転機が訪れるわけでもない(なかにはそれを聞いて心を入れかえるような奇特な人も稀にはいるが)。それにもかかわらず、自然についての基礎研究なしに、応用技術がありえないことは周知の事実であり、合理性の基盤がそこにこそあることは否定できない。
 では人文学部が担当している人文科学とはいかなる学問なのだろうか。科学である以上は人間についての自然を探求する学問であると言ってよさそうだが、実際には目の前に用意された哲学や歴史や語学などを学ぶことで四年間が終わってしまう。本当に人文科学は自然科学に比肩しうる、あるいはそれ以上に、学問と言えるのだろうか。
 難しい話はさておいて、ここに紹介する本は高校生向けの平易な自然科学物語であるが、そのさまざまな分野や流れをたどっていくとき、人文科学もまた自らの合理思考を省みてしまうことは確かだ。
 

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翻訳文学事始−外国文学を読もう−
堺雅志 (ドイツ・オーストリア文学)
         
  
石炭をばはや積み果てつ。中等室の(つくえ)のほとりはいと静かにて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも(いたづら)なり。今宵は夜ごとにここにつどい来る骨牌(かるた)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。
 森鴎外の初期短編、いわゆるドイツ三部作の第一作『舞姫』(岩波文庫他)の冒頭である。およそ三十五年前の少年読者であった私は、ここに登場する乗り物が蒸気機関車ではなく、蒸気船であることに思い至るまでしばらくの時間を要したものである。鴎外は、一八八四年から約四年間ドイツ留学する。一八六九年に開通したスエズ運河を通って紅海から地中海に抜ける航路は、それ以前のアフリカ大陸周りに比して随分と航海日数は短縮されたものであったが、それでも四十五日もかかる船旅であった。(『航西日記』、『鴎外全集』第三十五巻所収、岩波書店。なおその後のドイツ滞在については『獨逸日記』に読むことができる。)
 小説は主人公である法学を修めたドイツ留学中の官僚とドイツ人の踊り子との悲恋を筋とするが、軍医として留学した医学者である鴎外の自伝的色彩が濃い作品である。鴎外は、近代医学と並んで、近代日本文学の礎を築いた作家の一人でもある。石見国(いわみのくに)津和野藩出身で幼少の頃より漢籍に親しみ、同郷出身の政治家で明治最初期に洋学を広めた西周(にしあまね)を親戚にもつという、いわば東洋と西洋の知性の只中で育った精鋭であった。彼は西洋文学をもっぱらドイツ語から日本語へ翻訳することによって、明治以降の新しい日本語を作り上げた先人とも称せられる碩学(せきがく)である。
 鴎外の翻訳作品を『鴎外全集』よりいくつか紹介しよう。スペイン十七世紀の劇作家カルデロンの『サラメアの村長』(『人の世は夢』併載、高橋正武訳、岩波文庫)として知られる作品は、鴎外によって『調高矣洋絃一曲(しらべはたかしギタルラのひとふし)』(鴎外実弟、篤次郎との共訳)として本邦で初めて翻訳された。原題のEl(エル) alcalde(アルカルデ) de() Zalamea(サラメア)(サラメアの司法官)から大幅に改変された題目は、江戸の戯作や歌舞伎を彷彿させる。戯れ唄の伴奏として二幕目の数場に登場する「ギター」は、訳文ではただ「楽器」とされており、「洋絃」という語は訳文本文中にはいっさい登場しない。けれども日本ではまだ馴染みの薄かったギターを、新聞連載時の初訳の題目では「洋箏」と訳していたところを、改めて「洋絃」と訳し直したところに、南欧の情緒溢れる古典的戯曲の調べを、日本語で高らかに奏でんとした鴎外の野心が窺える。
 ドイツ十八世紀の劇作家レッシングの『エミーリア・ガロッティ』(『ミス・サラ・サンプソン』併載、田邊玲子訳、岩波文庫)は『折薔薇』と題される。この題は主人公エミーリアが、婚約者を殺めた横暴な領主のものになるくらいなら、いっそ父の剣にて死にたいと懇願し、その思いを遂げる時に発する台詞に由来する。
 十九世紀ドイツの幻想文学の大家ホフマンの『スキュデリー嬢』(吉田六郎訳、岩波文庫)は鴎外の手にかかると『玉を懐いて罪あり』となる。十七世紀パリ、ルイ十四世の御代に起きた連続殺人事件の謎を解き、冤罪の青年を救うべく司法にまで切り込んでゆく老嬢を主人公に据えた犯罪小説の嚆矢(こうし)の一つである。題は中国の『春秋左氏伝』(小倉芳彦訳、岩波文庫)の故事「小人罪なし玉を懐いて罪あり」に由来する。因みにホフマンから多大な影響を受けたポーの代表作『モルグ街の殺人事件』(『黒猫』他併載、中野好夫訳、岩波文庫)を、そもそも鴎外は『病院横丁の殺人犯』と訳していた。
 西洋文学には、主人公の名前をはじめ、固有名詞を題に冠する作品が多いが、文学作品にとどまらず、こんにちでも映画や洋楽が日本に入ってくると、内容を示唆こそすれ題名が、原題とはとても似つかぬものによく改変されるのは、鴎外のせい(●●)おかげ(●●●))でもあるのかもしれない。
 デンマークの童話作家アンデルセンの『即興詩人』(岩波文庫)に至っては、Improvisatoren(インプロヴィザトーレン)(即座に詩を詠み節をつける芸人)という原題の見事な訳語で絵本としてもお馴染みである。はたまたオーストリアの文士シュニッツラー(鴎外と同年一八六二年生まれの同じく医師にして文士)の小説Sterben(シュテルベン)(死)を鴎外は『みれん』(岩波文庫)とひらがなで訳している。原文には未練にあたる単語は見られないけれども、死という強烈な普通名詞をそのままあてるのではなく、余命宣告を受けた男と、その男を甲斐甲斐しく看取る女の、それぞれの人生に対する未練の心理を克明に描写した作品である。原題の二音節を踏襲し、韻を踏むように訳された題目も、鴎外の文士たる本領といえる。
 鴎外によるドイツ文学、二葉亭四迷によるロシア文学、上田敏永井荷風によるフランス文学、夏目漱石による英文学との格闘、そしてそれを咀嚼、嚥下、消化した上での紹介によって、日本の近代文学は形作られ、その伝統は連綿と受け継がれている。欧米はかくも深く、私たちの日本文化に根をおろしている。
 「ふらんすへ行きたしと思えども/ふらんすはあまりに遠し」(『旅上』、『萩原朔太郎詩集』岩波文庫所収)は今や昔、ヨーロッパへもひとっ飛びである。読書に倦んだら青年よ、『書を捨てよ、町へ出よう』(寺山修司の評論、戯曲、映画)、そしてヨーロッパをその目で見にゆこう。
 

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イギリスについてもっと知りたくなったら
園田暁子 (英文学)
 最近、マンションのエレベーターに「今日は何の日」かについての情報が流れるようになりました。一月十一日は鏡開きの日、二月三日は節分といった伝統行事や暦に関するものもあれば、一月二十三日は、「一(いい)二三(ふみ)」の語呂合わせで電子メールの日というものもあり、乗るたびにちょっと楽しみなのですが、中にはもっと面白いものもあります。例えば、一月二十二日は何の日だと思いますか?一八八七年、鹿鳴館に日本で最初の電灯が灯った日なのだそうです。
 これを見て、「なるほど」と思ったり、内容を覚えるだけでも知識は一つ増えます。小さな一歩です。でも、ここで、「鹿鳴館ってどんなところだったっけ?」、「日本で最初の電灯ということは、世界で最初の電灯はどこで灯ったんだろう?」という疑問が湧いたらしめたものです。そして、それについて自分で調べてみようと思ったらそれはさらに大きな一歩だといえます。
 それでは、調べてみようと思ったら何を使いますか?おそらくほとんどの人がスマホを取り出して検索することでしょう。そこには、世界中の人が発信する様々な情報があり、すぐに答を見つけることが出来るかもしれません。ウィキペディアは便利ですし、情熱を込めて自分の好きなことについて様々な情報をまとめたウェブサイトを作っている人もいます。
 でも、残念ながら、そこにあふれる情報はすべてが信頼できるものではない場合があるということも頭に置いておいてください。ウィキペディアを情報にたどり着く入り口として活用することは悪いことではありませんが、必ず他の複数の情報源を確認したり、出典が明示されている場合は、その元情報にもあたって確認するなど、鵜呑みにしないことが大切です。(くれぐれもウィキペディアの情報だけでレポートを書くなんてことが無いように!)
 では、信頼出来る情報にたどり着く方法にはどのようなものがあるでしょうか。それは、やはり図書館を活用することです。もちろん本に載っている情報がすべて正しいというわけではありませんし、一つのことに対して見解が分かれている事柄もあります。ただ、本を作るという作業には、多くの材料や費用、労力もかかるので、それらをかけるだけの価値のある情報に出会える確率はかなり高まります。いくつかの本を読むことで、ある物事の全体像も見えてきますし、異なる見解や情報をもとに自分の意見というものを持つことが出来るようになります。
 でも授業の合間に図書館に行くのが難しいこともありますね。実は、図書館に行かなかったとしても図書館は利用できます。福岡大学の図書館では利用できる数多くのデータベースもあり、その中には、リモートアクセスができるものもあるからです。ネットで電灯の歴史について検索していると、白熱灯を実用化したのは、スコットランド人のジェームズ・ボウマン・リンゼイ(James Bowmann Lindsay, 1799-1862)という情報が見つかりますが、もし、彼のようなUnited Kingdom(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによりなっている国、通称イギリス)の人について詳しく知りたいと思ったら、リモートアクセスを活用してOxford Dictionary of National Biography(DNBと略されます)を使ってみてください。これはイギリスの歴史に足跡を残した人たちの伝記をまとめたデータベースで、最初のものはヴィクトリア朝後期に編集が始まり、一九〇〇年に完成された歴史ある辞典です。
 大学では受け身ではなく、能動的に動かなければ何も得られないとよく言われますが、自分でもっと知りたいと思って調べてみる、こんな小さな能動的な行動の積み重ねは、四年後に大きな違いを生むことは間違いありません。人との出会いはもちろん、本や情報との出会いを通じて大きく成長してください。

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博物館へのいざない
武末純一 (考古学)
 博物館へ行ったことがあるだろうか。人文学部の新入生ならば、すでに一つか二つはあるだろう。しかし大学生には大学生なりの見方がある。行ったことのない人はまず特別展を見に行くのが良い。
 私の専門は考古学、モノから歴史を考えていく学問である。以下は、博物館などでひらかれている考古学関係の特別展へのささやかな招待状である。
 特別展は、秋の文化シーズンにあちこちの博物館や資料館で開かれる。このごろは夏休みや春休みに開くところも増えてきた。内幕をいえば、特別展を開く→お金がかかる→その分だけ多くの入館者が欲しい(でないと来年の予算にもひびく)→学生が休みで大人も活発に動く夏や春に開こう、という発想がほとんどだが。でも特別展は楽しい。
 楽しさの一つは、それまで写真や図でしかみたことのなかった実物に会えること。せっかくの機会だから、上から、下から、横から、斜めから、じっくりと眺めて、どのように作られ、どんなふうに使われたかを想像しよう。もちろん、図録や横にそえられた解説文に答えがのっている場合もあるし、それを理解するのも大事だが、それよりも大切なのは、答をうのみにしないで自分で考えること、自分の疑問をもつこと。
 二つ目は、あちこちの発掘品が一か所に集められていることである。それぞれの保管場所に行って見せてもらうととんでもない金額になるから、一見高そうに見える特別展の料金も実は安いものである。
 それと、いつもは全く別のところにあるモノ同士がすぐ横に並ぶから、比較ができる。これはけっこう大事である。何回もいったりきたりして見比べ、「似た形だけどここが違うな。これは出たところが違うからかな、それとも作った時代が違うからかな」「へー、こんなに遠く離れて出ているのにそっくりじゃないの」など、自分だけの発見ができればしめたものだ。
 三つ目は、発掘の記録は報告書という形で本になるが、手に入りにくいし、入ったとしても一般の人が読み通して理解するのはけっこうシンドイ。でも博物館では、そうした成果をできるだけ噛みくだいて、どんな発見があったのか、何がわかったのか、どういう問題が出てきたのかを、実際にモノを示しながら説明してくれる。
 ちょっと変わった楽しみ方もある。学芸員になった気分で。この照明は展示品のどこを強調しているのか。自分だったらこういう角度でここをみせたい。このパネルはなぜこの大きさでここにかけられているのだろう。展示品をきわだたせるためにどんな形や色の台を使っているのか。なぜこの展示品とあの展示品の間がこの位空いているのか、などなどなど。
 そう、ここまでくれば、もう特別展だけじゃなくて常設展でも十分に楽しめることがわかってくる。まずは福岡県内あるいは故郷の博物館だ。
 昔の博物館は、展示品がケースの中に重々しく鎮座し、いかにも「見せてやる」といった感じが強かったが、いまでは〈さわる〉〈作る〉〈使う〉などの体験コーナーも整いつつある。充実したミュージアムショップや市民ライブラリー、しゃれたレストランもけっこう多い。講堂や入り口のホールで演奏会を開くところも出てきた。〈博物館は古くさい〉というイメージは消え始めている。
 自分の知の世界を広げるために博物館をのぞき、どれでもいいから、自分の心にとまった展示品をスケッチする。そんなすてきな時間を作ってみたらどうだろう。
 なお老婆心から蛇足を一つ。ゆめゆめ月曜日のデートの場所に博物館や美術館は指定しないように。日本では月曜日は休館日なのだから。

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希望のために
辻部大介 (フランス文学)
 「大学」および「文学」を棲息域とする者として、両者にまたがるがゆえに愛着をおぼえている文芸作品に、柘植文『野田ともうします。』(①~⑦、講談社ワイドKC)、および、奥泉光『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』『黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』(文藝春秋/文春文庫)があります。前者は埼玉県に位置する架空の大学「平成東京大学」のロシア文学科に在籍する文学好きの女子学生を主人公とし、後者は千葉県に位置する架空の大学「たらちね国際大学」の文芸部を主要な舞台としています。両作品に共通するのは、学生同士のやくたいもない会話や彼らの日常を彩る些末な出来事を、冷めた目で見つつも深い愛情をこめて描いている点で、そこに文芸用語で言う「ユーモア」の最上の例を見る思いがします。と同時に、大学を含めた社会全体をうっすらと覆っている絶望をも容赦なく描き出していて、この絶望の中に小さな希望の灯をともす、といったつつましやかな抵抗の姿勢に、若いみなさんも共感してもらえるのではないかと思います。
 ところで、ベーシック・インカムという言葉を聞かれたことはあるでしょうか。すべての人に、一定額のお金、たとえば毎月八万円を、一生のあいだ無償で支給する、という制度のことです。稼ぎのある人はそのぶん自由に使えるお金が増えて生活が潤いますし、職につけずにいる人も、当面の生計をなんとか維持しつつ就業機会を探ることができます。みなさんも、お金に困っているいないにかかわらず、そんなうまい話があるのだったら、今すぐ乗りたいと思われるのではないでしょうか。高等教育の無償化や給付型奨学金の充実が議論されており、それに反対する理由は何一つありませんが、国や地方自治体の財政難が実現を阻む壁となっているのは事実です。そしてこの財政難は、為政者の無能や無定見以上に、現在のお金の発行と流通のしくみが内蔵する構造的な欠陥に起因するので、その欠陥を正すことが早道と思われます。
 ベーシック・インカム(以下、BIと略記)について書かれた本はいろいろありますが、私が読んだ中で、たいへんわかりやすくBIの本質を説き明かしてくれていると感じた、古山明男『ベーシック・インカムのある暮らし 〝生活本位制マネー〟がもたらす新しい社会』(ライフサポート社)を紹介します。三章からなっており、第一章では、BIによってわれわれの暮らしがどう変わるかという展望、第二章では、BIを導入すべき根拠となる、日本の経済状況の解説、第三章では、BIをどのように導入し運用していくかという具体的な青写真が、それぞれ述べられています。今の社会は、働けば働くほど皆が貧しくなるようになっていますが、著者によれば、それは現行の通貨が〝生産本位制マネー〟であるためなのです。日本円と並行して「E円」と名づけた電子マネーを発行し、BIとして国民にゆきわたらせることで、企業の業績は上がり、政府の財政は改善され、こうして国の経済全体がうまくまわるようになります。BI論でかならず問題になる財源をどうするかという点についても、試算の数字をあげながら周到に論じられていて、これならさっそく実現可能と思わせられます。
 BIによって社会全体も、われわれ一人一人の生活も、今よりずっとよい方向に向かうだろうと確信できるだけに、この構想を画に描いた餅で終わらせてはならないと強く思います。そのために、まずはBIについて一人でも多くの人に知ってもらいたく、私にできることとして、この場で紹介しております(それゆえ、この一文が、新入生のみなさんのみならず、みなさんの家族、友人、知人、等々の目にも留まることを願っています)。なお、著者の古山氏は、経済の専門家ではなく、私塾の経営者として教育問題に関わる中で、BIという制度が個々人の人間性を開花させるための支えとなりうることに注目し、研究を始めたのだということです。教育の分野での著書に、こちらも好著の『変えよう!日本の学校システム 教育に競争はいらない』(平凡社新書)があります。

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「馬だ、馬をよこせ!俺の王国と交換だ!」
鶴田学 (英文学)
 【クイズ】天才宇宙物理学者ホーキング博士、名探偵ホームズ、ナチスドイツの暗号エニグマを解読した数学者アラン・チューリング、英国史上もっとも悪名高い国王リチャード三世、これらの役をすべて演じた英国の俳優は誰か?〔答はこのエッセイの最後〕
 
 映画・ドラマ好きの人であれば『ホーキング』、『シャーロック』、『イミテーション・ゲーム』などのタイトルと主演俳優の顔が頭に浮かんだことだろう。この俳優が主人公を演じる『リチャード三世』は、二〇一八年春、ちょうど国内版DVDがリリースされたばかりだ。原作は英国を代表する劇作家ウィリアム・シェイクスピアだ。シェイクスピアがバラバラに書いた八作の英国歴史劇を史実のオーダーに並べ替え、七本のドラマに仕立てなおしたものがBBC製作の連続テレビドラマ『(なげ)きの王冠 ホロウ・クラウン』であり、『リチャード三世』はシリーズの最終話である。
 『リチャード三世』は凄絶(せいぜつ)に面白い。ヨーク家(白バラ)の末息子リチャードは、悪党宣言とも言える演技派の独白によって幕開け早々に観客の心を(わし)づかみにする。知能指数がずば抜けて高い悪玉である。王様が極悪非道の悪人だなんて、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』といった勧善懲悪が大好きな日本人にとっては、あまりにも刺激的すぎる設定ではないか!彼は、自分よりも王位継承順位が高い甥や兄を次々と(わな)にはめて殺害し、宿敵ランカスター家(赤バラ)の未亡人を政治目的で(たぶら)かして妻とし、ロンドン市民を(だま)して王座を乗っ取る。だが、本性を(あらわ)した暴君リチャードに対して謀叛(むほん)が起こり、内乱が勃発(ぼっぱつ)する。リチャードは戦場で窮地に追い込まれ、苦し紛れに叫ぶ言葉が、「A horse! a horse! My kingdom for a horse! 馬だ、馬をよこせ!俺の王国と交換だ!」(五幕四場七行)である。なんという(すご)みのある台詞。日本語では「~をよこせ」と動詞を補って訳したが、英語には動詞がない。ないからこそ切迫感が伝わり、リチャードの悲痛な、と同時に滑稽(こっけい)な叫びが心に響く―弱強五歩格(iambic pentameter)と呼ばれるビートの韻律である。これまでに、ローレンス・オリヴィエ、アントニー・シャー、アル・パチーノ、イアン・マッケランなど歴代の名優がこの役を熱演した。
 「映画・舞台のリチャード」に魅了された人は、次に活字を読んでほしい。最も読みやすい日本語訳は、『リチャード三世』小田島雄志訳(白水Uブックス)だろう。福岡大学図書館ホームページから検索して電子ブックで読むこともできる。英語原文に挑戦する意欲がある人には、懇切丁寧な註釈書『リチャード三世』山田昭広編(大修館シェイクスピア双書)がお勧めだ。日本を代表する高名なシェイクスピア学者による格好の入門書である。推理小説好きにはジョセフィン・テイ『時の娘』(ハヤカワ・ミステリ文庫)というスピンオフがある。入院中の警部がベッドのなかで書物だけを手がかりにリチャード三世の犯罪の謎を解くという奇妙な探偵推理小説である。
 
 【答】ベネディクト・カンバーバッチ。(ちな)みに彼は中世の英国王室がヨーク家とランカスター家に分裂する以前のプランタジネット朝エドワード三世の子孫である。二〇一二年夏、レスター市内の駐車場からリチャード三世の骸骨が発掘されて大騒ぎになった。その後、一部メディアは誤って、カンバーバッチとリチャードがDNAを共有している!と報じたが、正確な表現ではない。二人の間にはジョン・オヴ・ゴーントを経由して二十一代の隔たりがあり、計算上ではリチャードの遺伝子の約百五万分の一がカンバーバッチに引き継がれているに過ぎないと言う。〔DNAの話題に関してはThe Conversationに掲載された二〇一五年の記事(URL: http://theconversation.com/were-all-related-to-richard-iii-its-just-a-matter-of-degree-38862)を参考にした。〕
    【言及した映画・ドラマのDVD】(国内版が入手可能なもののみ)
 『ホーキング』フィリップ・マーティン監督(アルバトロス)
 『SHERLOCK/ シャーロック』シーズン1・2・3・4(角川書店)
 『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』(ギャガ)
 『嘆きの王冠 ホロウ・クラウン リチャード三世』(IVC)
 『リチャードを探して』アル・パチーノ主演・監督(二十世紀フォックス)
 

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学ぶことを支える仕事
徳永豊 (支援教育学)
 教師は学校で子どもたちと授業をして、国語や数学の内容を教えることが仕事である。別の言い方をすれば、学校で子どもたちがよりよく学ぶことを支える役割が教師にある。
 子どもたちは、学校で同じように学ぶのであろうか。学びについて、みんなが同じであることはけしてない。それぞれの理解の程度、これまでの経験、学び方など実に多様である。
 よくわかる子ども、理解が早い子どもがいる。また、よくわからない子ども、理解がゆっくりの子どもがいる。教師として「学びを支えること」を考えた場合に、どちらがおもしろいのであろうか。
 「よくわからない子どもに教えることがおもしろい」という障害のある子どものための学校の教師がいる。わかる子どもとの授業では、教師の苦労は少ない。よくわからない子どもとの授業は、教師が工夫し苦労しながら授業に取り組む。数多くの失敗を繰り返し、授業に工夫を加えることで、徐々に子どもの「学びを支えられる」ようになる。そしてはじめて、子どもと「わかった喜び」を共有できるように教師が成長する。
 「よくわからない」世界で、「わかる」を拾い上げた瞬間である。この瞬間があるからこそ、やめられない仕事が学校にはある。
 
村田 茂 著
 『障害児と教育その心-肢体不自由教育を考える』慶應義塾大学出版会(一九九四)
 肢体不自由教育の道を三〇年、歩んできた著者が、子ども一人一人を大切にする温かい視点で特別支援教育全体と肢体不自由教育のあり方を見渡し、わかりやすくまとめたものである。
 
徳永 豊 著
 『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意-コミュニケーション行動の基盤について』慶應義塾大学出版会(二〇〇九)
 意図・感情の共有や人間関係の形成に必要な「共同注意」、乳幼児が獲得する「共同注意」の形成までを「三項関係形成モデル」として示し、障害のある子どもの事例研究によって、「自分の理解」や「他者への働きかけ」「対象物の操作」の発達の筋道を示す。

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子ども用でも大人用でもない
冨重純子 (ドイツ文学)
 イルゼ・アイヒンガーの『より大きな希望』(矢島 昂訳、月刊ペン社)は、第二次世界大戦中のウィーンと思われる街で、子どもから大人になっていくエレンという少女の物語だ。父は母とエレンを捨て、軍務に就いている。母はアメリカに亡命するしかなく、エレンはいっしょに行くことができない。エレンとともに残った祖母はやがて捕えられ、移送される運命にある。「黄色の星」をつけた子どもたちと、彼らに死をもたらす社会との間で、どちらの側にも拒まれるエレンは、希望を探してひた走る。
 エレンの父は軍務に就いているということだから、おそらく「アーリア人」ということになる。エレンの母と祖母は「ユダヤ人」である。このエレンの生い立ちはアイヒンガー自身のそれとほぼ重なり合う。しかしこの小説は、一方で、ドイツ占領下のオーストリアの歴史的現実を指し示しながら、他方、地名や「ユダヤ人」などの語をほぼ用いず、具体的な事象から飛翔する世界を現出させる。子どものエレンの視角からなされる語りと、幻想的とも呼びうる語りが、奇妙に地続きに組み合わされて、唯一無二の世界を形作るのだ。物語の筋は、この多層的小説のごく限られた部分でしかない。
 十の章から成り、ひとつひとつの章が短編のように読める。最初の章「大きな希望」、子どもたちがクリスマス劇を演じる「大いなる劇」、あるいは「祖母の死」の章を、ひとつだけでも読んでみてほしい。最初の章で、エレンは母といっしょにアメリカに渡るために、ビザの発行を求めて大使館を探し当てる。エレンの希望をかなえることのできない大使は、その頑固な願いと子どもらしい信頼を前にして、「自分で自分にビザを出す人だけが、自由になれる」と言って聞かせる。さらにたまたま入った教会で、エレンは聖人像に願いごとをするが、この会話も奇妙な展開を見ることになる。のっぴきならない事態において、大使の奥深い言葉が発せられるように、あくまで具体的な子どもの経験や言語的イメージが、歴史的、思想的問いと驚くべきしかたで結びつけられて行く。
 この本はもともと、「妖精文庫」というものの一冊だったのだが、新訳(小林和貴子訳、東宣出版)は「はじめて出逢う世界のおはなし」というシリーズに入っている。やさしい読みものであると言おうとしているのだろうか。『より大きな希望』が、千野帽子『世界小娘文學全集』(河出書房新社)という変わった題の本の中に取り上げられていて、驚いたことがある。この鋭さと美しさに満ちた小説を、私は「少女小説」(それがどんなものであれ)として考えたことはなかった。この『小娘文學』も読んでみると、少女が主人公であるとか、「少女向け」であるとかの、与えられた(くく)りを拒否し、「志は高く、心は狭く」、「自分で獲りに行く」読書を推奨していて、そのような姿勢をあえて「小娘」的と呼んでいることがわかる。いわば自己矛盾となっているのだ。
 そこでふと思い出すのが、金井美恵子『ページをめくる指』(河出書房新社)(増補版、平凡社)である。この本は、著者が好きな「絵本」について、この著者らしく、少し意地悪な口調も交えながら語ったもので、「絵本」からの厳選された絵がちりばめられた、それ自体「絵本」のような本である。絵本という「作品」の読者の立場から書いた、と著者は述べていて、絵本については「読んでもらうには5~7歳」、「4才で楽しめます」などと分類したり、読み聞かせはどのように行われるべきかを教えたりする、「親切な、あるいはお節介な教育的配慮」によって書かれる文章が多いのに対して、この本はそうではないことを意味している。「ページをめくる指」なのであって、「絵本のページをめくる指」ではないのだ。
 とりあげられている絵本の中で、読んだことがあるものはあまりないかもしれないが、かまわない。
 たとえば、マーガレット・ワイズ・ブラウンとクレメント・ハードのコンビによる『おやすみなさい、おつきさま』と『ぼくにげちゃうよ』の二冊について、著者は次のように述べる。「どれほどの読者を、寝つかれない眠りに誘い、かつ『母親』からのがれることの難しさという人生の主題を、ごく幼い時に読んだし見たのだ、という感慨を、大きくなった読者たちに与えつづけてきただろうか。」ここには、子どもが読み、見たであろうものと、あらためて読んだとき、「大きくなった読者たち」が見出すものがいっしょに語られている。本を「子ども向け」のものとして読むのでもなく、「大人向け」のものとして読むのでもない読書のかたちが、示されているということになるのではないだろうか。
 「大人になる」とは、大人の本を読むようになることではなく、子どものためとされている絵本も、「バスケ部」や「かるた部」の本も、そしていわゆる大人の本も、すべての本を本として読めるようになることなのだ。大学生になったみなさんには、ぜひそのような本を読む経験をしてほしい。

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少し変わった本
永井太郎 (日本文学)
 ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』(晶文社)
 アルゼンチンの幻想文学作家ボルヘスが書いた、神話や小説に登場する、実在しない怪物のアンソロジーです。バジリスクやケルベロス、体の前半分が獅子で後ろ半分が蟻というミルメコレオ、ドイツの小説家カフカの描いた、なんだかわからないオドラデクなど、奇妙な幻獣たちが登場します。また、澁澤龍彦の『幻想博物誌』も、同じように空想の生物を紹介した本です。()ではなく、羊や人間の娘がなる木の話など、面白いエピソードが多く集められています。『幻獣辞典』と重なるものもありますが、こちらもおすすめです。ただ、絶版なので、図書館で借りて読んでください。

 ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』(平凡社)
 第二次世界大戦中、日本軍の収容所から脱走した捕虜が漂着した島で発見した、鼻で歩行する「鼻行類」。その生態を記した本と言えばもっともらしいですが、全て虚構です。全くの虚構の生物を、本格的な生物学研究書の体裁で描いた本です。時に「鼻行類」の体の構造の説明が専門的すぎて「?」なところもありますが、鼻で歩く「鼻行類」の様子を読むだけでも楽しい本です。日本では、劇作家の別役実に、様々な生物やその他のものについて、もっともらしい文章でナンセンスな解説をした本があります。僕が初めて読んだのは「虫づくし」(ハヤカワ文庫。絶版)でしたが、他にいくつもあります。ハヤカワ文庫では、「道具づくし」「もののけづくし」があり、福大図書館にも「けものづくし」「魚づくし」「鳥づくし」が入っています。ちなみに、「腹の虫」などと比喩的に言いますが、昔は本当にお腹の中に虫がいて病気を起こすと思われていました。そうした虫の絵をおさめた、長野仁・東昇『戦国時代のハラノムシ』(国書刊行会)という本もおすすめです。

 ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著『ヴォイニッチ写本の謎』(青土社)
 二十世紀はじめイギリスの古書商ヴォイニッチが見つけた、中世のものらしい古写本。そこには、「全く解読できない文字群と、地球上には存在しない植物が描かれていた」(帯の言葉)。一体、これは何なのか、そしてこの本は何のために書かれたのか。謎のヴォイニッチ写本について、その内容とこれまでの解読のドラマを、わかりやすく紹介した一冊です。筆者たちの結論は、あまりにも簡単なものですが、ヴォイニッチ写本の奇妙な文字や絵を見るだけでも十分楽しい本です。

 ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)
 ヴォイニッチ写本解読の歴史の中で、アタナシウス・キルヒャーという名が出てきます。実際には解読に手を付けなかったようなのですが、彼はルネサンス期の有名な知識人です。地球の構造から中国やエジプトの博物誌、そして普遍音楽の構想まで、幅広い分野にわたって本をしるし、その意味ではレオナルド・ダ・ヴィンチのようなルネサンスの万能人といっていいでしょう。しかし、ダ・ヴィンチと違うのは、彼の拠って立っていた知識が、現在の科学では完全に否定されているため、その業績がほとんど顧みられないという点です。例えば、彼は当時解読できていなかったエジプトの象形文字を解いたとして大著を著しました。そこで、彼はエジプトの象形文字を表意文字として解釈しました。しかし、その後、エジプトの象形文字は表音文字であることがフランスのシャンポリオンによって明らかにされました。したがって、彼の本の意味はほとんどなくなったのです。にもかかわらず、彼の本が魅力的な理由の一つは、奔放な想像力が生み出した絵です。火と水に満ちた空洞の地球の内部、不思議な中国の風俗、奇妙な音響装置など、キルヒャーの著作の図版を中心に紹介したのがこの本です。中でも、断片的な知識をもとに、勝手な想像で作り上げた「ブッダ」の絵はなかなか衝撃的でした。
 

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ICTの基礎
永田善久 (ドイツ文学)
 松坂和夫著『数学読本』全6巻(岩波書店)
 
 期待に胸を膨らませて福岡大学人文学部に入学してこられた皆さんの中には、『新入生のための人文学(●●●)案内』という小冊子の中に、どうしてまた数学の本などが挙げられているのか、怪訝な思いをされた方も少なくないと思います。「数学なんて受験勉強とともにおさらばだ」、「そもそも数学が嫌いだから人文学部を選んだんだわ」-もし皆さんの目に数学というものが、形式的な規約に拘束された、想像力を働かせる余地の全くない(あるいは遊びの余地の全くない)極めて息苦しい学問としてのみ映っているなら、またこうした一種の先入観に捉われたままでこれからの人生を送っていこうとされているなら、それはたいそう残念なことです。なぜなら、数学に対するこうした否定的なイメージが作られるのには、初等教育のあり方をはじめ、いくつかの無理からぬ要因もあるのでしょうが、「数学の本質はその自由性にある」と述べた集合論の創始者カントルの言葉を待つまでもなく、実は数学の本質というのは決してそのような味気ないものでも窮屈なものでもないからです。そして数学の持つ真の魅力をじっくりと丁寧に教えてくれる本が皆さんにお勧めしたい『数学読本』なのです。
 著者の松坂和夫先生(故人)は、長年文科系(●●●)大学で教鞭を執ってこられたにも拘らず、その教え子達からは一人ならぬ数学者が輩出した、というような希有の魅力と能力をお持ちの数学者・数学教育者です。日本の数学教科書の記述は、たとえそれがどんなに初等的なものであっても、たいていのものが抽象的かつ網羅的で、また、「分厚な本は売れにくい」という商業上の理由もあって、本の記述は更に切りつめられ、結果として不親切で難解、文科系学生にとっては非常にとっつきにくいものとなってしまっていました。これに対し『数学読本』は非常に丁寧で具体的です。細かな式の計算等も一切省略されず、図表を惜しみなく用いた詳細な説明、多くの例題・問と詳しい解答があり、論理展開に少しの飛躍も見られません。本書にはこうした繊細で緻密な論の進め方が貫かれている一方で、しかしながらその調子は無味乾燥というには程遠く、全体にわたって何か馥郁たる抒情性のようなものが醸し出されているのは、ひとえに、若い頃数学研究者を目指すか、あるいは文学の道に進むか、大いに迷われたという先生のお人柄によるものなのでしょう。「トルストイの『戦争と平和』には及ばないものの、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』よりはたぶん長くなって」-あとがきより-しまった本書の規模は、何事にも重厚長大を回避しようとする世の潮流とは正反対にあるものですが、本書のような真の意味での良書にとって、この長さは一つの必然であったように私には思われます。
 現代社会においては、数学はとにかく一つの巨大な存在です。数学は極めて多くのことと関わりを持っており、どんな学問にせよ、恐らく数学と完全に没交渉であることはできないでしょう。もちろん、学問分野によっては、数学が多用されすぎているのではないか、といった批判も当然ありますが、こうした批判は批判として、数学の効用と重要性そのものまでを否定する人は恐らくいないでしょう。また、目にみえるような効用に限らずとも、数学を学ぶことによって得られる分析力や洞察力、対象への細かい心配り、物事を透明・簡潔に表現する能力等は、皆さんの知的精神の形成に、必ずや大きな寄与をなすことでしょう。
 さあ、皆さんも、文字どおり数(実数の分類)から始まって-読本の最初のほうで皆さんは「素数は無限に存在する」という定理に古代ギリシア人が与えた鮮やかな証明法を知り、きっと感動することでしょう-、最終的にはガウスが数学の女王と呼んだ整数論、また、無限というものに対して厳密な数学的アプローチを試みる集合論-どんなに短い線分でも、例えば一センチの線分でも、果てしない三次元空間のすべての点と一対一対応してしまうという真理に(そして「無限」の持つ神秘性に)皆さんはきっと驚愕を覚えることでしょう-といった現代数学の初歩まで、著者に導かれてじっくりと学んでみませんか。本書を読む際に必要なものは「紙と鉛筆と愛(好奇心あるいは根気とも)」だけです。最後に『数学読本』の「まえがき」から抜粋しておきます。
 「私は、この講義を、初等あるいは中等数学を堅実な形で学びたいと望むすべての人に向けて、書いています。題材は中学や高校の数学、とくに高校の数学ですが、年少の読者にも読めるようにていねいに書いてあります。
 この講義は、いくつかのおもしろそうな話を取り上げて一つにまとめたという種類のものではありません。6巻を通じてこれはある種の一貫性と流れとを持っています。結局のところ、私は一つの新しい教科書を書いたことになるのかもしれません。しかし、これはふつうの教科書とは違っています。なぜなら私はいろいろな制約なしにこれを書いているからです。この講義はふつうの教科書よりずっと自由です。また、たぶん-そうであってほしいと思いますが-、ずっと深く、ずっと豊かな内容を持っています。読者はこの講義を読んで、しばしば、今まで気がつかなかったことに気がついたり、新しい発見をしたり、フレッシュで興味深い数学の問題に導かれたりするでしょう。…
 この講義は、いわゆる受験数学とは関係ありません。…私がこの講義で語りたいと思うのは、流れのある数学の一つのストーリーであって、技術や要領ではないからです。
 この講義ではときどき、常識的なカリキュラムの意味で初等・中等数学の範囲と考えられるところから-どこまでが初等・中等数学でどこから先が高等数学なのかははっきりしませんが-少し上のほうまで延びて行きます。…この講義には人工的で不自然な柵はありません。したがって、これはたぶん、最終的には読者をかなり高いレベルにまで導きます。…」

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日本の綺麗なトイレと世界
則松彰文 (東洋史)
 近年、日本の公衆トイレがますます綺麗になっている。洗浄機能付きの便座や音姫などは、もはや標準装備で、近年の傾向は、単なる排泄のための場所から多機能空間への変身とも形容出来そうである。
 最近オープンした「KITTE博多」を例に見てみよう。博多駅に隣接するこのビルには、マルイやユニクロ、そして我が福大のクリニックも入居しているが、ここのトイレは、従来の福岡には無かったタイプのそれである。フロアーによって若干の差があることも珍しいが、男子小用がそれぞれ完全に、まるで個室の如く仕切られている点は驚きでさえある。天神三越にも仕切りはあるが、グレードの高さの点で、「KITTE博多」には遠く及ばない。また、女性用トイレは、もはやトイレという次元では全くなく、まさに化粧室や着替えのためのドレッシング・ルームでさえある(らしい)。
 日本のトイレがこの先、さらにどのように「進化」するのか大変興味深いが、しかし、世界的には、これがかなり特殊・特異な事例である事は、他のどこの国に行ったとしても、すぐに実感する事柄である。そう、海外のトイレは概して、とても汚いのである。
 汚いトイレは、まだ良い方で、インドにはトイレそのものが無いそうである。近年のインドと言えば、世界第二位の十三億超の巨大人口を抱える「BRICS」の有力メンバーであり、依然堅調な経済成長を続ける一方で、われわれの想像をはるかに超える深刻な大気汚染に苦悩し、格差や貧困の拡大にも喘ぐ大国といったイメージであろう。
 そのインドでは、トイレの普及率が実に五割。人口の半分、つまり六億人を超える人々が、今でも「野外排泄」の日常であると言う。昨年末の日本経済新聞に掲載されたコラムにこの事が紹介されている。野外排泄の問題は、インド女性の人権にも深く、かつ大きく関わっており、二〇一四年の国連の調査によれば、野外で排泄する女性で「からかわれた」「乱暴されそうになった」「実際に乱暴された」という人は、二六%にのぼったという。インドにおける根深い女性差別の実態は、日本では、なかなか把握出来ないが、この野外排泄の問題は、単なるトイレ問題という次元では語れない、まさにインドの深層に関わる問題の一つなのである。
 ますます「進化」を遂げる日本のトイレ。心地よく用を足すのみならず、お洒落を実践する空間へと変わって行く日本の綺麗なトイレは、まさに世界的にも稀有である。しかし、同時に、その事がいかに世界の「非」常識であるかを、我々日本人が自覚しておくことくらいは、最低限必要なのではないかと思うのである。
 

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Tips for Learning English
Stephen Howe (英語学)
Compared to someone who knows no English, you already know a lot. You can read this page, for example. Remember, you have a good head start: Japanese has more English words than any other language (apart from English, of course). That means you already know hundreds and hundreds of English words in katakana. Build on what you know and try to improve a little each day.
 
 Practice makes perfect
 Learning a language is like learning to play a musical instrument - to improve, you must practise. And music is for playing and enjoying - so, have fun speaking and communicating in English! Imagine you are studying music: to play well and graduate, you need to practice for an hour or more each day, at least. If you do the same for English, you will be able to speak beautifully by the time you graduate.
  ・Think of learning English like learning to play the piano: practise every day and you will get better
  ・If you never practise the piano, it's impossible to play. The same for language
 
 Use it or lose it
 To speak a language well, you must use it - as often as possible:
  ・Speak to yourself in English
    ◦Try to think to yourself in English, for example on the bus or train
    ◦Describe the people you see, or what you're going to do today
  ・Speak English with your friends
    ◦Meet your friends for tea or coffee and practise speaking English for fun
 
 Train your brain
 Set yourself a target to improve your English each year you are at university. Improve a little each day, and you will improve a lot by the time you graduate:
  ・Set aside some time to study English each day
  ・If you commute to university by bus, train or subway, use your time to learn English
 
 Don't worry about making mistakes
 As in life, making mistakes is an important part of learning a language - so don't worry, just keep talking!
 
 Be cool at school
 Impress your friends with your fluency in English, whatever your major:
  ・Learn in class
    ◦Use your time with your teacher to improve your English
  ・Learn outside class
    ◦Don't think of your class as the only time you learn - try to improve your English outside class, too
 
 Make friends with the international students on campus
 Practise your English on the international students at Fukuoka University - they want to talk to you!
  ・Ask them about their country and tell them all about Japan
 
 Watch TV and movies in English
 Movies are a great way to listen to spoken English - and they are available everywhere - watch as many as you can:
  ・Switch to English sound when you watch English programmes or movies on TV. You will understand more and more
  ・Watch a movie several times - you will understand better each time
  ・Try to repeat what the actors say
  ・As well as movies, watch the news in English at cnn.com
  ・NHK shows English news early each morning. Watch the news each day, and you will make great progress in your understanding for TOEIC
 
 Read a book, magazine or newspaper in English
 Whether Harry Potter or William Shakespeare, read a book in English - there are thousands to choose from!
 ・Read an English magazine
    ◦If you love fashion, read an English fashion magazine; if you love sport, read a sports magazine in English. You will learn a lot of vocabulary about your interest
  ・Read a newspaper
    ◦The Japan Times is available everywhere and is easy to read
    ◦Fukuoka University Library has many English newspapers
  ・Read the news in English online
    ◦Try bbc.co.uk for English news
 
 Write a diary in English
 Like Samuel Pepys and Bridget Jones, write a diary in English - about what you do each day, your thoughts and feelings. This will help you improve your writing greatly.
 
 Listen to English music and radio
 Listen to your favourite British or American bands - they can help you learn English!
  ・You can listen to English music on the web at www.bbc.co.uk/radio1/
  ・Download a podcast for mobile English
 
 Study abroad or take a trip
 English is the international language that makes it possible for you to communicate with people in other countries. Get your English ready for a trip or study abroad:
  ・Practise for your trip
  ・It will be easy to meet people if you can speak a little English
  ・Fukuoka University has several study abroad programmes. If you can, study in another country - you will learn many things and have the time of your life
 
 Finally, what about after university? What can English give you?
 English is a key to the world and knowing English can help you get the job you want. English gives you:
  ・Communication skills
  ・An international dimension
  ・Awareness of other cultures
  ・Opportunities to work and travel abroad
  ・And the ability to communicate with the world
 

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犬がどのように考えているか、をどのように考えるか
平田暢 (社会学)
 スタンレー・コレン著(二〇〇七年)『犬も平気でうそをつく?』文春文庫

 この本をお薦めするのは、私自身が犬好きで、犬好きの人にとって面白く役に立つ、ということもあるのですが、それ以上に、大学で勉強するときに重要な「考え方」について自然に馴染むことができる、という理由からです。
 日本語のタイトルはややひねりすぎです。原タイトルは“How Dogs Think”なので、こちらのタイトルで内容をイメージして下さい。
 著者のスタンレー・コレンの専門は心理学で、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で教授を務めています。犬好きが嵩じて訓練士の資格をとり、犬の訓練クラブのインストラクターもしているそうです。
 私たち人間は、他の人たちを観察したり、対人関係の中でさまざまなことを学びます。これを「社会的学習」といい、私たちは言葉や規範、あるいは歯の磨き方などもそうやって身につけていきます。
 では、そのような学習能力を犬も持っているのでしょうか。
 おそらく持っていると想像はできますが、本当に知りたいのであれば確かめねばなりません。そのための手続きは、「犬には社会的学習能力がある」という考え-この考えのことを仮説といいます-が正しいとすると、特定の状況でどのようなことが発生するか推測をし、実際にそのような状況で観察を行って推測が正しいか否か確かめる-確かめることを検証といいます-ということになります。「犬には自意識がある」や「犬には超能力がある」という仮説を立てた場合も同様です。
 コレンの専門である心理学や私の専門である社会学では、仮説を検証するというアプローチをよくとります。実験はその典型ですが、社会調査なども同じような手続きに沿って行われます。大学の勉強では、知識だけではなく、このような手続き、あるいは考え方を身につけることが強く求められます。『犬も平気でうそをつく?』という本は、犬の能力や感情、意識についてさまざまなことを教えてくれますが、数多くの事例や実験、調査がうまくはさまれていて、仮説を検証するプロセスの面白さ、その有効性がごく自然にわかってきます。
 犬には社会的学習能力があるか否か、それをどうやって確かめたかは、本書を読んでのお楽しみ。
 以下に、スタンレー・コレンの犬に関する他の著作も挙げておきます。いずれも文春文庫です。飼い主の性格に合う犬種は何か、どうすれば犬に意思をうまく伝えられるか、どのようにして犬は狼からつくられてきたのか、などなど、盛りだくさんで楽しめます(最後は結局犬が好きな人のための紹介になってしまった…)。
 
  『デキのいい犬、わるい犬』(The Intelligence of Dogs)
  『相性のいい犬、わるい犬』(Why We Love the Dogs We Do)
  『犬語の話し方』(How To Speak Dog)
  『理想の犬(スーパードッグ)の育て方』(Why Does My Dog Act That Way?)
  『犬があなたをこう変える』(The Modern Dog)

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ドイツ語映画観賞会へのお誘い-書を捨てよ、町へ出よう
平松智久 (ドイツ文学)
 新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。いま皆さんは大学生活を満喫しようと、心を躍らせているのではないでしょうか。大学では大いに勉学に励んでください。多くの本を読み、あるいは大事な書籍を精読し、知的な喜びを享受してください。ただし、ときどきは「息抜き」をすることも忘れずに。それは、『書を捨てよ、町へ出よう』と寺山修司が訴えかけたとおりでしょう。とはいえ彼は、若者たちに単に繁華街へ出かけようと呼びかけたわけではありません。そのメッセージは、読書によって得た知見を机上に留めず、外の社会と人に触れてじっさいの体験と結びつけなさいと勧めたものだったからです。
 そこで本稿では、「町へ出る」ための一つの扉を開いてもらうために、ドイツ語映画鑑賞会に皆さんをお誘いしましょう。
 ドイツ語映画鑑賞会は、人文学部ドイツ語学科の主催で二〇一三年度前期より始められ、基本的には授業期間中の毎月第一木曜日に中央図書館多目的ホールで開催されています。同年度後期からは福岡大学エクステンションセンターとの共催で市民開放型文化講座「映像に見るヨーロッパ文化―ドイツ語圏―」として開講されるようになりましたので、地域の皆様も無料で参加できます。毎回の企画・運営は、主にドイツ語学科の教員と学生たちで構成されるドイツ語クラブ「シュタムティッシュ」(福岡大学公認愛好会)。上映作品は基本的に図書館所蔵品ですので、鑑賞会当日に都合が悪くて来場できない方も、後日、図書館二階AVコーナー(Audio-Visual Room)で視聴することができます。しかし可能な限り皆さんには鑑賞会の会場へ足を運んでもらいたいものです。あえて「決められた時間」に、「決められた場所」で、他の方々と共にドイツ語の映画を鑑賞してみませんか。続けて参加することで、映像と音楽が醸し出すヨーロッパ文化を体感できるようになるはずです。さらに、映画鑑賞後に参加者同士で感想や考えを共有することによって、一人では決して得られない知的な喜びを感じられるはずです。そのような他者との積極的な交流こそ「町へ出る」ことの意義にほかならないのですから。
 ドイツ語映画鑑賞会では、できるだけ良質の映画を皆さんがしっかりと体験できるように、教員・有志学生一同がそのお手伝いを行っています。必要に応じて担当教員が映像作品の時代背景、言葉遣い、作品の意義等について簡単に解説しますので、ドイツ語映画に慣れていない方にも安心してご覧いただけます。ドイツ語学習者はドイツ文化を目と耳で捉える良いチャンスですし、ドイツ語が分からなくても基本的に日本語字幕付きなので大丈夫です。さぁ、皆で感動を分かち合いましょう。是非、友人知人や御家族、御近所の方をお誘い合わせのうえ会場にお越しください。
 以下には過去上映作品を列記しますので、見逃した作品は是非、図書館二階AVコーナーでご鑑賞を。また、今後の開催情報を調べたい方や、個々の映画の詳細をお知りになりたい方は、ドイツ語学科のホームページ内にある「ドイツ語映画鑑賞会」の項目(http://www.hum.fukuoka-u.ac.jp/ger/film/)をご覧ください。
 
 第一回 『グッバイ、レーニン』(解説担当:平松智久)
 第二回 『みえない雲』(解説担当:冨重順子)
 第三回 『ビヨンド・サイレンス』(解説担当:山中博心)
 第四回 『善き人のためのソナタ』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第五回 特別編 モーツァルト『魔笛』(解説担当:永田善久)
 第六回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード1』(解説担当:金山正道)
 第七回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード2』(解説担当:金山正道)
 第八回 ディズニー映画『アラジン』(ドイツ語吹替え、日本語・ドイツ語字幕)(ドイツ語クラブ)
 第九回 『飛ぶ教室』(ドイツ語クラブ)
 第一〇回 『コッホ先生と僕らの革命』(解説担当:有馬良之)
 第一一回 『愛より強く』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第一二回 『カスケーダー』(解説担当:平松智久)
 第十三回 『マルタのやさしい刺繍』(解説担当:平松智久、大学院生高松美菜子)
 第十四回 特別篇 ベートーヴェン『第九 第四楽章』(解説担当:永田善久)
 第十五回 『テディ・ベア誕生物語~全ての困難を乗り越えて』(解説担当:堺雅志、堺ゼミ生)
 第十六回 『ベルンの奇跡』(解説担当:交換留学生ビョルン・カスパー)
 第十七回 『マーサの幸せレシピ』(解説担当:森澤万里子)
 第十八回 『幸せのレシピ』(解説担当:秋好礼子)
 第十九回 『ミケランジェロの暗号』(解説担当:冨重純子)
 第二十回 『9000マイルの約束』(解説担当:平松智久)
 第二一回 『おじいちゃんの里帰り』(解説担当:伊藤亜希子)
 第二二回 『ウェイヴ』(解説担当:スサナ・デル・カスティヨ)
 第二三回 特別篇 メンデルスゾーン『夏の夜の夢』(解説担当:永田善久)
 第二四回 スタジオ・ジブリ映画『千と千尋の神隠し』(ドイツ語吹替え、ドイツ語字幕)(解説担当:冨重純子、大学院生三名)
 第二五回 『M』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第二六回 『ハンナ・アーレント』(解説担当:星乃治彦)
 第二七回 『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』(解説担当:伊藤亜希子)
 第二八回 『会議は踊る』(解説担当:堺雅志)
 第二九回 『ラン・ローラ・ラン』(解説担当:アンドレ・ライヒャルト)
 第三十回 特別篇 J. S. バッハ『マタイ受難曲』(解説担当:永田善久)
 第三一回 『門前』(解説担当:平松智久)
 第三二回 『ゲーテ!~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」』(解説担当:平松智久)
 第三三回 ロッテ・ライニガーのメルヒェン映画特集(解説担当:マーレン・ゴツィック)
 第三四回 『さよなら、アドルフ』(解説担当:冨重純子)
 第三五回 『舞姫』(解説担当:中野和典)
 第三六回 吸血鬼映画特集(解説担当:アンドレ・ライヒャルト)
 第三七回 『アイガー北壁』(解説担当:平松智久)
 第三八回 『菩提樹』(解説担当:堺雅志)
 第三九回 『アマデウス』(解説担当:永田善久)

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魚を食べよう
広瀬貞三 (朝鮮史)
 (1) 中公文庫編集部編『魚屋さんに教わる図鑑台所のさかな』(中公文庫、一九九七年)
 代表的な魚を二五種類、美しい写真と文章で紹介する。鯛、鰹、鰈、鯖、鰆、鯵、鰤など。これらの漢字を読めますか。魚屋の子どもである私にとって、いずれも馴染み深い魚である。毎日お店の中でながめ、後に包丁を握って調理する。時には父に連れられ、魚市場にも通った。大学卒業直前には一時、お店を継ごうかとも思った。売れ残った魚を大量に食べた。だからこんな大男になったのか。写真の背後に、長靴で働く父母の姿が見える。
 
 (2) 上田武司『魚河岸マグロ経済学』(集英社新書、二〇〇三年)
 世界中のマグロは日本をめがけて集中して来る。その多くは、零下六〇度で凍らされた冷凍マグロである。しかし、上田は東京・築地市場の仲卸『内藤』の主人として、生マグロだけを取扱う。取引の鑑札を三枚持ち、水産会社五社の最高級マグロをセリ落とす。顧客は日本を代表する「吉兆」、「なだ万」、「吉野寿司本店」などの高級店である。上田は青森県・大間のクロマグロこそが最高だと断言し、多い時は一日四千万円分を購入する。
 
 (3) どんぶり探偵団編『ベストオブ丼』(文春文庫、一九九〇年)
 どんぶり探偵団が全国のうまい丼四五六杯から、名作一五〇杯を厳選したもの。真上から丼を写し、全体像を一望する。かつ丼、牛丼とともに、天丼、うなぎ丼、ちらし、北海道の鮭親子丼、うに丼、あわび丼、ひらめ丼が掲載される。丼からはみ出す巨大なえび天、身がはぜるアナゴ天、丼の中のえび、イカ、キス、野菜の競演。ゴマ油でからっと揚がった天ぷらに、ツユが食をそそる。なじみの、安い神田神保町の「天丼いもや」も登場。
 
 (4) 濱田武士『魚と日本人―食と職の経済学』(岩波新書、二〇一六年)
 日本人の魚消費量は急激に低下し、街からは魚屋が消えた。消費者の多くはスーパーマーケットで、切り身や刺身になった魚を購入している。丸魚を家で調理するケースは稀である。濱田は魚食文化を育んだ職能を「魚職」と呼び、魚を食べる人、売る人、卸す人、加工する人、獲る人の役割や経済環境を考える。各人の現状と課題を指摘し、魚食と魚職の復権を訴える。魚は季節や場所によって食べ方が異なり、それが魅力の一つである。
 (5) 高橋治『青魚下魚安魚』(朝日文庫、一九九五年)
 高橋は、イワシ、アジ、サバ、サヨリ、キビナゴ、ニシンなど、肌が青い魚を称賛する。味の深さ、姿の美しさ、値段の安さ、あらゆる好条件が揃っているのに不当に冷遇されているとする。日本各地の魚料理店、レストラン、民宿を訪ね、青魚料理を堪能する。青魚を、生か、焼くか、煮るか、干すか、漬けるかで味わい尽くす。高橋は「こんなに魚に恵まれている国に生きていて、どうして魚を食わないのか」と慨嘆する。全く同感である。
 
 (6) 里見真三『すきやばし次郎旬をにぎる』(文春文庫、二〇一一年)
 東京の銀座にある寿司店「すきやばし次郎」はカウンター一〇席、テーブル席一三席の小さなお店である。しかし、日本に数多くある寿司店の中で最高級店の一つと言われる。主人の小野二郎(一九二五~)は稀代の寿司職人であり、一代で名店を築き上げた。この本は小野が語りつくした江戸前寿司の秘儀の数々と、その写真が盛られている。マグロ、コハダ、シンコ、イワシ、アジ、マコガレイ、イカ、トリ貝、アワビ、アナゴの至芸。

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進化するミュージカル
光冨省吾(アメリカ文化・文学)
 小山内伸著『進化するミュージカル』(論創社)

 ミュージカルの起源はイタリアのオペラにありますが、二〇世紀初頭のニューヨークの劇場街で誕生したブロードウエイ・ミュージカルは元のオペラから大きく変貌し、今やニューヨークだけでなく世界中で受け入れられるようになりました。ミュージカルの発展には(英語がわからない)移民の多いニューヨークの社会的事情もあり、セリフだけでなく音楽やダンスなども取り入れたショーが発展してきました。ミュージカルは基本的に翻訳家井上一馬が述べているように「人間賛歌」であり、アメリカ人の楽天的な国民性も反映されてハッピーエンドで終わる作品がほとんどですが、人種差別などの社会問題も次第にテーマとして取り上げられるようになり、一九五七年の『ウエストサイド物語』では悲劇のミュージカルも制作されるようになりました。
 ここで紹介している本は主として一九七〇年代から二一世紀にいたるまでの最新のミュージカルの代表作を中心に紹介しています。著者は執筆当時朝日新聞の記者で、新聞に劇評を書いていました。この本ではタイトルにあるように「進化する」ミュージカル作品を紹介しています。たとえばオペラのようにほとんど歌と音楽で構成されているアンドルー・ロイド・ウエバーの作品(『キャッツ』と『オペラ座の怪人』)は『レ・ミゼラブル』や『レント』に引き継がれています。また同じメロディーを異なる歌手が異なる歌詞を歌うことでそのコントラストが生じるロイド・ウエバーの手法はスティーブン・ソンドハイムのようなアメリカの代表的なミュージカル作家にも大きな影響を与えています。その他にもミュージカルの伝統を踏まえた上で、新しい工夫がなされた作品が続々と制作され、多くのファンを魅了しています。この本を読んで劇場に足を運ばれるようになれば幸いです。

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歴史と文学との垣根をとり払おう
森茂暁 (日本史)
 福田秀一・岩佐美代子・川添昭二他校注

 新 日本古典文学大系『中世日記紀行集』(岩波書店)

 創造的な人生を送るには、柔軟な頭脳と大胆な発想とがまず必要でしょう。身近なことでは、たとえば卒業論文のテーマ探しや執筆のさい、このことは決定的に重要です。常日頃から固定的な物の考え方をしないで、自分の頭で物事をのびのびと考えてみましょう。ここでは、文学の史料は歴史の史料として充分に活用できるということを述べます。
 例えば、鎌倉初期成立の『平家物語』、鎌倉末期成立の『徒然草(つれづれぐさ)』、南北朝末期成立の『太平記』などは、高等学校の段階まではいずれも文学作品として扱われ、古典の時間に読まれます。しかし、このような作品は同時代の歴史を知るための史料として極めて有用で、価値の高いものです。今度は歴史の史料として再読しましょう。むろん原文で。この場合肝心なのは、一部分ではなく全部を読み通おすことです。きっと感動が湧きおこります。古典のもつ不思議な力です。
 さて、冒頭にあげた書物はそれに類するものです。日本中世の紀行文(旅行記)が多く収められています。中世日本人の旅行意欲をかきたてたのは(すべてが単なる旅行ではありませんが)、十四世紀の南北朝の動乱を通した人々の地理的視野の広がりだと筆者は考えていますが、この動乱を契機に国内を旅する人が増えてきます。そのようななかで、紀行文が書かれるわけです。それらは主として国文学のジャンルで研究の素材となってきましたが、歴史の方ではほとんど無関心です。
 このような紀行文が、どのような意味で歴史研究に有用かというと、たとえば、阿仏尼(あぶつに)の「十六夜日記(いざよいにっき)」は、十三世紀後半(鎌倉時代)の所領訴訟関係史料としてはもとより、東海道(京都と鎌倉をつなぐ基幹道路)の交通史の史料としても使えますし、また、連歌師宗祗(そうぎ)の「筑紫道記(つくしみちのき)」は、十五世紀後半(室町時代)の筑前・豊前国(福岡県)、特に博多の人々の生活や周辺の景観をくっきりと描き出しています。一例をあげますと、筥崎宮(はこざきぐう)を訪れた宗祗(そうぎ)は博多湾をへだてて、夕日のなかの可也(かや)山(福岡県糸島郡志摩町)をながめ、「富士に似たる山」と感慨深げに書き留めています。同記は、大内氏研究のための史料としても貴重です。
 同書では丁寧な脚注や解説が施されていますので、容易に読み進むことができます。さあ、実際この本を手にとって、読んでみましょう。

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汽車旅の勧め・その四 ― 途中下車の楽しみ・新見駅 ―
山縣浩 (日本語史)
 二〇一七年一一月、A方式推薦入試の面接でのことである。日本語日本文学科を志願した、ある受験生が近代文学を勉強したいと言う。ただ、どのような作家・作品、どの時代であるかなどが曖昧であった。そこで、問うと、人間が苦悩し、それに対して自分なりに答えを出すような作品が好きであると答える。作品は…と訊ねると、田山花袋「蒲団」とのこと。
  田山花袋「蒲団」一九〇七年九月『新小説』
 本作品の内容は…と畳みかけると、師匠と女弟子の間の嫉妬や恋心などが描かれていると説明する。感心しながら、読んだことがあるのかと訊ねると、電子辞書で知ったとの回答。
 しかし、本学の学生でも怪しい者が少なくないところ、高校生で田山花袋=「蒲団」を知っていること、更に電子辞書であっても調べたことに感じ入った。
 「蒲団」は、花袋を自然主義派の代表作家にした作品で、次の如き展開である。
 中年の文学者・竹中時雄が弟子入りをした女学生・横山芳子に恋心を抱く。しかし、芳子が恋愛事件を起こしたため、帰郷させる。最後の場面、時雄が芳子の残した蒲団に顔を埋めて泣く一節、即ち「夜着の(えり)天鵞絨(ビロード)際立(きわだ)って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。性慾と悲哀と絶望とが(たちま)ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。」(104頁)は強烈で、よく引用される。
 別れに際して、川端康成「伊豆の踊子」の私の流した涙は孤児根性に依る息苦しい憂鬱が浄化されたものであった。しかし、時雄の流した涙は苦悩の果てに時雄なりに出しえた答えになっていたかどうか、甚だ疑問である。
  北上次郎(二〇〇一)『ちくま文庫 情痴小説の研究』筑摩書房
 北上氏は《情痴小説》を「妻子ある中年男が色情に迷って理性を失う物語」「ダメ男小説」(5頁)と規定し、その二つ目に「泣き虫男の独善」という表題で本作品を取り上げる。そして、時雄について右の最後の場面を引用して「ダメ男は、泣き虫男でもあるのである。一人よがりの恋をして、勝手に傷つき、勝手に泣くのである。二十歳代ならまだ許せるが、中年になってもこういうダメ男であり続けるのは大変に困る。せめて口説いて、そして振られてから泣いてほしいではないか」(25頁)と断ずる。
  正宗白鳥(二〇一三)『中公文庫 文壇五十年』中央公論新社
 花袋と同じ自然主義派とされる白鳥は、本作品を「文学史上画期的」としながらも「清新な作品として敬意を持って読まれるよりも、嘲笑冷罵されるにふさわしい」(43頁)と評する。更に花袋は「現代の小説道の先駆者である。先駆者としてのおごりを感ずるよりも、きまりの悪い思いをしたり、気恥ずかしい思いをしたり、嫌われたり憎まれたりしたのである。… どの国でも、先駆者の作品は時を隔てても光彩を放つはずのものであるが、「蒲団」などは、先駆者の作品でありながら、時がたつと色があせた」(47頁)とする。
 内容的に頗る評判が悪い。しかし、良くも悪くも後世に与えた影響は大きく、日本近代文学に関心を持つ方には、その歴史的意義を知るためにも一度読んでいただきたい。また男性には、将来このような大人になってはならない戒めとして読むことを勧める。
 例えば、最後の場面以外では、時雄が芳子の恋愛沙汰を知ったときの懊悩、「わが愛するものを奪われたということは甚だしくその心を暗くした」(23~24頁)結果、酒に溺れ、子どもに当たり散らす。果ては「(どう)と厠の中に寝てしまった」(26頁)り、「電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭(ひざがしら)をついたり」(35頁)して「旺然(おうぜん)として涙は時雄の髭面(ひげづら)(つたわ)った」(36頁)挙げ句に「白地の浴衣(ゆかた)に、肩、膝、腰の嫌いなく、夥しい泥痕(どろ)」(39頁)を付けたまま、芳子の下宿先である妻の姉宅に押しかけるなど、醜態をさらす。
 一方、女性には、どのような人物であっても、男性は誰もが時雄のような芽を有している、即ち、色恋沙汰に関して心に闇を抱えていることを心得るため、読むことを勧める。
 なお、本作品は、情けない中年男性だけでなく、当時流行の「女学生」を描いた、時宜を得たものであったことも忘れてはならない。
 その伏線が「その頃こそ『魔風(まかぜ)恋風(こいかぜ)』や『金色(こんじき)夜叉(やしや)』などを読んではならんとの規定も出ていた」ものの、芳子の通っていた「基督(クリスト)教の女学校は他の女学校に比して文学に対して総じて自由」で、「教場でさえなくば何を読んでも差支(さしつかえ)なかった」(以上、14頁)というくだりである。
  中村桃子(二〇一二)『岩波新書 女ことばと日本語』岩波書店 特に第2部・四章「女学生ことば」誕生
 中村氏は、右の如く一部の学校で読むことを禁じられたという小杉天外「魔風恋風」(一九〇三年)について、掲載された「読売新聞」の挿絵を示して「女子学生を性の対象物として見る傾向がかなり普及してきた」(119頁)好例とする。このような小説に接して、「黄金(きん)指輪(ゆびわ)をはめて、流行を()った美しい帯をしめて、すっきりした立姿」(19~20頁)の芳子に当時の読者が固定化した「女学生」のイメージを重ね合わせるのは当然として、「人が見ていぬ旅籠屋の二階」(31頁)で芳子と同志社の学生に何にもなかったと考えることはあるまい。また花袋もそこは計算済みであったはずである。
 前置きが長くなった。
 「蒲団」は、今の東京都新宿区・文京区・中央区を主な舞台とする。時雄が東京を離れるのは、嘱託で携わっていた地理書の編輯の「用事で、上武の境なる利根河畔に出張していた」(69頁)ときだけである。
 どうして新見(にいみ)駅で途中下車なのか。
 新見駅は岡山県北西端の新見市の玄関口で、本作品で新見は横山芳子の生まれ故郷とされる。ただ、その町での出来事が描かれることはない。例えば、父親に連れ戻された後、届いた「いつもの人懐かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文」(102頁)の手紙を読んで時雄が「雪深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町」(103頁)を思いやるだけである。
 従って、二〇一一年一一月、芸備線に広島駅から乗り、事実上の終点である新見駅に降り立って、姫新(きしん)線に乗り換え、津山駅に向かう待ち時間、ホームの観光案内板で「城山公園 田山花袋の蒲団碑」を目にしたとき、どうして当地にこのような碑があるのか分からなかった。芳子の故郷が新見とされることが思い出せなかったためでもあるが、そのときは花袋が「蒲団」発表の前年・一九〇六年に芳子のモデルとなった岡田美知代の故郷・広島県甲奴(こうぬ)上下(じようげ)町(現府中市上下町)を訪ねる旅の際、当地に立ち寄ったためかと考えた。
 二〇一六年八月、今度は津山駅から姫新線で新見駅に到着し、芸備線に乗り換える一時間少々の時間を得た。
 乗ってきた姫新線の踏切を渡って、城山公園の麓に辿り着いた。しかし、盆明けの炎天下、コインロッカー代を惜しんだこともあっても、それまでの道のりで一泊二日の荷が肩に食い込んでいた。そして、公園への坂道。還暦の身には応え、息を切らし、足をもつれさせながら登った。坂道を登りながら、同じく途中下車で登った姫新線・上月駅近くの上月城址、予土線完乗後の宇和島城址でのことが思い出された。荷物を預けなくとも何とか行けるだろうという甘い見通しで歩き、登り始め、後悔することの繰り返しである。
 公園の広場には立派な「蒲団碑」が設けられていた。そこには事の顛末を芳子の父親に知らせる手紙が「備中の山中に運ばれて行くさま」(74頁)の一節が長々と刻まれている。背面には「蒲団碑によせて」として、地元の実業家が本作品の「脇舞台」になっていることに新見人として感動し、私財を投じ、一九七七年七月に建立したことが記されていた。
 作品中「新見」は四例程度、他は「備中の山中」「山中の田舎町」として、先の例のように時雄が思いやったり、芳子らの居所の説明で示されたりするだけである。時雄が足を運ぶこともなく、また芳子たちが当地でどのように暮らしたかなどが描かれることもない。
 私財を投じた実業家は、熱烈な花袋ファンであるのか、時雄に深い共感を抱いたのか、新見を舞台とする文学作品がないことを残念に思ったのか、知りようがない。
 「蒲団」に比べれば、次の作品は新見市でほぼすべての話が展開するものとして、文学碑の一つや二つ建立されておかしくない。
  横溝正史「八つ墓村」一九四九年三月~五一年一月『新青年』『宝石』
 八つ墓村は実在しない。しかし、「Nという駅」から「一時間バスにのり、更にまた半時間歩かねばならない」(69頁)「鳥取県と岡山県の県境にある一寒村」で、その「重要な村の財源」が「牛を飼うこと」で、それは「千屋牛(ちやうし)とよばれて、役牛(えきぎゅう)としてよく肉牛としてよく、近所の新見(にいみ)で牛市が立つときには、全国から博労が集まる」(以上、3~4頁)の記述から、横溝は八つ墓村として新見市千屋を想定していることは間違いない。国道一八〇号を市街地から明地峠に向かって北上し、長いトンネルや高梁川に刻まれた渓谷を抜けると、突然盆地が広がり、桃源郷のような集落が南北に続く(ちなみに、今日「千屋牛」はブランド化し、岡山市内の焼肉店ではその名を売りに高値で供される)。
 本作品は、度々映画化・テレビドラマ化された。ただ、その凄惨な内容のためか、二〇〇四年の金田一耕助=稲垣吾郎以降放映された覚えがない。
 あらすじは、次の如くである。
  戦国時代出雲冨田城の尼子氏が毛利氏に滅ぼされた後、八人の武者が落ち延び、舞台の村に至る。友好的であった村人は、毛利方の探索が厳しくなったことに加え、武者たちの財宝に目が眩んで、八人を皆殺しにする。半年後落ち武者襲撃の発起人である庄屋・田治見庄左衛門が正気を失い、村人七人を斬殺し、自刃。八人の犠牲者に村人は武者たちの祟りを考え、八つの墓を建てて明神として崇め奉った(これが村名の由来となる)。
  時代は下って大正時代。田治見家当主の要蔵は、妻がありながら村娘・鶴子に横恋慕し、子までなす。その後、鶴子が幼子を連れて逃げ出したため、逆上。そして、村人三二人を惨殺する。八の倍数の犠牲者に村人は八つ墓明神の祟りを考える。
  要蔵事件がまだ村人の記憶にある二〇数年後の、敗戦間もない頃を本作品は舞台とする。主人公は要蔵と鶴子の間に生まれたと言われる寺田辰弥。本妻の子供たちが病弱であるため、後継として迎えられ、舞台が神戸から八つ墓村へ移る頃、連続殺人が起こる。
 金田一は、後手後手に回って被害者は増えるだけである。ただ、要蔵の行方、鍾乳洞探検、落ち武者の財宝、親戚の娘との恋、辰弥の出生の秘密等々、様々な話題が交錯する。また殺気立った村人に追われ、辰弥が鍾乳洞を奥へ奥へと逃げる最後は圧巻である。単なるミステリーでなく、戦国時代まで遡る因縁の深さを含め、壮大なエンターテイメントとして、横溝作品の中で群を抜く。映画化・テレビドラマ化された回数は、「蒲団」のそれより多く、その放映はいつも話題になった。例えば、一九七七年の金田一耕助=渥美清の映画で有名な濃茶(こいちや)の尼のセリフ「祟りじゃー!」はその後種々語り継がれる。若い方でも記憶にあろう。
 この点で地元の有力者を横溝ファン・横溝研究者が後押しして新見市内の然るべきところに「八つ墓村碑」が建立され、その所在が新見駅の観光案内板に記されてもおかしくない。
 ちなみに、本作品は、横溝が戦時中岡山県に疎開していた際に見聞きしたことに基づく。特に要蔵事件は一九三八年五月二一日同県北東端・苫田郡西加茂村の一集落である青年が起こした、俗に言う「津山三十人殺し」に材を得ている。
 新見駅は、私にとって姫新線・芸備線の乗換駅である。しかし、一般的には、岡山市・倉敷市と米子市・松江市・出雲市を結ぶ伯備線の途中駅である。城山公園で一息入れた際には新見駅を出て岡山駅に向かう特急「やくも」が見られた。クリーム色に赤いラインの車体は、見慣れたものであるが、姫新線の単行の気動車に乗ってきた者には優雅に感じられた。
 その新見駅から倉敷・岡山方面で途中下車をしたい二つの駅、即ち、幕末の山田方谷(一八〇五~七七)ゆかりの方谷駅、備中松山城のある備中高梁駅、これらを過ぎた清音駅が横溝正史の疎開していた吉備郡岡田村(現倉敷市真備町)の最寄り駅である。
 二〇一七年一一月二五日には、九回目となる地元主催のコスプレイベント「1000人の金田一耕助」が催された。横溝作品の様々な登場人物に扮した一一五名の男女が清音駅前に集まり、横溝正史疎開宅(倉敷市真備町岡田一五四六)から倉敷市真備ふるさと歴史館(倉敷市真備町岡田六一〇)まで歩いたという(朝日新聞二〇一七年一二月九日朝刊・みちものがたり)。
 私は、二〇一一年一一月に井原鉄道・川辺宿駅で下車して、疎開宅・歴史館を回り、清音駅に戻った。疎開宅は、地元の方が管理され、今でもそのまま住めそうである。また歴史館には横溝のコーナーが設けられ、新資料に接して横溝世界が広がった。
 清音駅か川辺宿駅で途中下車をして当地を訪れると、横溝ファンなら必ず有意義な時が過ごせる。疎開宅・歴史館以外に歴史館裏の大池や疎開宅近くの濃茶のばあさんの祠も必見である。
 なお、新見駅と県境を挟んでほぼ反対側の広島県に位置するのが福塩線の上下駅である。
 当線は、広島県福山市の福山駅と三次市の塩町駅を結ぶマイナーローカル線で、府中駅・塩町駅間の列車は上り下り各七本に激減する。このため、当駅で途中下車をすることは難しいものの、花袋の弟子・岡田美知代の故郷の最寄り駅として降り立つと新たな出会いが生まれる。
 上下駅前の通りを右折すると、「白壁の道」という旧街道沿いの商店街に入る。一部に白壁やなまこ壁の商家、蔵を改築した教会があり、ほぼ中央に旧岡田邸がある。現在は府中市上下歴史文化資料館(府中市上下町上下一〇〇六)として一階は郷土史関係の資料、二階は美知代や花袋関係の資料が展示され、「美知代の部屋」が再現されている。二〇〇九年九月以降訪れる機会がないが、途中下車が可能なうちにまた訪れたい(当地の銘菓「つちのこ饅頭」は、お勧めである)。
 九州から遠く、訪ねることは容易でないが、東京に行き、一日空いていれば、東武伊勢崎線の館林駅で下車していただきたい。駅から徒歩一五~二〇分のところに田山花袋記念文学館(館林市城町一―三)がある。ほぼ一七・八年を隔て、最近は二〇一五年一二月に訪れた。コインロッカーを利用しなかったため、ここでも荷の重さの記憶が強いものの、前に訪れたときより花袋の理解が進んだため、学ぶことが多く、美知代関係の資料にも接した。
         * * *
 未乗の芸備線の備後落合駅・新見駅間を乗り通すことを目的としながら、新見駅のホームで目にした観光案内板。それが別のところで関心を持つ花袋と繋がり、「蒲団」を別の観点から見直し、また地元の方の思いを知るきっかけとなった。新見駅が岡山から米子・松江方面に特急列車で通り抜けるときの停車駅の一つに過ぎなかったなら、あり得ない出会いである。
 芸備線の備後落合駅・東城駅間は上り下り各三本の、中国地方屈指の超ローカル区間で、それ故の絶景が続く。特に新緑や紅葉の季節に乗車することをお勧めする。このようなローカル線に身をゆだね、日常を忘れて車窓に見入ることは何物にも代えがたい喜びである。更に途中下車をして注意を払うと、意外な出会いが生まれる。そして、これによって新たな世界が広がる。細い関心の糸が次々に繋がり、網となって自分なりの人文科学の体系が形作られる。
 
 *「蒲団」「八つ墓村」の本文は、次の文庫に依った。
   『岩波文庫 蒲団・一兵卒』(二〇〇七年・第7刷)岩波書店
   『角川文庫 八つ墓村』(一九七一年・再版)角川書店
 *本稿の一部は、次の小文に依るところがある。これらも併せて参照されたい。
   山縣 浩(二〇〇六)「横溝正史『八つ墓村』の舞台」『山麓通信』19
   山縣 浩(二〇〇九)「広島県旧甲奴郡上下町」『山麓通信』22

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逃げ出すわけにはいきまっせん
山田英二 (英語学)
 『天に星 地に花』(帚木蓬生、二〇一四年、集英社)
 (『ギャンブル依存とたたかう』(帚木蓬生、二〇〇四年、新潮選書))

 念願叶い青雲の志を抱いて大学の門をくぐった諸嬢諸君、御入学おめでとう。
 電子書籍を入学祝いとして貰った人もいるでしょう。私は学生時代から山が好きで、時には何日も山中で過ごしていました。今の若い人が同じ状況で数冊読める手軽さを正直、羨ましいと思わないこともありません。山に持って行くのをどれにしようかとかつて悩んだからです。乱読、熟読、味読、そして「とりあえず積んどく(読)」も、良書に巡りあうまでに必要で、大事な体験ですし、特別な場所で読む本は、意外に永く記憶に留まるものです。
 ところがこのような便利な道具が増えた一方で、紙の書籍の売り上げは近年芳しくなく、町の本屋さんは苦戦しています。出版業会の年商はおよそ三兆円ほど、パチンコ産業はその十倍、約三〇兆円も稼いでいます。パチンコ産業と国民医療費がほぼ同規模というのも、あなたにとっては衝撃ではありませんか?
 このことを私に教えてくれたのは、福岡は小郡の出身、作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏です。精神科の医師でもある彼のライフワークの一つは、『ギャンブル依存とたたかう』ことで、有名な本の題名になっていますが、願わくばこちらの本、そしてギャンブル依存そのものとは無縁の学生生活であって欲しいです。私もパチンコはやりました。しかし、ある日虚しさを感じて止めたのです。パチンコ屋へ足が向かう時はたいてい気持ちが「逃げ」、つまり現実逃避の方向へ向いている時に他ならないと気づいたことがきっかけでした。やっている時は愉しいのに、金が底をついてふと気がつくと必ず「時間を無駄にした」、そんな苦い思いが胸に込み上げてくるからでした。
 山に登ることは、逆に、登る時は苦しくてキツクてならないのに、その後の感動と爽快感はなかなか消えることはありません。同じ山でも登るたびに異なる経験が待っています。これは、学問にも稽古事にも言えることではないでしょうか。大切なものは、簡単には手に入らないものなのです。深山には人工の灯りが届かないので星空は冴えて美しく、吾亦紅(われもこう、『我も恋ふ』という字を勝手に思い浮かべていましたが)の野草は見飽きぬ可憐さを秘めて風に揺れていました。
 『天に星 地に花』は題名に惹かれてふと手を伸ばした本です。江戸時代に題材をとっていますが、現代という同時代の物語でもあります。この言葉は、或るオランダの名医からとある若者へと継がれていく命のかがり火です。そのいきさつについては、久留米藩井上村の霊鷲寺にまつわるこの物語を、じっくりとひもといて下さい。若い皆さんにはまだそれほどのことはないと思いますが、これからの人生においては、精一杯果たした己の義務や仕事について、心ない人からいわれのない非難を受けることも出てくるでしょう、はらわたが煮えくり返るほどの思いに直面することもあるでしょう。あなた個人に無理を強いるどうしようもない組織の中で、生き方を探らなくてはならないこともあるでしょう。この本は、そうした時に、きっと煌々とした道しるべとなってくれることと思います。
 
 久住の山々へ登った帰り道、大分からの高速道路を車で鳥栖方面に戻る途中に、山田SA(サービスエリア)というのがあります。そこを通過すると次はやがて井上SAという標識に変わります。この小説の舞台になった井上村はそのあたり一帯でした。「井上」は大学時代以来の悪友の名です。なので、やぁまだぁ~、いぃのうえぇ~、と心で呟きながら、バカをやった青春の日々、山に明け山に暮れ、山に救われた若い頃を思い出したりして、ここを走る時はいつもちょっといい気分になります。
 
 人生、多少、いやうんと嫌なことがあろうとも、「逃げ出すわけには、いきまっせん。前ば向いて生きていかんこつには。」(本書『天に星 地に花』より)

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岡村敬二『江戸の蔵書家たち』(講談社選書メチエ71)
山田洋嗣 (日本文学)
 昨年、江戸後期の和学者、小山田与清のことを調べていて大変面白かった。本当はここで与清の「擁書楼日記」をすすめたいのだが、いささか特殊にすぎるかと思いなおしてこの本にする。
 江戸時代になると書物の流通が広くさかんになり、出版も多くなって、自然大勢の読書家や蔵書家、また著作や出版に志す者、分類や目録を作る者、あるいは索引を編もうとする者が出てくる。岡村敬二のこの本はその人々の群像とそのなさんとしたところをいきいきと描き出してみごとである。また、それがこの時代の文化のうねりを描くことにもなっている。
 ことに面白いのは、冒頭の小山田与清とその蔵書に群がる人々の様子である。与清は蔵書のために蔵三つを建て、五万巻を収めたというが、彼らを動かすのは、すべての書物を集めたい、すべての書物を読みたい、すべてを分類したい、という静かな狂気である。そのために彼らは集いまた離れつつ、本を求め、購い、貸借を、輪読を、抜書を倦まずにくり返すのである。
 私は、実は小山田与清という人間をあまり好きになれないし、その著作が面白いとも思わない。「行為」が面白くて、「結果」が面白くないのは彼の特徴である。しかし、この様子を書くのに岡村が主な資料として使った「擁書楼日記」は、その様子が日々記録されていて、実に面白いのである。
 なお、こちらを読みたいと思う人がいるかもしれないから書いておくと、「擁書楼日記」は明治四十五年に出された『近世文芸叢書』の第十二巻に入っている。ただし、活字化するにあたっての間違いが所々にあるから注意しなければならない。気になる人は、早稲田大学図書館のウェブ・ページに与清自身の自筆本の写真版が公開されているから、それを見るといいと思う。

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言葉、人、自然
山中博心 (ドイツ文学)
 言葉を通して自分を発見することが人文学の目標であることは、「人」と「文」でできていることからも周知のことでしょう。勿論自分だけをどれだけ見つめても答えが出てくるものでもありません。自然の中の自分、他者との関係における自分、不在のものを介しての自分といったように様々な視点から自分が立っているのは何処なのか、何処に立ちたいのか、また立たされているのかを考えることは四年間の学びにとって不可欠と思います。
 その点で日本人が自然をどのように見ているかを知ることはグローバルな世界と言われる昨今、大きな意味があると考えます。二〇一七年四月に亡くなられた朝日新聞の「折々のうた」で有名な大岡信氏の『日本の詩歌』(岩波文庫)のなかの「叙景の歌」は日本人の感性の特質を知る大きな手がかりです。「外界の描写を内面の表現と一体化させようとしている」視覚や聴覚ではなく、「味覚はとりわけそうであるようですが、触覚、味覚、嗅覚いずれも、暗く、深く、不分明な性質において共通しています」、「主語を明確に発し、他者を明確に自分と区別し、主格たる自分の自己主張を断固として貫くという行き方は日本人の言語意識を誕生以来たえず養っている『日本語』という揺りかごにおいては、あまり明確な形では育たなかった」といった文は誰もが思い当たるところではないか思います。そうした曖昧さを否定する傾向にある現代の科学に対して『大岡信の世界』(『ユリイカ総特集』二〇一七年七月)の中で情報工学の大家西垣通氏は、個人的な大岡氏との付き合いの流れの中で、「詩のことば 機械のことば」という二人の対談において、2つのことばを分けるものが「意味」であり、機械のことばの意味は削ることで「貧弱になって行く」のに対し、詩のことばは「比喩の力でイメージをふくらませ」、「意味は多次元的に広がっていく」と説かれています。そのさい大岡氏の「隠喩は機械からすると不鮮明であるはずなのに、人間にとってはむしろ機械よりもずっと端的に、ある状況全体を多義的なままで捉えてしまう」ということばが引かれています。この全体を捉える力こそ、今求められているのではないでしょうか。
 そうした大岡氏の人間性は氏のお嬢さまの詩「おかえり わたしのいとし子」と息子さんの「弧心ナクシテうたげナシ」という文に余すところなく表されています。「父親の書棚に揺れるさざ波を潜ればいつも/意味と意思をつらぬいて広がっている豊穣」「まこととは 真の言の葉/まこととは いつわらぬこと/まこととは詩を生きること」「刻まれた一瞬と/一瞬に裏付けられ久遠に遊べ」という詩句、父親の「弧心」と「うたげ」という一見二項対立的に見える世界を捉え、「父にとって重要だったのは、境界線でなんらかの観念を分けて明確化することではなかった。むしろ、対立するかのようななにかが『相撃つ』時に産み出す『波がしら』こそが、『昂奮』の源だという思考」、と言うように父の論をまとめながらも、他人と「合わす」うたげに参入するには、「そもそも『弧心』を研ぎ澄まして創るべき何かを持ち合わせなければならない」と自戒を込めて語っておられます。熱き親子の絆。二十世紀のスイスの文芸批評家エミール・シュタイガーの文芸に対する姿勢が思い浮かびます。心を鷲掴みにされたものを頭で理解するのです。

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人から本をすすめられること―パール・バック―『大地』―
山根直生 (中国史)
 パール・バック『大地』 (初出一九三一~一九三五年。新居格氏訳の新潮文庫版は、一九五三年)

 「無人島に一冊だけ本を持ち込めるとしたら、何にする?」という問いかけがあります。孤独な生活を紛らせてくれそうな、くりかえし読んでも飽きない書物をあげていく話題であり、多くの作家や学者といった人々が自分のお気に入りを紹介しています。
 さて私ならどうするかと問われたら、たぶん何を持っていってもけっきょく読まないのではないか、と思います。本を読む理由というのはただその本自体が面白いとか為になるからとかばかりではなくて、読んだ感想を誰かと語りあいたい、ある人が読んだと言っていたから自分も読んで話をしたい、などの理由もあるはずです。私にとっては特にそうで、どんな難しげな本であれ尊敬する人から教えられれば、その人と討論したいがために努力して熟読するでしょう。誰とも話す機会のない離れ小島に流されたら、どれほど面白そうな本であっても目を通しはしないと思います。
 つまり私が一番熱心に読書するのは、自分の敬愛する誰かから本を教えてもらった時であり、今回紹介する『大地』も大学時代の恩師からすすめられた本の一冊です。読み進めて、自分が研究上学んできた中国に対するイメージにあまりにもぴったり合致していることに驚き、一九三〇年代に発表されたこの本のイメージに、むしろその後の中国史研究全体が規定されたのではないか、とさえ思いました。
 
 『大地』の舞台は、中国安徽省、十九世紀末から二十世紀の時期と思われます。思われる、というのは、ジャンルとしては歴史物に当たるこの物語ですが、歴史上の著名人や地名・事件名が登場せず、厳密にはいつ・どこの話かあえて分からぬよう書かれているからです。それどころか、主要人物の王一家以外には、ほとんど固有の名前さえ出てきません。物語は第一部の主人公、貧しいけれども勤勉な農民の王龍が、富豪の奴隷であった阿蘭を買い取り、妻にするところから始まります。
 平凡な農民の物語を興味深いものにしているのは、厳しく過酷な中国の環境と、それを乗りこえていく彼ら、特に阿蘭のバイタリティーです。旱魃の到来を予想して稲穂の軸を食料として保存したり、飢饉につけこんで彼らの土地を買いたたこうとする高利貸しとわたりあったり、いよいよ暮らしていけなくなって流民として都会に逃げ込んでからも、物乞いの仕方を子供達にたたきこんだりと、とにかく凄まじい女性です。旱魃が過ぎ去り、故郷にもどった王龍は前にもまして畑仕事に励み、一家はしだいに裕福になっていくのですが、阿蘭の働き有ってこその幸運であったのは間違いありません。
 私は今までにもこの本を知人や学生の何人かにすすめました。女性読者がそろって面白いと感じるのは、王龍をはじめとする男性主人公と、いずれも気丈な女性たちの間の、ベタベタしていない愛情をさらにドライに描ききった、筆者パール・バックの洞察力だそうです。死の床についた阿蘭と、王龍のやりとりの場面を以下に引用してみます。
…彼は、毎日、幾時間も阿蘭の病床に座っていた。阿蘭は弱っていたし、達者なときでも、あまり話をしない仲だったから、今はなお黙々としていた。その静寂の中で、阿蘭は自分がどこにいるのか忘れることがあったらしい。時々、子供のときのことなどをつぶやいた。王龍は、初めて、阿蘭の心の底を見たような気がした。それも、こんな短い言葉を通してのことだったが。
「はい、料理を持って行くのは、戸口までにします。わたしは、みにくいから、大旦那様の前へは出てはいけないのは、ぞんじています」
  (中略)
「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています-」
 王龍は聞くにしのびなかった。彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。彼女が言っていることは事実なのだ。自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、蓮華(注 王龍の美しい妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。それが不思議で悲しかった。この死にかかっている骨ばった手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。
 それだけに、王龍は、いっそう阿蘭に親切を尽くし、特別な食べ物や、白魚とキャベツの芯を煮た汁を買ってきたりした。おまけに、手のつくしようのない難病人を看護する心の苦しみをまぎらすために、蓮華のところに行っても、少しも愉快ではなかった-阿蘭のことが頭を離れないからだ。蓮華を抱いている手も、阿蘭を思うと、自然に離れるのだった。…
 筆者バックはアメリカ人宣教師の娘で、中国現地で前半生を過ごしたという女性です。それだけに、というべきか、作中の男女の恋愛感情に関してバックは一切の幻想を許しません。もちろん、登場する男女の間に愛情が見られない訳ではなく、先の王龍も、王龍の三男で第二部主人公である王虎や、王虎の長男で第三部主人公の王淵も、それぞれ女性に対して時に優しい気遣いを見せるのですが、そこに働く男性のエゴもバックはバッサリと描ききっているのです -これは、けっきょくのところ男である私には感知できなかった部分であり、人にすすめて初めて気づかされた本書の特徴だと言えるかも知れません。
 
 田畑を愛した王龍に反して、彼の子供たちはあっさりと土地を切り売りし始めます。それを資金に軍人としての立身出世をねらう王虎が第二部の主人公、そして王虎から軍人教育を施されながらも、むしろ祖父に似て農業の近代化を志す王淵が第三部の主人公です。
 私にこの本をすすめた恩師はいつも第一部を引いて中国農村の姿を話してくれたのですが、中国の軍事史や軍閥を専門としている私には、軍記物のような第二部も非常に興味深く読めました。ある県の警備隊長となった王虎はそこの政治や裁判までのっとり、名産であるという酒に税金を課して、となりの県へと勢力をのばします。ちなみに彼は母に似てすらっとしたりりしい男性だと描いてあるのですが、このことからすれば阿蘭もそんなに不美人だったとは思えません。
 『大地』を読み切った私はさっそく恩師に感想を話しました。そうして敬愛する人とより多くの会話を交わすこと自体が、私にとっての読書の楽しみだとも言えるでしょう。中国の軍閥の様子として第二部には非常にリアリティがありました、と私が話すと、恩師はちょっと意外そうな様子で、後日送ってくれた手紙には「そういえば第二部は軍閥のことなのだと初めて気づきました」とありました。
 私がバックの男女関係の描写に気づかなかったのと同じように、恩師にとってもそのような見方は今までなかったのかも知れません。こうした発見があることもまた、独りだけでする読書にはない、他者との交流のための読書が持っている意味だと思います。
 
 大学に入ってからの皆さんが書物に興味を持てなかったとしたら、一度このような、他者と話すことを前提にした読書の仕方を試みてみることをすすめます。別に、『大地』を読まなくても構いません。話を聞いてみたいと思う先生や先輩のすすめる本(または、彼らの書いた本)を読み、その感想を彼らとの話題にしてみてください。あるいは、逆にこう言い換えることもできるでしょう-そうした本でも読まなければ大学で実りある交流はできないし、尊敬できる何者かの存在に気づくこともないのだ、と。皆さんそれぞれにとって、大学時代の思い出深い書物が増えることを願います。

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Novis 2018
― 新入生のための人文学案内 ―

印 刷 平成30年3月28日
発 行 平成30年4月1日
発行者 福岡大学人文学部
印刷所 城島印刷株式会社