Novis 2024
目次
- 新しい人たちに ・・・・・ 関口浩喜(人文学部長)
- 違った視点から見てみよう ・・・・・ 安藤純子(日韓・日朝関係)
- 「身近なもの」から考えよう ・・・・・ 磯田則彦(人口研究)
- 美術・イタリア・歴史 ・・・・・ 浦上雅司(西洋美術史)
- 伝記を読もう! ・・・・・ 遠藤文彦(フランス文学)
- こんな英語の学び方があるんですね ・・・・・ 大津敦史(英語教育学)
- 必読の古典から読み始める ―西欧古代・中世の哲学と宗教― ・・・・・ 小笠原史樹(哲学・宗教学)
- 江戸時代を見なおそう ・・・・・ 梶原良則(日本史)
- 「よい子」ってどんな子? ・・・・・ 勝山吉章(教育史)
- 視野を広げて考えてみよう ・・・・・ 高妻紳二郎(教育行政学)
- 外国語学習は小さな作品から挑戦 ・・・・・ マーレン・ゴツィック(日独比較文化)
- 音楽と文学 ・・・・・ 堺雅志(オーストリア文学)
- 自分になるということ ・・・・・ 坂本憲治(臨床心理学)
- 学ぶことは、想像することだ ・・・・・ 須藤圭(日本文学)
- イギリスについてもっと知りたくなったら ・・・・・ 園田暁子(英文学)
- Dmitry Orlov, Shrinking the Technosphere :
Getting a Grip on Technologies that Limit our Autonomy, Self-sufficiency and Freedom, New Society Publishers, 2017. ・・・・・ 辻部大介(フランス文学) - イギリスの大学入試問題はいかが? ・・・・・ 鶴田学(英文学)
- 学ぶことを支える仕事 ・・・・・ 徳永豊(支援教育学)
- たえまなく揺れ動いている顔 ・・・・・ 冨重純子(ドイツ文学)
- 泉鏡花は女性ではない ・・・・・ 永井太郎(日本文学)
- ICTの基礎 ・・・・・ 永田善久(ドイツ文学)
- フィールドワークという教科書 ・・・・・ 中村亮(文化人類学)
- 首相のウソ ・・・・・ 則松彰文(東洋史)
- Tips for Learning English ・・・・・ Stephen Howe(英語学)
- 犬がどのように考えているか、を どのように考えるか ・・・・・ 平田暢(社会学)
- ドイツ語映画観賞会 ―上映50回を振り返る― ・・・・・ 平松智久(ドイツ文学)
- 青年期の読書に関する一事例 ・・・・・ 古澤義久(考古学)
- 進化するミュージカル ・・・・・ 光冨省吾(アメリカ文化・文学)
- 『薔薇の名前』の迷宮と『風の谷のナウシカ』の旅 ・・・・・ 桃﨑祐輔(考古学)
- ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、テレヴィジョン ・・・・・ 森丈夫(西洋史)
- 汽車旅の勧め・その七 ―終着駅― ・・・・・ 山縣浩(日本語史)
- 逃げ出すわけにはいきまっせん ・・・・・ 山田英二(英語学)
- 人から本をすすめられること ―パール・バック『大地』― ・・・・・ 山根直生(中国史)
- 異性・同性間への想像力と実践の誘い ―『八二年生まれ、キム・ジヨン』から考える日韓のジェンダーギャップ ― ・・・・・ 柳 忠熙(比較文学・比較思想)
新しい人たちに
この冊子の題名であるNovisという言葉は、多くの人にとって初めて目にする言葉だと思います。Novisは、ラテン語で「新しい人たちに」、「新しい人たちのために」という意味です。このNovisは、人文学部の教員がとっておきの書物の話を中心に、「新しい人たち」である皆さん方に向けて人文学の楽しさを語る冊子なのです。どのページからでもよいので、とにかく読んでみてください。きっと気に入る、そして気になる文章に出会えるはずです。
この冊子に掲載されている文章は、そのまま人文学という学問の豊かさ、多様さ、広がり、奥深さを示しています。皆さん方がこれから学ぶ人文学の魅力を、まずはこの冊子から体験してください。
違った視点から見てみよう
私は日韓・日朝関係の政治や外交について研究をしていますが、政治や外交と聞くと、皆さんはどんな印象を持つでしょうか。日本では「若者は政治に興味がない」とか「投票率が低い」などと言われています。政治や外交に「興味がない」という人に聞いてみると、「自分の生活にあまり関係している感じがしない」とか「外交となると、複雑でややこしそう」という意見が多いようです。確かに、日韓・日朝関係が悪化しても自分の生活が劇的に変化するようなことはありませんし、ましてや「外交となると、複雑でややこしそう」という意見が多いようです。確かに、日韓・日朝関係が悪化しても自分の生活が劇的に変化するようなことはありませんし、ましてや外交となると、「政治家たちが何か交渉したりしているみたいだけど、何がどうなったのかよく分からない」という印象を持つかもしれません。
でも、そんな政治や外交も、ニュースが伝えるような「真面目な」場面だけではなく、違った視点から見てみると、面白い発見があるかもしれません。そこで、内情をうかがい知ることが難しい北朝鮮と外交について違った視点から見ている本を紹介したいと思います。
北朝鮮と聞いて、ほとんどの人は「核、ミサイル、拉致問題」が真っ先に思い浮かぶと思います。その他には、指導者による独裁体制であるといったところではないでしょうか。当たり前ですが、北朝鮮にも歴史や文化があり、他の国と外交をし、人々は社会生活を送っています。
一般的に、ある国のことを知りたければ、本や映像を見たり、直接その国に行って自由に見て回ったりすることで、その国の実情をある程度は知ることができます。また、その国がどのような政策をとろうとしているのかは、指導者の発言や実際に実施されている政策を見れば分かります。でも、北朝鮮の場合は本や映像も限られていますし、旅行に行けたとしても国内を自由に見て回ることはできず、指導者の発言や実際に行われている政策もほんの一部しか伝えられないため、その内情を知ることが難しいのが実情です。
そんな北朝鮮を「切手」を通じて見てみようというのが、内藤陽介『北朝鮮事典 切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』(竹内書店新社、二○○一)です。著者は「切手が国家によって発行されるものである以上、政府が切手を通じて、自己の正統性や政策、イデオロギーなどを表現しようとするのは極めて自然なことである」とし、北朝鮮が発行してきた切手から、北朝鮮指導者の考えや政策を分析しています。
例えば、日本に関係する切手について見てみると、一九七一年一一月に「国際的な革命勢力との団結」を訴える切手が発行され、そのうちの一枚で、アメリカ軍国主義とともに打倒すべき対象として「日本軍国主義」が取り上げられています。切手の絵柄には、筆者曰く「どことなく、当時の日本の首相・佐藤栄作に似ている」軍服姿の人物が大きなトンカチで殴られそうになっている絵が描かれています。この切手を通しても、当時の日本に対する北朝鮮の考えが分かります。
政治や外交に関するものだけではなく、一九六一年には朝鮮人参が描かれた切手が発行されています。これについて筆者は「一九六○年代に入り、ソ連・東欧諸国からの援助が減少していった穴を埋めるため、外貨獲得の重要な輸出品である朝鮮人参を、切手を通じて、広く諸外国にも周知するための措置であったと考えられる」と分析しています。他にも人、地名、植物、動物など多種多様な切手が取り上げられています。
本のタイトルに「事典」とあるように、一つ一つの項目が短めの文章で説明されているので、自分が関心を持った項目のみを調べることができるのも、この本の良い所です。
次に、外交と聞いたらどんな場面を思い浮かべるでしょうか。おそらく、各国の指導者であったり、外交官や担当者たちが顔を突き合わせて話をしていたり、どんな交渉が行われたのかを淡々と説明している人の姿ではないでしょうか。
このような光景は、楽しさや面白さからは無縁の場に見えがちですが、ちょっと目線を変えて「ワインと料理」から見てみたらどうなるだろうか?そんな視点から外交を読み解いているのが、西川恵『ワインと外交』(新潮新書、二○○七)、『饗宴外交―ワインと料理で世界はまわる―』(世界文化社、二○一二)です。
首脳会談であったり、指導者が国賓として招かれた場合、首脳同士が食事を共にしたり、公式の晩餐会が開かれたりします。そこで出される食事のメニューとワインやシャンパンを見ると、筆者曰く「表向きの言葉よりも雄弁に『本当の外交関係』を物語る」とのこと。
食事は、もてなす側が自国の伝統的な料理だったり、相手国の食材を盛り込んだりといった工夫を凝らす一方で、例えば二○○五年、歴史問題で関係が悪化し始めていた日韓間では、首脳会談がソウルで行われた時、当時の盧武鉉大統領は共同記者発表の後、「今日の夕食は軽めにする考えです」と述べたそうです。これについて筆者は「両国関係がトゲトゲしいとき、『夕食は軽めにする』という言葉は軽口で済まない。それは『あなたを歓迎しません』『もてなすレベルを下げます』という意味にとられかねない」と指摘しています、実際、この時の食事は、決して「ぞんざいな内容」ではなかったものの、前回の首脳会談時の食事とは異なり、品数が減り、韓定食と言われる宮廷料理はでなかったそうです。
このことを前提に考えてみると、日韓関係が冷え切り、三年ぶりに開かれた二○一五年一二月の日韓首脳会談時のことが思い出されます。この時、訪韓した安倍首相一行に対し、朴槿恵大統領の韓国側からは食事の提供はなく、首相一行は自分たちだけでソウル市内の食堂で食事をしました。これは、韓国政府が日本に対して反発していた当時の国内世論に配慮したという面もありますが、韓国政府の日本側に対する「歓迎しない」気持ちが表れていると読み取ることができます。韓国は食を非常に大事にし、お客様を呼んだ時には食べきれないくらいの量でもてなしますので、そのような国が食事を提供しないというのはよほどのことだと言えます。
著者によると、そんな食事よりも更に「雄弁に『本物の外交』を物語る」のは、ワインとシャンパンだそうです。ワインやシャンパンには「格付け」があり、どの格付けのワインやシャンパンが提供されるかで、相手国や会談相手をどのような「ランク」で見ているのかが分かると言います。
例えばワインの国フランスで、一九九五年から二○○七年まで大統領を務めたシラク大統領は日本文化に造詣が深いことでも知られていました。そのシラク大統領は、日本の首相何人かと首脳会談を行っていますが、一九九九年に訪仏した小渕首相には、生産量が極めて少ない極上白ワイン、内容的には最高の第一級の実力をもつ赤ワイン、エリゼ宮(フランス大統領府)がここぞと言う時にしか出さないシャンパンが出され、料理も含めて国賓の晩餐会に匹敵する極めて高いもてなしが行われたそうです。ここから筆者は「小渕首相に対する評価があった」と見ています。
翌二○○○年に訪仏した森首相には、ワインはいずれも二番手の高いレベルのものが出された他、メニューには載っていなかった薩摩焼酎「森伊蔵」が出されています。これは森首相が森伊蔵を好んでいるという情報をフランス大使館がつかみ、滅多に手に入らない一本を取り寄せたそうです。
また、二○○一年に訪仏した小泉首相には、ワインのうち、白ワインは第四級のものでしたが、赤ワインは特別第一級で生産量が少ないものが出されました。これは、森首相同様、小泉首相がそのワインが好きなことを知り、わざわざ選ばれたということです。また、この時には日本酒も出され、日本酒好きのシラク大統領はワインよりも日本酒を飲んでいたそうです。
三者三様の格付けがされていますが、それ以上に筆者は「自国産品への自負心が強いフランスの大統領が、自分が好きとはいえ、焼酎や日本酒といった外国の飲み物を出す」という「心遣いは、外交儀礼上、稀有なことと言わざるを得ない」と指摘しており、シラク大統領が日本を歓迎していたことが分かります。
「外交上失礼にあたるから、露骨に格付けが下の物は出さないのでは?」と思う人もいるかもしれません。しかし、こんな例があります。シラク大統領の前に大統領を務めたミッテラン大統領は、米国のブッシュ大統領が一九九二年の大統領選で敗北した後にフランスを訪問した際、最上級の第一特別級Aのワインでもてなしていますが、一九九四年に訪仏したクリントン大統領には、格付けなしのワインを出しています。当時のクリントン大統領は四○代後半と世界の指導者の中では若く、七○代後半のミッテラン大統領からすると「若造」がどんな手腕を発揮するのか、様子見のために敢えて格付けなしの物を出したのではないかと推測することができます。ちなみに、日本の皇室は、訪日した国賓に対し、国の大小や日本の国益にとって重要かどうかは一切関係なく、「誰にも平等に、最高のもの」でもてなすそうです。
「外交」というと少し堅い印象がありますが、本書のように違った角度から見てみると、面白さも感じられるのではないでしょうか。
私が福岡大学に採用された際の歓迎会でどのような料理が出され、どのようなお酒が提供されたのかを知りたい方は、ぜひ、私の研究室に来てください。
「身近なもの」から考えよう
- 佐光紀子著(二〇一七年)『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』光文社新書
「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす?いったい何のことだろう?本のタイトルを見て、そのように考えた方が多いのではないでしょうか。でも、この「家事」が日本社会の特徴や文化的背景をいろいろと物語ってくれます。
著者は、翻訳家であり家事や掃除術の専門家でもある方で、多数の事例を集め国際比較を行うことで家事や日本社会について広く考察しています。私は人口研究が専門なので、同著の第一部により多くの視線を注ぐことになりましたが、著者と同年代の者としてさまざまなことを考えさせられました。若い皆さんは、この本を読んで、どこに注目し、何を考えますか?
人文学部で学ぶ領域は多岐にわたります。いろいろな領域の人文・社会科学に触れる過程で、これから皆さんには「身近なもの」から多くのことを学ぶ機会があると思われます。たとえば、家事もその一つなのかもしれません。ぜひ、「身近なもの」にも関心を寄せて、さまざまな視点から考えてください。
美術・イタリア・歴史
- マイケル・フィンドレー『アートの価値』(美術出版社)
- プリモ・レーヴィ『アウシュビッツは終わらない:これが人間か』(朝日選書)
- エレナ・フェッランテ『リラとわたし:ナポリの物語』四冊(早川書房)
- 池上俊一『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)
- E・H・ゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)(中公文庫)
皆さん、ご入学おめでとうございます。
私の専門は、西洋美術史ですから、学生の皆さんに、できるだけ直接、美術作品に触れてもらいたいと、いつも思っています。美術作品を扱ったテレビ番組(『新日曜美術館』や『美の巨人たち』など)を見たり、スライドで作品を見ながら講義を受けたりするのもよいことですが、美術館や博物館で作品そのものに触れるのがとても大事だと確信しているのです。
スライドやテレビ画面による美術鑑賞には、居心地の良い室内にいて、寛いだ気分で、細部をジックリ眺めることができるというメリットはありますが、やはり本物の持つ「迫力」(これを哲学者のヴァルター・ベンヤミンは「アウラ」〔日本語では「オーラ」と言われる〕と呼んでいます)は伝わってきません。皆さんにも分かりやすい例をあげれば、車やバイクの本物と、カタログ写真の違いと言えばよいでしょうか。カタログやテレビの自動車番組を見ても面白いでしょうが、本物に触れて、できれば運転してみなくては本当の特徴はわからないでしょう。美術の授業やテレビ番組も興味深いでしょうが、やはり作品の実物と対峙していろいろ考えるのとでは、受けるインパクトが違います。
そんなわけで、皆さんにはできるだけ、美術館などで実物、しかも可能であれば多くの人たちが優れた作品と認めている美術作品に触れてもらいたいと思うのですが、共通教育科目の「芸術」を受講する学生諸君に尋ねても、美術館に行ったことがない、と答える人が多いのは、とても残念なことです。
幸い、福岡には多くの美術館があります。福岡市美術館、福岡市博物館、福岡県立美術館、そして福岡アジア美術館など身近にあって、常設展なら数百円で入場できますし、ちょっと足を伸ばせば、久留米の石橋美術館や、太宰府の九州国立博物館があります(ちなみに、福岡大学は九州国立博物館のキャンパス・メンバーズとなっており、皆さんは、学生証を提示すれば、この博物館の常設展はタダで観覧できます。特別展も割引になりますから、ぜひ、利用して下さい)。
ところで、皆さんが美術館で展覧会を見てまず考えるのは、この絵(あるいは彫刻)は、どこが良いのだろう、とか、この作品はなぜこんなに高価なのだろう、といった事ではないでしょうか。近年、レオナルド・ダ・ビンチの油彩画とされる《世の救い主(Salvator Mundi)》が五百億円以上で競り落とされた(二〇一七年)こととか、イギリスの現代アーティスト、ダミアン・ハーストの作品《生者の心における死の物理的不可能性》(イタチ鮫のホルマリン漬け)が千二百万ドルで購入された(二〇〇四年)などのニュースを知っているひともいるかも知れません。
そんなあなたに、「アートの価値」を三つの側面からわかりやすく解説してくれるのが、最初に紹介するフィンドレーの著作です。
彼はギリシア神話に登場する三美神になぞらえてアートの価値を三つの側面(商業的価値、社会的価値、本質的価値)から説明します。
フィンドレーは一九六〇年代から現在にいたるまでニューヨークを舞台としてアートディーラーとして活躍し一九八四年から二〇〇〇年までクリスティーズ(サザビーズと並ぶアートオークション会社)の近現代アートの責任者として働いた人です。この本は、そのように長年、アートワールドの重要部分で活躍し、豊かな直接的知見を持つ人物が、その経験に基づいて著述したもので、二〇世紀後半のアート界とアート作品の変遷が具体的事例を交えながら語られていて、トテモ興味深いです。日本語訳もこなれて読みやすく、現代アートの状況に関心を持つ人はもちろん、アート一般に関心を持つ人にも一読をお勧めします。
なお、この邦訳本は二〇一二年の原著第一版に基づくものですが、フィンドレーは二〇二二年に増補改訂した第二版を出版しています。この本には「サイバーエージのアートの価値」と題された一章が付け加えられており、二〇一〇年代以後の、最新のアートに関する考察も含まれています。邦訳はありませんが、現代アートは日々変化していますから、アートに関心を持つ人にはこちらもお勧めします。フィンドレーが現代美術を論じた『Seeing Slowly: looking at modern art』(二〇一七年)という本もあります。これも面白いです。『アートの価値』が売れれば、そのうちにこれも邦訳が出るかもしれません。
強調しておきたいのは、フィンドレーが繰り返し「自分の目でたくさんの作品を見て、自分の好きな作品を見つけなさい、そして、その魅力について話してみましょう」と言っていることです。小説をたくさん読む、あるいは映画をたくさん見ることは、小説や映画について深く知る一歩ですが、読んだ小説、見た映画について友人と話をしてみれば、自分の経験を客観化することができ、それによって多様な読み方、見方について知見を深めることができます。アート体験も同様です。ゼヒ、美術館に何度でも行ってアート作品を深く味わってください。
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ところで、わたしはイタリア美術を専門に勉強しているので、イタリアという国の社会や文化一般についてもできるだけ幅広い知識を持ちたいものだと思っています。しばらく前まで日本でイタリアと言えば「美術」や「食事」「音楽(オペラ)」あるいは「犯罪組織(マフィア)」などが想起されるだけの国でした(日本=「フジヤマ、芸者、ヤクザ」式の発想では、イタリア=「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」などと言われたりしました)。
しかし、情報化社会が進み、ヨーロッパも身近になった(今ではローマの観光地に行くと、日本の高校生の修学旅行生を見かけるようになりました。大学の卒業旅行でフランスやイタリア、イギリスに行くのはごく普通の出来事です)こともあり、イタリアについても、より実態に即した社会の状況や文化の様々な様子が知られるようになってきました(NHKにはイタリア語講座もあります)。
そんなわけで、この冊子でも時々、イタリア関係の書籍や映画も紹介しています。今回ご紹介するのは、プリモ・レーヴィの『アウシュビッツは終わらない:これが人間か』とエレナ・フェランテの『リラとわたし(ナポリの物語)』(原題はAmica Geniale[素晴らしい女友達])です。
最初に挙げたプリモ・レーヴィは北イタリア、トリーノ出身のユダヤ系イタリア人で一九四三年、レジスタンス運動参加中に捉えられ終戦まで二年間をアウシュビッツ強制収容所で過ごしました。『これが人間か』は、何とか帰国したレーヴィが強制収容所での体験を綴った著作で一九四七年出版されたものですが、現在にいたるまで、高校卒程度の学歴を持つイタリア人であれば誰でも読んだことがある著作です。
二番目に挙げた本は、副題(ナポリの物語)にもあるように戦後のナポリ近郊で生まれた幼なじみの女性二人(エレナ:レヌ・グレコとラファエッラ:リラ・チェルッロ)の人生の変遷をイタリアの戦後史を背景としてたどる物語です。
レヌとリラはいわゆる団塊の世代に属しており、この物語によって戦後半世紀以上にわたるイタリアの人々の歴史を追体験することもできます。イタリアと日本の近代史には共通点もあります。どちらも十九世紀半ばに統一された近代国家としての道を歩み始め、第二次大戦では当初、どちらもドイツの同盟国でした。戦後も六〇年代の高度経済成長なども共通しています。しかしながら人々のメンタリティや社会や国家に対する意識は日本と大きく異なっています。
現在、コンビニに行くとミルクコーヒーでは無くてカフェラッテを売っています。一昔前は「スパゲッティ」や「パスタ」を「うどん」と訳した本もありましたが、今では考えられません。日本人にとって身近になったイタリアの本当の内実を垣間見るには、こうした人々の生活を綴った小説を読むことが一番の近道では無いでしょうか。
パスタが話題になった序でといっては何ですが、三冊目、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』は中世史、ルネサンス史の専門家がイタリア各地のパスタ(スパゲッティだけではありません!)を紹介しながら、それに関連づけてイタリアの歴史を教えてくれます。この本を読んだ皆さんには、スパゲッティだけでなく、ペンネやトルテッリーニ、さらにはニョッキやポレンタも味わってもらいたいですね。
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最後にあげたゴンブリッチ『若い読者のための世界史』(上下)は、ウィーンでユダヤ系の家庭に生まれた二〇世紀を代表する美術史学者の一人が二五歳の時(一九三五年)に書いた本が五〇年後に改訂され、新しい後書きを付け加えて出版されたものです。
この間、ゴンブリッチの故国オーストリアはナチス・ドイツに併合され、ゴンブリッチ自身は英国に移住、戦時中はドイツ語放送モニターとして対独戦に協力し、戦後はロンドン大学のウォーバーグ研究所で長く美術史の研究に携わりました(二〇〇一年没)。
この「概説書」は訳文もこなれ通読しても面白いのですが、本当の価値は、訳者の中山典夫さんも言うように、「五〇年後の後書き」にあります。第二次大戦から戦後の冷戦、そしてソヴィエト連邦の崩壊と、半世紀の間に世界の歴史は大きく変わりました。その歴史を肌身に体験し、生きてきた歴史家の証言は貴重です。最初に出た邦訳は非常に高価で残念でしたが、文庫本で簡単に手に入るようになりました。これは大変にありがたいことです。
皆さんは大学に入ったばかりで五〇年後の自分など想像も出来ないでしょう。でもあなた方にもやがて訪れる未来ですし、「温故知新」は人文学の基本です。皆さんも大学にいる間に、ゼヒ、過去の人々の証言から多くを学んでください。
伝記を読もう!
- 河盛好藏著『パリの憂愁 ボードレールとその時代』)(河出書房新社)
- ピエール・プチフィス著『アルチュール・ランボー』(筑摩書房)
自分の人生は一度しか生きられないが、他人の人生なら伝記を通していくつもの人生――さまざまな国の、さまざまな時代を生きた人々の人生――が体験できる。ひとつしかない人生、あまり先が見通せず、しばしば貧弱にも思える自分の人生を、他の人々の人生を介して照らし出し、豊かにしてくれるもの、それが伝記である……という期待を込めて、新入生の皆さんにお薦めしたいのが、煌びやかなフランス文学史を彩る錚々たる顔ぶれの中でもひときわ輝いている二人の詩人、シャルル・ボードレール(一八二一~六七)とアルチュール・ランボー(一八五四~九一)の伝記である。私がフランス文学研究(いわゆる仏文)を志したのも、この二人の詩人の存在があったからと言ってもいい。もっとも私の専門分野は結果的に小説や文学理論・批評となり、いわゆる詩についての論文は一編も書いたことがないのだが…… ボードレールといいランボーといい、その(存在というより)名前は象徴的なものであって、自分にとってそれはフランス文学への誘いのようなものだったのだと思う。
ただし閲覧注意というか、ここに挙げた二人の伝記はいわゆるサクセス・ストーリーとは程遠い。彼らの不滅の文学的名声はおもに死後に築かれたものであって、二人とも生前は栄光とは無縁の人生を送った。彼らの伝記が皮肉にも照らし出すのは、先の見通せない青春であり、暗く悲惨な最期である。二人は、今どきなら時期尚早というべき晩年に、ともにひどい病魔に襲われ、早々に人生の幕を下ろしている。フランスにおけるダンディズムの嚆矢ボードレールは梅毒、脳梗塞、半身不随、失語症に罹って四十六歳で、天才少年詩人ランボーは放浪の果てに右膝にできた腫瘍のため片足を切断、癌が全身に回って苦悶のうちに三十七歳で亡くなっている。ここにはサクセス・ストーリー的なもの、たとえば、読んで勇気がもらえる(悪い言い方をすれば、幻想に浸れる)ところはどこにもない。しかしその代わり、耐えがたい現実に対して距離を取ることができるようにはなる。要は、勇気をもらいたいか、賢くなりたいかの違いである。
ところで、サクセス・ストーリーであってもなくても、伝記はたいがい主人公の死でもって完結する物語である。数十年に渡る人生を数日間共にし、とりわけその死を間近で辿ると、自然とその人物に同一化し、亡くなった彼/彼女の墓を訪れてみたくなる。伝記の読者にとって、墓はその人が実在したことのリアルな痕跡であり、伝記の現実性を担保するものでもあるのだ。ボードレールの墓はパリの中心部、賑やかなモンパルナス地区の只中にあり、墓参りに来る人が絶えない。そこにはサルトル、ボーヴォワール、マルグリット・デュラス、モーパッサンなど超有名作家や、その他各界の著名人の墓が多い。かたやランボーの墓はシャルルヴィルという生まれ故郷の田舎町の(恐らくはありきたりの)墓地にある。私は写真では見たが、行ったことがないので、実際どんな雰囲気の場所で、墓の前に立つとどんな気持ちになるのか、次に渡仏する機会があればぜひ訪れてみたいと思っている。パリにはモンパルナス墓地の他にもいくつか有名な墓地があり、観光名所ともなっているので、フランスを旅する機会があったら皆さんにもエッフェル塔や凱旋門だけでなく、そうした地味な名所(パリだけに地味とはいえどこか華やかな感じのする場所)も訪れてもらいたい。ただ、フランスは近頃の情勢からしてもかなり遠いので、せめて近場で気分転換に墓場巡りをするのも悪くない。(終活中の)私のお薦めの墓地として、近いところでは閑静な住宅街に囲まれた瀟洒な平尾霊園(平和四丁目)を散歩代わりに歩いてみよう。地下鉄だと橋本駅で降り、ハイキングがてら飯盛山めがけて三十分ほど登った山の中腹に、福岡市街地から博多湾にかけての眺望が美しい西部霊園(西区羽根戸)がある。少し遠くなるが、ドライブ気分で糸島の二見ヶ浦公園聖地霊園まで足を延ばせば、その「海辺の墓地」から玄界灘に沈む真っ赤な夕陽を眺めることができる。お墓と言うと陰気なイメージがあるが、これらの霊園はどれも明るく広々しているから、それなりに気持ちのいいひと時を過ごすことができるはずである。くさくさした気分もきっと晴れることでしょう!
こんな英語の学び方があるんですね
- 熊谷高幸著『「英語脳」vs.「日本語脳」違いを知って違いを超える』(新曜社 二〇二三年)
「日本人は英語が苦手です。日本語だとすぐにいえることが英語になるとなかなかうまくいえません。それは、英語が日本語とは全く違う発想で作られた言語だからです。」という書き出しで始まる本書は、「英語脳(英語の発想)」と「日本語脳(日本語の発想)」とは根本的にどのように違うのか、そして「日本語脳」を持つわれわれ日本人はどのように「英語脳」と付き合うべきかについて説いている興味ある一冊です。以下、同著の序章を中心に、その概要を紹介しましょう。
巷(ちまた)に溢れる英語学習本には、日本語にとらわれることなく、英語の思考回路で英文を作ることを勧めるものが目立ちます。しかしながら、「英語脳」の働きを妨げている「日本語脳」の働きとはどのようなものなのかについては、ほとんど説明がありません。日本人にとって「日本語脳」はいつも使っているもので、忘れたくても忘れられず、その発想はすぐに表に出てきます。なので、まずはその正体を知って、「英語脳」と比較することで両者の特徴がはっきりと見えてきます。例えば、両者の違いを示す以下のような例があげられています。
人から急に話しかけられると日本語では、
「わー!びっくりした!」
といいますが、英語では、
“You scared me!”
といいます。
しかし、日本語でも太郎が花子を怖がらせた場合なら、「彼が彼女を怖がらせた」というように、英語と同様、主語、動詞、目的語がそろった表現になります。この違いを著者は「一、二人称的な視点」と「三人称的な視点」と呼んで区別しています。つまり、日本語の場合、本人(一人称)と相手(二人称)の視点では、余分なことばは要らず、驚いたことをいうだけで通じるのですが、英語の場合は常に、“He scared her!”と同じ構文になるのです。
本書では、これ以外にも日本語と英語の発想の違いが、非常に分かり易く説かれています。決してTOEICなどのテスト対策に役立つものではありませんが、英語学習の基盤ともいうべき日英語の発想の違いをその根本から学べる一冊です。
必読の古典から読み始める ―西欧古代・中世の哲学と宗教―
人文系の学問において勉強の基本は、とにかく本を読むことである。一冊も本を読まずに、単に授業に出席しているだけで勉強している気になってしまう、というのは危うい。授業は、自分で本を読んで勉強するための「きっかけ」でしかない。
さて、何から読むべきか。とりあえず入門書から、という手もあるだろうが、入門書だけで終わってしまうこともしばしば。映画の予告編を観たりパンフレットを読んだりするだけで、映画の本編を観ないのは勿体ない。同様に、入門書に時間を費やし、入門書で紹介されている古典を読まずにおくのも勿体ない。どんなに難解な映画であれ、まずは映画を観てみることが出発点となるように、古典を「読破」することは、入門書などを経て最後に到達すべき目的地ではなく、むしろ出発点であるように思われる。
というわけで、最初からいきなり、必読の古典から読み始めるのがおすすめ。
早く多く読まなければ、と焦る必要はない。古代ローマには「多くをではなく何度も(non multa, sed multum)」という格言もある。例えば、一ヶ月に一冊、というペースで構わない。ペースが落ちる可能性も考慮して、「一年生の内に何か十冊、古典を読む」と目標を立ててみるのも良いだろう。完璧に理解しようとする必要はないし、ほとんど理解できなくても何も問題はない。一冊の古典を一生かけて研究する人もいる。少なからぬ研究者が生涯を捧げたような古典を手にとり、難解さに頭を抱えたり、内容に強い違和感を覚えたりしながら最後までページをめくってみる、という体験は、きっと今後の糧になるはず。 とはいえ、具体的にどの古典から読めばよいのか、と迷う人のために、以下、西ヨーロッパの古代・中世に限定して、思想や哲学、神話や宗教に関連する必読の古典の日本語訳を、現時点で入手しやすい文庫などを中心に、思いつくまま十タイトル、挙げておく。
紀元前八世紀頃、古代ギリシアの吟遊詩人ホメロスの作、とされる叙事詩。ギリシア神話の代表的な古典。トロイア戦争の終盤を舞台に、アキレウスの「怒り」や英雄たちの活躍、神々が戦争に介入する様子などが、独特な言葉遣いとリズムで活写されていく。同じくホメロスの作品、と推定されている『オデュッセイア』(岩波文庫、松平千秋訳、全二冊)も必読。
ギリシア神話の物語は「悲劇」という形でも表現されている。この四冊で、「三大悲劇詩人」と呼ばれるアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの、現存する全作品をほとんど網羅。紀元前五世紀頃。特にソポクレスの「オイディプス王」(『ギリシア悲劇Ⅱ』所収)は有名で、ミステリの傑作として評価されることもある。
仮に「西洋哲学の歴史上、最も重要な哲学者は誰か?(ただし、著作の残っている人に限る)」と問うならば、おそらく哲学研究者の過半数が「プラトン」と即答する。本書に収録されている三つの作品では、そのプラトンによって、自分の師匠であるソクラテスの死刑判決から獄中での生活、そして死までが描かれる。個々の作品については、より新しい研究成果を踏まえた翻訳が岩波文庫や光文社古典新訳文庫などから出ているが、これら三つの作品を安価な一冊で読める、というメリットは大きい。著作年代は紀元前四世紀の前半。
その他、プラトンの様々な作品の翻訳を、文庫で入手可能。本格的に西洋哲学を学びたい、という人は、手当たり次第に読んでおくと良い。
「西洋哲学の歴史上、最も重要な哲学者」のランキングで、第二位の有力候補は、プラトンの弟子であるアリストテレスだろう。哲学に限定せず、「西洋の学問の歴史上、最も重要な学者は誰か?」と問い直すならば、アリストテレスが第一位になる可能性も高い。彼の著作そのものは決して読みにくいわけではないが、日本語訳が伝統的に、かなり読みにくい(だから悪い、というわけではない)。比較的読みやすい新訳として、この本。紀元前四世紀の後半。
紀元一世紀初頭の叙事詩。ローマの詩人オウィディウスによる、ギリシア・ローマ神話の集成。「変身」を主要なテーマに、他のテーマも含めて様々なエピソードが収録されている。西ヨーロッパの宗教文化にとって、主要な源流の一つ。最近、新しい日本語訳が講談社学術文庫から出た(大西英文訳、全二冊、二〇二三年)。
表題作の他、「心の平静について」「幸福な生について」という二作品が収録されている。著作年代は一世紀の中盤から後半。著者のセネカは、エピクテトスやマルクス・アウレリウスと並んで「後期ストア派」を代表する思想家。私自身は、いわゆる「自己啓発本」をあまり読んだことがないため、正確に判断することはできないが、きっと自己啓発本に書かれているような内容の多くは、より良質な仕方ですでにストア派の本に書かれているのだろう、と勝手に想像している。
セネカ『怒りについて 他二篇』(岩波文庫)、エピクテトス『人生談義(上・下)』(岩波文庫)、マルクス・アウレリウス『自省録』(岩波文庫、講談社学術文庫。岩波文庫版では「アウレーリウス」と表記)なども好著。
西方キリスト教の「正統」を代表する神学者にして「西欧の父」、アウグスティヌスの主著。四世紀末。一種の「自伝」として書かれており、彼が過去に犯した「罪」、青年期の葛藤や煩悶、劇的な回心の瞬間などが、神への祈りと共に描写されている。岩波文庫で服部英次郎訳も出ており(全二冊)、また、キリスト教思想の重要な古典として、アウグスティヌス『神の国』も必読(岩波文庫、服部英次郎訳、全五冊)。
一三世紀、キリスト教の聖人伝説の集成。新約聖書の物語に続く時代を主に扱っているため、「聖書の続編」と位置づけられることもある。『変身物語』と並ぶ、西ヨーロッパ宗教文化のもう一つの源流。キリスト教関連の有名なエピソードの内、聖書を読んでも見つからないものの多くが、この『黄金伝説』に記されている。
アウグスティヌスに次ぐ、あるいは匹敵するキリスト教(カトリック)最大の神学者、トマス・アクィナスの主著。『神学大全』は初学者向けの教科書で、この本で訳されているのは、その最初の部分。「神は存在するか」「神とは何か」などの諸問題が、当時の大学における討論の形式に則って詳細に論じられている。一三世紀。
ちなみに7と9は、以前『世界の名著』(中央公論社)というシリーズで出ていた翻訳のリニューアル版。古本で『世界の名著』の方を安く入手できる場合もある。
一四世紀、イタリア文学の名作にして、「キリスト教文学の最高峰」と称される詩。ダンテ本人が古代ローマの詩人などに導かれ、死後の世界(地獄、煉獄、天国)をめぐる、という内容。神話的・宗教的なイメージを堪能できるだけでなく、どのような罪に対してどのような罰が与えられているかなど、作中に示されている価値観や倫理観も興味深く、注目に値する。他にも複数の翻訳が文庫で出ており(岩波文庫、集英社文庫、河出文庫、角川ソフィア文庫)、読み比べてみると面白い。
江戸時代を見なおそう
新入生の皆さんは、江戸時代についてどのようなイメージを持っておられるでしょうか。近年の歴史学研究は、江戸時代の通説的イメージに修正を迫りつつあります。ここでは、新入生にも読みやすい代表的な本を紹介しましょう。
「よい子」ってどんな子?
- 灰谷健次郎著『兎の目』(理論社)
「よい子」ってどんな子?親や教師の言うことを素直に何でも聞く子どもは、確かによい子に違いない。では、親や教師の言うことを聞かない、親や教師の権威を認めない子どもは「悪い子」なのだろうか。いつも親や教師のご機嫌を伺い、「よい子」であり続けることに疲れた子どもは、もうよい子ではなくなるのだろうか。
『兎の目』の主人公「鉄三」は、そのような問いを投げかける。
偏差値教育、管理主義的教育に慣らされてきた者にとって、「鉄三」は落ちこぼれに映るだろう。しかし、人間本性に照らし合わせて考えた時、管理化された現代社会に馴染んでいる私たちこそが、大切な人間性を失っているとは言えないだろうか。
本書を既に読んだ学生も多いと思うが、大学時代に再度読んでもらいたい書物である。
視野を広げて考えてみよう
最初から引いてしまう質問です。皆さんはなぜ大学に入学するのでしょうか?大学の目的とはいったいどのようなものでしょうか?少し難解ですが、教育基本法、学校教育法という法律にはこう書かれています。
「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(教育基本法第七条)
「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第八三条)
つまり、大学に入った皆さんは、高い教養と深い専門的能力を身につけて、知的にも道徳的にも成長が期待されている、ということです。皆さんにはこれからどんな経験もできるという特権があります。そしてそれぞれの経験が皆さんを成長させてくれるでしょうが、グーッと引いて自己を客観視できる人、言い換えれば視野を広く持てる人になって欲しいと思います。ここに紹介するのは著者の二〇代の体験記ですが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)は今なお色褪せない内容で一気に読むことができる本(エッセイ)です。この本が出版される前、私は藤原氏の講演を聞く機会がありました。私が通っていた中学校での講演会です。内容は覚えていませんが「べらべらよくしゃべる人」という印象を覚えています。後でこの本を読み、「ああ、そういう話だったのか。」と合点がいきました。海外に行った時の興奮や不安感は誰でも感じるものですが、表面上の体験ではない自己変容のプロセスに臨場感があり、自身に置き換えて今読み返しても共感できる記述に多くぶつかるので、海外へ行ってみようと思っている皆さんには手にとって欲しい本のひとつです。エッセイですので読み飛ばすにはもってこいです。
また、岩波新書のなかでも多く読まれている本のひとつ、池田潔『自由と規律』(岩波新書)をここで改めて推薦しようと思います。一九四九年が初版ですから還暦を迎えた本となりますね。イギリスのパブリック・スクールに学んだ著者の体験をもとに書かれた、これも今なお色褪せない内容です。今の日本の教育は「ゆとり教育」とか「確かな学力」、「生きる力」といったスローガンが先行して内実が伴わないことが目立ち、理念と現実が寄り添っていない状況にあります。「もっとも規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はイギリスの伝統です。いま、大学に入って多くの「自由」を手に入れた皆さんであるからこそ、じっくりと、いや、ちらっとでも「自由」の本質を考えてもらいたいと思います。
外国語学習は小さな作品から挑戦
母が日本語を習い始めた。週に一回フォルクスホッホシューレ(公立のカルチャースクール)に通い、べテランの日本人の先生にひらがなから教わっている。受講者は中学生、大学生、社会人、高齢者と幅広く、受講の背景も仕事で必要な人から親戚に日本人がいる人まで様々である。残念ながら最初十五人程いた同級生は半年で半分近くに減ってしまったそうだ。
ちなみに、母は今年八十歳。受講者の中で最年長である。母は四半世紀の間、私に会いに六度日本を訪ねている。「アリガトウ」と「コンニチハ」以外話せない母もどうにか日本各地を旅行し、買い物もできた。それなのに、なぜ今になって勉強を始めたのかと少し驚いた。母曰く脳トレのためだそうだ。勉強開始以来、母は授業を一回も欠席せず、予習復習にもしっかり時間をかけているようだ。母には言わないが、次の来日で勉強の成果が出ることを楽しみにしている。
昨年のクリスマス、そんな母に私は日本語の絵本をプレゼントした。『なまえのないねこ』(竹下文子(作)・町田尚子(絵)小峰書店、二〇一九年)という本だ。母も私も猫が大好きなのだ。母はとても喜んで、早速絵本を読みはじめた。しかし、期待したほどには進まず、結局、電話で一文一文確認することになった。子ども用絵本なのに、ヒントになる絵もあるのに、なぜ難しいのだろうか。
母は日本語初心者であるから、当然まだ習っていない単語や言い回しばかりだ。絵本だけにくだけた表現も多い。知らない単語は辞書で調べればいいのだが、「おなか」「ひさしぶり」などが載っていないと母に言われる。当然そのようなことはなく、ひらがなを読み間違えただけであった。「お」と「あ」、「き」と「ち」と「さ」を混同していたのだ。また、助詞や助動詞が組み合わさると辞書で調べることも困難になってしまう。最終的には、よくよく考えると話の筋が通っていないのだが、独自の物語を作り上げてしまった。
まったく漢字が出てこない絵本なので、ひらがながたくさん並べられていて、単語の区切りが分からないのも大きな問題だ。「ちいさかったんだけどね」という言葉は、日本語が話せる子どもにとってはごく自然に理解できるが、日本語を勉強し始めたばかりのものにとっては「ちいさ」だけで「ちいさい」を類推することすら難しかったようだ。もちろん、私も今でも苦労しているが、特に日本語を学び始めたころの苦労をすっかり忘れてしまったのは恥ずかしいことだ。ドイツ語を教える側である私にとっても、母語と全く違う語族の言葉を学ぶ難しさを再認識した。
結局私の思惑と違い、絵本を母と一緒に読むことは、楽しくもあったが、大変な作業となってしまった。しかし絵本とはいえ、未知の外国語で一つの作品を最後まで読んだ母には大きな達成感があったそうだ。
ドイツ語やフランス語を学び始める新入生も同じ難しさに直面する。授業では教科書を使い、段階的にレベルが上がるので、突然未知のテキストを読むような心配は要らない。しかし私は、十八歳でも八十歳でも関係なく、一つの作品にチャレンジして欲しい。絵本、短編小説、歌、興味を持っているものであれば何でもよい。「できた!」という達成感を得るために、最初は短いものを選ぶことを勧める。小さな達成感が新たなモチベーションに繋がり、言語上達の原動力となるだろう。私も日本語を学び始めたころの気持ちを忘れずに、学生のチャレンジを応援していきたい。
音楽と文学
音楽と文学との出会いは太古に遡る。トロイア戦争を扱った叙事詩『イーリアス』(岩波文庫他)は、盲目の詩人ホメロスによる口承であったが、後世いつしか書き留められ今に伝わり、韻律によって構成されたテクストが、音とリズム、修辞的な繰り返しによって音楽的な響きを醸しだしている。時代は降ってギリシア悲喜劇の詩人たちが神話を題材に戯曲を生み出した際もまた、韻律を大事にし、朗誦と合唱とを駆使して舞台にかけた。
現代哲学を闢いたフリードリヒ・ニーチェは主著のひとつ『悲劇の誕生』(岩波文庫他)において「音楽の精神から」ギリシアの悲劇は誕生したと主張する。この著作は同時代の音楽家リヒャルト・ワーグナーの一連の作品に着想をうると同時に多大な影響を受け、ギリシア悲劇を解釈し直すことによって生まれた記念碑的考察である。ワーグナーもまた、ゲルマン神話やドイツの伝説に着想をえた《タンホイザー》、《ローエングリーン》、《トリスタンとイゾルデ》、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》、《ニーベルングの指輪》など、ことばと音楽との融合まさに「楽劇」Musikdramaというジャンルを確立した。
ワーグナー以前にも以降にも音楽家たちは、ことばから着想を得、創作意欲を掻き立てられてきた。ヨーハン・ゼバスティアン・バッハによる四つの《受難曲》はマルコ(大部消失)、マタイ、ルカ(真贋不明)、ヨハネによる四『福音書』を素材にして成立している。ヨーハン・ヴォルフガング・ゲーテ『ファウスト』(新潮文庫他)からは、フランツ・シューベルトが《トゥーレの王》や《糸を紡ぐグレートヒェン》といった歌曲を紡ぎ出し、シャルル・グノーは同名のフランス語オペラを仕立てあげた。ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンは、ゲーテの戯曲『エグモント』(『ゲーテ全集』潮出版所収)の付随音楽を作曲したし、何よりも《交響曲第九番》は、「合唱付」と銘打たれるようにフリードリヒ・フォン・シラーの頌歌をテクストに独唱も含め肉声をはじめて交響曲に取り入れたのだった。ロマン派の中心人物のひとりエルンスト・テオドア・アマデウス・ホフマンの『くるみ割り人形とネズミの王様』は、ピョートル・チャイコフスキーのバレエ音楽の淵源であるし、レオ・ドリーブのバレエ音楽《コッペリア》は『砂男』の派生作品であるし、ジャック・オッフェンバックは『砂男』と『大晦日の夜の冒険』、『顧問官クレスペル』(光文社古典新訳文庫)の三作品をオペラ《ホフマン物語》へと撚合せた。リヒャルト・シュトラウスは、ニーチェがかの「神は死んだ」の一言でヨーロッパを震撼させた『ツァラトゥストラかく語りき』(新潮文庫他)を交響詩へと膨らませ、同時代の詩人フーゴー・フォン・ホフマンスタールと組んで《エレクトラ》、《ナクソス島のアリアドネ》、《薔薇の騎士》、《影のない女》(『ホーフマンスタール選集』河出書房新社所収)の一連のオペラ作品を共同制作した。二十世紀の音楽学者カール・オルフはバイエルンのベネディクトボイエルン修道院に残されていた古文書から、中世の世俗曲《カルミナ・ブラーナ》を復元した。これらどの音楽作品も、その一節は誰しも耳にしたことがあるにちがいない。
翻って文士たちが音楽を題材に紡ぎ出してきた作品をドイツ語圏にかぎっていくつか挙げるならば、ハインリヒ・フォン・クライスト『聖ツェツィーリエあるいは音楽の力』(『チリの地震―クライスト短編集』河出文庫所収)は、音楽の守護聖人が及ぼす奇蹟を描いた出色の短編、フランツ・グリルパルツァー『ウィーンの辻音楽師』(岩波文庫)は老楽師の語る切ない恋物語である。トーマス・マンの短編『神童』、『トリスタン』ともに登場人物がピアノを奏でる描写は繊細かつ圧巻であるし、彼の長編小説『ファウストゥス博士』は、天才作曲家と悪魔との契約物語であって、アルノルト・シェーンベルクの十二音階技法の理論を下敷きに、孤高の哲学者ニーチェの生涯をも透かし彫りにした代表作のひとつである……
音の翼にのったことばの芸術ヘの旅、はたまたことばに誘われた音の芸術に耽る旅へと踏みだすのも、今からはじまる学生生活は大いに許してくれるだろう。
自分になるということ
BTS『ON』(4th album: Map of the soul: 7 二〇二〇年)、マリー・スタイン他(著)『BTS、ユング、こころの地図』(二〇二〇年/邦訳二〇二二年)を紹介します。
はじめに
最近の世の中はキレイになりすぎていないか。昭和生まれの私はふと怖くなります。
TwitterやInstagramにはたくさんのアカウントがその美しさや面白さにしのぎを削っています。画像加工技術の進歩により、素人でも手軽に「インスタ映え」する投稿ができるようになりました。
私には、「盛られた」バーチャルの世界だけが、果てしなく広がっているように見えます。本当のその人は一体どこにいるのか。途方に暮れる気持ちになります。
私の専門は心理学、なかでもこころの健康やその支援を専門とする臨床心理学です。うつ病やパニック障害、自傷行為や心身症(ストレスが身体に出ること)などの精神疾患の治療(メンタルヘルスやカウンセリング)に携わります。最近では国家資格「公認心理師」が誕生し、その対象は健康な人にまで大きく広がりました。
私なりの言葉でいえば、私の仕事は、人間の「生きざま」に向き合うことです。人間ならば誰もが多少なりとも抱くであろう「生きづらさ」を理解し、支援することを仕事にしています。
1.2つの作品
ここで皆さんに紹介したいのはBTSの第4アルバム『Map of the soul: 7』に収録された一楽曲『ON』と、そのもとになったマリー・スタイン博士の著書です。
この二つの作品は、私個人が、深く、強く心を揺さぶられた楽曲です。
これらの作品はスイスの心理学者カール・グスタフ・ユング(一八七五―一九六一年)の開拓した壮大な人間理論に端を発します。一九九八年、ユング学派のカウンセラーであるマリー・スタイン博士は、ユングの人間理論をまとめた著書『Jung's map of the Soul: An Introduction』を刊行しました(実にBTSのメンバーが生まれた頃に書かれた本です)。
この本に触発されたBTSは、ユングの「心の地図」を題材にした作品を発表しました。ユングの人間理論を、彼らの体験をもとに音楽とダンスで見事に表現したのです。そしてマリー・スタイン博士は、BTSの作品に触発される形で『BTS、ユング、こころの地図』(邦訳版二〇二二年)を出版しました。
スイスと韓国の、時間と空間を超えたコラボレーションです。『Map of the soul: 7』の楽曲はどれも完成度が高いばかりか、ユングの人間理論を知る私には大変おもしろく、興奮させられるものでした。
2.無意識と自我(Ego)、ペルソナ(Persona)
ユングは人間の「無意識」(意識しようとしても到達できない層)に関心を寄せた人物の一人です。ユングは私たち個人の中にある無意識にとどまらず、ある特定の集団や民族、もっと広くは人類全体にも共通するような普遍的な無意識の層があることを発見しました。
韓国人にもスイス人にも、アメリカ人にも日本人にも共通する無意識があり、それはどこかでつながっており、時に時間と空間を超えて作用することがあるというのです(今回のコラボも、そのひとつかもしれません)。
私たち人間は、意識の中心に自我(いわゆる私)をもち、その椅子から世界を眺めて思考・判断しています。しかしユングによると、自我は私たちを構成するごく一部に過ぎず、意識できない、自我がまだ知らない私が無意識にいると仮定します。
ユングの重要な概念のひとつに「ペルソナ」があります。自我が身につける仮面のことです。
私たちは学校や職場など社会に適応するためにさまざまな仮面をかぶります。家にいるときの私と学校にいるときの私は異なるでしょう。仮面なしに社会に適応することは困難です。そんなことをしたら、不必要に傷ついたり、相手を傷つけたりすることになるからです。ペルソナは私たちを守り、相手との関係をも護るものです。
ペルソナは幼少期から形成されますが、とくに皆さんの年齢、青年期に形作られます。その過程で「自分は他人に嘘をついているのでは・・」と違和感を抱く人もいます。違和感なく強固なペルソナを形成する人もいます。違和感が大きい人は、不登校になったり、時にスクールカウンセラーのお世話になったりしたことがあるかもしれません。その過程はたいてい苦しく、困難なものです。
3.シャドウ(Shadow)と自分への道
ユングは、ペルソナだけでは本来の自分になることはできないと論じます。ペルソナに強いられた何かとの調整が必要です。それは、ペルソナによって抑圧された「シャドウ」(影)との折り合いです。
ペルソナは社会適応のために不可欠でありながら、我慢という代償も払わせます。私たちは社会的に成熟するにつれて、「教師」「心理師」「営業職」といった職業ペルソナを得てより強固なペルソナを獲得します。
しかし、本来は私=「教師」ではないはずです。さまざまな欲求や価値を抑えながら適応している逆の部分、シャドウが同じ人物の中に存在します。シャドウも私なのです。
ユングは、こころの成長にはペルソナとシャドウの調整が必要になると考えました。それが人生の早い段階で来る人もいれば、中年期まで来ない人もいます。その時期は人それぞれに違いますが、その調整はたいてい苦難となります。自分が自分になるためには避けられないプロセスとして、いずれ必要に迫られます。
BTSの楽曲『ON』はその苦難にくじけず立ち向かおうとする、人間のありさまを表現しています。ペルソナが強固であればあるほど、シャドウもまた勢力を増します。シャドウを無視した生き方をしていると、いつの間にか影の勢力が増し、自我に悪影響を与え出します。
今、私は「悪影響」と書きましたが、これは自我の立場からの表現です。本来の自分の立場から言えば「警鐘を鳴らす」という表現になります。シャドウを過剰に無視する人は社会適応にのみエネルギーを割く人といえます。自覚なくもう一人の自分を抑え、殺しているのです。その結果、本来の私は悲鳴を上げることになります。
悲鳴に耳を傾けることは、とても勇気のいることです。しかし、私たちはその叫びが断末魔になる前に対処すべきです。どこかのタイミングで、自分のなかに、認めたくない性質があり、受け入れたくないもう一人の自分がいることに目を向けるべきです。
人間は、自分自身になるために、シャドウと対峙し、本来の私とのバランスをとる時期が来るのです。
『ON』では「bring the pain!」と何度も叫びます。「Win no matter what(何があっても勝つ)」と連呼します。何度でも立ち上がろうとする自我の力が感じられます。
4.楽曲『ON』にみるこころの動き
インターネットをみると『ON』のミュージックビデオ(以下、MV)にはさまざまな解釈があるようです。また、楽曲に付された言葉の違いから、原版とJapanese versionとではかなり印象が違います。どれも興味深い考察で、さまざまあってよいと思います。ここでは私なりのMV解釈を書いてみます(公式MVはQRコードからご覧いただけます)。
モンゴルの平原を思わせる場所。原始的な部族とともに囚われの人物が描かれます。傷ついた白鳩は自由の象徴でしょうか。BTSのメンバーはその囚われの人物としてその危機的状況を打開しようと動き出します。
ある者は牢屋から、ある者は遠方から。それぞれがそれぞれを思い合い、危機を脱するように試みます。
要塞から抜け出したところで、外に広がる世界はもっと危険かもしれません。未知への危険を感じながらも、今このままではいけないという焦りが感じられます。本能的な自律性が、各メンバーの表現からひしひしと伝わってくるようです。
一人のメンバーは目隠しをされた女の子とともに外界に踏み出そうとします。遠くにいる仲間が法螺貝を吹きます。戦国時代の宣戦布告のように。
法螺貝の合図とともに要塞の扉が音を立てて開く。傷の癒えた白鳩が鮮やかに空高く飛び立つ。一瞬の空白とともに内的な精神世界に誘われる。
そこは薄暗い、宗教的儀式の場のようです。物理世界ではバラバラだった七人の仲間たちが集っています。何かを威嚇するように一糸乱れぬダンスを始め、対峙しているようです。やがて姿を現すのは黒いマントに身を隠した不気味な七人の魔術師。そう。メンバーそれぞれの「シャドウ」との対峙です。
5.シャドウとの対峙から自分の道へ
楽曲『ON』にみられるこの場面は、ペルソナとシャドウの対決を見事に表しています。
歌詞では、恐怖を感じながらも「見つけてくれたらともに生きよう(Find me and Iʼm gonna live with ya)」と呼びかけます。恐ろしい敵というよりも、まるで自分の一部のような言い方です。またシャドウからのメッセージのようにも思えます。
さらに、メンバーはこのようにも叫びます。「僕は大丈夫。痛みを連れてきてくれ(Iʼm alright, bring the pain on, yeah)」「俺は戦うぞ、痛みを連れてこい(Iʼm a fight, bring the pain on, yeah)」と。自分に言い聞かせるように。自らを鼓舞するように。
私はMVの中でこの瞬間にもっとも心打たれました。原始的なドラム音により導かれる内面の儀式(通過儀礼)、一心不乱に踊るメンバー。高いダンス技術だけでは到底表現できない魂の叫び。何度見ても感動の場面です。
私はカウンセラーとして仕事をするとき、クライエント(相談者)が本来の自分の生きざまに向き合うとき、こうした感極まる場面に立ち会います。
クライエントにとっては、できれば目をそむけたい自分の嫌な部分。自己中心的でわがままで、暗くてどうしようもない自分。社会不適合な自分。それらを社会のせいにすることなく直視し、対決する場面です。
怒りを、うまくいかなさを、社会が悪い・あいつが悪いと相手のせいにしているうちは本来の対峙を迎えたとは言えません。私たちは、まさに自分自身が他者や社会を見ているように感じていますが、実は自分の内界を外界に映し出し、自分を見ているに過ぎないからです。
BTSのメンバーは、華やかなセレブレティとしてのペルソナと、抑圧されたシャドウとの間で、たくさん苦しんだことでしょう。他人のせい、社会のせいにせず。自分自身が選択した結果に向き合って。
私はカウンセラーとして、一人の人間として、そこに至るまでの道のりが、どんなに長く険しく困難であるかを知っています。
カウンセラーはその道程をともにする存在です。来るべき対決に備えて、ともに力を蓄積するのです。BTSが全身全霊で表現した決断的なエネルギーの爆発に向けて。一歩も譲らない。絶対に引かない。相手を凌駕するような気迫。Win no matter what!
それこそが私たちの本来的にもつ「生」への本能ではないでしょうか。もっとも苦しく、もっとも美しい人生の局面です。
6.個性化のプロセス(Individuation process)
シャドウとの対峙後には何が訪れるのでしょう。MVでは、要塞の扉が開き、メンバーはそこに踏み出します。砂漠の樹木が新緑に変わり、新たな世界が拓けます。七人の勇者は岩場の高台に上り、再び夢(DREAM)を描きます。勝利宣言です。
BTSはデビューから七年目の時期に、これまで形成した輝かしいBTSペルソナを振り返り、シャドウと真っ向から対決しました。そして次のステージに進みました。
なお、次のステージは発展とは限りません。それぞれがそれぞれの道を歩むという場合もあるでしょう。どのような選択にせよ、シャドウとの対峙により生まれた結果はメンバー七人の人生にとって建設的な形になることは間違いありません。
以上が楽曲『ON』に対する私の解釈です。マリー・スタイン博士は「レジリエンス」(精神的回復力)という用語を使ってこの楽曲を説明しています。
本稿では、私は「戦い」という表現でペルソナとシャドウの対峙を描きました。実際、人が変化する瞬間は、こうもエネルギッシュで、魂の叫びとでもいうべき苦悩が伴うものだからです。その瞬間は、まさに生死をかけた戦(いくさ)なのです。
時がたち、いつの日か、「あれは戦ではなく『対話』だったのかもしれない」という思いがよぎったとき、それは本来の自分に一歩近づいた瞬間だと私は思います。
ユングはこうしたこころのプロセスを「個性化(Individuation)」と呼び、壮大な理論を展開しました。マリー・スタイン博士はユングの開拓した「心の地図」を一般向けにわかりやすく描き、BTSはそれに呼応して現代風の個性化を表現しました。西洋と東洋の対話によるこの素晴らしい創作が、このコロナ禍において生じたことは単なる偶然でしょうか。私には、人類全体がもつレジリエンスのようにも感じられるのです。
整った風貌の、今をときめくセレブリティの七人の若者が、懸命にもがき立ち向かう姿はとても印象的です。そこにはInstagramの形式美と類似しているようで一線を画す、本来的な「生の美」があります。
BTSはここまでくるのにどれほどの我慢と努力を重ねたのでしょう。美しくも泥臭い「個性化」の一部を現代アートとして表現してくれたBTSに、そしてこの作品の制作にかかわったすべてのメンバーに、私は畏敬の念を抱きます。
創造活動は、ユング心理学的にみれば、それそのものが癒しです。しかし創作そのものを仕事にしている人たちは、身を削って作品を捻出しているのだろうと想像するからです。その意味で、ファンとの有形無形の対話もまたBTSにとっては建設的なものだったのでしょう。
『Map of the soul: 7』には、『Intro: Persona』『Interlude: Shadow』というダイレクトな楽曲も収録されています。アルバムの最後は『Outro: Ego』で締めくくられます。「このアルバムはペルソナからはじまり、影を経て、自我で終わる」、「『そう、僕らは意識のこの段階に到達したんだ』という肯定で、BTSはアルバムをしめくくっているのだと、私は思う」とマリー・スタイン博士は述べています。
身体と精神、思考と感情。ユング心理学は、対になる概念の統合を目指します。学術的な勉強(思考)だけでなくさまざまな作品に触れ、自由に感じて(感情)みましょう。無意識の息吹や立ちのぼる湯気が姿を現すかもしれません。皆さんが大学四年間を通して、内界との建設的対話を進めることを願っています。
私の専門は臨床心理学です。人間の「生きづらさ」をともにし、その人ならではの「生きざま」をともに見出そうとする仕事です。
その過程はつらいし、泥臭い。でも、私には、この瞬間が何よりも美しく、カッコよく見えるのです。この仕事ならではの醍醐味といえるかもしれません。私はその景色が見えるのに、十五年以上もの月日を要しましたが。
やっぱり私はインスタ映えなんてしなくていい。人間の成長にしっかり向き合える、昭和生まれの素朴な心理師でいたい。今はそう思えるのです。
Murray Stein(1998). Jungʼs Map of the Soul: An Introduction. Open Court. マレイ・スタイン(2019).ユング 心の地図 新装版.入江良平(訳),創元社.
Murray Stein, Leonard Cruz, Steven Buser.(2020). Map of the Soul - 7: Persona, Shadow & Ego in the World of BTS. Chiron Publications. マリー・スタイン、スティーブン・ヒュザー、レオナード・クルーズ(2022).BTS、ユング、こころの地図:『MAP OF THE SOUL: 7』の心理学.大塚紳一郎(訳),創元社.
学ぶことは、想像することだ
大学で学ぶことは、どのような営みであり、何を目的とするものでしょうか。様々なこたえを想定できますが、わたしは、学ぶことは想像することだ、と考えます。人間だから想像することなんか当たり前、と思う人も多いかもしれません。でも、想像することは、本当に難しいことです。
皆さんのこれまでの人生をふりかえってみてください。本当はそんな人間じゃないにもかかわらず、「真面目なんだから」「やればできるんだから」と決めつけられ、そのように生きていかなければならない、と窮屈に感じることはなかったでしょうか。「どうせできないんでしょ」とか「やっても無駄でしょ」などと言われた記憶もあるかもしれません。それに対して、「私の何がわかるんだよ!」とイライラしてしまうこともあったでしょうか。ここにあるのは、まさしく、他者に対する想像力の欠如に他なりません。
E.L.カニグズバーグ『クローディアの秘密』(新版、岩波少年文庫、岩波書店、二〇〇〇年)に登場するキンケイド家の長女、十一歳のクローディアも、「一番上の長女だから」という理由で、たった一人で洗い物をしたり、片付けをしたりする、不公平な生活を強いられていました。そうした状況から脱出するため、クローディアは、これまでの「クローディア」ではなく、違った「クローディア」になろうと決意し、家出を決行します。
他にも、
「男なんだから」
「女なんだから」
「恋人に依存しがちだね」
「恵まれた楽な人生を送っているよ」
こうした言葉で、他人のことを一方的に決めつけ、レッテルを貼る行為は、その人のことを全く想像しない愚かなふるまいだ、と言わざるを得ません。こうした愚かなふるまいは、姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』(文春文庫、文藝春秋、二〇二一年)でも描かれていました。この小説は、東京大学に入学した男子学生が、私立大学に通う女子学生を「彼女は頭が悪いから」と決めつけ、その理由だけで性的暴行する事件を主軸に、現代社会にひそむ性差別の存在をあばきたてた作品です。
また、「あなたはこんな人間だ」と一方的に決めつける行為は、他人だけではなく、ときに、自分自身にも向けられます。まさきとしか『完璧な母親』(幻冬舎文庫、幻冬舎、二〇一六年)は、主人公の友高知可子が、完璧な母親であろうとする小説です。でも、完璧なものなんて、この世界には存在しません。完璧な母親を望みつづける限り、そこに、救いはないのです。
頭のなかで響く聞き慣れた言葉。
いいお母さんでなければ、子供を守れない。いいお母さんでなければ、子供を幸せにできない。いいお母さんでなければ、子供を失ってしまう。
このように、他者を想像することは、存外、非常に難しいことなのです。たとえば、わたしが専門にし、講義で扱う日本古典文学にも、現在の価値観と異なる世界が描かれていて、容易に理解することができません。紫式部『源氏物語』(十一世紀初め成立)に登場する光源氏は、何人もの女性たちと同時に恋愛をします。作者未詳『夜の寝覚』(十一世紀後半成立)に登場する中納言は、婚約者がいながら、結婚直前、別の女性と関係をもって妊娠させ、とんでもない事態を引き起こしてしまいます。光源氏や中納言の行いは、決して許されるものではありません。彼らは、たしかに、とてもひどい男です。でも、なぜ、彼らは、そのような行動をしたのでしょうか。彼らは、いったい、何を考えていたのでしょうか……。わたしたちは、光源氏でもなければ、中納言でもありません。そのわたしたちの価値観だけで、光源氏や中納言のことを想像することなく、「ひどい男だ」と一方的に決めつけ、判断することは、複雑な言語を使い、想像することを許された人間として生きることを拒絶する行為でもあるはずです。
大学での学び、とりわけ、人文学部での学びは、文化、歴史、文学、外国語といった、自分とは異なる世界のことを学ぶ中で、他者に寄り添い、他者を想像し、自らの価値観を問いなおしていく営みです。そして、学ぶことの真の価値は、知識を身につけ、技術を磨き、資格を取得することよりも、この「想像すること」にこそあるはずです。これから先、皆さんが迎える大学生活は、長いようで短いものです。ぜひ、多くのことを学び、想像することで、価値のある時間を過ごしてほしいと願っています。
イギリスについてもっと知りたくなったら
最近、マンションのエレベーターに「今日は何の日」かについての情報が流れるようになりました。一月十一日は鏡開きの日、二月三日は節分といった伝統行事や暦に関するものもあれば、一月二十三日は、「一(いい)二三(ふみ)」の語呂合わせで電子メールの日というものもあり、乗るたびにちょっと楽しみなのですが、中にはもっと面白いものもあります。例えば、一月二十二日は何の日だと思いますか?一八八七年、鹿鳴館に日本で最初の電灯が灯った日なのだそうです。
これを見て、「なるほど」と思ったり、内容を覚えるだけでも知識は一つ増えます。小さな一歩です。でも、ここで、「鹿鳴館ってどんなところだったっけ?」、「日本で最初の電灯ということは、世界で最初の電灯はどこで灯ったんだろう?」という疑問が湧いたらしめたものです。そして、それについて自分で調べてみようと思ったらそれはさらに大きな一歩だといえます。
それでは、調べてみようと思ったら何を使いますか?おそらくほとんどの人がスマホを取り出して検索することでしょう。そこには、世界中の人が発信する様々な情報があり、すぐに答を見つけることが出来るかもしれません。ウィキペディアは便利ですし、情熱を込めて自分の好きなことについて様々な情報をまとめたウェブサイトを作っている人もいます。
でも、残念ながら、そこにあふれる情報はすべてが信頼できるものではない場合があるということも頭に置いておいてください。ウィキペディアを情報にたどり着く入り口として活用することは悪いことではありませんが、必ず他の複数の情報源を確認したり、出典が明示されている場合は、その元情報にもあたって確認するなど、鵜呑みにしないことが大切です。(くれぐれもウィキペディアの情報だけでレポートを書くなんてことが無いように!)
では、信頼出来る情報にたどり着く方法にはどのようなものがあるでしょうか。それは、やはり図書館を活用することです。もちろん本に載っている情報がすべて正しいというわけではありませんし、一つのことに対して見解が分かれている事柄もあります。ただ、本を作るという作業には、多くの材料や費用、労力もかかるので、それらをかけるだけの価値のある情報に出会える確率はかなり高まります。いくつかの本を読むことで、ある物事の全体像も見えてきますし、異なる見解や情報をもとに自分の意見というものを持つことが出来るようになります。
でも授業の合間に図書館に行くのが難しいこともありますね。実は、図書館に行かなかったとしても図書館は利用できます。福岡大学の図書館では利用できる数多くのデータベースもあり、その中には、リモートアクセスができるものもあるからです。ネットで電灯の歴史について検索していると、白熱灯を実用化したのは、スコットランド人のジェームズ・ボウマン・リンゼイ(James Bowmann Lindsay, 1799–1862)という情報が見つかりますが、もし、彼のようなUnited Kingdom(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによりなっている国、通称イギリス)の人について詳しく知りたいと思ったら、リモートアクセスを活用してOxford Dictionary of National Biography(DNBと略されます)を使ってみてください。これはイギリスの歴史に足跡を残した人たちの伝記をまとめたデータベースで、最初のものはヴィクトリア朝後期に編集が始まり、一九〇〇年に完成された歴史ある辞典です。
大学では受け身ではなく、能動的に動かなければ何も得られないとよく言われますが、自分でもっと知りたいと思って調べてみる、こんな小さな能動的な行動の積み重ねは、四年後に大きな違いを生むことは間違いありません。人との出会いはもちろん、本や情報との出会いを通じて大きく成長してください。
Dmitry Orlov, Shrinking the Technosphere : Getting a Grip on Technologies that Limit our Autonomy, Self-sufficiency and Freedom, New Society Publishers, 2017.
私たちはちゃんと生きることができているのだろうか?と問うてみる。人を殺めたり、盗んだり、不倫したり、その他もろもろ、人に後ろ指をさされるようなことをしないからといって、「ちゃんと生き」ていると胸を張れるものではあるまい。学校に、職場に、決められた時間に出て決められた時間に帰り、そのあいだ、やれと言われたことはやっている人が大半であろうが、ならばなぜこれほど多くの人が心を病むのだろうか。世のからくりの何かが間違っていると、二〇〇〇年代以降の日本に生まれ育った人は、皮膚感覚で知っていることと思う。
ドミトリー・オルロフという著作家がいる。一九六二年ロシア(当時はソ連)生まれで、十二歳のときに米国に移住し、コンピュータ工学を修めたのち英語による執筆活動を始めたという経歴の持ち主。現在はウェブサイト「Club Orlov」を運営し、世界情勢を独自の視点から鋭く分析する記事(有料)を発信している。五冊にのぼる著書のうち、『崩壊5段階説:生き残る者の知恵』(大谷正幸訳、新評論、二〇一五年)が、日本でも翻訳出版されている。ネット検索すると、同姓同名の著名人がほかに二人も出てくる(アイスホッケー選手と映画俳優)ので、お間違えなきよう。
このオルロフが『崩壊5段階説』の次に公刊した著書、あえて日本語に訳されていない一冊を、推薦図書として掲げる。タイトルが示すとおり、私たちの「自立、自給自足、自由」の十全な発現を妨げているさまざまな「テクノロジー」を把握し制御する、すなわち「テクノスフィア」(テクノロジーの圏域。生物圏biosphereの対立概念)を縮小すべきことを説いた本である。英語の原書を読むのはハードルが高いと思われるだろうが、まずは計七ページの「イントロダクション」に目を通してみてほしい(Amazonの「試し読み」で読むことができます)。冒頭に記した問いへの答えと言えないまでも、答えに向かうひとつの道筋が示されていると感じてもらえることだろう。ここには何かとても大事なことが書かれている、と直感できたならば、実り多い読書があなたを待っているはずだ。
イギリスの大学入試問題はいかが?
大学入試を終えて入学したばかりの皆さんに他大学(しかもイギリス!)の入試問題を勧めるのは、いかがなものだろうか? と思いながらも、勧めざるをえない。なぜならば、あまりにも入試が面白いからです。もちろん、こう言うわたし自身、全問正解などできる自信はない。(いや、それどころか、まったく歯が立たない問題すら沢山ある。)それでも、半分恥をさらしながらも、このようなエッセイをしたためてしまうのは、自分が知ってしまった極上の楽しみを人にも教えずにはいられないからです。
ジョン・ファーンドン著、『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題 「あなたは自分を利口だと思いますか?」』(小田島恒志・小田島則子訳)(河出文庫)という無茶苦茶長いタイトルの本がそれです。本書にはオックスブリッジ〔オックスフォード大学とケンブリッジ大学を併せた呼び名。蛇足ながら、「オックスブリッジ」という名前の大学があるわけではありません〕で実際に入試の面接官が出題した六十の難問奇問が、少しアヤシイ模範解答と一緒に掲載されています。時間のない方は、すぐに解答を読んで、「ああ、こんなもんか」と思えばよろしいでしょう。けれども、学ぶことが使命である大学生の皆さんには、まず自分なりの答をじっくりと考えて頂きたい、是非。
法学、物理学、医学、哲学、数学、地理学云々といった多岐の分野にわたる問題は、どれも刺激的で、どこから読んでもハズレはない。けれども、ここはひとつ、自分の一番得意なと
ころから攻めてみよう。第五十四問、「『ハムレット』はちょっと長いと思いませんか? まあ、私はそう思いますが。」〔オックスフォード大学・英語英文学〕。先に書いたように、各問には著者であるファーンドン氏の模範解答が付いていますが、わたしは、ファーンドン氏の解答に納得していません。
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この紙面を借りてマジレスしよう。まず、「私はそう思いますが」っていうのが、あからさまな《釣り》ですね。これに釣られて「『ハムレット』は長すぎる。終わり。」などと答えようものならば不合格間違いなし。相手はオックスフォードである、たぶん、『ハムレット』が長いかどうかを真に疑うところから始めねばなるまい。実は、『ハムレット』には「短い『ハムレット』と「長い『ハムレット』」がある。本当はもう一種類あるが、ここでは話を単純化して《短ハム》と《長ハム》があるとしておこう。前者のことを書誌学の用語でQ1と呼ぶ。後者はF1と呼ばれる。
このうち先に世に出たのがQ1だ。しかしながら、このQ1というのは、どうも海賊版のテクストのようで、劇団員のなかの誰かが仲間を裏切って、一座の大切な《資産》である脚本を出版者に売ったものらしい。だから、テクストは不正確で、間違いだらけで、長さも極端に短い。では、Q1というのはダメなテクストかと言えば、必ずしもそうではない。上演するには適切な長さで、間合いが良い。また、何よりも、気取った、芝居がかった台詞回しではなくて、本当に人間がしゃべっているような躍動感がある。もしかすると『ハムレット』もQ1で読んだり観たりすれば、決して長くはないかもしれない。
では、F1は長いだろうか? うん、確かに長そうだ。ケネス・ブラナーというアイルランド出身のシェイクスピア俳優が主演・監督を兼任して、F1のテクストに忠実な、カット無しの映画を製作したが、なんと四時間の長さである。しかし、待て!この問題の出題者はオックスフォードの教授である。『ハムレット』のF1は長い、という凡庸な答に満足するであろうか?もっと根源的なことを問う、哲学的な解答を模索すべきではないだろうか?
長いか、短いか、それは主観の問題である。(「まあ、私はそう思いますが。」とは、釣りではなく、ヒントだったのである。恐るべし、オックスフォードの懐の深さ!)たとえば、あなたが『ハムレット』が大好きで、作品を繰り返し愛読したがために台詞を全部覚えてしまったとしよう。さらに、シェイクスピアが紡ぎだした巧みな言葉の綾を堪能するがために、近代初期英語(Early Modern English)というちょっと古めかしい英語を学び、英語の古語までも理解できるようになったとしよう。そんなあなたがブラナー版の『ハムレット』を観たとき、「たったの四時間」が永劫のように長く思えるだろうか? 答は「ノー」であるに違いない。
【まとめ】
『ハムレット』には書誌学上、優劣の付けがたい複数の初期版本があり、一概に『ハムレット』が長いかどうかは断言できない。さらに、作品の長さとは、およそ主観の問題である。故に、『ハムレット』F1はシェイクスピアの劇作品としては確かに長いが、英語英文学を専攻する学生にとっては、決して長すぎるとは言えない。
【読書案内】
驚くべきことに、翻訳天国と言われる日本では『ハムレット』Q1とF1のどちらも文庫本で手軽に読むことができます。
Q1 『ハムレット』Q1 安西徹雄訳(光文社古典新訳文庫)
F1 新訳『ハムレット』 河合祥一郎訳(角川文庫)
学ぶことを支える仕事
教師は学校で子どもたちと授業をして、国語や数学の内容を教えることが仕事である。別の言い方をすれば、学校で子どもたちがよりよく学ぶことを支える役割が教師にある。
子どもたちは、学校で同じように学ぶのであろうか。学びについて、みんなが同じであることはけしてない。それぞれの理解の程度、これまでの経験、学び方など実に多様である。
よくわかる子ども、理解が早い子どもがいる。また、よくわからない子ども、理解がゆっくりの子どもがいる。教師として「学びを支えること」を考えた場合に、どちらがおもしろいのであろうか。
「よくわからない子どもに教えることがおもしろい」という障害のある子どものための学校の教師がいる。わかる子どもとの授業では、教師の苦労は少ない。よくわからない子どもとの授業は、教師が工夫し苦労しながら授業に取り組む。数多くの失敗を繰り返し、授業に工夫を加えることで、徐々に子どもの「学びを支えられる」ようになる。そしてはじめて、子どもと「わかった喜び」を共有できるように教師が成長する。
「よくわからない」世界で、「わかる」を拾い上げた瞬間である。この瞬間があるからこそ、やめられない仕事が学校にはある。
村田茂著『障害児と教育その心 ── 肢体不自由教育を考える』慶應義塾大学出版会(一九九四)
肢体不自由教育の道を三〇年、歩んできた著者が、子ども一人一人を大切にする温かい視点で特別支援教育全体と肢体不自由教育のあり方を見渡し、わかりやすくまとめたものである。
徳永豊著『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意 ── コミュニケーション行動の基盤について』慶應義塾大学出版会(二〇〇九)
意図・感情の共有や人間関係の形成に必要な「共同注意」、乳幼児が獲得する「共同注意」の形成までを「三項関係形成モデル」として示し、障害のある子どもの事例研究によって、「自分の理解」や「他者への働きかけ」「対象物の操作」の発達の筋道を示す。
たえまなく揺れ動いている顔
『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)に「顔なし」という妖怪のようなものが登場する。「顔なし」は人の歓心を買おうとして巨大化していく。ごく単純に考えれば、自分がない、個性がない、周囲のものや人に左右される人を表しているということなのだろうが、「顔を持て」と言われているようで、この名前はあまり好きではなかった。しかし、ふと気づいたのだが、「顔なし」の対語は「顔持ち」ではない。「顔あり」だろう。「顔を持て」と言うことはできるかもしれないが、「顔あり」の場合は「顔よ、あれ」とでもなるのか、指図することは難しい。「顔」は自分の顔でもあるが、人が見るものでもある。
夜眠るには、顔をほどく必要があるらしい。「顔が/うまくほどけない」(高階杞一「夏は夜」『キリンの洗濯』あざみ書房/本間祐編『超短編アンソロジー』ちくま文庫)。「あっちをひっぱりこっちをひっぱり」「眠れない/もつれにもつれ」る。「自分で見ても恐いのに」。「どこからか/その上に蚊の三つ四つ、二つ三つなど飛んできて/とまっていくも/いとをかし」。「いとをかし」と眺めている人は誰かしらん。
ベルトルト・ブレヒトの「二人の息子」(『暦物語』光文社古典新訳文庫)では、農婦の見る「顔」が物語の核をなす。「ヒトラーの戦争が終わりに近づいた一九四五年一月、テューリンゲン州の農婦が、戦場にいる息子に呼ばれている夢を見た。」数日後、農場で強制労働をさせている捕虜の若いロシア兵を見かけたとき、「突然、その顔が農婦の息子の顔に変わった。」若者の顔がすばやく息子の顔に変わるという、奇妙な現象はその後たびたび起こる。農婦にはそのように思われたというのではないのが、肝だ。あるとき、捕虜たちが話しているところに出くわして農婦が彼らを驚かせ、「そうやって驚いている最中に、またもや顔があの不思議な変化をはじめたので、農婦は自分の息子の顔をのぞきこむことになった。」ロシア軍が間近に迫り、ドイツの敗北が明白となるなか、農婦は窓のガラス越しに「息子の顔」を見つける。「今度は自分の息子だった。」
五ページほどの短い掌篇だが、何とも言えない味わいを残す。この作品が収められている『暦物語』は、ソクラテスから二〇世紀まで、歴史的な背景のもとに展開する小話や詩を集めていて、ブレヒトのさまざまな、ちょっと正義感が強めで生き生きとした文章を読むことができる。
今泉文子編訳『ドイツ幻想小説傑作選』(ちくま文庫)は、魔女や亡霊じみた不気味な存在が跋扈し、妖の鳥が歌う森、月光に照らされた不思議の庭、発見を待つ地下世界の輝きへと誘う、選りすぐりのドイツ・ロマン派作品集。幻想と現実が混淆する心地の悪さのなかに、うつくしさが漂う。この中の一篇、ルートヴィヒ・ティーク「金髪のエックベルト」に奇妙な「顔」が登場する。
騎士エックベルトとその妻ベルタは、ふたりでベルタの秘密を抱え、ひっそりと居城で暮らしている。あるとき、城を訪れた友人にふたりはその秘密を明かしてしまう。ベルタは幼いころ、親からの酷い扱いを逃れて家出し、山に迷い込んで、ひとりの老婆に拾われる。家事を覚え、老婆にもかわいがられるようになって過ごした数年は、ある種の桃源郷での暮らしのようでもあったのだが、新しい世界を見たいという気持ちが起こり、老婆の宝物を奪って出て行ってしまったのだという。この秘密、それを他人に漏らしてしまったことをめぐる疑心暗鬼が、この先の物語を展開させていくのだが、ベルタの話のなかの老婆の顔の描写こそが、この作品を忘れられないものにしていると思う。その顔は「たえまなく揺れ動いていて」「ほんとうの顔はどんなものか、まったくわからなかった」。
「たえまなく揺れ動いている顔」は、顔がないのではなく、われわれには見ることができない顔なのだろう。たとえば、神の顔のように。それは「顔」なのかどうか。
「顔」がわからないという点では同じだが、ある意味で「たえまなく揺れ動いている顔」の対極にあるのが「のっぺらぼう」かもしれない。話しかけた相手が振り向いたとき、驚かされるのが「のっぺらぼう」だという。「急に振り向いたりしないでね」(「夏は夜」)。見たり、見られたりするところに現れるのが「顔」であるとすれば、「のっぺらぼう」はまさにこの現れそのものだ。「のっぺらぼう」は、風景にも、絵画にも、生活にも出る。講義にも出るが、そのときは、こちらから驚かせてやればよい。
泉鏡花は女性ではない
皆さん、大学御入学おめでとうございます。
大学では、受験勉強からも解放され、自由な時間が増えます。この機会に、せっかくですから、少し難しい本や純文学を読んでみてはどうでしょうか。
僕は日本の近代文学が専門です。そこで、日本の純文学作品を少しお勧めします。
泉鏡花「外科室」
明治から昭和にかけて活躍した作家に、泉鏡花という作家がいます。彼の一番初期に書かれた作品の一つが「外科室」です。テーマとしてはロマンチックなのですが、展開がややエキセントリックなところが魅力です。岩波文庫や新潮文庫など、いろいろな文庫に入っています。個人的には角川文庫の『高野聖』には、「外科室」のほかにも「義血侠血」や「高野聖」といった作品が収録されていて、鏡花への入り口として良いのではないか、と思います。最近、泉鏡花は女性だと思っていたという学生がまだいたと聞いたのですが、男性です。本名は泉鏡太郎です。
中島敦「文字禍」
中島敦は、国語の教科書の「山月記」で皆さん知っていると思います。彼に、「文字禍」という作品があります。人が言葉を使うことの意味を考える、興味深い小説です。少し前に角川文庫に収録されました。中島敦には、「山月記」以外にも面白い小説がいくつもあるので、読んでみてください。また、この小説を意識して書かれた、円城塔の「文字渦」という作品も、なかなか変な小説で楽しいです(『文字渦』(新潮文庫)に入っています)。
川端康成「片腕」
川端康成は、「伊豆の踊子」や「雪国」などで有名な作家です。日本最初のノーベル文学賞受賞者ですが、彼の作品の中には、かなり奇妙なものがあります。この作品は、ある男が女性の片腕だけを借りて帰るという話です。新潮文庫の『眠れる美女』という本に入っています。ちなみに、似た感じの話として、シオドア・スタージョンの「ビアンカの手」という、ある女性の手だけを愛した男の話があります(『海を失った男』(河出文庫)に入っています)。
藤枝静男「田紳有楽」
この作家は、前の三人よりマイナーです。「田紳有楽」も少し手に入りにくい作品です。講談社文芸文庫という文庫に入っています。しかし、内容は非常にユニークで、一読の価値はあります。小説が始まって少しすると、「私はグイ呑みである」と言って、湯吞が語り出すところからも、その内容が不思議なものであることが想像出来ます。筒井康隆に、登場人物が文房具である『虚航船団』(新潮文庫)という作品がありますが、それに負けていません。
ICTの基礎
- 松坂和夫著『数学読本』全6巻(岩波書店)
期待に胸を膨らませて福岡大学人文学部に入学してこられた皆さんの中には、『新入生のための人文学案内』という小冊子の中に、どうしてまた数学の本などが挙げられているのか、怪訝な思いをされた方も少なくないと思います。「数学なんて受験勉強とともにおさらばだ」、「そもそも数学が嫌いだから人文学部を選んだんだわ」 ── もし皆さんの目に数学というものが、形式的な規約に拘束された、想像力を働かせる余地の全くない(あるいは遊びの余地の全くない)極めて息苦しい学問としてのみ映っているなら、またこうした一種の先入観に捉われたままでこれからの人生を送っていこうとされているなら、それはたいそう残念なことです。なぜなら、数学に対するこうした否定的なイメージが作られるのには、初等教育のあり方をはじめ、いくつかの無理からぬ要因もあるのでしょうが、「数学の本質はその自由性にある」と述べた集合論の創始者カントルの言葉を待つまでもなく、実は数学の本質というのは決してそのような味気ないものでも窮屈なものでもないからです。そして数学の持つ真の魅力をじっくりと丁寧に教えてくれる本が皆さんにお勧めしたい『数学読本』なのです。
著者の松坂和夫先生(故人)は、長年文科系大学で教鞭を執ってこられたにも拘らず、その教え子達からは一人ならぬ数学者が輩出した、というような希有の魅力と能力をお持ちの数学者・数学教育者です。日本の数学教科書の記述は、たとえそれがどんなに初等的なものであっても、たいていのものが抽象的かつ網羅的で、また、「分厚な本は売れにくい」という商業上の理由もあって、本の記述は更に切りつめられ、結果として不親切で難解、文科系学生にとっては非常にとっつきにくいものとなってしまっていました。これに対し『数学読本』は非常に丁寧で具体的です。細かな式の計算等も一切省略されず、図表を惜しみなく用いた詳細な説明、多くの例題・問と詳しい解答があり、論理展開に少しの飛躍も見られません。本書にはこうした繊細で緻密な論の進め方が貫かれている一方で、しかしながらその調子は無味乾燥というには程遠く、全体にわたって何か馥郁たる抒情性のようなものが醸し出されているのは、ひとえに、若い頃数学研究者を目指すか、あるいは文学の道に進むか、大いに迷われたという先生のお人柄によるものなのでしょう。「トルストイの『戦争と平和』には及ばないものの、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』よりはたぶん長くなって」 ── あとがきより ── しまった本書の規模は、何事にも重厚長大を回避しようとする世の潮流とは正反対にあるものですが、本書のような真の意味での良書にとって、この長さは一つの必然であったように私には思われます。
現代社会においては、数学はとにかく一つの巨大な存在です。数学は極めて多くのことと関わりを持っており、どんな学問にせよ、恐らく数学と完全に没交渉であることはできないでしょう。もちろん、学問分野によっては、数学が多用されすぎているのではないか、といった批判も当然ありますが、こうした批判は批判として、数学の効用と重要性そのものまでを否定する人は恐らくいないでしょう。また、目にみえるような効用に限らずとも、数学を学ぶことによって得られる分析力や洞察力、対象への細かい心配り、物事を透明・簡潔に表現する能力等は、皆さんの知的精神の形成に、必ずや大きな寄与をなすことでしょう。
さあ、皆さんも、文字どおり数(実数の分類)から始まって ── 読本の最初のほうで皆さんは「素数は無限に存在する」という定理に古代ギリシア人が与えた鮮やかな証明法を知り、きっと感動することでしょう ── 、最終的にはガウスが数学の女王と呼んだ整数論、また、無限というものに対して厳密な数学的アプローチを試みる集合論 ── どんなに短い線分でも、例えば一センチの線分でも、果てしない三次元空間のすべての点と一対一対応してしまうという真理に(そして「無限」の持つ神秘性に)皆さんはきっと驚愕を覚えることでしょう ── といった現代数学の初歩まで、著者に導かれてじっくりと学んでみませんか。本書を読む際に必要なものは「紙と鉛筆と愛(好奇心あるいは根気とも)」だけです。最後に『数学読本』の「まえがき」から抜粋しておきます。
この講義は、いくつかのおもしろそうな話を取り上げて一つにまとめたという種類のものではありません。6巻を通じてこれはある種の一貫性と流れとを持っています。結局のところ、私は一つの新しい教科書を書いたことになるのかもしれません。しかし、これはふつうの教科書とは違っています。なぜなら私はいろいろな制約なしにこれを書いているからです。この講義はふつうの教科書よりずっと自由です。また、たぶん ── そうであってほしいと思いますが ── 、ずっと深く、ずっと豊かな内容を持っています。読者はこの講義を読んで、しばしば、今まで気がつかなかったことに気がついたり、新しい発見をしたり、フレッシュで興味深い数学の問題に導かれたりするでしょう。…
この講義は、いわゆる受験数学とは関係ありません。…私がこの講義で語りたいと思うのは、流れのある数学の一つのストーリーであって、技術や要領ではないからです。
この講義ではときどき、常識的なカリキュラムの意味で初等・中等数学の範囲と考えられるところから ── どこまでが初等・中等数学でどこから先が高等数学なのかははっきりしませんが ── 少し上のほうまで延びて行きます。…この講義には人工的で不自然な柵はありません。したがって、これはたぶん、最終的には読者をかなり高いレベルにまで導きます。…」
フィールドワークという教科書
私が専門とする文化人類学は、簡単に言うと「異文化を理解する」学問である。異文化といえば海外を連想するが、今では身の周りに異文化があふれているので、日本でも文化人類学的な調査をすることができる。しかしそれでも、文化人類学者は「異文化」を求めて海外に行くことが多い。
私は学生時代から、東アフリカのタンザニアの漁民社会で調査をしている。学生の頃の私は、「海外に行けば異文化に出会え、それを理解することができる」と安易に考えていた。しかし、やみくもに海外に行けばよいというものではなかった。当然のことながら、きちんと教科書で勉強することが必要である。
文化人類学を学ぶことができる教科書的な本はたくさんある。例えば古くは、石田英一郎『文化人類学入門』(一九七六年、講談社)、祖父江孝男『文化人類学のすすめ』(一九七六年、講談社)、石川栄吉編『現代文化人類学』(一九七八年、弘文堂)、綾部恒雄編『文化人類学15の理論』(一九八四年、中央公論社)などがある。最近では、奥野克巳等編『文化人類学のレッスン』(二〇〇五年、学陽書房)、鈴木裕之『恋する文化人類学者』(二〇一五年、世界思想社)、松本尚之等編『アフリカで学ぶ文化人類学』(二〇一九年、昭和堂)、松村圭一郎等編『文化人類学の思考法』(二〇一九年、世界思想社)など、他にもまだまだある。これらの本を読むと、時代とともに文化人類学に新しいテーマや分析視覚が誕生してきたことが分かる。
しかし時代をつうじて、どの本でも強調されるのは「フィールドワークが文化人類学にとって一番大切である」という点だ。フィールドワークとは、「実際に現地(フィールド)におもむいて、現地で生活しながら、現地の生活文化について理解してゆくこと」であり、文化人類学の核心である。つまり、教科書をいくら読んだとしても、フィールドワークを抜きにして異文化を理解することはできないのだ。したがって、たくさんの教科書を紹介したが、文化人類学の一番の教科書は『フィールドワーク』なのである。。
フィールドワークは、調査者一人一人が自分なりにつくってゆくものである。実際に現地に滞在し、現地の人びととの人間関係の中で、経験的に学んでいくしかないフィールドワークは、基本的には肉体的・精神的につらいものである。しかし、私が20年間もフィールドワークを続けてこれたのは、現地の人びとの知恵や技術、その生き様に魅了されてきたからである。これまでに多くの人びとに出会ってきた。そのなかでときおり、自分の価値観がくつがえされるような、もしくは、謎が一気にとけてゆくような、「ハッ」とする瞬間や言葉に出会うことがある。これがフィールドワーク最大の魅力である。
忘れられない言葉の一つに、「海も畑とおなじように耕さないと駄目になる」がある。これは福井県のある年老いた海女さんの言葉である。何気ない会話中にでてきた言葉であるが、この言葉を聞いた瞬間、私は「海女の世界観」を深く理解できた気がした。
一般的に、海女などの漁民は、水産資源を、一方的に利用(収奪的資源利用)しているといわれる。しかし、先の海女さんの「海を耕す」という言葉から、海女はウニやサザエなどをとるだけではなく、漁場である沿岸環境を整備する(=耕す)ことも意識していることが分かる。このような、守りながら利用するという海女の資源利用は、日本の「里海」につうじるものである。
里海とは、「人が手を加えることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」(里海研究の第一人者の柳哲雄先生の言葉)と言われる。なかなか難しい概念で、その具体例をみつけることは困難だ。しかし、海を耕しながら海産物をとるという海女の資源利用は、まさに「里海」といい得るものである。フィールドワークで出会った一言によって、私は「里海とは何か」を知ることができた。
このような金言に出会うことができるのがフィールドワークである。文化学科では、文化人類学的なフィールドワークを学生に経験してもらえるように、授業外ではあるが、フィールドワーク実習をおこなっている。この機会を利用して、学生の皆さんにも、ぜひフィールドワークの魅力に触れて欲しい。
首相のウソ
十九世紀は、パックス・ブリタニカ(Pax Britanica)英国の世紀といわれる。しかし、十八世紀の後半に、世界で初めて産業革命を成し遂げて以降の英国の歩みは、実は一般的な印象ほど順調なものではなかった。大英帝国の栄華は、些か創られた偶像ともいえよう。
一八〇〇年の二〇年代から三〇年代にかけて、英国内では、恐慌・不況による倒産や失業者の増大で労働者の暴動まで生起した。それは、当時の英国主力輸出品であった綿織物の主要な海外市場であった西欧市場において、極度の販売不振に陥ったことによるもので、「生産過剰恐慌」といわれる。そこで、英国では、西欧に替わる新たな海外市場の獲得が急務となった。その危機的状況の下で、中国清朝に対する武力行使であるアヘン戦争が一八四〇年に起こった。より正確に表現すれば、英国によって、中国市場獲得のために意図的に引き起こされたのであった。
そのアヘン戦争の最高責任者が、英国外相パーマストン子爵である。彼は、対外強硬論者で、その強硬策は、Gun Boat Policy(砲艦政策)と呼ばれた。英国の勝利によって終結したアヘン戦争の講和条約である南京条約により、広大な中国市場で英国製品が大量に売れると英国側は期待し、中国輸出向けに大増産を始めた。十九世紀中葉における中国の人口は四億人。当時の世界人口十二億人の、実に三分の一を占める巨大マーケットであった。しかし、条約締結後の三年間は順調そのものに見えた中国向け輸出も、早くも四年目から雲行きが怪しくなり、ついに十年後の一八五二年には、アヘン戦争前の輸出額に逆戻りしてしまった。中国向け大増産体制は完璧に裏目に出て、いまや「中国不況」とも呼べる深刻な不況に悩まされることとなったのである。
外相から首相に上り詰めていたパーマストンは、砲艦政策による状況の打開を狙っていた。そこに舞い込んできたのが、香港総督パークスからの報告、アロー号事件(一八五六年)であった。パーマストンは、これを恰好の口実と捉え、強引に捏造ともいえる開戦理由を挙げて、英国議会に二回目の対中国武力侵攻案を提起した。アヘン戦争同様、武力によって中国市場をこじ開け、中国における販売不振からの脱却を目論んだのであった。議会に報告した二つの理由は、いずれも捏造と呼べるもので、香港船籍アロー号への中国警察の介入を英国主権への侵害と説明したが、その実態は、事件当時のアロー号の船籍は期限切れであったにもかかわらず、その事実を承知していたパーマストン首相は、事実を隠して開戦の理由とした。もう一つの理由、中国警察がアロー号に乗船した折に、掲げられていた英国国旗を引きずり降ろして踏みつけた、英国国旗・英国国家への冒涜という理由も、これまた全く根拠のない、ただの一人の目撃者もいない作られた理由であったが、この点も、議会には伏されたままであった。
英国議会下院で採決がおこなわれ、パーマストン首相提案の中国武力侵攻案は、十七票差で否決された。これをうけたパーマストンは、議会を解散し総選挙にうって出て、新しく選出された議員たちによる再投票で、今度は八十五票もの大差で可決、成立させたのであった。首相のウソを当時の国会議員たちが見抜いていたのか、見抜けなかったのか定かではない。しかし、どう考えても不合理なひどすぎる開戦理由に、当初十七票差で議員たちの良識は示されたが、残念なことに、経済的に追い込まれていた当時の英国に、再度それを否決するだけの余力は残ってはいなかった。こうして始まった戦争は、のちにアロー戦争、また第二次アヘン戦争とも呼ばれるが、今回のそれは、英国がフランスを誘い英仏連合軍での中国侵攻となったのである。
十九世紀、パックス・ブリタニカの一コマではあるが、二十一世紀の今日においても、同じく首相はウソをつくし、大統領も同じくウソをつく。「桜を見る会」なぞという曰く言い難い件で、一〇〇回以上のウソを国会で重ねた日本の最長政権を誇示した首相。架空の「大量破壊兵器」の存在を口実に、イラク戦争を強行したアメリカの子ブッシュ元大統領。トランプ前大統領の場合は、もはやウソの次元を超えた、アブノーマルな虚言、妄想、異常この上ない発言の数々である。
さて、政治家は本質的にウソをつくものではあろうが、われわれ国民は、それをどう見抜くか、また見抜けるか? 福岡大学を卒業するまでの四年間で、事の真偽と本質を見極めることの出来る眼力と教養を身につけることが、大学入学の最大の目的の一つであることは間違いないであろう。
Tips for Learning English
Learning a language is like learning to play a musical instrument – to improve, you must practise. And music is for playing and enjoying – so, have fun speaking and communicating in English! Imagine you are studying music: to play well and graduate, you need to practice for an hour or more each day, at least. If you do the same for English, you will be able to speak beautifully by the time you graduate.
・If you never practise the piano, it’s impossible to play. The same for language
To speak a language well, you must use it – as often as possible:
Set yourself a target to improve your English each year you are at university. Improve a little each day, and you will improve a lot by the time you graduate:
・If you commute to university by bus, train or subway, use your time to learn English
As in life, making mistakes is an important part of learning a language – so donʼt worry, just keep talking!
Impress your friends with your fluency in English, whatever your major:
Practise your English on the international students at Fukuoka University – they want to talk to you!
Movies are a great way to listen to spoken English – and they are available everywhere – watch as many as you can:
・Watch a movie several times – you will understand better each time
・Try to repeat what the actors say
・As well as movies, watch the news in English at cnn.com
・NHK shows English news early each morning. Watch the news each day, and you will make great progress in your understanding for TOEIC
Whether Harry Potter or William Shakespeare, read a book in English – there are thousands to choose from!
Like Samuel Pepys and Bridget Jones, write a diary in English – about what you do each day, your thoughts and feelings. This will help you improve your writing greatly.
Listen to your favourite British or American bands – they can help you learn English!
・Download a podcast for mobile English
English is the international language that makes it possible for you to communicate with people in other countries. Get your English ready for a trip or study abroad:
・It will be easy to meet people if you can speak a little English
・Fukuoka University has several study abroad programmes. If you can, study in another country – you will learn many things and have the time of your life
English is a key to the world and knowing English can help you get the job you want. English gives you:
・An international dimension
・Awareness of other cultures
・Opportunities to work and travel abroad
・And the ability to communicate with the world
犬がどのように考えているか、を どのように考えるか
- スタンレー・コレン著(二〇〇七年)『犬も平気でうそをつく?』文春文庫
この本をお薦めするのは、私自身が犬好きで、犬好きの人にとって面白く役に立つ、ということもあるのですが、それ以上に、大学で勉強するときに重要な「考え方」について自然に馴染むことができる、という理由からです。
日本語のタイトルはややひねりすぎです。原タイトルは“How Dogs Think”なので、こちらのタイトルで内容をイメージして下さい。
著者のスタンレー・コレンの専門は心理学で、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で教授を務めています。犬好きが嵩じて訓練士の資格をとり、犬の訓練クラブのインストラクターもしているそうです。
私たち人間は、他の人たちを観察したり、対人関係の中でさまざまなことを学びます。これを「社会的学習」といい、私たちは言葉や規範、あるいは歯の磨き方などもそうやって身につけていきます。
では、そのような学習能力を犬も持っているのでしょうか。
おそらく持っていると想像はできますが、本当に知りたいのであれば確かめねばなりません。そのための手続きは、「犬には社会的学習能力がある」という考え ─ この考えのことを仮説といいます ─ が正しいとすると、特定の状況でどのようなことが発生するか推測をし、実際にそのような状況で観察を行って推測が正しいか否か確かめる ─ 確かめることを検証といいます ─ ということになります。「犬には自意識がある」や「犬には超能力がある」という仮説を立てた場合も同様です。
コレンの専門である心理学や私の専門である社会学では、仮説を検証するというアプローチをよくとります。実験はその典型ですが、社会調査なども同じような手続きに沿って行われます。大学の勉強では、知識だけではなく、このような手続き、あるいは考え方を身につけることが強く求められます。『犬も平気でうそをつく?』という本は、犬の能力や感情、意識についてさまざまなことを教えてくれますが、数多くの事例や実験、調査がうまくはさまれていて、仮説を検証するプロセスの面白さ、その有効性がごく自然にわかってきます。
犬には社会的学習能力があるか否か、それをどうやって確かめたかは、本書を読んでのお楽しみ。
以下に、スタンレー・コレンの犬に関する他の著作も挙げておきます。いずれも文春文庫です。飼い主の性格に合う犬種は何か、どうすれば犬に意思をうまく伝えられるか、どのようにして犬は狼からつくられてきたのか、などなど、盛りだくさんで楽しめます(最後は結局犬が好きな人のための紹介になってしまった…)。
『デキのいい犬、わるい犬』(The Intelligence of Dogs)
『相性のいい犬、わるい犬』(Why We Love the Dogs We Do)
『犬語の話し方』(How To Speak Dog)
『理想の犬(スーパードッグ)の育て方』(Why Does My Dog Act That Way?)
『犬があなたをこう変える』(The Modern Dog)
ドイツ語映画観賞会 ―上映50回を振り返る―
大学では大いに勉学に励んでください。多くの本を読み、あるいは大事な書籍を精読し、知的な喜びを享受してください。多くの友と知り合い、大事な仲間と親交を深め、かけがえのない今この瞬間を生きてください。いつかは大きな問題に面して個人的に頭を抱えることもあるかもしれません。そのようなときに書物に手を伸ばし、また、仲間たちと語り合い、議論を深められたならば、いかに自分が無知であったか、いかに自分が無力であるか、だからこそ、いかに先人たちの残した足跡に助けられるか、いかに異なる視点による切り口が新たな視界を開くことになるのかを、身をもって学ぶことになるでしょう。生き続けることは、学び考え続けることです。学ぶ対象に限りはありません。限られた大学生活の時間の中で、次の一歩への手がかりを見つけ出してください。
そのためには、多くの芸術作品に目を向けるとよいでしょう。書物でも、絵画でも、映画でも、心を開けば雄弁に物語ってくれるに違いありません。人文学部での研究活動が生きる上で役に立つのは、個人的な問題をより普遍的な観点ないし客観的な立場から捉える力が培われるからだと言えるかもしれません。
福岡大学人文学部ドイツ語学科では、二〇一三年度前期から七年間、授業期間中の第一木曜日夕方に中央図書館多目的ホールで、「ドイツ語映画観賞会」を実施してきました。(同年度後期からは福岡大学エクステンションセンターとの共催で無料の市民開放型文化講座「映像に見るヨーロッパ文化―ドイツ語圏―」として開講。)諸般の事情のため二〇一九年度でいったん幕を閉じることになりましたが、これまで50回の上映会で紹介したドイツ語(ドイツ関連)の映画・映像作品は基本的に図書館所蔵品ですので、図書館二階AVコーナー(Audio-Visual Room)で視聴することができます(学内者のみ)。一通り目を通すだけでも、映像と音楽が醸し出すヨーロッパ文化を体感できるようになるはずです。以下には過去上映作品を列記しますので、見逃している作品は是非、図書館二階AVコーナーでご鑑賞ください。なお、個々の映画の詳細をお知りになりたい方は、福岡大学人文学部ドイツ語学科のホームページ内にある「ドイツ語映画鑑賞会」の項目(http://www.hum.fukuoka-u.ac.jp/ger/film/)をご覧ください。
青年期の読書に関する一事例
本冊子『NOVIS』では、書籍を推薦する形式の文章が多いようです。何か具体的な書籍を推薦するというには、私は読書量も不十分で、質的にもこれまで読書から深い思惟をめぐらせることはそれほど多くありませんでした。そこで、具体的な書籍を推薦するという形式をとらずに、このような読書体験をしたことがあるということを、一つの事例として、お示しすることで、何かのお役に立てることが少しでもあればと思います。
高校生の頃(一九九六~一九九九年)、私は四〇~五〇分くらいは毎日電車に揺られて通学しておりました。スマートフォンもなかった当時のことで、この時間は車窓からみえる地形を観察することと、読書くらいしかすることがありませんでした。既にアジアの考古学に関心のあった私は、価格も手頃で、携帯にも便利な歴史関係の新書を好んでおりましたが、講談社現代新書に「新書東洋史」というシリーズがあり、それを第一巻の伊藤道治『中国社会の成立』から第一一巻の伊藤秀一『解放の世紀』までを順番に読んでいきました。それぞれに面白いことが書いてあって、とても楽しい時間を過ごすことができました。
中でも、よく読んだのが第一〇巻の梶村秀樹『朝鮮史』(一九七七年一〇月二〇日第一刷発行,私が高校生の頃買ったのは一九九五年三月二三日発行第三二刷)でした。書名は『朝鮮史』ですが、内容は近・現代史が中心となっています。この本の冒頭には次のように記述されています。
「一九四五年に一〇歳であり、主要に戦後日本の教育の枠組の中で自己形成してきた私が、高校までに教室で教わった朝鮮史の知識は、まったく乏しいものだった。そのうえ、構成される全体像は、断片的なくせに、弱々しく、ものがなしく、独自の個性や学ぶ価値のある文化をもたず、たえず強国につき動かされており、同情の対象とはなりえても、敬愛の対象とはなりにくいようなものだった。(中略)
はっきりいえることだが、朝鮮史はそのようなものとはちがう。」
第一刷が出版された一九七七年から二〇年ほど経た当時でも、高校の世界史や日本史の授業で触れられる韓半島(朝鮮半島)の歴史については、確かに断片的でした(後にわかったことですが、偶然にも梶村秀樹と私は同じ高校でした)。その点、梶村秀樹『朝鮮史』には学校では触れられることがほとんどない事柄がたくさん書かれており、興味深く読んだものでした。
その頃、最寄り駅から高校までの通り道に1軒の焼肉店がありました。そこの看板には韓国語で「어서 오십시오」と小さく書いてあるのに気づいたのですが、何と書いてあるのかわかりませんでした。このことは、私にとって、とても衝撃的なことでした。遠い国の言葉である英語は学校の授業で習ってちょっとくらいならわかるのに、お隣の国の言葉が全くわからないとは!梶村秀樹『朝鮮史』では、学校だけでは不十分だということが存分に示されているのに、主体的に動くことがなかった自分をとても恥ずかしいと感じたのです(ちょっと変ですかね?)。その日の午後、早速、図書館に行って、韓国語学習の本を手に取り、一日目はハングルの母音、二日目はハングルの子音、三日目はパッチムや連音の仕組みなどを覚えて、何とか字引を使えるようになって臨んだ四日目。あの言葉の正体は「いらっしゃいませ」でした。こうして書きますと私は立派な人のように思われますが、決してそうではありません。そのことは後で述べます。
一浪して、大学に入って念願の考古学の勉強が始まりました。毎日、楽しく研究して、韓国に通いながら卒業論文を作成しました。さらに大学院で研究を進めていましたが、博士課程一年目がおわって、就職のため退学しました。地方公務員となり、文化財専門職員として壱岐島で発掘調査、考古学研究、文化財行政などに明け暮れました。考古学や民俗学の研究で余裕がなく、また専門が先史時代だったこともあって、近・現代史のことはすっかり忘れてしまいました。
時は流れて、それまでの考古学研究をまとめてみようと思い、在職のまま大学院に再入学し、二〇一五年に韓半島を中心とした東北アジアの先史文化を主題とする博士論文を書きました。そこで得た結論は「東北アジアの先史文化の変遷は華北の文化が周辺地域に拡散するという単純な図式では説明できず、各小地域があるときは核地域となり、あるときは周辺地域となる動的な展開をみせており、小地域における自律的な動きこそが重要である」というものでした(陳腐ですが、そういう結論が出てしまった以上は仕方がありません)。上京し、博士論文を提出する前夜の実家で、何となく高校時代の蔵書が詰まった段ボール箱を開けてみると、そこには講談社「新書東洋史」のシリーズがありました。
ああ、懐かしいな。梶村秀樹『朝鮮史』を読んで、慌ててハングルを勉強したのだったっけ。ページをめくるとそこには「内在的発展論」という歴史観に貫かれた記述がみえました。「内在的発展論」をめぐってはさまざまな論議があります。私の専門ではないので、ここでは詳しい論評を避けますが、内容としては、韓半島の歴史は外国勢力によって他律的に動かされたのではなく、独自の文化伝統を持つ韓半島の民衆総体こそが社会を発展させた原動力であるとみる考え方です。
これは…。先史時代に関する私の拙い研究で得た結論「地域の自律的な動き」は、梶村秀樹の「内在的発展論」にどことなく通じるものがあるようです。高校時代に読んだときは確かに衝撃を受けたのです。しかし、博士論文提出前夜の再びページを繰ったそのときまで、全く忘れていました。全く忘れるほど、身体に染みついていたという好意的な見方もできないわけではありませんが、大部分は単純に忘れていたというほうが実態に近いでしょう。しかし、頭の片隅に何とか残っていた梶村秀樹の論が作用し、私の拙い結論が導かれたのかもしれません。何とも申し訳ないような気持ちになりました。だから、二〇一八年に博士論文を基に書籍を出版した際には、直接、「内在的発展論」に言及したわけではありませんが、梶村秀樹『朝鮮史』を引用文献に加えてあります。
長々と述べましたが、以上の話で私が申しあげたいことはただ一つです。読書は、すぐに何かの役に立つとは限りません。むしろ時間を隔てて効果が現れるような本こそが貴重なのではないかと思います。青年期にこそ、そうした本に出会えることを期待しながら、自身の興味や関心に応じて、大いに読書をするのがよいのではないでしょうか。
進化するミュージカル
- 小山内伸著『進化するミュージカル』(論創社)
ミュージカルの起源はイタリアのオペラにありますが、二〇世紀初頭のニューヨークの劇場街で誕生したブロードウエイ・ミュージカルは元のオペラから大きく変貌し、今やニューヨークだけでなく世界中で受け入れられるようになりました。ミュージカルの発展には(英語がわからない)移民の多いニューヨークの社会的事情もあり、セリフだけでなく音楽やダンスなども取り入れたショーが発展してきました。ミュージカルは基本的に翻訳家井上一馬が述べているように「人間賛歌」であり、アメリカ人の楽天的な国民性も反映されてハッピーエンドで終わる作品がほとんどですが、人種差別などの社会問題も次第にテーマとして取り上げられるようになり、一九五七年の『ウエストサイド物語』では悲劇のミュージカルも制作されるようになりました。
ここで紹介している本は主として一九七〇年代から二一世紀にいたるまでの最新のミュージカルの代表作を中心に紹介しています。著者は執筆当時朝日新聞の記者で、新聞に劇評を書いていました。この本ではタイトルにあるように「進化する」ミュージカル作品を紹介しています。たとえばオペラのようにほとんど歌と音楽で構成されているアンドルー・ロイド・ウエバーの作品(『キャッツ』と『オペラ座の怪人』)は『レ・ミゼラブル』や『レント』に引き継がれています。また同じメロディーを異なる歌手が異なる歌詞を歌うことでそのコントラストが生じるロイド・ウエバーの手法はスティーブン・ソンドハイムのようなアメリカの代表的なミュージカル作家にも大きな影響を与えています。その他にもミュージカルの伝統を踏まえた上で、新しい工夫がなされた作品が続々と制作され、多くのファンを魅了しています。この本を読んで劇場に足を運ばれるようになれば幸いです。
『薔薇の名前』の迷宮と『風の谷のナウシカ』の旅
私は高校から大学の10代には、とにかく何を読んでも面白かった。だから1冊でも多く読みたかったが、お金は全然なかったので、自炊で節約した食費から捻出した小銭で、古本屋の店先の箱に入っている1冊100円とかの新書や選書を漁って読んだ。鉄道で旅をするときは、キオスクの少ない選択肢の中から、興味を持てそうなものを探して買って読んだがたまにアタリがあった。20代には調査旅行で長旅も増え、そんな時は本棚の未読本から、普段手が出ないが、いつかきちんと読みたいと思っていた厚目のものを選んで出掛け、駅や宿屋でじっくり読んだ。本とは不思議なもので、何を読んでも何か学ぶところがある。少しお金がある身になると、本屋に行って面白そうな本を袋一杯買い、博物館に言ったら図録を根こそぎ買い、普段は平積みにしているが、研究が始まると全部の本が必要になる。学習と創造は違う。オリジナルの知は、学史の勉強だけでは生み出せない。自分の知の世界を膨らませ、既存の知の体系を破り、まだ使われていない新たな素材を消化吸収して再構築する必要がある。他人が作り上げた居心地の悪い知の片隅に間借りし、場当たりな検索に頼るより、自分の知の城となる世界を作るべきだ。そう覚悟を決めたら燃料や素材は無限に必要だ。金がなければ安い古書から掘り出し物を探せばいいし、時間がないなら飛ばし読みでもいい。
人間は自分にお金か時間を投資しない限り成長しない。冷酷無比な今日の世界は、成長しない人間、成果の出ない人間を容赦なく切り捨て、貧困に追いやっていく。大学の教員になって良かったことは、自分の人生では完結できない知の探究を、教え子たちに託すチャンスが得られたこと、その知を力に変えて、世界を生き抜く術を伝えることができることだ。
整然と人工植林されたスギ山が有害な花粉をまき散らした揚げ句豪雨で無残に崩落するように、現代の薄っぺらく有害な知性(例えば文系不要論とか、リーマンショックを引き起こした経済理論とか、地球温暖化否定説とか、日本すごい論とか)に辟易させられたとき、屋久杉の森みたいな複雑で奥深い知の森に分け入る心地で読める本がいい。
一押しはサレルノ大学の記号論学者ウンベルト・エーコ先生の名作『薔薇の名前』上・下(1980刊、河島英昭訳、東京創元社、1990)。やはりこれが一番好きな小説だ。歴史上の人物や書物に言及するオマージュに満ち、濃密で難解なプロットは迷宮のようだ。ペスト大流行直前の1327年、灰色のだぼだぼした修道衣を纏ったフランチェスカン(フランシスコ会修道士)・バスカヴィルのウィリアム(≒バスカヴィルの犬、シャーロック・ホームズ)は弟子のベネディクト会の見習修道士のメルクのアドソ(≒ワトソン)と共に、神学論争と異端審問の会場となった北イタリアの山間にある古い修道院を訪れる。その修道院の巨大文書庫(内部に本物とだまし絵の階段が錯綜するまさに迷宮!)と写字室で起こる連続殺人事件と、その背後にある禁断の書をめぐる謎解きに挑むという内容だ。シャーロック・ホームズオタクのエーコ先生らしい換骨奪胎が効いた設定だ。修道院のガラス職人僧が眼鏡を作るくだりなど、金属工芸の研究をしている自分が読んでも会話のリアルさに引き込まれる。
『薔薇の名前』は後にジャンジャック・アノー監督(『人類創生』の監督)、ショーン・コネリー、クリスチャン・スレーター主演で映画化され、こちらも原作に劣らずいい。映画の時代考証はアナール学派の総帥であったジャック・ル・ゴフ先生が担当され、修道院の薬草園やシャンデリア、チーズにシナモンをかけて焼いた焼き菓子の細部に至るまで、極限の考証がちりばめられている。文献から物質資料まで、すべての資料を総動員して「全体史」を叙述するアナールの歴史哲学が体現される一方、良質のエンターテイメントでもある。つまりヨーロッパ中世史オタクも普通の読者や観客もともに楽しめ、今時の安いファンタジー映画にはない奥行がある。しかし事情通の松岡正剛先生の解題で驚かされたのは、この世界を魅了した小説自体がエーコ先生の卒業論文『聖トマスの美的問題』で取り組んだ研究がもとになっているのだという。卒論を書く大切さをこれほど痛感させられたエピソードはない。この小説の根底となる殺人事件の設定は、小中学校の本棚にもあるバートン版『千夜一夜物語』(『アラビアンナイト』)からの借用だそうだ。
私はサイコパスみたいなシャーロックホームズの才気は好きになれないが、アッシジの聖フランチェスコが鳥に説教した故事が物語るように、フランシス・ベーコンの弟子でオッカムの友人でもあるというウィリアムの語る言葉は寛容にして思慮深く、東洋思想とも親和的で、こちらの名探偵の方がずっと魅力的だ。しかし時は教皇のアヴィニヨン捕囚時代で、「清貧」を掲げるフランチェスカン自体が異端にされかねない時代であった。そのような困難な状況の中で、ウィリアムは、不寛容な狂信の権化である黒衣のドメニコ会異端審問官ベルナール・ギ―と理性をもって対決する。
しかしなんといっても、山場は伝説的なヴェノスアイレス図書館長、ホルヘ・ルイス・ボルヘスをモデルにした盲目の修道院文書庫長、ブルゴスのホルヘ(英語名だとジョージと表記されなんともしまらない)との最後の頭脳戦だ。キリスト教信仰を崩壊させかねないアリストテレス詩学『第2部』―「笑い」の書を隠蔽するため、「悪魔」となって文書庫を守る髑髏検校ホルヘと、人智を駆使した推理と、そして痛烈な風刺的毒舌をもって戦うのである。
異端審問を盛り込んだものなら、オルダス・ハクスリーの『ルーダンの悪魔』(1952刊、中山容・丸山美知代翻訳、人文書院1989)もいい。1632年にフランス・ルーダンで、ウルスラ会修道女たちが魔女状態に陥り、彼女たちの性的妄想もないまぜになって、教養ある色男だったウルバン・グランディエ神父が悪魔崇拝者に仕立て上げられ、火刑にされた事件に取材したものだ。しかし見どころは猟奇的なものではなく、人間の集団ヒステリーの冷徹な分析にある。その末尾近くの、「一輪の花、一粒の砂にも、時を刻む永遠を見ることが出来る」という一節は、考古学を志していた私の心に深く沁み、今でも出土品の観察の時に思い起こす言葉だ。映画化されたというがぜひ見てみたい。最近、彼の名前にひかれて『すばらしい新世界』(1932、黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫、2013)も買って読んだが、完全管理社会を描いた近未来SFのこっちは全然面白くなかった。ただ刊行された時代を考えれば、預言的な内容を多く含んでいる。やはり彼は歴史的事件に取材して語る方が、自身の架空の世界を語るより魅力的である。
では、日本の物語で、樹海に分け入るような作品は何かといえば、宮崎駿氏の『風の谷のナウシカ』漫画版(全7巻、アニメージュコミックス1983~1994)が思い浮かぶ(小説なら荒俣宏先生の『帝都物語』かな)。しかし映画では、ナウシカ物語の核心をなす土鬼とトルメキアの戦争は描かれなかったから、当時城南高校漫画研究部で変形合体ロボットアニメ製作に明け暮れていた私は大いに不満だった。ところが先日、NHK特集で、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」の特番をやっていて驚いた。新宿で2019年12月6日から25日まで上演されたというが、上演は6時間にも及ぶそうで、土鬼皇弟ミラルパが藤原時平の隈取で出てくると聞いただけで「おおッ」と思え、どうも映画よりよくできている可能性が高そうだ。再演されるならぜひ観たい。ネットの記事によれば、主演ナウシカの尾上菊之助が3日目にケガして当初の立ち回りが難しくなり、クシャナ役の中村七之助がそのぶんがんばったそうだ。ナウシカの世界には、「皇女クシャナ」(クシャーナ朝)、「トルメキア」(トルクメニスタン?)、「タリア川の石」(アムダリア、ホータンの玉?)「ペジテ市」(ダルヴェジン・テペ?)「エフタル」(白匈奴)のように、中国の涼州から中央アジアの世界を想起させる人名や地名のキーワードがちりばめられているが、なかでもチベットを彷彿とさせる文化をもつ「土鬼(ドルク)」が何をモデルにしているのか長年の疑問だった。2018年の中国在外研究の折、長澤和俊先生の『楼蘭王国』(角川新書、1963)を読んでいてやっとわかった。慕容鮮卑の吐谷渾が故郷の内蒙古を捨てて西走し、子孫が現在の青海省に入って土着の羌人たちを征服して吐谷渾王国を建てた。西域進出を狙う北魏は、445年に鄯善(クロライナ、楼蘭の北部)に万度帰将軍、吐谷渾に高涼王那の大軍を派遣した。敗れた吐谷渾王・慕利延は部衆を率いて流砂を渡り、西方の于闐国(ホータン、現在の和田)に侵入して王を殺し、多くの死傷者を出してこの国を占領した。この経緯はチベットに伝わった『于闐国史』(リー・ユル・ルン・タンパ)に記された吐谷渾(ドウルツグ)のアノソン王の于闐(リー・ユル)侵入に相当するという。この後、慕利延は遠く罽賓(カシミール)まで遠征し、やがて南朝の宋と連絡して、二年後には再び青海に帰還したという。近年、青海省トゥラン盆地の吐谷渾王や貴族の墓からは、西域の金製品や南海の貝製品、南朝の陶磁器など珍奇な文物が多数出土したが、これこそ慕利延の築いた通商路の産物だ。ところが于闐国を征服した吐谷渾は、当初は佛教伽藍を焼き払ったが、次第に仏教化し、ついに青海、更に西蔵に仏教を扶植し、吐蕃時代以降、チベットのラサは仏教信仰の中心となった。つまり「土鬼(ドルク)」のモデルは吐谷渾(ドウルツグ)のようである。
西域を旅した時役立ったのが、玄奘作、桑山正道先生訳『西域記―玄奘三蔵の旅―』(小学館地球人ライブラリー 1995)だ。7世紀に玄奘が至ったウズベキスタンのタシケントやサマルカンド、カシミールの記事もある。スウェーデン歴史博物館には、初期バイキング遺跡のヘルゲ島住居跡から出土した7世紀のカシミール仏が展示されているが、この仏像を見にストックホルムまで行ったのは、江上波夫先生の論文「スウェーデン出土の小仏像」(『江上波夫著作集4 東西交渉史話』平凡社1985)の影響だ。また中国から帰国して読み、中国の旅に持って行かなかったことを後悔したのが森安孝夫先生の『シルクロードと唐帝国』(興亡の世界史05 講談社学術文庫、2007)である。ソグド人の活動や西安のササン朝ペルシアの亡命者の話など知らないことばかりだった。陝西・甘粛の旅には必読の書だ。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、テレヴィジョン
大学が素晴らしい場所であるのは、必ずしも社会人として一人前になるための技能や能力を磨くことができるからではありません。もちろんそれを否定しませんが、大学は人がそうしたものを身に着ける長い過程の一段階にすぎません。むしろ、大学の個性とは、学生たちが高校時代の学習では決して出会わないような知的刺激にあふれ、そこからそれぞれが、自分の歩みを大きく左右していくような固有の知性や感性を育んでいくことができる場であることだと思います。もちろん大学の授業はそうした機会の一つです。しかし、大学が提供するのは授業だけではありません。先生や先輩との会話、立ち寄った休憩所で耳にした話し声、ふと目にしたポスター、学園祭の企画等々。たとえば、学生のみなさんはこうした機会において、およそ高校時代には推奨されないような書物の存在を知るでしょう。なぜか?高校まで学校が教えてきた学習や規範には「立派な社会人」になるという目的があり、その目的から外れるものはタブーとして、秘匿されているからです。例えばミシェル・フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰』(新潮社、一九七七年:原著は一九七五年)。私が大学時代に学生たちがどこからともなく推奨されて読んで、瞠目したこの本について、高校時代の先生はおそらく口にしないはずです。無残な処刑、複雑な刑罰制度、手の込んだ受刑者の管理といった刺激ある描写だけでなく、本書は学校という制度そのものを批判しているからです。
しかし、学生のみなさんが大学で出会う新たな刺激は書物だけではありません。それは音楽であったり、映画であったり、写真であったりするはずです。私の場合、サークルで先輩から教わった音楽が大きく自分の感性に影響を与え、その後の私の世界の見方を左右していきました。おそらくそれがなければ学問を職業とすることもなかったはずです。そのうちの最初に出会ったものは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの同名のデビューアルバム(一九六七年)と二枚目の『ホワイトライトホワイトヒート』(一九六八年)、テレヴィジョンの『マーキームーン』(一九七七年)です。いずれもニューヨークのややマイナーなロックで当時商業的な成功はありませんでした(ただ現在でも世界中で根強く愛されています――アンディー・ウォーホールが制作したバナナのジャケットは誰でも見たことあるでしょう)。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲には、「ヘロイン」「黒い天使の死の歌」など倫理的に問題があるタイトルも多く、またしばしばノイズの入る曲調も決して「美しい」と言えないので、学校や親が学生に積極的に推奨することはまずありません。しかし、だからこそ、私にとって彼らの曲は、大学に入るまで家族や友人と過ごしてきた幸福で凡庸な日常とは違う世界があることを知るきっかけとなったのです。実際、彼らの楽曲は、一九六〇年代末から、従来の政治や文化に対して疑念が高まる中、耳あたりの良い商業的な音楽に対するアンチテーゼとして生み出されたものでした。当時のニューヨークは、多くの若者が集まり、苦しみつつも音楽や美術、文学などで新しい表現を見つけようとする活気あるシーンでした。そこで生み出された作品の代表がテレヴィジョンの上記のアルバムです(その場所にいた若者の一人パティ・スミスの「グローリア」と「ヘイ・ジョー」のエモーショナルな歌も、写真家ロバート・メープルソープの素晴らしいジャケットとともにお勧めです)。
現在、大学は硬直化してきており、また学生のみなさんには経済的なゆとりがなく、私たちがいた時代の大学のような呑気な雰囲気はなくなってきているかもしれません(それには私も加担しています。すいません)。しかし、大学は依然として耳をすませばどこかで知的刺激を与えるものの情報が入ってくる空間であり続けています(この冊子!)。みなさんが大学生活でそれらに出会い、新しい刺激に身を委ねつつ、違う自分に出会うことを期待しています。
汽車旅の勧め・その七― 終着駅 ―
鉄道や旅行に興味のある人には、思いの深い終着駅が一つや二つはあり、多くの場合、そこには「旅情」が絡んでいよう。勿論、福岡市地下鉄の橋本駅や福岡空港駅も終着駅で、そこに特別な思いを覚える人は皆無でなかろう(なお、姪浜駅の如く所管を異にする境駅は本稿で終着駅としない)。しかし、これらに降り立っても「旅情」を感じることはあるまい。
鉄道紀行文学の第一人者・宮脇俊三(一九二六~二〇〇三)は、「終着駅の旅情とは、そこに至るまでの線路と旅客との交情によって生まれる」という(宮脇俊三(二〇〇九)『終着駅』河出書房新社11頁)。この「旅情を誘い出す要因」として宮脇は旅行者の精神状態以外に「沿線風景」「乗客」「列車」「駅」の特徴を示す。特に駅は「木造の古い建物であることが望ましい」とする(同24頁)。ただ、これは昨今難しかろう。
本稿「汽車旅の勧め・その七」で望むところは、実際に列車に乗って終着駅に赴くきっかけとなることである。旅に出て、終着駅に佇んで、某かの「旅情」を覚えることがあれば、慌ただしい日常をひととき忘れ、ひいては人生を豊かにする糧となろう。勿論、様々な事情によってそれが許されない場合も考え、図書に記された終着駅を取り上げ、机上で訪ねる楽しみも紹介する。従って、本稿では、私が実際に訪れて心に残った終着駅以外に、紙面で知るだけの、行きたくても行けなかった終着駅も扱う。
この場合、意図して終着駅を訪ねてきたところのある我が身への歯止めとして、架蔵の図書の中で表題に「終着駅」を含むもののうち、宮脇による次の一冊を拠り所とする。
本書は、「北海道」「東北・関東」「中部」「近畿・中国・四国」「九州」の五地域ごとに都合二五の終着駅を紹介する。これらのうち、本稿では八駅を取り上げる。
1.北海道
[1]十勝三股・糠平[士幌線]
士幌線は、帯広駅から北に延びる路線であった。しかし、一九八七年三月に廃止されたため、現在十勝三股駅・糠平駅を訪ねることはできない。
二つの駅が並記されているのは、宮脇が訪ねた際、糠平駅が列車で行ける終着駅、十勝三股駅が代行バスの終着駅であったためである。以前は十勝三股駅まで列車で行けたが、利用者減により一九七八年に十勝三股駅・糠平駅間一八・六キロがマイクロバスに切り替えられ、その後全線が廃止された。そのバスにしても宮脇が乗車して運転手に訊くと、毎日利用する乗客は四人という。
本駅に関する文章は、毎日利用する四人の内訳が示された後、次の一行で締められる。
2.東北・関東
[2]熱塩[日中線]
東北・関東地方からは五駅が選ばれている。当地方に在住したことがあるものの、北海道の五駅と同じくどの駅も訪ねたことがない。
ただ、本書を読んで十勝三股駅と同じく訪れたかった終着駅がある。一九八四年四月に廃線になった福島県の日中線・熱塩駅である。本書で初めて接したのであろう、「日中線」という路線名、「熱塩」という地名が記憶に残っている。日中は終着駅の更に奥にある日中温泉まで路線を延長する予定であったための路線名、熱塩は高温の塩化物泉を特徴とする温泉場であることに由来する。
宮脇が度々取り上げて心に残っていた日中線・熱塩駅が蘇った文章がある。前掲・原氏の「歴史のダイヤグラム」で、二〇二〇年八月二二日の「高校時代の悩みと熱塩への旅」というタイトルであった(引用は、原武史(二〇二一)『朝日新書 歴史のダイヤグラム 鉄道に見る日本近現代史』朝日新聞出版)。
高校二年生の折、氏は進路の悩みから逃れるため、春休みに熱塩に赴いた。
原氏は、Aの訃報に接したとき、自らを顧みてどのような思いを抱いたのであろうか。そして、日中線・熱塩駅が蘇り、本書を書架から引っ張り出した。
なお、熱塩駅は宮脇が描くように特徴的な駅舎だけあって、日中線が廃線された後、「日中線記念館」として公開されている。「駅舎内には改札口や券売機、時刻表からだるまストーブまでが現役時代のまま保存され、構内には蒸気機関車の転車台の跡も」また「ラッセル車と客車が展示されている」という(梯久美子(二〇一五)『中公新書 廃線紀行 ―もうひとつの鉄道旅』中央公論新社33頁)。
実際、インターネットで「日中線記念館」を検索すると、駅舎内は綺麗で、宮脇の描く国鉄時代の様子とは隔世の感がする。
関東地方の終着駅として本書は二駅を挙げる。その一つは足尾線の間藤駅である。宮脇が国鉄全線完乗を果たした最後の路線・終着駅で、当駅は宮脇ファンにとって「聖地」である(宮脇(一九七八)第13章)。私が群馬県に住んでいた頃は、わたらせ渓谷鉄道に変わっていたものの、いつでも乗車することができた。しかし、沿線を車で走るだけであった。今となっては悔やまれる。注(3) 秩父鉄道秩父本線の三峰口駅、上信電鉄上信線の下仁田駅も同様である。
当地方で意図して乗車したのは、その名に惹かれた久留里線で、二〇一二年五月に木更津駅から終着駅の上総亀山駅に至った。沿線は平凡な山里が続き、その駅舎は特徴がなく、駅前には意外なほど人家が並び、秘境感や旅情を覚えることはなかった。房総半島の内陸を走る路線では、その直後に乗車して半島を横断した小湊鐵道・いすみ鉄道の方が印象強かった。いずれもテレビでよく取り上げられ、予備知識が豊富であったためもあろう。前者は沿線に居並ぶ撮り鉄、後者は大多喜城が忘れられない。両路線の終着駅は、ともに上総中野駅である。終着感はないが、のどかな駅である。
3.中部
[3]氷見[氷見線]
北陸新幹線が金沢駅まで開通したため、並行する北陸本線が第三セクター化された。富山県内の路線はあいの風とやま鉄道に移管された。しかし、高岡駅を起点にして南北に向かう城端線と氷見線は、JR西日本のままで、結果的に他のJR線と繋がらない離れ小島の路線となっていた。それを解消するためか、二〇二三年年末この二線が破格の条件でとやま鉄道に移管される報に接した。
このような二線であるが、鉄道紀行やテレビでは氷見線の方がよく取り上げられる。特に沿線の雨晴海岸は、富山湾の向こうに立山連峰が望めることから鉄道写真の重要なポイントである。テレビドラマでも度々舞台にされ、富山市内にいた登場人物たちが次のシーンではこの海岸を歩きながら語り合うことがあった。古くは大伴家持が七四六年から約五年間越中国司として沿線の伏木で過ごした。それ故、伏木駅近くには高岡市万葉歴史館が建てられ、高岡駅前には家持の像が立つ。
一方、南側の城端線は、対照的で、話題になるスポットは少ない。しかし、我々にとってその終着駅の城端駅は、五箇山郷(日本の地域語に係る社会言語学的研究の最高の成果を生んだ、真田信治氏のフィールド)への入口として重要である。二〇一二年一〇月、富山大学で学会があった折、宿を富山市内でなく高岡駅前に取ったのは、この両線を完乗するためであった。その際、最初に城端駅に向かい、駅前に停車していた五箇山郷・白川郷行きのバスを見送った。その後、引き返して氷見駅に赴いた。
高岡駅を出発すると、氷見駅へは工場地帯・住宅地・海岸線と変化に富んだ車窓が続く。この路線の終着につき、宮脇は次のように記す。
氷見市は藤子不二雄Ⓐの出身地である。高岡駅に停車する気動車には忍者ハットリくんに登場するキャラクターが描かれ、氷見駅前の商店街にはキャラクター像が立っていた。後述の境港駅周辺の妖怪像を模しているのであろうが、数は少なかった。
宮脇(一九七八)でも氷見駅に立ち寄っているが、僅か四分で引き返したため、駅の描写はない。しかし、高岡駅からの車窓を違った形で描き、雨晴の地名の由来は「この地で俄雨に遭った義経が弁慶が積んでくれた岩塊の蔭で晴れるのを待った故事」(同20頁)と説明する。
高岡市は、高岡大仏に代表されるように鋳物などの伝統工芸が盛んな街である。口にしたことはないが、名酒・勝駒の蔵元もある。これまで二度訪れたが、氷見市などと併せ、また訪れたい北陸の街の一つである。
なお、二〇二四年年始の地震のため、当地にも甚大な被害が出た。一日も早い復旧を願う。
[4]別所温泉[上田交通別所線]
中部地方の終着駅は氷見駅以外に六駅が紹介してある。訪ねたことのあるのは、地方私鉄ローカル線である上田交通別所線・別所温泉駅だけである。
本線に乗車したのは、遙か昔の一九八六年三月である。本書を読んで、別所温泉の存在を知り、前任校のゼミの卒業旅行で出掛けた。勿論、学生に言わなかったが、「外装は、下半分が紺と紫と緑を混ぜたような色で、上部は淡クリーム、前後の扉の戸袋に楕円形の窓がある」(113頁)「丸窓電車」に乗車することも目的であった。
幸いにして、丸窓電車は信越本線上田駅の外れのホームに停まっていた。発車するとすぐに二〇一九年一〇月の台風で崩落する千曲川橋梁を渡る。その後、「信州の鎌倉」と言われる塩田平を通り、別所温泉駅に至る。
〈中略〉ホームの屋根も堂々としていて、正にステイションの名にふさわしい。起点の上田駅が、国鉄の片隅でうらさびれていたのとは大ちがいだ。ここでは誰はばかることなく君臨している。もっとも、坂の町別所のはずれにあるので、君臨するにしても低い位置だが。118~119頁
JR線を第三セクター化した路線が多くなる一方、昔からある地方私鉄ローカル線は相次いで廃止されている。その中でも上田交通別所線は、県庁所在地以外の都市を起点とする路線の一つで、先の一年半にも及ぶ運休も乗り越えて地域の足として奮闘している。遠い長野県であるが、大糸線・飯山線がまだ未乗、小海線・飯田線はまた…と願うなど、魅力的な路線の宝庫である。いずれこれらの路線を乗り尽くし、上田交通別所線で別所温泉を訪れ、ひととき旅の疲れを癒やしたい。
4.近畿・中国・四国
[5]伊勢奥津[名松線]
今回扱う終着駅の中で訪ねることを強く切望し、実際に果たしたのは、松阪駅から名張駅を目指しながらも途中で力尽きた名松線の終着駅・伊勢奥津駅である。
切望したのは、本格推理作家・鮎川哲也(一九一九~二〇〇二)の名作群の中でも旅情に満ちたものとして愛読した、次の作品で丹那刑事が訪ねたためである。
鮎川哲也(一九七六)『戌神はなにを見たか』講談社注(4)
丹那は、駅周辺で容疑者のアリバイを確認した後、バスで事件の関係先である太郎生(津市美杉町)に向かう。
両作品には記されていないが、蔓の絡んだ高い給水塔が構内の端に立っているのは、終着駅らしかった。
伊勢平野をかすめ、丘陵地帯を抜けて、川沿いの渓谷に沿っていく変化に富んだ路線である。途中の乗り換え駅・家城駅を過ぎたところに県立白山高校がある。当校の甲子園出場(二〇一八年八月)は話題になり、二〇二三年秋に放送された「下剋上球児」の原案になった。グラウンドで練習する球児の姿が見られた。家城駅からは川岸の山肌にへばり付くように進む。対岸には至る所に崩落跡が見られる。台風による災害のために六年半も不通になった区間で、奇跡的に二〇一六年に復旧した。奥津駅の空きスペースには本線の歴史の他に復旧に至る経緯が展示してあった。
伊勢奥津駅は、山中の終着駅ながら秘境感は弱い。しかし、そこに至るまでは山線として氷見線と違った変化に富んだ車窓が味わえる。旅情の感じられる路線・終着駅である。
近畿地方では二〇一三年五月に訪ねた和歌山電鐵の貴志川線・貴志駅が楽しかった。JR和歌山駅の端にホームがあり、乗車するのが躊躇われるような内外装のいちご電車に乗り込み、今は亡き猫駅長「たま」に逢った。現在、貴志駅ではウルトラ駅長として「ニタマ」が勤務している。秘境感や旅情とは無縁であるが、汽車旅の、ある楽しみ方としてはアリであろう。
[6]境港[境線]
米子駅0(霊)番線から境港駅に向けて鬼太郎列車が発車する。終着駅までの駅には、米子駅も含め、愛称として妖怪名が付けられている。境港駅は、鬼太郎駅である。
これは、境港市が水木しげるの出身地であることによる。境港駅の駅舎を出ると、執筆中の水木のブロンズ像が出迎えてくれる。駅の東側が水木しげるロードで、現在は妖怪像が一七七体が立ち並ぶという。ロードの一番奥に水木ワールドが満喫できる水木しげる記念館がある。現在は休館中であるが、二〇二四年四月に新装オープンする。
境線・境港駅及びその周辺は、旅情でなく、異次元の感動が味わえる世界である。
宮脇が訪れたのは「妖怪の町」として売り出すずっと前で、漁港として栄えた痕跡の残る終着駅として描かれる。
[7]仙崎[山陰本線]
「盲腸線」という言い方がある。行き止まり駅を持つことが第一の条件で、盲腸であるのに距離は問題にされないようで、例えば、日南線(南宮崎駅・志布志駅間八八・九キロ)や指宿枕崎線(鹿児島中央駅・枕崎駅八七・九キロ)が挙げられることもある。本項で扱う仙崎駅は盲腸線にふさわしい路線の端にある。山陰本線支線の行き止まり駅で、起点の長門市駅から一駅目二・二キロしかない。
終着駅の先にバス路線があれば、それを利用して別の地に赴き、同じ路線を戻らないこともある。宮脇は、伊勢奥津駅のような例外もあるが、基本的に起点駅から乗車し、また列車を利用して戻ってきている。しかし、私は長門市駅から仙崎駅に向かって歩き、帰りだけ乗車した。これは約二キロしかない上、列車を待つ間に辿り着けて駅周辺で散策ができるためであった。ただ、着替えなどの入ったボストンバックを抱えての歩きは応えた。
仙崎は、例の合併後、出身地の下関市に隣接することになった長門市にある。このため、当地は昔から車を使って何度も訪れていた。勿論、二〇一二年二月初めて歩いて訪ね、帰路に乗車して、新たに気づいたことは少なくない。
早めに着こうとしたのは、仙崎が金子みすゞの出身地で、ゆかりの施設を訪ねるためであった。仙崎駅の木造駅舎の空きスペースにも関連する展示があったが、一番は駅に程近い金子みすゞ記念館である。一人ゆっくりと展示を観ていると、優しい気持ちになれるが、短い人生に悲しくもなる。
車で行ったときに必ず立ち寄っていた港には、地元名物のかまぼこを初めとする海産物を扱う商店や海鮮類を売りにする飲食店が立ち並ぶ。宮脇は魚市場を目当てにして宮崎県の取材(妻線の杉安駅)の帰りに訪ねた。
現在、仙崎駅に至る鉄路は、ほぼ完全に閉ざされている。二〇二三年夏の豪雨のためである。山陰本線は小串駅・長門市駅間、美祢線は全線で列車は走っていない。特に美祢線は二〇一〇年七月に不通になって復旧した後のまたの不通である。名松線のように時間がかかってでも復旧することを願う。
その他、山口県内では二〇一三年七月に小野田線支線の終着駅である長門本山駅を訪れた。起点の雀田駅から二・三キロ、間に一駅あるだけの盲腸線で行き着く先である。朝二往復、夕方一往復だけで、日中線とほぼ同じである。線路脇に家並みは途絶えないが、乗車した夕方の便は他に女子高校生二人だけであった。仙崎駅と異なり、駅を出たすぐ先で周防灘を臨むことができる。
四国では、宇和島駅・宿毛駅が終着駅らしい風情を持つ。宇和島駅は、街の規模にしてはこぢんまりした駅で、意外な気がした。しかし、街は歴史と自然に富み、訪ねる価値はある。鯛めしは美味しく、宇和島城跡からは入り組んだ入り江が臨める。宿毛駅は、土佐くろしお鉄道の所管の高架駅である。新しい駅であるため、趣は感じられないが、高架でその先に地面がないため、終着感は強い。その昔、佐伯港で宿毛へのフェリーが停泊しているのを見た。乗船して宿毛駅から四国一周の旅を始めるのが自分らしいと考えた。しかし、気が付くと、当フェリーは燃料高騰のため、全便運航休止になっていた。
5.九州
九州地方の終着駅は、後述の門司港駅以外に廃止された宮崎県の妻線の杉安駅、廃止が話題になる指宿枕崎線の枕崎駅が取り上げられる。訪れたことのない杉安駅・枕崎駅の代わりに個人的な思いから長崎駅・伊万里駅を取り上げ、最後に門司港駅に言及する。
中学一年生まで下関市で暮らし、父の転勤のため、長崎市内の中学校に転校した。下関市で過ごしたのは昔○○村と言われた、山陰本線沿線の田舎である。今はあり得ないが、入学した中学校では男子生徒は全員丸刈り(私たちはボウズと言っていた)にしなければならなかった。このような田舎育ちの中学生が倍の人口を有する都会で、長髪可の街中の中学校に転校することになり、高揚感とともに緊張もした。
荷物を出した翌朝、夜行崩れの客車急行に下関駅から乗車して長崎に向かった。長崎本線は初めての乗車で、肥前鹿島駅を過ぎ、有明海に沿って走るあたりから車窓に張り付いた。入り江に沿ったオメガ状になった路線は強烈で、その風景は忘れられない。このうら寂しい浦の先に長崎のような都会があるのだろうか…と思い続けた。更にその頃は喜々津駅から大村湾に沿い、同じようなオメガ状の路線も記憶にある。その後、長与駅・道ノ尾駅を過ぎ、街らしくなって終着駅が近いことを感じた。その頃の長崎駅は、地上にあり、ホームが沢山並んでいた。下関駅よりホームの数が多く、その端で先のない鉄路を見た際には終着駅を感じた。汽車旅好きの中学生は、そこに至る時間の長さと車窓の多様さから、新学期からの不安は一時忘れ、汽車旅をした満足感に満たされたはずである。
中学校卒業と同時に長崎を離れ、大学院生のとき、久しぶりに訪れた。喜々津駅からは新線が完成し、長いトンネルを抜けたところは浦上駅近くの街中で、味気なかった。更に二〇二二年八月に訪れた際、新幹線のトンネル出口が駅のすぐ側の、住宅の立ち並ぶ山肌に見えたのには、路線敷設の都合もあったのであろうが、よくもあんなところを貫いたな…と驚いた。
宮脇も長崎駅を訪れている。しかし、宮脇(一九七八)ではちゃんぽんを食べたなどの記述でだけで駅は描かれない。文章に深みが欠けるが、長崎駅やそれに至る路線は、谷川氏の文章を示す(谷川一巳(二〇一八)『平凡社新書 ニッポン 終着駅の旅』平凡社)。注(6)
伊万里駅が本稿でいう終着駅であるとの認識は、二〇一九年六月に伊万里を訪ねるまでなかった。勿論、唐津駅から伊万里駅までは筑肥線、その先有田方面・松浦方面は松浦鉄道で、当駅がJR線と第三セクター線の境駅であることは承知していた。一九八八年四月まで全線JR線であったため、伊万里駅は、例えば、一・二番線がJR、三番線以降は松浦鉄道など、姪浜駅のように共用されていると思っていた。
唐津駅から単行の気動車に乗って、里山を抜けて市街地に入り、駅に到着する。下車して列車の進行方向に進むと、ホームの端で鉄路が途切れ、駅舎が聳える。この様を原氏は、次のように描く(原武史(二〇二三)『新潮文庫 「線」の思考 鉄道と宗教と天皇と』新潮社)。
[8]門司港駅[鹿児島本線]
当駅はその駅舎が門司港レトロを構成する一要素として全国的に知られている。このように著名な終着駅を本稿の末尾に据えることには気恥ずかしさを覚える。しかし、私が最初に意識した終着駅として譲れない。
亡くなって約二〇年になる父は、門司港駅近くに職場があった。このため、幼い頃からよく訪ねていた。通過駅しか知らない子供には改札口を出て正面に櫛形に居並ぶホーム(頭端式ホーム)は特異に映った。またその向こうの引き込み線に留め置かれた様々な客車や電車は壮観であった。例えば、日田行などの行き先表示板を掲げた古びた客車は未知の世界への入口であった。またいつ頃どのようなものであったかは忘れたが、父に連れられ、駅構内で食べたうどんが美味しかった記憶は鮮明である。
宮脇は当駅の駅舎を次のように描く。レトロで注目される前であるためか手厳しい。
【付記】廃線になった路線は、次の一冊を参考文献として使用した。
三宅俊彦(二〇〇五)『別冊歴史読本 国鉄JR 廃線ハンドブック』新人物往来社
逃げ出すわけにはいきまっせん
- 『天に星 地に花』(帚木蓬生、二〇一四年、集英社)
- (『ギャンブル依存とたたかう』(帚木蓬生、二〇〇四年、新潮選書))
念願叶い青雲の志を抱いて大学の門をくぐった諸嬢諸君、御入学おめでとう。
電子書籍を入学祝いとして貰った人もいるでしょう。私は学生時代から山が好きで、時には何日も山中で過ごしていました。今の若い人が同じ状況で数冊読める手軽さを正直、羨ましいと思わないこともありません。山に持って行くのをどれにしようかとかつて悩んだからです。乱読、熟読、味読、そして「とりあえず積んどく(読)」も、良書に巡りあうまでに必要で、大事な体験ですし、特別な場所で読む本は、意外に永く記憶に留まるものです。
ところがこのような便利な道具が増えた一方で、紙の書籍の売り上げは近年芳しくなく、町の本屋さんは苦戦しています。出版業会の年商はおよそ三兆円ほど、パチンコ産業はその十倍、約三〇兆円も稼いでいます。パチンコ産業と国民医療費がほぼ同規模というのも、あなたにとっては衝撃ではありませんか?
このことを私に教えてくれたのは、福岡は小郡の出身、作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏です。精神科の医師でもある彼のライフワークの一つは、『ギャンブル依存とたたかう』ことで、有名な本の題名になっていますが、願わくばこちらの本、そしてギャンブル依存そのものとは無縁の学生生活であって欲しいです。私もパチンコはやりました。しかし、ある日虚しさを感じて止めたのです。パチンコ屋へ足が向かう時はたいてい気持ちが「逃げ」、つまり現実逃避の方向へ向いている時に他ならないと気づいたことがきっかけでした。やっている時は愉しいのに、金が底をついてふと気がつくと必ず「時間を無駄にした」、そんな苦い思いが胸に込み上げてくるからでした。
山に登ることは、逆に、登る時は苦しくてキツクてならないのに、その後の感動と爽快感はなかなか消えることはありません。同じ山でも登るたびに異なる経験が待っています。これは、学問にも稽古事にも言えることではないでしょうか。大切なものは、簡単には手に入らないものなのです。深山には人工の灯りが届かないので星空は冴えて美しく、吾亦紅(われもこう、『我も恋ふ』という字を勝手に思い浮かべていましたが)の野草は見飽きぬ可憐さを秘めて風に揺れていました。
『天に星 地に花』は題名に惹かれてふと手を伸ばした本です。江戸時代に題材をとっていますが、現代という同時代の物語でもあります。この言葉は、或るオランダの名医からとある若者へと継がれていく命のかがり火です。そのいきさつについては、久留米藩井上村の霊鷲寺にまつわるこの物語を、じっくりとひもといて下さい。若い皆さんにはまだそれほどのことはないと思いますが、これからの人生においては、精一杯果たした己の義務や仕事について、心ない人からいわれのない非難を受けることも出てくるでしょう、はらわたが煮えくり返るほどの思いに直面することもあるでしょう。あなた個人に無理を強いるどうしようもない組織の中で、生き方を探らなくてはならないこともあるでしょう。この本は、そうした時に、きっと煌々とした道しるべとなってくれることと思います。
久住の山々へ登った帰り道、大分からの高速道路を車で鳥栖方面に戻る途中に、山田SA(サービスエリア)というのがあります。そこを通過すると次はやがて井上SAという標識に変わります。この小説の舞台になった井上村はそのあたり一帯でした。「井上」は大学時代以来の悪友の名です。なので、やぁまだぁ〜、いぃのうえぇ〜、と心で呟きながら、バカをやった青春の日々、山に明け山に暮れ、山に救われた若い頃を思い出したりして、ここを走る時はいつもちょっといい気分になります。
人生、多少、いやうんと嫌なことがあろうとも、「逃げ出すわけには、いきまっせん。前ば向いて生きていかんこつには。」(本書『天に星 地に花』より)
人から本をすすめられること ―パール・バック『大地』―
- パール・バック『大地』(初出一九三一~一九三五年。新居格氏訳の新潮文庫版は、一九五三年)
「無人島に一冊だけ本を持ち込めるとしたら、何にする?」という問いかけがあります。孤独な生活を紛らせてくれそうな、くりかえし読んでも飽きない書物をあげていく話題であり、多くの作家や学者といった人々が自分のお気に入りを紹介しています。
さて私ならどうするかと問われたら、たぶん何を持っていってもけっきょく読まないのではないか、と思います。本を読む理由というのはただその本自体が面白いとか為になるからとかばかりではなくて、読んだ感想を誰かと語りあいたい、ある人が読んだと言っていたから自分も読んで話をしたい、などの理由もあるはずです。私にとっては特にそうで、どんな難しげな本であれ尊敬する人から教えられれば、その人と討論したいがために努力して熟読するでしょう。誰とも話す機会のない離れ小島に流されたら、どれほど面白そうな本であっても目を通しはしないと思います。
つまり私が一番熱心に読書するのは、自分の敬愛する誰かから本を教えてもらった時であ
り、今回紹介する『大地』も大学時代の恩師からすすめられた本の一冊です。読み進めて、自分が研究上学んできた中国に対するイメージにあまりにもぴったり合致していることに驚き、一九三〇年代に発表されたこの本のイメージに、むしろその後の中国史研究全体が規定されたのではないか、とさえ思いました。
『大地』の舞台は、中国安徽省、十九世紀末から二十世紀の時期と思われます。思われる、というのは、ジャンルとしては歴史物に当たるこの物語ですが、歴史上の著名人や地名・事件名が登場せず、厳密にはいつ・どこの話かあえて分からぬよう書かれているからです。それどころか、主要人物の王一家以外には、ほとんど固有の名前さえ出てきません。物語は第一部の主人公、貧しいけれども勤勉な農民の王龍が、富豪の奴隷であった阿蘭を買い取り、妻にするところから始まります。
平凡な農民の物語を興味深いものにしているのは、厳しく過酷な中国の環境と、それを乗りこえていく彼ら、特に阿蘭のバイタリティーです。旱魃の到来を予想して稲穂の軸を食料として保存したり、飢饉につけこんで彼らの土地を買いたたこうとする高利貸しとわたりあったり、いよいよ暮らしていけなくなって流民として都会に逃げ込んでからも、物乞いの仕方を子供達にたたきこんだりと、とにかく凄まじい女性です。旱魃が過ぎ去り、故郷にもどった王龍は前にもまして畑仕事に励み、一家はしだいに裕福になっていくのですが、阿蘭の働き有ってこその幸運であったのは間違いありません。
私は今までにもこの本を知人や学生の何人かにすすめました。女性読者がそろって面白いと感じるのは、王龍をはじめとする男性主人公と、いずれも気丈な女性たちの間の、ベタベタしていない愛情をさらにドライに描ききった、筆者パール・バックの洞察力だそうです。死の床についた阿蘭と、王龍のやりとりの場面を以下に引用してみます。
「はい、料理を持って行くのは、戸口までにします。わたしは、みにくいから、大旦那様の前へは出てはいけないのは、ぞんじています」
(中略)
「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています ── 」
王龍は聞くにしのびなかった。彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。彼女が言っていることは事実なのだ。自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、蓮華(注 王龍の美しい妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。それが不思議で悲しかった。この死にかかっている骨ばった手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。
それだけに、王龍は、いっそう阿蘭に親切を尽くし、特別な食べ物や、白魚とキャベツの芯を煮た汁を買ってきたりした。おまけに、手のつくしようのない難病人を看護する心の苦しみをまぎらすために、蓮華のところに行っても、少しも愉快ではなかった ── 阿蘭のことが頭を離れないからだ。蓮華を抱いている手も、阿蘭を思うと、自然に離れるのだった。…
筆者バックはアメリカ人宣教師の娘で、中国現地で前半生を過ごしたという女性です。それだけに、というべきか、作中の男女の恋愛感情に関してバックは一切の幻想を許しません。もちろん、登場する男女の間に愛情が見られない訳ではなく、先の王龍も、王龍の三男で第二部主人公である王虎や、王虎の長男で第三部主人公の王淵も、それぞれ女性に対して時に優しい気遣いを見せるのですが、そこに働く男性のエゴもバックはバッサリと描ききっているのです
── これは、けっきょくのところ男である私には感知できなかった部分であり、人にすすめて初めて気づかされた本書の特徴だと言えるかも知れません。
田畑を愛した王龍に反して、彼の子供たちはあっさりと土地を切り売りし始めます。それを資金に軍人としての立身出世をねらう王虎が第二部の主人公、そして王虎から軍人教育を施されながらも、むしろ祖父に似て農業の近代化を志す王淵が第三部の主人公です。
私にこの本をすすめた恩師はいつも第一部を引いて中国農村の姿を話してくれたのですが、中国の軍事史や軍閥を専門としている私には、軍記物のような第二部も非常に興味深く読めました。ある県の警備隊長となった王虎はそこの政治や裁判までのっとり、名産であるという酒に税金を課して、となりの県へと勢力をのばします。ちなみに彼は母に似てすらっとしたりりしい男性だと描いてあるのですが、このことからすれば阿蘭もそんなに不美人だったとは思えません。
『大地』を読み切った私はさっそく恩師に感想を話しました。そうして敬愛する人とより多くの会話を交わすこと自体が、私にとっての読書の楽しみだとも言えるでしょう。中国の軍閥の様子として第二部には非常にリアリティがありました、と私が話すと、恩師はちょっと意外そうな様子で、後日送ってくれた手紙には「そういえば第二部は軍閥のことなのだと初めて気づきました」とありました。
私がバックの男女関係の描写に気づかなかったのと同じように、恩師にとってもそのような見方は今までなかったのかも知れません。こうした発見があることもまた、独りだけでする読書にはない、他者との交流のための読書が持っている意味だと思います。
大学に入ってからの皆さんが書物に興味を持てなかったとしたら、一度このような、他者と話すことを前提にした読書の仕方を試みてみることをすすめます。別に、『大地』を読まなくても構いません。話を聞いてみたいと思う先生や先輩のすすめる本(または、彼らの書いた本)を読み、その感想を彼らとの話題にしてみてください。あるいは、逆にこう言い換えることもできるでしょう そうした本でも読まなければ大学で実りある交流はできないし、尊敬できる何者かの存在に気づくこともないのだ、と。皆さんそれぞれにとって、大学時代の思い出深い書物が増えることを願います。
異性・同性間への想像力と実践の誘い ―『八二年生まれ、キム・ジヨン』から考える日韓のジェンダーギャップ―
二〇二一年一〇月に「男性から見た『八二年生まれ、キム・ジヨン』――生きづらさを生む社会・韓国と日本」というタイトルで同名の映画(キム・ドヨン監督、日本上映二〇二〇年[韓国上映二〇一九年])について話す機会をいただきました。このタイトルは依頼されたものでして、実際に私はそのとき、副タイトルはそのままにし、本タイトルを「私が考える『八二年生まれ、キム・ジヨン』」に変えました。日本語の「私」という一人称は、「わたくし」という謙譲の意味もあり、また「わたし」という性別的には中立的な意味あるいは女性がよく使う一人称です。「私」とした理由は、社会的で文化的な性別であるジェンダーの感覚(例えば、男性はこうすべきだ、女性はこうすべきだなどの社会的で文化的な性別の観点)において中立的な意味を持っているからでした。例えば、「私」の代わりに「うち」などを使うと女性のイメージが強くなり、逆に「ぼく」「おれ」「わし」などになると男性のイメージが強くなります。このように日本語の場合、自分を指す一人称および呼び方(例:ご主人、奥さんなど)にもジェンダーの概念が働いています。
一方、韓国語の一人称はどうでしょうか。韓国語の一人称は「나(ナ)」あるいはその謙譲語の「저(チォ)」があります。しかし、これらには性別あるいはジェンダー的な意味合いは含まれていません。しかし、上記の映画をご覧になった方あるいは原作(チョ・ナムジュ『八二年生まれ、キム・ジヨン』、斎藤真理子訳、筑摩書房、二〇一八年[原著二〇一六年])をお読みになった方は、日本とは異なる女性の状況を感じられたかもしれません。
すこし話が変わりますが、世界経済フォーラム(World Economic Forum) では、世界各国におけるジェンダーギャップの指数(Gender Gap Index:GGI)を毎年発表しています。「経済(Economic participation and opportunity)」「教育(Educational attainment)」「健康(Health and survival)」「政治(Political empowerment)」の四つの項目をもとに、ゼロが完全不平等、一が完全平等を示す数値となります。二〇二一年三月に出た報告書(The Global Gender Gap Report 2021)において、はたして日本と韓国のジェンダーギャップ指数は、どう出ているのでしょうか。全調査国一五六ヵ国のなかで、日本は一二〇位(GGI平均値:〇・六五六)でして、ジェンダーギャップが大きい国として考えられます。韓国は、日本と比べてやや上の順位の一〇二位(GGI平均値:〇・六八七)となっていますが、一位のアイランドのGGIの平均値が〇・八九二ということを考えれば、アイランドとは大きな差があります。むしろ韓国も日本に近いジェンダーギャップが大きい国だと考えられますね。各項目別に日韓の状況を見ると、日本は「経済:〇・六〇四、教育:〇・九八三、健康:〇・九七三、政治:〇・〇六一」であり、韓国は「経済:〇・五八六、教育:〇・九七三、健康:〇・九七六、政治:〇・二一四」となっています。両国ともにジェンダー間のギャップが最も顕著な項目は「政治」であり、その次が「経済」となります。言い換えれば、両国において女性の政治参加率は低く、経済活動もしにくい状況ということです。
上記のジェンダーギャップ指数からも分かるように、韓国でも様々なジェンダーギャップが存在します。今回は、家族と親族関係に焦点を当てて話をしてみます。韓国では、昔から女性は結婚すると、「出家外人」すなわち嫁いで実家を出たら夫の家族の一人となるとされます。この考え方の根底には、嫁は夫の家の家族となると同時に、実家の家族とは他人となり、夫の家の〈使用人〉のような存在になることを意味します。夫の家族に対する嫁の呼び方から考えてみましょう。例えば、「아버님(アボンニム、お父様)」と目上の人に敬語を使うのは、みなさんも理解できますね。では、自分より目下の夫の姉弟にはどうでしょうか。日本では、名前に「さん」を付けて呼ぶことが一般的だと思いますが、韓国では「도련님(トリョンニム、若旦那様[未婚者の場合])、서방님(ソバンニム、旦那様[既婚者の場合])、아가씨(アガッシ、お嬢様)」などの「様」という敬語で呼びます。これらは、嫁に求められる女性ジェンダーの一面を示しています。一方、夫は、嫁のご両親には敬語の呼び方を使いますが、目下の姉弟や姉妹には「様」などを付けて呼んでいません。こうした家族や親族間の呼び方、そしてその根底には男女間の認識の差異が存在しています。これまで改善の声が当然何度も上がっていまして、すこしずつ変わってはいますが(例:互いに名前で呼び合うなど)、現状はまだまだです。韓国における既婚女性のジェンダー的な位置は、多少日本とは違うとも思いますが、みなさんはどう思われますか。
最近チョ・ナムジュ氏の『八二年生まれ、キム・ジヨン』をはじめとしてチェ・ウニョン氏、チョン・セラ氏、キム・ヘジン氏など、韓国の新人女性作家たちによって〈K-文学〉とも言える韓国文学のブームが起こっています。その背景にあるのは、それぞれの作品がしばしば題材とする韓国社会におけるフェミニズムやマイノリティのテーマに対する、日本の読者たちの共感や共鳴ではないでしょうか。
原作と映画の『八二年生まれ、キム・ジヨン』は、同じ題材を用いていますが、完全に別の作品だと考えられます。原作の小説の内容は、キム・ジヨンに憑依現象が起きる二〇一五年秋から話がはじまり、キム・ジヨンが生まれた過去(一九八二年)から現在(二〇一六年)までの女性としての人生を、男性の精神科医の記録として淡々と描いています。しかし、キム・ドヨン監督によって作られた映画は、基本的な話の題材は同じですが、原作ではあまり登場しない、夫や弟や父などの男性にも目を向けています。彼らがキム・ジヨンを理解し何か行動をする(しようとする)様子が描かれています。例えば、夫のチョン・テヒョンは、妻のキム・ジヨンの社会復帰を切に願う心を理解し、自分が育児休業を取ることなど、行動に移そうとします。しかし、夫の妻への理解と行動として捉えられる男性の育児休業について、今後昇進ができない、職場いじめの対象となるなどの理由で同性の同僚たちに理解してもらえません。そして、異性の母にも理解してもらえません。ジヨンの義母は、ジヨンを意識的・無意識的に使用人のような存在として見ているためか、夫を育児休業まで〈させて〉自分が仕事をしようとすることを理解も許しもできません。同じ女性という同性間でも世代によって認識のギャップが生じているのです。当然義母も昔同じ〈使用人〉のような扱いをされてきたと思われますが。
私がここで問いたいのは、義母は当時の自分の気持ちを顧みて現在のジヨンの気持ちを理解することが、なぜできないのか、また息子のその行動を理解し支持することが、なぜできないのか、ということです。なぜ、同性・異性間、お互いの状況を想像し、それを改善に向けた実践に移すことが難しいのか、とも言い換えられます。
まず、みなさんから、周りの同性・異性への状況を想像し、些細なことでもいいので、行動へと繋げてみるのはどうでしょうか。例えば、みなさんの両親がお互いをみなさんの〈ママ〉と〈パパ〉といった関係性で呼び合っていることはありませんか。もしそうでれば、みなさんが両親間お互いを一人の人間として尊重し相手の名前で呼んでみるように勧めてみるのはどうでしょうか。異性・同性への想像力と小さい実践が、男女ひいては同性・異性間のジェンダーギャップを減らすことに繋がると、私は信じています。みなさんも一緒に身近なところから始めてみませんか。
※この原稿は、福岡県人権啓発情報センターの第五二回特別展「ジェンダー」(二〇二一年一二月四日~二〇二二年三月一九日)に寄稿した内容を書き直したものです。
Novis 2024 ―新入生のための人文学案内― |
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印刷 | 令和6年3月28日 |
発行 | 令和6年4月1日 |
発行者 | 福岡大学人文学部 |
印刷所 | 城島印刷株式会社 |