福岡大学人文学部
WEBSITE

Novis 2022

Novis 2022 目次

Novis 2022 本文

新しい人たちに
関口浩喜(人文学部長)
 この冊子の題名であるNovisという言葉は、多くの人にとって初めて目にする言葉だと思います。Novisは、ラテン語で「新しい人たちに」、「新しい人たちのために」という意味です。このNovisは、人文学部の教員がとっておきの書物の話を中心に、「新しい人たち」である皆さん方に向けて人文学の楽しさを語る冊子なのです。どのページからでもよいので、とにかく読んでみてください。きっと気に入る、そして気になる文章に出会えるはずです。
 この冊子に掲載されている文章は、そのまま人文学という学問の豊かさ、多様さ、広がり、奥深さを示しています。皆さん方がこれから学ぶ人文学の魅力を、まずはこの冊子から体験してください。

目次に戻る

違った視点から見てみよう
安藤純子(日韓・日朝関係)
 私は日韓・日朝関係の政治や外交について研究をしていますが、政治や外交と聞くと、皆さんはどんな印象を持つでしょうか。日本では「若者は政治に興味がない」とか「投票率が低い」などと言われています。政治や外交に「興味がない」という人に聞いてみると、「自分の生活にあまり関係している感じがしない」とか「外交となると、複雑でややこしそう」という意見が多いようです。確かに、日韓・日朝関係が悪化しても自分の生活が劇的に変化するようなことはありませんし、ましてや外交となると、「政治家たちが何か交渉したりしているみたいだけど、何がどうなったのかよく分からない」という印象を持つかもしれません。
 でも、そんな政治や外交も、ニュースが伝えるような「真面目な」場面だけではなく、違った視点から見てみると、面白い発見があるかもしれません。そこで、内情をうかがい知ることが難しい北朝鮮と外交について違った視点から見ている本を紹介したいと思います。
 北朝鮮と聞いて、ほとんどの人は「核、ミサイル、拉致問題」が真っ先に思い浮かぶと思います。その他には、指導者による独裁体制であるといったところではないでしょうか。当たり前ですが、北朝鮮にも歴史や文化があり、他の国と外交をし、人々は社会生活を送っています。
 一般的に、ある国のことを知りたければ、本や映像を見たり、直接その国に行って自由に見て回ったりすることで、その国の実情をある程度は知ることができます。また、その国がどのような政策をとろうとしているのかは、指導者の発言や実際に実施されている政策を見れば分かります。でも、北朝鮮の場合は本や映像も限られていますし、旅行に行けたとしても国内を自由に見て回ることはできず、指導者の発言や実際に行われている政策もほんの一部しか伝えられないため、その内情を知ることが難しいのが実情です。
 そんな北朝鮮を「切手」を通じて見てみようというのが、内藤陽介『北朝鮮事典 切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』(竹内書店新社、二○○一)です。著者は「切手が国家によって発行されるものである以上、政府が切手を通じて、自己の正統性や政策、イデオロギーなどを表現しようとするのは極めて自然なことである」とし、北朝鮮が発行してきた切手から、北朝鮮指導者の考えや政策を分析しています。
 例えば、日本に関係する切手について見てみると、一九七一年一一月に「国際的な革命勢力との団結」を訴える切手が発行され、そのうちの一枚で、アメリカ軍国主義とともに打倒すべき対象として「日本軍国主義」が取り上げられています。切手の絵柄には、筆者曰く「どことなく、当時の日本の首相・佐藤栄作に似ている」軍服姿の人物が大きなトンカチで殴られそうになっている絵が描かれています。この切手を通しても、当時の日本に対する北朝鮮の考えが分かります。
 政治や外交に関するものだけではなく、一九六一年には朝鮮人参が描かれた切手が発行されています。これについて筆者は「一九六○年代に入り、ソ連・東欧諸国からの援助が減少していった穴を埋めるため、外貨獲得の重要な輸出品である朝鮮人参を、切手を通じて、広く諸外国にも周知するための措置であったと考えられる」と分析しています。他にも人、地名、植物、動物など多種多様な切手が取り上げられています。
 本のタイトルに「事典」とあるように、一つ一つの項目が短めの文章で説明されているので、自分が関心を持った項目のみを調べることができるのも、この本の良い所です。
 次に、外交と聞いたらどんな場面を思い浮かべるでしょうか。おそらく、各国の指導者であったり、外交官や担当者たちが顔を突き合わせて話をしていたり、どんな交渉が行われたのかを淡々と説明している人の姿ではないでしょうか。
 このような光景は、楽しさや面白さからは無縁の場に見えがちですが、ちょっと目線を変えて「ワインと料理」から見てみたらどうなるだろうか?そんな視点から外交を読み解いているのが、西川恵『ワインと外交』(新潮新書、二○○七)、『饗宴外交―ワインと料理で世界はまわる―』(世界文化社、二○一二)です。
 首脳会談であったり、指導者が国賓として招かれた場合、首脳同士が食事を共にしたり、公式の晩餐会が開かれたりします。そこで出される食事のメニューとワインやシャンパンを見ると、筆者曰く「表向きの言葉よりも雄弁に『本当の外交関係』を物語る」とのこと。
 食事は、もてなす側が自国の伝統的な料理だったり、相手国の食材を盛り込んだりといった工夫を凝らす一方で、例えば二○○五年、歴史問題で関係が悪化し始めていた日韓間では、首脳会談がソウルで行われた時、当時の盧武鉉大統領は共同記者発表の後、「今日の夕食は軽めにする考えです」と述べたそうです。これについて筆者は「両国関係がトゲトゲしいとき、『夕食は軽めにする』という言葉は軽口で済まない。それは『あなたを歓迎しません』『もてなすレベルを下げます』という意味にとられかねない」と指摘しています、実際、この時の食事は、決して「ぞんざいな内容」ではなかったものの、前回の首脳会談時の食事とは異なり、品数が減り、韓定食と言われる宮廷料理はでなかったそうです。
 このことを前提に考えてみると、日韓関係が冷え切り、三年ぶりに開かれた二○一五年一二月の日韓首脳会談時のことが思い出されます。この時、訪韓した安倍首相一行に対し、朴槿恵大統領の韓国側からは食事の提供はなく、首相一行は自分たちだけでソウル市内の食堂で食事をしました。これは、韓国政府が日本に対して反発していた当時の国内世論に配慮したという面もありますが、韓国政府の日本側に対する「歓迎しない」気持ちが表れていると読み取ることができます。韓国は食を非常に大事にし、お客様を呼んだ時には食べきれないくらいの量でもてなしますので、そのような国が食事を提供しないというのはよほどのことだと言えます。
 著者によると、そんな食事よりも更に「雄弁に『本物の外交』を物語る」のは、ワインとシャンパンだそうです。ワインやシャンパンには「格付け」があり、どの格付けのワインやシャンパンが提供されるかで、相手国や会談相手をどのような「ランク」で見ているのかが分かると言います。
 例えばワインの国フランスで、一九九五年から二○○七年まで大統領を務めたシラク大統領は日本文化に造詣が深いことでも知られていました。そのシラク大統領は、日本の首相何人かと首脳会談を行っていますが、一九九九年に訪仏した小渕首相には、生産量が極めて少ない極上白ワイン、内容的には最高の第一級の実力をもつ赤ワイン、エリゼ宮(フランス大統領府)がここぞと言う時にしか出さないシャンパンが出され、料理も含めて国賓の晩餐会に匹敵する極めて高いもてなしが行われたそうです。ここから筆者は「小渕首相に対する評価があった」と見ています。
 翌二○○○年に訪仏した森首相には、ワインはいずれも二番手の高いレベルのものが出された他、メニューには載っていなかった薩摩焼酎「森伊蔵」が出されています。これは森首相が森伊蔵を好んでいるという情報をフランス大使館がつかみ、滅多に手に入らない一本を取り寄せたそうです。
 また、二○○一年に訪仏した小泉首相には、ワインのうち、白ワインは第四級のものでしたが、赤ワインは特別第一級で生産量が少ないものが出されました。これは、森首相同様、小泉首相がそのワインが好きなことを知り、わざわざ選ばれたということです。また、この時には日本酒も出され、日本酒好きのシラク大統領はワインよりも日本酒を飲んでいたそうです。
 三者三様の格付けがされていますが、それ以上に筆者は「自国産品への自負心が強いフランスの大統領が、自分が好きとはいえ、焼酎や日本酒といった外国の飲み物を出す」という「心遣いは、外交儀礼上、稀有なことと言わざるを得ない」と指摘しており、シラク大統領が日本を歓迎していたことが分かります。
 「外交上失礼にあたるから、露骨に格付けが下の物は出さないのでは?」と思う人もいるかもしれません。しかし、こんな例があります。シラク大統領の前に大統領を務めたミッテラン大統領は、米国のブッシュ大統領が一九九二年の大統領選で敗北した後にフランスを訪問した際、最上級の第一特別級Aのワインでもてなしていますが、一九九四年に訪仏したクリントン大統領には、格付けなしのワインを出しています。当時のクリントン大統領は四○代後半と世界の指導者の中では若く、七○代後半のミッテラン大統領からすると「若造」がどんな手腕を発揮するのか、様子見のために敢えて格付けなしの物を出したのではないかと推測することができます。ちなみに、日本の皇室は、訪日した国賓に対し、国の大小や日本の国益にとって重要かどうかは一切関係なく、「誰にも平等に、最高のもの」でもてなすそうです。
 「外交」というと少し堅い印象がありますが、本書のように違った角度から見てみると、面白さも感じられるのではないでしょうか。
 私が福岡大学に採用された際の歓迎会でどのような料理が出され、どのようなお酒が提供されたのかを知りたい方は、ぜひ、私の研究室に来てください。

目次に戻る

「身近なもの」から考えよう
磯田則彦(人口研究)
 佐光紀子著(二〇一七年)『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』光文社新書

 「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす?いったい何のことだろう?本のタイトルを見て、そのように考えた方が多いのではないでしょうか。でも、この「家事」が日本社会の特徴や文化的背景をいろいろと物語ってくれます。
 著者は、翻訳家であり家事や掃除術の専門家でもある方で、多数の事例を集め国際比較を行うことで家事や日本社会について広く考察しています。私は人口研究が専門なので、同著の第一部により多くの視線を注ぐことになりましたが、著者と同年代の者としてさまざまなことを考えさせられました。若い皆さんは、この本を読んで、どこに注目し、何を考えますか?
 人文学部で学ぶ領域は多岐にわたります。いろいろな領域の人文・社会科学に触れる過程で、これから皆さんには「身近なもの」から多くのことを学ぶ機会があると思われます。たとえば、家事もその一つなのかもしれません。ぜひ、「身近なもの」にも関心を寄せて、さまざまな視点から考えてください。

目次に戻る

美術・イタリア・歴史
浦上雅司(西洋美術史)
 E・H・ゴンブリッチ 『美術の物語』(ファイドン社)
 辻 惟雄 『日本美術の歴史』(東京大学出版会)
 J・ホール 『西洋美術解読事典』(河出書房新社)

 ファビオ・ランベッリ 『イタリア的   南の魅力』(講談社新書メチエ)
 F・グラッセッリ 『イタリア人と日本人、どっちがバカか』 (文春新書)
 池上俊一 『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)

 E・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』(上下)(中公文庫)

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
 私の専門は、西洋美術史ですから、学生の皆さんに、できるだけ直接、美術作品に触れてもらいたいと、いつも思っています。美術作品を扱ったテレビ番組(『新日曜美術館』『美の巨人たち』など)を見たり、スライドで作品を見ながら講義を受けたりするのもよいことですが、美術館や博物館で作品そのものに触れるのがとても大事だと確信しているのです。
 スライドやテレビ画面による美術鑑賞には、居心地の良い室内にいて、寛いだ気分で、細部をジックリ眺めることができるというメリットはありますが、やはり本物の持つ「迫力」(これを哲学者のヴァルター・ベンヤミンは「アウラ」〔日本語では「オーラ」と言われる〕と呼んでいます)は伝わってきません。皆さんにも分かりやすい例をあげれば、車やバイクの本物と、カタログ写真の違いと言えばよいでしょうか。カタログやテレビの自動車番組を見ても面白いでしょうが、本物に触れて、できれば運転してみなくては本当の特徴はわからないでしょう。美術の授業やテレビ番組も興味深いでしょうが、やはり作品の実物と対峙していろいろ考えるのとでは、受け取るインパクトが違います。
 そんなわけで、皆さんにはできるだけ、美術館などで実物、しかも可能であれば多くの人たちが優れた作品と認めている美術作品に触れてもらいたいと思うのですが、共通教育科目の「芸術」を受講する学生諸君に尋ねても、美術館に行ったことがない、と答える人が多いのは、とても残念なことです。
 幸い、福岡には多くの美術館があります。福岡市美術館、福岡市博物館、福岡県立美術館、そして福岡アジア美術館など身近にあって、常設展なら数百円で入場できますし、ちょっと足を伸ばせば、久留米の石橋美術館や、太宰府の九州国立博物館があります(ちなみに、福岡大学は九州国立博物館のキャンパス・メンバーズとなっており、皆さんは、学生証を提示すれば、この博物館の常設展はタダで観覧できます。特別展も割引になりますから、ぜひ、利用して下さい)。
 美術史の教師としては、新入生の皆さんには、大学時代できるだけ多くの美術館・博物館を訪れ、美術について知見を深めてもらいたいと思うわけですが、先ほどの例に戻って、車の性能を知るには、あらかじめカタログを読んでいろいろ比較してから試乗に出かけるに越したことはありません。同様に、美術館や展覧会に行くにしても事前にある程度の知識を持っていれば、よりよく楽しめます。
 ピカソ展とかゴッホ展のように、個別の作家を扱った展覧会であれば、大学図書館にある「小学館世界美術全集」の該当巻などで予習するのが良いでしょう。しかしながら、美術の全体的な流れを大きく把握しておくのも、美術館訪問をより有意義にする役に立ちます。ゴンブリッチ著『美術の物語』は西洋美術の全史として定評のある著作で、読み物としても優れており、「美術とは何か」考えるきっかけを与えてくれます(最近出たバイブルサイズの普及版は二千円ほどで買えますし、ベッドとか電車とかどこでも読めます)。日本美術史であれば辻惟雄さんの『日本美術の歴史』が、最近の定番です。
 日本の美術館に行くと仏像や絵巻物、浮世絵などがたくさんあります。これらは仏教や日本の神話、歴史に取材した作品です。仏像をよりよく味わおうとすれば、釈迦如来と薬師如来はどう違うか、などある程度の知識はどうしても必要です。こうした知識は、もちろん、作品を一生懸命見ても自然に獲得されるものではなく、自分で調べて見なくてはなりません。西洋美術についても同様で、キリスト教やギリシア・ローマ神話、各国の歴史をテーマにした作品をよりよく味わうには、その内容について多少は知っておく必要がありますが、その手助けをしてくれるのがホールの『西洋美術解読事典』です。「天使」とか「聖母マリア」「クレオパトラ」など、誰もが聞いたことのある事項について、基本的な知識を与えてくれるだけでなく、主要な作品も紹介しており、拾い読みしても面白い本です。
 ***********************************
 ところで、わたしはイタリア美術を専門に勉強しているので、イタリアという国の社会や文化一般についてもできるだけ幅広い知識を持ちたいものだと思っています。しばらく前まで日本でイタリアと言えば「美術」や「食事」「音楽(オペラ)」あるいは「犯罪組織(マフィア)」などが想起されるだけの国でした(日本=「フジヤマ、芸者、キモノ、ヤクザ」式の発想では、イタリア=「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」などと言われたりしました)。
 しかし、情報化社会が進み、ヨーロッパも身近になった(今ではローマの観光地に行くと、日本の高校生の修学旅行生を見かけるようになりました。大学の卒業旅行でフランスやイタリア、イギリスに行くのはごく普通の出来事です)こともあり、イタリアについても、より実態に即した社会の状況や文化の様々な様子が知られるようになってきました(NHKにはイタリア語講座もあります)。
 そんなわけで、この冊子でも時々、イタリア関係の書籍や映画も紹介しています。今回ご紹介するランベッリの『イタリア的   南の魅力』は宗教から政治、現代文化の諸相におよぶイタリアの多様性を概説した著作です。これを理論編とすれば、グラッセッリの『イタリア人と日本人、どちらがバカか』はイタリアで具体的にありそうな実例を紹介しながら現代イタリア社会の複雑さを教えてくれるイタリア文化論の実践編と言えるでしょう。どちらも日本のことをよく知るイタリア人の著作です。三冊目、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』は中世史、ルネサンス史の専門家がイタリア各地のパスタ(スパゲッティだけではありません!)を紹介しながら、それに関連づけてイタリアの歴史を教えてくれます。この本を読んだ皆さんには、スパゲッティだけでなく、ペンネやトルテッリーニ、さらにはニョッキやポレンタも味わってもらいたいですね。
 ****************************
 最後にあげたゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)は、ウィーンでユダヤ系の家庭に生まれたこの美術史学者が二五歳の時(一九三五年)に書いた本が五〇年後に改訂され、新しい後書きを付け加えて出版されたものです。
 この間、ゴンブリッチの故国オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ゴンブリッチ自身は英国に移住、戦時中はドイツ語放送モニターとして対独戦に協力し、戦後はロンドン大学のウォーバーグ研究所で長く美術史の研究に携わりました(二〇〇一年没)。
 この「概説書」は訳文もこなれ通読しても面白いのですが、本当の価値は、訳者の中山典夫さんも言うように、「五〇年後の後書き」にあります。第二次大戦から戦後の冷戦、そしてソヴィエト連邦の崩壊と、半世紀の間に世界の歴史は大きく変わりました。その歴史を肌身に体験し、生きてきた歴史家の証言は貴重です。最初に出た邦訳は非常に高価で残念でしたが、文庫本で簡単に手に入るようになりました。これは大変にありがたいことです。
 皆さんは大学に入ったばかりで五〇年後の自分など想像も出来ないかも知れません。でもあなた方にもやがて訪れる未来ですし、「温故知新」は人文学の基本です。皆さんも大学にいる間に、ゼヒ、過去の人々の証言から多くを学んでください。

目次に戻る

『初恋』――お薦めの小説二編
遠藤文彦(フランス文学)
 世に「初恋」という名の作品はあまたある。ついぞ日の目を見ることなく、商品として流通することがなかった作品、誰しも一度は書いてみようかと思いながら、思いつきにとどまったか、けっきょく書き終えられることのなかった、作品とも呼べない作品はここに含めない――そんなものまで含めれば、実体験の初恋の数に劣らない文字通り無数の「初恋」があるはずだから。もとより「作品」といっていまここで取り上げようと思うのは小説作品だが、詩や歌、演劇、映画、漫画、テレビドラマも入れたらどれだけの数に上るだろう。絵画や写真など、言葉を介さず、文字通りには物語的展開を持たない媒体にだって該当するものがたくさんあるだろう。
ツルゲーネフ『初恋』(一八六〇年)光文社古典新訳文庫
 そんな中、多くの人が(少なくとも私もその一人である或る世代の日本人の多くが)「初恋」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、なんといってもロシアの作家ツルゲーネフの小説『初恋』であろう。
 すぐれた小説は、それを読んだ時期や年齢に応じて意味を変える。この小説は、まちがいなくそのようなすぐれた小説のひとつである。十代の少年少女や二十代の青年が読む『初恋』と、還暦を迎える男女が読む『初恋』は同じものではない(男が読むそれと女が読むそれも同一物ではない)。ひとつのすぐれた作品の意味を味わいつくすには、時を経て繰り返し読む必要がある。皆さんがいま読む『初恋』はいましか存在しないのだから、この機を逸したら永遠にそれに出会うことができなくなる。純愛の人とも魔性の女ともつかない小説のヒロイン、流行の言い方で言えばファム・ファタルであるジナイーダにいま出会い、四十年後に再会するという喜びを失わないでほしい。主人公ウラジーミル青年は、物語の最後で、それに似た機会が手の届くところありながら、みすみすそれを永遠に失ってしまったことを死ぬほど後悔するのである。
中原みすず『初恋』(二〇〇二年)リトルモア
 ツルゲーネフのそれとは逆に、私の世代の日本人は大多数がそんな作品があることさえ知らないと言うだろうが、皆さんの世代なら、中には読んだことがある人もいるかもしれないのが、中原みすずの小説『初恋』である。二〇〇六年に宮崎あおい主演で映画化されているので、ビデオレンタル店で借りて観て、原作を読んだことがあるかもしれないからだ。これがツルゲーネフの作品と同じくらいすぐれた小説であるかどうかは読んでみて判断してもらいたい。見たところ荒唐無稽な筋立ての小説だが、読んでみれば、若い世代の皆さんよりも、たぶん私の世代の男女の方がじんとくる作品である。実際、考えてみれば「初恋」とは往々にしてノスタルジックなテーマであって、それをいままさに生きているか求めている最中の若い人には訴えかけるところが案外少ないかもしれない(その点ツルゲーネフの『初恋』がすぐれているのは、それが決してノスタルジックな小説ではないからだと私は見ている)。そういうわけで、中原みすずの『初恋』を薦めたいのは、じつは学生諸君にというより、どちらかというと中年から初老にかけての教職員の皆さんに……なのである。
 ときに、戦後の昭和まっただなか、六〇年代(西暦の)後半の東京、とくに新宿を舞台とするこの小説の「実写版」は、もはや当時の姿をほとんどとどめない現地ではなく、いまだ昭和の匂いが漂うわれらが北九州(小倉京町界隈や旦過市場など)をおもなロケ地としている。昭和の匂いといえば、ただでさえ再開発で小ぎれいになってしまった福岡(とくに中心部)では、小汚い昭和をしのばせるものは風前の灯火、天神ビックバンなる再々開発で数年後にはいよいよなんにもなくなってしまうだろう。ノスタルジーには無縁の学生諸君は、昭和の匂いなど頼まれても嗅ぎたくなんかないだろうが、レトロと言い換えればおしゃれで少しは興味が湧くかもしれない。福岡ならビルの間をかき分けないと見つからないが、そんなちまちましたことをするのが面倒なら、映画のロケハン気分で北九州に行こう。そこには町の真ん中に昭和がまだまだドカンと残っている。いまどき福岡でも食せる北九グルメも、地元でいただく味は格別だ!

目次に戻る

英語教師を志す皆さんへ
大津敦史(英語教育学)
 大津由紀雄 編著『危機に立つ日本の英語教育』(慶應義塾大学出版会 二〇〇九年)
 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!これから四年後、社会人としての人生をほぼ決定すると思われる大切なこの四年間、どうか無駄にせず、完全燃焼させてください。もちろん燃え尽きてしまってはいけませんので、自律と自己管理にもしっかり心がけて下さい。
 さて、皆さんの中には、卒業後、英語教師になりたいと思っていらっしゃる方も少なくないでしょう。毎年、英語学科のみならずドイツ語学科やフランス語学科からも教職希望者がたくさんいますので、今回はそのような方たちのために、右記の本を選んでみました。
 まず、編著者である大津由紀雄氏ですが、慶應義塾大学言語文化研究所の教授で、専門は言語の認知科学です。「認知科学って何?」と思われる方は、ぜひインターネットを利用して調べてみてください。最近では、大津氏は日本の英語教育、特に小学校での英語教育の是非について様々な提言をされています。私と同じ姓ですが、残念ながら親類関係ではございません。
 この本の著者には、大津氏以外に、日本を代表する12名の研究者が名前を連ねています。元々この本は、二〇〇八年九月一五日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された公開シンポジウム「「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を超えて」および同年十二月二一日に同大学日吉キャンパスで開催された言語・英語教育講演会「言語リテラシー教育のポリティクス」がもとになっています。二〇〇八年は、二〇〇二年と二〇〇三年にそれぞれ文部科学省によって策定された「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」の目標達成年度に当たります。この「構想」や「行動計画」がこれまで学校英語教育に与えてきた影響は測り知れません。しかしながら、「英語が使える人材」を希求する経済界(財界)主導のこのような語学行政は、教育現場に無理難題を押し付けた結果、その教育現場はろうこんぱいし、英語教育の質の低下を引き起こしています。
 このような時期に、今一度日本の英語教育、学校英語教育の現状と課題とその解決策を整理・模索してみることは非常に有効だと思います。そのような反省を通して、これから英語教師を目指す皆さんの時代(次代)には、もっと豊かで心地よい教育環境が整備されることを祈って止みません。

目次に戻る

先人を知ろう
甲斐勝二(中国学)
  勝海舟《海舟語録》江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫
 勝海舟、世界でも希有な江戸という大都市を無血に明け渡した立役者。西郷隆盛を友とし、坂本龍馬を門下に置く。篤姫とも仲が良く、姉と偽って江戸を歩き回った事もある。江戸開城の折には混乱を防ぐため、渡世人の世界にまで自ら赴き頼み回る気配りを語る。良く世界を見ている。明治31年まで生きて、伊藤博文の政策への批判も多くある。
 岩波文庫に《海舟座談》があるが、講談社学術文庫の方が注もちゃんとしていて、勝の発言録としては信用できそうだ。
 この本をおもしろいと思うのは、勝の人情の機微に渡る観察や、人物批評の痛快さ鋭さ、また社会や人への気配りから、かつてあった日本の政治家の姿やその手法を知ることができると共に(善し悪し置くとしてこれはつい最近の政治家まで続いている)、「機」を見るといった個人ではどうにもならない社会の動きへの視点もまた示されているところだ。
 内容は読んでいただくとして、中国学を専攻する紹介者にとって、「ふむふむ」と思う文を二つ紹介する。まずは日清戦争後の李鴻章の態度についての発言。
李鴻章の今度の処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか少しもその結果がわからないのには、大いに驚いていますよ。大馬鹿でなければ、大変、上手なのでせう。これまでの長い経験では、大抵、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです(十五頁)
 次に「支那(ママ)人」についての発言。 
ナニ、支那が外国人に取られるというのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも御覧なナ、実権は、みな支那人が持っているジャアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも、南京米でも、みな支那人から貰っているジャアないか。それで支那人は野蛮だと言うやつがあるカエ。ナニが、文明ダエ(一五八頁)
 勝は西洋列強の植民地化に対してアジアの諸国が連合し、日本は海軍で海を守る役割も考えたこともあるようだ。征韓論も馬鹿な話だと片付ける。勝の考えた方向で日本が動けば、あるいは今とは違っていたかも知れない。どうしてあんな方向に進んでしまったのだろう。

目次に戻る

江戸時代を見なおそう
梶原良則(日本史)
 新入生の皆さんは、江戸時代についてどのようなイメージを持っておられるでしょうか。近年の歴史学研究は、江戸時代の通説的イメージに修正を迫りつつあります。ここでは、新入生にも読みやすい代表的な本を紹介しましょう。
① 磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書、二〇〇三年)は、江戸時代の中下級武士の生活を家計簿から復元し、従来の武士のイメージを一新させました。
② 高木侃『三くだり半   江戸の離婚と女性たち』(平凡社ライブラリー、一九九九年)・
『三くだり半と縁切寺   江戸の離婚を読みなおす』(講談社現代新書、一九九二年)は、夫が妻を一方的に離縁できるという夫優位の夫婦関係の通念をくつがえしました。
③ 宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書、二〇〇六年)は、一五四三年種子島に漂着したポルトガル人によって鉄砲が伝えられたという通説に疑問を呈しています。
 このほかにも、知的好奇心を刺激してくれる多くの本が皆さんを待っています。図書館を有効に活用しましょう。

目次に戻る

「よい子」ってどんな子?
勝山吉章(教育史)
 灰谷健次郎著『兎の目』(理論社)
 「よい子」ってどんな子?親や教師の言うことを素直に何でも聞く子どもは、確かによい子に違いない。では、親や教師の言うことを聞かない、親や教師の権威を認めない子どもは「悪い子」なのだろうか。いつも親や教師のご機嫌を伺い、「よい子」であり続けることに疲れた子どもは、もうよい子ではなくなるのだろうか。
 『兎の目』の主人公「鉄三」は、そのような問いを投げかける。
 偏差値教育、管理主義的教育に慣らされてきた者にとって、「鉄三」は落ちこぼれに映るだろう。しかし、人間本性に照らし合わせて考えた時、管理化された現代社会に馴染んでいる私たちこそが、大切な人間性を失っているとは言えないだろうか。
 本書を既に読んだ学生も多いと思うが、大学時代に再度読んでもらいたい書物である。

目次に戻る

視野を広げて考えてみよう
高妻紳二郎(教育行政学)
 最初から引いてしまう質問です。皆さんはなぜ大学に入学するのでしょうか?大学の目的とはいったいどのようなものでしょうか?少し難解ですが、教育基本法、学校教育法という法律にはこう書かれています。
 「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(教育基本法第七条)
 「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、
道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第八三条)
 つまり、大学に入った皆さんは、高い教養と深い専門的能力を身につけて、知的にも道徳的にも成長が期待されている、ということです。皆さんにはこれからどんな経験もできるという特権があります。そしてそれぞれの経験が皆さんを成長させてくれるでしょうが、グーッと引いて自己を客観視できる人、言い換えれば視野を広く持てる人になって欲しいと思います。ここに紹介するのは著者の二〇代の体験記ですが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)は今なお色褪せない内容で一気に読むことができる本(エッセイ)です。この本が出版される前、私は藤原氏の講演を聞く機会がありました。私が通っていた中学校での講演会です。内容は覚えていませんが「べらべらよくしゃべる人」という印象を覚えています。後でこの本を読み、「ああ、そういう話だったのか。」と合点がいきました。海外に行った時の興奮や不安感は誰でも感じるものですが、表面上の体験ではない自己変容のプロセスに臨場感があり、自身に置き換えて今読み返しても共感できる記述に多くぶつかるので、海外へ行ってみようと思っている皆さんには手にとって欲しい本のひとつです。エッセイですので読み飛ばすにはもってこいです。
 また、岩波新書のなかでも多く読まれている本のひとつ、池田潔『自由と規律』(岩波新書)をここで改めて推薦しようと思います。一九四九年が初版ですから還暦を迎えた本となりますね。イギリスのパブリック・スクールに学んだ著者の体験をもとに書かれた、これも今なお色褪せない内容です。今の日本の教育は「ゆとり教育」とか「確かな学力」、「生きる力」といったスローガンが先行して内実が伴わないことが目立ち、理念と現実が寄り添っていない状況にあります。「もっとも規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はイギリスの伝統です。いま、大学に入って多くの「自由」を手に入れた皆さんであるからこそ、じっくりと、いや、ちらっとでも「自由」の本質を考えてもらいたいと思います。

目次に戻る

外国語学習は小さな作品から挑戦
マーレン・ゴツィック(日独比較文化)
 母が日本語を習い始めた。週に一回フォルクスホッホシューレ(公立のカルチャースクール)に通い、べテランの日本人の先生にひらがなから教わっている。受講者は中学生、大学生、社会人、高齢者と幅広く、受講の背景も仕事で必要な人から親戚に日本人がいる人まで様々である。残念ながら最初十五人程いた同級生は半年で半分近くに減ってしまったそうだ。
 ちなみに、母は今年八十歳。受講者の中で最年長である。母は四半世紀の間、私に会いに六度日本を訪ねている。「アリガトウ」と「コンニチハ」以外話せない母もどうにか日本各地を旅行し、買い物もできた。それなのに、なぜ今になって勉強を始めたのかと少し驚いた。母曰く脳トレのためだそうだ。勉強開始以来、母は授業を一回も欠席せず、予習復習にもしっかり時間をかけているようだ。母には言わないが、次の来日で勉強の成果が出ることを楽しみにしている。
 昨年のクリスマス、そんな母に私は日本語の絵本をプレゼントした。『なまえのないねこ』(竹下文子(作)・町田尚子(絵)小峰書店、二〇一九年)という本だ。母も私も猫が大好きなのだ。母はとても喜んで、早速絵本を読みはじめた。しかし、期待したほどには進まず、結局、電話で一文一文確認することになった。子ども用絵本なのに、ヒントになる絵もあるのに、なぜ難しいのだろうか。
 母は日本語初心者であるから、当然まだ習っていない単語や言い回しばかりだ。絵本だけにくだけた表現も多い。知らない単語は辞書で調べればいいのだが、「おなか」「ひさしぶり」などが載っていないと母に言われる。当然そのようなことはなく、ひらがなを読み間違えただけであった。「お」と「あ」、「き」と「ち」と「さ」を混同していたのだ。また、助詞や助動詞が組み合わさると辞書で調べることも困難になってしまう。最終的には、よくよく考えると話の筋が通っていないのだが、独自の物語を作り上げてしまった。
 まったく漢字が出てこない絵本なので、ひらがながたくさん並べられていて、単語の区切りが分からないのも大きな問題だ。「ちいさかったんだけどね」という言葉は、日本語が話せる子どもにとってはごく自然に理解できるが、日本語を勉強し始めたばかりのものにとっては「ちいさ」だけで「ちいさい」を類推することすら難しかったようだ。もちろん、私も今でも苦労しているが、特に日本語を学び始めたころの苦労をすっかり忘れてしまったのは恥ずかしいことだ。ドイツ語を教える側である私にとっても、母語と全く違う語族の言葉を学ぶ難しさを再認識した。
 結局私の思惑と違い、絵本を母と一緒に読むことは、楽しくもあったが、大変な作業となってしまった。しかし絵本とはいえ、未知の外国語で一つの作品を最後まで読んだ母には大きな達成感があったそうだ。
 ドイツ語やフランス語を学び始める新入生も同じ難しさに直面する。授業では教科書を使い、段階的にレベルが上がるので、突然未知のテキストを読むような心配は要らない。しかし私は、十八歳でも八十歳でも関係なく、一つの作品にチャレンジして欲しい。絵本、短編小説、歌、興味を持っているものであれば何でもよい。「できた!」という達成感を得るために、最初は短いものを選ぶことを勧める。小さな達成感が新たなモチベーションに繋がり、言語上達の原動力となるだろう。私も日本語を学び始めたころの気持ちを忘れずに、学生のチャレンジを応援していきたい。

目次に戻る

都市を読む
堺雅志(オーストリア文学)
 パリ植物園付属動物園は、ルイ十三世の王立薬草園に由来する。ヨーロッパの権力者たちが新大陸の稀少で稀覯な動植物を蒐集し披歴する動植物園はすなわち、その頃興りつつあった大都市の象徴でもあった。しかしパリ動植物園はフランス革命を経た一七九五年、市民の手によって市民自らに開放されることとなる。
 それから百年以上過ぎた二十世紀初頭、オーストリア=ハンガリー二重帝国期のプラハ出身の放浪詩人ライナー・マリア・リルケが、檻に隔てられた囲いのなかで円環を描きながら歩みを刻む黒豹をじっと見つめていた。彫刻家オーギュスト・ロダンの秘書として、リルケがパリにしばらく身を寄せていたときのことである。このときの体験が、詩『豹』(一九〇三年、『ドイツ名詩選』、生野幸吉他編訳、岩波文庫所収)や『マルテの手記』(一九一〇年、望月市恵訳、岩波文庫)に結実する。どちらも大都市パリを素材にした文学である。
 オーストリアの伝記作家シュテファン・ツヴァイク『マリー・アントワネット』(高橋禎二、秋山英夫訳、岩波文庫)には、十八世紀のモードだったイギリス庭園をトリアノン宮に造営することに執心する主人公マリーの姿が詳細に描かれている。彼女は当時のもう一つの大都市ウィーンからパリへ移ったハプスブルク家の皇女だった。その後フランス革命に翻弄され、断頭台の露と消える運命が待っていようとは夢にも思わなかったことであろう。
 十九世紀半ば、ハプスブルク家に入るエリーザベトは、自然豊かなバイエルンで父親と猟に出かけ、魚釣りをたのしむ快活な少女だった。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフとの結婚のためウィーンに到着するや、広大なシェーンブルン宮殿に設えられた動物園を覗きにゆこうとするさまが、映画『シシー』三部作(エルンスト・マリシュカ監督、ロミー・シュナイダー主演、一九五五−五七年)に描かれる。
 自然豊かな土地には動植物はあたりまえに生息するが、自然を克服して開発された都市は、失われたものとの均衡をとろうと克服したはずの自然を今度は自らのうちに囲おうとする。
 思うに近代文学は、都市を舞台にした文学である。人間が自然に長い年月をかけて手を加えて切り開いた場の行きつく形態が都市である。旅行記では、旅の起点か終点にはかならず都市が前提として存在する。田舎を舞台にする文学であっても、それは都市のアンチテーゼとしての自然と人間の平和な共生が描かれるか、自然に打ち負かされる人間の無力が描かれるかのどちらかである。けれども前者は稀であって、後者がほとんどだろう。自然に対する人間の営々たる営みのありさまが文学には描きこまれている。
 文学の舞台となる土地をじっさいに訪ねてみて、風景の変貌のなかに在りし日の面影を辿るのも読書のたのしみのひとつである。まずは手はじめに、前田愛『文学の街 名作の舞台を歩く』(小学館)を片手に日本のまちを歩いてみるのはいかがだろう。そしていずれは海外のどこかのまちを、気に入った書物を携えて散策したいものである。

目次に戻る

プロカウンセラーの聞く技術
坂本憲治(臨床心理学)
 東山紘久(著)『プロカウンセラーの聞く技術』(創元社 二〇〇〇年)

 プロカウンセラーとは何でしょうか? 「臨床心理士」「公認心理師」という資格をもっている人。そう答える人もいるかもしれませんね。そのとおりです。でも資格の名称から何ができる人かまではわかりません。
 私の経験ですが、カウンセラーとして初対面の人にあいさつをすると「人のこころが読めるんですよね?」と聞かれることがあります。冗談交じりに「考えを見透かされていそうで怖いなぁ!」なんて言われることも。どうも世間のプロカウンセラーへのイメージは「心が読める人」のようです。

 この定番のやり取りに対して、私はいつも「人のこころなんてわかりません」とお答えします。そうすると、だいたいの人はぽかんとします。なので、「わからないから聞くんです。とにかくよく聞いて、理解したつもりにならない。それが仕事です」と付け加えます。

 皆さんは「赤」という単語を聞いて何をイメージしますか?
 あなたがイメージした赤と私がイメージした赤は、同じでしょうか。同じだとしたら、何を根拠に同じだと言えるでしょうか・・?

 プロカウンセラーとは、「簡単にわかったつもりにならない人」です。色の「濃さ」一つとっても、私とあなたでは違う可能性があります。鮮明な赤をイメージする人もいれば、くすんだ赤をイメージする人もいるでしょう。また、「赤」と聞いて「情熱的」と感じる人もいれば「愛」を想像する人もいるでしょう。「恨み」や「執念」の象徴と捉える人がいても不思議ではありません。「赤」にまつわるいい思い出がある人もいれば、苦々しい思い出がある人だっているわけです。
 私とあなたの「赤」は異なるのです。

 プロのカウンセラーはこのような「相手と認識が異なる」という前提をいつも忘れません。そして他人との違いに対して受容的です。少なくとも批判はせず、「その人らしさ」を理解しようと努めます。自分の価値観や考えをいったん横に置き、あたかも相手になったかのようにその人を理解しようとします。専門的にはこれを「共感的理解」と呼びます。

 東山紘久先生のご著書『プロカウンセラーの聞く技術』には、三十一項目に渡ってそのことが丁寧に書かれています。少し目次を紹介しましょう。「聞き上手」をイメージしやすい項目としては、「相手の話に興味をもつ」「聞き上手は話さない」「相づちを打つ」「自分のことは話さない」などの見出しが目に入ります。しかし、こっそりと上級編・応用編も入っています。例えば、「嘘はつかない・飾らない」「他人のことはできない」「相手の話は相手のこと」「説明しない」・・・・これらは一般向けの「聞く技術」としては、大変に難しい要求といえます。なぜでしょうか。

 あなたはこんな経験ありませんか。
 誰かの話を聞いていて、実はとても気休めを言えるような状況ではないのに相手を励まそうと善意から「大丈夫!」「あなたならできる!」と伝える。話を聞いているうちに「こうすればいいんじゃない」とアドバイスする。自分の助言を正確に伝えたくて、言葉や理屈を並べて説得にかかる。あるいは、話を聞きながら(いけないと思いつつ)イライラして「言い訳が多くない?」「あなたにも問題があるんじゃない?」と言ってしまう。

 日常生活ではどれもありがちなことですよね。しかも関係の近い人ほど。端的に言って、プロカウンセラーは、こういうことをしない人です。(いえ、プライベートではそういうことをしているはずですが)カウンセリング関係の中では、その技術を最大限活用しながらお仕事をします。ただ、その技術はお仕事の中でしか活用しません。カウンセラーも人間ですから、日常生活すべてに「聞く技術」を使っていると、くたびれ果ててしまいます。「聞く技術」は相当体力のいるテクニックなのです。

 『プロカウンセラーの聞く技術』、ぜひ手に取って読んでみてください。日常生活の中で「聞く技術」を有効活用したい人にお勧めしたい一冊です。人文学部を選び入学してきた皆さんであれば、心に響く一文を見つけることができるでしょう。

 ちなみに、誤解のないよう付記しておきますが、この本を読めばカウンセラーになれるわけではありません。また、プロカウンセラーは「受動的に聞くだけの人」ではありません。専門的な助言やアドバイス、問題解決をする技術もしっかり持ち合わせています。しかし、その技術を活用するのは、カウンセリング関係のみ。そして、十二分に相手のことを理解してから。まずは相手を理解することに注力する専門職なのです。

目次に戻る

学ぶことは、想像することだ
須藤圭(日本文学)
 大学で学ぶことは、どのような営みであり、何を目的とするものでしょうか。様々なこたえを想定できますが、わたしは、学ぶことは想像することだ、と考えます。人間だから想像することなんか当たり前、と思う人も多いかもしれません。でも、想像することは、本当に難しいことです。
 皆さんのこれまでの人生をふりかえってみてください。本当はそんな人間じゃないにもかかわらず、「真面目なんだから」「やればできるんだから」と決めつけられ、そのように生きていかなければならない、と窮屈に感じることはなかったでしょうか。「どうせできないんでしょ」とか「やっても無駄でしょ」などと言われた記憶もあるかもしれません。それに対して、「私の何がわかるんだよ!」とイライラしてしまうこともあったでしょうか。ここにあるのは、まさしく、他者に対する想像力の欠如に他なりません。
 E.L.カニグズバーグ『クローディアの秘密』(新版、岩波少年文庫、岩波書店、二〇〇〇年)に登場するキンケイド家の長女、十一歳のクローディアも、「一番上の長女だから」という理由で、たった一人で洗い物をしたり、片付けをしたりする、不公平な生活を強いられていました。そうした状況から脱出するため、クローディアは、これまでの「クローディア」ではなく、違った「クローディア」になろうと決意し、家出を決行します。

あたし、このクローディア・キンケイドは、うちに帰った時はちがったクローディアになっていたいの。
 長女として、優等生として生きることを求められつづけたクローディアもまた、想像力の欠如による被害者の一人だったわけです。
 他にも、
 「男なんだから」
 「女なんだから」
 「恋人に依存しがちだね」
 「恵まれた楽な人生を送っているよ」
こうした言葉で、他人のことを一方的に決めつけ、レッテルを貼る行為は、その人のことを全く想像しない愚かなふるまいだ、と言わざるを得ません。こうした愚かなふるまいは、姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』(文春文庫、文藝春秋、二〇二一年)でも描かれていました。この小説は、東京大学に入学した男子学生が、私立大学に通う女子学生を「彼女は頭が悪いから」と決めつけ、その理由だけで性的暴行する事件を主軸に、現代社会にひそむ性差別の存在をあばきたてた作品です。
 また、「あなたはこんな人間だ」と一方的に決めつける行為は、他人だけではなく、ときに、自分自身にも向けられます。まさきとしか『完璧な母親』(幻冬舎文庫、幻冬舎、二〇一六年)は、主人公の友高知可子が、完璧な母親であろうとする小説です。でも、完璧なものなんて、この世界には存在しません。完璧な母親を望みつづける限り、そこに、救いはないのです。

――お母さんは、いいお母さん?
頭のなかで響く聞き慣れた言葉。
いいお母さんでなければ、子供を守れない。いいお母さんでなければ、子供を幸せにできない。いいお母さんでなければ、子供を失ってしまう。
 完璧な母親とレッテルを貼ることで、自分という他者の心の声を聞くことなく、本来の姿から目を背けてしまうこともまた、想像力の欠如が招いた悲劇でした。
 このように、他者を想像することは、存外、非常に難しいことなのです。たとえば、わたしが専門にし、講義で扱う日本古典文学にも、現在の価値観と異なる世界が描かれていて、容易に理解することができません。紫式部『源氏物語』(十一世紀初め成立)に登場する光源氏は、何人もの女性たちと同時に恋愛をします。作者未詳『夜の寝覚』(十一世紀後半成立)に登場する中納言は、婚約者がいながら、結婚直前、別の女性と関係をもって妊娠させ、とんでもない事態を引き起こしてしまいます。光源氏や中納言の行いは、決して許されるものではありません。彼らは、たしかに、とてもひどい男です。でも、なぜ、彼らは、そのような行動をしたのでしょうか。彼らは、いったい、何を考えていたのでしょうか……。わたしたちは、光源氏でもなければ、中納言でもありません。そのわたしたちの価値観だけで、光源氏や中納言のことを想像することなく、「ひどい男だ」と一方的に決めつけ、判断することは、複雑な言語を使い、想像することを許された人間として生きることを拒絶する行為でもあるはずです。
 大学での学び、とりわけ、人文学部での学びは、文化、歴史、文学、外国語といった、自分とは異なる世界のことを学ぶ中で、他者に寄り添い、他者を想像し、自らの価値観を問いなおしていく営みです。そして、学ぶことの真の価値は、知識を身につけ、技術を磨き、資格を取得することよりも、この「想像すること」にこそあるはずです。これから先、皆さんが迎える大学生活は、長いようで短いものです。ぜひ、多くのことを学び、想像することで、価値のある時間を過ごしてほしいと願っています。

目次に戻る

イギリスについてもっと知りたくなったら
園田暁子(英文学)
 最近、マンションのエレベーターに「今日は何の日」かについての情報が流れるようになりました。一月十一日は鏡開きの日、二月三日は節分といった伝統行事や暦に関するものもあれば、一月二十三日は、「一(いい)二三(ふみ)」の語呂合わせで電子メールの日というものもあり、乗るたびにちょっと楽しみなのですが、中にはもっと面白いものもあります。例えば、一月二十二日は何の日だと思いますか?一八八七年、鹿鳴館に日本で最初の電灯が灯った日なのだそうです。
 これを見て、「なるほど」と思ったり、内容を覚えるだけでも知識は一つ増えます。小さな一歩です。でも、ここで、「鹿鳴館ってどんなところだったっけ?」、「日本で最初の電灯ということは、世界で最初の電灯はどこで灯ったんだろう?」という疑問が湧いたらしめたものです。そして、それについて自分で調べてみようと思ったらそれはさらに大きな一歩だといえます。
 それでは、調べてみようと思ったら何を使いますか?おそらくほとんどの人がスマホを取り出して検索することでしょう。そこには、世界中の人が発信する様々な情報があり、すぐに答を見つけることが出来るかもしれません。ウィキペディアは便利ですし、情熱を込めて自分の好きなことについて様々な情報をまとめたウェブサイトを作っている人もいます。
 でも、残念ながら、そこにあふれる情報はすべてが信頼できるものではない場合があるということも頭に置いておいてください。ウィキペディアを情報にたどり着く入り口として活用することは悪いことではありませんが、必ず他の複数の情報源を確認したり、出典が明示されている場合は、その元情報にもあたって確認するなど、鵜呑みにしないことが大切です。(くれぐれもウィキペディアの情報だけでレポートを書くなんてことが無いように!)
 では、信頼出来る情報にたどり着く方法にはどのようなものがあるでしょうか。それは、やはり図書館を活用することです。もちろん本に載っている情報がすべて正しいというわけではありませんし、一つのことに対して見解が分かれている事柄もあります。ただ、本を作るという作業には、多くの材料や費用、労力もかかるので、それらをかけるだけの価値のある情報に出会える確率はかなり高まります。いくつかの本を読むことで、ある物事の全体像も見えてきますし、異なる見解や情報をもとに自分の意見というものを持つことが出来るようになります。
 でも授業の合間に図書館に行くのが難しいこともありますね。実は、図書館に行かなかったとしても図書館は利用できます。福岡大学の図書館では利用できる数多くのデータベースもあり、その中には、リモートアクセスができるものもあるからです。ネットで電灯の歴史について検索していると、白熱灯を実用化したのは、スコットランド人のジェームズ・ボウマン・リンゼイ(James Bowmann Lindsay, 1799–1862)という情報が見つかりますが、もし、彼のようなUnited Kingdom(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによりなっている国、通称イギリス)の人について詳しく知りたいと思ったら、リモートアクセスを活用してOxford Dictionary of National Biography(DNBと略されます)を使ってみてください。これはイギリスの歴史に足跡を残した人たちの伝記をまとめたデータベースで、最初のものはヴィクトリア朝後期に編集が始まり、一九〇〇年に完成された歴史ある辞典です。
 大学では受け身ではなく、能動的に動かなければ何も得られないとよく言われますが、自分でもっと知りたいと思って調べてみる、こんな小さな能動的な行動の積み重ねは、四年後に大きな違いを生むことは間違いありません。人との出会いはもちろん、本や情報との出会いを通じて大きく成長してください。

目次に戻る

希望のために
辻部大介(フランス文学)
 「大学」および「文学」を棲息域とする者として、両者にまたがるがゆえに愛着をおぼえている文芸作品に、柘植文『野田ともうします。』(①〜⑦、講談社ワイドKC)、および、奥泉光『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』『黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』(文藝春秋/文春文庫)があります。前者は埼玉県に位置する架空の大学「平成東京大学」のロシア文学科に在籍する文学好きの女子学生を主人公とし、後者は千葉県に位置する架空の大学「たらちね国際大学」の文芸部を主要な舞台としています。両作品に共通するのは、学生同士のやくたいもない会話や彼らの日常を彩る些末な出来事を、冷めた目で見つつも深い愛情をこめて描いている点で、そこに文芸用語で言う「ユーモア」の最上の例を見る思いがします。と同時に、大学を含めた社会全体をうっすらと覆っている絶望をも容赦なく描き出していて、この絶望の中に小さな希望の灯をともす、といったつつましやかな抵抗の姿勢に、若いみなさんも共感してもらえるのではないかと思います。
 ところで、ベーシック・インカムという言葉を聞かれたことはあるでしょうか。すべての人に、一定額のお金、たとえば毎月八万円を、一生のあいだ無償で支給する、という制度のことです。稼ぎのある人はそのぶん自由に使えるお金が増えて生活が潤いますし、職につけずにいる人も、当面の生計をなんとか維持しつつ就業機会を探ることができます。みなさんも、お金に困っているいないにかかわらず、そんなうまい話があるのだったら、今すぐ乗りたいと思われるのではないでしょうか。高等教育の無償化や給付型奨学金の充実が議論されており、それに反対する理由は何一つありませんが、国や地方自治体の財政難が実現を阻む壁となっているのは事実です。そしてこの財政難は、為政者の無能や無定見以上に、現在のお金の発行と流通のしくみが内蔵する構造的な欠陥に起因するので、その欠陥を正すことが早道と思われます。
 ベーシック・インカム(以下、BIと略記)について書かれた本はいろいろありますが、私が読んだ中で、たいへんわかりやすくBIの本質を説き明かしてくれていると感じた、古山明男『ベーシック・インカムのある暮らし 〝生活本位制マネー〟がもたらす新しい社会』(ライフサポート社)を紹介します。三章からなっており、第一章では、BIによってわれわれの暮らしがどう変わるかという展望、第二章では、BIを導入すべき根拠となる、日本の経済状況の解説、第三章では、BIをどのように導入し運用していくかという具体的な青写真が、それぞれ述べられています。今の社会は、働けば働くほど皆が貧しくなるようになっていますが、著者によれば、それは現行の通貨が〝生産本位制マネー〟であるためなのです。日本円と並行して「E円」と名づけた電子マネーを発行し、BIとして国民にゆきわたらせることで、企業の業績は上がり、政府の財政は改善され、こうして国の経済全体がうまくまわるようになります。BI論でかならず問題になる財源をどうするかという点についても、試算の数字をあげながら周到に論じられていて、これならさっそく実現可能と思わせられます。
 BIによって社会全体も、われわれ一人一人の生活も、今よりずっとよい方向に向かうだろうと確信できるだけに、この構想を画に描いた餅で終わらせてはならないと強く思います。そのために、まずはBIについて一人でも多くの人に知ってもらいたく、私にできることとして、この場で紹介しております(それゆえ、この一文が、新入生のみなさんのみならず、みなさんの家族、友人、知人、等々の目にも留まることを願っています)。なお、著者の古山氏は、経済の専門家ではなく、私塾の経営者として教育問題に関わる中で、BIという制度が個々人の人間性を開花させるための支えとなりうることに注目し、研究を始めたのだということです。教育の分野での著書に、こちらも好著の『変えよう!日本の学校システム 教育に競争はいらない』(平凡社新書)があります。

目次に戻る

イギリスの大学入試問題はいかが?
鶴田学(英文学)
 大学入試を終えて入学したばかりの皆さんに他大学(しかもイギリス!)の入試問題を勧めるのは、いかがなものだろうか? と思いながらも、勧めざるをえない。なぜならば、あまりにも入試が面白いからです。もちろん、こう言うわたし自身、全問正解などできる自信はない。(いや、それどころか、まったく歯が立たない問題すら沢山ある。)それでも、半分恥をさらしながらも、このようなエッセイをしたためてしまうのは、自分が知ってしまった極上の楽しみを人にも教えずにはいられないからです。
 ジョン・ファーンドン著、『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題 「あなたは自分を利口だと思いますか?」』(小田島恒志・小田島則子訳)(河出文庫)という無茶苦茶むちゃくちゃ長いタイトルの本がそれです。本書にはオックスブリッジ〔オックスフォード大学とケンブリッジ大学を併せた呼び名。蛇足ながら、「オックスブリッジ」という名前の大学があるわけではありません〕で実際に入試の面接官が出題した六十の難問奇問が、少しアヤシイ模範解答と一緒に掲載されています。時間のない方は、すぐに解答を読んで、「ああ、こんなもんか」と思えばよろしいでしょう。けれども、学ぶことが使命である大学生の皆さんには、まず自分なりの答をじっくりと考えて頂きたい、是非ぜひ
 法学、物理学、医学、哲学、数学、地理学云々といった多岐の分野にわたる問題は、どれも刺激的で、どこから読んでもハズレはない。けれども、ここはひとつ、自分の一番得意なところから攻めてみよう。第五十四問、「『ハムレット』はちょっと長いと思いませんか? まあ、私はそう思いますが。」〔オックスフォード大学・英語英文学〕。先に書いたように、各問には著者であるファーンドン氏の模範解答が付いていますが、わたしは、ファーンドン氏の解答に納得していません。
   ※
 この紙面を借りてマジレスしよう。まず、「私はそう思いますが」っていうのが、あからさまな《釣り》ですね。これに釣られて「『ハムレット』は長すぎる。終わり。」などと答えようものならば不合格間違いなし。相手はオックスフォードである、たぶん、『ハムレット』が長いかどうかを真に疑うところから始めねばなるまい。実は、『ハムレット』には「短い『ハムレット』」と「長い『ハムレット』」がある。本当はもう一種類あるが、ここでは話を単純化して《短ハム》と《長ハム》があるとしておこう。前者のことを書誌学の用語でQ1と呼ぶ。後者はF1と呼ばれる。
 このうち先に世に出たのがQ1だ。しかしながら、このQ1というのは、どうも海賊版のテクストのようで、劇団員のなかの誰かが仲間を裏切って、一座の大切な《資産》である脚本を出版者に売ったものらしい。だから、テクストは不正確で、間違いだらけで、長さも極端に短い。では、Q1というのはダメなテクストかと言えば、必ずしもそうではない。上演するには適切な長さで、間合いテンポが良い。また、何よりも、気取った、芝居がかった台詞回しではなくて、本当に人間がしゃべっているような躍動感がある。もしかすると『ハムレット』もQ1で読んだり観たりすれば、決して長くはないかもしれない。
 では、F1は長いだろうか? うん、確かに長そうだ。ケネス・ブラナーというアイルランド出身のシェイクスピア俳優が主演・監督を兼任して、F1のテクストに忠実な、カット無しの映画を製作したが、なんと四時間の長さである。しかし、待て! この問題の出題者はオックスフォードの教授である。『ハムレット』のF1は長い、という凡庸ぼんような答に満足するであろうか?もっと根源的なことを問う、哲学的な解答を模索すべきではないだろうか?
 長いか、短いか、それは主観の問題である。(「まあ、私はそう思いますが。」とは、釣りではなく、ヒントだったのである。恐るべし、オックスフォードのふところの深さ!)たとえば、あなたが『ハムレット』が大好きで、作品を繰り返し愛読したがために台詞を全部覚えてしまったとしよう。さらに、シェイクスピアがつむぎだした巧みな言葉のあやを堪能するがために、近代初期英語(Early Modern English)というちょっと古めかしい英語を学び、英語の古語までも理解できるようになったとしよう。そんなあなたがブラナー版の『ハムレット』を観たとき、「たったの四時間」が永劫のように長く思えるだろうか? 答は「ノー」であるに違いない。
  【まとめ】
 『ハムレット』には書誌学上、優劣の付けがたい複数の初期版本があり、一概に『ハムレット』が長いかどうかは断言できない。さらに、作品の長さとは、およそ主観の問題である。故に、『ハムレット』F1はシェイクスピアの劇作品としては確かに長いが、英語英文学を専攻する学生にとっては、決して長すぎるとは言えない。
  【読書案内】
 驚くべきことに、翻訳天国と言われる日本では『ハムレット』Q1とF1のどちらも文庫本で手軽に読むことができます。
 Q1 『ハムレット』Q1 安西徹雄訳  光文社古典新訳文庫
 F1 新訳『ハムレット』 河合祥一郎訳 角川文庫

目次に戻る

学ぶことを支える仕事
徳永豊(支援教育学)
 教師は学校で子どもたちと授業をして、国語や数学の内容を教えることが仕事である。別の言い方をすれば、学校で子どもたちがよりよく学ぶことを支える役割が教師にある。
 子どもたちは、学校で同じように学ぶのであろうか。学びについて、みんなが同じであることはけしてない。それぞれの理解の程度、これまでの経験、学び方など実に多様である。
 よくわかる子ども、理解が早い子どもがいる。また、よくわからない子ども、理解がゆっくりの子どもがいる。教師として「学びを支えること」を考えた場合に、どちらがおもしろいのであろうか。
 「よくわからない子どもに教えることがおもしろい」という障害のある子どものための学校の教師がいる。わかる子どもとの授業では、教師の苦労は少ない。よくわからない子どもとの授業は、教師が工夫し苦労しながら授業に取り組む。数多くの失敗を繰り返し、授業に工夫を加えることで、徐々に子どもの「学びを支えられる」ようになる。そしてはじめて、子どもと「わかった喜び」を共有できるように教師が成長する。
 「よくわからない」世界で、「わかる」を拾い上げた瞬間である。この瞬間があるからこそ、やめられない仕事が学校にはある。
村田 茂 著
 『障害児と教育その心 ── 肢体不自由教育を考える』慶應義塾大学出版会(一九九四)
 肢体不自由教育の道を三〇年、歩んできた著者が、子ども一人一人を大切にする温かい視点で特別支援教育全体と肢体不自由教育のあり方を見渡し、わかりやすくまとめたものである。
徳永 豊 著
 『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意 ── コミュニケーション行動の基盤について』慶應義塾大学出版会(二〇〇九)
 意図・感情の共有や人間関係の形成に必要な「共同注意」、乳幼児が獲得する「共同注意」の形成までを「三項関係形成モデル」として示し、障害のある子どもの事例研究によって、「自分の理解」や「他者への働きかけ」「対象物の操作」の発達の筋道を示す。

目次に戻る

「爆発は芸術だ」?
冨重純子(ドイツ文学)
 ドイツの一九一〇年から一九二〇年代前半は、表現主義の時代と呼ばれ、絵画、文学、映画、音楽、建築など多分野において、爆発的なものが見られた。日本語では対照がはっきりしないが、表現主義と印象主義は対をなす概念で、ドイツ語ではExpressionismusとImpressionismus、すなわち外へ向かって放出する方向と中へ向かって刻印が行われる方向の対立である。西洋美術の歴史において、フランス(そしてもちろんイタリア)に比してつつましい位置を占めているドイツの美術が大きな足跡を刻んだのが、表現主義の時代である。文学、とくに詩においても目覚ましい活動があり、一九一九年に出版された表現主義詩の集成『人類の薄明』は、記録であると同時に、運動の一部でもあった。この大部の本が翻訳されている(クルト・ピントゥス編『人類の薄明』松尾早苗訳・解説、未来社、二〇一六年)。題からして予言風だが、交響曲の四つの楽章のように、「崩壊と叫び」「心よ、目覚めよ」「反乱へ立ち上がろう」「人間に愛を」とテーマ別に編纂されている。見出しには未来の世界への待望や対社会的呼びかけが感じられるが、内容は破壊、希望、陶酔、人間嫌悪など、まさに精神の叫びの嵐のようだ。第一次世界大戦、ドイツ帝国の崩壊、ドイツ革命、ワイマール共和国の誕生――表現主義は社会的、歴史的危機の裂け目に継起した。そのエネルギーに打たれると同時にその行方についても、考えてみないわけにはいかない。まもなくドイツはナチズムの一九三〇年代へと向かう。「芸術は爆発だ」という岡本太郎の言葉はあまりに有名だが、「爆発は芸術か」と言えば、もちろんそんなことはない。時代の「爆発」と、そのなかの詩を読みたい。
 少し前の世代にあたるリンゲルナッツは歩いていく詩(ヨアヒム・リンゲルナッツ『動物園の麒麟』板倉鞆音編・訳、国書刊行会、一九八八年)。虫や草や動物に目をとめる。彼らも人間を見ている。「長い首――その斑点は/美しく錆びているようだ」。

 土堤の上ですかんぽは
 レールの間に立っていた
 急行ごとに気を付けをし
 人の旅するを眺めていた(「哀れな草」)

花火も見る。「たあん! 花火だ」。

 一八八三年にドイツはライプツィヒにほど近い町に生まれたリンゲルナッツは、学校になじめず、放校になり、水夫になったが、それもなじめず、ありとあらゆる職を転々としながら、各地を放浪、見世物小屋や酒場や文芸カバレット(寄席)で、詩を書き、朗読し、絵を描き、売った。

 「陰鬱な日」
 家では女たちが泣きわめいていた
 死んだ子どもの顔は雪のようであった
 僕と弟だけで沖へ出た
 天気はあてにならなかった
 海からは涙ばかりすくいあげた
 網は空っぽであった

ヒトラーが首相となった翌年、一九三四年にリンゲルナッツは亡くなった。
 さらに前の世代でミュンヒェン生まれのクリスティアン・モルゲンシュテルンは、もっと騒がしくて、ナンセンスな遊びの詩。『絞首台の歌』(種村季弘訳、書肆山田、二〇〇三年)は、死刑に処せられる間際にも、せせら笑ったり戯れ言を放ったりする、不気味なユーモアの詩ということになろう。例えば「うんにゃ!」という詩はこんなふうに始まる。

 嵐がピューピュー吹いてるのかい?
 いも虫ガミガミ言ってるのかい?
 ふくろうどもが
 高い塔から
 おらんでるのかい?

 うんにゃ!

 あれは絞首台の縄

 この詩集は「人間のなかの子供」に捧げられていて、鼻で歩行する幻の奇妙な生物「ナゾベーム」の詩もある。この詩はのちに「鼻行類」に関する諸説が生まれるきっかけになったという。全編に訳者の自由な補足や意見や引用が付けられていて、それもおもしろい。一八七一年、ドイツ帝国誕生の年に生まれたモルゲンシュテルンは、一九一四年、第一次世界大戦勃発の直前に亡くなっている。
 リンゲルナッツの詩を高田渡が歌っていることを、卒業間近の大学院生に教えられた。われわれ教員の「爆発」にも辛抱強くつきあってくれる大学院生だった。高田渡はほんとうにさまざまな詩を歌にして歌っている。あらためてリンゲルナッツに出会った。

目次に戻る

少し変わった本
永井太郎(日本文学)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』(晶文社)
 アルゼンチンの幻想文学作家ボルヘスが書いた、神話や小説に登場する、実在しない怪物のアンソロジーです。バジリスクやケルベロス、体の前半分が獅子で後ろ半分が蟻というミルメコレオ、ドイツの小説家カフカの描いた、なんだかわからないオドラデクなど、奇妙な幻獣たちが登場します。また、澁澤龍彦の『幻想博物誌』も、同じように空想の生物を紹介した本です。ではなく、羊や人間の娘がなる木の話など、面白いエピソードが多く集められています。『幻獣辞典』と重なるものもありますが、こちらもおすすめです。ただ、絶版なので、図書館で借りて読んでください。
ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』(平凡社)
 第二次世界大戦中、日本軍の収容所から脱走した捕虜が漂着した島で発見した、鼻で歩行する「鼻行類」。その生態を記した本と言えばもっともらしいですが、全て虚構です。全くの虚構の生物を、本格的な生物学研究書の体裁で描いた本です。時に「鼻行類」の体の構造の説明が専門的すぎて「?」なところもありますが、鼻で歩く「鼻行類」の様子を読むだけでも楽しい本です。日本では、劇作家の別役実に、様々な生物やその他のものについて、もっともらしい文章でナンセンスな解説をした本があります。僕が初めて読んだのは「虫づくし」(ハヤカワ文庫。絶版)でしたが、他にいくつもあります。ハヤカワ文庫では、「道具づくし」「もののけづくし」があり、福大図書館にも「けものづくし」「魚づくし」「鳥づくし」が入っています。ちなみに、「腹の虫」などと比喩的に言いますが、昔は本当にお腹の中に虫がいて病気を起こすと思われていました。そうした虫の絵をおさめた、長野仁・東昇『戦国時代のハラノムシ』(国書刊行会)という本もおすすめです。
ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著『ヴォイニッチ写本の謎』(青土社)
 二十世紀はじめイギリスの古書商ヴォイニッチが見つけた、中世のものらしい古写本。そこには、「全く解読できない文字群と、地球上には存在しない植物が描かれていた」(帯の言葉)。一体、これは何なのか、そしてこの本は何のために書かれたのか。謎のヴォイニッチ写本について、その内容とこれまでの解読のドラマを、わかりやすく紹介した一冊です。筆者たちの結論は、あまりにも簡単なものですが、ヴォイニッチ写本の奇妙な文字や絵を見るだけでも十分楽しい本です。
ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)
 ヴォイニッチ写本解読の歴史の中で、アタナシウス・キルヒャーという名が出てきます。実際には解読に手を付けなかったようなのですが、彼はルネサンス期の有名な知識人です。地球の構造から中国やエジプトの博物誌、そして普遍音楽の構想まで、幅広い分野にわたって本をしるし、その意味ではレオナルド・ダ・ヴィンチのようなルネサンスの万能人といっていいでしょう。しかし、ダ・ヴィンチと違うのは、彼の拠って立っていた知識が、現在の科学では完全に否定されているため、その業績がほとんど顧みられないという点です。例えば、彼は当時解読できていなかったエジプトの象形文字を解いたとして大著を著しました。そこで、彼はエジプトの象形文字を表意文字として解釈しました。しかし、その後、エジプトの象形文字は表音文字であることがフランスのシャンポリオンによって明らかにされました。したがって、彼の本の意味はほとんどなくなったのです。にもかかわらず、彼の本が魅力的な理由の一つは、奔放な想像力が生み出した絵です。火と水に満ちた空洞の地球の内部、不思議な中国の風俗、奇妙な音響装置など、キルヒャーの著作の図版を中心に紹介したのがこの本です。中でも、断片的な知識をもとに、勝手な想像で作り上げた「ブッダ」の絵はなかなか衝撃的でした。

目次に戻る

ICTの基礎
永田善久(ドイツ文学)
 松坂和夫著『数学読本』6巻(岩波書店)

 期待に胸を膨らませて福岡大学人文学部に入学してこられた皆さんの中には、『新入生のための人文学(、、、)案内』という小冊子の中に、どうしてまた数学の本などが挙げられているのか、怪訝な思いをされた方も少なくないと思います。「数学なんて受験勉強とともにおさらばだ」、「そもそも数学が嫌いだから人文学部を選んだんだわ」 ── もし皆さんの目に数学というものが、形式的な規約に拘束された、想像力を働かせる余地の全くない(あるいは遊びの余地の全くない)極めて息苦しい学問としてのみ映っているなら、またこうした一種の先入観に捉われたままでこれからの人生を送っていこうとされているなら、それはたいそう残念なことです。なぜなら、数学に対するこうした否定的なイメージが作られるのには、初等教育のあり方をはじめ、いくつかの無理からぬ要因もあるのでしょうが、「数学の本質はその自由性にある」と述べた集合論の創始者カントルの言葉を待つまでもなく、実は数学の本質というのは決してそのような味気ないものでも窮屈なものでもないからです。そして数学の持つ真の魅力をじっくりと丁寧に教えてくれる本が皆さんにお勧めしたい『数学読本』なのです。
 著者の松坂和夫先生(故人)は、長年文科系(、、、)大学で教鞭を執ってこられたにも拘らず、その教え子達からは一人ならぬ数学者が輩出した、というような希有の魅力と能力をお持ちの数学者・数学教育者です。日本の数学教科書の記述は、たとえそれがどんなに初等的なものであっても、たいていのものが抽象的かつ網羅的で、また、「分厚な本は売れにくい」という商業上の理由もあって、本の記述は更に切りつめられ、結果として不親切で難解、文科系学生にとっては非常にとっつきにくいものとなってしまっていました。これに対し『数学読本』は非常に丁寧で具体的です。細かな式の計算等も一切省略されず、図表を惜しみなく用いた詳細な説明、多くの例題・問と詳しい解答があり、論理展開に少しの飛躍も見られません。本書にはこうした繊細で緻密な論の進め方が貫かれている一方で、しかしながらその調子は無味乾燥というには程遠く、全体にわたって何か馥郁たる抒情性のようなものが醸し出されているのは、ひとえに、若い頃数学研究者を目指すか、あるいは文学の道に進むか、大いに迷われたという先生のお人柄によるものなのでしょう。「トルストイの『戦争と平和』には及ばないものの、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』よりはたぶん長くなって」 ── あとがきより ── しまった本書の規模は、何事にも重厚長大を回避しようとする世の潮流とは正反対にあるものですが、本書のような真の意味での良書にとって、この長さは一つの必然であったように私には思われます。
 現代社会においては、数学はとにかく一つの巨大な存在です。数学は極めて多くのことと関わりを持っており、どんな学問にせよ、恐らく数学と完全に没交渉であることはできないでしょう。もちろん、学問分野によっては、数学が多用されすぎているのではないか、といった批判も当然ありますが、こうした批判は批判として、数学の効用と重要性そのものまでを否定する人は恐らくいないでしょう。また、目にみえるような効用に限らずとも、数学を学ぶことによって得られる分析力や洞察力、対象への細かい心配り、物事を透明・簡潔に表現する能力等は、皆さんの知的精神の形成に、必ずや大きな寄与をなすことでしょう。
 さあ、皆さんも、文字どおり数(実数の分類)から始まって ── 読本の最初のほうで皆さんは「素数は無限に存在する」という定理に古代ギリシア人が与えた鮮やかな証明法を知り、きっと感動することでしょう ── 、最終的にはガウスが数学の女王と呼んだ整数論、また、無限というものに対して厳密な数学的アプローチを試みる集合論 ── どんなに短い線分でも、例えば一センチの線分でも、果てしない三次元空間のすべての点と一対一対応してしまうという真理に(そして「無限」の持つ神秘性に)皆さんはきっと驚愕を覚えることでしょう ── といった現代数学の初歩まで、著者に導かれてじっくりと学んでみませんか。本書を読む際に必要なものは「紙と鉛筆と愛(好奇心あるいは根気とも)」だけです。最後に『数学読本』の「まえがき」から抜粋しておきます。
 「私は、この講義を、初等あるいは中等数学を堅実な形で学びたいと望むすべての人に向けて、書いています。題材は中学や高校の数学、とくに高校の数学ですが、年少の読者にも読めるようにていねいに書いてあります。
 この講義は、いくつかのおもしろそうな話を取り上げて一つにまとめたという種類のものではありません。6巻を通じてこれはある種の一貫性と流れとを持っています。結局のところ、私は一つの新しい教科書を書いたことになるのかもしれません。しかし、これはふつうの教科書とは違っています。なぜなら私はいろいろな制約なしにこれを書いているからです。この講義はふつうの教科書よりずっと自由です。また、たぶん ── そうであってほしいと思いますが ── 、ずっと深く、ずっと豊かな内容を持っています。読者はこの講義を読んで、しばしば、今まで気がつかなかったことに気がついたり、新しい発見をしたり、フレッシュで興味深い数学の問題に導かれたりするでしょう。…
 この講義は、いわゆる受験数学とは関係ありません。…私がこの講義で語りたいと思うのは、流れのある数学の一つのストーリーであって、技術や要領ではないからです。
 この講義ではときどき、常識的なカリキュラムの意味で初等・中等数学の範囲と考えられるところから ── どこまでが初等・中等数学でどこから先が高等数学なのかははっきりしませんが ── 少し上のほうまで延びて行きます。…この講義には人工的で不自然な柵はありません。したがって、これはたぶん、最終的には読者をかなり高いレベルにまで導きます。…」

目次に戻る

フィールドワークという教科書
中村亮(文化人類学)
 私が専門とする文化人類学は、簡単に言うと「異文化を理解する」学問である。異文化といえば海外を連想するが、今では身の周りに異文化があふれているので、日本でも文化人類学的な調査をすることができる。しかしそれでも、文化人類学者は「異文化」を求めて海外に行くことが多い。
 私は学生時代から、東アフリカのタンザニアの漁民社会で調査をしている。学生の頃の私は、「海外に行けば異文化に出会え、それを理解することができる」と安易に考えていた。しかし、やみくもに海外に行けばよいというものではなかった。当然のことながら、きちんと教科書で勉強することが必要である。
 文化人類学を学ぶことができる教科書的な本はたくさんある。例えば古くは、石田英一郎『文化人類学入門』(一九七六年、講談社)、祖父江孝男『文化人類学のすすめ』(一九七六年、講談社)、石川栄吉編『現代文化人類学』(一九七八年、弘文堂)、綾部恒雄編『文化人類学15の理論』(一九八四年、中央公論社)などがある。最近では、奥野克巳等編『文化人類学のレッスン』(二〇〇五年、学陽書房)、鈴木裕之『恋する文化人類学者』(二〇一五年、世界思想社)、松本尚之等編『アフリカで学ぶ文化人類学』(二〇一九年、昭和堂)、松村圭一郎等編『文化人類学の思考法』(二〇一九年、世界思想社)など、他にもまだまだある。これらの本を読むと、時代とともに文化人類学に新しいテーマや分析視覚が誕生してきたことが分かる。
 しかし時代をつうじて、どの本でも強調されるのは「フィールドワークが文化人類学にとって一番大切である」という点だ。フィールドワークとは、「実際に現地(フィールド)におもむいて、現地で生活しながら、現地の生活文化について理解してゆくこと」であり、文化人類学の核心である。つまり、教科書をいくら読んだとしても、フィールドワークを抜きにして異文化を理解することはできないのだ。したがって、たくさんの教科書を紹介したが、文化人類学の一番の教科書は『フィールドワーク』なのである。。
 フィールドワークは、調査者一人一人が自分なりにつくってゆくものである。実際に現地に滞在し、現地の人びととの人間関係の中で、経験的に学んでいくしかないフィールドワークは、基本的には肉体的・精神的につらいものである。しかし、私が20年間もフィールドワークを続けてこれたのは、現地の人びとの知恵や技術、その生き様に魅了されてきたからである。これまでに多くの人びとに出会ってきた。そのなかでときおり、自分の価値観がくつがえされるような、もしくは、謎が一気にとけてゆくような、「ハッ」とする瞬間や言葉に出会うことがある。これがフィールドワーク最大の魅力である。
 忘れられない言葉の一つに、「海も畑とおなじように耕さないと駄目になる」がある。これは福井県のある年老いた海女さんの言葉である。何気ない会話中にでてきた言葉であるが、この言葉を聞いた瞬間、私は「海女の世界観」を深く理解できた気がした。
 一般的に、海女などの漁民は、水産資源を、一方的に利用(収奪的資源利用)しているといわれる。しかし、先の海女さんの「海を耕す」という言葉から、海女はウニやサザエなどをとるだけではなく、漁場である沿岸環境を整備する(=耕す)ことも意識していることが分かる。このような、守りながら利用するという海女の資源利用は、日本の「里海」につうじるものである。
 里海とは、「人が手を加えることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」(里海研究の第一人者の柳哲雄先生の言葉)と言われる。なかなか難しい概念で、その具体例をみつけることは困難だ。しかし、海を耕しながら海産物をとるという海女の資源利用は、まさに「里海」といい得るものである。フィールドワークで出会った一言によって、私は「里海とは何か」を知ることができた。
 このような金言に出会うことができるのがフィールドワークである。文化学科では、文化人類学的なフィールドワークを学生に経験してもらえるように、授業外ではあるが、フィールドワーク実習をおこなっている。この機会を利用して、学生の皆さんにも、ぜひフィールドワークの魅力に触れて欲しい。

目次に戻る

首相のウソ
則松彰文(東洋史)
 十九世紀は、パックス・ブリタニカ(Pax Britanica)英国の世紀といわれる。しかし、十八世紀の後半に、世界で初めて産業革命を成し遂げて以降の英国の歩みは、実は一般的な印象ほど順調なものではなかった。大英帝国の栄華は、些か創られた偶像ともいえよう。
 一八〇〇年の二〇年代から三〇年代にかけて、英国内では、恐慌・不況による倒産や失業者の増大で労働者の暴動まで生起した。それは、当時の英国主力輸出品であった綿織物の主要な海外市場であった西欧市場において、極度の販売不振に陥ったことによるもので、「生産過剰恐慌」といわれる。そこで、英国では、西欧に替わる新たな海外市場の獲得が急務となった。その危機的状況の下で、中国清朝に対する武力行使であるアヘン戦争が一八四〇年に起こった。より正確に表現すれば、英国によって、中国市場獲得のために意図的に引き起こされたのであった。
 そのアヘン戦争の最高責任者が、英国外相パーマストン子爵である。彼は、対外強硬論者で、その強硬策は、Gun Boat Policy(砲艦政策)と呼ばれた。英国の勝利によって終結したアヘン戦争の講和条約である南京条約により、広大な中国市場で英国製品が大量に売れると英国側は期待し、中国輸出向けに大増産を始めた。十九世紀中葉における中国の人口は四億人。当時の世界人口十二億人の、実に三分の一を占める巨大マーケットであった。しかし、条約締結後の三年間は順調そのものに見えた中国向け輸出も、早くも四年目から雲行きが怪しくなり、ついに十年後の一八五二年には、アヘン戦争前の輸出額に逆戻りしてしまった。中国向け大増産体制は完璧に裏目に出て、いまや「中国不況」とも呼べる深刻な不況に悩まされることとなったのである。
 外相から首相に上り詰めていたパーマストンは、砲艦政策による状況の打開を狙っていた。そこに舞い込んできたのが、香港総督パークスからの報告、アロー号事件(一八五六年)であった。パーマストンは、これを恰好の口実と捉え、強引に捏造ともいえる開戦理由を挙げて、英国議会に二回目の対中国武力侵攻案を提起した。アヘン戦争同様、武力によって中国市場をこじ開け、中国における販売不振からの脱却を目論んだのであった。議会に報告した二つの理由は、いずれも捏造と呼べるもので、香港船籍アロー号への中国警察の介入を英国主権への侵害と説明したが、その実態は、事件当時のアロー号の船籍は期限切れであったにもかかわらず、その事実を承知していたパーマストン首相は、事実を隠して開戦の理由とした。もう一つの理由、中国警察がアロー号に乗船した折に、掲げられていた英国国旗を引きずり降ろして踏みつけた、英国国旗・英国国家への冒涜という理由も、これまた全く根拠のない、ただの一人の目撃者もいない作られた理由であったが、この点も、議会には伏されたままであった。
 英国議会下院で採決がおこなわれ、パーマストン首相提案の中国武力侵攻案は、十七票差で否決された。これをうけたパーマストンは、議会を解散し総選挙にうって出て、新しく選出された議員たちによる再投票で、今度は八十五票もの大差で可決、成立させたのであった。首相のウソを当時の国会議員たちが見抜いていたのか、見抜けなかったのか定かではない。しかし、どう考えても不合理なひどすぎる開戦理由に、当初十七票差で議員たちの良識は示されたが、残念なことに、経済的に追い込まれていた当時の英国に、再度それを否決するだけの余力は残ってはいなかった。こうして始まった戦争は、のちにアロー戦争、また第二次アヘン戦争とも呼ばれるが、今回のそれは、英国がフランスを誘い英仏連合軍での中国侵攻となったのである。
 十九世紀、パックス・ブリタニカの一コマではあるが、二十一世紀の今日においても、同じく首相はウソをつくし、大統領も同じくウソをつく。「桜を見る会」なぞという曰く言い難い件で、一〇〇回以上のウソを国会で重ねた日本の最長政権を誇示した首相。架空の「大量破壊兵器」の存在を口実に、イラク戦争を強行したアメリカの子ブッシュ元大統領。トランプ前大統領の場合は、もはやウソの次元を超えた、アブノーマルな虚言、妄想、異常この上ない発言の数々である。
 さて、政治家は本質的にウソをつくものではあろうが、われわれ国民は、それをどう見抜くか、また見抜けるか? 福岡大学を卒業するまでの四年間で、事の真偽と本質を見極めることの出来る眼力と教養を身につけることが、大学入学の最大の目的の一つであることは間違いないであろう。

目次に戻る

Tips for Learning English
Stephen Howe(英語学)
Compared to someone who knows no English, you already know a lot. You can read this page, for example. Remember, you have a good head start: Japanese has more English words than any other language (apart from English, of course). That means you already know hundreds and hundreds of English words in katakana. Build on what you know and try to improve a little each day.
Practice makes perfect
Learning a language is like learning to play a musical instrument – to improve, you must practise. And music is for playing and enjoying – so, have fun speaking and communicating in English! Imagine you are studying music: to play well and graduate, you need to practice for an hour or more each day, at least. If you do the same for English, you will be able to speak beautifully by the time you graduate.
・Think of learning English like learning to play the piano: practise every day and you will get better
・If you never practise the piano, it’s impossible to play. The same for language
Use it or lose it
To speak a language well, you must use it – as often as possible:
・Speak to yourself in English
〇Try to think to yourself in English, for example on the bus or train
〇Describe the people you see, or what you’re going to do today
・Speak English with your friends
〇Meet your friends for tea or coffee and practise speaking English for fun
Train your brain
Set yourself a target to improve your English each year you are at university. Improve a little each day, and you will improve a lot by the time you graduate:
・Set aside some time to study English each day
・If you commute to university by bus, train or subway, use your time to learn English
Donʼt worry about making mistakes
As in life, making mistakes is an important part of learning a language – so donʼt worry, just keep talking!
Be cool at school
Impress your friends with your fluency in English, whatever your major:
・Learn in class
〇Use your time with your teacher to improve your English
・Learn outside class
〇Donʼt think of your class as the only time you learn – try to improve your English outside class, too
Make friends with the international students on campus
Practise your English on the international students at Fukuoka University – they want to talk to you!
・Ask them about their country and tell them all about Japan
Watch TV and movies in English
Movies are a great way to listen to spoken English – and they are available everywhere – watch as many as you can:
・Switch to English sound when you watch English programmes or movies on TV. You will understand more and more
・Watch a movie several times – you will understand better each time
・Try to repeat what the actors say
・As well as movies, watch the news in English at cnn.com
・NHK shows English news early each morning. Watch the news each day, and you will make great progress in your understanding for TOEIC
Read a book, magazine or newspaper in English
Whether Harry Potter or William Shakespeare, read a book in English – there are thousands to choose from!
・Read an English magazine
〇If you love fashion, read an English fashion magazine; if you love sport, read a sports magazine in English. You will learn a lot of vocabulary about your interest
・Read a newspaper
〇The Japan Times is available everywhere and is easy to read
〇Fukuoka University Library has many English newspapers
・Read the news in English online
〇Try bbc.co.uk for English news
Write a diary in English
Like Samuel Pepys and Bridget Jones, write a diary in English – about what you do each day, your thoughts and feelings. This will help you improve your writing greatly.
Listen to English music and radio
Listen to your favourite British or American bands – they can help you learn English!
・You can listen to English music on the web at www.bbc.co.uk/radio1/
・Download a podcast for mobile English
Study abroad or take a trip
English is the international language that makes it possible for you to communicate with people in other countries. Get your English ready for a trip or study abroad:
・Practise for your trip
・It will be easy to meet people if you can speak a little English
・Fukuoka University has several study abroad programmes. If you can, study in another country – you will learn many things and have the time of your life
Finally, what about after university? What can English give you?
English is a key to the world and knowing English can help you get the job you want. English gives you:
・Communication skills
・An international dimension
・Awareness of other cultures
・Opportunities to work and travel abroad
・And the ability to communicate with the world

目次に戻る

問いと穴の存在論
平井靖史(哲学)
 私が問わないことに、世界は答えない。
 だから私の世界は、私の開いている問いの数でできている。

 「開いている」問い、と言った。
 「あらかじめ決められた答え」が用意されているとき、問いという「アンテナ」は蓋をされ、閉じてしまっているから。
 答えを「求めている」あいだだけ、問いは、世界を励起させる力を持つから。
 たとえば本能的な反射行動は、あらかじめインストールされた問いと答えのセットが盲目性をもたらすいい例だ。
 同じように、「習慣を一つ身につける」とは、世界に対して「ひとつ、不感になる」ことだ、とベルクソンは言う。これを、僕は「問いと答えの対称性」と呼びたい。そして、この対称性が「破れ」るとき、世界が問いに輝き彩られるのだ、と。

 ******

 哲学者とは「穴を掘る人」のことだ、と言われることがある(入不二基義)。
 日常が苦もなく闊歩する平滑な大地に、謎という穴を見つけてしまう人、あるいはわざわざ掘ってしまう人だ、と。
 この「穴」は「答えで蓋をされていない問い」、「問いと答えの対称性の破れ」のことだから、ベルクソンの描くぼくたちの「生彩ある」知覚世界は、テツガクでできていると言ってもいいのかもしれない。
 そしてこの場合、穴=問いが「開いている」ための条件は、
 a.問いが新しく、まだ答えが見いだされていない、か
 b.すでにはめ込まれている答え=蓋を引き剥がして問いの感受性を復旧させる、か
 c.問いが途方もなさ過ぎてその穴を埋める答えの目処が立たない、か(「immenseな身体」、ランボー)
 のいずれかだろう。

 ******

 穴は存在するか?という形而上学的な問いがある(加地大介『穴と境界』)。たとえば、ドーナツの穴は、ドーナツが「ない」部分のことをさすわけだが、その「ない」ものが「存在する」のか、という問題だ。
 でも、穴がもし「存在しない」なら、それ、ドーナツになってないよね。
 テツガク(としての世界)にとって「穴=問い」が「あいている」ことこそが、その真にリアルな「身体」でなくて、いったいなんだろう!
 逆にその穴が、「答えという存在」で埋まってるなんて、どれほど絶望的に空虚だろう。

 そう思いませんか。

目次に戻る

犬がどのように考えているか、を どのように考えるか
平田暢(社会学)
 スタンレー・コレン著(二〇〇七年)『犬も平気でうそをつく?』文春文庫

 この本をお薦めするのは、私自身が犬好きで、犬好きの人にとって面白く役に立つ、ということもあるのですが、それ以上に、大学で勉強するときに重要な「考え方」について自然に馴染むことができる、という理由からです。
 日本語のタイトルはややひねりすぎです。原タイトルは“How Dogs Think”なので、こちらのタイトルで内容をイメージして下さい。
 著者のスタンレー・コレンの専門は心理学で、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で教授を務めています。犬好きが嵩じて訓練士の資格をとり、犬の訓練クラブのインストラクターもしているそうです。
 私たち人間は、他の人たちを観察したり、対人関係の中でさまざまなことを学びます。これを「社会的学習」といい、私たちは言葉や規範、あるいは歯の磨き方などもそうやって身につけていきます。
 では、そのような学習能力を犬も持っているのでしょうか。
 おそらく持っていると想像はできますが、本当に知りたいのであれば確かめねばなりません。そのための手続きは、「犬には社会的学習能力がある」という考え ─ この考えのことを仮説といいます ─ が正しいとすると、特定の状況でどのようなことが発生するか推測をし、実際にそのような状況で観察を行って推測が正しいか否か確かめる ─ 確かめることを検証といいます ─ ということになります。「犬には自意識がある」や「犬には超能力がある」という仮説を立てた場合も同様です。
 コレンの専門である心理学や私の専門である社会学では、仮説を検証するというアプローチをよくとります。実験はその典型ですが、社会調査なども同じような手続きに沿って行われます。大学の勉強では、知識だけではなく、このような手続き、あるいは考え方を身につけることが強く求められます。『犬も平気でうそをつく?』という本は、犬の能力や感情、意識についてさまざまなことを教えてくれますが、数多くの事例や実験、調査がうまくはさまれていて、仮説を検証するプロセスの面白さ、その有効性がごく自然にわかってきます。
 犬には社会的学習能力があるか否か、それをどうやって確かめたかは、本書を読んでのお楽しみ。
 以下に、スタンレー・コレンの犬に関する他の著作も挙げておきます。いずれも文春文庫です。飼い主の性格に合う犬種は何か、どうすれば犬に意思をうまく伝えられるか、どのようにして犬は狼からつくられてきたのか、などなど、盛りだくさんで楽しめます(最後は結局犬が好きな人のための紹介になってしまった…)。

 『デキのいい犬、わるい犬』(The Intelligence of Dogs)
 『相性のいい犬、わるい犬』(Why We Love the Dogs We Do)
 『犬語の話し方』(How To Speak Dog)
 『理想の犬(スーパードッグ)の育て方』(Why Does My Dog
   Act That Way?)
 『犬があなたをこう変える』(The Modern Dog)

目次に戻る

ドイツ語映画観賞会 ―上映50回を振り返る―
平松智久(ドイツ文学)
 新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。いま皆さんは、新たな環境に身を置いて、なかば不安、なかば期待に心を躍らせているのではないでしょうか。
 大学では大いに勉学に励んでください。多くの本を読み、あるいは大事な書籍を精読し、知的な喜びを享受してください。多くの友と知り合い、大事な仲間と親交を深め、かけがえのない今この瞬間を生きてください。いつかは大きな問題に面して個人的に頭を抱えることもあるかもしれません。そのようなときに書物に手を伸ばし、また、仲間たちと語り合い、議論を深められたならば、いかに自分が無知であったか、いかに自分が無力であるか、だからこそ、いかに先人たちの残した足跡に助けられるか、いかに異なる視点による切り口が新たな視界を開くことになるのかを、身をもって学ぶことになるでしょう。生き続けることは、学び考え続けることです。学ぶ対象に限りはありません。限られた大学生活の時間の中で、次の一歩への手がかりを見つけ出してください。
 そのためには、多くの芸術作品に目を向けるとよいでしょう。書物でも、絵画でも、映画でも、心を開けば雄弁に物語ってくれるに違いありません。人文学部での研究活動が生きる上で役に立つのは、個人的な問題をより普遍的な観点ないし客観的な立場から捉える力が培われるからだと言えるかもしれません。
 福岡大学人文学部ドイツ語学科では、二〇一三年度前期から七年間、授業期間中の第一木曜日夕方に中央図書館多目的ホールで、「ドイツ語映画観賞会」を実施してきました。(同年度後期からは福岡大学エクステンションセンターとの共催で無料の市民開放型文化講座「映像に見るヨーロッパ文化―ドイツ語圏―」として開講。)諸般の事情のため二〇一九年度でいったん幕を閉じることになりましたが、これまで50回の上映会で紹介したドイツ語(ドイツ関連)の映画・映像作品は基本的に図書館所蔵品ですので、図書館二階AVコーナー(Audio-Visual Room)で視聴することができます(学内者のみ)。一通り目を通すだけでも、映像と音楽が醸し出すヨーロッパ文化を体感できるようになるはずです。以下には過去上映作品を列記しますので、見逃している作品は是非、図書館二階AVコーナーでご鑑賞ください。なお、個々の映画の詳細をお知りになりたい方は、福岡大学人文学部ドイツ語学科のホームページ内にある「ドイツ語映画鑑賞会」の項目(http://www.hum.fukuoka-u.ac.jp/ger/film/)をご覧ください。
第一回 『グッバイ、レーニン』(解説担当:平松智久)
第二回 『みえない雲』(解説担当:冨重順子)
第三回 『ビヨンド・サイレンス』(解説担当:山中博心)
第四回 『善き人のためのソナタ』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第五回 特別編 モーツァルト『魔笛』(解説担当:永田善久)
第六回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード1』(解説担当:金山正道)
第七回 『パイレーツ・オブ・バルト エピソード2』(解説担当:金山正道)
第八回 ディズニー映画『アラジン』(ドイツ語吹替え、日本語・ドイツ語字幕)(ドイツ語クラブ)
第九回 『飛ぶ教室』(ドイツ語クラブ)
第一〇回 『コッホ先生と僕らの革命』(解説担当:有馬良之)
第一一回 『愛より強く』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第一二回 『カスケーダー』(解説担当:平松智久)
第十三回 『マルタのやさしい刺繍』(解説担当:平松智久、大学院生高松美菜子)
第十四回 特別篇 ベートーヴェン『第九 第四楽章』(解説担当:永田善久)
第十五回 『テディ・ベア誕生物語~全ての困難を乗り越えて』(解説担当:堺雅志、堺ゼミ生)
第十六回 『ベルンの奇跡』(解説担当:交換留学生ビョルン・カスパー)
第十七回 『マーサの幸せレシピ』(解説担当:森澤万里子)
第十八回 『幸せのレシピ』(解説担当:秋好礼子)
第十九回 『ミケランジェロの暗号』(解説担当:冨重純子)
第二十回 『9000マイルの約束』(解説担当:平松智久)
第二一回 『おじいちゃんの里帰り』(解説担当:伊藤亜希子)
第二二回 『ウェイヴ』(解説担当:スサナ・デル・カスティヨ)
第二三回 特別篇 メンデルスゾーン『夏の夜の夢』(解説担当:永田善久)
第二四回 スタジオ・ジブリ映画『千と千尋の神隠し』(ドイツ語吹替え、ドイツ語字幕)(解説担当:冨重純子、大学院生三名)
第二五回 『M』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第二六回 『ハンナ・アーレント』(解説担当:星乃治彦)
第二七回 『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』(解説担当:伊藤亜希子)
第二八回 『会議は踊る』(解説担当:堺雅志)
第二九回 『ラン・ローラ・ラン』(解説担当:アンドレ・ライヒャルト)
第三十回 特別篇 J. S. バッハ『マタイ受難曲』(解説担当:永田善久)
第三一回 『門前』(解説担当:平松智久)
第三二回 『ゲーテ!~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」』(解説担当:平松智久)
第三三回 ロッテ・ライニガーのメルヒェン映画特集(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第三四回 『さよなら、アドルフ』(解説担当:冨重純子)
第三五回 『舞姫』(解説担当:中野和典)
第三六回 吸血鬼映画特集(解説担当:アンドレ・ライヒャルト)
第三七回 『アイガー北壁』(解説担当:平松智久)
第三八回 『菩提樹』(解説担当:堺雅志)
第三九回 『アマデウス』(解説担当:永田善久)
第四十回 『嘘つきヤコブ』(解説担当:冨重純子)
第四一回 『聖なる嘘つき』(解説担当:平松智久)
第四二回 『メトロポリス』(解説担当:マーレン・ゴツィック)
第四三回 『ゴー・トラビー・ゴー』(解説担当:有馬良之)
第四四回 『ベルリン、僕らの革命』(解説担当:田口武史)
第四五回 『トンネル』(解説担当:平松智久)
第四六回 『くるみ割り人形』(解説担当:永田善久)
第四七回 『ホレおばさん』(解説担当:永田善久、大学院生 藤井真璃奈)
第四八回 『ブルーム・オブ・イエスタディ』(解説担当:冨重純子)
第四九回 『否定と肯定』(解説担当:冨重純子)
第五十回 『三文オペラ』(解説担当:マーレン・ゴツィック)

目次に戻る

西洋史学への招待状
福元健之(西洋史)
 ヨーロッパで近代歴史学が成立したのは、一九世紀ドイツだったとされる。ベルリン大学のレオポルト・フォン・ランケが、信頼できる史料を精査すること、批判的に読むこと、「実際に起きたように」歴史を叙述すること、といった作法からなる実証主義を確立し、二〇世紀に至るまで世界中の歴史研究に影響を与えた。日本もその例外ではなく、ランケの弟子筋にあたるルートヴィヒ・リースが東京帝国大学(現、東京大学)に招聘され、実証主義の学統が日本の学問的土壌に接ぎ木された。
 このように、実証主義に基づく近代歴史学は一九世紀の産物であった。当然のことながら、古くから「歴史」と題された書物はたくさんあったわけだが、実証主義の精神に照らして評価されるひともいれば、逆に評価されないひともいた。桜井万里子『ヘロドトスとトゥキュディデス――歴史学の始まり』山川出版社、二〇〇六年に依拠して、古代ギリシアから二人の著述家についてみてみよう。
 桜井によれば、実証主義が主流であった二〇世紀前半まで、「歴史の父」といわれたヘロドトスに対する評価は低く、逆にトゥキュディデスの評価は高かった。
 トゥキュディデス曰く、「物語的史家たちが真相よりも耳に訴えることを目指して述作したものの方を信じてはならない。これらの史家の物語ることは検証不可能であり、その大部分は時間の経過ゆえに物語的要素に圧倒されており、信じがたいのである。〔…〕戦争中に為されたことの事実については、偶然に出会った人から聞いたとおりに、また自分に思われたとおりに、記述するべきではなく、自分が遭遇して目撃した場合でも、また他人から聞いた話でも、その各々について可能な限り厳密に検討した上で書くべきだと考えた。」(トゥキュディデス(藤縄謙三訳)『歴史』(第一巻)京都大学学術出版会、二〇〇〇年、二三-二四頁より引用。)先人に敬意を払った著者は名指しでこそ批判しなかったが、「物語的史家」とはヘロドトスを指すようである。トゥキュディデスは、自分のえた証拠を「可能な限り厳密に検討した上で書く」ことを約束しており、それゆえに彼の記述は、ヘロドトスよりも実証主義的で信用に足ると考えられたわけである。
 しかし、やがて二〇世紀後半からヘロドトスの評価は急上昇を遂げる。それは、歴史学において実証主義批判が高まり、新しい歴史学が模索されることと同時に起きたのであった。一体どういうことか。
 事実として、ヘロドトス『歴史』には非現実的な記述がある。古代ギリシア人たるヘロドトスは、デルフォイの神託がどんなに事実と遠そうであっても異論を唱えなかった。しかし、彼自身か、あるいは他人から聞いたことを網羅的に報告するヘロドトスの著作には、ギリシアのみならず、ペルシアやエジプトの様々な文化や風習に関する情報が豊富に含まれた。しかも、あらゆる地域を旅して見聞を広げた彼は、自身の属するギリシア文化を至上のものとはみなさなかった。批判的に読みさえすればひじょうに意義深い証言としての史料を提供し、かつ自民族中心主義から自由な視点をもっていたことが、ヘロドトスの評価が好転した背景をなしたのである。
 さて、ヘロドトスとトゥキュディデスをめぐっては他にも述べるべきことはあるが、あとは読者自身で実際に桜井の著書や原典をぜひ手に取って読んでみてほしい。ここで示したかったのは、歴史学には、しばしば対立しあう見解があり、それらが衝突を繰り返すことによって研究が進展するということである。二人の著述家に代表させた、いわば物語派と実証派との対立は、現在の歴史学でも続いている。そしてこれだけが唯一の論点ではない。
 とはいえ、ここでそうした論点をすべて紹介することは不可能なので、あと二つだけ紹介する。時代は一気に近代まで進め、「産業革命」をめぐる論争について、長谷川貴彦『産業革命』山川出版社、二〇一二年を参考にしながら紹介しよう。
 産業革命についてはどこの高校でも習うだろう。一八世紀にイギリスで紡績機が改良され、蒸気機関が発明されたことと相まって、機械化が進み、工場ができて生産が著しく向上したために、インドや中国などに織物が輸出されるようになった、というのが、一般的な理解であろう。ところが、もう一歩踏み込めば、この産業革命をめぐっても、一方には産業革命のもたらした変化が急激かつ影響も絶大なものであったとする断絶説があり、他方では変化は緩慢でその影響も小さかったとする連続説がある。
 ここではやや個人的な経験を述べたい。私が大学に入学し、一年生で受講した講義のなかで出会ったのが、A・ディグビー、C・ファインスティーン(松村高夫ほか訳)『社会史と経済史――英国史の軌跡と新方位』北海道大学出版会、二〇〇七年であり、その第五章は連続説の大家N・クラフツによって書かれていた。産業革命と呼ばれる現象は、じつは大した出来事ではなかったのだ!と、高校では習わなかった知識をえて二年生に進級した私に、産業革命による変化がいかに大きかったのか(・・・・・・・・・・)を、エネルギー消費の事例などから説明してくださったのが、長谷川貴彦先生だった。当時は「定説」が覆され続けて困惑したが、大事なことを教わったのだといまでは思う。つまり、定説なるものが変わらないと考えることが間違っていたのであるし、定説を修正ないし転覆させる議論をするところが大学なのだ、と。
 これも、ぜひ長谷川先生や、ディグビーとファインスティーンの本を読者に手に取ってほしいため、本当ならもっと書くべきことはあるが割愛する。安易に新しいものに引き寄せられることにも警戒すべきだ、ということだけ自戒を込めて付言しておきたい。
 最後の論点は、藤井和夫『ポーランド近代経済史――ポーランド王国における繊維工業の発展(一八一五-一九一四年)』日本評論社、一九八九年から紹介する。もっと早く書くべきだったかもしれないが、私の専門は、西洋史のなかでもポーランドという東ヨーロッパに位置するところの近現代史である。世界で最も早く産業革命を達成したイギリスに追いつこうとして、ドイツやアメリカ、そして日本も殖産興業政策に励み、二〇世紀にはアメリカの時代がくる。そしてポーランドもまた、日本と同様に相対的後進国として工業化を目指した。
 しかし、ポーランドが日本と決定的に異なるのは、一九世紀にポーランドという国はなかったということだ。一八世紀末に、ポーランド・リトアニア共和国がロシア、オーストリア、プロイセンによって分割されたことは、高校の教科書にも載っている。ポーランドが地図上に復帰するのは一九一八年まで待たねばならない。したがって、ポーランドという地域は、国家が独立するよりも前に世界中で工業化が目指された時代を経験したことになる。ポーランドという国家が消滅しても、自分たちを「ポーランド人」と考える人びとは存在し続け、実際にはロシアやオーストリアも、一定の範囲内で彼らの自治を認めたため、分割されてばらばらになった地域ごとに殖産興業がなされた。
 ここでの論点は、その試みを本質的に支えたのは何か、ということだ。ローザ・ルクセンブルクというユダヤ人女性で社会主義者は、自分の博士論文をこのテーマで一八九八年に執筆し、ロシア領ポーランドの工業化は外国市場によって達成されたと主張した(ローザ・ルクセンブルク(肥前栄一訳)『ポーランドの産業的発展』未来社、一九七〇年を参照)。分割は、ポーランド人にただ不利益のみもたらしたのではなかった。ロシアはシベリアという広大な販路を提供し、ポーランドだけではありえなかった経済成長を可能にしたのである。
 しかし、そうした外部への依存を強調するかのような議論に対して、二〇世紀後半からは、ポーランドは工業化を国内市場に依拠して実現したとする国内市場説が台頭した。やや細かくなるが、ポーランドは一八三〇年と一八六三年の二度にわたって、反ロシア武装蜂起を起こした。とくに一八三〇年のときに、ロシアとポーランドとの貿易関係が大幅に悪化したため、一八五〇年まではロシアとの交易は限定された。そこで国内市場説支持者は、この一八三〇~五〇年が工業化のために決定的に重要だったと論じたわけである。他方でルクセンブルク以来の外国市場説は、ロシアとの貿易が再び盛んになった一八七〇~九〇年を重視してきた。藤井『ポーランド近代経済史』は、こうした一〇〇年にも及ぶ学説動向を踏まえ、総合的なテーゼを打ち出した素晴らしい研究書である。
 もうお分かりだろうが、藤井の結論は読者自身で確認してほしい。しかし、先行研究に疑問がないわけでもない。国内市場派・外国市場派ともに認められている議論で、一八七七年から、ポーランドの基幹産業だった繊維産業は、原材料の綿花をアメリカからではなく、中央アジアから仕入れることで、シベリアの農民向けに安価で低質な綿製品を生産し、成功したとされる。これが「定説」である。しかし私は最近、アメリカの綿花が二〇世紀初頭でも中央アジアのものより多く(・・)仕入れられていた、というデータを古いが信頼できる論文で発見した。明らかに現状の「定説」ではこの事実を説明できないので、いずれこの問題に取り組みたい。
 歴史学の面白さは、様々に展開される論争にある、と私は考えている。新入生のみなさんも、卒業するまでに何か一つでも自分なりに譲れぬ主張、つまりは論点をもってもらえたらと願っている。

目次に戻る

青年期の読書に関する一事例
古澤義久(考古学)
 本冊子『NOVIS』では、書籍を推薦する形式の文章が多いようです。何か具体的な書籍を推薦するというには、私は読書量も不十分で、質的にもこれまで読書から深い思惟をめぐらせることはそれほど多くありませんでした。そこで、具体的な書籍を推薦するという形式をとらずに、このような読書体験をしたことがあるということを、一つの事例として、お示しすることで、何かのお役に立てることが少しでもあればと思います。
 高校生の頃(一九九六~一九九九年)、私は四〇~五〇分くらいは毎日電車に揺られて通学しておりました。スマートフォンもなかった当時のことで、この時間は車窓からみえる地形を観察することと、読書くらいしかすることがありませんでした。既にアジアの考古学に関心のあった私は、価格も手頃で、携帯にも便利な歴史関係の新書を好んでおりましたが、講談社現代新書に「新書東洋史」というシリーズがあり、それを第一巻の伊藤道治『中国社会の成立』から第一一巻の伊藤秀一『解放の世紀』までを順番に読んでいきました。それぞれに面白いことが書いてあって、とても楽しい時間を過ごすことができました。
 中でも、よく読んだのが第一〇巻の梶村秀樹『朝鮮史』(一九七七年一〇月二〇日第一刷発行,私が高校生の頃買ったのは一九九五年三月二三日発行第三二刷)でした。書名は『朝鮮史』ですが、内容は近・現代史が中心となっています。この本の冒頭には次のように記述されています。
 「一九四五年に一〇歳であり、主要に戦後日本の教育の枠組の中で自己形成してきた私が、高校までに教室で教わった朝鮮史の知識は、まったく乏しいものだった。そのうえ、構成される全体像は、断片的なくせに、弱々しく、ものがなしく、独自の個性や学ぶ価値のある文化をもたず、たえず強国につき動かされており、同情の対象とはなりえても、敬愛の対象とはなりにくいようなものだった。(中略)
 はっきりいえることだが、朝鮮史はそのようなものとはちがう。」
 第一刷が出版された一九七七年から二〇年ほど経た当時でも、高校の世界史や日本史の授業で触れられる韓半島(朝鮮半島)の歴史については、確かに断片的でした(後にわかったことですが、偶然にも梶村秀樹と私は同じ高校でした)。その点、梶村秀樹『朝鮮史』には学校では触れられることがほとんどない事柄がたくさん書かれており、興味深く読んだものでした。
 その頃、最寄り駅から高校までの通り道に1軒の焼肉店がありました。そこの看板には韓国語で「어서 오십시오」と小さく書いてあるのに気づいたのですが、何と書いてあるのかわかりませんでした。このことは、私にとって、とても衝撃的なことでした。遠い国の言葉である英語は学校の授業で習ってちょっとくらいならわかるのに、お隣の国の言葉が全くわからないとは!梶村秀樹『朝鮮史』では、学校だけでは不十分だということが存分に示されているのに、主体的に動くことがなかった自分をとても恥ずかしいと感じたのです(ちょっと変ですかね?)。その日の午後、早速、図書館に行って、韓国語学習の本を手に取り、一日目はハングルの母音、二日目はハングルの子音、三日目はパッチムや連音の仕組みなどを覚えて、何とか字引を使えるようになって臨んだ四日目。あの言葉の正体は「いらっしゃいませ」でした。こうして書きますと私は立派な人のように思われますが、決してそうではありません。そのことは後で述べます。
 一浪して、大学に入って念願の考古学の勉強が始まりました。毎日、楽しく研究して、韓国に通いながら卒業論文を作成しました。さらに大学院で研究を進めていましたが、博士課程一年目がおわって、就職のため退学しました。地方公務員となり、文化財専門職員として壱岐島で発掘調査、考古学研究、文化財行政などに明け暮れました。考古学や民俗学の研究で余裕がなく、また専門が先史時代だったこともあって、近・現代史のことはすっかり忘れてしまいました。
 時は流れて、それまでの考古学研究をまとめてみようと思い、在職のまま大学院に再入学し、二〇一五年に韓半島を中心とした東北アジアの先史文化を主題とする博士論文を書きました。そこで得た結論は「東北アジアの先史文化の変遷は華北の文化が周辺地域に拡散するという単純な図式では説明できず、各小地域があるときは核地域となり、あるときは周辺地域となる動的な展開をみせており、小地域における自律的な動きこそが重要である」というものでした(陳腐ですが、そういう結論が出てしまった以上は仕方がありません)。上京し、博士論文を提出する前夜の実家で、何となく高校時代の蔵書が詰まった段ボール箱を開けてみると、そこには講談社「新書東洋史」のシリーズがありました。
 ああ、懐かしいな。梶村秀樹『朝鮮史』を読んで、慌ててハングルを勉強したのだったっけ。ページをめくるとそこには「内在的発展論」という歴史観に貫かれた記述がみえました。「内在的発展論」をめぐってはさまざまな論議があります。私の専門ではないので、ここでは詳しい論評を避けますが、内容としては、韓半島の歴史は外国勢力によって他律的に動かされたのではなく、独自の文化伝統を持つ韓半島の民衆総体こそが社会を発展させた原動力であるとみる考え方です。
 これは…。先史時代に関する私の拙い研究で得た結論「地域の自律的な動き」は、梶村秀樹の「内在的発展論」にどことなく通じるものがあるようです。高校時代に読んだときは確かに衝撃を受けたのです。しかし、博士論文提出前夜の再びページを繰ったそのときまで、全く忘れていました。全く忘れるほど、身体に染みついていたという好意的な見方もできないわけではありませんが、大部分は単純に忘れていたというほうが実態に近いでしょう。しかし、頭の片隅に何とか残っていた梶村秀樹の論が作用し、私の拙い結論が導かれたのかもしれません。何とも申し訳ないような気持ちになりました。だから、二〇一八年に博士論文を基に書籍を出版した際には、直接、「内在的発展論」に言及したわけではありませんが、梶村秀樹『朝鮮史』を引用文献に加えてあります。
 長々と述べましたが、以上の話で私が申しあげたいことはただ一つです。読書は、すぐに何かの役に立つとは限りません。むしろ時間を隔てて効果が現れるような本こそが貴重なのではないかと思います。青年期にこそ、そうした本に出会えることを期待しながら、自身の興味や関心に応じて、大いに読書をするのがよいのではないでしょうか。

目次に戻る

進化するミュージカル
光冨省吾(アメリカ文化・文学)
 小山内伸著『進化するミュージカル』(論創社)

 ミュージカルの起源はイタリアのオペラにありますが、二〇世紀初頭のニューヨークの劇場街で誕生したブロードウエイ・ミュージカルは元のオペラから大きく変貌し、今やニューヨークだけでなく世界中で受け入れられるようになりました。ミュージカルの発展には(英語がわからない)移民の多いニューヨークの社会的事情もあり、セリフだけでなく音楽やダンスなども取り入れたショーが発展してきました。ミュージカルは基本的に翻訳家井上一馬が述べているように「人間賛歌」であり、アメリカ人の楽天的な国民性も反映されてハッピーエンドで終わる作品がほとんどですが、人種差別などの社会問題も次第にテーマとして取り上げられるようになり、一九五七年の『ウエストサイド物語』では悲劇のミュージカルも制作されるようになりました。
 ここで紹介している本は主として一九七〇年代から二一世紀にいたるまでの最新のミュージカルの代表作を中心に紹介しています。著者は執筆当時朝日新聞の記者で、新聞に劇評を書いていました。この本ではタイトルにあるように「進化する」ミュージカル作品を紹介しています。たとえばオペラのようにほとんど歌と音楽で構成されているアンドルー・ロイド・ウエバーの作品(『キャッツ』『オペラ座の怪人』)は『レ・ミゼラブル』『レント』に引き継がれています。また同じメロディーを異なる歌手が異なる歌詞を歌うことでそのコントラストが生じるロイド・ウエバーの手法はスティーブン・ソンドハイムのようなアメリカの代表的なミュージカル作家にも大きな影響を与えています。その他にもミュージカルの伝統を踏まえた上で、新しい工夫がなされた作品が続々と制作され、多くのファンを魅了しています。この本を読んで劇場に足を運ばれるようになれば幸いです。

目次に戻る

『薔薇の名前』の迷宮と『風の谷のナウシカ』の旅
桃﨑祐輔(考古学)
 私は高校から大学の10代には、とにかく何を読んでも面白かった。だから1冊でも多く読みたかったが、お金は全然なかったので、自炊で節約した食費から捻出した小銭で、古本屋の店先の箱に入っている1冊100円とかの新書や選書を漁って読んだ。鉄道で旅をするときは、キオスクの少ない選択肢の中から、興味を持てそうなものを探して買って読んだがたまにアタリがあった。20代には調査旅行で長旅も増え、そんな時は本棚の未読本から、普段手が出ないが、いつかきちんと読みたいと思っていた厚目のものを選んで出掛け、駅や宿屋でじっくり読んだ。本とは不思議なもので、何を読んでも何か学ぶところがある。少しお金がある身になると、本屋に行って面白そうな本を袋一杯買い、博物館に言ったら図録を根こそぎ買い、普段は平積みにしているが、研究が始まると全部の本が必要になる。学習と創造は違う。オリジナルの知は、学史の勉強だけでは生み出せない。自分の知の世界を膨らませ、既存の知の体系を破り、まだ使われていない新たな素材を消化吸収して再構築する必要がある。他人が作り上げた居心地の悪い知の片隅に間借りし、場当たりな検索に頼るより、自分の知の城となる世界を作るべきだ。そう覚悟を決めたら燃料や素材は無限に必要だ。金がなければ安い古書から掘り出し物を探せばいいし、時間がないなら飛ばし読みでもいい。
 人間は自分にお金か時間を投資しない限り成長しない。冷酷無比な今日の世界は、成長しない人間、成果の出ない人間を容赦なく切り捨て、貧困に追いやっていく。大学の教員になって良かったことは、自分の人生では完結できない知の探究を、教え子たちに託すチャンスが得られたこと、その知を力に変えて、世界を生き抜く術を伝えることができることだ。
 整然と人工植林されたスギ山が有害な花粉をまき散らした揚げ句豪雨で無残に崩落するように、現代の薄っぺらく有害な知性(例えば文系不要論とか、リーマンショックを引き起こした経済理論とか、地球温暖化否定説とか、日本すごい論とか)に辟易させられたとき、屋久杉の森みたいな複雑で奥深い知の森に分け入る心地で読める本がいい。
 一押しはサレルノ大学の記号論学者ウンベルト・エーコ先生の名作『薔薇の名前』上・下(1980刊、河島英昭訳、東京創元社、1990)。やはりこれが一番好きな小説だ。歴史上の人物や書物に言及するオマージュに満ち、濃密で難解なプロットは迷宮のようだ。ペスト大流行直前の1327年、灰色のだぼだぼした修道衣を纏ったフランチェスカン(フランシスコ会修道士)・バスカヴィルのウィリアム(≒バスカヴィルの犬、シャーロック・ホームズ)は弟子のベネディクト会の見習修道士のメルクのアドソ(≒ワトソン)と共に、神学論争と異端審問の会場となった北イタリアの山間にある古い修道院を訪れる。その修道院の巨大文書庫(内部に本物とだまし絵の階段が錯綜するまさに迷宮!)と写字室で起こる連続殺人事件と、その背後にある禁断の書をめぐる謎解きに挑むという内容だ。シャーロック・ホームズオタクのエーコ先生らしい換骨奪胎が効いた設定だ。修道院のガラス職人僧が眼鏡を作るくだりなど、金属工芸の研究をしている自分が読んでも会話のリアルさに引き込まれる。
 『薔薇の名前』は後にジャンジャック・アノー監督(『人類創生』の監督)、ショーン・コネリー、クリスチャン・スレーター主演で映画化され、こちらも原作に劣らずいい。映画の時代考証はアナール学派の総帥であったジャック・ル・ゴフ先生が担当され、修道院の薬草園やシャンデリア、チーズにシナモンをかけて焼いた焼き菓子の細部に至るまで、極限の考証がちりばめられている。文献から物質資料まで、すべての資料を総動員して「全体史」を叙述するアナールの歴史哲学が体現される一方、良質のエンターテイメントでもある。つまりヨーロッパ中世史オタクも普通の読者や観客もともに楽しめ、今時の安いファンタジー映画にはない奥行がある。しかし事情通の松岡正剛先生の解題で驚かされたのは、この世界を魅了した小説自体がエーコ先生の卒業論文『聖トマスの美的問題』で取り組んだ研究がもとになっているのだという。卒論を書く大切さをこれほど痛感させられたエピソードはない。この小説の根底となる殺人事件の設定は、小中学校の本棚にもあるバートン版『千夜一夜物語』『アラビアンナイト』)からの借用だそうだ。
 私はサイコパスみたいなシャーロックホームズの才気は好きになれないが、アッシジの聖フランチェスコが鳥に説教した故事が物語るように、フランシス・ベーコンの弟子でオッカムの友人でもあるというウィリアムの語る言葉は寛容にして思慮深く、東洋思想とも親和的で、こちらの名探偵の方がずっと魅力的だ。しかし時は教皇のアヴィニヨン捕囚時代で、「清貧」を掲げるフランチェスカン自体が異端にされかねない時代であった。そのような困難な状況の中で、ウィリアムは、不寛容な狂信の権化である黒衣のドメニコ会異端審問官ベルナール・ギ―と理性をもって対決する。
 しかしなんといっても、山場は伝説的なヴェノスアイレス図書館長、ホルヘ・ルイス・ボルヘスをモデルにした盲目の修道院文書庫長、ブルゴスのホルヘ(英語名だとジョージと表記されなんともしまらない)との最後の頭脳戦だ。キリスト教信仰を崩壊させかねないアリストテレス詩学『第2部』―「笑い」の書を隠蔽するため、「悪魔」となって文書庫を守る髑髏検校ホルヘと、人智を駆使した推理と、そして痛烈な風刺的毒舌をもって戦うのである。
 異端審問を盛り込んだものなら、オルダス・ハクスリーの『ルーダンの悪魔』(1952刊、中山容・丸山美知代翻訳、人文書院1989)もいい。1632年にフランス・ルーダンで、ウルスラ会修道女たちが魔女状態に陥り、彼女たちの性的妄想もないまぜになって、教養ある色男だったウルバン・グランディエ神父が悪魔崇拝者に仕立て上げられ、火刑にされた事件に取材したものだ。しかし見どころは猟奇的なものではなく、人間の集団ヒステリーの冷徹な分析にある。その末尾近くの、「一輪の花、一粒の砂にも、時を刻む永遠を見ることが出来る」という一節は、考古学を志していた私の心に深く沁み、今でも出土品の観察の時に思い起こす言葉だ。映画化されたというがぜひ見てみたい。最近、彼の名前にひかれて『すばらしい新世界』(1932、黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫、2013)も買って読んだが、完全管理社会を描いた近未来SFのこっちは全然面白くなかった。ただ刊行された時代を考えれば、預言的な内容を多く含んでいる。やはり彼は歴史的事件に取材して語る方が、自身の架空の世界を語るより魅力的である。
 では、日本の物語で、樹海に分け入るような作品は何かといえば、宮崎駿氏の『風の谷のナウシカ』漫画版(全7巻、アニメージュコミックス1983~1994)が思い浮かぶ(小説なら荒俣宏先生の『帝都物語』かな)。しかし映画では、ナウシカ物語の核心をなす土鬼とトルメキアの戦争は描かれなかったから、当時城南高校漫画研究部で変形合体ロボットアニメ製作に明け暮れていた私は大いに不満だった。ところが先日、NHK特集で、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」の特番をやっていて驚いた。新宿で2019年12月6日から25日まで上演されたというが、上演は6時間にも及ぶそうで、土鬼皇弟ミラルパが藤原時平の隈取で出てくると聞いただけで「おおッ」と思え、どうも映画よりよくできている可能性が高そうだ。再演されるならぜひ観たい。ネットの記事によれば、主演ナウシカの尾上菊之助が3日目にケガして当初の立ち回りが難しくなり、クシャナ役の中村七之助がそのぶんがんばったそうだ。ナウシカの世界には、「皇女クシャナ」(クシャーナ朝)、「トルメキア」(トルクメニスタン?)、「タリア川の石」(アムダリア、ホータンの玉?)「ペジテ市」(ダルヴェジン・テペ?)「エフタル」(白匈奴)のように、中国の涼州から中央アジアの世界を想起させる人名や地名のキーワードがちりばめられているが、なかでもチベットを彷彿とさせる文化をもつ「土鬼(ドルク)」が何をモデルにしているのか長年の疑問だった。2018年の中国在外研究の折、長澤和俊先生の『楼蘭王国』(角川新書、1963)を読んでいてやっとわかった。慕容鮮卑の吐谷渾が故郷の内蒙古を捨てて西走し、子孫が現在の青海省に入って土着の羌人たちを征服して吐谷渾王国を建てた。西域進出を狙う北魏は、445年に鄯善(クロライナ、楼蘭の北部)に万度帰将軍、吐谷渾に高涼王那の大軍を派遣した。敗れた吐谷渾王・慕利延は部衆を率いて流砂を渡り、西方の于闐国(ホータン、現在の和田)に侵入して王を殺し、多くの死傷者を出してこの国を占領した。この経緯はチベットに伝わった『于闐国史』(リー・ユル・ルン・タンパ)に記された吐谷渾(ドウルツグ)のアノソン王の于闐(リー・ユル)侵入に相当するという。この後、慕利延は遠く罽賓(カシミール)まで遠征し、やがて南朝の宋と連絡して、二年後には再び青海に帰還したという。近年、青海省トゥラン盆地の吐谷渾王や貴族の墓からは、西域の金製品や南海の貝製品、南朝の陶磁器など珍奇な文物が多数出土したが、これこそ慕利延の築いた通商路の産物だ。ところが于闐国を征服した吐谷渾は、当初は佛教伽藍を焼き払ったが、次第に仏教化し、ついに青海、更に西蔵に仏教を扶植し、吐蕃時代以降、チベットのラサは仏教信仰の中心となった。つまり「土鬼(ドルク)」のモデルは吐谷渾(ドウルツグ)のようである。
 西域を旅した時役立ったのが、玄奘作、桑山正道先生訳『西域記―玄奘三蔵の旅―』(小学館地球人ライブラリー 1995)だ。7世紀に玄奘が至ったウズベキスタンのタシケントやサマルカンド、カシミールの記事もある。スウェーデン歴史博物館には、初期バイキング遺跡のヘルゲ島住居跡から出土した7世紀のカシミール仏が展示されているが、この仏像を見にストックホルムまで行ったのは、江上波夫先生の論文「スウェーデン出土の小仏像」(『江上波夫著作集4 東西交渉史話』平凡社1985)の影響だ。また中国から帰国して読み、中国の旅に持って行かなかったことを後悔したのが森安孝夫先生の『シルクロードと唐帝国』(興亡の世界史05 講談社学術文庫、2007)である。ソグド人の活動や西安のササン朝ペルシアの亡命者の話など知らないことばかりだった。陝西・甘粛の旅には必読の書だ。

目次に戻る

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、テレヴィジョン
森丈夫(西洋史)
 大学が素晴らしい場所であるのは、必ずしも社会人として一人前になるための技能や能力を磨くことができるからではありません。もちろんそれを否定しませんが、大学は人がそうしたものを身に着ける長い過程の一段階にすぎません。むしろ、大学の個性とは、学生たちが高校時代の学習では決して出会わないような知的刺激にあふれ、そこからそれぞれが、自分の歩みを大きく左右していくような固有の知性や感性を育んでいくことができる場であることだと思います。もちろん大学の授業はそうした機会の一つです。しかし、大学が提供するのは授業だけではありません。先生や先輩との会話、立ち寄った休憩所で耳にした話し声、ふと目にしたポスター、学園祭の企画等々。たとえば、学生のみなさんはこうした機会において、およそ高校時代には推奨されないような書物の存在を知るでしょう。なぜか?高校まで学校が教えてきた学習や規範には「立派な社会人」になるという目的があり、その目的から外れるものはタブーとして、秘匿されているからです。例えばミシェル・フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰』(新潮社、一九七七年:原著は一九七五年)。私が大学時代に学生たちがどこからともなく推奨されて読んで、瞠目したこの本について、高校時代の先生はおそらく口にしないはずです。無残な処刑、複雑な刑罰制度、手の込んだ受刑者の管理といった刺激ある描写だけでなく、本書は学校という制度そのものを批判しているからです。
 しかし、学生のみなさんが大学で出会う新たな刺激は書物だけではありません。それは音楽であったり、映画であったり、写真であったりするはずです。私の場合、サークルで先輩から教わった音楽が大きく自分の感性に影響を与え、その後の私の世界の見方を左右していきました。おそらくそれがなければ学問を職業とすることもなかったはずです。そのうちの最初に出会ったものは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの同名のデビューアルバム(一九六七年)と二枚目の『ホワイトライトホワイトヒート』(一九六八年)、テレヴィジョンの『マーキームーン』(一九七七年)です。いずれもニューヨークのややマイナーなロックで当時商業的な成功はありませんでした(ただ現在でも世界中で根強く愛されています――アンディー・ウォーホールが制作したバナナのジャケットは誰でも見たことあるでしょう)。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲には、「ヘロイン」「黒い天使の死の歌」など倫理的に問題があるタイトルも多く、またしばしばノイズの入る曲調も決して「美しい」と言えないので、学校や親が学生に積極的に推奨することはまずありません。しかし、だからこそ、私にとって彼らの曲は、大学に入るまで家族や友人と過ごしてきた幸福で凡庸な日常とは違う世界があることを知るきっかけとなったのです。実際、彼らの楽曲は、一九六〇年代末から、従来の政治や文化に対して疑念が高まる中、耳あたりの良い商業的な音楽に対するアンチテーゼとして生み出されたものでした。当時のニューヨークは、多くの若者が集まり、苦しみつつも音楽や美術、文学などで新しい表現を見つけようとする活気あるシーンでした。そこで生み出された作品の代表がテレヴィジョンの上記のアルバムです(その場所にいた若者の一人パティ・スミスの「グローリア」と「ヘイ・ジョー」のエモーショナルな歌も、写真家ロバート・メープルソープの素晴らしいジャケットとともにお勧めです)。
 現在、大学は硬直化してきており、また学生のみなさんには経済的なゆとりがなく、私たちがいた時代の大学のような呑気な雰囲気はなくなってきているかもしれません(それには私も加担しています。すいません)。しかし、大学は依然として耳をすませばどこかで知的刺激を与えるものの情報が入ってくる空間であり続けています(この冊子!)。みなさんが大学生活でそれらに出会い、新しい刺激に身を委ねつつ、違う自分に出会うことを期待しています。

目次に戻る

汽車旅の勧め・その五
― 車窓から仰ぐ深田久弥『日本百名山』 ―

山縣浩(日本語史)
 二〇二一年は、深田久弥(一九〇三~一九七一)没後五〇年であった。二〇年以上『NOVIS』を手にしてきたものの、先生方からその名著『日本百名山』(一九六四年刊行)が紹介された記憶はない。とは言え、私は山岳の徒ではない。一〇〇座のうち、徒歩で頂上を極めたのは、至仏山しぶつさん一座に過ぎない。車を駆って頂上近辺まで行った名山は、少なからずある。しかし、それらを座数に入れることはできまい。
 一方、本務である汽車乗りの傍ら、車窓から眺めた座数もJR全線完乗を目指す輩でないため、限られる。勿論、鉄路から眺められない座数も少なくない。従って、紹介できる名山は、更に限られる。しかし、この文章が深田の名著を手に取っていただくきっかけとなることを願う。そして、名山巡りの汽車旅にいざなうことができれば、望外の幸せである。
深田久弥『日本百名山』新潮社
 なお、本書の類書として、手元には次の二冊がある。それぞれに個性的で、扱う名山も異なる。また重複する名山は、その魅力が多角的に捉えられる。読み比べるのも一興である。
田中澄江『文春文庫 花の百名山』文藝春秋
岩崎元郎『朝日文庫 ぼくの新百名山』朝日新聞社
 深田が車窓から名山を描写することは少なくない。これは、移動の手段として鉄路が社会的に重要な働きをなしていた一九五九年からの連載になるためである。
1.IGRいわて銀河鉄道(好摩~盛岡間)・東北本線(福島~郡山間)・岩手山(二〇四一米)・安達太良山(一七〇〇米)
 東北地方に出掛けることは、これまで殆どなかった。またこれからもなかろう。従って、車窓から岩手山・安達太良山を仰ぐことはもう二度とあるまい。
 北へ向う急行が盛岡を出て間もなく、左側に、ポプラ並木のこずえ越しに見えてくる岩手いわて山は、日本の汽車の窓から仰ぐ山の姿の中で、最も見事なものの一つだろう。 62頁
 あずまの国からみちのくへかかって、つまり現在の福島県へ入って、郡山から福島の間で、汽車の窓から左手にあざやかにこの山が眺められる。雪のある時には、その姿は一層立派に私たちの眼に迫ってくる。 98頁
 これらの引用の後、深田は、石川啄木の歌と高村光太郎の詩などを引用する。標高・山容・動植物・登山経路など、名山自体の記述だけでなく、それにまつわる文学・文化・歴史・伝説なども記すところが本書の魅力になっている。
 私は、深田とは反対に北側から両山に巡り会った。岩手山は、花輪線から好摩駅に出てからずっと右手に「南部の片富士」と言われる秀麗な姿を眺め続け、盛岡駅に辿り着いた。
 安達太良山は、二本松市内で間近に接した。盛岡で所用を済ませた後、新幹線で郡山駅、その後在来線で二本松駅に向かった。二本松では、少年隊関係の史跡を巡ることが目的であった。二本松城址は、偶然登っただけであったが、天守址から遠く望んだ安達太良山の穏やかな山容は急坂での疲れを癒やしてくれた。
 ちなみに、幕末・維新期の戊辰戦争における東北地方での戦では、会津藩や白虎隊の悲劇が知られている。しかし、二本松藩の少年たちのことも忘れてはならない。白虎隊は自刃であるが、二本松少年隊は戦死である。「二本松少年隊 小沢幾弥 17歳 戦死之地」などの碑が街角にいくつも見られる。
 なお、郡山駅から二本松駅に向かう宵、松川駅に停車したとき、頭の奥に何かを感じた。後で調べ、一九四九年八月に起こった松川事件の最寄り駅と知った。下山事件・三鷹事件とともに「国鉄三大ミステリー事件」などと称せられるため、東京近辺の事件かと思っていた。松川駅に停車したことがきっかけになって、その後、広津和郎の活躍や松本清張の著作に接するようになった。
2.高崎線(行田~高崎間)・赤城山(一八二八米)他
 何度も乗った路線で、何度仰いでも仰ぐ度に心に迫る名山は、赤城山である。
 上野駅から高崎線に乗り、熊谷駅を過ぎる頃から疎林が目立ってくる。籠原駅・深谷駅・岡部駅・本庄駅と進むにつれて、右手に裾野を広げ、頂上付近にはいくつものピークを抱えた姿が見えてくる。赤城山である。
 上野から高崎までの車窓で、一番私たちを楽しませてくれるのは赤城山である。見事なのは、のびのびと裾野へ引いた稜線であって、おそらくこれほど大きな根張りは、他に例が少なかろう。しかも、それが少しのわだかまりも渋滞もなく、ゆったりと優美な線で伸びているさまは、胸がすくようである。 179頁
 群馬県の、国定忠治ゆかりの名山として名は知っていた。初めて接したときには、予想外の雄大さに息を呑んだ。そして、うまくすれば、ともに百名山である、武尊山ほたかやまを赤城の左に、皇海山すかいさんをその右に臨むことができる。また高崎駅に近付くと、左手の山向こうに浅間山を望むことができる。これらの山々は、冬、雪を被ったときの姿が何よりも美しい。
 深田が本項で引く「焚火」は、本書に親しむずっと前、短編ながら心に残っていた志賀直哉の作品である。山中の湖水を小舟で進んでいく静かな場面が印象的であった。その後、本書に接して、当小品が赤城山頂の地を舞台とし、湖水は大沼おのであることを知った。
 また高崎駅までの車中、遠く左手、西の彼方に眼を凝らすと、秩父方面に遠く幽かに両神山を望むことができる。
 上野から高崎まで、関東平野を縦貫する汽車の窓から、この平野を囲む多くの山を見ることができる。赤城、榛名はるな、妙義の上州三山や浅間山は、誰の眼にもすぐわかる。注意深い人は更に多くの山を見出すことができよう。
 私がいつも気をつけて見る山に、両神りょうがみ山がある。それは秩父の前山のうしろに岩乗な岩のとりでのさまで立っている。大よその山は、三角形であったり屋根形であったりしても、左右に稜線を引いて山の体裁を作っているものだが、両神山は異風である。それはギザギザした頂稜の一線を引いているが、左右はブッ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している。 278頁
 そのギザギザの左手には、田中がセンブリソウで掲げる武甲山ぶこうさんが見られる。またこれら秩父の二座を遠くに眺めながら進むと、同じく左手、西上州の連なりの中に岩崎が「航空母艦を思わせる山容」(37頁)と記す、これまた異形の荒船山が望める。北端の艫岩ともいわ下の絶壁は遠くからでも確認できるものの、出来たら国道254号を内山峠に向かう途次に仰いでほしい。
 上毛三山の妙義山もさることながら、両神山・荒船山とも西日本で暮らした者には、想像できない山容である。
3.小海線(馬流~清里間)・八ヶ岳(二八九九米)
 小海線は、小諸駅・小淵沢駅両方から入ったことがある。印象は、小諸駅からの方が強い。
八ヶ岳が徐々に望めるためである。野辺山駅の手前から当駅を過ぎ、鉄道の日本最高地点を通ってから清里駅手前まで、広々とした高原野菜の畑の先に両神山を数十倍にスケールアップした山容が右手に望める。
 深田は、小海線でなく中央線からの八ヶ岳を描く。同じ路線に乗車したことはあるものの、雨であったため、同じ眺めには接せられなかった。
 中央線の汽車が甲州の釜無谷かまなしだにを抜け出て、信州の高台に上り着くと、まず私たちの眼を喜ばせるのは、広い裾野を拡げたやつヶ岳である。全く広い。そしてその裾野を引きしぼった頭に、ギザギザした岩の峰が並んでいる。八ヶ岳という名はその頭の八つの峰から来ているというが、ふもとから仰いで、そんな八つを正確に数えられる人は誰もあるまい。 274頁
 一八八四年一一月に勃発した秩父事件に心を寄せる者として八ヶ岳東麓一帯は散華の地と刻まれる。秩父から矢久峠を越えて、上州に入り、更に十石峠を越えて、信州で新たな展開を図ろうとした一行が最後の追撃を受けたのは、馬流まながし駅付近である。当駅手前、右手の畑の中に、ともに佐久郡北相木村出身の菊池貫平と井出為吉の白い像が立つ。二十年以上前に訪れたのが最後であったが、今も立っているのであろうか。
 田中は、百名山の一座でもある金峯山きんぷさんの項の冒頭に次のように記す。
金峯きんぷ山には、秩父事件の舞台となった南佐久の高原を、脚下に一目で見渡したくて登った。 237頁
 その後に秩父の歴史ともに秩父事件への思いが綴られ、この一節を次のように締める。
 軍隊も出動し、多勢に無勢で、やがて十石峠から南佐久平の千曲ちくま川沿いに潰走かいそうしたひとたちは、ことごとく捕えられて苛酷な懲罰にさらされた。西に八ヶ岳連峰が、南に甲武信、国師、金峯の連山が、眼の下にひろがる惨劇を見まもっていたはずである。 238~239頁
4.飯田線(岡谷~飯田間)・仙丈岳(三〇三三米)
 岡谷駅から豊橋駅までの飯田線のうち天竜峡駅以南は「秘境駅」の連続で著名である。しかし、それまでも広く開けた伊那谷を縦断しながら左右に南アルプス・中央アルプスの名山を望むことのできる区間である。従って、飯田線は、全線気を抜くことなく乗り通してほしい。私が完乗したのは、二度とも岡谷駅から豊橋駅に抜けるときであった。
 岡谷駅から飯田駅まで、右に左に遠くにだけでなく、近くにも目を凝らすところが多い。本線は、古くからの路線であるため、地形に忠実に敷設されている。即ち、鉄路を真っ直ぐ通すため、トンネルや橋梁は設けない。例えば、天竜川に流れ込む支流の刻む谷に高度を変えず敷かれているため、Ωオメガカーブが連続する。度々谷のすぐ向こう側に通ってきた鉄路を望むことができる。また直線区間では、下方に天竜川の作った河岸段丘が教科書の写真さながらに見られる。
 遠景がすばらしいのは言うまでもない。百名山では、南アルプスから甲斐駒ヶ岳・仙丈岳・鳳凰岳・北岳・あいノ岳・塩見岳・悪沢わるさわ岳・赤石あかいし岳・ひじり岳・てかり岳の一〇座、中央アルプスから木曽駒ヶ岳・空木うつぎ岳の二座が取り上げられている。しかし、私には同定できない名山ばかりである。同定できた中では仙丈岳が優美さの点で群を抜く。
 私の好みで、日本アルプスで好きな山は北では鹿島槍、南では仙丈せんじょうである。何よりその姿がよい。単純なピラミッドでもなければ鈍重な容量マツスでもない。その姿に軽薄や遅鈍のないところが好きなのである。スッキリとしてひんがある。ちょっと見ては気づかないが、しばしば眺めているうちに、次第にそのよさがわかってくるといった山である。 330頁
 このように考える理由として、深田は、仙丈岳の持つカールを挙げる。
 遠くから眺めて、ゆったりとしたスカイラインを引いているのが、いかにもおおらかで重厚である。しかも、その厖大ぼうだいな山容が少しも鈍重に見えないのは、みごとなアクセントがついているからだろう。
 アクセントとはその山頂部にある三つのカールである。その顕著な刻みが山容を引緊めている。 330頁
 残念ながら、飯田線からこれらのカールは見られない。しかし、全体の山容もさることながら、尾根と谷のバランスが絶妙である。岩崎も次のように山容を賞める。
 西側から望む山容がいい。大きくどっしりしていて存在感があり、たおやかな山だ。やさしげで女性的というか包容力を感じさせる。花の山としても人気のある山で、南アルプスの女王と呼ぶ人もいるくらいだ。 20頁
 花の山だけに田中の文章でも本座の頁はカタカナの花の名であふれている。
5.東海道新幹線(岐阜羽島~米原間)・伊吹山(一三七七米)
 昔、東京方面から帰ってくる際は、飛行機でなく、新幹線を利用していた。この鉄路に最も間近に聳える百名山が、関ヶ原を過ぎると現れる伊吹山である。その姿に接すると、西日本に戻ってきたとホッとするところがあった。しかし、ここから九州・山口までは意外と時間がかかるのである。
 東海道全線中これほど山の近くを走る所はなく、その中でも私のいつもみとれるのは伊吹山いぶきやまの姿であった。それはボリュームのある山容で、すぐ眼の前に大きくそびえている。
  米原から北陸線に入って長浜のあたりでは、もっと余裕をもってこの山を仰ぐことが出来る。 374頁
 その後、湖東方面を長浜駅に向かったり、湖西を周遊したりすることがあった。引用のように長浜駅に向かう広野から右手に望む伊吹山は、新幹線から間近に仰ぐのとは違った山容である。また琵琶湖の西側、今津の浜や舞子の浜、湖西線の高架から望む遠景も周囲の山々を従えて名山にふさわしい落ち着きがある。
 伊吹山に対するように琵琶湖を挟んで西に連なるのが、比良山地である。湖西線・比良駅から見上げると、眼前に聳え立ち、圧巻である。また車窓からではないが、近江八幡市の八幡山(八幡城址)からは、遥か比叡山から長く続いて琵琶湖西岸の壁となっている様が眺められる。
6.一畑電鉄(一畑口~松江しんじ湖温泉間)・大山(一七一三米)
 中国地方で唯一百名山に選ばれたのが、別名・伯耆富士とも言われる大山である。元気のよい頃は、車で行く最遠の地域にあったため、様々な角度から本座を眺めた。鉄路からは、一畑電鉄で出雲大社前駅から松江しんじ湖温泉駅に向かった折の印象が鮮烈である。深田と同じく出雲から眺めた訳である。
 伯耆ほうきの国にありながら出雲富士という名もあるのは、この山が整った富士型に見えるのは、出雲から望んだ場合に限るからであろう。私は大山を、松江の城から、出雲大社から、三瓶山の頂から、望んだ。いつも一と目でわかる、秀でた円錐えんすい形で立っていた。 387頁
 宍道湖北畔を進む中、湖の彼方・右前方に山頂が白くなった均整の取れた小さな山塊を認めた。暫くの間、大山とは分からなかった。と同時に、それまでは間近に巨大な姿を見続けていただけに新鮮な気持ちで見入った。
 深田は、ここでも「出雲風土記」に記された本座に係る神話、中国地方の山々に特徴的な「~セン」の読み、西行の「撰集抄」に記された大山寺の謂れ、その歴史、そして「暗夜行路」での影大山の描写など、様々な面から本山を語る。
7.豊肥線(波野~立野間)・阿蘇山(一五九二米)
 百座のうち、九州地方で挙げられるのは、九重山・祖母山・阿蘇山・霧島山・開聞岳・宮ノ浦岳の六座である。
 地元だけに道路で出歩くことが多く、これら六座を目にする機会はあったのであろう。しかし、本当に目に入っていなかったり、意識していても同定できなかったりするばかりで、頭に残っているのは、九重山・阿蘇山だけである。
 六座の中で、九州を代表する名山は、阿蘇山で異論なかろう。ただ、本座も鉄路からでなく、外輪山の大観峰からの印象が強い。
 深田もここからの眺めに目を見張り、「自然の万里の長城といったおもむき」(408頁)と記す。なお、この項では、頼山陽の漢詩や夏目漱石の「二百十日」を紹介する。漱石の作品で、地方を舞台とするものでは「坊ちゃん」が著名である。しかし、漱石はその後熊本に滞在し、「二百十日」以外に「草枕」を著している。
 二〇二〇年一一月、大分駅から入って豊肥線を初めて完乗した。二〇一六年四月の熊本地震のため、不通になっていた本線が開通した三ヶ月後のことである。ただ、その日は、雨であったため、本線から阿蘇山、就中根子岳や高岳が仰ぎ見られるものかどうか分からなかった。
 ただ、波野駅から宮地駅までの外輪山を下る初めての乗車区間で、その大きさを体感することができた。傾斜が急なため、鉄路は直進せず、山肌に沿って南向きに高度を徐々に落としていく。このため、外輪山内の平地に至ると、急に北向きにカーブして、宮地駅に向かう。
 またこの区間は、トンネルが続く。二〇一二年八月の水害の際は、流れ込んだ濁流のため、トンネル内のレールが吐き出された。吐き出されたレールは、トンネルとトンネルの間にとぐろを幾重にも巻いた形で留まった。その映像には衝撃を受けた。
 宮地駅近辺で暫く過ごした後、地震のため、不通になっていた箇所、即ち、立野駅手前の、崩落した阿蘇大橋付近を通過する際は目を凝らした。直下に真新しい道路が見られるものの、見上げた崖にも、道路向こうの深い谷にも、向こう岸にも地震の爪痕が確認できた。
8.その他
 生まれ育った土地、長年住んだ土地を象徴する山が誰にでもあろう。
 それを強く意識したのは、深田の常念岳じょうねんだけに係る冒頭の記述であった。
評論家臼井うすい吉見氏が書いていた。松本の氏の小学校の校長はいつも窓から外を指して「じょうねんを見よ」と言ったが、その言葉だけが今も強く記憶に残っている、と。 242頁
 この一節を読んで思い出したのは、山口市内の高校に通っていたが、その三年生のとき、担任の教師が発した、次のような趣旨の発言である。
 大学に入って山口を離れても、帰省等で戻ってきたとき、鳳翩山ほうべんざんを見ると、山口に帰ってきたなと思うようになる。
 毎朝、隣り町の周防下郷駅から乗車して、最初の一年間は、蒸気機関車の引く客車の車窓から、後の二年間は、気動車の車窓から左手彼方に東鳳翩山・西鳳翩山の連なりを眺めていた。特に冬場、雪を被った姿には、清々しい気持ちにさせられた。その後かなりの時間が経った頃、学会や父母懇談会で湯田温泉駅に向かうようになった折、同じように仰いだ。その度に、その言葉を思い出し、約五〇年前の高校時代を懐かしむのであった。
 一〇〇〇mに満たないものの、岩崎は東鳳翩山を「親しみやすさを決め手」(70頁)として山口県の一座として取り上げる。
 現在は、背振山系の雷山・井原山である。仕事帰り、筑肥線に乗って、周船寺駅から波多江駅までの間、住宅が途絶えるあたりで、遠くに連なりが望める。二つのピークが雷山と井原山である。今や故郷の山になり、仕事帰りということもあるが、この連なりを眺めると、安堵する。
 二〇年以上見続けてきたが、一日の中でも、一年を通しても、様々に姿を変え、見飽きない。周船寺駅を発車し、手にした本から目を上げ、窓外を見やるとき、筑肥線はロングシートであるため、私の向かいに座った乗客は、私の視線の先はどこにあるのであろうかと思っているに違いない。

注 手元にある本書は、『日本百名山 新装版』新潮社(一九九九一年八月刊・二刷)と『新潮文庫 日本百名山』新潮社(一九八八年一〇月・一九刷)で、引用は、前者に依る。また山名の表記・標高等は、原則的に本書に従った。
田中・岩崎の二冊の詳細は、それぞれ次の通りである。
『文春文庫 花の百名山』文藝春秋(二〇一七年六月・新装版第一刷)
『朝日文庫 ぼくの新百名山』朝日新聞社(二〇〇七年三月・第一刷)
その他、適宜、次の文献を参照した。
日本山岳会『改訂 新日本山岳誌』(二〇一六年五月・第一版第一刷)

【付記】深田の郷里・大聖寺に「深田久弥 山の文化館」がある(石川県加賀市大聖寺)。没後五〇年を記念して何か特別な企画が行われたのかもしれないが、見落としてしまった。コロナが落ち着いた頃、当館を訪ね、併せて白山を仰ぎたい。

目次に戻る

逃げ出すわけにはいきまっせん
山田英二(英語学)
 『天に星 地に花』(帚木蓬生、二〇一四年、集英社)
 (『ギャンブル依存とたたかう』(帚木蓬生、二〇〇四年、新潮選書))
 念願叶い青雲の志を抱いて大学の門をくぐった諸嬢諸君、御入学おめでとう。

 電子書籍を入学祝いとして貰った人もいるでしょう。私は学生時代から山が好きで、時には何日も山中で過ごしていました。今の若い人が同じ状況で数冊読める手軽さを正直、羨ましいと思わないこともありません。山に持って行くのをどれにしようかとかつて悩んだからです。乱読、熟読、味読、そして「とりあえず積んどく(読)」も、良書に巡りあうまでに必要で、大事な体験ですし、特別な場所で読む本は、意外に永く記憶に留まるものです。
 ところがこのような便利な道具が増えた一方で、紙の書籍の売り上げは近年芳しくなく、町の本屋さんは苦戦しています。出版業会の年商はおよそ三兆円ほど、パチンコ産業はその十倍、約三〇兆円も稼いでいます。パチンコ産業と国民医療費がほぼ同規模というのも、あなたにとっては衝撃ではありませんか?
 このことを私に教えてくれたのは、福岡は小郡の出身、作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏です。精神科の医師でもある彼のライフワークの一つは、『ギャンブル依存とたたかう』ことで、有名な本の題名になっていますが、願わくばこちらの本、そしてギャンブル依存そのものとは無縁の学生生活であって欲しいです。私もパチンコはやりました。しかし、ある日虚しさを感じて止めたのです。パチンコ屋へ足が向かう時はたいてい気持ちが「逃げ」、つまり現実逃避の方向へ向いている時に他ならないと気づいたことがきっかけでした。やっている時は愉しいのに、金が底をついてふと気がつくと必ず「時間を無駄にした」、そんな苦い思いが胸に込み上げてくるからでした。
 山に登ることは、逆に、登る時は苦しくてキツクてならないのに、その後の感動と爽快感はなかなか消えることはありません。同じ山でも登るたびに異なる経験が待っています。これは、学問にも稽古事にも言えることではないでしょうか。大切なものは、簡単には手に入らないものなのです。深山には人工の灯りが届かないので星空は冴えて美しく、吾亦紅(われもこう、『我も恋ふ』という字を勝手に思い浮かべていましたが)の野草は見飽きぬ可憐さを秘めて風に揺れていました。
 『天に星 地に花』は題名に惹かれてふと手を伸ばした本です。江戸時代に題材をとっていますが、現代という同時代の物語でもあります。この言葉は、或るオランダの名医からとある若者へと継がれていく命のかがり火です。そのいきさつについては、久留米藩井上村の霊鷲寺にまつわるこの物語を、じっくりとひもといて下さい。若い皆さんにはまだそれほどのことはないと思いますが、これからの人生においては、精一杯果たした己の義務や仕事について、心ない人からいわれのない非難を受けることも出てくるでしょう、はらわたが煮えくり返るほどの思いに直面することもあるでしょう。あなた個人に無理を強いるどうしようもない組織の中で、生き方を探らなくてはならないこともあるでしょう。この本は、そうした時に、きっと煌々とした道しるべとなってくれることと思います。

 久住の山々へ登った帰り道、大分からの高速道路を車で鳥栖方面に戻る途中に、山田SA(サービスエリア)というのがあります。そこを通過すると次はやがて井上SAという標識に変わります。この小説の舞台になった井上村はそのあたり一帯でした。「井上」は大学時代以来の悪友の名です。なので、やぁまだぁ〜、いぃのうえぇ〜、と心で呟きながら、バカをやった青春の日々、山に明け山に暮れ、山に救われた若い頃を思い出したりして、ここを走る時はいつもちょっといい気分になります。

 人生、多少、いやうんと嫌なことがあろうとも、「逃げ出すわけには、いきまっせん。前ば向いて生きていかんこつには。」(本書『天に星 地に花』より)

目次に戻る

人から本をすすめられること ―パール・バック 『大地』―
山根直生(中国史)
 パール・バック『大地』
  (初出一九三一~一九三五年。新居格氏訳の新潮文庫版は、一九五三年)

 「無人島に一冊だけ本を持ち込めるとしたら、何にする?」という問いかけがあります。孤独な生活を紛らせてくれそうな、くりかえし読んでも飽きない書物をあげていく話題であり、多くの作家や学者といった人々が自分のお気に入りを紹介しています。
 さて私ならどうするかと問われたら、たぶん何を持っていってもけっきょく読まないのではないか、と思います。本を読む理由というのはただその本自体が面白いとか為になるからとかばかりではなくて、読んだ感想を誰かと語りあいたい、ある人が読んだと言っていたから自分も読んで話をしたい、などの理由もあるはずです。私にとっては特にそうで、どんな難しげな本であれ尊敬する人から教えられれば、その人と討論したいがために努力して熟読するでしょう。誰とも話す機会のない離れ小島に流されたら、どれほど面白そうな本であっても目を通しはしないと思います。
 つまり私が一番熱心に読書するのは、自分の敬愛する誰かから本を教えてもらった時であり、今回紹介する『大地』も大学時代の恩師からすすめられた本の一冊です。読み進めて、自分が研究上学んできた中国に対するイメージにあまりにもぴったり合致していることに驚き、一九三〇年代に発表されたこの本のイメージに、むしろその後の中国史研究全体が規定されたのではないか、とさえ思いました。

 『大地』の舞台は、中国安徽省、十九世紀末から二十世紀の時期と思われます。思われる、というのは、ジャンルとしては歴史物に当たるこの物語ですが、歴史上の著名人や地名・事件名が登場せず、厳密にはいつ・どこの話かあえて分からぬよう書かれているからです。それどころか、主要人物の王一家以外には、ほとんど固有の名前さえ出てきません。物語は第一部の主人公、貧しいけれども勤勉な農民の王龍が、富豪の奴隷であった阿蘭を買い取り、妻にするところから始まります。
 平凡な農民の物語を興味深いものにしているのは、厳しく過酷な中国の環境と、それを乗りこえていく彼ら、特に阿蘭のバイタリティーです。旱魃の到来を予想して稲穂の軸を食料として保存したり、飢饉につけこんで彼らの土地を買いたたこうとする高利貸しとわたりあったり、いよいよ暮らしていけなくなって流民として都会に逃げ込んでからも、物乞いの仕方を子供達にたたきこんだりと、とにかく凄まじい女性です。旱魃が過ぎ去り、故郷にもどった王龍は前にもまして畑仕事に励み、一家はしだいに裕福になっていくのですが、阿蘭の働き有ってこその幸運であったのは間違いありません。
 私は今までにもこの本を知人や学生の何人かにすすめました。女性読者がそろって面白いと感じるのは、王龍をはじめとする男性主人公と、いずれも気丈な女性たちの間の、ベタベタしていない愛情をさらにドライに描ききった、筆者パール・バックの洞察力だそうです。死の床についた阿蘭と、王龍のやりとりの場面を以下に引用してみます。

…彼は、毎日、幾時間も阿蘭の病床に座っていた。阿蘭は弱っていたし、達者なときでも、あまり話をしない仲だったから、今はなお黙々としていた。その静寂の中で、阿蘭は自分がどこにいるのか忘れることがあったらしい。時々、子供のときのことなどをつぶやいた。王龍は、初めて、阿蘭の心の底を見たような気がした。それも、こんな短い言葉を通してのことだったが。
「はい、料理を持って行くのは、戸口までにします。わたしは、みにくいから、大旦那様の前へは出てはいけないのは、ぞんじています」
 (中略)
「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています ── 」
 王龍は聞くにしのびなかった。彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。彼女が言っていることは事実なのだ。自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、蓮華(注 王龍の美しい妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。それが不思議で悲しかった。この死にかかっている骨ばった手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。
 それだけに、王龍は、いっそう阿蘭に親切を尽くし、特別な食べ物や、白魚とキャベツの芯を煮た汁を買ってきたりした。おまけに、手のつくしようのない難病人を看護する心の苦しみをまぎらすために、蓮華のところに行っても、少しも愉快ではなかった ── 阿蘭のことが頭を離れないからだ。蓮華を抱いている手も、阿蘭を思うと、自然に離れるのだった。…

 筆者バックはアメリカ人宣教師の娘で、中国現地で前半生を過ごしたという女性です。それだけに、というべきか、作中の男女の恋愛感情に関してバックは一切の幻想を許しません。もちろん、登場する男女の間に愛情が見られない訳ではなく、先の王龍も、王龍の三男で第二部主人公である王虎や、王虎の長男で第三部主人公の王淵も、それぞれ女性に対して時に優しい気遣いを見せるのですが、そこに働く男性のエゴもバックはバッサリと描ききっているのです
── これは、けっきょくのところ男である私には感知できなかった部分であり、人にすすめて初めて気づかされた本書の特徴だと言えるかも知れません。

 田畑を愛した王龍に反して、彼の子供たちはあっさりと土地を切り売りし始めます。それを資金に軍人としての立身出世をねらう王虎が第二部の主人公、そして王虎から軍人教育を施されながらも、むしろ祖父に似て農業の近代化を志す王淵が第三部の主人公です。
 私にこの本をすすめた恩師はいつも第一部を引いて中国農村の姿を話してくれたのですが、中国の軍事史や軍閥を専門としている私には、軍記物のような第二部も非常に興味深く読めました。ある県の警備隊長となった王虎はそこの政治や裁判までのっとり、名産であるという酒に税金を課して、となりの県へと勢力をのばします。ちなみに彼は母に似てすらっとしたりりしい男性だと描いてあるのですが、このことからすれば阿蘭もそんなに不美人だったとは思えません。
 『大地』を読み切った私はさっそく恩師に感想を話しました。そうして敬愛する人とより多くの会話を交わすこと自体が、私にとっての読書の楽しみだとも言えるでしょう。中国の軍閥の様子として第二部には非常にリアリティがありました、と私が話すと、恩師はちょっと意外そうな様子で、後日送ってくれた手紙には「そういえば第二部は軍閥のことなのだと初めて気づきました」とありました。
 私がバックの男女関係の描写に気づかなかったのと同じように、恩師にとってもそのような見方は今までなかったのかも知れません。こうした発見があることもまた、独りだけでする読書にはない、他者との交流のための読書が持っている意味だと思います。

 大学に入ってからの皆さんが書物に興味を持てなかったとしたら、一度このような、他者と話すことを前提にした読書の仕方を試みてみることをすすめます。別に、『大地』を読まなくても構いません。話を聞いてみたいと思う先生や先輩のすすめる本(または、彼らの書いた本)を読み、その感想を彼らとの話題にしてみてください。あるいは、逆にこう言い換えることもできるでしょう ── そうした本でも読まなければ大学で実りある交流はできないし、尊敬できる何者かの存在に気づくこともないのだ、と。皆さんそれぞれにとって、大学時代の思い出深い書物が増えることを願います。

目次に戻る

異性・同性間への想像力と実践の誘い
 ― 『八二年生まれ、キム・ジヨン』から考える日韓のジェンダーギャップ ―
柳 忠熙(比較文学・比較思想)
 二〇二一年一〇月に「男性から見た『八二年生まれ、キム・ジヨン』――生きづらさを生む社会・韓国と日本」というタイトルで同名の映画(キム・ドヨン監督、日本上映二〇二〇年[韓国上映二〇一九年])について話す機会をいただきました。このタイトルは依頼されたものでして、実際に私はそのとき、副タイトルはそのままにし、本タイトルを「私が考える『八二年生まれ、キム・ジヨン』」に変えました。日本語の「私」という一人称は、「わたくし」という謙譲の意味もあり、また「わたし」という性別的には中立的な意味あるいは女性がよく使う一人称です。「私」とした理由は、社会的で文化的な性別であるジェンダーの感覚(例えば、男性はこうすべきだ、女性はこうすべきだなどの社会的で文化的な性別の観点)において中立的な意味を持っているからでした。例えば、「私」の代わりに「うち」などを使うと女性のイメージが強くなり、逆に「ぼく」「おれ」「わし」などになると男性のイメージが強くなります。このように日本語の場合、自分を指す一人称および呼び方(例:ご主人、奥さんなど)にもジェンダーの概念が働いています。
 一方、韓国語の一人称はどうでしょうか。韓国語の一人称は「나(ナ)」あるいはその謙譲語の「저(チォ)」があります。しかし、これらには性別あるいはジェンダー的な意味合いは含まれていません。しかし、上記の映画をご覧になった方あるいは原作(チョ・ナムジュ『八二年生まれ、キム・ジヨン』、斎藤真理子訳、筑摩書房、二〇一八年[原著二〇一六年])をお読みになった方は、日本とは異なる女性の状況を感じられたかもしれません。
 すこし話が変わりますが、世界経済フォーラム(World Economic Forum) では、世界各国におけるジェンダーギャップの指数(Gender Gap Index:GGI)を毎年発表しています。「経済(Economic participation and opportunity)」「教育(Educational attainment)」「健康(Health and survival)」「政治(Political empowerment)」の四つの項目をもとに、ゼロが完全不平等、一が完全平等を示す数値となります。二〇二一年三月に出た報告書(The Global Gender Gap Report 2021)において、はたして日本と韓国のジェンダーギャップ指数は、どう出ているのでしょうか。全調査国一五六ヵ国のなかで、日本は一二〇位(GGI平均値:〇・六五六)でして、ジェンダーギャップが大きい国として考えられます。韓国は、日本と比べてやや上の順位の一〇二位(GGI平均値:〇・六八七)となっていますが、一位のアイランドのGGIの平均値が〇・八九二ということを考えれば、アイランドとは大きな差があります。むしろ韓国も日本に近いジェンダーギャップが大きい国だと考えられますね。各項目別に日韓の状況を見ると、日本は「経済:〇・六〇四、教育:〇・九八三、健康:〇・九七三、政治:〇・〇六一」であり、韓国は「経済:〇・五八六、教育:〇・九七三、健康:〇・九七六、政治:〇・二一四」となっています。両国ともにジェンダー間のギャップが最も顕著な項目は「政治」であり、その次が「経済」となります。言い換えれば、両国において女性の政治参加率は低く、経済活動もしにくい状況ということです。
 上記のジェンダーギャップ指数からも分かるように、韓国でも様々なジェンダーギャップが存在します。今回は、家族と親族関係に焦点を当てて話をしてみます。韓国では、昔から女性は結婚すると、「出家外人」すなわち嫁いで実家を出たら夫の家族の一人となるとされます。この考え方の根底には、嫁は夫の家の家族となると同時に、実家の家族とは他人となり、夫の家の〈使用人〉のような存在になることを意味します。夫の家族に対する嫁の呼び方から考えてみましょう。例えば、「아버님(アボンニム、お父様)」と目上の人に敬語を使うのは、みなさんも理解できますね。では、自分より目下の夫の姉弟にはどうでしょうか。日本では、名前に「さん」を付けて呼ぶことが一般的だと思いますが、韓国では「도련님(トリョンニム、若旦那様[未婚者の場合])、서방님(ソバンニム、旦那様[既婚者の場合])、아가씨(アガッシ、お嬢様)」などの「様」という敬語で呼びます。これらは、嫁に求められる女性ジェンダーの一面を示しています。一方、夫は、嫁のご両親には敬語の呼び方を使いますが、目下の姉弟や姉妹には「様」などを付けて呼んでいません。こうした家族や親族間の呼び方、そしてその根底には男女間の認識の差異が存在しています。これまで改善の声が当然何度も上がっていまして、すこしずつ変わってはいますが(例:互いに名前で呼び合うなど)、現状はまだまだです。韓国における既婚女性のジェンダー的な位置は、多少日本とは違うとも思いますが、みなさんはどう思われますか。
 最近チョ・ナムジュ氏の『八二年生まれ、キム・ジヨン』をはじめとしてチェ・ウニョン氏、チョン・セラ氏、キム・ヘジン氏など、韓国の新人女性作家たちによって〈K-文学〉とも言える韓国文学のブームが起こっています。その背景にあるのは、それぞれの作品がしばしば題材とする韓国社会におけるフェミニズムやマイノリティのテーマに対する、日本の読者たちの共感や共鳴ではないでしょうか。
 原作と映画の『八二年生まれ、キム・ジヨン』は、同じ題材を用いていますが、完全に別の作品だと考えられます。原作の小説の内容は、キム・ジヨンに憑依ひょうい現象が起きる二〇一五年秋から話がはじまり、キム・ジヨンが生まれた過去(一九八二年)から現在(二〇一六年)までの女性としての人生を、男性の精神科医の記録として淡々と描いています。しかし、キム・ドヨン監督によって作られた映画は、基本的な話の題材は同じですが、原作ではあまり登場しない、夫や弟や父などの男性にも目を向けています。彼らがキム・ジヨンを理解し何か行動をする(しようとする)様子が描かれています。例えば、夫のチョン・テヒョンは、妻のキム・ジヨンの社会復帰を切に願う心を理解し、自分が育児休業を取ることなど、行動に移そうとします。しかし、夫の妻への理解と行動として捉えられる男性の育児休業について、今後昇進ができない、職場いじめの対象となるなどの理由で同性の同僚たちに理解してもらえません。そして、異性の母にも理解してもらえません。ジヨンの義母は、ジヨンを意識的・無意識的に使用人のような存在として見ているためか、夫を育児休業まで〈させて〉自分が仕事をしようとすることを理解も許しもできません。同じ女性という同性間でも世代によって認識のギャップが生じているのです。当然義母も昔同じ〈使用人〉のような扱いをされてきたと思われますが。
 私がここで問いたいのは、義母は当時の自分の気持ちを顧みて現在のジヨンの気持ちを理解することが、なぜできないのか、また息子のその行動を理解し支持することが、なぜできないのか、ということです。なぜ、同性・異性間、お互いの状況を想像し、それを改善に向けた実践に移すことが難しいのか、とも言い換えられます。
 まず、みなさんから、周りの同性・異性への状況を想像し、些細なことでもいいので、行動へと繋げてみるのはどうでしょうか。例えば、みなさんの両親がお互いをみなさんの〈ママ〉と〈パパ〉といった関係性で呼び合っていることはありませんか。もしそうでれば、みなさんが両親間お互いを一人の人間として尊重し相手の名前で呼んでみるように勧めてみるのはどうでしょうか。異性・同性への想像力と小さい実践が、男女ひいては同性・異性間のジェンダーギャップを減らすことに繋がると、私は信じています。みなさんも一緒に身近なところから始めてみませんか。

 ※この原稿は、福岡県人権啓発情報センターの第五二回特別展「ジェンダー」(二〇二一年一二月四日~二〇二二年三月一九日)に寄稿した内容を書き直したものです。

目次に戻る

Novis 2022
― 新入生のための人文学案内 ―

印 刷 令和3年3月28日
発 行 令和3年4月1日
発行者 福岡大学人文学部
印刷所 城島印刷株式会社